はてなキーワード: 悪者とは
https://anond.hatelabo.jp/20240301085330 で恐喝ビジネス説を紹介していたが、どうやら当たりだったようだ。
今週のFLASHの記事で概要が書かれていたが、「Y社によるA子を使った恐喝ビジネスに最初はX氏が巻き込まれ、ごく最近になってから伊東も巻き込まれた」のが全貌だ。一番のポイントは、最初はX氏とA子の間の示談交渉が行われていたことであり、伊東純也が関与すらしていないことだ。「X氏による性加害案件の示談交渉」だったためだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e788a4a99ddfba20db42cc02ef5041c2acaf702
で、最近になって伊東純也を巻き込んで刑事告訴の形に切り替えたわけだ。
これは非常に構造が複雑で、週刊新潮の第一報とその後のお気持ち記事しか読んでない人達には理解しづらい。
前の増田で「Y社による恐喝ビジネスであるならば伊東純也のマネジメント事務所が伊東に損賠請求をした理由が理解できない」と書いたが、この一言で簡単に説明できる。
『週刊新潮による第一報しか知らない人にとっては直ぐには理解しづらい構造であるため、伊東を悪者にする以外の脳内処理フローしか取り得ない』
だからマネジメント事務所も、JFAも、日本代表のスポンサーも伊東外しに動かざるを得なかったのだろう。代表選手達だけはそうならず「伊東純也と一緒にやりたい」と申し出たが、それは1次会に浅野と前田大然が同席しており、事案構造を理解するためのフォロー役に回れたからだろう。
仮にFLASHや現代ビジネスの記事内容が真実であるなら、X氏⇔A子間の示談交渉から伊東純也⇔A子B子間の刑事告訴に作戦を切り替えたとされる今の女性側弁護士と、それを前提に記事化した週刊新潮の責任は極めて重く、虚偽告訴罪の共犯として捕まるレベルであると思われるが、どういう決着になるだろうか。
意外なオチとして、「A子が双極性障害であり、それによる虚言だった。精神障害によるものであるため不起訴」という決着になる可能性が高いと見ている。双極性障害なら殆どの刑事犯罪は不起訴になるからな。京アニの青葉ですら一時期無罪になりかけていたくらいだ。(あちらはその後、境界性パーソナリティ障害に診断が変わり、一審で死刑判決が出たが)
先日のことだ。
会社帰り、自宅に向けて歩いてあると前方には女性が一人歩いていた。
彼女はたまたま家の方向が一緒らしく、だから意図せずその女性の後を歩くような形になってしまった。そうして暫く歩くと女性はチラチラと後ろを振り返っては俺のことをチラ見する。
おいおい俺は別にあんたなんかには微塵も興味はないから。単に家の方向が同じだけだから!
心のなかでそう呟きながらも女性は振り返るのをやめず、俺と目が合うと走り去っていった。
だかあんな逃げかたされたら、まるで俺が悪者みたいじゃないか。
一人傷心していると、ふと思い当たることがあった。
← おまえ、わかっててわざと話を捻じ曲げて語ってるだろ。せっかく正しくて良い主張を展開しているのに、そういう牽強附会な議論をすると誰もまともに取り合ってくれなくなるぞ。
西側はロシアに、ウクライナの占領地域を全部返せって言ってるよね?
たとえ占領地域にロシア人が移住したり、ロシア人が土地を所有したとしても、それは武力と盗んだ不正行為だ。だから全部無条件で返せと。
それはとても道理にかなっている。
一方、アフリカでは独立後は白人支配層が出ていくこともおかったが、引き続き侵略した土地を所有していることもあった。例えばレソト王国では今でも国土の3割を数パーセントもいない白人が所有しているね。
ジンバブエも、独立した後でさえ1割以下の白人が土地の半分以上を所有し、黒人先住民は小作人であり続けた。これでは黒人の隷属状態は変わらないし、独立に何の意味がある?
だからムガベ大統領は白人侵略者から農地を奪い返し、黒人小作人に与えた。
しかし白人諸国、特に米英はこれを財産権の侵害、レイシズム、ヘイトクライム、民族浄化だとして糾弾した。
そしてジンバブエのハイパーインフレは白人様に逆らった自業自得だとして、100000000000000ZBD紙幣のゼロの多さに爆笑していた。
じっさいにはこの経済危機はムガベの愚かさのせいではなく西側の経済制裁のせいなのに。
なお、旧イギリス領の香港も同じで、なぜか侵略された領土を取り返した側が悪者にされる。
侵略者と戦うのは正義(ただし侵略された側が白人の場合に限る)
こんなクソ国どもが嫌われるのは当然ですよね??
なお私はロシア人の血を引いているがロシアを庇う意図は一片もない 西側がそれ以上にゲスなだけ
【追記】
当時はソ連で、差別反対イデオロギーが強かったので(もちろんソ連の国益がメインだったが)差別・侵略される黒人を助けようという意思があった
=ハラスメントの加害者が悪事を咎められたときにとる3つの戦略
「悪事の否定(Deny)、逆ギレ(Attack)、被害者ヅラ(Reverse Victim and Offender)」のこと
客としてサービスを利用するときは費用対効果が高いほうが良いと感じるし、クソ店員がクソサービスして高い金を払わされる店には行かなくなるのが消費者。だから潰れていくじゃん。
だからコストを削減してサービスの質を保つために機械化できるところは機械化が進んで、安い「セルフレジ」の店や「オンライン完結型」といった従業員数を減らしたサービスと、
教育を受けた店員がしっかりと接客してくれる高価格帯のサービスとに二極化していっているのが今だよね。賃金が高くなったら人間を使うことが贅沢になるのが当たり前。
二極化の間で、価格競争では機械に負けて、サービスの質では高賃金でも雇われている優秀層に負ける、半端ゾーンの人間が「経営者だけでなくお客さんにとっても不要」とされてるのが今だよね。
というか順番が逆で、お客さんがそれを不要とするから経営者が自社サービスを勝たせようとして競争して、競争の結果として従業員が優秀層同士競争したり機械と価格競争することになるんだが。
なんか経営者だけが悪者みたいな言いぐさをしてる人たちが多くて謎。クソ店員がクソサービスして高い金を払わされる店にあえて行って、低級労働者を養う社会で良いと思える奴だけが言えよ。
商店街のクソ店主の悪口をネットに書き込んで二度と行かないくせに。資本主義的な競争がなくなるということはそういう店だらけになるということだよ。
資本主義的でないはずの組織である役所の対応も近年になってどれだけ改善したことか。そして本当にどこに行ったんだろうなクソ人材。
どっちが悪い、に落としちゃうと話が敵対関係にいっちゃうんだよね。
何かやってる側が仕事抱え込んで外に出さないのはもちろん問題だけど、職場と違ってそれを解決してくれる上司役が家庭や避難所にいるわけではないし、やってくれてる人に的確な指示まで求めるのはやりすぎだなと。避難所では自然発生的にそういう役回りの人が出てくるといいけど、まあ給料貰ってるわけではないしね…と。
一方でやらない側も、全体が進んでいる中で聞かないとわからないけど相手の手を止めてまで聞きまくるなら厄介者になるし、あまり勝手なことはできない中で「自分ができることを自分で見つける」というのは誰にでもできることではない。(職場を見ても分かるよね、やるべきだ!とかでなく現実としてね)
だから「やらないお前が悪い!」「言ってくれないとわからない!」みたいなのはどちらかが絶対に悪いに持って行くのは違うかなと思ってて、ネットとかだと必ずどっちが悪いのか決めなきゃいけない風潮あるけど(それは現に男は動かない!という攻撃によって可視化されている)、お互いに相手の立場を想像しつつコミュニケーションして、現場現場できちんと解決していくのが必要なんだよね。
現場いない、ネットで鼻くそほじりながらポチポチしてたり他人事なのにメディア様だぞと偉そうに介入してくるやつができることは、まあこんな辛さもあるよねと言うのは気づきにつながるからいいなと思うし、かと言って過度に相手を(特に属性でくくって)悪者にしないようにすることかなぁと。現場で対立するのは当事者同士やむを得ないわけで、それを焚き付けて火を大きくするのは、せっかく外にいて岡目八目できようもんな立場なのに人類的には損というか、ちょっと良くないよな〜って思うよ。
せっかく他人事にわざわざ首突っ込んで時間使って文字打つんだからさ、世の中にちょっとでもいい方向に行ってほしいな〜って感じでさ、もらい怒りで脳を消費しないで、冷静に一息ついてから書き込もうよ、なんつってさ、思ったりして。
好きなアーティストの条件は、美男子 or 美女で、恋愛の歌とか、元気が出る歌を歌ってること
好きなアニメは、美男子と美女が強い悪者を倒したり、イチャイチャシーンやお色気シーンがある奴
外食は油っこいラーメンばかり or インスタ映えする飯ばかり
「エロ」「恋愛」「見栄」 「美男美女」 「カロリーの高い飯」「派手な演出」にしか興味ないやつ
もういいよ
そういう奴らばっかじゃん世の中
どうなってんだよ
何歳までハマってんだよ
流石に20も超えたら「あれ、なんかこれ紋切り型でつまんねぇな」って気づくじゃん
そういう奴がごく一部いるなら分かるけど、世の中そういう奴が多数派な気がするんだよな
俺が間違ってんのかな…
そういうやつって、例えば仕事でなにか質問しても、回答が浅いんだよ
1発目に思いついて、すぐ試すor考えれば「あっ、これは違うな」っていうような回答が飛んでくる
逆に質問してくるときも、すぐ試すor考えれば分かるようなことを聞いてくる
そんで、そういうやつって短絡的だから、↑のような事を指摘しても、内容の正しい間違ってるに関わらず「俺を批判した!こいつは敵だ!」と(表に出さずとも) 反射で思うんだろ?
だから、指摘もできない
ほんと世の中そういうやつばっかりじゃん
いつまでガキなんだよ
いつまで浅いんだよ
俺がおかしいのか
「なぜ非オタクの人達はオタクやオタク的なコンテンツを嫌うのか?」を同級生や先輩後輩に訊いて周ったことがあるんだよ。
そしたら元増田と同じように、コンテンツの表現にはほとんど何も文句言われなかった。
だって、あいつら文句言うほどコンテンツの具体的な内容を知らないんだから当然だよな。
結局、自分達の周囲にいるオタク達が信用できない不快な人間ばかりだから、おそらくそいつらの好むものもロクでもないんだろうな~ぐらいの認識。
それでその後、オタクの何がどう信用できないのか?不快なのか?お前らオタクを何だと思ってるんだ?というのも訊いたんだけど、総合すると
「オタクは自分が興味のない話は全く聞かず、何か失敗をやらかしても反省せず、それによって理由なく人に嫌がらせをし続けるカスの集り」って感じ。
具体的に何がどう嫌がらせだと思われているのかというと、いくらか例はあるんだけど一番分かりやすいのは見た目かな。
やっぱりオタクに対してこういう印象を持ってる人って、オタクの見た目が嫌なんだよね。
「人の見た目について言うのは悪いことだ!」って思うかもしれないけどさ、それって「簡単には変えられない見た目の問題に対して文句言われてもどうしようもないから言うな」って話なんだよな。
例えば身長が低い人に対して何を言っても自由に身長を伸ばせるわけではないのだから言われてもどうしようもないし、
ハゲを馬鹿にしたところで髪は生やせないのだから言われてもどうしようもないし、
もういないけど、かつて渋谷センター街にいたガングロギャルに日サロ通いはやめろと言っても彼女達がかっこいいと思ってやっていることをやめさせるのは意思を捻じ曲げる行為だし。
オタク達も、人から文句言われるけど今の自分の見た目が好きでやりたくてやってますとか、何か深い事情があってやらなきゃいけませんとかだったらそれに対して悪く言う方が悪いよ。
でも、多くのオタク達はファッションになんか興味がないから、自分の見た目って別にそうである必要のないものなんだよ。
今の見た目をやりたくてやってるとか、何か理由があってやらなきゃいけないとかってないでしょ基本的に。
それを面倒臭いだのなんだの言って意地でもやめようとしないじゃん?
いやなんでやめないんだよ!
やめられるじゃん!
やる必要のないことをやって人が嫌がっていることを理解しているけどやめるの面倒臭いからやーめない!って、そのつもりがなくても立派な嫌がらせじゃねーか。
これに関してはお前らに意思なんかねーから!何も考えてねーんだから!
仮に誰もが他人の意思をできるだけ尊重したいと思っていても、存在しない意思を尊重することはできないんだよ。
こういった、やらなくていいことをやって人に嫌な思いをさせて、それを伝えられて本人も認識しているのにも関わらずやり続ける意味不明さこそがオタクが長年ぶつけられてきた「キモい」という言葉の正体。
今はそれが「チー牛」という言葉に置き換わっているのかな?
オタクの人達は一方的に自分が喧嘩を売られていると思っているようだけど、逆だよ逆。
先に喧嘩を売ったのは、先に手を上げたのは俺達の方だろ。
何も考えてないし人の話を一切聞かないからそれに気付いてないだけだろ。
差別だ何だと騒ぐ前にそういった言葉をぶつけられる原因を自分が作り出してしまっている可能性の有無ぐらいは考えるべきで、それを一切せず自分に都合のいいことしか考えず他責に終始するその態度の方がよっぽど相手を人間扱いしてないよ。
そんな奴らが何をやっても信用できるわけないじゃん。
人の話聞かないし反省できないんだから、問題が起きる前に潰さなきゃという考えになるのは分かるよ。
そして何よりも、この元増田に対して具体的な反論は一切せずに釣り認定をすることもまた、人の話を聞けない反省する気のない奴らの振る舞いなんだよな。
これが釣りだろうが嘘だろうが、オタクが一部の人間から嫌われてしまっているのは紛れもない事実で、それを考えずに自分にとって都合の悪い情報は全部嘘だと決めつけて安心する生き方はもう通用しないんだって。
何が何だか分からないし考えるつもりもないけど、自分にとって都合が悪くて自分と違う人間は悪者に決まってる!なんて人間の頭の中に気軽に浮かんでいいもんじゃないだろ。
その考え方はお前達が長年受け続けていると思っている「オタク差別」とやらとどう違うんだよ。
まぁでも、オタク達がこういう生き方をすぐにやめるとは到底思えないし、当分は状況が良くなることはないのかな。
幸い、今20代前半ぐらいまでの若い世代のオタクは多少マシになってきている印象はあるし、我々世代が寿命で死ぬ頃には状況が好転していることを祈りたいね。
まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。
この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。
社名が映画RRRのエンディングテーマの曲名であったことから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。
私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。
「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。
個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれてしまったことが大きかったのでは、と思っている。
多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。
これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。
長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的なカフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベントや期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)
もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合は映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。
他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。
・「エッタラジェンダ」という言葉の日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)
・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファンの疲労。これをぶつけられたのは気の毒である
・設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある
などなど。
ただ、上記のいずれも反対する気持ちは理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくまで道義的(可能性)または気持ち的な問題がメインだ。
上記の線引きがどうの話も個々の感受性や思い入れのベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。
今回否定的な気持ちをツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更の希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉はほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)
新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?
結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。
そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ちを蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ちの集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構な割合の人が同じように感じている気持ちを無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。
つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。
行動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまうタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動そのものから撤退されるのは惜しいと思う。
何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外の否定的な意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから。
実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師(表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。
また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。
追記。
今回の騒動を異なる価値観と気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめの加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。
人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。
自分が理解、共感できる痛みは尊重すべきもので、自分が理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人の気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。
その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちそのものの否定は争いしか生まない。
もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。
設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセスや問題提起されてからの設立者さんの対応にはいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。
しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDMで捨て台詞の暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーにユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。
これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。
サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的な選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。
もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/45027695e530e051763275a72d54d44c1509526a
昆布(自然?)と味の素(化学?)が対立概念である、という図式をスンナリ受け入れている人々が多いようだけれど、そういう人々はいまだに味の素を石油化学合成食品だと考えているのだろうか。
味の素が化学合成を中止して発酵製法に切り替えたのは1973年のことだ。
1973年5月14日にMSGの最終晶析、23日に最終分割を行い、試運転開始以来10年10カ月にわたり続けてきた合成法によるMSG生産に終止符を打った。
(※MSG = グルタミン酸ナトリウム)
60年代~70年代の日本では公害が大きな社会問題となっていて、石油化学工業全体に対する消費者からの風当たりは非常に強かった。四大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)を小学校で習った人も多いだろう。
味の素の基幹工場は、ほかならぬ四日市市にある。上の資料でも、石油化学製品を過剰に警戒する消費者の忌避感に逆らえなかった苦衷が(かなりあけすけに)綴られている。
1960年代前半には高い評価を得ていた技術が、わずか10年余りのうちに一転して受容されにくい技術になった。その背景には、化学に対する消費者の劇的な意識変化があった。化学合成技術を最先端技術としてもてはやす時代から、公害の元凶として排撃する時代に変わったのであれば、食品を化学合成で作るというコンセプトは受け入れられない。
「化学調味料は得体の知れない身体に悪いモノ」という風評やマイナスイメージは70年代にはすでに一般的だったのだ。時代はPCBや水銀やカドミウムが重大な食害事件を起こしている真っ最中である。化合物食品や食品添加物に対する不信感は、現代のオーガニック信仰などとはまったく次元の違う切実さがあったはずだ。
味の素の失敗は、せっかく製法を切り替えたのに商品名を変えなかったことに尽きると思う。すでにブランドを確立していて手放しがたかったのだろうが、味も成分も商品名も同じままだったら、誰も作り方が変わったなんて思わない。新・味の素とか味の素ネオとか、あるいは全然違う名前をつけた化学じゃない方の旨味調味料を売り出して、オリジナルの味の素は静かにフェードアウトさせるべきだったろう。令和の今に至っても味の素を「化学調味料」「化調」と呼ぶ人がたくさんいることが失敗をよく物語っている。
味の素系のブクマでコメントを見ていると「親が味の素を嫌いだったから自分にも使う習慣がない」という2世アンチも散見される。事実を知らないまま「味の素は悪者」というイメージだけが親から子へ、子から孫へと語り継がれてしまった結果である。
古いイメージをアップデートできていないだけならまだいい。それは無知なだけだ。
『美味しんぼ』には、露骨に旨味調味料を貶めるエピソードがある。山岡たちは(現在は味の素が発酵食品だと知りながら)わざと「化学調味料」という言葉を使い、味の素が化学合成していた時代のままの主張を展開する。まるで電気自動車の排気ガスが汚いと言っているようなものだ。
味の素の味が嫌いなら使わなければいいし、昆布の味が好きならば昆布を使えばいいし、「身体に悪いって言ってる人がちょいちょいいるから」くらいのよくわからん理由で使わないのもその人の自由だと思う。
私は基本的に増田に追記ってしないんだけど、スカタンなブコメひとつだけ晒し上げときます
安全とわかっているのだけど、遠慮したいのだね。味の素を愛好していた歌手・タレントの方が「がん」で亡くなった。生前に特製ソースと謳って、味の素を大量に投入していたのテレビで観ていた。