長らくミサンドリーなのかと思っていた感情の正体がわかったかもしれない。
自分、知人女性、はたまた二次元の女性キャラクター、女性芸能人、あるいは女性全体などに男性がみせる反応のうち、時折ひどく不快に感じるものがあった。それは相手を性的に消費していることを示唆するものがほとんどだったので、てっきりこれは異性の性欲に対する不快感なのかと思っていた。自称フェミニストの使う「まなざし」という概念は言葉遊びに基づいた言いがかりに感じられ好きでなかったが、しかし一方で男性に対し不快感を覚える自分も潜在的に少なからず「まなざし」を嫌っているのか?と悩んだりもした。が、たぶん違う。さっき気づいたばかりなのでこれも正しいかわからないが。
おそらく自分は「性的消費対象に敬意がない」ことが不快なのだ。女性ファンの多い趣味の界隈にやってきて「よっしゃ!出会い厨したろw」とのたまう男性、本人は冗談のつもりなのだろうが、実行しなくても非常に気持ち悪い。自分と男女の仲になってくれれば誰でもいいですよ!というスタンスは要するに相手の中身はなんでもいいですという表明と同義だし、ハンティング対象だと宣言するのはつまり「獲物」としてしか見てないということだ、人間扱いではない。自分の好きなキャラや芸能人など、いわゆる「推し」を過度に落とす風潮も不快だ。顔はブスだけど体はシコいと言ってみたり、おバカ扱いして説教してみたり、「素直に射精です」と性的に見ている事実をネタにすることで笑いをとろうとしてみたり、これがプライベートな知人だったらとてもできないだろうと思うような節度のない扱いを実際に見かける。いや、こういうことをする人たちは知人であっても親密になった相手なら同じような態度をとるのかもしれない。より一層おぞましい。
考えてみれば、性的消費ネタは男性が圧倒的に多くわかりやすいので「ミサンドリーかも」と思っていただけで、似たような事例で女性が発言している場合も普通に不快だった。推しをブスだバカだと貶すような表現をしておきながら最後に「でも好き」と言っておけば許されると思っていそうな、「こんな欠点のある彼だけど私は好きなんですアピール」はむしろ女性のほうが多いかもしれない。これは言い方にもよるのだが、仮に発言者が本当にブス専だった場合「こんな奴があなたのことを好きになってごめん」といった本気の謝罪や自己卑下が混ざってくることが多く、これは対象に心から敬意を払っているのが理解できるのであまり不快にはならない。仲間内のためのポジショントーク的に「貶し愛」が使われる場面もしばしばありひたすら不快の極みである。
では自分は好意を持った異性に対してどうなのかと振り返ると、基本的に「惚れた弱み」が強く、○○なところは欠点にも思えるけど、でもこうやって捉えると良さでもあるので、やっぱり好きだなあという表現になっていた。本人が明らかにイジられ待ちの発言をしたときはそれに乗ることもあるが、これは後から見ると蔑んでいるようにも受け取れるので自分の発言でもやっぱり若干不快だ。このように自分の中である程度整理がついたところで、今後も自分の倫理観に則した表現を心がけようと思う。とりあえず男性嫌いというわけではなさそうなので安心した。