はてなキーワード: 網羅とは
日本語のネット空間が特にそうなのだが、沢山情報があるようで結局見に行くと似たような内容で問題が解決しないということがよくある。
Pythonのpandasでこんな動作できるんだっけ?と思って検索をかけて10ページくらい色んなサイトを見て回っても似たようなことしか書いておらず、
比較的プログラミングは情報が多いのだが、検索結果がより分散が広がるような並びになってない。
ネットになくても、この本を読めば網羅されてるのであればいいのだが、この本に書かれているというのも中々出てこない。
ここまでは既存のサイトに書かれているが、検索しても見つからなかったので書いたものを、上手く合わせて出してくれればいいのだが。。。
私がまだ子供がいない頃に時々見かけて、大人が子供のものに子供より夢中なんて大人気ないと思っていた。
産んで解ったが、子供に物心がつくと子供が寝るまで子供の好きな番組以外見れない。
そして子供は好きな回や好きなシーンを繰り返し見せてきて、好きな所を熱弁し大人と感想を共有したがる。
ものすごく厄介だけど世界一大好きな布教オタクと、数年朝から晩までべったり状態で、特撮を布教されるのだ。
最近はとりあえずジョジョや進撃で馴染みがある小林靖子脚本から網羅していくかとアマプラに入り色々見ていってる。
子供がライダーより戦隊に熱いのでシンケンジャートッキュウジャーを全部見た、面白い。次は何にしよう。
子供より特撮に夢中なお母さんがたも、子供の好きな番組漬けにされて面白さに目覚めたんだろうなと勝手に仲間意識のようなものも芽生えてしまった。
2019年9月24日、遂にアイドルマスターシンデレラガールズにて、佐城雪美のボイスが実装された。
ここまで長かったと思う。アニメでは出演する機会こそ与えられたもののボイスはつかず、総選挙も途中からじわじわ順位を上げたとはいえボイス確定枠に来るまで8回かかった。それだけに、佐城雪美のボイスは、ある種の衝撃を以て自分の鼓膜を貫いた。
今日と言う日を迎えるまでの間、「佐城雪美の声はどういった感じのモノか」と言うことを空想することは、一度や二度ではなかった。声の高低、話す速さ、三点リーダの表現方法…。そういった様々な要素を組み合わせ、自分の中で佐城雪美の声のイメージを、今日と言う日が来るまで固定化しないように努めていた。どんな声が来ても良いように、という自分のエゴだった。
結論から言えば、佐城雪美の「実際の声」は、自分が思い描いたどんなイメージとも異なるものだった。より具体的に言えば…
自分の貧弱なイメージの
5000兆倍かわいい!!(例のフォント)
…と言った感じである。
端的に表現すれば「年齢にしては低めで、抑揚が非常に小さいウィスパーボイス」といった趣。少しでも雪美に触れたことのある方ならば、一度聞いただけでまず間違いなく彼女の声だと分かることだろう。既存キャラで近いのは白坂小梅だが、あちらの声質を少し変えて抑揚を抑えた感じと言えば分かるだろうか。
抑揚が少ない分、わずかな声の高低が感情を表している。その機微が、非常に愛らしい。
また、雪美と言えば文章中に三点リーダが非常に多いことが特徴だが、これについても「わずかに漏れる吐息」という形でボイスとして組み込まれている部分がある。これについては本日実装されたメモリアルコミュ1を聴けば分かりやすいが、これがめちゃんこかわいいうえにオーディションに訪れた彼女の感情を見事に表現しているので、ぜひ一度聞いてみて欲しい。
歌唱については(とは言ってもまだ聞けるのはおねシンのソロのみだが)、そんな彼女の魅力を十二分に引き出しつつ、ある種威風堂々とした歌声である。
総評すると『すさまじくかわいいうえに佐城雪美のボイスとしての説得力が半端ない』と思う。自分の語彙力のなさが恨めしい…。
現在デレステで聞けるボイスの中から、個人的なおすすめを挙げていく。なお、ここで挙げるのは共通ボイスのみなので、ネタバレが怖いあなたも安心。逆に今日実装されたSSRのボイスを聞きたいという方は、ぜひ11月末に来るであろうスカウトチケットを利用して迎えたうえで聞いていただきたい。酔狂な奴以外は天井なんてするんじゃないぞ。
プレゼント……きてる……いいな……ほしい……
プレゼントボックスにアイテムが入っている際のボイス。これの「いいな…」がマーーーーーーーーージでかわいい。
……もう……眠い……プロデューサー……おんぶ……
夜のホーム時のボイス。モバマスの[夏宵のお嬢様]でもおんぶをねだるシーンがあったが、改めてボイスにされるとやはり破壊力が高い。「おんぶ……」が特に。
約束……忘れないで……いつまでも……一緒……
プロデューサーレベルが上昇した時のボイス。デレステにおける佐城雪美は、こと「約束」が非常に重要なファクターになっている。それを実感させるボイスである。
もう……だめ……
LIVE失敗。罪悪感が凄まじいが、字面だけでは伝わらないので是非聞いてほしい。
みんなに気持ち……伝わった……しあわせ……
スコアAでクリア時。「しあわせ…」の部分で声のトーンが上がっており、彼女が喜んでいるのが非常によく分かる。
ここで挙げたのは一部であるし、自分でも全部のボイスを網羅できているわけではないので、ぜひ様々な場所に連れまわして、様々なボイスを聞いてみて欲しい。確かみてみろ!
彼女の声を我々に届けてくれる中澤ミナさん、それから彼女を抜擢したシンデレラガールズのスタッフの皆さんに、心からお礼申し上げたい。本当に、本当にありがとう。
ボイス実装を機に、佐城雪美の活躍できる場所はどんどん広がっていくだろう。その門出の日を、こうした晴れやかな気持ちで迎えられることが、本当に嬉しい。
仕事上、社内サポート的なことをやっていて、たまに「これやってよ」的な要望を受けるけど、基本的には拒否してやり方だけ教える。
有名な「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」は、老子に言われなくても、自分の時間を守るために経験的に誰でも獲得することじゃないかと思う。
ただ、最近さらに思うのは、「魚の釣り方」を教えたとして、次々に出てくる「鳥のつかまえ方」だの「米の作り方」だのの要望を全部教えることはできないということである。
「「〜のしかた」の探し方」みたいなのが定型化できればめっちゃ楽ができるわけだが、その「探し方」の難易度が高い。例えて言えば、世間にあまねく「効率的なググり方」を教えるようなものだ。
ちょっとは助けになるかと思ってFAQを整備し、可能なものはそっち見てくれってやってるのだが、まあそれにしても、様々な「〜」があるもので、網羅にはほど遠い。
いちいち魚を与える時間はない。「〜のしかた」の探し方の完璧版を作ろうとしても時間がかかりすぎる。現状がだいたいコスト最小なところにいるのかなあ。
かつて、アレクサンドリア図書館では二種類の本が所蔵されていたという。巻物と、現代の本のように綴じられた本だ。どちらにもそれぞれメリットがあったが、綴じられた本にあった最大の利点は、ページの表と裏の両方に書きこむことができることだった。つまり、単純に空間あたりの情報密度が倍になる。そういうわけで、いつの間にか巻物は駆逐され、今と同じ形の本が広まっていったという。同じ理屈で、私たちはパンチカードからテープへ、フロッピーディスクやディスクを経て、USBやSDカードへ、その先へと進んできた。
ここで、ハードの乗り換えの際、重要でないとされたものは、最新のメディアにコピーされなかった。つまり、巻物には記録されていたのに、現代には伝わっていない古代の著作が多数ある。当時の様子を伝えてくれたかもしれない資料が、こうして失われた。同じように、今でも貴重なデータがフロッピーディスクに埋まっていることだってあるかもしれない。笑ってはいけない。ある企業の文書はMOディスクに保存されていると聞いた。霞が関の重要な公文書がフロッピーの中に眠っており、読みだすのに一苦労、なんてこともあるのかもしれない。
そして、現代において最も重要な知識の移行が、オンライン化である。ネットに載っていない情報はあたかも存在しないかのように扱われてしまいがちで、それが私たちの記憶に対して、自信をあやふやにする。
私が幼いころに見ていたNHK教育の番組に、「ともだちいっぱい」というものがあった。その一コーナーで、ペカリンさんなる人物が「困ったときはチャンスです」と歌いながら主人公を絵本の世界に招き入れ、課題解決のヒントを与える、という寸劇があった。一応、その概略を示したwikipediaの記事は存在する。それでも、各回にどんな人物、一回限りの登場キャラクターがいたかを網羅した情報は、ネット上にはまったく見つからない。
私の記憶では、フラフラになるまでフランダンスを踊る島の人々や(彼女たちにアイスキャンディーを配る)、標識や印の便利さを伝える回に出てきた「ノッペリ」なる人物、松竹梅の三種類の樹を並べ替える方法は行くあるかを問う怪人、姫に無理やり求婚する「イイダロ王子」、それから「ゴメンライダー」なる悪役が出てきた記憶がはっきりある。しかし、いくらgoogleで検索しても彼らの影も形もない。
他にも、「ひらけポンキッキ」に出てきた、ドレミの歌とともに人体模型がじわじわ歩いてくるトラウマ級の映像も、存在した証拠がほとんどない。ガチャピンの声で「体の中はどうなっているのかな? 見てみよう?」と言うと、子供と虎と魚の骸骨や内臓が見えるのが恐ろしく、布団の中に潜って怯えていたことはしっかり記憶しているのに。
こうするうちに、初期の「ひょっこりひょうたん島」のオリジナルテープが上書きされて永遠に失われてしまったみたいに、彼らの存在した証拠も、コピーが取られることもなく、消えてしまうのだろうか。そういえば、羊皮紙の写本もときどき重ね書きされ、古代の貴重な写本がいくつも失われた、と耳にしている。
女性アイドルと一言で言っても音楽ジャンルもコンセプトも多様である。
音楽ジャンルで言うならば、王道のアイドルポップもあればパンクもメタルもニューウェーブもテクノもヒップホップもEDMもプログレもアイリッシュもジャズもアキバ系もあって、大衆音楽の主要なジャンルはまあまあけっこうな割合で網羅されている。この界隈も本気で掘ればあなたの好みにあうアイドルはかなりの確率で見つかるはずなのである。なので、アイドルに関心が持てるかどうか、という話であれば、基本的には「掘りが足りない」という話になる。
ただ、問題は、めっちゃ掘ってお気入りのアイドルを見つけたところで、それで元増田の「好きな人」と会話が成立するかどうかである。前述の通りこの界隈もけっこう多様な世界なので、アイドルヲタ同士でも全然話が通じない、っていうことはそれなりにあるのである。自分個人の話をすれば、日本語の歌に関しては99%アイドルしか聴かないが48・坂道・ハロプロにはほとんど興味ない(坂道系では欅坂はちょっと聴く。今のハロプロではこぶしファクトリーはちょっといいかなとおもうけどライブに行くほどじゃない)みたいなことがあるのである。アイドルあんまり知らない人からすれば、48・坂道・ハロプロ以外にアイドルなんているの?てなるかもしれないが。
元増田の「好きな人」が具体的にどういったアイドルのヲタなのか、元増田が普段どういう音楽を好むのか、どういうアイドルを聴いてみてダメだったのか、などなど重要な情報が足りていないため、ドルヲタとしても有用な情報を提供できないのである。
「映画館に侵入し発信機を付けることでタダで映画を観られるようにした」
といった話があるけど、こういう
かつ
ような漫画やアニメの表現には、一言で良いから注意書きを付けるべきだと思う。
そうすれば、少しは子供の「違法だと知らずにその行為をする」といったことが防げるのではないだろうか。
(上記の例なら、違法ダウンロード、漫画等の海賊版配布への加担など。)
もちろん、違法だと知っててやってる場合は効果無いだろうけど。
本当は親や教師が教えるべきなんだろうけど、昔と比べてできることが増えており、特定の行動ができるようになる年齢も下がっているため、網羅的に・理論立てて教えるのは中々難しい。
(それでも「アンパンチ」とただの暴力の違いくらいは教えてほしいが)
確かに「この漫画はフィクションです」と書いてあるものもあるが、それは単なる製作者側の逃げ道に過ぎない。
「現実ではあり得ない内容を含みますよ」と言ったところで、何が「現実でもあり得る内容」で、何が「現実では絶対にあり得ない内容」かの区別ができない場合があるのが問題。
例えば、「主人公が道を歩いていて、突然通行人から物を強奪」というストーリーなら「道を歩く:あり得る」「強奪:あり得ない(やってはいけない)」と小さい子供にもわかるが、
あいちトリエンナーレで津田大介さんが監督の「表現の不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます。
憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長、官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)
したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長や官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例の趣旨からして危なそうです。
『あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率の美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています。
憲法上の検閲でないとしても、この意味で検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所で公表を続けることも十分可能です。)。
「公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当と判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲,公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典・コトバンク)
ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上のヘイトに該当しないことは明らかです。
(法律の規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性は被害者とは規定されていない法律でした。)
「自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。
ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます。
津田大介さんは、過去、RADWIMPSのHINOMARUという楽曲を「国威発揚」であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPSは謝罪に追い込まれています。
更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています。
昭和天皇の写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます。
津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身の政治思想は反映されていないことを含ませています。
少女像や昭和天皇の写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。
しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています。
津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。
1.検閲の意味は憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイトの意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。
2.過去に保守的な楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。
3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマに合致したとしても排除した。
津田大介さんは今回の謝罪文で『自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっている』とコメントしています。
しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。
長いことやってる人(5~10年くらい、又はそれ以上)のブコメ欄がときどきすごい辛辣なコメントが飛び交うのは
はてな界隈の中で流通している交友関係が分からない人間としては不思議でしょうがない。
理知的なブコメが多いな、と思ってるブクマカでも、特定の古参ブロガー相手になるととにかく口を極めて罵るのにはギャップを感じる。
ある程度読み進めるうちに「なるほどこれはダメなブロガーなのかも」というふうになんとなく察することが出来ることもある。
(青二才と呼ばれてる人なんかはそう思った。それでも一部のブクマカはちょっと酷く言いすぎじゃないかなぁ、とは今もかすかに感じている)
けど多くの場合
「ちょっと叩きすぎじゃないのか」
って戸惑う。
何らかの遺恨あってこそそういう罵倒が飛び交うのだろうけれども。
その遺恨の元になって事件や記事が、どういうものだったのか見当もつかない。ごく稀に掘り進めるうちに「なるほどこれが震源地か」って納得するクソエントリを見つけることもあるけど
だから「何でこんな酷いセリフを吐くのか?」というモヤっとした感じだけが引っかかり続けて精神的に大変よろしくない。
たまに過去のはてなであった出来事をまとめてる記事なども見かけるが、それらの多くは「当時の大スターだった人々や大事件の記録」であり
いまは古参みたいなツラをしてるけど当時はペーペーだった、今もはてな界隈に残っているベテラン、の起こした様々事件までは網羅していない。
俺にとって、もはや退場した過去の大スターの起こした抗争・事件はどうでもいい。
村の中では中堅~あるいはそれ以下だったけど、いまやはてなの長老然として残っている人たちの間に繰り広げられた(当時は大して価値のなかった)瑣末な遺恨のあらましが知りたいのだ。
自分もはてなブログを始めてまもない新参だけど、このはてなという界隈は不思議な感じがする。
横の繋がりが異常に強いという雰囲気を感じる。
ブロガー同士の抗争みたいなのは他所でもたまに見るが、それは1対1、あるいは1対1の体裁を採りつつ有象無象のコメント欄の匿名ファンネルや腐れツイッターフォロワーの抗争で
はてな村のようにブロガー複数と対峙するブロガー個人(あるいは複数)という抗争はあまり見覚えがないので新鮮。
思想傾向や発言履歴を追いかけることのできるはてなブックマーカーという脇役の存在も大きい。
この辺の人間模様は、増田やはてなに慣れた人にはどうでもいい日常なのかもしれないが、ゴシップを覗き見するようでとてもスリリングだ。
このやたらと濃いコミュニケーションの軌跡を出来るかぎり知りたい、そう思っている。