はてなキーワード: 友達以上恋人未満とは
今日は3ヶ月ぶりに友達以上恋人未満の人と会った。いつもはわたしの住んでる近くに来てもらっていたが、今回は彼の住んでいるほうまで行った。
自粛期間、LINEをしているうちに行きたいところが溜まっていた。広い公園やおすすめの喫茶店、母校や通学路など彼のルーツを辿る旅となった。
会えない期間忘れていたけど、彼はけっこうひっきりなしに喋る。おしゃべりというよりは、沈黙になるのが怖くてずっと喋っているような。
GoogleMapで見て遊んでみたいと思ってた大きな遊具は、コロナのせいで使用禁止になっていた。残念。
公園をずっと歩き終わったら、また二駅分くらい散歩しながらずっとお話ししてた。好きな音楽の話、旅行の話、など。
電車に乗って喫茶店に着いた。歴史のある、居心地の良い喫茶店。なんとなく地方の宿泊施設のようなにおいがして、はやく旅行がしたくなる。
クリームソーダとケーキを食べて、また好きな音楽やキャラクターの話をする。
居心地が良いのもあって、だんだん眠くなってきた。そうだ、彼は夜勤明けだった。
本当は夜ごはんも一緒に食べたかったけど、疲れてかわいそうなので今日は解散。
久しぶりに会うためにすごいドキドキしたけど、いざ会ったらなんか喋り疲れちゃって、でも別れたらまた会いたくなっている。わたしはこの微妙な距離感を味わいたくて会っているだけなのだろう。
気が滅入っているときに決まって思い出すことがある。
当時DVをしていた彼氏が殴ったあとに決まって吐いていた言葉である。
一人だけ毎日出社している。
派遣社員という働き方になっているのも、
昔DV彼氏に入れ込んで大学の授業にろくに出ず、アルバイトに明け暮れて過ごした結果である。
今はこんなご時世なのに雇い続けてくれている派遣先に感謝するべきなのかもしれないが、
当然の報いだとも感じる。
とてつもなくめでたいし、心の底から祝福している。
しかし一方で、私は何をしているのだろう?と自己嫌悪に苛まれる。
「仕事で昇進したいとかそういう夢はあるけど、旦那さんになるという夢はない。」
と断言するモラハラ気味な元彼(前途のDV男とは別人)と別れて一年以上経つのに仲良くし続け、
これまたモラハラ気味の4つ下の男の子となんとなく友達以上恋人未満な関係を続けている。
誰の一番にもなれないんだと思う。
じゃあ私自身が誰かをそうしているかというと、そうでもないんだと思う。
悲劇のヒロインぶるな。
まさにそうなのかもしれないが、じゃあどう考えて生きればいいのかを教えてほしい。
文章力を褒められたい。
文章を書くのが好きで、増田を10年書き続けて何度かホッテントリ入りしたこともあるのに、文章力があるねってコメントされたことが1度もない。
マジでただの一度もない。10年増田書いてるのに。累計ブクマ4桁なのに。
増田文学、みたいなタグはいらねえんだよ。文章力を褒めてくれ。なんで褒めてくれないんだ?
他のホッテントリを読むとプロの犯行みたいな増田からアタマのネジや肛門のゆるい増田までどいつもこいつも「文章力すごい」のコメントがついてるのに、なんで俺の増田だけ無いの? 俺の増田そんなに文章力無いの? 増田文学なのに?
っていうかそもそも文章力ってなんなの? 構成力のことなの? 俺の増田に起承転結が無いのが駄目なの? でもこの増田は徹夜明けのアライグマが書きましたみたいな増田にも文章力を褒めるコメント付いてるじゃん。もう訳がわからないよ。
訳が分からなすぎて、「自分には文章力がない」という増田を書いたら、それがホッテントリ入りしたことがあるのね。そしたらかのhagex氏から釣り判定されたの。いや、おまえ書けてんじゃん、みたいな。
いやいやいやいや!
書けてねーんですよこれが! 一度も褒められてねーんですよ! 文章力を! マジで!
幾度のホッテントリを超えてなお褒められないの。10年増田やってきて、ただの一度も褒められないの。故に、その増田に意味はなく、その体はきっと文章力でできていないの。
逆に、なんでみんなブクマするのに俺の文章力を褒めないの? 読めないほど酷くはないが褒めるほどうまくもないってこと? 友達以上恋人未満みたいな? 俺は恋人になりたいんだよ! 愛してくれよ俺の文章を!
神様教えて下さい。どうしたら文章力を褒めてもらえますか。どうしたら文章力を上げられますか。
プロのライターさんの文章を真似したら文章力が身につきますか? 「保育園落ちた日本死ね」を写経すれば褒められる文章が書けますか?
文章力を褒められたい。
わたしには付き合ってもうすぐ4年の彼氏がいる。それまで付き合った人も1人(半年くらい)だけなので、初めてと言ってもいい。長くお付き合いをした経験がないので分からないが、たぶんマンネリ化していると思う。付き合った当初は、LINEで逐一あったことを報告して夜は電話して、週に1回は会って、みたいな感じだった。今もLINEしない日はないんだけど、挨拶だけで終わる日もあるし、何をやってるか知らない日が増えた。仲が悪くなったわけではないけど、いちいち心配したり気にかけたりはしなくなったし(信頼している部分もある)、個人的には前より優しくなれなくなった感じがある。
そんなこんなを過ごしていて、新しく仲良くなった一人の男の人がいる。彼氏と同い年で、趣味も似てる。ちょうど話題になっていたバンドのアルバムがあって、その話をしませんかと向こうから遊びに誘ってくれた。今まで男友達もそんなにいなかったので、男性から誘われることが新鮮で嬉しかった。初めて飲みにいった日、わたしはかなり酔って半分以上記憶を飛ばしてしまい、帰りに一人で転んで流血して歯が欠けたりしていた(何やってんだ)。その人とはTwitterで知り合ってDMをしていたんだけど、心配してくれてLINEを送ってくれた。そこからちょこちょこLINEをするようになって、遊んで、を繰り返すようになった。
先に言ってしまうと、その人のことがかなり好きになっている。以降、Aさんと呼ぶことにする。
Aさんは、わたしの考えや仕事に対する姿勢をなぜかとても尊敬してくれて肯定してくれる。(同じ職場の人じゃないのに)
彼氏とは話せないことがないくらいなんでも話せるけど、仕事やその他諸々干渉しすぎないところがあって、お互いに愚痴を話してもまあ人それぞれだよね、みたいに終わることが多い。
一方、Aさんと話していると、いろんな話をしても全部受け止めてくれてめっちゃ褒めて励ましてくれる。で、結局人生とか家族とか、価値観とかそういう大きな話になって、そのままでいいんだよとかここは大切にしたほうがいいよねとか、とにかく求めている言葉を言ってくれる。自分も大変なはずなのにそういう話は一切せずただただ受け止める。もはやお母さんである。そのくらい包容力があって認めてくれて優しくしてくれたら、好きになっちゃうじゃん...。ましてや彼氏とマンネリ化していたらなおさらだ。
いろんな背景がありすぎて、ここまで書いてダルくなってしてしまった。(わたしと彼は若干セックスレスになっている、Aさんは今まで恋愛感情を持ったことがない、なのにやたら"かわいい"って言ってくる、とかいろんな問題がある。)
何が言いたいかと言うと、マカロニえんぴつの「たしかなことは」という曲を聴いて欲しい。たぶん浮気の曲。
わたしは、今の関係が心地良すぎてやめられない。彼氏はそのことを知らない。Aさんと体の関係は全くない。彼氏がいなかったらわたしに好きって言ってる?って聞いてみたいけど、聞いてどうするんだろう。うんって言われたらAさんのところに行くわけじゃないし、そんな訳ないじゃんって言われるのもフラれたようで嫌だしこの関係が終わってほしくない。どっちといたら幸せになるのか分かんないし、どっちも大好きで、どっちも幸せになってほしい。今は良いとこどりをしている。
関係を言葉にしちゃったら終わってしまう気がして明言なんてできないし、きっとただの"仲良し"なんだろう。わたしの考えすぎで本当に良くしてくれる人ってだけなのかもしれないしね。(でも普通はやたら女の子扱いしてくれたり、他の人には言わないんだよとか貴方だから優しくするんだよとか言わないよね)(好き)
コロナで会えないから、早く会いたいな。酔った勢いでちょっと手くらい繋いでみたい。AさんとのLINEを遡ってはときめいたりして、外出自粛期間を乗り越えている。
普通に元に近い感じに戻った。
でもそれは、ある種当たり前なのである。
俺はもっと一緒の時間を作りたいと思うが、実家住みだから、家に呼んだりができない。物理的に無理なのだ。
多分、今は、友達以上恋人未満的なあれ。
それを踏まえて、次の行動。
仕事は来週決まるように面接入れまくったが、全落ちの可能性もある。こわい。
うまくいけばいいのだが。
そこでお金が貯まるまでとか言ってたから、いつまでもできなかった。
いらない本や衣類、ゲームの処分など、ガチでやるといろいろある。
なんなら、Twitterでおすすめされてるのを見てシン・ニホンも買ってしまったから、また本が増えた。あれちょっとお高いのにノリで買ってしまったから、そういうとこやぞと。
天気も良いし寂しいし、とりあえず外に出よう。積み本も持っていって、できれば読もう。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。
もともとは、結婚しようってとこまでいった彼氏だったけど、相手の親が無理すぎて自分から振った。破談した。
しかし、別れたといってもお互いに共通の趣味があってすぐに顔をよく合わせていた。
別れ話をしたときに、私が荒みまくっていて、根が優しい彼は心配だといって、ちょくちょく連絡もくれたし、時間ができれば会いに来ていた。
今思えば、心が荒みまくっていたのはマリッジブルーと言うやつだったのだろう。
ムカつくところもあるし、人としてないわー。と思うところもあるけど、なんだかんだ一緒にいると楽。
音楽、映画、食べるもの、趣味思考が似ていて、思考については自分より頭の回転がいいし知識人だし、頼りになるから尊敬もしてる。
LIVEに行って、飲んで、泊まって、帰る。
彼は5歳上で今年アラフォーになる。
自分から破断してのに虫の良い話だが、何度が復縁を願い出たことがあるが、断られてる。
破断した時に「私はあなたに傷つけられてばかりきた」と泣きわめいたのがきいたらしく…
復縁の話をするたび「また、傷つけてしまうから。」と言って断られる。
それでも、お互い離れることなく3年がたとうとしている。
でも、まぁ、関係の名称なんかどーでもいいか。と思うときもある。
ふと。彼に彼女ができたら?とか、この関係がなくなったらと思うと不安でたまらなくなる。
そう思うと、私は彼に依存しているんだなぁ。と思ってしっかりしなきゃと。我に返ることもあるけど、それも喉元すぎれば。いつの間にか、いつものような状態になっている。
ソフレの次に流行りそう?になっている「カモフレ」というやつのような気もするけど、それはそれでちょっと違う。
つらつら書いたが、本題。
その彼とセックスがしたい。
でも、色んな手を使ったがここ半年まったくその雰囲気にたどりつけない。
手もつなぐし、ハグもする、添い寝もする、ボディタッチもするけど、胸を揉むとかキスをするとか性的行為までに及ばない………。
一度だけ「最近、勃ちが悪い」的な話をされた事があるし、確かに半年前にした時には中折して最後までできずに、最終的には彼が自分でして終わった記憶がある。
しかし、こう、したい雰囲気を出しても、拒まれると、相手の気持ちもあるだろうけど、単純女としての魅力がないんではないかと、落ち込む。
私の中で彼は男だけど、彼の中で私は女ではないのかもしれないのかな。
ひとりで生きてく不安を感じる。
それを拭うように、共通の趣味があるからと言って、元カレと友達以上恋人未満みたいな関係をダラダラと続けている。
でも、その元カレに彼女がてきたら?私じゃない誰かと結婚してしまったら?
特定の仕草にときめくだとか、顔が好きだとか、そういうのはもうずいぶん前になくなった。
いろんな事があって、私から別れを切り出したものの、立ててた予定と情が宙ぶらりんになってしまって、それを切り離すことができなくて…
結果、友達以上恋人未満という関係そのものが宙ぶらりんになってしまった。
彼はそれに対して疑問や不安ないみたいだ。
むしろ、それぐらいの距離感の方がやっていきやすさを感じている気がする。
私は…。どうだろう。
私も、まぁ、ちょうどいい距離感の様な気がする時もある。そうじゃない時もあるけど。
どっちが多いかな…。今のところはちょうどよく感じてることのほうが多いかな。
誰かに気持ちを共有したいけど、わかってくれる人はいそうにない。
カウンセラーも「もうその人はやめて、次に行こう。」と促してくる。
次ね…。
新しく恋愛するには、この9年は長すぎませんか…。
クロームブック!激安!
どうりで安い訳ね。
あちゃー知らなかったわ。
でもいいの!
そう私はその友達以上恋人未満、
違う違う、
エレガントでしょ?
各位私は無事ですのでご安心下さい。
この場を借りてお返事まとめてするわね。
まあ今日はそんな新幹線旅インターネッツと思ったけどそれどころじゃないわね。
とりあえず往復して帰るわ。
うふふ。
今日は朝早かったので、
そのままブランチと意気込みたいわね。
こういうときでもお手軽冷たいのが飲めるのがいい
こういうのもいいけど、
プラケースのなんて言ったらいいのかしら?
なんかプラスチックの容器に入った四角いお茶がまた旅情をかき立てるわよね。
あれは旅感でるわよね~。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もう十三年来の付き合いになる小学校からの幼馴染の一人の女の子がいる。彼女は褐色の肌でほっそりとスレンダーで大人っぽく背の高い可愛い人である。病的に白くどちらかというと胸や腰に肉付きがよく童顔すぎて背の低い私とは真逆である。進路が似ていたり、部活で苦楽を共にしたことで、この数年でもっともっと仲良くなった。
洋服や音楽などの趣味の話や死生観、恋愛観まで色々なことを話した。その中で彼女は恋人と友達の違いがわからないし恋愛する理由もなにもわからない、というようなことを言っていた。私はその人と自分が特別な仲で他の人には侵入できない範囲にいると周りに示せる特権を得ることでは、と答えた。彼女はよくわからないな、という顔をしていた。
そんな彼女が最近Twitterで仲の良い男の子がいるようだった。物腰が柔らかく優しいけどたまに適当だったりおちょくったりする返答をしていて人として可愛いな、と感じた。聞くと彼女と彼は家族ぐるみで仲が良く保育園から小学校の間一緒にいたが、女子校と男子校に分かれた中高は全く交流がなかった。しかし大学生になりTwitterでまた再会したと言う。片方は青学、片方は明治である。
私も小学校は彼と同じ時間を過ごした身なので、Twitterで3人プラスもう2人の女の子の幼馴染の5人でよく話すようになった。果てはリアルでも会うようになった。少し緊張したが昔の面影が残っていてネット上と同じように柔らかい人物だった。4月から夏まで様々なことをして遊んだし話した。話の中で彼も褐色の彼女と恋愛に関して似たような価値観を持っているらしいことがわかった。
そんな中、その褐色の彼女が別のところで、彼と恋愛関係になろうか、結婚できるだろうか、というようなことを話していた。楽しんでいるようだった。今の現状も友達以上恋人未満な彼との関係も。とても大事で分かり合えて、しっかりものの彼女が甘えることもできる関係らしく、信頼しきっているようだった。
そのことを知って以来とてももやもやしたものがずっと胸を占めてやまない。
恋愛なんか、というスタンスを取ってたにも関わらず恋愛を楽しんでいるところに苛立ちを感じているのか、とても良い人な彼を独り占めされたようで寂しいのか。
それとも、人生の長い時間を共に過ごしてきて憧れでもあり親友でもあり正反対な性質なのに一緒にいると楽しくてしょうがない大好きな大好きな彼女をとられたようで辛いのか。
どれなのか、全部なのか、原因はまだわからないけれど一人暗闇に取り残されたようで、恐い。
だった。
別に、ガストに限った話ではない。私は異性と出かけることに抵抗がなく、むしろ同性と遊ぶよりも気楽で良いとすら思っていた。たとえ自分に彼氏がいたとしても、だ。
高校2年生のとき初めて彼氏ができた。部活の先輩だった。先輩は生徒会活動が忙しく、校内にいてもあまり会えなかった。
だからというわけではないが、私は部活の同期である男子と一緒に下校したり出かけたり、ということを平然と行っていた。
先輩に贈るためのクリスマスプレゼントを、彼女持ちの男子部員と二人で買いに行ったこともあった。その人は自分の彼女にルームシューズを買っていた。
これバレたらやばいよね、と笑い合った。今思い返すとろくでもない。
いつからか、その人とは別のとある男子部員とたいへん親密な関係になった。その仲は、付き合っているのではないかと噂になるほどであった。
先輩は私に「訝しく思うこともある」と言った。それに対して私は「そいつのことなど別に好きでもなんでもない。貴方しか眼中にない」というような言葉を返した。
先輩は「じゃあ問題ない」とだけ言った。
これは余談だが、先輩は受験生だったのにセンター試験直前までガンスリンガーストラトスをしていて幻滅した。
その後あっさり別れた、というか私が彼のTwitterをスパブロしたことにより関係は消滅した。そして私は3年生になった。
高3の間はずっと、前述の親しい男子と友達以上恋人未満みたいな関係をだらだら続けた。卒業式の数日後に付き合った。
友人から彼氏となった彼が大学の後期試験を受けているときに、私はクラスの男子3人とカラオケに行っていた。人の心がなさすぎる。
長期休暇で帰省するときだけ会っていた。その機会に私は他の男とも会っていた。帰省の際に他の男と二人で会うときは一応申告した。「全く知らない人だったら嫌だけど、その人(共通の友人)なら別にいいよ」とのことだった。
まあ大学では彼の全く知らない男と二人で遊んでいたんだけれども。
サークル同期の男子とガストに行ったり酒を飲んだりした。朝まで飲んで、それから酔った私の提案する意味不明な散歩に付き合わせたこともあった。
サークルの後輩ともガストに行った。ウェイ大学生がカップルで行くような季節のイベントに、二人で何回も足を運んだ。
彼はたぶんそれを知らない。何も明かさないまま彼とは別れた。
一緒に出かけた男たちは全く私に手を出さなかったが、「俺じゃなかったら襲われてたよ」と言われたことはあった。あと、「君はビッチだよ」とも言われた。
結局ガストに行きまくった後輩となんやかんやで付き合うことになった。
今の彼氏は私に「誰であっても他の男と出かけるのは嫌だ」と言う。そういうところが好きだ。
だから、私はもう他の誰ともガストに行かない。ガスト以外にも。
しみじみとそう思うのである。