はてなキーワード: ミッシングリンクとは
そこで未来の歴史家とかが「なぜオタクカルチャーは滅んだのか?」みたいな歴史書を書くと仮定しよう。
「当時のオタクは将来的にどんな未来に繋がると思っていた」という当時の意見のようなものはミッシングリンクとなるだろう。
そこで、せっかくだから現代オタクの「理想の未来予想図」をコレクションしたいと思った(使命感)。
しかし実際に見つかるのはやっぱり「フェミとかポリコレといった敵対勢力のせいで破滅的な未来が訪れる」→「オタクはこれらの侵略者と断固戦うのだ」→「大勝利」みたいなのばっかり。
おわかりだろうか?これって内部に問題が抱えた組織が外部に敵を作り出して結束を図るってやつじゃないの?(オタク内部の問題ってなんなんだろうね?)
とにかく「これからオタク・カルチャーはますます発展していって将来的にはこんな理想の未来が待っているんだ」みたいなのが全く見受けられないのである。
オタクは一体どこを目指しているんだ?(一体どこを目指しているんだ?)
どうやって生かしてやればお互いが幸せに生きていけるんだろう。
自閉症ぎみでも一点に注意力を注げるタイプの奴はまだ使い道がある。
何かしらの専門技能を身に着けさせた上でコミュニケーションの必要が少ない職業に就かせればいい。
完全にコミュニケーションを排除して社会に組み込むことは不可能であっても、それを限りなく減らすことは出来る。
こいつらは使いみちがない。
下手に専門技能を身に着けさせると他の人間に分からない部分で致命的な問題の種を植え付けかねない。
注意力散漫タイプの自閉症にとって「当たり前の事を当たり前にやる」のは最も適正がない分野だ。
結論から言うと、このタイプは中途半端な仕事を中途半端にやらせつつソイツがつまらないミスをしていないかを他の人間が監視してやるというのが一番マシな使い道となる。
勿論、それによって発揮される能力は間違いなく一般人より低いものとなる。
悪い意味でオリジナリティを発揮するだけのこいつらは下っ端としては扱いにくく、コミュニケーション能力の欠如だけでなくメンタルの脆弱性も併せ持っているため上層部に組み込めば自分ごと組織を破壊していく、専門性を持たせるには信頼性が低すぎるし、何より純粋に学習能力が低い(他人に物を教わることが極端に苦手であるため。学校教育のように教科書が用意されていない物を学ぼうとするととんでもなく学びが遅くなる。最悪なことに他人を教育する能力はさらに低い。組織に下手に組み込むと知識のミッシングリンクを生み出しかねない最悪の爆弾なのだ)。
あらかじめ、簡単にまとめておくと、
『けものフレンズ』のOPソング「ようこそジャパリパークへ!」は
その一見人畜無害に見える歌詞に、人類がジャパリパークへ至るまでに辿ってきた道のりや設計思想を隠している。
ファンにとってはもはや常識の部類であろうが、啓かれていない野蛮なインターネットの民衆たちにはまだまだ広まっていないであろう。
人類のよりよき未来のため、「ようこそジャパリパークへ!」の歌詞解説をここに記す。
Welcome to ようこそジャパリパーク!
歌い出し。「ドッタンバッタン大騒ぎ」とは戦争前夜の政治的な混乱を暗示している。
うー!がぉー!
「うー」が「おー」になる言葉とは何か。そう、War である。戦争がはじまったのだ。関係ないが SEKAI NO OWARI というバンド名には NO WAR という文字列が潜んでいる。
「喧嘩してすっちゃかめっちゃか」になった時代を経て、けものへ進化したことで今ではすっかり仲良しになれたことを感謝している。
本当の愛はここにある
「けものは居ても のけものは居ない」は一般的に「みんなちがってみんないい」の謂だとされがちであるが、誤読である。
どんな社会には一定のはみ出し者は必ず生まれる。それが発生しないということは、そもそも排除されているからだ。
ジャパリパークは初めから「のけもの」を拒絶するようにデザインされた場所なのだ。
我々はここでナチスの蛮行を想起し、戦慄をおぼえざるをえない。排他的な国家で称揚される「愛」とはどういった類のものか――?
ともあれ、「ジャパリパーク」建設の理想に燃える人物が現れた。その人物は長引く戦争によって疲弊した人類世界を次のレベルに導き平和をもたらすために、ある行動に走ることとなる。
夕暮れ空に 指をそっと重ねたら
きのこ雲を暗示。
そう、ジャパリパークの設立者は単なる戦争を破滅が約束された核戦争へとひきあげたのだ。
振り向けば あちらこちらでトラブル
みんな自由に生きている
そう 君も飾らなくて大丈夫
我々の生きる現代と遠未来のジャパリパークをつなぐミッシングリンク――核戦争後の『マッドマックス』的終末世界で人々がたくましく生きる様子を描いている。
何を「大目に見る」のかといえば、無辜の民衆から暴力で資源や食料を略奪することだ。万民が「獣」になってしまった世の中だからしょうがないだろババア、ということである。
みんな「獣」になってしまったので「自由に生きている」わけである。
安価で高品質な大量生産の衣料品も失われ、この時代の人々はみな古代人のような粗末で簡素な服装をしている。アクセサリーなどは一部の特権的な支配階級にしか許されていない。だから「君も飾らなくて大丈夫」。
(はいどーぞ♡)
荒廃した世界、蔓延する暴力、無法なる秩序――もはや人類に安息の地はないのか?
絶望にくれた未来人の前に「はいどーぞ♥ はじめまして!」と登場したのが我らが理想郷ジャパリパークである。
いつもいつでも優しい笑顔 君を待っていたの
開かれた扉(ゲート) 夢をいっぱい語ったら
どこまででも
続いてくグレイトジャーニー
Oh 東へ吠えろ 西へ吠えろ
「ヨハネの黙示録」第四章:「見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。」
まさにその門(ゲート)から旧世界を滅ぼす災厄の獣や四騎士たちが「東へ西へ」放たれたのである。
「世界中に響くサファリメロディ」は獣たちの咆哮であるとともに、天変地異を報せる天使のラッパも暗喩しているものと考えられる。
―Welcome to ようこそジャパリパーク!
サビの一節だけを印象的に挿入することで、新世界の誕生を強調。
うー!がぉー!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ようこそジャパリパーク!
「ラララ」というコーラスで、言語や思考の多様性を切り捨て幸福に統一されたユートピア・ジャパリパークの状況を示唆。
そこでは「welcome」されたフレンズが「集まって」わいわいし、いつか「素敵に旅立つ」=死ぬ。それだけでサイクルが成り立つ。
それは完成された世界だ。
それは完成された福音だ。
ようこそジャパリパーク!
○朝食:納豆豚汁定食(ご飯、豚汁、漬け物、納豆、玉子、味海苔)
○夕食:考え中
○調子
むきゅー!
を、さっさとすませて、逆転裁判6に熱中。
五話クリア。
紆余曲折、と文章にすると四文字なんだけど、本当に色々あった。
ゲームの中だけじゃなくて、外のことも含めて色々会った。
今にして思うと、あの「1」「2」「3」は本当に奇跡のような作品だったのだと思う。
ゲームが文章を表現できるようになってから、数多のようにあった「ミステリゲーム」を謎を解く快感を維持しながら、誰でも遊べる難易度に落とし込んだこと、
そのどれもが、あの時代だったころこそなのかもしれない。
逆転裁判があったから生まれることが出来た、逆転裁判チルドレンは本当にたくさん居て、
確かに生き残れたシリーズは少ないかもだけど、今もまだコンシュマー向けミステリゲームというジャンルの火は消えていない。
流行り神はリブートをリブートするし、ダンガンロンパは完結するし、極限脱出も完結するし、
逆転裁判から見れば孫みたいな存在のネットハイなんて新作も生まれたし、
角川ゲームミステリーなんてトンでもないシリーズも生まれたばかりで、
もちろん、逆転裁判が始祖ではなくて、その後ろにはノベルウェアが、神宮寺が、かまいたちがあるんだけど、
それでもやっぱり、逆転裁判の「1」「2」「3」は、ゲームの歴史に残る凄い作品だったんだと思う。
極論、逆転裁判の前に逆転裁判があって、今の逆転裁判はその子供にすぎないのだったら、きっと「4」はそこまでよくない作品じゃなかったんだと思う。
「4」が残した傷跡は本当に大きくて、
DSというADVバブルみたいな環境で、ナンバリングの新規タイトルが4しか出せなかったのは、まさにその証拠なんだと思う。
(蘇るがあるとはいえね)
でも、やっぱりこれも、だからこそなんだけど、
あの「4」があったから、
レイ逆があって、
「5」があって、
大逆転があって、
今回の「6」にたどり着けたんだと思う。
確かに、他にもっと上手いやり方があったのかもしれない。
極論「4」を完全に無かった事にして、
ナルホド主人公で「3」の続きをやった方が、よかったのかもしれない。
けれど、やりきったんだよね。
言葉を選ばずに言うけど「4」という「回り道」があったからこそ、
今回の「6」にたどり着けたんだよ。
それは遠回りで、事実、売り上げという視点で見るとファンは離れているのかもしれないけど。
こうしてカプコンは「6」を作ってくれたんだよ。
もう、本当に、よかったなあって。
ゴドーから千尋さん、千尋さんからナルホド君へと渡ってきたバトンが、ようやくオドロキ君にも渡ったんだな、って。
しかも、それだけじゃなくて「6」からのドゥルクたち革命派のそれもあって。
やっと、本当にやっと、オドロキ君の物語が始まって、終われたんだなって。
もうさ、2匹の龍を受け継ぐ男、ってフレーズの時点で「6」は勝ちなんだよ。
それで、オドロキ君がそれに相応しい弁護士になれたんだから、文句無しに決まってるよ。
本当、あの「4」からの数年は無駄に見えたかもしれないけど、こうしてオドロキ君の物語が完結した今となっては、もうそんなのどうでもいいよ。
ただ、非常に気になるのが「次」だよね。
「大逆転」は完全に未完なんだから「大逆転2」もあるだろうし、
信さんの「弁護士はピンチのときほどふてぶてしく笑う」とゴトーさんのそれのミッシングリンクを埋める「検事3」もありえるし、
レイトン復活に会わせて、もう一回「レイ逆」やってもいいだろうし、
もちろん、ココネちゃんの成長も見届けたいし、
でも、やっぱり「7」がプレイしたい。
また遠回りすることになるかもだけど、
この「6」をやったら、そんなことは期待しない理由にはならない!
キチガイは現実からやってくるから現実でキチガイを皆殺しにしないと実現しないのではというのは分かるんだけどそれでも夢見てしまう。
匿名・HN・実名いっさい関係なくネットの至る所にキチガイはやってくるし、それはリアルでも同じだ。
リアルでも同じだからこそインターネットの中ぐらい平和に暮らしたい。
コンビニでバイトしてた頃は毎日(は少し大げさかもしれない)がキチガイとの戦いだった。
誰だってこれるというコンビニのメリットが、店員の側からすると「他で弾かれるような奴がやってくる」というデメリットに変わるのは眼から鱗だった。
だけどインターネットで会員制なんてやったらそれはそれでネットらしさが消える。
でもそこにキチガイがいない状態にしたい。
フィルターをかけまくっても周囲の反応でなんとなくそこに「何か」がいると分かってしまう。
かといってそういった物も丸ごと消していったら世界が穴だらけになってしまうし、そのミッシングリンクだらけの空間自体が「何か」の存在を浮き彫りにしてくれる。
どうすればいんだ……シビュラシステムみたいなのが開発されて危険分子が粛清される未来を信じてコールドスリープ詐欺に有り金を吸われるぐらいしかないのか……
HN名無し・A・一郎さんがトゥギャッターに投稿した「楽園追放と東映アニメのロボットアニメについて」が今日未明に削除された。
名無し・A・一郎さんという方は平成生まれのロボットアニメ愛好家であり、ロボットアニメに関するの視聴量はそこら辺のマニア気取りでは太刀打ちできたい程である。
百聞一見に如かず、名無し・A・一郎さんのウェブサイトを見ていただきたい。
古典の名作から近年の傑作、歴史に埋もれたカルト的作品や我々が見過ごしてしまったような作品まで隅から隅まで鑑賞し、全話解説と感想を行い、登場キャラクターや主要メカニックのデータ(何話でどういう活躍を行ったかまで)を詳細に記している。
それを100作品以上に渡り事細かに書き記している。費やした時間は数千時間にも及ぶだろう、まさしく「愛がなければできない」を地で行く行為である。
そう、名無し・A・一郎さんの書く文章には愛とパトスが確実にある。我々が駄作だと切り捨ててしまったようなタイトルにも彼は必ず「その作品にしかなかった魅力」を大切にする。そして心に食い込んだ作品にはその思いを我々にも伝えてくる。
名無し・A・一郎さんの記事が無かったら私は「ゼーガペイン」や「ガイキングLEGEND OF DAIKU-MARYU」などの傑作を見過ごしてしまうところだった。名無し・A・一郎さんにはとても感謝している。
今でこそ萌えオタクや売上至上主義者が傲慢な態度を取ったり、高名な監督の作品や知識人ウケするタイトルしか見ないで他のアニメを腐すような悲しい人達も多く見受けられるようになってしまったが、本来アニメとは(当たり前だが)観るものであり、観た時の心に宿ったその気持ちは何よりも代えがたく大切なものである。そういった物を与えてくれる作品は我々が気づいてないだけで、実はすぐ近くに多くあったりする。その事を名無し・A・一郎さんは教えてくれた。
名無し・A・一郎さんのような方の存在は本当に貴重であるという事を私達は解らなければならない。
しかし、解らない人達もいる。それどころか、土足で踏みつけるような真似までする輩もいるのだ。
「楽園追放と東映アニメのロボットアニメについて」は間違いなく名無し・A・一郎さんにしか書けない巨大記事であった。
かつて、東映アニメーションが東映動画だった頃、今でこそ見る影もないがロボットアニメに東映が力を注いでいたあの頃を紐解き、ミッシングリンクをたどりながら「楽園追放」に至ったかを限りないパトスでもって書き綴った文章は間違いなく名無し・A・一郎さんの総決算とも言っても過言ではなかった
しかし人々は、その内容を一切見ずに「Togetterに投稿した」というだけで嘲笑した
私はこのようなコメントを行ったはてなのid:deamu id:dummy1 やツイッターの@ontheroadx @aino122 @mizune @Seto_yasu1987 @urawazakun 達の神経を疑う
ブログでやらなければならない理由はあるのか。Togetterでやってはいけない理由でもあるというのか。
彼らは名無し・A・一郎さんの情熱を一切無視して後ろ足で砂をかけて去っていった。人の尊厳に唾を吐きかける最低な行為だ。
八つ当たりかもしれないがあえて言う。最初にブックマークしたid:kanoseがもう少し気の利いたコメントをしてくれればこのような事にはならなかったかもしれない。はてなのマスとも言うべき存在が内容に触れずTogetterの使い方だけにツッコミを入れたなら、kanose本人にはそのつもりが無くても他のユーザーが「馬鹿にして良し」というゴーサインだと勘違いしてしまうのだ。
結果、名無し・A・一郎さんは1日を待たずして記事を削除してしまった。
私は名無し・A・一郎さんを尊敬している。ロボットアニメに対してここまでひたむきに情熱を注いだ人はそうは居ないだろうし、名無し・A・一郎さんを通じて多くの傑作に出会える事ができた恩を感じている。
id:deamu id:dummy1 @ontheroadx @aino122 @mizune @Seto_yasu1987 @urawazakun あなた達がやった事は、いつものように無感情にキーボードを叩き見知らぬユーザーをあざ笑ってさっさと寝る、ただ単に「いつもやってる行為」を今日もしただけに過ぎないかもしれない
だがあなた達の何のつもりのない言葉が名無し・A・一郎さんを酷く傷つけ、失望に追いやったか。
あなた達は「そんなつもりなかった」と思って殺害予告を書き込んで逮捕される大マヌケ共と同レベルの存在だ。
その事を自覚して欲しい。
戦争はしちゃいけないで思考停止しちゃうサヨクって奴が、ぼくは大嫌いです。
さて、日中戦争・太平洋戦争ですが、当時人口 7000 万に対して、
軍人・軍属の戦死・戦病死が 230 万、そして民間人犠牲者が 80 万くらいなので
概算で 5 % 弱が死んでますね。
ちなみに 3/11 の大地震は死者・行方不明者がだいたい 2 万 しか しない。
地震と違って、戦争時は日本全国からまんべんなく死者がでるし、
軍人・軍属は働き盛りの成人男性で構成されてると考えていいから
ちょっと同僚や同級生を思い出して、このなかの 1 割くらい死ぬし、自分がその中に含まれるかもって考えて全然 OK です。
私たちが本当に考えなきゃいけない、語り継がなきゃいけない戦争の怖さは
それこそが、負けた当事国たる日本人が語り継がなきゃいけないものであると、筆者は思います。
先の戦争において私たちは負け、結果として多大な資産を失いながら何も得られませんでした。
支払った代償は労働人口の1割弱。
著者が考える、語り継がなきゃいけないもの、それは次の2つに集約されます。
著者の受けてきた教育は主に2つ。
日本人は加害者であり、かつ軍事独裁の被害者であった。基本的にはこの2点だったと印象受けています。
著者は疑問を持ちます。
受動的、すぎませんか?
私のご先祖様達は、時代に振り回されただけの人々だったのですか?
著者は思います。当時の日本人は十分に当事者だったのではないかと。
決して軍部だけが暴走したのではなく、政治家だけが無力だったのではなく、マスコミだけが煽っただけではないと。
では、どうすればその空気の再構築を防げるか? 筆者は、損益を冷徹につきつけることが抑止につながると考えています。
当時の日本人はどの程度の犠牲と利益を見込んで、実際はどの程度の犠牲と利益だったのか。
著者は、それこそ語り継ぐべきだと考えます。
ミッシングリンクがあり、著者は自分の祖父・祖母に直接聞けなかったことがあります。
「支持したのであれば、それはなぜですか?」
推測ですが、結局、大多数の日本人は、戦前、開戦を支持したのだろうと思います。
なぜでしょう?
著者は、明確な理由が想像つきません。
なんとなく、「まぁ、負けることはないだろう」と思っていたのかなぁ? と思います。
真実はわかりません。
私たちが本当に避けなければいけないことの一つとして、「次もまた、このような大敗を喫すること」というのがあります。
次の戦争、次の次の戦争、世界がある限り、おそらく次の戦争の機会はまた来るでしょう。
その時、負けることがないよう。大敗はしないよう、開戦前の空気と空気が醸造された理由をシビアに語り継ぐべきだと著者は考えています。
ネットウヨクと呼ばれてでも、反戦平和すぎる言説には反感を抱いてきました。
あまりにも楽観的すぎる。著者は率直に言ってそう思っています。
その昔聞いた、とある質問への答え「相手が殺しに来るなら殺されればいい」というのは、自分以外の他人には強制できません。それは無理です。
一報、最近の保守も劣化がひどいのではないかと感じるようになってきました。
今までは、幻想として楽しむ人が多かった。
にも関わらず、最近は真顔で唱える人が多くなっている気がする。
これは 劣化 でしょ。
「己の心と正面から向き合い戦う」
はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。
かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。
世紀をまたいで残ったのは電マと性癖診断遊びと証拠不十分に終わった性的虐待裁判だけです。
正面とはどこにあるのでしょうか。観測者問題というのは、すくなくともこの部分では比喩として適当なほどに、存在します。
あるいは最近の言葉で言えば「認知バイアス」と呼んだほうが適当かもしれません。
で、もし幸運にも戦えたケースだったとして。あなたの言うように「余力」の振り向け先を選べたとして。
それが信仰であってもいいのではないですか?
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噛みあってるようであわねーなー、布教と伝承の話全然しないしなー、もしかしてなー、と思ったらやっぱり神道の人だった。
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授業でお守りを切らせようとした教授の一件についてはどう思ってるわけ?
http://anond.hatelabo.jp/20131030094105
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ヒトには「意味」という宿業が備わってしまっているので、その宿業を適宜ぶち込むためのゴミ箱概念として「宗教」って便利だし必然じゃねーの、という感じ。
別の言い方をすると。ヒトは因果応報の病にある、つまり元増田 id:oramuda のように善行には善果が発生する、と。
それは一部正しい場合もあるが、例外も多数存在する。巨視的になればなおさら。ならばその因果のミッシングリンクを仮想の因と果でうめることは、便利だし必然じゃねーの。おれが何でこんな思いを。祭祀を万全に行わなかった祟りだ。おれはこんなに頑張っているのに何故報われない。極楽に行ける。我らは生きている。なぜか。第一原因があるから。
そんな感じ。
僕の使用する電動車いすは100kgの重量があるため、こういう場合は歩道に“路駐”して、僕の体だけ店内に向かうしかない。
身長150cm台の彼女が、僕を抱えて2階まで上がることはまず不可能だ。
店主と思しきシェフがキッチンを一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な男性スタッフがホールを担当していたという。
「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。
僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。だが、とにかく彼女は店主の言葉や態度から「排除されている」という感覚を強く受けたという。
女性ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた友人は、泣きながら階段を駆けおりてきた。
店主みずから階下まで降りてきて、こちらの非をなじられたことにも驚きました。
「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」
この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。それは、僕の友人を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。
他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主→よしりんもよく使う印象操作。
このあと、二言三言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。だが、店主が最後に言った言葉だけは絶対に忘れない。
「これがうちのスタイルなんで」
P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな→ここまで一度も店主に謝罪すらしてないのにお許しもなにも…。
だって、お店の料理、本当においしそうだったから。
ミッシングリンクに対する反論なんて腐るほどあるような
これ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162
ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。
ホメオパシーは電波な医者が編み出した電波な理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。
今のように、ベルリンの壁を分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室や会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者の浄霊などに効果があります。)
症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈。
何かに似ていると思いませんか?
非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。
エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。
一方ホメオパシーの始祖であるドイツの医師、サミュエル・ハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。
はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。
ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療を勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。
ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素や水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。
ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。
ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパスが元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。
同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。
ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。
のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!
おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。
かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。
1830年からのコレラ大流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシーの最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリの社交界に招かれさえもして、幸せな晩年を送ります。
しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナーな代替療法の一種に零落していったのでしょう。
ですが、第一次世界大戦終戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。
色白で、華奢で、本当に無口な子だった
そんな子が、当時の俺にはよく話しかけてきていたので、
「もしかしたら僕の事好きなのかな?」といつしか思うようになった
内部進学で中学生になってしばらくすると、彼女は突如不登校になった
教室を掃除する際、俺がその子の机とイスを移動させるとヒューヒューとはやしたてられる
今にして思えば同類と思われていたんだろうな
その後ある日、「俺の名を呼ぶ子供」から電話があったが、電話に出た糞親父はベロベロに酔っていて相手の名をろくに覚えちゃいなかった
俺はもしや、と思い電話をかけたが、彼女の母には上品な物言いで否定された
外部の高校に進学してから、俺は彼女の家を訪ねてみようと思った。最初の同窓会でいい話を聞かなかったからだった
こう書いてて、ほぼ思い込みだけで動いた当時の俺は本当にキモイと思う
案の定、帰って!!と物を投げつけられて退散する事になってしまった
それから15年以上
ミッシングリンクの原因になった糞親父は会社を潰して姿を消し、大学を辞めた俺は一年ほどのニート暮らしの後にかろうじて地元の工場に潜り込めた
ストリートビューが出現して真っ先に検索した、JR線沿いの彼女の家があった場所には、分譲マンションが建っている
もう同窓会には行けない。彼女が今どうしているかなんて聞けやしない