はてなキーワード: 某氏とは
@vhitomin
10年以上も某氏の嘘話にも話を合わせるしかなかった私に対し、その某氏が正にやっていた「結婚してる癖に隠してる嘘つきの詐欺師」と某氏ファンの私アンチから特に当時は罵り続けられていたんですが、やはり本当の事が発覚しても、そちらにはその様な事は言わないのですね〜と、想像通り過ぎて無の顔
https://twitter.com/vhitomin/status/1441915297552683013
----
その方が悪いのでは無く、私を妄想の嘘で罵ってた人達が悪いのですが
、「その私に向けている妄想の嘘、あなた達が好きなご本人がやってらっしゃる事ですが?」と、ずーっと理不尽なストレスをかけられてた。彼女達、一度報道出た時も全く信じてなかったし。
----
こちらもお仕事なので他の方の事情通りに動いてます。それはストレスでも何でも無い。他の方の事情を汲んでお仕事するだけ。仲間だからね。
理不尽だったのはそれ以外からの意味不明な中傷関係。推しが居るのはいい事ですが、その周りを攻撃する事のなきよう。理不尽な攻撃される人が、減ります様に😌
----
単純に「ずっと理不尽な事言われてても言えなかった事が、ようやく言えた」という話。相手ファンに言われてた根拠は、一度調べて貰って判明してるから。
これまでみたいに、まとめで曲解タイトルつけて藁人形論法で嘘混ぜて一方的に殴られそうですが、ああいうのを鵜呑みにするのはやめてね。
----
今の状況でいうと、2018年に免疫系等の病気で半休業して死にかけてましたよ。治ってきたので、ようやく徐々にお仕事も動くよ٩( 'ω' )و
言い返せない所での嘘混ぜてまでのサンドバッグ、誹謗中傷とヘイト拡散が目的のいじめっ子達の言う事を、決して鵜呑みにしない様にね😌
下野は数年前に結婚していたがファン向けに「結婚してないです」と言っていた。
原田は下野が結婚していることを知っていたが、結婚はしていないという嘘に話を合わせなければならなかった。
下野ファンは「下野は原田と結婚してる!原田許さん!」と妄想で発狂。
下野と共演が多かった原田は下野ファン(=原田アンチ)からラジオで仲良さげに話しているのを、
「匂わせてる!」と叩かれてきた。
【前提】
・下野と原田は共演していた時期があり、二人の関係が噂されていた(今で言うvtuberのてぇてぇみたいな感じ)
・共演番組がなくなった後も「下野が出てる○○ってゲームやった?w(ニチャア」みたいなオタクからの粘着リプライが続いた
・原田は下野が結婚していることを知っているから恋愛関係なんかあるわけないが、否定することで下野の結婚バレを避ける為嫌がらせに耐えていた
・てぇてぇでニチャるオタクがいる一方で、純粋な下野を慕うファンからは嫌がらせされていた
必ずしも、美術学校へ行っているとか、絵を描く仕事してるわけじゃないからスゲー不思議
むしろ絵を習ってはいたけど過去やる気がなかった→やる気を出したみたいなのは
たかだが半年〜遅くても1年くらいで完全に別人かつ絵の仕事が余裕で取れるレベルかつ仕事で絵を描く人間でも上手い部類になる
短期間で何をどうやったらあんなデッサンが上達する&立体感のある厚みのある絵を描けるようになるんだろうな?
(現在は通っていなくても過去習ったの思い出してやる気出したのか?それにしてはスタート時が下手過ぎるが)
新都社の某氏もそうだが短期間で異常に上手くなる人は職業作家でも無いのに
ガチで腱鞘炎になるレベルで絵を描きまくってることだけは共通している
異常に上手くなる人は異常に絵を描いてる
ワイも子どもの頃からゆるっと好きで描いているけど腱鞘炎になる程は描かないなぁ
ある期間までは全然絵に興味がなくて、動機はともかく、突如腱鞘炎になるまで絵を描き出すとか
あと、真面目に絵の勉強してきたヤツらは知らんし、美術絵ではなく、いわゆるマンガ絵・アニメ絵に限った話だが、
絵を描きまくることで得られるのって手癖で形を描けるようになることなんだよな
形を練習で覚えているだけなので、"物を捉える目" と "写す技術" と "立体の表現力" が養われるかはまったく別の話だ
にも関わらず、"物を捉える目" と "写す技術" と "立体の表現力" が半年とかの短期間で異様に鍛えられているので
もういっそ美術やデザインの講師した方がいいんじねぇかな?って思う
でもこういう人たちはほとんどの場合、言語化・システム化するの下手だよな
あとややこしい奴が多いクリエイターの中でもさらにとっつき難い性格をしていることが多い
(ある時点でまではいっさい興味なかったのに突如腱鞘炎になるまで描きだすんだからそりゃそうだよな)
いままで麻雀を趣味にしてきたんだけど、勝てなくなってきた。麻雀は高度にメンタルスポーツなので、精神が安定していないと常に注意を向けていることが出来ず、微妙な見落としが増えてレートを落としてしまう。このご時世にライフイベントのストレスが重なって、心が荒廃してきたいま、麻雀で楽しみを得るのは難しくなってきた。
社会的制裁が人気だ。
はてなブックマークはニュース記事を読んでたまに人気コメントを眺めるくらいで、積極的には利用していなかった。ここ最近、特定の人物の過去の邪悪が掘り起こされる事態が重なっていて、そこで気づいた。見過ごされてきた加害者に法的機関に代わって、報いを与える活動… いわゆる社会的制裁が流行ってるようだ。拳を振り上げるのは、ボクシングみたいな痛みをともなうスポーツでない限り、リアルでやると怒られてしまう。でも社会的制裁は、何せ相手が「自業自得」のやらかしをしでかしていて、しかも参加者が多いので、自由にできる。これがいまパワーユーザーたちの間で盛んに行われてるようなのだ。
ならば暇人の私もしてみんとてするなり、と思ってやろうとしたのだけど、実際にやってみようとすると、これがなかなか難しい。例えばこの記事…
各局の報道傾向を知るためにまとめました。バッシング・クレーム等への利用は望んでいません。
本日18:55頃辞任の報道がありました。以下はそれぞれ辞任決定前の番組についてです。
…
もしコメントするとしたら、例えば、こんな感じになってしまう。
まず、叩きたい相手の某氏に言及できていない。報道っていじめ被害者を救うのには何の意味も無くね? って疑問符もつく。到底、同意のスターは望めそうにない。
いちばんの問題は、自分自身書いててカタルシス感が、胸がスーッとする気持ちが得られないこと。
人気記事の人気コメントのように、やっつけた! っていう勝利感もない。どこか鬱々としたモヤモヤが心に残ってしまう…
それで調べたんだけど、社会的制裁の入門用テキストって、ぜんぜん見当たらないのな?
これだけネットで盛んな社会活動なのに、紙の本はおろか、ブログ記事さえほとんど見当たらない。なんらかの才能 (文章の? 問題指摘の? ) を持った頭のいいインフルエンサーたちが、それぞれ我流で習得したスキルに支えられているみたいだ。もし適切なインストラクションがあったなら、興味を持った若い人も参加しやすくなるのに。ネットの正義の声は数が大事なんだから、活発にするための潤滑剤的役割は重要だと思う。
というわけで、お前らの考える、社会的制裁を効果的にやっていくコツを教えてください。趣味として社会的制裁を上手に回していくためのヒントとかも歓迎します。ストレートに「社会的制裁入門」のブログ記事を書いてくれる勇者がいたら、なおのことありがたいです。
---------------------
リアルのボランティア活動に参加できれば、より良いのだろうけど、いま現在の状況では厳しくて。代わりにネットでの社会的制裁は、気軽に参加できてハードルが低い上に、マイナーな趣味特有の孤独感も少なそうで、おまけに慈善性も高いです。慈善性に関しては、まあ実を言うと、のちのちに婚活とか?で役に立つかも、って気持ちも正直無くはないです笑。それは下心だけど、そもそも趣味だし結果善ならとやかく言われる筋合いはないと、個人的には思ってます。
はてなブックマークでは、まさに今の絶妙なタイミングで攻撃的なコメントをナーフする修正が入ったみたいで、一時的にプレイヤーの入れ替えはあるかも知れないけど、今後も界隈が拡大していくことは間違いないでしょう。
一人暮らしの若者って感染してもリスク自体が低いから、自粛のメリットは低いわけです。
それがやはり家族で暮らしていたり、実家暮らしだったりすると、自分が自粛しなかったせいで家庭内感染させてしまった場合のトラブルが大きくなるので、やはりなるべく自粛しようという気になってくるわけです。
ですが、統計からも明らかなように、結局一人暮らしの若者なんて弱者男性とか言われてたりするけど、まぁ金持ってないし、彼らが自粛しなかったところで大して経済は潤わないわけですよ。
だからなんていうか、学がない人が年収も低く、自粛もせず、某氏に乗せられてケイザイガーとか言ってる姿を見てると、なんだかね。
# 麻雀歴について
月々のお小遣いが300円なのに、1日に100円負けて(点0.1でやっていた)毎回大泣きしていた記憶がある。
中学生から同級生に麻雀仲間ができて日々楽しく打っていた。放課後に、ほぼ毎日のように打っていた。部室で牌やカードを使って打つこともあったが、当時はゲームボーイアドバンスの通信ケーブルを繋いで打つことが多く、そのために中古のアドバンスSPを購入した覚えがある。一応同級生の中では打っている期間が長いこともあってそれなりに打てるつもりでいたが、ある時から、いつものセット仲間がフリー雀荘に通い始め(今はどうか知らないが、当時は高校生でもフリー雀荘で普通に打てた)気づいたら全然勝てなくなっていた。こいつだけには一生勝てそうに無いなあと思うほどの差を感じた。
大学にはいかなかった。就職してからはたまに学生時代の仲間と卓を囲んだり、職場の同僚と打ったりしていた。たまにふらっとフリー雀荘に行くこともあったが、大体勝てないし、緊張して普段通り打てなかったり、点数計算間違えたり、大体負けまくっていて全然良い思い出がない。
2年ほど前に始めた。一人で地方で住むことになり、仲間がいなくて寂しかったのかもしれない。特段勉強はしなかったが、特に壁に当たることもなく380戦程で5段になった。その後1000戦ほど費やし苦労して6段になったが酔っ払って打ったりコンディションが悪いとすぐにレーティングを溶かしたので、少し真面目に打つことを心がけた。同時に放銃率などの数字も気にして、たまに牌譜を見直して反省してみたりして、天鳳で勝つための方法を探り始めたのはこの頃だったように思う。
# 伸び悩み そして降段
少し専門的な話になる。
当時の記録を遡ると、5段昇段時の数字が
放銃率13.5%
副露率38.4%
平均順位2.36
対戦数379
1位29.6%
2位27.2%
3位率21.1%
4位率22.2%
端的に言えば、めちゃくちゃ仕掛けて上がりまくる麻雀だった。放銃率はギリギリ及第点だが、特上卓(4段以上になると打てる)に移ってからレベルが上がったので、なかなか上がらせてもらえず、和了率が下がった分放銃率が上がった。フリーやセットのような、1着の価値が高い麻雀では正しい戦略だが、圧倒的にラスを引いた時のマイナスがでかい天鳳ルールには適さない。このあたりまでは、学生時代にそれなりに打っていた蓄積だけで戦っていた(日常的に麻雀を趣味とする人で、それなりに自分が打てると自負する多くの人が、おおよそこの辺りのレベルだと思う)が、その後伸び悩み(結局7段昇段までに2000戦程度を要した)自分の打ち方を変化させることを迫られた。
6段になると、ラスを引いたときのマイナスがシャレにならなくなる。例えば特上卓東南戦だと、1位+75、2位+30、3位±0、4位-120。1位から4位まで一回ずつ引くと、15点もマイナスする(セットだとトントン)。一度は運で6段に昇段したものの、その後負けまくって一瞬でレートを溶かし、一気に4段まで降段した。放銃率も14%を超えた。一度は心が折れそうになって、天鳳から離れていた時期もあったが、時折思い出したように打ち始めた。牌譜を検討して改善点を洗い出したり、いくつか戦術本を読んで、いろいろ打ち方を変えてみたりした。
振り返ってみると、実戦と反省、試行錯誤の成果が大きかったように思うが、中でも参考になった戦術本をいくつか挙げてみたいと思う。
リーチ判断、押し引き、ベタ降り手順(対リーチの危険度比較)の参考にした。ひと昔前にネット麻雀で強いとされている戦術について、統計的な裏付けをした本という認識。最新の戦術とは少し違いはあるかもしれないが、今でも十分な教材として通用しうる。特上卓を抜けられない中級者にとって、自分の判断を改めて見直すためには良い教材だと思う。
副露率が35%を超える人にとっては有用な教材になりうる。副露率が高いと、中終盤での押し引きを単純化しやすいが、その分いつの間にか損な選択を強いられているケースが多発する。親リーに対して2者が降りている状態で1000点愚形を無限押しせざるを得ない状況は泣ける。そんな人にとって、面前で柔らかく構えて先制リーチには14枚からベタ降りする、副露手には危険牌を吸収しつつ、面前で押し返す戦略を取れるようになると、戦略の幅が広がる。そんなきっかけをくれる本。
参考にしたというほどでもないが、初中級者が読むには良い本だと思ったので推薦。ネットで無料で読める。最近実写化もされた。多少戦術が古い感も否めないが、麻雀覚えたての人にとっては、今でも十分な教材になるかと思う。
お知らせさんの鬼打ち天鳳位の麻雀メカニズムも読んだが、少し内容が難しすぎた。難読の上に、書籍に書いてあることを実戦で活かせるようになるまでに、数百から数千戦の実戦が必要になると思う。超上級者の思考が垣間見えるという点では良書。
# 確かな手応え そして7段へ
4段に降段してから、400戦ほど試行錯誤を重ね、ようやく再び6段に復帰することができた。相変わらず放銃率は14%を超えている(四人打ち7段の平均放銃率が12.5%なので、せめて13%台、可能なら13%台前半まで下げたいところ)し、褒められる成績ではないが、はじめて6段に昇段した時よりも微かに手応えを感じていた。その間に主に以下のポイントを中心に修正を心がけた。
まとめると、鳴きすぎ、副露手と対リーチ時の他家に対するケアが甘い、ケイテン取りすぎ(某氏の「ケイテンは勝負手」という独り歩きした言葉を鵜呑みにするとひどいことになる)といったこと(結果として放銃率が高い)を自分の弱点と認識していた。無論いまだに上記の弱点はあるが、多少改善していると信じたい。あと、それまでは特東赤速で打っていたが、多少東南戦の方が勝ちやすい気がしたのでボリュームを増やした。6段になってからはほとんど東南戦しか打っていない。東南戦のほうが時間はかかるが、局数が長い分強者が勝ちやすく、上振れを引いたときの上昇幅も大きくなる。それまで特東で2000戦近く打ちまくった経験が、南場での条件戦で相対的に有利に働いた感もある。
6段に昇段して100戦くらいした頃、某Microsoft製のAIとマッチングした。たまたまトップを取れたが、牌譜をみてびっくり。今までみた牌譜で圧倒的に衝撃を受けた。色々と特徴はあるが(勢いでお知らせさんのsuphx本を買ってしまった)中でも最も凄いと思ったのは押し引き。特に副露手に対する速度計算とケア。自分よりも数段階前倒しでケアしていることに驚いた。次に中盤の手組み。スリムに構え、終盤で手詰まって損な選択を迫られるケースがほとんど無い。そして手役とドラに対する意識、特にホンイツ。その他細かいところではション牌字牌の先切りと、一枚切れ自風への価値。2,3巡目でもsuphxはション牌字牌より1枚切れ字牌の価値を高く見積もる傾向(この判断が勝率に直結しているとは思わないが。suphxの最も優れた点は押し引きだと思う。)がある。
以後、副露手に対するケアと中盤の手組みを意識して改善した結果、ラス率が2%程度減少した。たったの200戦程度なので数字自体は参考にならないが、これまでに無い手応えを自覚した。結果として、おそらく多少の上振れをひいてはいる気はするものの、再度6段になってからは300戦程度で7段に昇段することができた。直近200戦のラス率は21±2%前後で推移していたはず。この位の数字をキープできれば、おそらく数百戦で7段に昇段できるはずだ。
# 7段昇段時の成績
放銃率14.1%
副露率37.3%
リーチ率18.9%
平均順位2.48
対戦数2425
1位25.9%
2位24.8%
3位率25.1%
4位率24.2%
R2060
昇段まで残り20ptで3ラス引き、残り20pt再挑戦でsuphxに連対を阻まれ、その後2ラス引いたときは泣きそうになったが、最後はあっさり3トップで昇段することができた。長かった。本当に長かった。
技術向上のためにやったことと言えば、とにかく実戦。そして自分の打った牌譜を見直して再検討。とにかくこれの繰り返しに尽きる。戦術書はいくつか読んだが、中でも上にあげたものが役にたった(ように思う)。強者の牌譜をみて検討するなど、他にもっと良い手段があったかもしれないが、自分にとっては、今一つ自分でない人の牌譜をみて検討するという気力が起きなかったでやっていない。他にプロのリーグを観戦したり、youtubeで麻雀関連の動画を漁ってみたりはした。どれも楽しくてタメになるコンテンツだったが、果たして自分の技術向上に活かされているかという微妙なところ。辛うじて、うに丸さんの押し引きと、鳴き読みに関する動画、渋川難波プロの天鳳名人戦牌譜検討動画の切り出しコンテンツで、ケイテンの方針などは参考になったような覚えがある。
ちなみに天鳳7段は、ゲームの中では上位3000番付近、競技人口全体では上位0.3%に入るかどうかというところ。プロ雀士と言われる人の平均的な実力はこの付近だと思われる。麻雀知らない人(がここまで読んでいるとは思えないが)向けに説明するとこんな感じだと思う。もし大きく違っていたら訂正してほしい。
昇段して数日たった今になってじわじわ嬉しさを噛み締めている。たかがゲームとは言え、最後の数百戦は寝食を忘れ死に物狂いでコミットしたことが結果的に運良く実を結んだことへの実感と自信。代償に、ただでさえギリギリだった体重が6kg減ったこと。費やした概算1000時間。今となっては、本気で取り組んで心底良かったと思っている。
一方で、麻雀というゲームの果てしなさ、というかある種の不毛さを感じないでもない。例えば特上卓で平均順位2.50と2.45の人では、スポーツ競技に例えると地方トーナメントで1回か2回勝ち上がれるかどうかという選手と、シード選手ほどの明確な差がある。ところが、両者が仮に100戦戦ったとして、前者は1着から4着を25回ずつ取るものとする。後者は、前者が4着を取ったゲーム2回分を、それぞれ1着と2着で終える計算になる。着順の合計の差はたったの5。
ところがこのくらいの着順は、麻雀の運要素で軽く吹き飛んでしまう。仮に東南戦を打つとして、1戦あたり平均40分程度。100戦程度でも、4000分=66.6時間かかる。大体月一でセット麻雀打つ人が一年で費やすくらいの時間だ。仮に毎週打つにしても年間400戦程度。その程度では両者の差は運で吹き飛んでしまう。実力差がある程度数字に反映されるためには最低1000戦、できれば2000戦ほどは必要になってくると感じる。この認識は間違っているかもしれないので、統計に詳しい諸兄がいれば教えてほしい。
そんな競技、言ってみれば運ゲーの世界で数千、1万数千と打数を重ね、天鳳位まで上り詰める人は一体どれほどの鍛錬を積み重ね、神経をすり減らしているかと思うと途方もない。反省して改善を施そうと努力したところで、その微差を改善した結果が数字に現れるのは少なくとも1000戦以降。単純計算で666時間もの時間がかかる。果たしてその間ブレずに方針を貫くのは非現実的で、仮に結果が数字に現れたところで、本人は何が数字を良い方向にもたらしたのか検証する術がない。ものによっては時の運に吹き飛ばされ、永遠に結果が出ないものもあるかもしれない。こんなブラックボックスの中で、競技プロ含めガチ勢は日々細かい努力を重ねているかと思うと本当に凄いと思うし、不憫でもある。
いったん満足したし、仕事も忙しくなるのでしばらく麻雀から離れようかと思っていたが、1日休んだだけで鳳凰卓への興味がむくむくと湧いてしまい、結局課金して遊んでしまった。たった鳳南を6戦打っただけだが、ひとまず現時点では戦えている感触はあって一安心している。散々不毛だと書き散らしたが、麻雀自体は楽しいし、友人とセットもしたいし、今後も適度にゆるゆると楽しんでいきたいと思う。
たかが新人7段が偉そうにと思われる方が大半だと思うが、麻雀好きの誰かの参考になれば幸甚である。もう少し初心者にも寄り添った内容にしたかったが、申し訳ない。
最後になるが、改めて。麻雀は素晴らしい。いつか増田諸兄と同卓した際には、お手柔らかにお願いしたい。
(追記)
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。