はてなキーワード: 卑下とは
http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2018/03/28/131451
このブログだけど、
読んでてなぜか、無性に腹が立ってきた。
できる限り丁寧に書かれている、うなづける箇所も多いんだけど、
この文章全体に漂うのは「なに目線なのこれ?」というなにか不快な気分だった。
この人は「こんな男だか女だかわからないような者をテレビに出させていただいて…」とマツコが自分を卑下するような事を言ったときに「悲しくなる」のだそうだ。
もうこういうの、こういうのイヤになる。
理路整然と説明はできないが、こういう見方をする人は、幸せの基準を勝手に設定して社会的に模範的であること(ゲイを許容する大らかさを持つ私)、
そういう気持ち良さを基盤にしてマツコを見る。
俺に言わせればマツコのセクハラが気持ち悪く感じ始めたとしたらそれは、
単にマツコが疲れてて機転が利きにくくなってるだけだと思う。
マツコは誰も代弁してないし、気持ち悪い自分をよく知っている。
整理ができないので増田に書き散らしてるがとにかく、
健全な精神で大学院を修了するために,自分が重要だと考えていることをここに述べる.
矛盾している点が多々あるが容赦してほしい.
取る時期が決まっている講義に関しては仕方がないが,修士一年の冬に重い講義を取ってしまうと研究や就活に差し障る.
就職するにせよ,博士後期課程に進学するにせよ,大学院の講義が重視されることはない.
どの大学にも普通の講義取得コースと比べてつらめのコースがあると思う.
確かにそのような講義で得るものは多いが,外部から評価されることは少ない.
基本的にどの企業も成果主義であるため,就活でアドバンテージを持ちたいのならば,やはり真っ当に研究に取り組んだほうがよい.
変に他の教員の話を聞くと,テーマがブレてろくなことにならない.
助言をもらうにしても,話半分で聞いたほうがよい.
学生が提案するテーマを頭ごなしに否定し,自分がやりたいテーマに誘導する教員は少なくない.
やたらと教員が突っ込んでくる場合には,失礼を承知で途中で話を切ってよい.
特に,自分のテーマが研究室で前例がないテーマの場合には,指導教員から有益な意見がもらえることは決してないため,早めに外部から意見をもらった方がよい.
億劫な場合には外部文献を調査し,自分の研究に文句がつかないようにするべき.
...そのように自主的に取り組んだ研究はレベルが低いものになり,教員から否定されることが多いが,修士を出るための研究だと割り切ろう.
指導教員によってはテーマではなくプロジェクトを立ち上げることを求めてくるが,研究を初めて高々1年の学生にそのような能力はない.
研究室から脈々と続いているテーマに乗っかり,先行研究を少しだけ変えたようなテーマを提案すると,指導教員は満足することが多い.
どんなに簡単なテーマでもいいので,修士1年の10月頃までにある程度の成果を出しておかないと,就活で不利になるので注意.
テーマが決まらないままインターン時期or就活に入ると,「上司と会話ができない学生」と見なされて詰みやすい.
教授が提案するテーマであるため,研究に失敗しても,降ってきた時点で修了が確定する.
変に立ち上げると軌道修正が難しい.
複数の組織の利権を上手い具合にやりくりする必要があり面倒くさい.
侵襲性の研究や予算の出どころがわからない研究の場合は特に面倒くさい.
進捗も出にくいため,取り組んではいけない.
精神が病むくらいならすぐに変えたほうがよい.
学生相談室などの外部組織を有効活用しないと,研究室変更の決定権を持つ教員から止められるので注意.
これは研究室から学生が抜ける前例を作りたくないことが多いため.
ちなみに,日本国内の論文は研究として途中なものが多いため,海外のトップカンファ漁るくらいでいいです.
ちなみにちなみに,論文の管理はMendeleyがオススメです.
変にしらばっくれられて軋轢を生むことが多いので,記録を取っておいたほうがよい.
どの企業にもインターンからの採用枠があるため,行かない手はない.
なお,やたらとインターンを否定する教員は得てして社会に出たことがない.
すぐに決まる同期を見て,自分を卑下して落ち込むこともあるかもしれないが,自分の得にはならない.
受からない人は本当に受からないので,面接本を読んで,同期に面接練習お願いしてください.
今後の人生もイキり続けるので相手をするだけで精神をすり減らす.
強く生きる
まず君が容姿端麗なら仕事をしているだけで人の役に立っている というか存在だけで役に立っている
次に機械化を進めているならこれも役に立っていると言える 作業によっては人より機会を使ったほうがよほど大勢を幸せにするだろう
さらに誰かの食い扶持を作っている場合も役に立っている 機械に負ける人を救っているからだ
あとはエンターテイメント性がある仕事はよい 変化のない社会に飽きる人が増えると世が乱れる
今の世の中個人や複数人程度の能力でなんとかなる課題はだいたい解決されているんだし、多くの人が自分の仕事に意味がないと感じてもおかしくない世の中だ 故に給料は上がらない だからって人による仕事を卑下する必要はない
増田が言いたいことはなんとなく分かるよ。
学識や教養レベルの馬鹿さのことじゃなくて、現代人としての思想的欠乏、人間性における愚劣、のようなものを指しているんだよね。
増田の、自分を卑下したように見せたそばから、日本人という自分を含む大きな括りで「お前らもだ」という圧をかけてくる、その巻き添え根性から滲む醜さ。矛先がとっ散らかった取り留めのなさ。馬鹿な読者に注目してもらうための、クリックベイト的タイトルおよび本文を短くする計算高さ。
俺も、続けて「ブコメの奴らは何も分かっていない阿呆だらけ。読解力に乏しく、自分の頭で考えることをせずに、ブコメの流れに影響されたコメントしか書けないような、表面しか見られない能無しの見本市だ」などと書けば増田に比肩できるかもしれんね。
いや、まだまだだな。
まず君が容姿端麗なら仕事をしているだけで人の役に立っている というか存在だけで役に立っている
次に機械化を進めているならこれも役に立っていると言える 作業によっては人より機会を使ったほうがよほど大勢を幸せにするだろう
さらに誰かの食い扶持を作っている場合も役に立っている 機械に負ける人を救っているからだ
あとはエンターテイメント性がある仕事はよい 変化のない社会に飽きる人が増えると世が乱れる
今の世の中個人や複数人程度の能力でなんとかなる課題はだいたい解決されているんだし、多くの人が自分の仕事に意味がないと感じてもおかしくない世の中だ 故に給料は上がらない だからって人による仕事を卑下する必要はない
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「お便りです」
詩織「ラジオネーム、押忍は便利で役にたつ略してオスベンさんからいただきました」
愛海「念のため指摘しておくけど、この番組に独自の挨拶はないからオスベンさんの気がどうかしてるだけだよ」
詩織「こんばんらぶみー」
愛海「のるんだ」
詩織「突然ですが、ラジオのメールで別の番組の話をするやつって滑ってますよね」
愛海「うん!」
詩織「それはそれとして」
愛海「読み方! それなに? メールにどう書けばそう読んでもらえるの?」
詩織「キャンディアイランドの双葉杏は今日もガチいませんレイディオで、緒方さんが愛海ちゃんとご飯に行った話をしていました」
詩織「緒方さんサイドからは愛海ちゃんのうひひっ! な部分が見て取れなかったのですが、そんな愛海ちゃん愛海ちゃんしてない愛海ちゃんに失望しそうです。本物ですか? お答えください。
だそうですけど……
本人?」
愛海「本人だよ! 女の子のやわらかーい部分には夢が詰まってるよぉ…ふれあいたい…。
ほらね?」
詩織「そんなデビュー直後だか直前だかのセリフを自信満々に演じられても……
それで…… 智絵里ちゃんから見るとあなたはうひひがなかったようにに見えてたそうだけど…… どうしたの…… ふれあいたいじゃなかったの……」
愛海「ふれあいたいよ! でも、その日は握力がなくなったかと思うぐらい疲れてたから」
詩織「はあ…… ナニしてたのよ……」
愛海「してないよ! ゲーム! 智絵里ちゃんの好きな太鼓の達人を一緒に遊んで手が疲れたの!」
詩織「ふーん……」
愛海「それで、ファミレスでご飯食べて夕方の6時ぐらいには解散したの、健全でしょ! 合法でしょ!」
詩織「そもそも仮にあなたが智絵里ちゃんと何かしたとしても合法は合法だし健全は健全よ…… あなたそういう自分を卑下するのやめなさいよ…… いや、条例とかにもしかしたら引っかかるかもだけど…… 別にそれをもってあなたのみを違法とあげつらわないから……」
愛海「う、うん」
詩織「それで…… なに…… ガチなの……? ガチ恋勢なの……?」
愛海「違うけど」
詩織「へー…… じゃあそもそも、なんで2人で休日遊んでるのよ」
愛海「遊ぶぐらいするでしょ!」
愛海「でしょ! それに、これは夏ごろにあるお歌のお仕事のために交友を深めておくためで、仕事の一環でもあるんだよ」
詩織「……まあ、あなたなりのペースで自分の気持ちに向き合えばよいと思うわ」
愛海「うう、本当に違うのになんかそういうノリにされてる」
詩織「別に智絵里ちゃんとどうこうとかじゃなくて…… 正直、あなたには特定の1人が早く見つかればいいなあ、と素直に思っているのよ……」
詩織「いやよ……」
ツイッターをながめてると、同じジャンルで活動してる絵描きさんのRTやいいねの数に愕然とすることが多い。
文字と絵なんて土俵が全く違うんだから比べるだけ無駄だとわかってはいるが、同じくらいの時間をかけて作ったものの評価がこうまで違うのかと落ち込んでしまう。
常々文字書きに人権などない、と思ってやり過ごしてはいるけれど、文字書きに人権がないんじゃなくて私に人権がないだけだ。
純粋に私が下手なだけだ。
でも「下手です」なんて言うとごく稀にほめてくれたり、好きだと言ってくれる人をないがしろにするから言わないし言えない。
なんて言いながら本当に下手だなんてこれっぽっちも思ってない。
自分の文章は自分が作った料理と同じで味がわかってるし、好みの具材しか入れてないから、嫌いじゃないしむしろ好きだ。
評価されたり褒められたり、見てもらえることが少ないからふてくされてるだけだ。
かと言って宣伝なんてとてもじゃないけどしたくない。
そこまでして読んでもらうものでもない。
宣伝して「あれほど大口叩いて内容これかよwwwww」って草生やされることに耐える自信がない。
でも誰かに見てもらいたい、褒めてほしい、いいねって言ってもらいたい。
最近、無い物ねだりが多すぎて、自分の強みや魅力がわからなくなっている。
私は最近少しお金に余裕ができたので、アイコスを購入して吸っている喫煙者だ。
ここ三日くらいアイコスのみで喫煙をして、独特の風味にも吸い方にも慣れて来た頃だ。
アイコスで喫煙すると普通の紙巻きたばこには戻れないと聞いてあえて紙巻きたばこを購入して吸ってみました。
アイコスではメンソール、紙巻はKOOLの12mgを吸っています。
意外とヤニクラも来ないし、以前に吸ってた時よりもちゃんとタバコの味を楽しめているのでどうしてかを真剣に考えたいと思う。
アイコスという機械の性質上、煙を多く出すためにはクールスモーキングを意識しないといけない。
理由は、中のブレードの温度が過度な喫煙のせいで下がり安定した吸引ができないので、ゆっくりとまさしく初心に戻った時のように熱いスープを飲むイメージで吸わないといけない。
それが紙巻の時も自然とできていたのか、うまい煙を吸引できていたのかもしれない。
そもそもなぜ戻ることになったかというと、アイコスでは若干満足していなかった瞬間があったから。
アイコスで喫煙という行為、ニコチンを摂取しているという行為は満たしてるものの、やっぱり紙巻きたばこの煙が吸いたい瞬間がたまにあった。
もともと強いタバコを吸っていたこともあってか、アイコスくらいの煙の濃さでは体は満足してなかったのかもしれない。
以前はJPS、アメスピなどコロコロタバコを変えていたが、どこかヤニクラがしたり、あまり美味しいと思えない時があった。
しかし、KOOLという銘柄が自分の体に合っていると発覚してからKOOLのみを常煙して、ひどいヤニクラ起きずに美味しく吸えている。
もしマルボロだったら話が変わっていただろう。
・休煙期間が頻繁にある
自身のことをヤニカスと卑下することもあるが、家では吸わないようにしている。
家族が嫌煙者で、タバコの臭いに敏感なので、私はタバコを吸っていないと嘘をついてるので家ではVAPEでごまかしている。
家を出ない日が三〜四日あったりする日もあるのでその間はタバコ自体を絶っている。
外に出て吸うとしても一日平均で6〜8本、飲みの場などでも多くても半箱程度なので、完全なニコチン漬けになっていない。
そのことも由来になっているのかもしれない。
結局これからどうするのかというと、アイコスも紙巻も半々くらいで使い分けていこうと思う。
アイコス自体にも、臭いが少なかったり、非喫煙者でもアイコスならいいよと言ってくれる心が広い人間がいるので、そういう場所ではアイコスにしようと思う。
しかし、一度電源を入れると20秒くらい待ってから約14回吸うか、6分ほど待たないといけないため吸う時間が結構かかる。
それを考えるとパッと吸ってパッと消せる紙巻きたばこにも多少のメリットがあるかもしれない。
TPOを弁えて、ケースバイケースで切り替えられる喫煙者がこれから一番賢い喫煙者なのかもしれない。
いやいや、タバコをやめるのが一番賢いだろ、これだからヤニカスは…
と書かれそうなので一応わかっていることを予防線として記しておく。
初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。
最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます。
上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。
感想もあまりもほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。
たまにもらう感想で心がほっこりし、自分の欲求を満たすために小説を書いています。
そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。
卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。
ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。
ある人は毎日空想をします。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます。
もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます。
ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます。
私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。
空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。
多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います。
もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います。
素晴らしいことです。
他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います。
それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。
その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います。
人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。
ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為そのものなのだと思います。
絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います。
誰かが何かを書いた時、絶対に馬鹿にしてはいけないと思います。
委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。
ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。
間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。
よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます。
ジャンル場所問わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。
どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。
初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。
最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます。
上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。
感想もあまりもほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。
たまにもらう感想で心がほっこりし、自分の欲求を満たすために小説を書いています。
そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。
卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。
ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。
ある人は毎日空想をします。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます。
もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます。
ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます。
私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。
空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。
多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います。
もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います。
素晴らしいことです。
他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います。
それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。
その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います。
人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。
ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為そのものなのだと思います。
絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います。
誰かが何かを書いた時、絶対に馬鹿にしてはいけないと思います。
委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。
ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。
間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。
よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます。
ジャンル場所問わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。
どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。
私は昔から若く見られる人だった。
20代の後半でも、美容院では学生に間違えられたり、居酒屋で年齢確認をされたりなんてザラにあって、
久しぶりに友人と会うと「もうそんな歳になったの?」なんて驚かれるくらいだった。
自慢しているわけではなくて、基本的に眼鏡だし、ヒールなんてめったに履かないし、貧相な身体だし、
今年の新年会で昔話に花を咲かせていたら、10年来の友人の男の子から
「お前も老けたよなあ」と言われた。
「そりゃあ今年30になるんだから、老けるに決まってるじゃん!」と笑ってその場は収めたものの、
次の日にはセンター分けだった前髪をぱつんと切って、少しでも幼い見た目であろうとする自分がいた。
「もうアラサーだし」「ばばあには辛いよ」
そんなことを言い合って、女子会で笑い呆けていた。
でも自分でもなく、近くの女子友でもなく、同年代の異性に言われた「老けた」という言葉が、
私は凄くショックだった。
この見た目の若さに甘えていたんだなあと思った。
人は「惨め(みじめ)」という言葉に敏感だ。
シミやシワには怯えながらも、若作りするような人にはなりたくないと言う。
40代や50代になって「今でもかわいいとか、綺麗って言われます」みたいな人とは距離を起きたいし、
若い女の子というだけでちやほやされていた時代から、若い子をちやほやする側へのポジションチェンジができずに苦しむ人を見て、
ああはならないと心に誓う。
なぜって、惨めだから。
でもこんなにも忌み嫌う「惨め」の範囲って、本当はすごく曖昧で分かりづらい。
私には若作りして痛々しく見えたとしても、
その人にとっては年老いた格好をすることのほうが「惨め」なのかもしれない。
実年齢にしては顔の皮が引き伸ばされていて違和感があるように見えたとしても、
その人にとっては自分の顔にシワがある方が「惨め」ってことなんだろう。
自分の「惨め」の基準がマジョリティかマイノリティかなんて、誰にも分からない。
ただ、私がどれだけ悩もうと、老化は止まること無く進み続ける。
30歳という年齢は、見た目や若さの基準から一歩外に出る機会を与えてくれる年齢なんだね。
今まで見た目や若さでアイデンティティを保っていた人には辛いけど、
そしてその自信は、他人から認められることでしか、得られないんだよなあと思う。
結局そこだよね、いつもそこ。
どんな自己啓発本も結局、
「他人の幸せを考えよう」「与えられることを考えよう」みたいな話に落ち着くんだよ。
できたら苦労しないっつーの。
なんか「ちんこ」を馬鹿にするっていうか、男性が男性器をネタにするコンテンツってよく見かける気がするんだけど
正直な話そんな男性器のこと卑下したりからかったりしなくてもいいのにって思う(それは女もまたしかりなんだけど)
つまり言いたいのは、性別関係なく性器で笑いを取らなくてもいいんじゃないの?ってことです
うーん
私はある大人数アイドルグループが好きだ。中でも推しは歌っている時は愛らしく麗しく凛々しいのに一度緊張がほぐれると普通の女の子に戻るところまでが完璧だと思う。アイドルという素晴らしい世界を教えてくれたのは紛れもなく推しだ。はぁ好き。
でも私が5年間好きだった人は推しではない、
彼女と推しはどう見ても似ていなかった。髪型も好きな音楽も趣味も全くの正反対、共通点といえばアイドルには勿体ない程の美貌と年齢ぐらいしかなかったと思う。
それでも、いやそれだからこそ推しも私も彼女の事が好きだったのかもしれない。人は自分に持っていないものを持つ人を好きになると聞いた事がある。
雑誌やブログ、モバメにSNSでは常に推しからの「○○大好き!」が発信されていた。
村番組中で萌え台詞を言わされた彼女にいち早く「カワイイー!」と叫ぶのもいつも推しだった。
だから握手会に行けば、推しとは彼女の話をする事が1番多かったように思う。今考えれば変な話だけれど。
もっと奇妙なのは、私は一度も彼女の握手レーンに並ばなかった事だ。推し以外のレーンに並ばない忠実オタなわけでも、話すネタがなかったわけでもない。ただただ純粋に「好き」だった。
「○○レーン行ってみたけれど、同じぐらい美人で気さくだったから行きなよ」
と言われることもあった。
直前まで行こうか悩んで何度も頭の中で予習してみたりもした。羨ましくて死にものぐるいでレポをあさったりもした。それぐらい話したかった。でも駄目だった。
顔はとっても小さくて目は吸い込まれそうらしいし、意外と小柄なんだって。あぁきっとこの世界の誰よりも美しいだろうなぁ。
テレビの中で誰よりも綺麗な彼女を見ながらそう思った。本当に、私は彼女の事を一方的に眺めるだけだった。5年間もずっと。
それでもただ熱に浮かされたように求め続けた彼女の事で頭がいっぱいになった。
短く切り揃えられた髪の毛も
それを「似合わない」と卑下するのも
艶っぽい表情をしたかと思えば
年相応に無邪気にはしゃいでいる姿も
みんなと違うものを好きだといえるのも
些細な疑いですら必ず晴らそうとするのも
「男の人が好きなんだ」と常から言い、1mmの夢も見させないところも
全部全部全部全部全部全部好きだった。
髪をかきあげる仕草 照れ隠しのプク顔 サラッと履いただけのTシャツとジーンズ 諭すような話し方 ワイプでのじゃれあい フフフッと口を隠す笑い方
全てが私の心を揺さぶって忙しくさせた。もうダメだった。どこが好きだとかが言えなくなったらそれはもう恋なんじゃないだろうか。
それなら
私は彼女に恋をしている、今もまだ。
まだ今は、私の彼女に対する想いは憧れの拗らせに過ぎなかったとは思いたくない。
それは今も変わらない。