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2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-11

anond:20201011135818

昔は、対象アニメキャラタイトル歌詞に含まれてるかどうか、という基準でわかりやすかったけど、昭和の終わりぐらいからそうでなくなってしまった。

あえて言えば、NHKFMアニソンアカデミーリクエストして流してもらえるか、ってとこかな

2020-09-25

anond:20200925215538

竹中平蔵一橋大学博士論文をはねられた恨みがあるだろうし、

ヒトラー美術アカデミーで2回落とされてるからね。

切られた側が恨みを持って行動するのは当然の結果なのでは。

2020-09-16

日本人社会学者

世界的に有名な人ってだれ?もちろんアカデミーでの業績で。

2020-09-11

anond:20200911200534

どうにもならない、どうすれば良いか誰もわからいからこそせめてアカデミー作品賞を受賞して欲しかった

2020-09-09

表象代表多様性

 アカデミー賞基準についに「多様性の確保」が盛り込まれることとなった。アカデミー賞審査をするところは、映画芸術科学アカデミーという組織なのだが、この組織構成員割合もまた、同じような「多様性の確保」がなされている。

これは今年の映画芸術科学アカデミー会員への招待者リストhttps://www.oscars.org/news/academy-invites-819-membership)や会員の統計https://www.oscars.org/newmembers2020/pdf/2020_new_members_overview.pdf)を見てみるとよくわかる。

 とはいえ、こうした「多様性の確保」が、この組織だけの問題であるのかというわけではない。

例えば、2016年記事映画芸術科学アカデミーメンバー加入打診で多様化意識」(https://www.afpbb.com/articles/-/3092334)を見てみると、

名簿の公開は、アカデミーメンバーや受賞者の顔ぶれに多様性が欠如しているとの厳しい批判を受けたことへの対応だ。

とあり、映画芸術アカデミーの内部的問題以上に欧米世界問題であることがわかる。

 この「多様性の確保」は、そもそも何を確保しようとしているのか。それは欧米世界における諸人種の公平化である。そして、これは逆説的に欧米世界において特定人種が不当に扱われてきたことを意味している。

そうした歴史は、ここで今更言うまでもないことであるが、日本国内にいる我々にとっては馴染みの薄いことである。(国内においても、様々に人種問題はあるが、ここでは議論しない。)

 では、この「多様性」はどのような意味で「多様」であるのか。それは、まずは人種的な意味で「多様」であるということでしかない。

これは、優等人種と劣等人種という区別構造をそのまま保持しているという点で、レイシズムの裏返しや変奏であるとすらいえる。

そして、それは個々人を判断基準にせずに、単に人種判断基準にするということである

また、こうした「多様」の意味合いは障がい者LGBTといったもの判断基準にすることもある。これは人種とは異なるものであるが、しかしこれにしても人種と同様なのである

というのも、特定属性をその個人表象として扱い、それ以外のものを捨象しているという点で、その構図は同じであるからだ。

そして、そのように表象として個人判断し、あまつさえ、その属性代表として表象化されたその個人活用するのだ。これを残酷と呼ばずになんと呼べばよいのか。

representation という英単語があるが、これは表象という意味代表という意味がある。こうした「多様性」はまさに representation を基礎に据えて考えられた「多様性」なのである

したがって、こうした「多様性概念は、表象代表(representation)の多様性である

2020-08-21

じゃあオタクは娘から「ダディ、アカデミーフェミニズムを学びたいの」とフェミングアウトされたらどうする?

どうする?

2020-07-26

Netflixの二期、三期って発表したあと続報がない

アンブレラアカデミー二期はまだか

2020-07-17

anond:20200713184901

まずは骨格診断・パーソナルカラー診断・顔タイプ診断を受ける所から始めてみよう。

ストリートアカデミーとかで探すのがおすすめ

https://www.street-academy.com/zenkoku/all?utf8=✓&search=骨格診断

5000〜7000くらいはかかるけど、きっと有意義時間になると思う

2020-06-07

Dオタじゃない私がツイステのオタクについて思うこと。

ツイステ、はやってますよね。私もやってます

でも最近、ツイステに嫌気がさしてきたんです。

ツイステに、っていうか、ツイステ好きな人に、っていうか。

私は元々、手下の頃にディズニーヴィランズが気になっていました。

でも、あれも炎上しましたよね。一部の人民度が悪いだけっぽいけど、仲のいいDオタさんみんな結構怒ってて、だから手下が気になるなんて言い出せなかったんですよ。

ツイステももしかしたら仲のいいDオタさんが嫌かもしれないと思ってた。

でも、ツイステがリリースされてからしばらくして、仲のいいDオタさんでもやってる人結構いて、じゃあちょっとやってみようかな…ってやり始めました。

最初はすごく楽しかったです。

元ネタ知ってる作品、知らない作品ありますが、元ネタ知ってるとより楽しめるなって感じました。

Dオタの友達元ネタのこんなセリフ引用するんだ!とか、この演出!とか、元ネタかるとより楽しいよって言ってました。

当たり前なんですけど、Dオタさん全員がツイステを嫌ってるわけじゃないんですよね。

でもだんだん、ツイステの夢が地雷になっていったんです。

私は監督生は男だと思ってるんですけど、最初プラスだけ無理だったのが、最近プラスBまで無理になってきて。

もちろん夢を否定する気は少しもありません。ミューワード駆使して自衛してるし、好きな人にやめろなんていう気は毛頭ありません。

そのうちに腐も苦手になっていきました。

理由は大体夢と同じです。

理由好きな人もいると思うので詳しくは書きません。

ただ、ディズニー知識も浅く、ヴィランズについても詳しくない私ですが、元々好きだったキャラクターもいるぶん、「ディズニーヴィランズ」に対する思い入れが強く、夢や腐として見られないんだと思います

私は、女性向けゲームの全てが、乙女ゲームではないと思ってるんです。同じだったらすみません

登場人物はみんな顔のいい男だから一応女性向けだけど、ディズニーヴィランズが好きなら男性でも楽しめるようなコンテンツであるのをちょっと期待していました。ロイヤルソードアカデミー側でもいいので、女の子キャラクターが出てくる可能性とかないのかなぁって今でもちょっと思ってます

なにより、ツイステが女性向けでリリースされたとき、私が一番に思ったのは、「天下のディズニー様も目をつける日本女性向けゲーム市場ヤバイな」です。

まぁ二次創作が盛んなジャンルは栄えるイメージがあるので仕方ないのかなとも思いますが、この盛り上がりは異常な気がします。

最近あったことでは、知人がウエハースコンビニで予約したのですが、それを横取りされるというトラブルがありました。取引垢には注意喚起が回ってくるし、メルカリを開けばバカじゃないの!?と思わず口にしてしまう値段での転売

ツイステ関係ないヴィランズの商品説明欄やハッシュタグに使われる「ツイステ」の文字。そのほうが人の目につき売れるんでしょうかね。

関係ないウツボ動画コメント欄にまで湧いてるって聞いた時は正直引きました。

ちげーよ、それただのウツボだよ。リーチ兄弟ジェットムフロットサムだよ。だからってリアルマーメイド関連の動画コメント欄にツイステからとか書くなよって気待ちなんですけどね。

もう湧いてんのかな。

正直、パーク開いてないしトラブルまだ起きる前から騒ぐDオタさんもどうかなぁとは思いますが、実際元フォロワーさんで「(ツイステキャラ)の痛バ持って(そのキャラ元ネタとなった作品エリア)いきたい!」って言ってる人もいたので、正直誰かはやらかしかねない気がする、って気持ちです。

その方と、その方に「それな」「一緒にいこ!」って言ってる方はそっとブロックしました。注意する勇気はないチキンでごめんなさい。

言い訳するなら、偏見だけどツイステのこういうオタク怖い。

パーク開いたらジェットムフロットサムに向かって指差し写真撮ってピンクの加工する人とか出てくるのかな…。まぁそのくらいはいい気がするんですけどね。

あと何が嫌ってツイステ好きな厄介オタク(言い方)って成人済みの方比較的多くないですか?

未成年中高生ならまだ改心する可能性や希望はありますが、いい歳してこれならもうツイステに対しては変わらないだろうなぁ…って気持ちになる方もいます

鬼○キッズとは別方向でタチが悪い。

話がとっちらかってきた。

まとめると、

・私はそもそも手下の件で派生からディズニー世界に入るのは元から好きな人に嫌な顔されそうで怖い。

元ネタ思い入れありすぎて、夢や腐で盛り上がる界隈についていくのが精神的に大変になってきた(ファンタグで腐とか夢描いてる方は本当にやめてほしいです、棲み分けて)

・ツイステの民度問題(?)は規模がでかい気がする

そんな感じです。

Dオタじゃないし、私もまだ若いので今までの炎上は手下くらいしか知りません。

ただ、はたから見たらツイステとかそれを取り巻く環境の今の感じ、ちょっとやばくないですか?

冷静になってください。

缶バッジは1つ1万円で売るものですか?

ウエハースは人の分横取りしてまでほしいですか

更新直後からネタバレガンガンしますか?

元ネタ知らないけどこれアニプレックス作品から(笑)って言い切って、ディズニー公式さんの規則無視しますか?

まだ何も起きる前から、「これはルール違反だよ!気をつけてね!」じゃなくて、「こうなるだろ!これだからツイステは!」って怒りますか?

一部なのはわかってます。わかってるけど、一部が多すぎる気がする。(Dオタさんでちょっとお前…って人はたしかに一部な気がする)

すごい失礼なこと言いますが、ウエハースにそんなに群がって、人のものまでとって、バカみたいな額の転売でも買って…なんかちょっと浅ましい気がしてしまってます

なんか、この人たちと同じは嫌だなぁ…って思ってしまうことがたまにあるんです。

もちろん、普通にツイステが好きな人がいるのもわかってるし、それにどうこう文句をつける気はありません。

腐や夢にも触れましたが、あれは私のことで、好きなのは全然いいと思います

ただ、今かなり勢いがあるジャンルってこともあり、熱を持ちすぎてるんじゃないかなぁ…とか、基本的棲み分けできてない気がするなぁ…とか、思うことがあるんです。

Dオタさん同士でもツイステは自分は好きじゃないけどいいと思う派、好き派、ありえない派分かれてるみたいですね。

汚い言い方で申し訳ありませんが、ツイステがディズニーを汚した!ツイステ民はパークマナーを守らない!!って怒ってるだけの方は、ちょっと頭冷やしてほしいです。無駄に噛み付くな。

それと同時に、ツイステ民はディズニールールをきちんと守ってほしい。ツイステの大元ディズニーなんだから、それは当然のことだと思います特にパークが開いてから、パーク内でのルールとか。

ディズニーヴィランズも枢やなさんもツイステも好きなので続けますが、もっと全体的に落ち着いてほしい。ただそれだけです。

推敲してないからぐちゃぐちゃだしディズニー詳しくない奴の勝手な言い分なので、不快に思わせたらすみません

誤字は多分アイフォン予測変換のせいです、多分。

2020-06-01

ボーダーブレイク疾風のガンフロントで学ぶ正しいガチャゲー

~~すさまじい流行り具合で各地の中小ゲーセンが息を吹き返した伝説を持つボーダーブレイクが「順調に推移している」レベルなのどう考えても失敗してんじゃねーかバー!!!!!

結論から先に書きましたが、めちゃくちゃ面白いゲームだったんですよボーダーブレイク

知ってますボーダーブレイクセガゲーセンシャイニングフォースシリーズはやらそうとして、その前に同じ筐体シリーズ前例出しとこうと日本全然流行る気配のないTPSゲームを出したら流行りすぎてシャイニングフォースに客が全然つかなかった伝説ゲームです。

全盛期(Ver.1.5稼働初期)はどのゲーセンでも20人待ちとかなんかおかしかったです。20分で500円飛ぶのに。ガンダムの絆といい勝負でしたね。あっちは既存の超強いIPでしたけど。なーんの前身もない新規IPが訳の分かんない利益出したもんだから業界騒然だったみたいです。人によっては月に20万くらいつぎ込んだとかなんとか。

そんなゲームプレイヤー社会人になりゲーセンに運ぶ足は遠のき、筐体そのままで10年もやれば限界って話で2019年9月9日10周年で幕を閉じたわけです。

それが家庭用が出るってもんだからまあお祭りですよ。受注生産の専用コントローラー目標の3000台は一瞬で達成。何万台売れたんでしょうね。オープンベータテスト10VS10と人数が多いにもかかわらず、すごい速さでマッチング。本稼働も一瞬で30万ダウンロード達成し、もはや大勝利は確定してるといっても過言ではなかったんですが、

まだ2年たってない現在アクティブ1万人に届きません。

もう大失敗ですよね。ボダブレプレイヤーゲームに金出すことを惜しまない連中ばっかりだから1万人でも運営維持できてますけど、ゲーセンアクティブ10万人くらいいたんですよ。それ本当か?自信なくなってきた。

ゲーセンにわざわざ足を運んでプレーする人がそんなにいたのに、家に帰ればゲームができる状況でそれって。

原因は対戦しかできないゲームで戦力に直結する部分をガチャしたことです。

もうアホですよね。

アバター課金メインのLOLとかPUBGとかオーバーウォッチとかが空前の売り上げを出してる現在において、戦力部分をガチャて。

対戦メインのゲームで戦力部分をガチャにすると、人口が減って面白くなくなってさらに人が減って負のスパイラルに陥るって前例いくらでもあったのに。

プレイヤーやすために基本無料にしたのに、課金部分で人口減少まっしぐら施策とるって。

まあ最近になってようやくそうなった原因がわかってきましたよ。いや、前から分かってたんだけど確信に近くなってきたって意味で。

そいつが「ボーダーブレイク 疾風のガンフロント」です。

おう、知らんなこっちは。古参しか知らん。

ボーダーブレイクスピンオフとして作られたスマホゲーだ。

完全オリジナルを作ろうとして頓挫したやつを、f4samuraiが既存システムコピーしてガワだけ差し替えたやつだな。今もやってるなf4samraiよ。

こういうやつはたいてい失敗するんだが、なんとこのゲーム5年持ちました。長寿

どうやらセガさん、このゲームのことを「成功モデル」と捉えてるようで、本家にもそれを導入すれば成功するだろうと考えてる節があります

つける薬がない。

スマホゲーは当時でもそこそこレッドオーシャンで金を際限なく使う顧客いかにとらえるかがカギでした。今も同じ。

その点でボーダーボーダーブレイクプレイヤーのこと。めんどくさいので以下全部ボーダー)は1日1万使うのがワンサカいたわけで。そこにスピンオフゲームが来たわけです。

特に特別なことをしなくてもボーダーブレイク金銭感覚おかしくなってるボーダーはどんどん課金してくれます

負けるわけがない。

要は5年持ったのは課金プレイヤーを捕まえただけであって、その課金モデルゲーム性が優れていたわけではないのですサムライ〇ね(合言葉

ほぼf4samraiが運営してセガはあまりかかわっていない雰囲気を出したのも要因かもしれないですね。

ガチャは「信頼をお金に換える」システムなので、その向く先を別会社にして本体無傷。実際はセガコントロールしていたとは思いますが。

このガチャの「信頼をお金に換える」のをよくわかってるのが任天堂ですね。スマホゲーでも任天堂単独のものはほぼ課金ガチャがありません。協力会社があるところはどんどん入れてます。そっちに怒りが向くようにしてるんですな。あくどい!

話がそれましたけど、ようはこのスピンオフ側の要素がどんどん本家侵食してきてるんですよ。やばい

猛毒がある地域活動するため耐性がある人しかなれず、耐性がある人は毒をもっていると思われて著しく差別されている、などすごい重い要素を含んだミリタリー要素がふんだんに含まれ世界観

ゲーム代を稼ぐためにボーダーになった」

とか

ボーダーになるためのアカデミー」(めっちゃ差別される職業に就くための学校ってなんだよ)

だとか、スピンオフ側のすごく緩い世界侵食してきてます。たすけて。

いいんですよ。スピンオフスマホゲーはカジュアル世界でも。ボーダーどもは完全に別ゲーと思ってるんで思い入れはないし、変なキャラいくら出てきても怒りゃしませんサムライは〇ね(ヘイトセガに向かないし)

はいかんでしょ逆は。100歩譲って世界侵食してくるの許しても、課金システムやらゲーム性を輸入してくるな。それらが優秀だったわけじゃねーぞ?

対戦ゲームで戦力の部分をガチャにすると、それを取れなかったやつがやらなくなる原因になりえるんだぞ。わかってんのか!?(ガンフロントコミュゲー)

セガ勘違いしたせいでガチャゲーと化したボーダーブレイクにおいて、罵倒毎日のようにセガに向かって飛んでいます

青木プロデューサーが掲げた「共創」も罵倒扱いです。プレイヤーが創る要素、皆無。

モモタニはもうしゃべらないほうがいいです。

エントリー

・対戦ゲーなら戦力と無縁の部分で課金を煽れ

ガチャをやるなら別会社運営にしてスケープゴート

スピンオフから本家侵食するな

の3本でお送りしました。仏ナルシーとジャダンバをよこせ!!

2020-05-20

anond:20200519224932

"そもそもテックアカデミーの42万は正規雇用じゃない" んならそもそも君の言及先の主張は無効になるんだから

そんなに噛みつかなくてもいいじゃん。なんでそんなに怒ってるの? 

2020-05-19

anond:20200519222828

20万も違うのに何を言ってんの?

年だと240万違うのにサラリーマンがいいとか算数できる?

そもそもテックアカデミーの42万は正規雇用じゃないし

プログラミングスクール先生ゴミ

https://anond.hatelabo.jp/20200519162131

少し考えればわかる

技術力のあるプログラマはい会社に入る

頂点ならGoogleとかそういうところ

そうでもない本当にごく普通プログラマ

彼らはプログラミングスクール先生になるか?

当然答えは「NO」

テックアカデミー求人を見るとフルタイムで42万円

https://techacademy.jp/jobs

20万そこそこの給料しかもらったことがないやつからしたら高く感じかもしれない

でも個人事業主で60万切るやつは少なくとも東京はいない

地方でもフルタイムで40万しかもらえずにしかも大した経験も得られないならやらないよね

じゃあ誰がプログラミングスクール先生やってるの?

どこの会社にも就職できなかったスクール卒業生

どこの会社でもやっていけないゴミだよね

そんなやつに習うくらいなら独学した方がいい

そのあとでアルバイトでもインターンでも潜り込んで

現役プログラマから教えてもらった方が遥かにいい

おれは10年前に時給900円で潜り込んだクチだけど

いかもしれないがお金もらいながら勉強できたと思えばいい経験だった

2020-03-15

セックス経験が少ない男=笑いものだろ

anond:20200315162421

からリアルナンパアカデミーの連中も懲役13年のリスクがあっても昏睡レイプに手を出すのだろ

懲役13年は恥ずかしいし痛いけど

女性セックスできない弱者男はそれ以上に恥ずかしい

世界中でそう思われているし

女性も「童貞が許されるのは小学生までだよねwwwwwwww

世界中女性のほぼ全員が本音はそうだし口に出す女性も多いか

レイプでも殺人でも何でもやってセックスしないと

人生に悔いを残すと思って強姦殺人したり準強姦バー飲み物抹茶を入れて女性を眠らせる男が中南米に多いの

2020-02-26

最近フリーランスエンジニア年収1000万(笑)ブーム

オリンピック後には不景気になるから終わるかな。テッ●アカデミーとかそろそろ広告も潮時な感じでしょ。

2020-02-21

トランプ氏「どういうことだ」 韓国アカデミー受賞に不満」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200221-00000543-san-n_ame

アメリカ大統領自由発言できてええな。

日本万引き家族の受賞で、それに言及しないだけで文句言われてたのに。

2020-02-20

anond:20200220093434

ブラックを作っているのは利他的な発想のない増田自身だぞ

世の中で学びを必要としているのは有能/無能を含めて極わずかだ

クソ有能でも目的ポストに座ったら一切の学習をやめるヤツはアカデミー世界にすらいる

改善は小さなところからだぞ

2020-02-16

パラサイトオブジェクト指向で考える

偶然できた時間を利用してパラサイトを観た。

噂に違わず、そして期待に応える素晴らしい映画だった。その素晴らしさの仕組みを読み解きたい。

システム屋なので、オブジェクト指向で読み解いていく。

ドメインは2つ。ソン・ガンホ演じる父の無職一家とイ・ソンギョン演じる事業家の裕福な家庭の2つ。

クラス図は、裕福な一家の方はシンプルで父・母・娘・息子である無職一家の方は少し複雑になる。

同じ父・母・娘・息子と構成は同じだが、それぞれが偽のロールを実装し元の素性を隠蔽している。

作品というアプリケーションの中で、この2つのドメイン間でのメッセージのやりとりでストーリー駆動していく。

メッセージの発生は基本的イベントリブンになっている。

最初イベントはチェ・ウシク演じる無職の息子が友人の代理として、裕福な家庭へ家庭教師面接を受けにいくところから始まる。すでにこの時点で偽のロールとして継承している。そして、以降芋づる式に無職一家は裕福な家庭に偽のロールを継承しながら組み込まれいてる。いわゆる密結合である。密結合はいろいろと良くないことが起こる。そして映画でも良くないイベントが起こる。

あとは、映画を観てもらうとして、基本的には密結合した2つのドメイン間でのイベントが発火するごとにインシデントが発生しシステムダウンに向かうストーリー見立てる。

という感じでシンプル構造を解析すると、映画の中での重要ガジェットに気づく。

それは「臭(にお)い」である

無職一家のそれぞれの元クラスさらに親クラス貧困層実装されている臭いは偽のロールにも引き継がれ、ところどころでメッセージとして出現する。ただし、出現するだけでイベントは発生しないようにみえる。

そこがこの作品の1つの重要設計要素になっていて面白い

言葉や行動など偽のロールで実装した可視化されたメッセージと、根源クラスにある非可視臭いメッセージのやりとり。臭い隠蔽できなかった時点でシステムとして破綻は目に見えてた。

ここで、構造をもう一段掘り下げる。

無職一家の父・母・娘・息子というクラス自体映画でのロールという偽物である

まり俳優のものオブジェクトがあって役になり、作品の中で偽物を演じるという3段階の構造になっている。

そして、俳優生活のもの貧困一家のような生活ではない。

多重継承である

偽の家庭教師を演じている無職息子と、それを演じている俳優

多重継承は常に複雑度を増し、予測もしなかったような振る舞いをする時がある。

それがこの作品本質と思ってる。

まり作品だけを見ると貧困層富裕層悲喜劇に見えるが、それ自体富裕層の遊びになっているのでは?という視点で、実際少なくないレビューがそれを指摘している。いわく、本当の韓国貧困を描いてない等の指摘である

言いたいことはとても分かる。

監督ポン・ジュノの経歴を見ても、普通に大学に行って映画アカデミーに再入学小説家祖父もつという貧困とはあまり近くない。

社会問題を描くとき当事者でないと本質を描けないのかという問題は本当に根深い。

極論すれば、殺人テーマにするならば人を殺さないといけなくなってしまう。

そして、されに言ってしまえば、当事者自分たち問題作品化する能力があるかどうかという問題と、そういった作品果たして当事者たちが触れる機会があるかどうかという話になる。

そこまで行くとすべてがゲームになる。

ある社会問題に対して、インテリ作品をつくり富裕層ではないけれど貧困層でもない聴衆が消費し、何とかしないといけないねと言いながら何もしないといういつものパターンである

パラサイトもそういったアンチパターンの一つかどうかは今の時点では分からない。

パラサイトノンフィクションではない。とても上手く設計されたフィクションになっていて、アカデミー作品賞が贈られたことにも疑問の余地がない。

ポン・ジュノ監督スピーチで言った

もっと個人的なことが、もっとクリエイティブだ」

という言葉。この個人的なこととは何か?

作品から観客へ送信されたメッセージ、それが何か。

ゲームで終わらせてはいけない。

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