はてなキーワード: ありがちなとは
の話の前に、俺の故郷の増田県の話から始めよう。俺が増田県を出て埼玉に一人暮らしを始めてもう干支が一回りした。今年も甲子園には私立増田清栄高校が出る。7年連続18回目。わかってる、あのクソ高校の野球部ときたら関西下りのガイジン部隊の巣窟で、クズ高校だった清栄の偏差値を上げるためのコマセでしかない(しかもちゃんと偏差値は上がったから見え透いたコマセも効くものである)。スポーツ特待生と一般生徒は校舎すら別、ありゃ、2つの高校に強引に看板を掛けてるだけだ。地の人間なんか3年に1度ぐらいアリバイのように3塁コーチに立つぐらい。それでもまあ、甲子園が始まれば俺も増田県で産湯を遣った人間である、なんだかんだで結果ぐらいは気になる・・・
同じような感覚が、俺の中で「ネット発」というやつにある。いや何、原作は初っ端だけ商業の網に運悪く引っかからなかったけれど、彼は創作エリートで、こんな場末でぶつぶつ言うぐらいしかできない俺とはくらべものにはならない。でも増田清栄の連中に感じる数倍ぐらいは「俺たちの」感がある。ならばその夢の晴れやかだか無惨だか知らない終わりを見に行かなければならない、という訳だ。
しかし、こういう状況だと作る側はしんどい。少なくとも原作からは言った連中からすれば、動画になったとはいえ結局その2時創作にならざるを得ず何をしても「解釈違い」と叩かれる可能性はある。その中であえて新キャラをぶっ混んで1エピソード(と言えばいいんですかね)を敢えて入れてきた勇気はその成否は別として褒めておきたい。入れてきたとしても、全体に通じる「足を引っ張る悪人はいない」という守るべき最低限の線はキチンと踏んでいる。某ネトラボはその点を激しく排撃していたが、もとからそういう「おかゆ」である。その点を看過してわざわざ「おかゆじゃん」というのは明らかにお前は黙ってろ案件ではあるまいか。こういうのでいいんだよこういうので。おまえは試写室で硬くて暗い映画でもメモ取りながら見てろ。
さらにいえば、追加エピソードは極めて現在的で、かつ意表の付き方はなかなかいい。そして作中ジーンの言を借りて”俺がこれが必要だと思ったから足したんだよお前がどう思ったとしても”と開き直る。下手な言い訳より余程好感できるというものだ。この追加によってこの映画はちゃんと、そして最大の眼目でもある「90分にする」という目的も達している。この映画もう一つの興味は、ちゃんと予定の尺を作れるかという点だ。その曲芸を破綻なくこなし通した、というのは十分に称賛に値しよう。
もう一つ、この追加でプラスになったのはミスティア描写だろう。原作(但し1巻のみ)では単なる後背の完璧超人であったが(初見の時いつ裏切るかと思っていた)、削られた部分を考えてもそれを超えてきた。
ただし、原作寄りの見方をすれば時系列の切り替えはあまりに映画的にしたいという欲が見えすぎる。原作的な同時並行でもよかったのではあるまいか。
一番気になったのは、編集シーン。あれ、全盛期にそれをメタに皮肉った「num1000って大体こんな感じ」というフラッシュ動画に見えてしょうがなかった。PC上のる編集シーンなんてどうしたって絵にはならないけどね。これを頂点に、随所に「あと一歩でありがちなダメ邦画」に陥る剣ガ峰に立っている感が目立つ。
もう一つは、アニメ的描写なのか「ココすごいシーン」というのを絵だけで何とかできず、記号的に処理した(のか、記号自体がありうるリアリティラインなのかが微妙ではあるが)のはあまり頂けない。原作はうまく黒澤したけどあれをアニメでやるわけにもいかなかった。
とはいえ、その致命的な一歩を誤って踏み出さなかったバランス感覚があって本当に良かった。綱渡り師はちゃんと彼のロープを渡り切った。ここらじゃしばしば綱渡りは失敗する。中にはハッパ決めすぎてロープからテメェが落ちたことにも気づかない莫迦までいるからな。
気楽に前向きハッピーに、ってのは悪くないし、その目的にほんのちょっと我意を混ぜ込んだにしては手際よく90分にまとまってる。エンドロールも含めて、こまめにくすぐるサービス精神も旺盛。郷土の出世頭を仰ぎ見るこちとらとしては、拍手喝采大団円だ。それでいいじゃないですか。こういうのでいいんだよこういうので。
まあ、佳作と言っていいんじゃないでしょうか。
風呂敷を広げるときはいくらでもイケるけど、畳む時はけっきょく親と子、みたいな人と人との話にならざるを得なくて、そこらに転がってる凡庸な話に落ち着いてしまった感。まあ元からそうだったといえばそうなんだろうけど。
というかなんだあのカップリング。青春小説とか青年漫画にありがちなくっつき方でうわあってなってしまったわ。まああのカップリングが成立するにあたってシンジとアスカがかわしたあの会話が「大人になる」ってことを象徴してるんだろうと思いつつ、それもふくめて凡庸ではあった。
しかし恐らく「終わる」というのは「日常に戻る」ということであり、ある種の凡庸さを抱えることと同義であろう。エヴァという物語がしっかり「底」を見せたことで、95年から始まった熱狂がついに去ったとは思った。エヴァが日本のサブカルに影響を与えることはもうないだろうし、それで良いと思う。
スーパーカブは最初、オッサンにJKアバターを被せたオッサン趣味コンテンツかと思ったら
地方にありがちなヤンキー崩れみたいな人間が、カブによって世界が広がったって言う話になるんだよな
だから、原作ではダサ坊に蹴りを入れるし、制限速度なんて守らないし、ダチのためならマジ体張れるし、みたいな
3話くらいまでの警察とコラボしちゃう漂白世界は、カドカワ(もしかしたらHONDAも)の思惑だと思うんだけど
ちなみにこれ、原作は一億台生産だかのキャンペーンに絡む作品だったんよね
という締め
具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係が三次元的に脳内に構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。
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小説は漫画とかと違ってイメージが押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物の容姿)」という文言が省略されているように思える。
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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説は想像することを楽しむものって手段と目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。
くだんの小説も建物の「構造」について図があるからといってイメージを押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから、文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。
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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく
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https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit
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そしてどうしてもこれだけは抜粋しときたい(5chのレスから)
文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?
なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」
みたいな変な部分が必ず出てくる
読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景の説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。
各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。
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前記の小説の施設を見学するシーンでも各区画を主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。
確かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下の関係で足取りが立体交差できるような文章だったか。
区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。
なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。
そもそも自然言語というものはねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係を表現するのに不向きなのかもしれない。
そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景の説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。
ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから。
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「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。
「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。
この話は作家自身の航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。
たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定な姿勢だから、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。
思い込みで文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるから、ちゃんと正確に書いてほしい。
正確に書けば書くほど想像の余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。
想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るとアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。
酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義のフレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態の概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。
俳句は小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像の余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。
むしろ想像の喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿の描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女のイメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説をカップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現そのものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ。
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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。
しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。
不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。
作者は思い描いた風景を必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。
小説には攻略本もITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。
二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。
人工知能は与えられた文章をイメージに接地させずに意味を理解できるが、人間としてはイメージに還元できないことには文章を味わうことはできない。
もちろん読者側の能力の問題かもしれないからそこは見極めなければならない。
先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界に小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育を刷新するか、そういう判断の指針が得られる。
教育を刷新するというのは単に文章を多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。
単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。
基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。
たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章をイメージに還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。
社会問題について述べた,意識のお高~い記事にありがちな締め文句,
彼らによれば,地球の裏側の貧困にも,地球規模の水不足にも,アメリカの格差社会にも,全部俺らは関係者で,責任があるらしい.そんでもって,自分たちの活動が,他人にとっても価値のあることだということが,彼らには全く疑いの余地がないらしい.そんなわけねーじゃん.
俺は個人的には彼らの活動を評価しているし,見かけたら募金くらいはしてやろうというつもりはある.実際にしている.ただ,上記のような文句は,あまりに不遜な態度ではないか.事実を伝えて,それだけでよいのに,他人の良心にまで踏み込む権利は彼らにはない.彼らのような活動は,本来自発的なものであるし,それに,社会問題に目が向かない人は,怠惰でも不誠実でもなく,ただ余裕がないだけの場合が多い.当然国内にも貧困はある.無い袖を振らないことを,ともすれば悪意と取らせかねない,そんな言い草はやめるべきだ.身近にある貧困を無視して,「日本人は恵まれている」と主張するのは,あまりに冷酷じゃないか.
僕は168cmで80キロでまぁ普通に太いんだけど、体型いじりをされると結構イラついてしまう。
飲みの席とか、会話の流れで弄られるとかなら受け流せるし、まず弄られる隙のある体型をしているのが悪いと自覚してるんだけどさ。
会話の流れからじゃなくて、他人との会話を遮ったり、いきなり言ってくるパターンがジジイには非常に多い。
別に話題がないなら話しかけて来なくてもいいよ?とか忙しいのが見えないのかな?と思って表面上は流しているけど、かなりイラつく。
その点まだババアには救いがある気がするな。
ジジイにありがちな「年長者の話は聞くものだ」的な態度があまり無い。
今までそう言ういじりをして来きたジジイで素性がわかってる奴は数人しかいないけど、独居老人か家族に問題がある奴しかいない気がする。
そんな性格だから、その程度の老後しか送れてないんじゃない??
って思うことがよくある
モンハンに行き着くまでに他のゲームを当たり前のようにしてきた人ならともかく、
そうじゃない人にとってのモンハンは、最新作になっても未だに敷居が高そうなのがなんとも。
例えば、カジュアルゲーやスマホゲーしかやってこなかった友人や彼女と、モンハン楽しもうと思ったらどうする?に近い話。
ぶっちゃけ初心者でもパッと見でわかる、モンスター殴って狩るゲーム程度の認識だと、あっという間に詰まるでしょこのゲーム。
ゴリ押しで何度やってもクリアできないクエストに当たった時、「装備を強くすれば死ななくなる」という工夫にたどり着けるか。
あるいはそういうアドバイスを受けて、意欲的に実践できるかが、その後も続けられるかの大きな分かれ目なわけで。
そもそもこのシリーズの本質である、ハクスラで周回ゲーというのは初心者には絶対わからない、認識するまでに時間がかかる話。
てか、ここらへんをゲームそのものがド素人な人にも、楽しく理解できる導線が未だになくね?っていう。
そしてもう一つの問題が、上の事態に直面してもたついているうちに、同じ時期に始めた知り合いがどんどん先に進んでしまい、
一緒に遊ぼうにもキャリーor介護状態になってしまい、特にゲーム進行遅れている方が、対等に遊べない的な引け目を感じてしまうという話。
これはモンハンよりも、MMOとかで嫌になるほど見たというか、ごくごくありがちな問題。
これも正直テコ入れされていないというか、シリーズ通して今も昔も全然変わってねーじゃんっていう。
こういった話が明らかに向き不向きを生んでいるというか、「すんげーしんどい、キツいゲーム」というイメージを植え付けられて離れていく人を生んでいるし、
20年近くシリーズ続いていて未だに改善されていなさそうなのがどうにも。
そうなってくると、作る方も「これはそういう人を選ぶゲームです」と開き直っているということだろうか。
ボンクラ糞ボンボンどもの人生で最も大変だったことは大学受験だからな
そら下々の者とフィジカル面でもメンタル面でも話は噛み合わないだろうよ
あとな?
『努力で圧倒的な結果を出して認めさせる』
あーーーーーーーはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい
はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい
はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい
営業ならまだしも誰が自分より若くて有能なヤツを引き立てるっつーねん
自分自身の立場が危うくなりますやん バカなの???????????
というか営業でも社内営業怠ってるヤツは圧倒的な成績をだしていても
必要なのは圧倒的な結果ではなく "社内営業" 下々の者と見えている世界が違い過ぎて震える
この世界にはどこまでもぬるま湯かつ清く正しい世界もあるんだなぁと素直に羨ましく思う
下々の者は圧倒的な結果とやらを出したくなったら(社内営業に疲れたら)起業します
なぜなら会社の未来・在り方は従業員ではなく経営者が決めるものだからです
もっとも下々の者が起業したところで下働きから逃れられないことの方が多いがの
ただ結果を出してる人もおるっちゃおる
なお、 社内営業が最も大事は世界的な企業に所属しても外資に所属してもこの傾向は変わらんかったで?
→転職もせずに不満ばかり言ってないで、転職しろよと思う。主人公有能なんだろ?
有能なのに何で転職しないの?
え?景気が悪いから転職出来ない?あのね、優秀な人は景気に左右されないんだよ?
むしろ、景気が悪い所を助けて欲しいから優秀な人は真っ先に確保されるくらい引っ張りだこよ?
ぶっちゃけ就職氷河期でも超大手なんかは普通に優先的に上位大限定採用活動してたよ。
・今までの社会に縛られなくて済む、やりたいことだけやって、自由に生きるよ!
→異世界に飛ばされ、スタート時点でどこの組織にも所属せず、そこで人間関係を一から構築って
信用ゼロの状態のフリーランスで飛び込み営業する事が苦ではない人間が何で
現実世界で社畜の独身で生活に全く潤いを作れなかった人間がどうやって
・チート能力もらったし、やりたいことだけやって生きていく
→武力系だった場合:なに?ストリートファイトで生計立てたかったの?
そんな暴力衝動持ちがよく社畜としてガマンできたね?そこまで耐えられてるのなら
もちろん、武力をむやみやたらに振るうような事はしないよね?やってるけど。
→生産系だった場合:なに?信用ゼロの人間が作る怪しい道具を飛び込み営業で売り込む
営業力があるのになんで現代社会で通用してないの?社会的信用ゼロの状態での営業、しかも
詐欺や犯罪が多かったり品質一定に保つ事の出来ない中世ヨーロッパでどうやって信用を勝ち取るの?
→政治系だった場合:誰がどこの馬の骨とも知れぬ人間の、よく理解出来ない方策に従うの?
・ジャンルを移動しないで書いたらいいとおもう。普通は古巣であっても2ヶ月とかで移動できない。そんなに頻繁に移動できるのなら落陽じゃないジャンルだけにしぼって新規供給ネタ織り込んでかけばいいとおもう。固定客をつかめ。
・字数1万はそこそこかけるほうだけど長編ではないしありがちな少女漫画のひきうつしみたいなボーイ・ミーツ・ボーイで埋めれば飽きられる程度の字数。長くならざるを得ない珍しいネタを精選するのはどうか。あるいは、ド王道で特段の仕掛けもない心理描写と状況説明だけで玄関マットを狙うとか。玄関マットになるには字数もっとかせぐか絵師にコミッションで表紙かいてもらう。
・どうしても目に見えるブクマ数がほしいならいつでもそこにある安心感よりかまってちゃんな不安定感がお手軽。期間限定再録とか。おすすめはしない。