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2022-08-29

anond:20220828221124

自転車は機材が変わったとしても自転車に乗るという楽しみの本質自体は変わらない。

という意味ではカーボンアルミも同じだと思う。

 

自転車乗りならわかってもらえると思うんだけど

ママチャリ遠乗りするのも

ロードバイクで150キロ走るもの

自転車を楽しむ本質的なものは同じじゃない?

 

カーボンバイクに変更することで

より速く、より疲れず、長い距離を走ることは可能になると思う。

その部分にどれほどの価値を見出すか?ということだと思う。

 

自転車は機材スポーツなので機材に対しての興味は尽きることはない。

でも、どれだけ機材が進歩して素晴らしくなったとしても、

自転車に乗る、という本質的な楽しみの部分は何も変わらない。

何台かのバイクを乗り換え、ホイールを換え、コンポーネントも変わり、ビッグプーリー、電動化、ディスクブレーキetc機材は大きく進歩して変わっていった。

でも、変わらないもの

一番最初に乗ったスポーツバイク

一番最初ジャイアントクロスバイク

そのバイクに乗っていたらローディに鼻で笑われたこともあるけれど、

その最初の一台で200キロ走ってお尻が痛くてヘトヘトになって、もう自転車になんて乗らない、

と思った次の日の日曜日にまた走り出してしまったとき以来の自転車に対する尽きぬ愛情は何も変わらない。

2022-08-25

豆腐はもめんかきぬ

うちの母親はこどものころもめんばっかたべてて貧乏な印象あったから、結婚してからきぬばかりしていた

でもその母親のもとで育った俺は、きぬはたべごたえないからもめんのほうがすきだといってもめんにしてもらっていた

もう家を出たからいま母は父と二人暮らし

好きなだけ絹をたべているんだろう

2022-08-15

山のあなたの 空遠く

「幸」住むと 人のいふ

噫われひとと 尋めゆき

涙さしぐみ かへりきぬ

山のあなたに なほ遠く

「幸」住むと 人のいふ

2022-07-31

anond:20220731154446

拙者がめぐみんでござる

増田殿は罵倒されたいでござるか?

変わった趣味でござるな

しかし他ならぬ増田殿の頼みとあっては無下にはできぬでござる

では早速、増田殿を罵倒するでござる

増田くんのざ〜こ☆ほんとにざ〜こ♪

2022-07-24

想像を絶する家康の苦労

来年大河ドラマになるけど。

家康の苦労はたくさんあるが、最大のもの奥さん長男を斬った話だろう。

築山殿が晴れ着を着て待っていた話などは心苦しいエピソードである

タイミングこそ全て。「阿茶局」との出会い必然だった⁈

天正7(1579)年。失意の中で自分を責め続けた男(38歳)が一人。というのも、これまでの、そしてこれから人生の中で、一番辛い出来事が、彼の身に起こったからだ。それは、子と妻を一気に亡くすという悲劇想像以上の痛手。トラウマさえ残るほどの苦行。これだけでも辛いのに、皮肉にも、その原因を作ったのは自分。自らが「彼らの死」を命じなければならなかった。誰を恨んでいいのか。人生矛盾に答えなどないと気付く。

その男性とは、のちに天下人となる徳川家康

当時、織田信長同盟関係にあった家康は、窮地に立たされていた。原因は、長男・信康(のぶやす)の妻、徳姫の手紙である。徳姫は信長の娘で、家康正室・築山殿と嫁姑関係がこじれている真っ最中の状況。そのせいもあり、徳姫は父・信長に対して、夫である信康の愚痴や、夫と姑が武田方に内通していると、手紙で訴える。これを受けて信長は即刻、罪状認否を行い、信康の切腹を言い渡す。

徳川家康

織田信長の決定に、徳川家中での反発は大きかった。しかし、当時の家康はまだまだ力不足選択肢などなかったのである。一時の感情で動いて信長敵対するなど、家の存続を考えればできぬこと。已む無く、長男・信康と正室の築山殿を見捨てる決断を下す。

天正7(1579)年8月に築山殿殺害9月幽閉されていた信康は切腹

残された文書に、築山殿が殺害された当時の状況が記されている。「今日岡崎から夫に会える」と築山殿は極上の晴れ着を身に着けていたのだとか。少しでも綺麗な姿で家康会いたかったのだろう。報告を受けた家康は、一説には、なんとか築山殿を逃がせなかったのかと、介錯人を責めたとも。地獄を見たとは、まさに当時の家康のコトなのかもしれない。

そして、同年。

天正7(1579)年のこと。『神尾氏旧記』と『当院古記』の資料によれば、「阿茶局(あちゃのつぼね)」が徳川家康側室として召し出されたのが、この年だとか。人生最悪の時期に、家康阿茶局出会ったのである。どのような経緯で、家康の目に留まったのかは不明。ただ、彼女が心の琴線に触れたのは確かだろう。ある意味家康阿茶局との出会いで、人生を救われたともいえるのだ。

https://intojapanwaraku.com/culture/98681/

2022-07-06

まれ変わるなら多少おバカでも超絶美人可愛い方がいい。

当方アラサー彼氏ナシ。

人生行き詰まってきたので人生ゼロからやり直したい。

私は自分容姿が大嫌いだ。

小さめの目、面長でパーツのバランスが悪く、全体的にのっぺらぼう、どう足掻いても幼さが残るこの顔が。

これまで歯列矯正、顔の脂肪吸引、眼瞼下垂の手術兼二重形成自分で稼いだお金でしてきたが、手術するのが難しい中顔面のせいで理想の顔には程遠い。

メイク勉強したり、就活で太った時はジム通いで痩せて標準体重以下にできたりもしたが、すっぴんでも可愛い子や、痩せたブスより太ってても可愛い子のほうがいいに決まってる。世の中どうせ顔なんだ。

どうしてこれまで自分の見た目が大嫌いなのか。それは幼少期から

クラス男子デブと罵られる(※客観的に見たら普通くらいなのに)

席替えで好きな女の子の隣ではなく私の隣になるのが嫌すぎて男子から延々と泣かれたことがある

・私(当時一重)の前で「一重って可愛くないもんね」って部活の同期から言われる

部活の同期のマネしておでこあげてたら陰で男子から落武者と言われていることを知る

SNSで知り合ったオタク仲間に、見せてと言われたので自分の他撮り写真を見せたら無反応だった(おそらく可愛くなくて反応に困ったのだろう)

・当然ナンパなんてされたことない

などなど……書き出したらキリがないのでこれくらいにしておくが、小学校低学年には既に自分容姿は良くないことは自覚していたのだ。

そんな私でも、中学くらいまでは勉強カバーできていた。高校は市内でトップの“自称進学校に進んだのだが、自分よりも可愛いくて美人勉強できる子がたくさんで心が病んだ。私には何もないじゃんか。こうして中途半端レベルしか勉強のできぬブスが出来上がってしまった。

これで東大やら京大やら受かるレベル勉強できてたら何も憂いていなかったかもしれないのに。残念ながら神様は不平等だ。

有難いことにこんな顔面でも彼氏いたこともあったが、私が仕事でクソがつくほどの田舎に突然飛ばされ、一年遠距離の末捨てられた。

私をそんなクソ田舎飛ばし職場退職して別の職場転職したけど、コロナ禍も相まって時間をいたずらに消費され、無駄に歳だけ喰ってしまった。

現在アラサー彼氏ナシ、見た目には気を遣っているが容姿に自信ナシ。

コロナ禍を経て、現代の男女が出会う場として、マッチングアプリが主要になっている。そろそろパートナーが欲しいな…一緒にいればより楽しめる様な相手がいればな…と思うんだけど…

こんなの無理じゃないか???

「自信がなくても顔写真登録しましょう!」「プロフィールは詳しく書きましょう!」

無理だろ!!!!!!顔写真見てアッ…ごめんなさい…って遠慮されて誰ともマッチングできないの目に見えてるよ…

ネット上でマッチングアプリ婚活話題になる際、「本当に良い異性はマッチングアプリ婚活市場には来ない(そんなことしなくても恋人できるから)」「自分は‘売れ残り’だと自覚した上で婚活しろ」という声を見かけたことがある。

私の様なブスは当然売れ残りだ。でも、売れ残りだとしても、後悔のない相手を選びたいし選ばれたいのにな…

その点、美人なら、選びたい放題だし、多少積極性を出しても受け入れられるんだろうなと思う。

少し前に、某動画サイト投稿されているギタボの人をネトストして特定した結果、その相手結婚できたという女性話題になった。

ネトストという行為は決して許されたものではないが、顔が良ければ想い通りの人と結婚できるなんて超絶イージーモードじゃん…と思ったものだ…しかもそのお相手さん関学卒(関東でいうMARCH相当)とかいハイスペだし…

私はもう遺伝子レベルで生まれ変わらないと、自分人生に満足できなくなってしまった。だから人生ゼロからやり直したい。自分容姿に悩まない、恋人パートナーが途切れることに悩まない人生送りたい。

来世はさ、もう今世ほど勉強出来なくていいから、フォロワー4桁抱えれるコスプレイヤーになれるレベルくらいの、100人いたら100人可愛い美人って言えるくらいの女性にしてください。

2022-07-01

https://yururito-sengoku.com/sengoku9/bushinikushokuji.html

戦国時代武士食事!~お肉事情編~

『腹は減っては戦はできぬ』という言葉があるほど、戦国時代武士にとって食事は大切なもの

食事をとらなければ力がでない!

力がでないという事は動けない!

動けないという事は戦に勝てない!

そう、食事は戦に勝つ為のパワー!

食事を怠れば死、あるのみ!

それなのに、なぜか戦国時代武士達は肉を食べるという事をあまりしていなかった?!

なぜなのか??

戦国時代、肉を食べるという事はどういう事だったのでしょう??

今回は戦国時代の肉食文化についてゆるりと解説しております

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戦国時代以前にあったらしい『肉食禁止令』・・・

そもそもの話…、

戦国時代より昔から日本人仏教の影響で肉食文化にあまり馴染みがなかったようです。

はいってもまったく肉食文化があったわけではなく、これにいたっては身分の高い人がその傾向にあったようです。

歴代天皇は『肉食禁止令』なるものを出していたそうで、公家などの貴族なんかはこのお触れを守り肉を食べる事をしなかったそうです。

『肉食禁止令』なんかがあるくらいだから、肉食は普通に行われていたと考えられるわけですが、

武士というもの貴族文化マネしたがる傾向にあるようで、

肉なんてヤダわはしたない~時代魚介類っしょ~!

ってな感じで魚が副食の定番となっていったそうです。

ちなみに鯉や鯛なんかが高級食材だったらしい。

宣教師登場で変わる日本食事文化・・・

日本人なら魚っしょ!ってのが当たり前だった昔の武士達…。

そんな武士達の食事常識を変えたのが、キリスト教文化日本に広めに来た宣教師だといいます

日本人ってなんで肉食べないの?

肉、美味しいんだよ?

首回りのピラピラした衣装マント動物の毛皮なんかの南蛮アイテム流行に敏感な武士達に多大なる影響を及ぼしました。

南蛮文化イケてる、だぜ?

食うしかねぇだろ。肉!

戦国時代になると南蛮文化の影響を受け、肉はなんか食べちゃダメという感覚が薄れていったといいます

動物であれば猪、豚、ウサギ、狸なんかが食べられていたそうで、鳥であれば雉や鶴、小鳥なんかが食べられていたそうです。

基本的に、食べられるものは何でも食べちゃうというスタンスであったそうな。

しかし、意外にも現代では超メジャー牛肉は食べなかったそうです。

牛は農耕に使う生き物。

食べるもんじゃない。

という常識があったんですって。

食べた事ないけど絶対ウサギや狸より美味しいのに…

戦国時代の人に焼き肉の美味さを教えてあげたい。笑

ちなみに馬も食べなかったそうです。

牛同様に、

馬は交通手段や戦で使うもの

という感じだったそうな。

ちなみに猫や犬、猿なんかのペット系は現代と同じで「食べるもんじゃない!」という感覚ちゃんとあったんだって。良かった…。

豊臣秀吉、虎の肉食べてたらしいよ。

豊臣秀吉は虎の肉を好んで食べていたそうです。

戦国時代で虎といえば『加藤清正の虎退治』が有名ですが、朝鮮出兵では秀吉のご機嫌を取る為、他の武将達もこぞって虎を討ち取ったと言われております

武将達は討ち取った虎の肉を塩漬けにして日本にいる秀吉の元へ送ったそうですが、あまりの量に秀吉

もういらない…。

ウンザリしていたそうな。

ちなみに虎の肉は滋養強壮に良いとされていたそうです。

その味やいかに・・・。

絶対に美味しいチキン鶏肉が食べられなかったのはなぜ??

雉や鶴、小鳥なんかは食べられていたと言われていますが、実はこれまた意外にも鶏肉を食べていた記録はないらしいです。

鶏は昔から日本存在する鳥、手軽かつ美味しいのになぜ昔の人は鶏肉を食べなかったのか…??

それは、鶏は『神様に近い鳥』とされていたから。らしい。

白く美しい体に映える真っ赤なトサカは『日の出』を連想させ、日本の『旭日信仰』に通じるものがあるからというのと、

毎朝正確な時間に鳴いて日の出を告げるのが、当時の人々には凄く不思議神秘的に感じていたそうです。

鶏様は神の使いに違いねぇ!

鶏様を食べたら天罰がくだる!

という事ですね。

こんな感じなので、鶏の卵を食べていた記録なんかも見当たらないそうです。

戦国時代武士食事普段はどんな感じ?

肉が普及しだしたとはいえ戦国時代武士普段食事はと比べると極めて質素でありました。

戦のない時は朝と夕方1日2食がデフォだったという…。

しかし、それには…

戦が始まれば、毎日満足に食事がとれる保証なんてないからな。

長期戦になればなるほど兵糧の確保も大変なわけだし…

数日間食事がとれない状況になったとしても大丈夫なように、1日2食で体を慣らしておくのだよ。

このような理由があったと言われているようです。

とは言ってもその1日2食の食事量は凄まじく、1回の食事で2合半のお米を食べていたそうな…。

ちなみに米は米でもそこらの武士玄米を食べていたんですよぉ。

白米は当時、高価で貴重なものでしたから…

身分の高い大名毎日食べてたのかなぁ~いいなぁ~。

ちなみにおかずは、魚や大根や芋の煮物、菜物入りの味噌汁なんかがあったそう。

玄米漬物だけという質素メニューの時も多かったらしいので、その時の経済状況や食料事情、それぞれの地域結構格差がありそうですね。

世界各国から様々な食料を輸入してる現代とは事情が違うもんね。

日本国内だけじゃなかなか賄えないし、食糧難とかもあるよねぇ~。

ちなみに、いざ戦が始まると白米のほうが玄米より早く炊けて消化も良いとの理由足軽たちも白米を食べていたんだとか。

白米に味噌ネギ野菜を混ぜ、雑炊にして食べる事が多かったよ~!

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おまけ・武士定番携帯保存食

兵糧がん

そば粉に酒やはちみつ、すり胡麻を混ぜて蒸し、それにきな粉をまぶしたもの

焼きおにぎり

玄米おにぎりに赤みそを塗って焼いたもの。保存も効く。

みそ玉

味噌にすりおろし生姜や酒を混ぜ焼き、丸めもの

塩分補給に最適。お湯でとかせば味噌汁にもなる。

煮干

カルシウム満点の煮干し。多分、おやつ感覚で嚙んでたと思う。

干し飯

白米、玄米を一度蒸して乾燥させたもの。お湯や水で戻して食べていた。

インスタントライス

2022-06-26

世界の終りにおいて、世界を救った男テミストクレス(1)

 ギリシャ世界ペルシア軍の大遠征において黄昏に瀕していた。

 空前の規模を誇るペルシア軍団紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダ一世戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイ軍人テミストクレス率いるギリシア海軍絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。

 しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。

 絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。


     ◇


 ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である

 紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである勝利に沸くギリシア民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧勝利だったのである

 一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界アジアに対する完全な勝利であった。

 しかしただ一人、アテナイ政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。

 いずれギリシア絶対に負ける、と


     ◇


 アテナイギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市国家を成す統治形態政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシア暗黒時代においてはギリシア半島ペロポネソス半島)には大量の異民族流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。

 そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイいかにして生き延びたのか?

 それは、あまりにも乏しい資源によってであった。

 アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイ暗黒時代における異民族侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位確立するに至ったのである

 さて、そのような経緯もあり、スパルタアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイ人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。


 一方、ペルシア現在におけるアフリカ中東中央アジア南アジア北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレス紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである

 しかし、テミストクレス絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。

 彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシア絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。

 無論、軍事力が精強なペルシア海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船保有数は、ギリシア保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。


 テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考きぬ頭脳を持ち得ていた。

 テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレス軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。 

 ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシア海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである

 アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸からかに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジア大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識海軍備の増強へと向けさせることに成功した。

 さて、この時アテナイ新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである

 何故か。


 ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。

 テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略であるペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市本国から創出した食料を、効率的前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。

 しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站必然的海路依存していた。

 艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的兵站形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレス明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである

 つまり海上兵站破壊し、ペルシア陸軍機能不全にすること。それが、それだけがギリシアペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。

 そして、それを理解していたのはテミストクレスだけであった。


     ◇


anond:20220626003448

2022-05-25

anond:20220525201136

自分他人を同一視しないほうがいいのでは?

しょせん、他人他人

完全にコントロールはできぬ

2022-05-06

INTJとINTPの差

2022-04-17

anond:20220405084926

NAからAIを引くとNが残り意味が通らなくなるので

AIは確かにそこにあったのだ。

しかし、愛は語句として定義きぬ

存在しないように見えて存在している、丁度空気のように。

2022-04-16

ツイッターとかの文末の()もそうやけど、最後の知らんけども意味は一つではない

どちらも所属する界隈によって意味が揺れまくってると思う。

そしてそれを修正きぬまま使うからバリエーションが増えまくったのだと。


自分感覚だと、「()」はセルフ突っ込みというか消極的突っ込み待ちというか、本心100%ではないですよ~的な免罪符役割が大きい。

カレーに対して思うところがあったりしたときに(カレーに対して思うことなんてそんなにないけどいい例えば浮かばん)

今日カレー食べよ()

みたいな、揶揄する意味もあったりするか。文章ではもごもごできないから。

2022-04-14

anond:20220414194417

増田のよしみで重要なことを教えてあげよう

結論から言うと、はさめたりはさめなかったりする


まず胸のサイズがG以上としても、痩せ型、つまりアンダーの数字が小さい場合、はさめるほど胸の体積が大きくない場合がある

また、若くて胸にハリがあると伸びにくいのではさみにくい

次に、はさむ対象が短い場合

エロ本みたいなつきぬける感じを期待されてもさ…そっちの形状的に無理なもんは無理だよ!

はさむ対象そもそもソレ想定ではなかったとしたらこちらの先走りである申し訳ない

はさめるはさめない、どっちにしても幸せにいちゃつければそれでいいんじゃないっすかねとわたくしは思いますがね!!

2022-04-04

人生が致命的に上手くいかない

というよりも、残り時間の少なさにいよいよ危機感を覚えるべきときに来ている。

正直言って、このまま死んでもいいぐらいにどうしようもない人生だ。しかし折角だから最後創作活動を多少なりともやっておきたい。

やはり俺には何の才能もなかったのだ!と叫んでから死ぬのだ。

逆になんということだ俺は天才だったのか!と人生が突然に開けだすのも悪くない。

どちらにしろこのままある日突然死んでからなんということだ俺は何者だったのだろう?と悩んで消えていくというのはどうにもしっくりこない。

しっくりくるかどうかというのは人間にとっては最重要だ。

そもそもをして我々の人格なるものは全身の神経の電気刺激の集合が、しっくりくる状態を求めて相互作用を繰り返した結果なのだ

まりはしっくりくることを求めることが本能なのである

よく言う食欲や性欲についても腹が満たされればしっくりくるし適度に股間勤労意欲を満たしてやるのがしっくりくるということだ。

さてさて、そうは言っても何をすればいいのか。

子供の頃はゲームなんぞを作りたいと思っていたが、私が今までに遊んだ俄作りの素人ゲームなんぞは100を超えようが、それらについて言えるのは本当の天才不断努力の果てに作り出したもの以外はクソであるということだ。

私は過去に一度や二度ゲーム作りに挑んだが天才でないのも努力家でないのも明らかであった。

よってゲーム作りは却下である

次に絵や漫画却下である。これもまた天才不断努力かの賜なれど、私には到底そのどちらもないことを人生証明してきている。

音楽芸能の類も同じく運動も駄目でそもそも手先が不器用であり物を作るのには向いてないし、感覚器官が全体をして曖昧模糊としているので料理やら目利きやらも不得手である

となればもう残ったものは文筆のみである

悲しいことにこれはもう事実なのだ

文筆とは時として天才たちがその天才性を抜き身のままに振り回すための土俵であるとも扱われがちだが、実際にはどちらかといえばあらゆる才能の土俵から追い出されたハグレモノの集まる無能無才が暮らす創作界のスラムである

持って生まれ能力努力も足らぬ私は当然のようにこのスラムにふらりとやってきて、そこで海の物とも山の物ともつかぬ某方をどうにかこうにかして有象無象をあれやこれやするのがお似合いなのである

全くもって文筆とは素晴らしいもので、たとえば「それはそれは見事な紅葉の山」という言葉だけで「それはそれは見事な紅葉の山」を表現できる。

もしもこれを絵で描こうとすればどれほどの能力時間を有することか。

背景画像の集合からピッと貼り付ければいいではないかと思う横着者のもおろうが、それを探してくる手間さえなくただ「山」と書けばそこに「山」が現れるが筆しらべの秘術である

全くもって人生において遊ぶことと無能なりに食っていくことに大忙しの貧乏暇なし無学慌ただしというものだ。

才能がなければただ遊ぶということにおいても無用時間をもって大したことも出来ぬままにいくら時間を使っても付きぬものから創作に使っていられる時間など人生のうちの極々一部となる。

そうなるともういよいよペンを持って事を為す以外の道などないのだ。

たとえば俳句など読んで見ればわずか17文字おきに一作品が出来上がる。

全100作の俳句をつなげた一世一代詩集を認めんと心に決めれば原稿用紙にして4と1/4で済むわけだ。

これは実に無能に優しいというもの

掌編小説などは原稿用紙に5枚でいいし、短編で10枚、長編でも50枚も描けば十二分に両足を突っ込めるというものだ。

原稿用紙50枚!と聞くとなんとも驚きだがなんのことはないツイッター3回で原稿用紙1枚なのだからツイッターを150回だ。

ナンセンス小説であれば「イヤー!アイヤー!チョイヤー!ドッカーン!」なんて引き伸ばしの擬音を次々に入れれば簡単に稼げるものだ。

官能小説であれば喘ぎ声や擦れ音で半分埋めるのが実にシズル感があると推奨されている。

こうなればもう簡単だ。

3作も書きあげれば(なんとツイッター500回程度でいいのだ!)もう十分、「やあやあ我こそ物書きなるぞ!我の才能が偶然この時代に噛み合わぬゆえもう諦めて余生はくだらん仕事をして糊口を凌いで残った時間はひたすら遊んで過ごそうと思ふ」と言い張れるのだ。

3作のアイディアだって簡単だ。

まずは自分主人公ノンフィクション半生伝記を人知れずかきあげて、手塚治虫なりヘンリー・ダーガーなりを気取ってこっそりとHDDの奥に仕舞い込んでしまうのだ。

次に脳内で連載されている作品から手頃なのを1作書き上げる。

最後自分理想とする社会についての妄言をあれやこれやと書き連ねたらもう3作だ。

あっという間である

後半の2作を適当ライトノベルなりハヤカワなりの賞に応募して、一次予選で落とされて帰ってくればもう残りの生涯は自由である

「俺は自分に秘められた才能を試し終わったのだぞ。誰が文句をつけるものか。天より預かった才能は地に返してから死ぬべきだが、それが元より無いなら自由に生きるのが当然だろう」と堂々とぐうたらぐうたら暮らせるのだ。

さあ自由になるために筆を取ろう。

2022-02-17

クンニ✋(👁👅👁)🤚は男だけではできぬ

2022-02-07

anond:20220207094107

こうした安定した場所で見ていると もうそれだけで・・・しみじみ幸せを感じられる・・・

普段感じることのできぬ「セーフティ」という名の悦楽・・・

安全であることの愉悦・・・・!

2022-02-01

anond:20220130195853

東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ 柿本人麻呂

ひんがしの のにかぎろいの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ

2022-01-31

anond:20220130195853

がっこーのこくごでならったかきつばたからころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびおこそおもうしかしらんわ秋ナスwwwwwww

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