はてなキーワード: 卑下とは
空気を読まず、マジレスします。これは男女ともに言えることです。
意味も考えず未経験であることのみを過大に意識する必要があるのでしょうか。
30代、40代は己をしっかり持たないと、ただただ状況に流されていくだけで、あっという間に老け込んでいきます。
流されて、誰かに弄ばれて終わりでしょう。
まず、ありたい自分を持ち、その上で自然な流れに乗り相手の人と真摯に向き合えば、素敵な「その時」も訪れることでしょう。
出会いを良きものにするかどうかは、全て自分次第だと思います。過去は過去で縁が無かったと割り切りましょう。
もちろん失敗もあることでしょう。その失敗で不本意な「その時」がくるかもしれません。
でも、自分を見失わないなら、それもまた糧となるはずです。
30歳なんて人生の半分も生きていない半端な若輩者なのですから、まだまだこれからです。
自分を卑下せず、自分を安売りせず、安易に媚びず、真面目に人と向きあい、出会った人の人となりをよく見るようにして、日々自分を磨いていていけばいいのではないかと思います。
そうすれば自ずと良き縁もあることでしょう。
極端に自分に自信が無い人が居る。それはある程度仕方の無い事だと思う。
だがそれを声に出して公言する事は一部の他人に対して超攻撃に振舞っている事と同義となる。
どんな例でも良いが、テストの点で例えてみる。学校のランクは超名門や超クソバカで無い程度の普通の進学校としよう。
200人中198番位だとどうか。これだと、マジな話でかなりのバカである事に違いは無い為、自虐が自虐にならない。駄目だ。次
では200人中100番位とする。中央に位置する為、直で計算すると自分より学力の無い者が半数居る計算になる。
「あぁ~~俺はなんてクソバカなんだ」と声に出して言う。構ってちゃん気質によるものか、本音での言葉かは定かでは無いがとにかく口から洩れたとする。
それは=で「自分より点数の低かった100人はオツムゴミクズ過ぎィ!!」と言ってる事となる。
乱暴な論法に聞こえるかもしれないが、先の発言は掘り下げると必ずそこに行き着く。自虐的な人間の多くはそこまで理解が行き届かない人間が結構多い。つまり本質的に「考えたらず」な人種なのである。
これは信じていいことなんだよ。何故って、永遠の17歳()があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの投票結果が信じられないので、この二三日不満だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。@オタク@は いつだって ↓見下せる相手↓ が ♡大好き♡。これは信じていいことだ。
どうしてオタクが毎晩家へ帰ってシコる道で、シンデレラガールズの無数にあるアイドルのうちの、よりによって◯◯で△△△、17歳()のうさみん星人なんかが、アニメの主人公を押しのけて浮かびあがって来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな高嶺の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、オタクの思い出のなかへ勝ち組と自分との圧倒的な違いを思い出させるものだ。それは、よくシコった同級生が完全な蔑みの目で睨むように、また、音楽の上手なイケメンがきまってなぜかオタクをいじってくるように、約束されたカーストの追いすがる影踏みのようなものだ。それはオタクの心を打ちのめさずにはおかない、不思議な、生き生きとした、息苦しさだ。
しかし、昨日、一昨日、オタクの心をひどく陽気にしたものもそれなのだ。オタクにはその苦しさがなにかアイデンティティのようなもののような気がした。オタクは反対に感涙になり、共感となり、満悦な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫と咲き乱れているウサミンへ、何か惨めな属性が埋まっていると想像してみるがいい。何がオタクをそんなに安心させていたかがおまえには納得がいくだろう。
初代ポケモンで遊んだオタク、就職氷河期を食らったオタク、そして自分より若い上司に叱られるオタク、童貞のままみな老化して髪がぬけ、堪まらなく臭い。それでいて中高生のような性欲をむらむらとむらしている。ウサミンはバブミをオギャらせる母のように、それを抱きかかえ、アダルトチルドレンの遠吠えのようなババァ認定を許して、その乳房を吸わせている。
何があんな票田を作り、何があんな二次創作を作っているのか、オタクの売れ残りを見下すような視線が、静かな共感を作って、アイドルを親友のように煽ってゆくのが見えるようだ。
――オタクは何をそう偉そうな顔をしているのだ。惨めたらしい自虐芸じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えてオタクの性癖が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ズボンを膝まで下ろして、pixivを彷徨っていた。検索結果のなかからは、あちらからもこちらからも、児童ポルノがポロロッカのように生まれて来て、オタクの理性が空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、奴らはソレで気持ちよく射精をするのだ。しばらく眺めていると、俺は変なものにでくわした。それは女の肌が曲がり角へ、小さく食い込みだしている、音無小鳥だった。思いがけない幸運を詫びるような台詞が、エロ画像に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万ユーザーとも数の知れない、アイマスユーザーのシコった絵だったのだ。隙間なく画面を被っている、小鳥さんの重ねてきた年齢への卑下が、オタクにシコられて山のような共感を集めているのだ。そこが、可能性を終わった精子の墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。知り合いの垢を暴いてネトストを嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
ただの美少女ではなにもオタクをよろこばすものはない。幸子や杏からも、シャアをバブみにオギャらせている桃華ちゃまも、ただそれだけでは、未来あふれる美少女に過ぎない。オタクには負け組が必要なんだ。その平衡があって、はじめてオタクの好意は明確になって来る。オタクの心はぼっちのように孤独に渇いている。オタクの心に失意が共鳴するときにばかり、オタクの心は和んでくる。
――おまえはワキの下を拭いているね。ワキガが酷いのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとデオナチュレを塗ってごらん。それで俺達の老化は完成するのだ。
ああ、@オタク@はいつだって↓見下せる相手↓が♡大好き♡!!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない自虐が、いまはまるでウサミンと一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
長らくミサンドリーなのかと思っていた感情の正体がわかったかもしれない。
自分、知人女性、はたまた二次元の女性キャラクター、女性芸能人、あるいは女性全体などに男性がみせる反応のうち、時折ひどく不快に感じるものがあった。それは相手を性的に消費していることを示唆するものがほとんどだったので、てっきりこれは異性の性欲に対する不快感なのかと思っていた。自称フェミニストの使う「まなざし」という概念は言葉遊びに基づいた言いがかりに感じられ好きでなかったが、しかし一方で男性に対し不快感を覚える自分も潜在的に少なからず「まなざし」を嫌っているのか?と悩んだりもした。が、たぶん違う。さっき気づいたばかりなのでこれも正しいかわからないが。
おそらく自分は「性的消費対象に敬意がない」ことが不快なのだ。女性ファンの多い趣味の界隈にやってきて「よっしゃ!出会い厨したろw」とのたまう男性、本人は冗談のつもりなのだろうが、実行しなくても非常に気持ち悪い。自分と男女の仲になってくれれば誰でもいいですよ!というスタンスは要するに相手の中身はなんでもいいですという表明と同義だし、ハンティング対象だと宣言するのはつまり「獲物」としてしか見てないということだ、人間扱いではない。自分の好きなキャラや芸能人など、いわゆる「推し」を過度に落とす風潮も不快だ。顔はブスだけど体はシコいと言ってみたり、おバカ扱いして説教してみたり、「素直に射精です」と性的に見ている事実をネタにすることで笑いをとろうとしてみたり、これがプライベートな知人だったらとてもできないだろうと思うような節度のない扱いを実際に見かける。いや、こういうことをする人たちは知人であっても親密になった相手なら同じような態度をとるのかもしれない。より一層おぞましい。
考えてみれば、性的消費ネタは男性が圧倒的に多くわかりやすいので「ミサンドリーかも」と思っていただけで、似たような事例で女性が発言している場合も普通に不快だった。推しをブスだバカだと貶すような表現をしておきながら最後に「でも好き」と言っておけば許されると思っていそうな、「こんな欠点のある彼だけど私は好きなんですアピール」はむしろ女性のほうが多いかもしれない。これは言い方にもよるのだが、仮に発言者が本当にブス専だった場合「こんな奴があなたのことを好きになってごめん」といった本気の謝罪や自己卑下が混ざってくることが多く、これは対象に心から敬意を払っているのが理解できるのであまり不快にはならない。仲間内のためのポジショントーク的に「貶し愛」が使われる場面もしばしばありひたすら不快の極みである。
では自分は好意を持った異性に対してどうなのかと振り返ると、基本的に「惚れた弱み」が強く、○○なところは欠点にも思えるけど、でもこうやって捉えると良さでもあるので、やっぱり好きだなあという表現になっていた。本人が明らかにイジられ待ちの発言をしたときはそれに乗ることもあるが、これは後から見ると蔑んでいるようにも受け取れるので自分の発言でもやっぱり若干不快だ。このように自分の中である程度整理がついたところで、今後も自分の倫理観に則した表現を心がけようと思う。とりあえず男性嫌いというわけではなさそうなので安心した。
意味とか意義とか価値とか役割とか逐一そういうものが求められる社会で私も色んなものにそれらを求めている。
しかし私は未だ自分の人生に、生に意味を見出せていない。つまり私は私自身に価値を見出せない。何のために生きているのか。答えなんてない。それが私の答えだ。私の生は惰性だ。仕方なく。本当はこんな楽しくもない人生早々に辞めたい、けどそんな度胸もないから仕方なく食べて寝て呼吸をしている。
こんな思考に陥った人は私以外にいるだろうか。きっと予想よりいるのだろう。そこで自分で価値を見出せないとなると自分に価値を見出してくれる他人や居場所にすがるのかもしれない。
しかし、だ。私はそれでも足りないのだ。他人に認められても褒められても必要とされても、結局最後に自分で自分を突き放す。
私が良い子だと褒めてくれる先生がいた。勉強が出来ると褒めてくれる人がいた。可愛いと言ってくれる人がいた。私の特技を褒めてくれる人がいた。私を優しいと言ってくれる人がいた。私を好きだと言ってくれる人がいた。
それでも私は私を認められない。
本当はこんなにも誰かに認められたい、私の苦しみに気付いてほしい、今まで頑張って生きてきたことを褒めて欲しい、だけど何故かいざとなるとその言葉を素直に受け止められない。自分で自分を無価値だと思っているからだ。だから褒められても自分は本当はそんな人間じゃないと内心卑下する。
一体この思考回路は何のために身に付いたのか。私にとって何の得にもなっていない。けれどこのネガティブな思考を捨てることができない。分かっている。自分が変わらなければずっとこのままだ。だけどまだ私は自分が泣きながら誰かの生きたかった今日を無下にしてでもここに居たい理由を見つけられないのだ。
もし本当に人間の生が無条件に肯定されるとしたらそれは生きる義務だ。権利ではない。最高の理不尽だ。私にとってはこの世に生を受けたことそれ自体が理不尽だしこれまでの人生だって理不尽なことだらけだ。
他の人も多かれ少なかれこんな風に考えたことがあるんじゃないのか。みんな生きづらさを抱えながらそれを隠して必死に生きているのだろうか。だとしたら私もまた明日からそうしなくてはいけないんだろう。でも本当は、思考停止したままの自分にいい加減嫌気がさす。
3限の授業がおじいちゃん教授で「最近の若者は皆美しい顔をしてる」って言い出して何事かと思ったら、戦時中は顔に大火傷した人が多かったかららしい。だから自分の顔をブスとか卑下するな、平和の時代 に生きてる美しい顔だ。そういう顔をブスと罵るのは歴史を知らない教養のない奴だけだって。— 太一 (@taichi093) 2018年4月27日
なんかこれが良い話みたいな感じで回ってきたんだけど、
それなら顔に火傷した人はブスと罵っていいのかよ…と思ってなんかモヤモヤした。
それも否定してもらわないとちっとも良い話じゃないわ。
元キャバ嬢です。
例のキャバクラヨガで、キャバクラ扱いは職業差別ってどういうことですか?
容姿のいい子を揃えて、女の子と自由に連絡先交換、自由にアフター、それがキャバクラと言われるのの何がおかしいのかわからない。
てかキャバじゃん完全に。お酒はないけれど、色恋営業でしょ?そういう関係的なのを楽しんでるんでしょ?そういうのを売りにしているんでしょ?
もっと言えば狙ってグレーな営業の仕方をしているんだよね?無資格でマッサージって話もあるけれど。
真面目に風営法守っているキャバクラからすると、何それ?だよ。
はてぶでも擁護のコメント多いけれど、美容室とか取引先とLINE交換するしって、それは仕事だからという暗黙のルールがあるから。
美容師は色恋営業もいるし、他に代わりのいないような個人(少数)営業なら話は別だからね。
そうではなく、真面目にやっていてそれなりの数の人を雇っているようなところでということ。
スポーツジムのインストラクターだって、個人的な連絡先交換は普通はトラブルになりかねないからと禁止されているところが多いと思う。
ヨガスクールで「容姿を売りにしているインストラクター」と「連絡先交換OK」「アフターOK」は
それで、庄司さんと擁護派のいうキャバクラ扱いは職業差別って、批判している誰がどこでキャバクラを貶めているの?
「キャバクラ的な色恋営業もしているけれどキャバクラ扱いしないで」って言っている人の方がよっぽどキャバクラを馬鹿にしているよ。
作られた空間であっても時には恋人ごっこに付き合っても、お客さんが楽しく過ごしてまた明日頑張ろうと思ってもらえればいいと思う。
そう思って仕事している人たちを見下している。
話がとっちらかってしまったけれど、職業差別と別にもう一つ頭にきていることがある。
フェミニスト界隈であんまり盛り上がっているような様子はないけれど(観測範囲では)
これ、#MeTooで声上げている人たちにもものすごいダメージになるよ。こんなふうに女を都合よく使い分けているって思われていいの?
私は嫌だな。自分がキャバ嬢やっていたからこそ、そういうライン引きは必要だと思っている。
性別を売りにしている場を提供しているのなら、そういう場なんだよ。(だからといって別にだから卑下する必要もない)
健全だと言うのなら、女の部分を売りにしちゃいけない。
色恋営業でないというのなら、採用が容姿優先、連絡先交換OKアフターOKは従業員のためにも、勘違いする人を出さないためにもするべきじゃない。
ある人、大学退学処分だってよ。その事実を知ったのは、ネットのニュースだった。
彼が所属するグループは10年という時を経てやっと、やっとだ、うまくいきかけていた。シングルが年に1度出せるか出せないかわからなくて、アルバムの発売も他のグループから比べると遅かったこともあった。コンサートしか仕事がなかった時期もあった。そのコンサートで全員揃わないことだってあった。セットリストは贔屓目を入れても上手いとはいえなかった。当たり前だ。だって曲が増えないのだから。
その中で彼はグループの中だと干されだった。っていうか下手すると事務所内でも干されに入ると思う。そしてその干され具合は現在進行形で、だ。それでも好きだった。なぜなら彼は出来ないことを少しずつできるようにしていった人だったから。彼がそうやって地道に頑張る姿を見て私も頑張ろうと思えたのだ。
けれど、私は降りることを決めた。他のメンバーからの「彼は出来ない子」扱いがとてもしんどかった。他のメンバーが仕事が決まるたびに「羨ましい」その気持ちが勝った。シングルを出しても曲のソロ割は少ない、音楽番組でピンで抜かれるのだって1~2回あればいい方だった。グループ内で差があるのは仕方がなかった。それでも。それでも悔しくて仕方がなかった。私の好きな人だって、踊れるようになったし歌も下手じゃない。かっこいいし優しい。他のメンバーに引けをとらないと私は思っていたけれど、そう思っていた心が砕けた。
きっかけは、ある年から、干され組と勝手に思っていた内の1人の人気が上がったことだった。色んな仕事が増えたのは彼が大学を卒業してからの話だった。嫉妬した。彼の努力が実を結んだと理解していても、「羨ましい」と心の内で叫んでいた。もう、何も見ていられなくて、ダメだった。なんでとどうしてが頭を支配してぐるぐる回った。好きなのにストレスになっているなら彼の応援をやるべきだと思った。だから、降りた。それと同時にふと、頭によぎったのは「私の好きな人も大学を卒業したら仕事(の幅)が増えるかもしれない」という淡い期待だった。その時は、また彼の応援ができるかもしれないと思った。残念な結果になったけれど。
彼が自分に自信がないのはだいぶ前から分かっていた。だから私は、メンバーにもっと彼を愛してほしいと思った。親身になって寄り添って手を差し伸べて頑張ろうねって切磋琢磨し合う関係でいて欲しかった。決して「何もできない癖に粋がるな」みたいな言葉を投げかけて欲しいわけじゃなかった。GPSで居場所がわかるのなら「ちゃんと学校行ってる?」って気にかけて欲しかった。
きっと彼が欲しかったのは、厳しさじゃなくてあたたかい優しさだった気がする。自分を卑下しがちな彼に「そんなことないよ」「キミにだっていいところあるよ」と言い続けて欲しかった。彼がちゃんと理解し、受け止める日まで。でも、本当はそんな言葉を投げかけてあげるべきだったのは私たちファンだったのかもしれない。もっともっと好きだよって伝えて、キャーキャー黄色い歓声をあげてあげれば良かったのかもしれない。
ねえ、『キミ』へ。今後どうしていきますか?
こんなリツイートが流れてきた
防衛省が公開した陸上自衛隊の日報の2006年4月2日分である
○アジアの友人
球春到来、日本のセントラル・リーグも開幕し、春の高校選抜野球も大詰めである。ここキャンプ・ヴィクトリーでは、今なお新しく知り合いになる米国人とはWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)の話題から始まっている。日本が優勝して以来、我々も本当に鼻が高い。
しかしながら、準決勝で惜しくも日本に敗れた韓国に気を使い、韓国の連絡幹部の前では野球の話しをするのを控えていた。昨日夕食で同席した韓国少佐が期せずしてWBCの話しをしてきた。内心穏やかではないのであろうが、日本の優勝を祝福し、「本当に日本は強い。韓国は日本に10年は遅れている。」と言ってくれる。我々も「運が良かったこと」、「予選では韓国に2連敗していること」を強調する。お互いに謙遜のしあいである。
この「謙譲の美徳」は、アジア独特のものではないかと感じている。自己主張の強い欧米人からすれば何を卑下しあっているのかと思うだろう。
キャンプ・ヴィクトリーでは日本にとって韓国は「アジアの良き友人でありライバル」である。コアリション・オペレーション部内でも朝一番にきて、一番最後に帰るのは日本と韓国である。現在の日韓の微妙な関係に全く影響されず、良き友人として日韓お互いに切磋琢磨している。(黒塗り)
○雷
今朝5時半頃、「トーン」というすごい音で目が覚めた。「迫撃砲でも落ちたか?」と思ったが、雷であった。朝から断続的に雷が落ち、稲光が上空を走っている。雨も激しく降っており、キャンプの彼方此方が冠水している。
https://www.asahicom.jp/news/esi/ichikijiatesi/iraq-nippo-list/20180416/370/060402.pdf 19/22
内容で勝負してるのに関与人数であげつらわれて、
そこで「数字じゃないだろ」って反論するならわかる。味方出来る。
それで毎度その数字の根拠が怪しかったり嘘だったりして突っ込まれる、
これは単純にずっこくない?
自分達の数字の嘘に突っ込むのは悪いこと、突っ込む奴は悪い奴、って平然と誘導するよね。
突っ込む人に対してレッテルを貼って罵倒・卑下して牽制しようとする。
これ最悪じゃない?
仮に誰も数字に突っ込めなかったら
堂々と「3万人も集まった」って繰り返して事実化したうえに
それを足場にして「民意は明らか」って嘘をどこまでも利用してたよね?
そういう平然と人を騙そうとするやり方を繰り返して
数字への突っ込みに凶暴に応じてる人達ですら「実際に3万人居る」と正面から反論してない。
「数字に突っ込むのは話そらしだ」「右翼だ」という風に話をそらしてる。
自分達が数字で嘘付いてることは全員認識してる。その上で居直ってる。
これがひど過ぎる。
まずその嘘に付いて謝ろう?エビデンスベースで正しく訂正しよう?
そして、なんで嘘付いたのか動機や経緯を総括して再発を防ごう?
そのうえなら「数字ではない本当の本質」の議論にみんなも付き合える。
でも決してそういうことをしない。
「嘘がばれた後に最低限やるべき謝罪・訂正・信用回復手立て」をやりたがらない。
それって嘘付いたことを微塵も反省してないうえに、今後も隙あらば何度でも嘘付くよって予告してるようなものだよね。
「通らば通れ」って嘘付いておいて
嘘がばれたらノーペナルティで「そこは本質ではないし~」「それはそれとして~」って更に自分のターンを継続できると思ってるの
ずる過ぎるし甘過ぎるでしょ。
「3万人いないですよね」「嘘付いてますよね」に対して
「じゃあデモ自体が無かったと言うのか!お前こそ嘘を付いてる!」っていう反撃ね。
もうほんとうに、小学生の口喧嘩でも馬鹿にされるような低レベルなやり口を
「馬鹿じゃねーの」って言われたら
「デモを卑下したな!」「民主主義を軽んじた!」ってまた卑怯な話そらしをする。
高校の時いじめで不登校になって以来ずっとヒキニートだったんですが、引きこもりから脱却する目的で近所のホムセンでバイト始めて5年ほど経ちました。
最初は引きこもりでコミュ障拗らせてたのに加えて元々人見知りだったのも重なって接客は本当に苦手で、毎日緊張でしどろもどろで逆にお客さんの方が気を使ってくれる状態でした。仕事も、男性従業員の皆さんみたいに重いものたくさん運べないし、背が足りなくて届かないものを取りたくても「手伝ってください」が言えなくて、無理して脚立の天板に立って取ろうとして店長さんに大声で怒られた事もあったし本当に迷惑ばかりかけるお荷物みたいな状態でした。
でも、バイトをするようになって沢山の先輩やお客さんと接するようになってから人が怖くなくなりました。働いている中で仕事が早くできるようになった時に褒めて下さったり、人に喜んでいただける嬉しさが、人に接する恐怖に勝つようになりました。
それでも自分を卑下する癖はどうしても治らないので、代わりに自信を持てるなにかを身につけようと思い立ちバイトの傍ら簿記の勉強を始めました。一昨々年に日商3級、去年2級に合格しました。結果を仲の良い先輩に話したら、簿記2級持ってて君ぐらい真面目な子だったら結構良いところに就職できると思うよ、一生懸命やり切って結果出してるのに長所ゼロなわけないよ、と言ってくれました。
今思えば単なるお世辞か社交辞令だったかもしれないですけど本当に嬉しくて、その週の休みに思い立ってハローワークに行って、求職申込書を提出しました。初めて就職に踏み切る気になったというか、自分で努力して取った資格を活かしてみたい、って人生で初めて前向きな気持ちになったんです。先輩の言葉に背中を押してもらった気分でした。
でも就職を決意してかれこれ半年、まだバイトを辞めれないでいます。
店長さんと何度か話し合ったのですが、就職を考えていますと言うとそれならうちで社員にならない?と言われ。自分の資格を活かしたいので別の仕事をしたいのですと言うと、繁盛期に辞められるときついからもう少し待って、と言われたので了解したところ年末年始は忙しいから待って、大学生の子が就活で辞めるから今は辞めないで、そろそろ新しいバイト雇うから繋ぎだけでも、ときて今日また話し合ったんですがせめてゴールデンウイークおわるまでは居て、と言われて結局了解してしまいました。
そんなの断ってすっぱり辞めろって話なのは分かってるんですけど、断りづらいんです。
何故って、5年前は本当に何もできない駄目人間だった私をこんなに成長させて下さった仕事場ですから。自分の口から希望の仕事を言うなんて5年前なら考えられなかった事です。それに私みたいな接客も下手で業務作業もそそっかしくて、本当に周りに迷惑かけてばかりの役立たずを受け入れてくれた店長さんや先輩方への感謝の気持ちもあります。現状人手が足りないのは事実で、私が今抜けたら皆さんの負担がまた増えてしまうのも事実ですし、何よりこんなにもお世話になった店長さんたちから辞めるの待って、と言われているのに断るのは恩知らずのようですごく心苦しく思うんです。
もちろんこのままじゃ駄目だしこうやってずるずる辞めあぐねてたら一生就職なんてできないのでいい加減断らないといけないんですけどね。この先お盆までは居て、夏休み終わるまでは居て、ってまた伸ばされるのは目に見えてますし。一応店長さんが約束して下さった通り新しいバイトが入ったら辞めようとは思っていますが、迷惑にならないで円満に辞められるタイミングってないんですかね…
憶測だが尺を埋めるためだと思う。
アニメは手間がかかるから少しでもシーンを使いまわしたい製作陣の苦肉の策としてOPとEDを配置しているのでは?
声優は養成所や劇団で下積みを経験した者しかなれないためプロフェッショナルな役者として認められているのではないか。
グラドルは無論、地下アイドルやAKBグループはレッスンに力を入れていないイメージがあるので、アイドルは卑下されがちなのかもしれない。
彼女に教えられて始めた。彼女はめちゃめちゃこのパズルが得意。
全ての難易度において、スピード勝負で一度も勝ったことがない。
最高難度1つ下のパズルであれば、俺が15分かかるのを彼女は2分で解いたりする。
そんな彼女だが、何故か最高難度だけは頑なにプレイしていなかった。
理由を聞くと
「手持ちの考え方では最高難度は無理」
「というかそもそも無意識にやりすぎててテクニックを体系化できていない」
という。
俺も最高難度は触ったことなかったので初めて触ってみたら1時間かかった。
彼女に解けたと報告。
「凄い、私じゃ無理」「何故そこまで集中力が続くのか」と返ってきた。
その後、「最高難度が解けた」と一枚のスクショが送られてきた。
かかった時間は8分。
素直に感動した。やはり凄い。
心からの称賛を俺が送ろうとするよりも早く、矢継ぎ早にLINEが来た。
「実力ではない。諦めずに解ききる貴方の根性のが凄い。私は凄くない」
……非常に腹が立った。
一度彼女が無意識に実行している思考メソッドの具現化を試みた事があり
その介あって俺の解答スピードは飛躍的に向上したのだ。
それでも一時間かかった。確かに彼女の言うとおりランダム性が介入するパズルではあるが、やはり大事なのは素の実力だ。
彼女は8分で解いた。それなのに実力ではないと言う。
裏を返せば、運さえ良ければ誰でもこのスピードで解けるという意味だ。
確かにパズル開始時に運がいい!と思った事は何度とあるが、前述した通り一度もスピードで勝てたことはない。
はるかに実力を上回る人間が、それより下の人間に対して「私の実力ではない、運がよかった」などと言ってほしくない。
それを言ったところで実力差は埋まらない。敗者は惨めな気持ちになるだけだ。
という意味を込めて、「あまり謙虚になられると嫌味を言われている気分になる」「今の俺はウォーターセブンでルフィとの喧嘩に負けてチョッパーにフォローされるウソップの気分だ」と送った。
彼女は「嫌味を言ったつもりはない」と憤慨した。それもそうだ、彼女は俺の頑張りを認めた上で、その頑張りを自分の実力で毀損しないためにフォローしてくれたのだ。
その気持ちはとてもありがたかった。だが選んだ行動が俺にとって良くなかった。
彼女は自己評価が低すぎる。抑圧的な両親の下で育ち、常に自分の意思を折り、自分が我慢して生きてきた。
その行動原理は仕事でも発揮され、結果として自身のキャパを超えた彼女は心と体を壊した。
それを知っていただけに、きっかけは小さな事だが、これ以上自身を卑下する彼女の姿は見たくなかった。
その気持ちが俺の中で怒りに変わり、「嫌味を言うな」という言葉になってしまった。これは完全に悪手だった。
昨夜はお互いの気持ちを言い合い、俺がもう一度「行き過ぎた謙虚は他人に対して嫌味に取られる場合もある」といい、彼女からは「堂々巡りで話にならない」と返ってきて終わった。
ひとまず朝の挨拶と共に謝ろうと思う。
今後もこういう争いは起こるだろう。
俺が腹を立てるのが悪いのだろうか。できれば、こんな言い争いは避けたい。
この文章を見て、思い込みが激しい人であるし自己肯定が強すぎる方でもあるなと感じる。
まず、他でも指摘されているように同期全員と仲良くなるべきというのはあなたの勝手な考え。
飲み会の際に、”あまり喋らない彼らに話題を振って、なんとかその場をもたせていた”と書いているが、これはあなたの価値観の押し付けであり、しかもなぜか上から目線。
また、内輪ネタ(懇親会でもうそこまで仲良くなったらしい)と書いているが、それは内輪ネタではなくただの先ほどの話題だ。
話についていけない自分を正当化するために、相手を貶めるような表現をするのはやめた方がいいと思いますよ。
そもそも、たいして知らない相手をいきなり”やかましい”なんて(心の中であっても)形容している人と誰が喋りたいと思うでしょうか。
また、後半部分でも”一生懸命仲良くなろうとしているのに。同期だろ?”という分と、”グループごとに固まって行動する大学生活は終わったものだと思っていた”という2文が矛盾している。
後者は正しくて、別に一生懸命仲良くなって同期というグループを作る必然性はない。
別にその相手と親しくあろうがなかろうがそれぞれの業務をきちんとこなすのが社会人であるので、”一生懸命仲良くなろう”というあなたに幼さをより感じる。
また、決定的な一言だと書いている「後ろにいるやつら、なんで付いてきてんの?」という言葉も、飲み会でそれほど話してない相手が後ろをしばらく追いかけてきていたら、当然起こり得る発現だと思う。
もちろん、言い方に棘があったのかどうか私には判別できないが、他の箇所での記載を鑑みるに既にある程度のバイアスがかかってしまっているんでしょう。
加えて、自分も軽蔑の対象になっているだろうとあなたは書いているけれども、はっきり言ってそれほどの関心を持たれていないと思いますよ。
ちなみに、自分”も”という表現は、あなたも周りの人を軽蔑に値する人たちだと判断している証ですよ。
そして”変わり果てた境遇に行き着くのだろうか”って、たいして話したこともない相手に使う表現として、失礼だと思いませんか?
あと、こういう周りの環境が云々言う人に共通していることとして、あなたはその彼らと同じプロセスで同じ場所にいるという同程度の人間だということを忘れている。
もし、そんなことはないと考えるならば、文句を言わずに自分に相応しい環境にとっとと移行すればいい。
それはできない、というのであれば、あなたは結局周りにいる人と同じ程度の人なんですよ。