はてなキーワード: キリトとは
「主人公が努力しないことがラノベの売れる秘訣だ(意訳)」と言うのは散々指摘されている通り事実ではないと思います。
そもそも「ラノベの主人公」で括って一概に語れる訳がない。それが一般的な傾向に言及しているとしても。
色々な主人公が居て、それぞれ色々な特性を持っています。それは作品を素直に読めば理解できるところであると思います。
ではなぜそのように思うに至ったのか、川上氏がそのような偏見を持ち発言するに至ったその影響の大元となるものはなんだったのか、自分なりに考えました。
主人公が(何かと比べて)簡素な努力の描写で強さを手に入れたり、最初から強さを持っていたりするパターンの作品は確かにあります。それは本当にラノベに限った話ではないですし、欠点ではなく特徴でしかない。
そういった作品は「成長物語」ではないのではないかと思います。
「成長物語」ってなんだ。
「成長物語」という言葉は私が過去何度か某掲示板で見かけた単語で、「無力かそれに近い主人公が鍛錬(=努力)や葛藤をすることで身体的・精神的に強くなり、敵を倒していく」そのような物語の類型であり、そのような面白さや内容が主である作品のこと、という意味で以下使います。
ソードアートオンラインの主人公キリトを例にあげてお話しします。
(しかし、私はソードアートオンラインの電撃文庫版のアリシゼーション編に入った1巻目あたりまでしか読んでいません。プログレッシブについては漫画版で確か3巻まで読みました。)
これも某掲示板での話なのですが、アインクラッド編においてキリトがしっかり努力をして強くなっているという主張を私がすると、奇異の目で見られたりします。
「俺TUEEEE」という言葉とイメージが一人歩きしてしまった所為かと思うのですが、実際にキリトが努力をしているシーンとしては、月夜の黒猫団の話。夜にモンスターを狩って経験値を稼いでいたものが挙げられます。
ですが、それ以外で努力・鍛錬をしている印象的なシーンというのはなかなか思いつかないです。しかもそういうところを指して「努力描写が少なくキリトの強さに納得できない」と言っていたりします。某掲示板での話です。
違うんですよ、そうじゃない。逆です。
まず読者には「キリトが強い」という前提があるわけです。それに対して「強いということはそれだけ努力をしているんだろうな」と推測する。それを裏付けるための努力描写な訳です。なるほどこれをコンスタントに続けていたんだなと理解する。だから垣間見える程度の努力描写で構わない。
そしてキリトは二刀流スキルを手に入れます。これはソードアートオンラインのプレイヤーの中で反応速度が最も速いプレイヤーひとりに授けられるユニークスキルです(この事実が明らかになるのがいつだったのか失念しましたが)。これはVRとキリト自身の適正なども関わってくるそうなのですが、もっと小さな頃からVRで自分に英才教育を施した結果とも考えられます。「結果」が「努力の証拠」として提示されるわけです。
「成長物語」は面白い。そこに異論は有りません。主人公が血の滲むような特訓の中で何かに気付き、成長し強大な敵を乗り越えていく。素晴らしいじゃないですか。努力は大切なことだと子供に知ってもらいたいがために勧める気持ちもわかります。
しかしこの「成長物語」は数ある物語の類型のひとつでしかない。
ソードアートオンラインは努力の尊さを説くところに主眼を置いた物語なのでしょうか?
私は違うと思います。
脱線しますが、ソードアートオンラインを読んでいくと、ゲームの中であるのに「死」や「性暴力」という強い現実の要素が登場したり、現実の剣道場でゲームのスキルが再現出来そうになる。ユウキは自分の人生を終える場所としてゲームの中を選択し、アリシゼーションは記憶を無くしたキリトが、精巧に作られた「ゲーム」の中をひとつの世界、つまり「現実」として認識するところから始まる。
どうも「現実」と「ゲーム」の境を敢えて曖昧にしていくことで、「ゲームに真剣に向き合うように促されている」そのような物語ではないかと思います。
もちろん、勧善懲悪ものの面もありますし、フルダイブ型のゲームという仕掛けを使うことで、効果的に努力の尊さを解く、そういう成長物語もあり得るのではないかと思います。でも、このソードアートオンラインはそうではないだろうと思います。
だからこそ、主眼でない努力の描写は、垣間見せたり、証拠として結果を書くだけに留めてあるのではないかというのが個人的なソードアートオンライン観です。
纏めると、キリトはしっかり「努力をして成長している」が「成長が主眼の物語ではない」ので垣間見せたり、証拠としての結果を見せるにとどまっているのだろうということです。
ダンジョンの攻略や事件の解決で奔走する姿は多く書かれていますが、所謂鍛錬というか努力の描写の量は「成長が主眼の物語」だとすると少ないと感じます。
「成長物語」として見るからおかしく見える。そもそも成長を主眼に置いた物語ではなかったりする。そう言った勘違いが、ソードアートオンラインに限らず様々な俺TUEEEE主人公ものと呼ばれるラノベの批判に見受けられます。
そのようなところが勘違いの原因になっていたりするのではないかと思いました。
正直、このようになんでもかんでも「成長物語」としての観点で見てしまうのは、少年漫画誌の作品を読んで育ったせいなのかとも勘ぐるのですが、それは少年漫画誌に対する偏見ですし、その少年漫画誌の作品にも最初から強い主人公で、成長物語でない作品というのはそこそこの数存在すると思います。
最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。
「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。
1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている
全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。
全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。
3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている
これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。
別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそも「楽」というのに大きな誤りがあります。フィクションに自己投影して楽しむというのはなかなかできることではありません。
物語を描く上で「共感を得られるキャラクター作り」は極めて重要だと言われます。
たとえ現実離れしたキャラクターであっても、何かしら弱点を設定するとか、普通の人間にも通じる悩みを抱えているとか。
これは現実でもそうですが、人は他者を見るとき、相手が自分と重なる部分があると思うからこそ、「自分だったら」という感情が働き、相手の内面を想像しようとするのだと思います。
そういった意味では誰もが現実非現実を問わず他者に「自己投影」しているのでしょうが、一般に言われる「自己投影」は相手を自分の分身と捉えることだと思います。
しかし、そんなことがそう簡単にできるでしょうか。
「ラノベ主人公はオタク中高生が自己投影できるように無個性な『普通の高校生』に設定されている」とか、その逆に「自己投影して楽しめるように最初から最強で一度も負けない主人公しか受けない」とか言われます。
前者に関しては、「共感」しやすいように平凡な造形にしている面はあると思います。しかし、読者/視聴者が同一視できるほど彼らは無個性でしょうか。
後者のキリトや司波達也はもちろん、前者に分類されそうなキョンも折木奉太郎も阿良々木暦も高坂京介も、自分が見た限りはっきりと人間性を描写されています。
人間としてのディティールが細かくなればなるほど、当然に読者と「違う」部分は増えていくでしょう。彼らは自分なら言わないことを言い、しないことをします。明らかに彼らは自分じゃありません。
また、多くの作品では主人公はもちろんその仲間たち、敵に至ってもそれなりに共感できる部分を描かれています。作品世界で主人公だけが共感できる対象ではないのです。
こうした状態で自己投影ができるなら、それは(皮肉でなく)稀有な才能と言えると思います。
また、自己投影したとして安楽に無双やヒロインたちに愛される快楽が得られるかというと、これもそうとは思えません。
私は自己投影してプレイしたことのあるゲームがあります。艦これやデレマス(音ゲーじゃなく、最初の「モバマス」と呼ばれていた方)などで、あれらの作品ではPCの人間性がほとんど描かれていません。
プレイヤーが彼らを「自分の分身」として操り楽しむためだと思います。
キャラクターの中には提督やプロデューサー(=私)にとりわけ強い好意を向けてくる子がいます。その結果、私は幸せになれたかと言うと、そうでもないです。むしろ愛されることに変な罪悪感があるのです。
「俺なんかのことを愛さないでくれ」「俺はお前の仲間をよその事務所に売却したし、中破した状態で進撃してお前の仲間を轟沈させているんだ。そもそも鼻くそほじってアニメ見ながらプレイしてる」「俺に愛される資格なんかないんだ」
というような。
私がガチ勢で決してキャラクターを犠牲にしないプレイをしていたなら、女の子に愛されてもまだマシだったかも知れませんが。
(個人的に、自己投影して気楽に楽しめるゲームとはPCの人間性が描かれないのに加え、NPCがPCに対して一切人格面での好意を向けず、ゲーム中での成果についても過大に讃えたりしてこない作品だと思います)
つまり、自己投影というのは主人公のキャラを立てざるを得ない多くの小説や漫画、アニメといった作品では難しく、仮にできたとしても批判者が考えているような「楽して無双やハーレムの快楽を享受できる作品消費」ではないのです。
なんというか、「正しい楽しみ方なんてない」と言いましたけど、結局、大抵の人の楽しみ方ってそんなに多様なものではないと思うんですよね。個々の作品への好みはあるでしょうけど、オタク中高生が異世界でチーレムする作品を愛好する中高生も、筋肉もりもりマッチョマンな歴戦のオッサンが泥臭く戦う話を好む(自称も含む)オッサンも、多分同じような楽しみ方をしてますよ。前者が後者を楽しむことも、もちろんその逆も普通にあるだろうしね。
人間だから、好みが正反対の人間でも重なる部分があったり、すごく気の合う人間ともわかり合えない部分があったり、自己投影という鑑賞姿勢を批判する人はそういった認識が欠けてるんじゃないでしょうか。
ソードアートオンラインのキリトハーレム、ログ・ホライズンの「記録の地平線」、オーバーロードのアインズ・ウール・ゴウンについて勝手に点数付けしてみたぞ!
別々のネトゲだから強さ比べても意味ねーだろとかはとりあえず考えないで!
SAO | 8 | キリトさんはSAO最終レベル96。ユニークスキル持ち。近接のプロフェッショナルで隙のない構成で比較対象内だと一番PVP向き。釣りスキルはご愛嬌。 | |
LHZ | 6 | シロエはアニメ二期前半のレイド時点でレベル93 レベルキャップは推定100なのでもっと強くなるかもしれない。習得スキルは廃人レベルらしい。 | レイド向き。 |
AOG | 9 | アインズ様はユグドラシルで100レベル 作中で度々RPに寄った構成のためガチ構成には劣ると言われるが、ゲーム自体のバランスがおかしかったりPKで習得魔法増やしたりで強い。 |
SAO | 10 | 人間辞めてそうな反射神経の持ち主。時々カッとなるのが欠点とは言え、同レベルのキャラクター相手に無双できるほどプレイヤースキルは圧倒的に高い。 |
LHZ | 9 | 未来予知に近い計算能力を発揮する全力管制戦闘が強い。多人数の戦闘なら一番勝率に貢献できる。 |
AOG | 6 | ネタ構成の割にPVPの勝率は高いらしいが、人外レベルの実力を発揮する他2人には劣る。キャラクターは人外のくせに。 |
すごいパワー
SAO | 9 | ユイの存在でシステム情報ハックできるのはヤバい。チートや!チーターやろそんなん! |
LHZ | 7 | 世界の法則を書き換えたシロエの口伝〈契約術式〉はすごい。けど使いどころがかなり限られる。 |
AOG | 10 | アインズ様は経験値を代償に願いを叶える魔法を使える。持ってるワールドアイテムもバランスブレイカ―な代物。 |
組織力
SAO | 7 | キリトさんを中心としたわりとゆるい繋がり。組織と言うより友達グループ。廃人プレイヤーだらけで平均レベルは高い。 |
LHZ | 6 | 人数は少ないものの役割分担はきっちりできている。年少組のレベルはそこまで高くない。 |
AOG | 10 | 守護者は強いし、末端にいたるまで忠誠心も強い。部下もやたら多い上に倒されてもどんどん沸く。 |
女の子の可愛さ
SAO | 10 | しっかり者で嫉妬も可愛いアスナさんを本妻に、可愛い子ばっかりでよりどりみどり。みんな良い子なのも良い。 |
LHZ | 6 | アカツキちゃんは美少女設定。他は異世界補正で綺麗になっているけどだいたい普通らしい。 |
AOG | 7 | みんな絶世の美女・美少女。でも本性出すと醜くなるタイプの化け物ばっかりで辛い。 |
男衆の魅力
SAO | 4 | クラインとエギル。キャラとしては好きだけど、もうちょっと活躍する姿も見たい。 |
LHZ | 7 | にゃんた班長(CV中田譲治)が素敵。直継も頼れる相棒と言う感じで魅力的。 |
AOG | 8 | セバスは格好良いしコキュートスは可愛い。ストーリーはデミウルゴスが半分以上動かしてるしアインズ様の魅力も引き出してる。 |
合計
SAO | 48 |
LHZ | 41 |
AOG | 50 |
AOGの点数が最多となった。
項目が増えれば合計の順位も変わると思う
ネトゲでレアアイテム拾ったり新しいスキル覚えたての時に凄いダメージ叩きだして調子に載ってる奴を指す言葉だから。
大抵そういう奴は最後には「今の俺なら行ける!」と無理な特攻かまして仲間の援護も虚しく無駄なデスを重ねまくっては「俺がこんなに強いのに負けてるのはお前らのせい」って言い出して総スカン食らう。
だから嫌われてこんなアホな呼び名をつけられてまとめて馬鹿にされる訳だ。
加速したのはSAO辺りかな。
あれは元々ネトゲだしキリトさんが1人で凄いダメージ出して調子こいてる姿がまさに俺TUEEEEEEEEだったからまあキリトさん本人を指す言葉としてはあってるんだけどね。
でもそれが一人歩きして全然関係ない作品でまで「主人公が俺TUEEEEEEEEEで一方的に勝ってるから駄目」と言われるようになったのは本当モヤモヤする。
主人公が力をふるうだけの相手が出てこない世界なのが問題なんだよ。
んで産まれたのが"敵YOEEEEEEEEE"。
たまにこれをごっちゃにしてる人いるけど違うからな。
俺TUEEEEEEEEは「ある人物が無双したり高ダメージだして調子こいてる状態」
キリトさん、達也、上条さんと誰も努力、自信の基礎性能の上昇、不可能を可能に、繰り返しの練習、なんて努力は書かれてない。
どっかでみたけど、編集から「努力のシーンは面白く書くのは難しいからやめとけ」と助言がされた、みたいなのがあった。そもそも、努力/練習シーンが面白いのはスポーツものであって、そうなるとラノベでなんて用がない。じゃあ一般文芸でそういうシーンがあるかというと、少なくとも「火花」「鹿の王」にはないぞ。ラノベだけの問題ではないと判ろう。
で、練習シーンが面白いラノベと言えば「暴風ガールズファイト」くらいしか思いつかない。「ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様」と「そらいろな」の続きはよ。
「うひょーこれはエロすぎるから回収すべき!」と騒いだところ誰もそれをエロいとは思わなくて単に自分が変態なだけだった、みたいな感じだな。
パーティを組んでれば苦労していることになるのか
パーティ組んでボロボロになりながら倒してるんだが、それが苦戦じゃないならおまえの中での苦戦ってなんなの。
おまえは小説は読んでないだろw
オプションを除いて
や、それ葛藤する時点でもう駄目なやつ
すげえ、「女はトロフィーでありオプションであり俺の一部」ってやばすぎる発想だな。
俺TUEEE批判してる奴ってそんな気持ち悪いこと考えてるのか。草不可避だわ。
キリトさんが一人で突っこんでいって無傷でボスを倒してる幻覚でも見たのか?
だから一般プレイヤーから批判されているんだし、キリトさん自身も知識を独占することに葛藤してたんだろ。
ビーターであることを作品全体で無批判に称揚しているんなら話は別だが。
彼らはトッププレイヤーではあっても「非現実的なほど強い」という設定ではないし、
どうして例外扱いしなきゃならないんだ。
それに、俺TUEEEなキリトさんでもパーティを組まなきゃ(組んでも)何ともできない強大な敵として、各階層のボスがいるわけだが。
敵YOEEEE?なんで敵YOEEEEだと思ったの?
トロフィー(笑)とかいう曖昧な言葉じゃなくてちゃんと説明してくれよな。
うんうん、知らなかっただろうけど、SAOはそういう話なんだよ。
キリトさん「だけ」が飛び抜けて強いわけじゃないんだ。
キリトさんだって負けることもあれば、仲間を死なせることもある。
キリトさんひとりで無双していたわけじゃないし、キリトさん以外にも熟練者はたくさんいる。
おまえ(元増田かどうかは知らんが)が考えた「俺がSAOを気に入らない理由」は見当違いだったんだ。
認めたくないだろうけど認めようね。
キリトさんと張り合える技量の持ち主もSAOには何人もいるが。
ヒースクリフはチート使ったとは言えキリトと同等だし、アスナもやや劣る程度、
後からだけどユウキという完全にキリトさんより強いキャラも出てきている。
第一線の攻略組なら多少の差はあれ同等の実力者なんだろ。
キリトさんが(他と比べて)圧倒的に強いのはSAO以外のゲームに入ってからだよ。
さらに言えばアリシゼーション編に入るとまた全く状況が変わってくるが…。
一般ユーザーからすれば「残りライフ1ドットの状況で鳳翼扇を全段ブロッキングしてからコンボ叩き込んで逆転」も十分に非現実的だよ。
ソロでレベル上げと言っても「あくまで趣味レベルです」から「廃人レベルでやりこみました」まで、
さらには「廃人レベルでやりこんだ上に才能があったので一番になれました」もあるわけだ。
この文章の意図は「ソロでレベル上げしたところで限界がある。キリトのやってることは非現実的で萎える」といったところだろう。
「ソロでレベル上げしたら例外なく全員がキリトさんみたいになる」ということでないとリアリティ感じないの?
「格ゲーの練習したくらいで残りライフ1ドットの状況で鳳翼扇を全段ブロッキングしてからコンボ叩き込んで逆転なんてできんからウメハラは気持ち悪い」みたいな?
最近のアニメとかライトノベルで主人公が努力していたという描写が結構合ったりする。
いわゆる修行シーンとかじゃなくて過去の回想だとか、他キャラの解説等から主人公の努力が判明するパターンだ。
最近は比較的初期から強いキャラが多かったりするので割りとそういうパターンが多かったりする。
ただ、そこで一部の読者がそういったキャラが「まったく努力していない」という感想を言うのを度々耳にする。
そういう人たちにちょっと聞きたいことが有るんだが、ほんとに努力をしていないと感じている?
それとも修行シーンや成長シーンが無いことに対する皮肉だろうか。
努力していないと思う人を「Aさん」とする。
もともとテニスをやっている人の間では有名だったが、ある頃を境にメディア露出が増えて突然出てきたように見えた人も多いと思う。
特にテニスにあまり興味のない人にとっては。(私はちょくちょくニュースで見ていたので知ってはいたが)
私達は錦織の活躍をニュースで知っており、彼が非常に強いこともランキングという形ではっきり目に見える。
ただ、正直なところすごい練習をしているということをニュースで流すものの実際に錦織選手のこれまでの練習の軌跡を一から見ている人はなかなかいないと思う。
そこで気になるのは、「Aさん」は錦織選手は「努力している」と思っているのかということだ。
彼が努力している様子は断片的にしかわからず、また報道や彼の口から少しだけ語られるだけであり実際の練習を見ているわけじゃない。
ちなみにこれは努力していないと思う人に対するあてつけやいらだちではない。
幾つか思うことが合ったので質問させてもらった。
※追記
ん?あるキャラが回想か何かで努力してることが発覚した後にも関わらずそれでも努力してないとか言う人がいるってこと?それとも努力描写がない段階でも書かれてないだけでそのキャラは努力してるかもって話?
より正確に言えば「努力しているように感じられないと思う人がいる」というのが正解か
1つ具体例を書いてしまうと、SAOで1巻冒頭で主人公キリトがMMO内に閉じ込められたのち場面転換をし、いきなり74層からスタート。
場面転換後はキリトがレベル上げを行う描写から始まりソロで過酷なMOB狩りを行っている解説からスタートする。
睡眠時間を削り、かなり過酷な状況でレベル上げをしているというのが描かれる。
個人的にはこの時点で既にある程度キリトは努力しているように感じられる。※これを努力と言ってしまうとすこし大雑把すぎる気もするが、大きく括るとそうなる。
しかしながらこの辺りの解説や説明や回想描写等を見ても「努力しているように感じられない」という発言をする人を度々見かける。
この感覚が「錦織が努力しているかどうか?」に状況が非常によく似ているように思える。
つまり、テニスに関する知識があまりない人が錦織を見た場合その人は錦織を「努力している」と感じられるかどうか?とキリトが「努力している」と感じられるかどうかが本質的には同じなのではないかということ。
ただそこで気になるのは錦織に対して努力していないなどという人は相対的に見て少ない気がする。
それともMMOという題材におけるレベル上の苛酷さやプレイヤースキルに関するものがMMO未経験者からすると想像しづらいのが原因か?
あるいは錦織がメディアに取り上げられやすく凄い凄い言われるのでその結果か?
状況的には非常によく似ているように個人的には感じられるのだがその差異はなにか? というのが知りたいことです。
この辺のいわゆる最近の俺TUEEEキャラが過去に努力をしているという描写が入っても「努力をしている」「努力をしているように感じられない」というように感想が二分することが度々あってその差はなにか?と思っていたので
まぁ、前提からまちがっている可能性もあるのでなんとも言えないが。
転載しておく
絵もストーリーも稚拙だが、主人公の名前が「キリト」であることなど、その設定や展開にはSAOを彷彿とさせるものがいくつもある。
著者である「林マリオ」氏には先見の明があったといえるだろう。
なおこの漫画のキリトは現実から逃げてゲーム廃人になったことを自覚しており、その点でSAOのキリトさんより好感が持てるというアンチスレ住人もいた。
(cache) SAOアンチスレ支援 @ ウィキ - SAOを読み解くキーワード
http://megalodon.jp/2012-1125-1607-55/www53.atwiki.jp/antisao/pages/24.html
SAOの色んな感想を見ていて気づいたんですけど、大雑把に分けて
まぁ、要はポジティブ思考かネガティブ思考かってところでしょうか。
前者の人は、ネットはそもそも悪意やネガティブな空気に満ちた空間であり、切り分けないとネットの悪意に現実の自身の人格が影響をうけるため切り分けることが良策であり、懸命だと考えている。
後者の人は、ネットを現実世界の延長上に考えており、悪意もあるが善意もあると考えており、きっちり使えば毒にもなるし、薬にもなると考えている。
ALO編キリト
殺したければ殺すし、奪いたければ奪う。
そんなふうに言う奴には、嫌ってほど出くわしたよ。
一面ではそれも事実だ。俺も昔はそう思っていた。
でもそうじゃないんだ。仮想世界だからこそ、守らなきゃならないものがある。俺はそれを大切な人に教わった。
GGO編シノン
「ええと……キリト、あなた言ってることがこのあいだと違うわ」
「え……?」
「仮想世界なんかない、ってあなた言った。その人のいる場所が現実なんだ、って。VRMMOゲームは一杯あるけど、その世界ごとにプレイヤーが分割されてるわけじゃないでしょ? いま私のいる、この……」
「この世界が、唯一の現実だわ。もしここが、実はアミュスフィアの作った仮想世界だったとしても、私にとっては現実……ってことだと思う」
キリトは目を見開き、詩乃が気恥ずかしくなるほどの時間、ずっと視線を合わせていたが、やがて珍しくシニカルさの欠片もない――と見える――笑みを唇に浮かべた。
「……そうか。そうだな」
上記の2つの台詞は共にSAOのテーマの根幹に関わるわけですが、後者(=キリト達)は電脳空間を現実の延長上にあると考え人格を分離させていません。
前者の人はALOやGGOで本気になったりトラウマを解消するという行為を個人を分離させずに社会的な自分をだすのがどうも馬鹿馬鹿しいと考えがちなようです。
この類の人はシノンがトラウマを克服するのにGGOを使用したり、ユウキの死に際にネット内で集まったりするのが馬鹿馬鹿しいと考える。
まぁ、ユイのパパ・ママ呼びが嫌いでSAOが合わないとかはあるようですが、根本的なところではどもう上記の2種類の対立をそこかしこで見かける。
少少興奮している。昨日、初めて「撮影会」に参加した。カメラを趣味にして2年。イベントやらで女の子を取り始めて1年。そしてついに撮影会だ。
せっかくなので某アレのレイヤーさんの撮影会に参加した。いろいろな撮影会があるなかで、やはり自分が「絵」を作るのだとしたら、そういう世界を撮影したいと強く思っているからだ。女の子の商品画像、カタログ画像を撮影したいのではない。これまでに「見た」ような錯覚をもっていた「絵」を実際に撮りたかった。
で、言っておくとえっちぃ出来事も絵もまったくない。ただひたすらかっこよかった。だだっぴろい空間の中、俺のファインダーの中だけが2次元だった。俺は3次元にいる。彼女も3次元だ。しかし、作る絵は2次元に近い。2.5次元の体感とはこれか、と最初のショットで身が震えた。空間と時間、すべてがその一瞬を作るために費やされる、2.5次元をここに呼び出すための儀式じみた一連の行動が結実した。
準備にもちょこちょこと参加したためだろうか。単に撮影会という客の感覚はなかった。最後の最後、シャッターを押す作業で現れる入口、開かれる世界。夢中で撮影し続けた。
俺はこの日のために用意した玉があった。ちょっと高かったけど、用意することが自分の用意の一つだと思ったからだ。単焦点はあまり上手に使えないと判っていたけど、人を取るのならその玉じゃないといけないように思ったし、実際今データを見てはっきりわかった。このレンズは正解だった。俺の技量にあっていた。
俺の作った絵がすべて手元にある。この興奮はちょっと言葉に変換しづらい。
今日は一日それを見てすごした。
ロリアニメ云々のブコメを書いたid:ikd18です。自分用にちょっと思ったことを残しておく。
はっきり言ってポエムだけどはてなブログやってないのでここに残す。
前提として、自分はWEB版からのファン。読みはじめたのは、たしか追憶編が終わって、パラサイト編が始まった頃だったと思う。
きっかけは、ブーン系小説のスレに、荒しが人物名のみを改編した入学編を投稿したのを見たこと。達也がハインリッヒ高岡で深雪が素直クール、会長がデレ、という配役だったはず。
あのね、俺TUEEEじゃなくて敵YOEEEなのはわかってるんですよ。
あと創竜伝並みの「登場人物が作者のイデオロギーを代弁する装置」と化してることも。
とかいいつつ、そう思いながら読むことが、佐島先生に失礼だってことも、わかってるし。
正直言うと、作者が「商業化しないと続き書けない」って状態でなければ、商業化なんてしてほしくなかったんだ。
商業化の時点で原作レイプされた気持ちになってるのに、アニメ化でモノローグは削られるわ、叩かれるわで踏んだり蹴ったり。
それでも、見もしないアニメの円盤買ってるのは、続きが気になるからだし。
ぶっちゃけ作者が創った世界というか、一個人の妄想する「未来」をのぞき見るのが楽しい。魔法のアイデアが楽しい。
展開に不満がないかって言うと、ゼロではなくて、たとえば米国最強という設定のアンジーの扱いとか、達也vsトミツカはトミツカ勝たしとくべきだろとか。
持ち上げすぎじゃない? っておもうことはあるんだよ。
でも、元々WEB小説だったんだし、今でもその延長だと思ってる(商業化してほしくなかったってのはそういう側面もある)ので、作者が書きたいものを書いてほしいと思ってる。
そりゃ詳しい人、頭の良い人から見たら穴があるのがわかると思うし。
基本的には主人公を持ち上げる方向にしか進まないから(コラボ小説で負けそうになったら回線切断させたくらいだし)鼻につくだろうし。
「何で続きが気になるの? 理解できない」って言われてしまうかもしれないけれど。
鼻につくって思いながらも楽しむことは、作者に失礼かもしれないけどさ。
SF大賞の安堂ロイド事件と一緒かも。外部から人がはいってくる以上、それまでのルールは通用しない。安寧は破られる。
仕方ないのかもしれない。
でもつらいよ。
自分が気に入っている作品が、叩かれてるの見るのすごくつらいよ。
叩かれてる内容は正論に近いんだよね。穴があるのは知ってるんだ。
でもつらいんだよ。苦しいの。嫌な気持ちになるの。くるしいよ。
芸能人が薬物乱用やら、業務上過失致死やらで捕まって、それでも擁護してるファンっているけど。
こんな気持ちなんだろうか。
そう思うことはファン失格かもしれない。逆に、罪を犯してなお擁護することが、ファン失格なのかもしれない。
それでも、急に嫌いになれない。かといってやったことを肯定もできない。
例えるならそんな感じ。
せめて、内容をそのまま、あるがまま享受できるか
鼻について読まなくなるか、どちらかであれば良かったのに。
少なくとも自分は、ドリームゲームのためだけに円盤買うほど、応援したいって思ってるのは確かだ。
商業化してほしくなかったけど、毎回文庫を買う程度には続きが読みたい。買わないと未完結になっちゃうだろうから。
外伝も買う程度に、断筆してほしくないと思っている。
そして、これだけ上から目線な気持ちを抱いているのが、最低だとわかっている。真に理解はしていないかもだけど。
適当に思うがまま書いたら長くなった。
なんなんだろうね。
あと何よりね、俺TUEEEだってわかってるだのなんだの
予防線を張らないと好きって言えない自分が悔しいね。殴りたい。
あとあれだよね。
でも直す気はないよね。だから、叩かないで! って主張はしない。
みないようにする。
というか、はてブユーザーで、コメント積極的に残す人の中で、ファンが私しかいないように、私には見えているのがいけないんだろうなあ。
※追記
回線切断について。
SAOとのコラボ小説で、キリトさんがダイブしてるネトゲと、達也の夢が混線してて。
(※ミクシィの日記に書いたネタをなんとなく落としたくなったので落とす)
そんなわけでふたなり系同人誌オンリーイベント「ふたけっと 10.5」の感想です
今回ふたけっと開催時に台風が接近していたため
会場周辺も微妙に強めの雨の降るあいにくの天気で、一般参加者が前回より流石に少し減っていた感じです
ただ、実際開場すると人気サークルのスペース前には三桁単位の行列がすぐできて、
その後も会場にはコンスタントに参加者がいて、時限コピー誌配布時に結構な長蛇の列ができる等のにぎわいもあったりして
雨に負けないふたけっとになっていたなというマインドです
人気サークルはAskRayさん、泥沼兄弟さん、サムライ忍者GREENTEAさん、アルセノテリスさん等
ふたけっとはイベントの性格上同人誌のジャンルはオリジナルが主流なのですが
版権系同人だと人気はやはり今回も艦これ、あとはセーラームーンやプリキュアなどが人気でした
あと僕、知識だけでしか知らないジャンルなんですが、ダーティペアの新刊同人誌出してたサークルさんがいて
まあ…そう…まあ…そうねぇ…
それと、SAOのアスナにチ○ポが生えてキリトを犯すネタもそこそこ見ました
「アスナチ○ポでキリトのアナル処女喪失」!そういうのもあるのか
※ていうか、前回見た「艦これの天龍チ○ポで提督のアナル処女喪失本」とか考えても、この「ヒロイン下克上ファック」ネタって地味に手堅い需要があるのかもしれないと思った
あと目立ったのが「島風くん」ですね
マイミクさんの性質上「島風(艦隊これくしょんに出てくる人気キャラ)」はご存知だと思うんですけど
「その、島風のコスしたオリジナルの男の娘がアレされたりアレしたり的な本」
これがかなり猛威を振るってた感じです
「艦これ」の世界観とは直接関係ない、島風コスプレの男の娘本って体裁がほとんどで
局地的には「島風」って(聖剣伝説のリースみたいに)「艦これの1キャラ」を超えて
「島風というジャンルそのもの」になってきたなというマインドなのでした
また、前回から厳密に数を数えてるわけじゃないんで印象論なんですが
「玉付きふたなり」
これがふたなり界隈でだんだんシェアを増大しつつある雰囲気を感じました
(個人的には玉付きふたなりって、ストライクフリーダム的過剰記号感があって好きくないんですけど…)
この背景には、去年冬以降のエロ修正強化の流れにあって、修正基準の中で少しでもエロいアプローチを試行錯誤した結果こうなっているのかなと思います
原則的に、去年11月以降、同人界隈では「竿」に墨塗りを要求される風潮があるのですが
なので、エロ記号の一つとしてふたなりに「玉」をつける流れがここに来て加速しているという部分もあるのかなと思いました
ふたなり界隈だと女の子の身長よりでかいチ○ポとか珍しくないじゃないですか
その超巨大チ○ポに、ご時世だからしょうがないとはいえべっとり塗られる墨…
サークルの作家さんが精魂込めて描いたふたなりチ○ポに墨塗って台無しにするこの不毛さに思いを馳せると、本当に胸が張り裂けそうなほど哀しい思いに苛まれます
まぁそんな感じですね…
ふたけっとは、最近の首都圏の同人イベントの中でも会場の熱気はかなり高くなるタイプのイベントなんで
参加するのは楽しいんですけど
やっぱ新刊持っていかないと、わざわざサークルスペースまで来ていただいた皆様に対してホント申し訳ない気持ちになるんで
次回参加時にこそは、なんとか新刊持って行きたいと思います…