はてなキーワード: 全面的とは
例え相手が全面的に悪いこととしても、話し合うことを放棄して、相手の考えも知らずに一方的に晒してしまうのは危険だと思う。
みんな環境が違うので、その人の所属では常識と思うことが世間の常識とはズレていて、悪意がないのに失礼なことをしてしまっているなんてケースは多そう。
例えば最近では相手を攻撃する意図がなくとも、ちょっと同情誘うようなツイートして多数が味方についてしまえば、相手を追い詰めることができてしまう。
「人は分かり合えないけど、理解する努力はすべき」というのはどこの言葉だったか思い出せないけれど、数や世論の暴力で人を追い詰めるより先に相手の意見を聞く世界はどんな世界だろう。
2階なんて概念のないかと思えた私の保育園で、長くて細い、行き先の見えない空間はより記憶に残りやすい。
その中間地点は、雑多に置かれた、用途が明確でないもので溢れていたのだ。
この部屋の近くには、とある男が眠っている。
誰かが「ドラキュラ」と言う。
もちろん、聞いたことのない固有名詞で理解できるほど察しのいい人間はいない。
鋭い牙、鋭い目つき、語られる陳腐で断片的な表現は、私たちにはむしろ効果的だった。
想像力に常識なんていらない私たちは、隙間を勝手に埋めていき、それぞれのドラキュラを作り出すからだ。
もちろん、いくら私が子供だったとはいえ、先生の話を全面的に信じていたわけではない。
なぜ保育園にドラキュラがいるのか、いたとして、なぜわざわざそんなところで紙芝居なんてやるのか。
そんな疑問は当然出てくる。
けれどもその疑問の解消に努めなかったのは、有り体にいえば怖かったということなのだろう。
あの手この手で保育園内を一通り探索した好奇心旺盛な私でも、その欲求を満たそうとは思わなかった。
今の私は、当然ドラキュラなんて信じていない。
あそこで、私の作り出したドラキュラは眠り続けたままなのかと。
やっぱり、あの部屋も探索しとけばよかったという未練が、意外にも燻っていたんだなあ。
先日、職場で普段はあまり仕事しない人と組むことになった。(仮にAさんとする)
Aさんは、かなり細かいところまでこだわりを持って仕事をする。
仕事だし、それは当たり前のことなのだが、時にそれがAさん自身を追いつめたり周囲をうんざりさせたりしていた。
先日の作業で私がやるのは簡単な作業のはずだったが、とある事態が発生したために簡単ではなくなったのだ。
作業するのに必要なデータが届かず、代案でやることに決まったときに、ああこれダメだと直感したのだ。
この感覚は初めてではなかった。
私が配属されたときに、Aさんが担当していた仕事を引き継ぐことになり、指示をもらいつつ必死に進めていたのだが、
Aさんは、なんと途中で体調不良ということで長期間の休みに入ってしまったのだ。
その時点でまだ全体の3分の1しか引き継がれていない状態で、半ばパニックに陥りながら作業をしたのだ。
その時と違ってAさんはいるというのに、なぜか同じ感覚になった。
なんかややこしいことになりそう、と。
結果として、予感は当たった。
Aさんの指示と、作業内容がかみ合わない箇所がいくつも出てくる。
提出の段階になって、最初に言っとくべきだろうというようなことを言ってくる。
私はAさんの顔を見ることができなかった。なぜか?
疲れ切っていたからだ。まあ、カチンと来ていたのもあるけど。
今回の件について話をしたいらしいが、どう答えたものか。
正直、もう、私が全面的に悪かったでいいから、話とかしたくないんだが。
私も、初めての人と組むときがあるからAさんの大変さはわかる。
でも、なんかAさんとは仕事したくない。
私の彼女は事実上の援助交際をしている、らしい。最近教えてくれた。
色々な相手がいて、その人たちとどういうプレイしたかみたいなことを平気で私に喋ってくるから、私はたまったものじゃない。
私が狼狽えるのを見て楽しんでいるのか、それとも彼女だと思ってるのは私のほうだけで、彼女の方は私のことを単なる援交相手の1人だとしか思ってなかったのか…。(そういえば少し奢ったりしてたが…)
それはわからない。
でも私は今も彼女が好きだ。
それは今も変わらない。
こうなってから思うのは、いわゆるセックスワーカーの人たちに対して社会はどうするのが正しいのかということである。
→その仕事をやめるように説得する
②本人がその仕事に誇りを持っていて、自ら進んで仕事をしてるとき
④本人が望んでいない仕事だが、すぐには代わりの仕事を探すのは難しいとき
→せめてその仕事が安全で、周りの人達から差別されないように支援する。
こんなところだろうか
これは最近話題のAVの出演強要問題にも参考になるのではないかと思う
AVなんか見てるとプロ意識を持って努力してる女優さんなんかもいて、とても尊敬してる。
一方で③、④みたいなケースもあるのかもしれない。
いくらAV女優がテレビに出るようになって、以前よりかはオープンに明るく語られるようになったとはいっても、まだまだ差別は強い。
そして直接身体を売る人たちにもこれの区分は当てはまると思う。
例えば北欧などではやはり貧困から④のパターンの路上セックスワーカーが多いらしく、政府が安全な「ヤリ部屋」を提供するなどの政策が取られているらしい。(批判も多いが…)
精神的な病でなかなか働けず、ちょっとしたおこずかい稼ぎのためには「売り」をせざる得ない。
まあ多少は楽しんでるところもあるっぽいから、全面的に擁護できるわけじゃないけどw
でもまぁ、今はできることは支援したいなと思ってる。(ピンチのときに駆けつけるなど)
本音をいうと早くやめて貰いたい…。
彼女のほうも、できるならそんなに続けたくないようだ。
だからこそ、さっきの4つのパターンを念頭に今の彼女を最大限尊重していきたい。
セックスワーカーは原始の時代より、人類最初のサービス業として存在したと言われている
彼女ら彼らのおかげで欲求不満が発散され、社会の維持につながってきた可能性は大きいと思う。
なるべくならお互いに尊敬できる世の中がいいと思う。
「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」
とか考えてる人
法律が、普遍的善悪の基準と完全に被さっていなくて、そこからはみ出た部分(A∪B-A∩Bみたいな??)が犯罪になるのよね
普遍的善悪の基準って言っても、人間は神様じゃないから本当は普遍的でも何でもないんだけど、生きてる限りは自分なりの正義があって、だからこそ面倒くさいんだよね
まあ、各自が想像する任意の普遍的善悪の基準に当てはめてもらっていいんだけど
この前、視覚障害者が店の予約?入店を断られた?ってニュースあったじゃん
その時に、コメントの一つに、「障害者差別解消法に定める合理的配慮に反しています」ってコメントがあって、うーんって
じゃあ障害者差別解消法がなければあなたはどういう武器で店を責めるの?
「何人たりとも差別されるべきじゃない、出来る限りの配慮をしたうえでの入店拒否なのか?」って言った方が、論理的にしっくりくるし、法律を武器にするのは時として悪手になる
見方として、法律が普遍的善悪を過不足なく包摂していて、過不足なくその基準になってるって盲目的に信じ込むのは、危険だし、そう信じ込めること自体が、幸せであることの証左な気がするなあ
そもそも論として法律は普遍的善悪の基準じゃなくて社会の行動規範って言われればそれまでなんだけどね、もちろん、そういう面があるのも事実だけど
「自分は悪いことをした」と「自分は社会を乱した」はトータリーイコールにはなりませんよねえ
所与のもの(既存の在り方、既成概念)を疑うことが、なぜか法律だけにはなかなか適応されない(される場合でも、性犯罪(セクシャリティ)の問題など、非常に感情論的な疑い方にすぎない)事実は、あるんじゃないかなあ??
たぶん大人になってから一人で台所にいれてもカレー一つ一人でできません。
このあいだのカレー作りを親とのいい思い出として覚えてはいますが、
高校で思春期になりアイデンティティーだの性欲だの遠慮だの見栄だの、
余計なものがでてくると
それはもう大変な混乱に陥るのです。
3歳帰りすることもあり得ます。
これから社会性を身につけるためにもう一度生まれ直すんですよ。
そこを通り抜けた大学生でまだ料理が得意になれそうな様子だったなら、
もう一度ここにきて、以下の文を読んでください。
==========
ご友人のコメントも的外れですね。たぶん、自分のお子さんとあまりに違うとおもったのでしょう。
それとも一生一人暮らしするかどうかは息子さんが選ぶことです。
子供に世話はかけないつもりだが
助けの手も差し伸べられなくなるのはすぐそこ。
そういってあげるべき時期では。
やる気があればスマホでクックパッドを見てなんとかやっちゃうから大丈夫でしょう。
結構最後まで難しいからできれば補ってあげたほうがいいとおもいますが、
http://anond.hatelabo.jp/20160627000718とhttp://anond.hatelabo.jp/20160913044251を見てて思ったこと書く。お二方に全面的に賛成。
とにかく「察せ」のレベルが高すぎる人が多い。
嫌なら嫌というべきだし、好きなら好きといえば良い。仮に直接言葉にできなくとも、せめてなんとなく類推できるような言葉はあるはずだ。
それを、たとえば、本当はあることをやりたいのに明確に「絶対にやりたくありません!」と断言してしまえば、周りがそのまま思ってしまうのは当然であり、「自分は本当はやりたいのに察してくれない」と怒ったり、まあただ怒るまでならともかく、察せれなかった人を過激な言葉で攻撃するのはどうなんだと。
一応、「察する」ことができなかった人は、その人にどういうことなのか、と質問をしたりする。しかしこれに対して一部の人が「察せ」とだけで答えず、仮に自分の思うとおりに行ったとしても質問行為自体を攻撃するのは疑問に思う。そもそも、誤読や誤解なんてよくあるのが現実だし、それを危惧して質問をすることの何が悪いのか?
「察せ」はあくまで、文章を客観的に読んだ結果、日本語の論理構造として類推可能な範囲でのみ要求されるべきで、それでも類推を失敗する人がいる可能性も少しは想定されるべきと思う。さらに言えば、類推失敗した人へも、多少は穏やかな形で訂正があるのが理想で、少なくとも即攻撃に向かうというのはどうなんだと。ましてや、心を読むことを要求レベルの「察せ」などそもそもあまりするべきではない、どうしても必要があってする場合でも、失敗した人を過度に攻撃するのは控えるべきなのではないか。
勿論「自分は察せれるから察します」はまあ個人の自由だ。しかし、察せれないと自覚している人が、察せれないから明確な言葉を引き出すために質問をしているのを、それ自体とんでもない発言とでも言いたげに攻撃し続けるのが正しいとはとても思えない。
誤読を防ぐために、解釈の余地のないようにしっかりと明示した説明を書く方もいて、そのようなスタンスが比較的良いと思っているのだが、こういうのに対してわざわざ誤読を防ぐための努力そのものを攻撃するというのも不快である。コミュ力抜群な方からしたら、どうしても空気が読めない人に敵意を持ってしまうというのは十分理解しているが、できないことを過度に要求するのは、余計な対立を生むだけではないのか。
結局言葉にされていないことを読み取るのは不可能なんだってそろそろ気づいてくれよ、と思う。
勿論、言葉にされてることも完全には読み取れないってのも。
なお、元記事は読んだが「空気」を読まずに書いたこのダイアリーも、元記事の誤読も含まれるだろうし、それこそ一部の人からしたら相当批判されるべきものと扱われるだろうということは自覚していることは明記しておく。
以前4th MEDIAというネット経由の動画配信サービスに加入していた。
家族が「ヨシモトファンダンゴTV」というお笑い専門チャンネルを見るために。
わざわざ4th MEDIA専用チューナーの搭載されているテレビも買った。
結局、半年も見ることが出来なかった。
それから数年後、私がネット料金等を支払うことになり名義変更を行ったところ
「ひかりTV利用料」なる謎の料金を払い続けていた事が発覚。
家族の誰に聞いても契約した覚えがなかったためSo-netに聞いたところ
「4th MEDIAをご利用だっため自動でひかりTVに移行しました」との事。
一度も見たことないし、そもそも4th MEDIA専用チューナーしか
契約したつもりはない、と抗議したところ
俺「チューナーないからそもそも見れないし。ほんとに継続したい、なんて答えた?」
So「お返事が頂けなかったので契約に同意した、と判断しました」
俺「返事しないと契約なんて詐欺じゃん。チューナーないんですよ?見れないんですよ?」
メールを見た覚えもないのに、メールに返信しないと自動契約って…
So「毎月ひかりTVの会報誌を送ってるはずです。受け取っていただいた時点で契約が成立します」
と反論された。
ネットで調べてみると確かに存在はするらしいのだが、やはり家には届いてない。
So「ひかりTVに住所変更の連絡されていないようですが?」
ここで事態を把握。
4th MEDIAが終了したタイミングでちょうど我が家は引っ越しをした。
もちろんSo-netに住所変更手続きは行っていたのだけれど、
ひかりTVにも直接住所変更をしないと会報は届けられない、との事。
契約したつもりのない会社に住所変更手続きって無理ゲーじゃん。
結局会報誌は引っ越し前の住所に送っていたらしく、宛先不明で送り返されていたそう。
そのタイミングで電話一本でも連絡くれたらその時点で気がついて契約停止処理が出来たのに。
So「会報は不要と一方的に判断し、郵送は停止していました」と非を認めた。
これである程度は返金してもらえそうと思っていたら、なぜかSo-net法務部からいきなり書類が届いて
So「会報を送っていないのは認めるが、毎月の引き落としに疑問を持たず、
支払い続けていたあなたの家族が全面的に悪いのだから返金には応じない」
何か大きな力が動いたようで、話は決裂。返金には応じてもらえなかった。
残念。
So-netと契約している方は、どうか今一度契約内容をご確認ください。
追記
相談員さん、専属弁護士さんとも話したのですが、センターとして返金交渉はしてみるけど法務部が出てきているから応じないだろう、という見解だそうです。
裁判沙汰にすれば、互いに過失があるので全額は難しいが一部返金の可能性はある。ただ仕事を休んでの出廷や、弁護士費用を考えると割には合わないよ、とのアドバイス。
相手の親が割と離婚阻止しようとしてるみたいだけど、親が全面的に自分の味方をしてくれないことを俺にLINEでグチってきて、俺がフォローしたらなんか満足してる妻の精神構造がもうよくわからない。
ウチのケース
1.仕事イヤ
→イヤすぎてなんか体調悪い
2.でも旦那があまり同調してくれない、仕事はやっぱりイヤ(「まあ好転しなさそうなら辞める算段つけていってもいいのでは?」では同調したことになってなかった。)
→抑うつ状態で診断が出る(鬱病ですとは言われないけど不調で生活への支障はめっちゃ出る感じ)
3.ここまで体調崩すならヤベェなと思って「もう辞めたらいいんじゃない?」とか言うけど既に耳に届かないしノーカウント
→ずっとろくに動けないので休みがちになり、本人の意思というよりどうにもならなくなって退職
4.鬱っぽくなった理由の本人の認識が、職場のストレスより理解のない旦那の方が大きいと言い出す
それほどまでに共感が得られないと生きていけない人間だったのか、
もしくは単に家にいる時間が長くなって仕事からはストレスを受けにくくなって、逆に家族とは接触時間が増えたからな気もするけど、実際はよくわからない
→(最初に同調してくれなかった)理解のない旦那といると気が滅入って症状が重くなるので実家に帰って別居療養、ずっと寝てるらしい
別居療養に踏み切る際に色々と言われて
俺「大変だねとか変な人だねとか言ったと思うけどそれは違うの?イヤなら辞める準備すればとも言ったけど?その時点では身体症状もここまでひどくなかったし」
俺「寝込むことが増えたあたりから辞めた方がいいんじゃないとは言ったし、病院に行き出してからは辞めることにネガティブな反応はした覚えないけど?」
んだよそれめんどくせーなぁ、まあ別居して体調良くなるなら好きにすれば?って感じになったので、なんかこのままだとさらっと離婚しそう。幸い子供もいないしね。
相手の親が割と離婚阻止しようとしてるみたいだけど、親が全面的に自分の味方をしてくれないことを俺にLINEでグチってきて、俺がフォローしたらなんか満足してる妻の精神構造がもうよくわからない。
先日、ミニストップに行く用事があったので旦那と子供と行ったときのこと。
駐車場に着いて、私は車の中で子供を見てるからと、旦那1人で用事を済ますことに。
その際、ミニストップのアイスが食べたいと思ったので、「アイス買ってきて」とお願いした。
なんの、と聞かれたので、ジェスチャーでペロペロとする仕草で答えた。
数分後、旦那はソフトクリームの形状のアイスクリームを買ってきた。
なんで。
私はミニストップでしか売ってない普通のソフトクリームが欲しかったのに。
旦那の言い分はこうだ。
アイスと言われて、ソフトクリームのことかと思ったけど、お前がアイスと言ったから言われたとおりアイスを買ってきた。
確かに、私はアイスと言った。
ソフトクリームとアイスクリームの違いは知っていたが、このときはアイスと言ってしまった。
これは私の伝え方が悪かった。
ジェスチャーも良くなかったと思う。
疑問点はふたつ。
なぜ、ソフトクリームのことかと思ったのなら確認してくれなかったのか。
なぜ、ペロペロというジェスチャーでソフトクリームの形状のアイスクリームを買ってきたのか。
ちなみに、イヤミでわざと買ってきたわけではないらしい。
本当に、単純にアイスと言われたからアイスを買ってきたのだと言う。
お前の家に行って1億人がゴミかどうか多数決で分別したらお前はそれを全面的に従うわけ?
多数決でクソ扱いされたコレクションやゴミレベルの賞や勉強や仕事に不要な趣味物とか
思い出あるけど汚くなった服とかそういうの全部マジョリティがゴミ扱いしたらゴミにしていいの?
お前は実生活で一般常識や多数派意見をどれだけ参照して生きていってるの?
この場面ピンポイントでだけ利用者数が多い多数派は絶対正義だって言ってるの?
金が介在すると意見が変わるっていうならお前の正か負かって金基準以外にはないの?
ならなんで無駄な趣味に時間かけてるの?なんで増田やってるの?
金基準ならコスパ悪い子どもも家族も必要ないと思うんだけど一生結婚しないつもりなの?
「このままでは地球温暖化が進み南極の氷が溶け水位が上昇し全人類がヤバい」
「このままでは地球が氷河期になったとき食料の備蓄が無さ過ぎて人類がヤバい」
「このままでは地球に巨大隕石が落ちてきたとき宇宙に居住区を持たない人類は絶滅してしまう」
「このまま戦争ばかりしていてはこれらの問題に対処できずに人類は滅びてしまうので東京に核爆弾を落とす」
「シン・ゴジラが目覚めたら人類存亡の危機なので東京に核爆弾を落とす」
滅茶苦茶なこといってるって分からんの?
というかゴジラの目的がはっきりしてないのになんで絶滅のリスクに?いつから?
人類に敵意があるわけではなくてたまたま道中に街があって歩いてたら
人類が攻撃してきたから反撃しているだけとは考えないの?それじゃおかしいの?
科学的な見解っていってもゴジラという前例のない生命体に対して
アメリカが少し前に研究していたくらいの知見しかないのに滅亡のリスクだと決めつけに掛かってる、
そして周りがウンウンそうだねえウンウンそうだねえと無邪気に全面的に信じてるのが
まず1つ目のフィクション。
次にそのアメリカ主体の研究機関が出した結論に国連が手放しに賛同して、
他国の研究機関にろくなサンプルを渡さないで出した結果に疑問も抗議もなしに予測を信用しきってるのが
2つ目のフィクション。
それを元にアメリカ主体の国連が導き出す対策が核爆弾だけだったということ。
日本主体の対策室はヤシオリ作戦の情報を早々に公開して協力を仰いだのに
ヤシオリ作戦のバックアッププランやプランBとして用意するべき代替案が何もアメリカ主体で出てこなかったことが
3つ目のフィクション。
4つ目のフィクションは何度も海と陸を往復して海中で生息して動き回ってたゴジラは既にゴジラ細胞をばらまきまくってるので
目に見えているゴジラ単体を核で焼き尽くしても今後第2・第3のゴジラがくる可能性は非常に高く、
それに対して毎回核による殲滅作戦を行っていては汚染拡大が大問題になる。
核以外でゴジラを止めるプランを立ちあげなければどちらにせよゴジラ世界の人類は詰むと予見できるにもかかわらず
さきほどはじめての「パパ活」をしてきた。ざっと感想を述べていく。
パパ活するにあたり、まず出合い系サイト数個に登録した。プロフィールにはっきり「パパ活」「身体の関係は求めていません」等のフレーズを散りばめていると、自分から探しに行かなくともパパ候補たちが名乗りでてくれる。
登録したサイト中1番大手のところでメッセージをくれた自分の父親とそう変わらない年齢の男性と次の日会う約束を取り付けた。
彼は「君の1番2番目のパパにはなれないかもしれないけど、月に数度会って食事をしてくれるなら電車代¥5000-ほど渡します。それにプラス何か欲しいものがあれば僕の買える範囲であれば全面的に援助させてもらいます」という旨のメッセージをくれたのだが、その控えめな感じが好感を持てたので会う約束をした。
メールで待ち合わせ場所や時間など決め、あっという間に会う時間になった。
芋ブスなりに精一杯オシャレしてきたつもりだったが、パパ活界隈では顔を見られた瞬間帰られたといったことがわりとあるみたいだったのでものすごく不安だった。それに顔見て速攻帰られることがなくとも、食事に行ってひとしきり食べた後、パパがトイレに行ったきり戻ってこなかったといった話も聞いたことがあるので、会って顔を合わせても油断はできなかった。
しかしそんな不安も会えばすぐに消え去る。待ち合わせ場所にいた男性はすごく良い人そうなオーラが出ていて、パパというよりおじちゃんといった感じの人でわたしはすごく安心した。
近くの喫茶店でコーヒーを飲み、他愛もない話を20分ほどして店を出た。この後どこかに行くのだろうかと思っていたが、今日はここで解散しようかとパパに言われ、ポチ袋に入ったお金を渡されて、別れて、今にいたる。
ポチ袋にはしっかり5千円が入っていた。
「こりゃ金銭感覚狂うな」とおもった。
その後もう1人の男性と約束をしていたのだが、待ち合わせ場所でそれらしき人を見つけ声を掛けようかと思ったらどこかへ行ったので「ああ、わたしの顔がブスすぎてだめだったんだな」と少し凹んだ。
噂のシン・ゴジラを観てきた。
別に、批判しようと思って観たわけじゃなく、ネットでの評判もとてもいいようだし、ちゃんと、楽しみにしていた。
ところが見終わったあとは、「これが絶賛されるって、大丈夫か?」と疑問符でいっぱいになった。
怪獣映画として出来がいい、というのはまず認めよう。CGやその他の技術を駆使した戦闘シーンやゴジラの描写、街が破壊される様子や自衛隊の武器が炸裂する様子は、それだけで見ていて楽しい。
とはいえ、あまりにストーリーが幼稚すぎる。あんな強引な作りでは感動のかの字も浮かばない。
これが「リアリティを追求した話だ」とか「日本人はまだまだやれる、と思わせてくれた」とか言われてるのを見ると、ちょっとあまりに恥ずかしい。
ストーリーを一言でまとめると、「居酒屋で泥酔して、社長や会社を罵倒した挙句『オレを社長にすりゃ全部解決してやるのによぉ』とか息巻いてる、自意識過剰なだけの情けないサラリーマンの妄想を実現させた話」というところだ。
あらゆる事態が主人公にとって、「都合よく」展開し、「都合よく」終わる、予定調和な物語。
子供向け漫画とかでよくある、「寝て起きたら世界が危機に瀕していて、自分だけがそれを救えるヒーローになってたらいいのになぁ、むにゃむにゃ」みたいな妄想物語を地で行く話。
普通はそういう場合、夢オチにして「現実はそんなにかんたんに行かないよ」って教訓にするものだけど、シン・ゴジラは、大人がその妄想に乗っかって優越感に浸っちゃうんだもんなぁ、情けない。
主人公の青年政治家矢口は、優秀だけど上司に媚びることがないから、組織の中では評価されないタイプ、ということになっている。(ああ、オレもそうなんだよねー、と思い込みたい人たちが山ほどいるタイプだ)
矢口を引き立てるためにことさらに無能に描かれた政治家たちの中で、矢口の予想だけがなぜかはじめから当たり(でも馬鹿な上司のせいで受け入れられない)、彼が組織したチームは全員が「肩書はないけど超有能」で、矢口を評価しない無能な上司たちは「都合よく」全員死ぬ。死ぬのは矢口と関わりが深くないモブだけで、チームの重要なメンバーは「都合よく」全員生き残る。
「ムカつく上司が全部死んで、有能でオレのことを信頼する部下だけが残って、オレがリーダーになれたらいいのに」
物語の中心となる矢口のチーム(巨災対)の仕事ぶりは、いわゆる熱血サラリーマンたちが大好きな、「連日の徹夜と手弁当」だ。
何かを研究解析するなら、世界各国の関係機関の協力を仰ぎ、その指揮を取るのが妥当だと思うのだけど(日本以外は無事なのだから)、そんなことしたら自分たちでやった満足感が得られないからダメ。
何を頑張ってるのかよく知らないが、とにかく寝ないで頑張る。で、優秀なはずのリーダーから出て来る言葉はお決まりの「できるかどうかじゃない、やるんだ!」的なアレ。失笑。
でもこの世界は妄想の世界だから、もちろんそれが正しいことになっている。徹夜で頑張れば光明が見えるし、やると言ったらやる、という強い意志があればあらゆることはなんとかなる。妄想だもんね。ついでに言えば美人のアメリカ特使もなんでだか知らないが最初から気に入ってくれて、アメリカの考えなんて全部無視して全面的に信頼してくれたりする。妄想だもんね。
さらに言えば、「日本人はすごいんだぞ!」ってことにしたいがゆえのご都合主義もあからさまで、苦笑するばかり。
ゴジラに対してアメリカをはじめとする国連は「東京に熱核兵器を落とす」ってことで一致して、なぜか日本の意見は聞き入れずにそれを強行しようとする。
そうはさせるか、俺たちの考えた作戦なら東京を破壊せずになんとかできる(かもしれない)から、アメリカを出し抜いて成功させてやる!という話にいつの間にかなっている。
勝つべき相手はゴジラじゃなくてアメリカ。タイムリミットをつくったのもアメリカ。
ナショナリズムを高めるためだけにこういう脚本にするの、良識を疑うなぁ。まぁ、トランプ政権になったらやりかねないかもしれないけどさ。
そもそも客観的な立場で考えたときに、ヤシオリ作戦って賭けるに値しない内容じゃない?
この妄想物語の中ではもちろん成功して当たり前なわけだけど、ヤシオリ作戦の元になる矢口プランを構想したのは、ゴジラの生態もなんにもわからなかった段階での当てずっぽうに近い。こんなの、全然失敗したっておかしくないわけだ。
「ヤシオリ作戦が失敗して、沈静化するはずのゴジラが逆に活性化して、核兵器も効かなくなり、さらに羽根まで生えて、世界中を攻撃しに行く」
そういう展開にしたら、矢口はゴジラを倒せる唯一の機会を無駄にして世界に破壊を撒き散らした、信じられないほど愚かな指揮官、ってことになる。まぁ、妄想の世界ではそんなことは起こらないけど。
というわけで、シン・ゴジラのストーリーは、とにかく都合の良い妄想だけで構成された、ご都合主義の権化とも言うべき幼稚なもので、この作品を見て「日本人もまだまだやれるって思いました」っていうのは、ハーレムものエロゲをやったあとのオタクが「モテない僕もまだまだやれるって思いました」って言ってるのにそっくりだな、と思うわけ。