はてなキーワード: 頼母子講とは
栃木の村でこれはねぇだろってのが初読の感想
俺は栃木にはちょいと詳しいが、ありえない
関西圏、九州あたりならありえるけどね
戸別訪問なんて面倒な事せんよ、部落、集落単位で頼母子講の文化は残ってる
そのルートで集金すりゃいいだけなんだから
事前根回しなしの突撃がありえない
上の賛同を得てから訪問が最低限のプロトコール
人脈で筋通しする
市会議員から村長(ムラオサ)に電話一本、前回の選挙はお世話になりました。
水門の改修補助金ありがとうございます。から始まりの話を通す
その上で予め回覧板で同意確認して日時予告して集金するとか
Permalink | 記事への反応(2) | 15:53
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模合のような庶民金融は、頼母子講や無尽としてかつて日本各地にあったが多くは廃れた。なぜ沖縄に今も残るのか。https://www.asahi.com/articles/ASQ165R5VPD9ULFA01Q.html
模合のような庶民金融は、頼母子講や無尽としてかつて日本各地にあったが多くは廃れた。なぜ沖縄に今も残るのか。
https://www.asahi.com/articles/ASQ165R5VPD9ULFA01Q.html
国とGHQの規制や弾圧により潰されたから
沖縄は当時、日本の施政権下になかった
高校生でも解ける問題ですが、大学名誉教授の解答は
島である沖縄はお互いに助け合うという意識、横のつながりが強いため
なのだそうな
Permalink | 記事への反応(0) | 23:24
意外かもしれないが歴史的には第二地銀が頼母子講、無尽から発展したものが多く、信金は明治維新により海外の生活協同組合を参考に設立されたって経緯がある
Permalink | 記事への反応(1) | 08:34
社会福祉政策は国が行う頼母子講だから参加人数ふやす前提でやらんとしゃーないやろがい
Permalink | 記事への反応(0) | 15:32
地銀って元頼母子講とかなんでしょ
セキュリティがザルなのは当たり前だよな
Permalink | 記事への反応(0) | 05:16
晴れの日に2代目ボンボン騙して傘を押し付けて、雨の日に傘を取り上げるイメージしか無いけど
所謂都市銀行の劣化版
都市銀行に相手にされないような中小を相手にしてる
商店街の頼母子講に毛が生えたようなところが原点ってのも少なくはないと思う
Permalink | 記事への反応(1) | 16:14
日本には貧しい人には施しを与えるべしという倫理規範がないからな。
それこそ僧への寄付くらいしか残っていない。
(だから食うに困ったら出家すればいいみたいな話になったりするのだが)
でも僧侶が貧しいかっていうと、むしろ金に汚い破戒僧ばかりだしな。
台風や地震のときにだけ寄付がよく集まるのは、飢饉時の炊き出し的だ。
頼母子講も「身内」向けの保険的な内容だし、
豪商による橋だとかの寄付も「おらが町への貢献」みたいな感じ。
日本の寄付文化って「普通の人」同士の助け合いばかりで、
そこから外れた貧しい人はほったらかしなんだよな。
Permalink | 記事への反応(0) | 11:33
無尽は利子付きも多いぞ。
頼母子講は利子なし、無尽講は利子あり、と区別する場合もあったそうだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 15:01