はてなキーワード: 所謂とは
私は中東生まれの母と日本生まれの父の間に生まれた所謂肌の黒い人種ですがこの表現に差別的な印象は持ちませんでしたよ。
あまり自身の人種を引き合いに出したくありませんが、半当事者は今回の件をどのようの感じるか少しでも理解されることを願って書こうと思います。
私は今まで日本で生きてきて肌の色で差別されたことは少ないです。まだ人種差別が多く残る国と比べてとてもよい国だと思います。
友人に肌の色について指摘されることがありますが、それに差別的な意味はこめられていません。日焼けしたことに対して「前より黒くなった?」「赤くなった?」とか言われることはありますが特に気になりません。友だちに言われたことですしね。それこそジャックくんとエースくんは友だちですし私たち同様そのような会話があっても不自然ではないと思います。
以上が私の見解です。
ツイステはやっていてとても楽しいしよいゲームだと思います!他のゲームと比べてさまざまな人種のキャラクターがいるのも魅力の一つです。だから今回のような議論になってしまうのも仕方ないと思います。
に陥っている。
推しが推しカプの受けになってしまったのは推しにガチ恋してしまった現実からの逃避行動だと思う。でも推しカプは尊い。奇跡の存在だと思う。幸せになって欲しい。心から願っている。
でも私は推しにガチ恋している。当たり前に同担拒否である。推しのオタクは全員消えればいいと思う。
ここで問題になってくる。
自ジャンルはあまり支部に載せる文化がないから必然的に活動場所はtwitterになる。twitterを追って、日々のオタクたちの妄想で心を潤し、新刊情報を得て、イベントに行って薄い本を買ったり、通販で薄い本を買ったりする。
そうすると、腐女子の絵描きさん文字書きさんのtwitterをどうしてもフォローすることになる。
ただ、私は同担拒否である。腐女子の7割くらいは多分受けのオタクである。知らんけど。まあ普通に受けのオタクが多い。
辛い。嫌だ。推しカプではなく推し単体に言及する神絵師たちを見たくない。反吐が出る。グッズ集めないでほしいし、推しに沸かないで欲しい。君たちは推しカプの妄想だけに励んでいただきたい。実際それでフォローしたのにミュートするとかいう訳分からん行動もしている。
私の存在が迷惑だから消えたい。でも嫌だ。今私の心を癒してくれるのは推しカプしかいない。悪循環の堂々巡り。
ところで、こうした2次元キャラにガチ恋するのが初めてなんだが、一体どうしたらいいんだろう。今まで私は所謂活動者を推していた。ガチ恋ではない。
活動者を推すというと、だいたい活動場所は現場、配信。そんなもんである。現場は全ステして祝い花を出しておけばいいし、配信も投げ銭があればそこそこしてたらまあ向こうから反応があったりして自尊心は満たされるし、ある程度有名オタになれる。
じゃあ2次元はどうしたらいいのか。2次元ってグッズ厨が偉いみたいな風潮ないですか?アレなんなんだろう。有名オタはグッズ集めてるし痛バ作ったり祭壇作ったりしてる。
私にはあれが理解できない。グッズは1つでいい。そこの価値観がどうにも合わなくて、私には有名オタを目指すことが出来ない。これがまたすごくキツイ。
ワンパターンの構図、暗い画面、撮影者(男)の声や身体が混じる不愉快さ、AV女優ほど美人でもない、これらから自分も素人のハメ撮りなんか見て何が面白いんだと思っていたが、究極のプライベートを覗き見ているという悪趣味な一面に気付いて以来、よく見るようになってしまった。
JKぽい制服着た女性が撮影者とする動画で、撮影者の猫なで声がちょっと気持ち悪い。女性は結構な美人でありながら積極的で、カメラに対しても特に嫌悪を示さないところから所謂デリ嬢との行為を撮ったものなのだと思っていた。ある時ふと続きの動画や関連動画がないかと調べてみてやっと、2人は恋人同士であることを知る。その時の感想は「世の中の恋人はこんなAV紛いの行為をしている…だ、と…?」であり、とてもとても哀しい思いをしたのをよく覚えている。
女「いいよそれでも。お金も要らないし」
男「いやそれはちょっと…」
女「寂しさを紛らわせてくれたらいい。気が向いたらお金払って」
男「…………」
ここで何も言わない男はクソだと思ったけど、何を言ったところでやっぱりこの男はクソだなとも思う。しかし恐らくは行為中であることを理由に、編集でカットしなかった点にはプロ意識を感じる。
個人撮影ものには、希に写真(写メっぽいやつ)と動画がセットでzipになっているものがある。写真は全てエロとは必ずしも限らず、普段の日常を映したものも多少混じっていることがある。
これは女性個人の写真だけでなく、付き合ってると思しき男性も一緒に映っているものだった。男は正直、ちょっと小憎らしい顔の小僧だ。こんなもん一緒に入れるなよと思いながらホイールを回していくが予想外に枚数が多い。非エロなんて精々10も無いのが相場のはずが、20、いや30以上もある。遊園地へデートに行った日、変顔でプリクラを撮った日、一緒に花火をした日、初詣に行った日、布団の上でじゃれついてる日、どの写真を見ても、小僧なりに彼女を大切に思っているのが嫌でも伝わってくる。そして気付いたら泣いていた。こんな、ゲームやラノベみたいな恋人たちの日常が現実に存在するなんて知りたくも無かった。このzipを作った奴は一切の選別をせずに固めたのだろう。そしてこのzipを作ることができるのは彼らの近しい関係の誰かなのだろう。悪趣味にも程がある。
ふとmeets系ラノベみたいなタイトル思い付いたので書くことにした。(自称)拗らせフェミ(私)が(年下)女装男子と出会ったら(勝手に救われた話)。
**拗らせた
所謂フェミニズム的な考え自体は中学生くらいの頃から持っていて、伝統的な考えを持つ父が「結婚して子供を産まなければ女は幸せになれない」と言うのに違和感を覚えるなどしていた。
中学生のときに社会学に興味があってフェミニズムについても色々と調べた時期があったけど、このときは男女比1:5~6くらいの部活で朝から晩まで音楽のことを考えていたのであまり自分の問題として捉えられず、「そりゃプリキュアも好きだけど仮面ライダーも観たいわな」くらいの気持ちだった。その後進学して男女比が13:1になっても多少不便はあるものの、学校では特に問題なく過ごしてた。
フェミニズムに向き合うきっかけになった出来事はいくつかあって、
①ある機械部品メーカーにインターンに男の子2人と私で行ったら現場/現場/事務の3コースあり、私は勝手に事務にされていた。男の子2人はそれぞれ好きなコースを選んで良くて、私も現場が良かったけれど言い出せなかった。
②自分が着るスーツにアイロンをかけていたら父に「将来は旦那のをやらなあかんからよう練習しとけよ」と声を掛けられた。
③重機メーカーのインターンに行って、後日その内容をポスターセッションで発表していたら「女の子は重機に興味ないでしょ」と繰り返し言われ話を聞いてもらえなかった
④祖母に「大学入ったらいい企業入るいい旦那さん探さなねぇ」と言われた。ややいい大学だったので喜んでくれているのは分かるが、私は私が勉強するために大学に行くのであって稼ぐ夫を見つけるために大学に入ったんじゃない、と思った。
そんなこんなあってTwitterで #metoo だとか#ツイッターでウィメンズマーチ だとかのタグを見るようになった。最近は見てないので分からないけど、当時の日本の#metooはミソジニーが女叩き、フェミ叩きをしているのが目立っていた。
実際、Twitterでフェミニストを名乗る人の中には過剰な女尊男卑を掲げる人もいるし、そういう人と一括りでフェミニストを丸ごと叩いている人は多くて、そういう人のお気持ちを素直に読んでしまったのが拗らせた原因だと思う。
私は元来所謂「女の子らしい」ものが好きな質で、レースやフリルのついた服、小さくて丸くてピンク色をした雑貨、高くて細いヒール、どれも好き。でも同時に「利便性こそ美しさ」という気持ちも持っていて、動きにくいスカート、使い所のない雑貨、機動の下がるヒール、という気もする。
ここにミソジニーが「女が着飾るのは男によく見られたいから」「男尊女卑やめろと言うくせに男に媚びるな」などと言っているのを見て「本来の好みは利便性のほうなのに男に媚びる気持ちから可愛いものを選んでいたのか…?」と思ってしまった。純粋かよ。
多感な時期だったので整ってもいない顔でオシャレをするのはみっともない、みたいな考えにも侵され、複合的に可愛らしい服装に苦手意識を持つようになり、友人にはよく「喪服」と言われてた。
**出会った
件の男の子とは2019年にあるイベントで会ってTwitterで繋がって、何となく仲良くなって数ヵ月後に2人で出掛けることになった。ここだけ聞くとすごい出会い厨っぽいな。
女装することを知ったのは何時だったか覚えてないけど一緒に出掛けたときにはもう知っていて、自然と服を買いに行くことに。
ちょっと都会のショッピングモールを一周して辿り着いたのがaxes femme。女の私ですら入るのを躊躇うというかここの服を着そうな格好してないよ今日、などとといいつつ(いつもの喪女スタイルだった)こそこそと入店。結局店員さんに捕まってしまいめちゃくちゃ良くして貰って2万ちょっとお買い上げしてるのを横で見ていた。
彼はシスジェンダーでヘテロの男の子でただ「可愛いもの」が好き。好きな服を着ていると楽しいし自分が可愛いと嬉しい。好きな服を選んだら女物だったとも言ってた。骨格やサイズ的に着られない服もあるし、1人では買いにいけないし、家族には隠しているし、それでも自分が楽しいから人にも見せないのにお金と時間をかけて家の中だけで着ている。
私は彼が女装していても男装?していても一緒に隣を歩くし、彼が楽しそうに服を選んでいるのを見るのが好き。
それなのに「可愛い服が男に媚びるためのもの」であるわけがあるだろうか、とふと気がついた。その気付きは劇的で、彼は全く意図していなかっただろうけど、私はすっかり救われてしまった。
女らしい格好をすることに対する強迫観念みたいなものがなくなって、好きな服だけを選んでいたらクローゼットは見事にワンピースだらけになった。
可愛らしいものと共に忌避していた女性性を受け入れられるようになり、生理不順を治療した。
「無意識に男性に媚びているかもしれない」という恐怖感がなくなって、自己主張もしやすくなった。父や祖父母とは衝突もするけど、前よりずっと生きやすい。
あんまり感情が大きいので彼にはあまり言わないけれど、本当に感謝してる。何をした訳でもないと思ってるだろうけど、君が君を貫いていてくれたお陰で、今わたしはわたしを貫いていられる。ありがとう。
理由は単純。ホストクラブに在籍してるホストが一年で最も稼ぎが期待できる日が、ホスト自身の誕生日であるからだ。
所謂バーイベと呼ばれるこのイベントは、ホストの誕生日当日にやるかやらないかで稼ぎにかなりの違いが出る。たとえ自粛要請があったとしても、やらないと誕生月が違う他ホストと比べて不公平になってしまうし、店の外で勝手に客の女性を呼んでイベント始めてしまったり、客がホストの家に一斉に押し掛ける事案が発生するから、やらないわけにはいかないのだ。
期待できる稼ぎも半端ない。客の女性は当日のアフターでホストに枕してもらうために巨額の金を貢ぐのだ。ホスト狂いが大半の客にとって、担当ホストが誕生日当日に枕してくれるのは何よりも高いステータスなのだ。だから、普段の日と稼ぎの桁が二つ違うこともある。
ホストクラブの世界に世間の一般常識や、同調圧力は通用しない。無理に押さえ込むのも出来ない前提で、感染拡大防止策を練るしかないのだ。
「小児性愛のカジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛のカジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛のカジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体がセクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的に断罪することはマジョリティの傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。
批判者が「小児性愛のカジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。
「娘の成長を見てくれ」と言って筐体で遊ぶ小さい娘さんの写真を2枚貼ったツイートにも、リプ欄で「えっちです」ってのがあったんだけど、こういうコメントを気軽に送れちゃうのも社会で小児性愛がカジュアルになりすぎた結果だと思うんだけど— E (@nice_comp_net) May 29, 2020
しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラの一種であり、「対象が児童だから」問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛のカジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛を批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存の議論焼き回しである。
小児性愛と成人性愛の本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代の倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である。児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義と児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である。
「児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値な命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャル、さらにはアセクシャルを自認する人々からも批判が殺到した理由はそこにある。
「(実在児童を対象としない、無機物を対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているからである。
前節では、問題の本質は「小児性愛のカジュアル化」ではなく、「性愛のカジュアル化」であると言った。では「性愛のカジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボンの荻野さんも以下のように言っている。
逆に、実質、ポルノとしてマーケティングするものであるのなら、18禁でなくとも、広告だけでなく、表紙の陳列やらまで含めて、賢明にどんどんゾーニングして頂くというのが、多分最適解なんだけどねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) November 13, 2019
その理由としては例えば、①性的プライバシーの問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題を内包する言動」こそを「性愛のカジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。
①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要な概念である。実際、他人の自慰を制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)
「男女を問わず、自慰は最も内密の行為である。誰の権利も侵害せず、自分の性的趣向と欲望を満足させる行為であり、性的自己決定権の領域に入っている。女性を卑下するという理由で自慰道具を禁ずるとしたら、女性を卑下せずに可能な自慰行為とは何なのか?」 pic.twitter.com/3lyXymSaF0— NPOうぐいすリボン / Uguisu Ribbon Campaign (@jfsribbon) May 29, 2020
話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートなものである。故に、他人の性的領域に、物理的にも精神的にも安易に踏み込むことは許されない。「性愛のカジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしまう効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人のプライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体が話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別は曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペースを尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛のカジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。
②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年にポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。
ここまで、「性愛のカジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易に断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。
荻野さんは次のようなことも言っている。
いわゆる2次元系の性表現が、本当に純粋に「ポルノ消費」されてるだけなら、こんなには揉めてないんだよね、というところを、表象を批判する側だけでなく、擁護する側もなかなか自覚できないというのが、この話の味噌なんじゃないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) October 22, 2019
ここで、各国のゲイ・パレード、プライド・パレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。
https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html
https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver
https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/
https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E
やはり、非常に過激でセクシーなファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?
彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体が政治的意味合いを持っているのである。それ自体が政治的表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したからである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのままに表現した、アイデンティティそのものなのだ。
とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインクの配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなたが独善的な基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである。
さらに言えば、政治性とポルノ的であることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別は不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである。
誤謬を見出して批判することは容易である。しかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。
おおすごい、どんどん更新されてくのね。
しばらく見てられそう。
しかし家にちゃんとしたテーブルも椅子もなくてベッドにローテーブルなのでめっちゃ猫背。整体生きたいが金がない。
私は20超えてる所謂大人なんだが高校生まで携帯も持ってなくて実家にはネット環境もパソコンすらないまま生きてきた原始人みたいな人種なのでおそばせながらネットの海に触れてみようと思う。
匿名じゃないはてなブログは一つアカウントを持っていてたまーに更新しているんですが本当に数人しかそのブログの存在を教えてなくて見る人もほぼ0なので私の言葉をもう少し広い世界に放ってみる。
今は母も妹も私も一人暮らしをしていて、最近ようやくPCを買った。
高校の頃商業系の高校に通っていたくらいでパソコンスキルがカスなのでタイピング練習のつもりでブログを書きます。
最近、中学の頃にほんの少しだけ勉強していた韓国語を勉強しようと当時買った本を引っ張り出してきた。
勉強進めていっても一切身についていない気もするが時間潰しというか少しでも教養が増えたらと思って勉強している。語学の勉強って楽しいしね。
私は20超えてる所謂大人なんだが高校生まで携帯も持ってなくて実家にはネット環境もパソコンすらないまま生きてきた原始人みたいな人種なのでおそばせながらネットの海に触れてみようと思う。
匿名じゃないはてなブログは一つアカウントを持っていてたまーに更新しているんですが本当に数人しかそのブログの存在を教えてなくて見る人もほぼ0なので私の言葉をもう少し広い世界に放ってみる。
今は母も妹も私も一人暮らしをしていて、最近ようやくPCを買った。
高校の頃商業系の高校に通っていたくらいでパソコンスキルがカスなのでタイピング練習のつもりでブログを書きます。
最近、中学の頃にほんの少しだけ勉強していた韓国語を勉強しようと当時買った本を引っ張り出してきた。
勉強進めていっても一切身についていない気もするが時間潰しというか少しでも教養が増えたらと思って勉強している。語学の勉強って楽しいしね。
私は20超えてる所謂大人なんだが高校生まで携帯も持ってなくて実家にはネット環境もパソコンすらないまま生きてきた原始人みたいな人種なのでおそばせながらネットの海に触れてみようと思う。
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今は母も妹も私も一人暮らしをしていて、最近ようやくPCを買った。
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今回はうんちどころかドラゴンうんちとまで言ってもらえて心の底からほくそ笑んでた
悩み事へのどんなに具体的な解決策の提案よりもうんちをしたらママにでも誰にでも「うんちできたね」と認めてもらえることが何よりも楽しいんだと実感してるとこ
言外で勝手に「これはうんちですよ」と思っておいてノーヒントでうんちと言い当ててもらえることに喜びを感じるわけで、一番めんどくさいタイプの女性的と言われる考え方だろう
でも別のアニメへ誘導してクックルンは録画するというのは今まで思いつかなかったから思いもよらぬ収穫だった
考えてくれた人ありがとうやってみる
(これまでの主流)
■殺人事件を私立探偵が解決するミステリ(本格ミステリの王道)
(問題点)買ってきたケーキを誰が食べたかとか教室の鍵が勝手に掛けられてたとか解決しなくても誰も困らない問題が大半
以上の点を踏まえてこれから流行るだろうと思われるミステリをいくつか考えてみた
人はなぜなんのために生まれてきたのかといった謎を解明するミステリ
解明してみせたところでそれが正解なのかどうなのかが確認出来ないのが難点か
身の回りで何か起きるたびに全て政府の陰謀だったり諜報機関の仕業にして解決するミステリ
主人公がただのキチガイっぽく見えてしまうので感情移入出来ないのが難点か
■事件や謎が発生する前に主人公がすべて食い止めてしまうので何も起こらないミステリ