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はてなキーワード: ADHDとは

2022-04-16

鬱とかADHDで薬もらいたいとか言ってる奴いるけどEDに耐えれるのか?

レクサプロストラテラEDなるし息子小さくなる

睡眠障害味覚障害や喉乾きまくるとか他にも副作用あるのに

そもそも薬が万能じゃないのおかしいだろ

2022-04-14

anond:20220414183736

俺はADHDと診断おりたところで、無能とかポンコツという事実は覆らないと思う派よ

無能とかポンコツって生産力の高低を言う言葉のうち低い方ってことだから客観的事実として多くの障害者無能だよそりゃ。もちろん有能な障害者もいるが。

診断基準おりなかった。俺はただの無能……って傷つく人いるけど、あれは違うだろって思う。

ADHD傾向あるんだろうなーという気づき

ボードゲームルール、一度説明を聞いたくらいでは覚えられない

・わりとセリフの多い漫画ゴールデンカムイなど)を読んでいると途中で読めなくなってくる

TOEIC英検などのリスニングパートで、聞く、問題文を読む、正解を考えるというマルチタスクをすると何もできなくなってしまう。ちなみに英語は完全に聞こえているし、理解できるレベル

・下手の片付けをしていると判断の多さ疲れて途中で何もできなくなる

ゲームなどで負けるとイライラする

ポンコツ理由がわかってなるほどという感じ。ADHDから〜ではなく、ADHDと呼ばれるグループによくある脳のタイプをしているから、と考えている。障害から云々という話ではないし、だから同情とか配慮を求めたいとかではなく、単純にポンコツなのにも脳に理由があっておもしれなみ脳科学やべ〜という感じ

2022-04-13

anond:20220413080840

ほんとに70%なら世代重ねてけば100%に近くなるだろ。

ADHDがそうでない人と同じ率で子孫を残せんなら。

anond:20220408071147

ADHDは70%遺伝するらしいから私は子供を作らないことにしてるよ

 

追記

ごめん昔ググって出てきただけの情報から正しいか保証できない

今「ADHD 遺伝」でググったら80%とか出てきた

マジかよ

anond:20220413003643

いやそこはデブスで鬱とADHD持ち非処女結婚しろ

現夫以上の甲斐性を見せろ

男に生まれたなら

anond:20220412171834

デブスで鬱とADHD持ち無職だけどオタク処女だったので実家の太い彼と結婚できたよ

男は処女価値を凄く高く見積もってるんだなと思った

もし来世で男に生まれたら処女にこだわらず美人健康正社員結婚しようと思う

2022-04-12

社会的強者ポリコレカードバトルしてくるとシンプルに勝てなくなる

新聞記事で見たんだけど、あるYoutuberが、

ADHD旦那に悩まされていて、本人自身自閉症であると診断されていて、

日々大変だけど頑張ってますみたいな記事で、

なるほど、障害を持った人でも頑張ってるんやな〜ってその人のチャンネル見たら、

旦那年収1,500万円、妻モデル、南国暮らし毎日って感じで。。。

登録者数多いしみんなどういう気持ちで見てるの??純粋素敵だなって見れる人強い。。。

2022-04-08

なんで「キモい」を「女性男性の外見に対して使う言葉」だと思ってるんだろう

「30代男が深夜にJKナンパしてキモいと言われて殴った」事件で少なから人達JKが悪いと吹き上がっていた方々を見てから思ってるんだけど、どうも「キモいとは何もしてない可哀想男子おっさん女性が浴びせる残酷言葉」だと思っている人が多いようだ。

そういう体験があるのかもしれないしトラウマ否定しない。が、バイアスかかってないか?今や「キモい」は男女問わずカジュアルに使われまくってる言葉だと思う。

キモい」でツイッター検索したところ、男女問わず色んな人が、男、女、芸能人一般人アニメキャラ生物、無生物と色んな対象に対して使っている。

女の「勘違いブス」をキモい嘲笑コンテンツもある。

だって、昔は男子達にキモいキモいいじめられた事がある(実際ADHDで周りから浮いていた)。

キモいヘイトスピーチだ!と吹き上がってる人達過去ツイを検索しても、普通にキモいと言っている。気持ち悪い、で検索したらもっと多い。

それからはいざ知らず、最近人間に対しての「キモい」は外見よりも言動性格に対しての方が使われる言葉だと思う。「バカ」クズ」と同じように。外見に使われることも確かに多いので、その意味の広さ齟齬を生んでいると思う。

女性にとってはセクハラや性被害への嫌悪感を示す言葉なのに、男性にとっては何もしてないのに外見だけで罵倒される言葉、という。

バカクズ等の罵倒…時には「死ね」すらこんなに問題視されないのに、「キモい」だけがこんなに取り沙汰される理由はここにありそうだ

https://anond.hatelabo.jp/20220407213919

2022-04-07

anond:20220407145554

でも先進国USAでは販売されていますよね

タンフェタミンと同様の中枢興奮作用を持つ。 アメリカ合衆国では商品名Adderallで販売され、適応は注意欠陥・多動性障害 (ADHD) 及びナルコレプシーである

anond:20220407001447

ごめん今見返したらひどい文章だな

この仕様は既に実装されてます

ADHDから許して

2022-04-05

anond:20220207200615

アメリカ他人に対する要求事項と日本要求事項が違うから

アメリカで働いたらADHDなんぞ問題にならなくなった(周りがそれ以上にひどかったからw

っての今カナダで働いている人のブログで読んだな・・

2022-04-04

anond:20220404142059

タイトルはさておき内容については常々似たようなことを感じている

ASDADHD身体障害知的障害LD どれも特性バラバラだし必要配慮はそれぞれ異なるのに全て同じ部屋に入れられてしま

現状、特殊学級は健常者に迷惑をかけないための隔離施設であり、障害に合わせた配慮を受ける場所ではないのではないか? そのような疑念を抱いている

うちのケースは増田の言うBタイプなので尚更そう思う

障害に合わせた配慮という大義名分のもと、より困難な環境に置かれている

これでいいのかと迷う

主題から逸れてしまってすまない

フリーランスとして生きて。

確定申告を始めて15年ほどたった。

業種はまぁデジタル土方(リアル労働メイン)と言った所だろうか。

華やかに見えるが実態は泥臭く、いつも同じような違うような作業を繰り返している。

ようやく今年開業届けを提出したが、劇的に変わったことは何もない。

主な業種を始めた20年前の収入は1件3,000円。

実働は5時間~6時間

時給にすると600円以下である

当時の求人情報紙の平均時給は750円ぐらいだった。

よく辞めなかったと我ながら思う。

所謂キナイ子で、仕事終わりに一時間説教タイムなんて事も度々あった。

それまで最大半年程度で、様々な職場渡り歩いていた自分としては、なぜ時給600円で働き続けられたのか、未だに理由はわからない。

一年経って、さすがに可哀想と思われたのか職場内の試験を受けることなランクが上がり、1件4,500円に報酬が増えた。

一気に1.5倍である

時給換算900円ほど。

責任ある持ち場を任され、またそれが性に合っていたので仕事のものは楽しかった。

仕事のない日あるいは休みを取った日には、都会のクラブイベント等に行くために高速バスに乗り0泊3日遠征をしてそのまま仕事に行ったりしていた。

土日メインのその仕事だけでは食っていけず、他のバイトも掛け持ちで糊口を凌いでいたが、繋ぎ仕事も当時のバイト相応の時給800円程度。

平均月給10~15万程度で親の脛をかじりまくって、好き勝手生きていた。

当時車の整備不良で警察に止められた時に職業を聞かれてフリーターです、と言い

「あぁ、無職ね」

と返されたのを強く覚えている。

10年近くそ生活を続けると1件6,000円に給料は上がっていた。

そして私は35歳になろうとしていた。

求人募集を見るのが趣味の一つだったのだが、35歳を過ぎると途端に正社員募集が減るのだ。

焦っていた。

このまま一生を生きていけるのか。

人生墓場と言われる結婚をするつもりはなかったが、天涯孤独が予想されていたこの身を養っていけるのか。

その時、同じ業種の人から正社員にならないかと声をかけられた。

少し悩んだが、手取り17万円もらえるなら、とその会社に入ることにした。

社員自分を含めて5人。

社長専務、他二人と私。

社長社長愛人社長奥さん、平社員

なんて布陣だった事は入社して一か月で初めて知った。

社員の人以外は入社から面識があったのに気づかなかったのが敗因だ、特に奥さん。全く気づかなかった。

使用期間の3ヶ月で辞めたが、主な理由関係性の複雑さより、確かに手取り17万円もらえたが、社会保険諸々はもちろん雇用保険すら入れてもらえなかったかである

これまでと同じように報酬支給してもらえるなら何とかやりようがあったが、交渉してもダメだった。

その後はその会社からフリーランスとして仕事をもらうことになった。

1件1万円。

時給換算2,000円。

ジャンプアップ。

出世である

しかしそこは社員として入っていたからわかる。

会社は私を派遣することで22,000円もらっている。

3ヶ月で辞めた恩返しにと3年そのまま働いた。

その間会社のもらう金額は25,000に増えたらしいが、私への報酬は変わらなかった。

他にも諸々嫌になって辞めることにしたが、ありがたいことに会社仕事を振っていた上の会社から(孫請であったのだ)直接仕事を依頼したいと言ってもらえた。

しか社長が糞だったので難航して一年ほど仕事のない状態になった。

たまたま疎遠だった実親が亡くなり、遺産はなかったが500万円ほどの生命保険が転がり込む事になったので、カードローンを返した残りと仕事のない時期にしていた時給900円5時間バイトを週4日に増やしてどうにか生きていけた。

ゴタゴタも収まり仕事にありつけそうになって少し。

コロナがきた。

イベント業に隣接した我が業種は大打撃。

仕事は軒並みキャンセルが続き、持続化給付金を満額もらいようやく生き延びた。

そして、オンライン化に関した勉強を繰り返し、何とか仕事が安定してきた去年。

未だに仕事が入っては無くなりまた入ると慌ただしいが収入は増えた。

年収の推移は節目毎に130万→180万→350万円程度。

経費をきちんと計算し、確定申告二年目からずっと住民税課税世帯でございます

仕事で使う範囲より少しだけ多めに家事案分を分けたり、少しの節税はしている。

今となっては実入りはそこそこあるけれど、社会保障ある会社員の額面年収には程遠く、ローンすら組めないこの身体

あ、ちなみに中卒です。

いじめを受けたり睡眠相後退症候群と思われる症状が出たりで学校生活をまともに送れませんでした。

多分ADHDも持ってる。

生きていくために何とか何とかズル賢く立ち回ってきました。

そんなタイミングでやってきたインボイス制度

煩雑になろうが去年から や◯いの青色申告

を使っていて非課税自分にはさほど影響はないぜ!

とは思いつつ、選挙の参加や反対の署名など少しだけ動いてはいます

多分売上に消費税は足してもらえないので、変わらず節税を続けて生き抜くしかないです。

仕事仕入れによく使う業者さんがインボイスを導入してもらえるよう願って、この酔っ払い駄文ピリオドを打ちます

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

2022-04-01

anond:20220401174722

ADHDワイ、短期記憶が恐ろしく低くてそれができなかった・・

退職した

anond:20220401130709

n =1さんはADHDさんではなかったか

ワイくんは

 

<成人してしばらく経ったら直った>

  • 歩いていて電柱にぶつからなくなった
  • 人にぶつかりにくくなった
  • 階段から転げ落ちなくなった
  • 段差が無いところでコケなくなった

 

<変わらないこと>

2022-03-31

修了しました

どうしてこんなことになったんだろう。ここ数年で何度も思ったことだ。

これは奇妙な巡り合わせで出会った私にそっくりの友人が大学卒業時に書いた文章の書き出しである。この鏡合わせの彼が書いた文章を何度も自分事のように反芻してきた私は今年大学院を出る。修了という立場に際して、私も少し自分語りをしてみようと思う。他人自分語りなど興味の無いという方もたくさんいるだろうから、そういう方はこの時点で引き返してほしい。思うままに書き殴っているので読みづらいし長いと思うが、それに我慢できる人だけ読んでもらえればと思う。

・生い立ち

私はごく普通環境で育ったと思っている。地方在住で金持ちでも貧乏でもない家で、両親は優しくて、友達もいた。小中学生のころの自分一言でいうと優等生気質だった。学校勉強はそこまで苦にしなかったし、危ないこともしなかった。先生の言うことには従っていたし、学級委員を務めたりするタイプ人間だった。強いて言えば両親が少し頑固だったくらいだ。

小学校では初めに陸上クラブに入った。運動は苦手かつ嫌いだったし、何よりブラスバンドのようなクラブがありそちらに入りたかった。父が無理にでも私を陸上クラブに入れたのは運動の楽しさを知ってほしかったのだと思っている。運動神経のいい父にしてみれば運動は娯楽だったのかもしれないが、運動神経が壊滅的な私にとっては純粋身体能力を問われる陸上は苦しかった。そのため5年生からブラスバンドやらせてくれと懇願した。タダで許してくれるはずもないので中学では運動部に入ると交換条件を付けた。5年生から始めたトランペットは本当に楽しくて練習した。6年生の途中からは1stトランペットを担うこともできた。

中学では周りの部員吹奏楽部に行くのを横目に約束通り運動部に入った。誤解のないように言っておくと別に部活動自体は楽しかった。ただ音楽から聞こえてくる音を聞くたびに自分もこの中にいたらどうだったろうと思うことは度々あった。中学では同学年内でいじめもあって、被害者ではなかったものの学年中を巻き込みつつも教師黙殺しているそれに優等生気取りの私は心を痛めたものだった。その頃の私はもっぱら公正世界仮説(当時この言葉は知らなかったが)の敬虔信者であり、親や先生にほめられている優等生自分はいつか報われるし、逆にいじめなんぞ加担している人間はその人間からどこかで破綻すると思っていた。

 高校は少し離れた進学校に入った。近隣の学校に行く人が多かったが、いじめの件もあり彼らと距離を置きたい気持ちも大きかった。流石にレベルの高い授業でもあったが、モラル教養を持った人が多く非常に楽しい生活を送った。高校部活軽音部と兼任しようかなと考えていたが、他方の顧問専任希望するような言い方をしたので諦めた。別に悪い人ではないと思うが、他人に機嫌を取らせるタイプ人間だった。高校では成績をぐんぐん落とした。周囲のレベルの高さもそうだが、私には2点の欠陥が見え始めていた。1つは努力中学生まであまり勉学に苦労しなかった私は勉強に労力をかける癖がなかったし。加えて苦手な運動は一向にできなかったし、好きな人アプローチしても付き合えなかったし、理論武装して親に頼み込んだことも結局許されなかったり、努力してできた経験と言えば自転車の補助輪を外すときくらいのものであったように思う。努力の数と成功体験の数なんて鶏と卵かもしれないが、努力をした経験もおそらく人よりは少なく、努力が実った経験もっと少ない人間だったように思う。もう1つは先天的能力限界である。これまでの自分は「丁寧に教えてもらえば理解ができる」という能力を有していたと思っている。中学生までの自分が苦労しなかったのもこれが原因だと思っている。しか高校3年生になると少しそれに陰りが見えているのを人知れず自覚していた。周囲の人間には見えていないようで、親や先生は褒めてくれるし、同級生から勉強ができるという認識をされていた。

 3年生になると嫌でも受験を考えなければならなくなる。私はどこに行って何をするのだろう。勉強は好きではない。高校では文芸部の本に部外から投稿してすごく評判が良かったし、文化祭の劇の脚本演出担当して最優秀賞を取れた。そのあたりの活動は楽しかったしクリエイティブなことがしたいかな、あと音楽。それとなく親に専門学校の打診してみたけど、4年制大学に行けといわれた。「いい大学に行けばいい企業に行けるからね」と言われてきていたし、親心としてはそんなもんだよねと理解した。自分としてもレールを外れることに恐怖はあったし、レールに従うことで周りと同じように大学に行って、就職して、結婚して子供を作って、今の家族のような生活が送れるならそれでいいと思っていたのでじゃあ普通大学に行くねとなった。

 問題になるのは何がやりたいかである。私がやりたいことって何だったんだろう。結局見つからなかった。そこで親がアドバイスをくれた。

「まだやりたいことが見つかっていないなら、ここに行けばいいんじゃない?」

親が指し示した大学は、入学時に専攻を決めなくてよいという特殊制度もつ大学だった。みなさん名前ぐらいはご存じの都内大学である。幸か不幸か、私にはそこを目指せるだけの能力はあった。

長くなったが、これが地獄の幕開けである

大学という場所

1浪しなんとか2年目で合格して大学1年目。はじめに学んだ格言がある。

大学では勉強サークル恋愛バイトのうち2つしかできない」

勉強は好きではないので、サークルバイトをやるんだろう、恋愛もあるのかななどと入学後の私は胸を躍らせていた。憧れのバンドサークルにも入った。周りは経験者なので食らいつこうと頑張った。大学から帰って仮眠を取り深夜の安いパック料金で明け方までスタジオ個人練、シャワーを浴びて大学へ。その生活をしていたら資金ショートした。親にバイト禁止されていたため練習交流のためのお金が足りず、実力もつかず人脈もできずにフェードアウトした。

 大学の授業はひどく不親切であった。大学レベルも相まって何をやっているのか理解できなかった。高校の時に疑問を持っていた内容が解決されるかと期待していたが、それらは大体1,2回目の講義解決してしまものか、もしくは深くがっつり専攻しないと理解できないようなもののどちらかで、学ぶモチベーションにはつながらなかった。教える側も教科書も「説明してはいる」「書いてはある」という感じで、高校までのようにわかやすくとはいかなかったから、「丁寧に教えてもらえば理解できる」タイプの私では太刀打ちできなかった。つまらないし時間無駄に思えて次第に講義休みがちになった。

 それでも、とりあえず大学を出れば何とかなると思っていた。ここで耐えている自分はきっと報われると思っていた。好きなもの大学で見つかればいいし、そうでなかったら高校までの勉強ができるから教師になればいい。これが1年目の私であった。

崩壊

 初めてショックを受けたのは成人式のことだった。新成人代表として何人かの陽キャ集団が壇上にあがった。式の前後に彼らと会ったがある人はバツが悪そうに私から目をそらし、ある人は肩を組んで話しかけてきた。どちらもいい気はしなかった。彼らはいじめの関係者である。なんで彼らの方が人生謳歌しているんだろうか。その時にふと思った。「結局彼らは世渡りがうまかったんだ」と。くだらない正義なんて捨ててその場で空気を読んで得なほうに回るっていうのが正解で、黙殺していた奴らもそうだったんだ、なんて自分は愚かだったのかと。そう考えてみると社会に明確な悪役はいなくて、したがって明確な正義存在しない。正義道徳立脚した自尊心のなんと脆いことかと思い知らされた。

 そして、もう一つ。親や教師というのもまた所詮人間だとこの年になって気づいた。この中の何人かが数年のうちに教師になって、親になる。はっきり言って話の通じない人だっているが、そんな人も年さえ取ればいつかは親や教師になりうる。だから黙殺した教師も、話の出来ない親もおかしくはない。じゃあ私が優等生してきた、私が正しさの根拠としてきたものは何だったんだろう。優等生であることを数字で示してくれるものは成績くらいしかない。世渡りが下手で運動などの技能も持たず、それでも私が公正世界仮説を信じてこれたのは、案外「勉強ができること」に依存していたのかもしれない。勉強しかできないやつだけど勉強ができるから何とかなる、そんな風に自分無能さを騙して生きていたのかもしれない。

 さらに拠り所の勉学さえ崩れ落ちた。留年が確定したのだ。受験でも足を引っ張った物理がとことん苦手で何も理解できなかった。2年目は学費負担を減らすべくバイトをさせてもらった。サークル活動事実上全部やめ、バイト勉強の日々が始まった。バイト先は学生が割と多かったため、みんなと仲良くなれた半面、繁忙期が重なった。私は試験前はむしろシフトが増加し、結果的に致命的な必修単位だけ落としてしまった。2留である。親に電話して事情説明した。単位くらい取れとストレートに怒られるかと思った。代わってあげる優しさを評価しつつもやりすぎだと注意されるかもとも思った。

あんた人にいいように使われてるだけでしょうが

人にやさしく優等生してきた自分生き方への批判自分が仲良くしている人たちへの非難ダブルパンチで頭に血が上った。怒りで何も言葉が出ずに何秒か無言の後電話を切って、壁を殴った。

数日すると気分が落ち込んできた。親はそれを「単位を落としたから」と解釈したようであるが、全く違う。私は他の人が当たり前のようにサークルバイト恋愛を掛け持ちして進級している中で、バイトしながら進級できなかった。私は当たり前のことすら満足にできない無能であると、薄々感じていた自分無能が隠せなくなってしまったのである

 3年目は再びバイト禁止した。クラスでの試験対策仕事もやり、その科目の勉強をしなければいけない状況を作った。サークルとしては冒頭の彼の紹介で新しいサークルに入った。サークルでできた友人とは本当に仲が良く、勉強を助けてもらったり、サークル関係なしに遊んだ大学での生活の基盤になった。助けてもらえる人も増え、自分学習するようになり、この年の上半期では単位の取得ができた。しかし、私が感じていたことは決してポジティブなことではなかった。私がこの年の経験でわかったことは「お前はやればできるが、環境サポートがあって自分勉強してもちゃんとできるのは2単位」ということである。私は2年で70単位以上取得する想定のカリキュラムを、半年で2単位しか取れない脳みそでやっている。無能すぎてもはや卒業が無理なのではないかと思った。

公正世界仮説評価軸としてきた大人たちへの信頼、自身の実力への評価の3つが音を立てて崩れて、この時私は確かに一度死んでしまった。このことに気づく前の自分に戻れなくなってしまった。中学いじめがらみで「死にたいけど死ぬ勇気もない」って言ったときに「死ぬのなんて勇気って言わねえ」って怒鳴りつけてくれた友人がいた。

・専攻決定

4年目にして2年生。この年は諸々の事情クラスから孤立した。喧嘩別れのようなものである。私としても仲良くする気はなかったので1人でどこまでできるかやってみようと思った。結果は惨敗だった。単位取得こそぎりぎりできたものの私はこの大学では人に寄生しないとやっていけないと気づかされた。

そして、4年前に選択先延ばしにしたツケの返済期限が来ていた。専攻の決定である。結局4年間でやりたいことは見つからなかった。勉強面白くないし、勉強以外の何かを思い切って始める余裕もなかった。教員になろうかとも思ったが、それもかなわないと思った。教職卒業単位には含まれないため、追加でいくつも講義を取る必要がある。通常のカリキュラムすらまともにできない私にそれは無理だろう。ちなみに私と同じく成績の芳しくなかった冒頭の彼は教職を志して単位を取得しに行ったが、弊学では満足に教職まで取り切れなかった。教職を目指した世界線の私もきっとこんなものだろうと思ってしまった。

理系科目はわからなかったので、唯一興味がわいた心理学を専攻しようと思った。しかし、成績が足りなくて進むことが絶望的だった。ここで初めて間違いに気が付いた。この大学システムは何をやりたいか不明瞭な人間を救済するシステムではなく、やりたいことや才能が複数ある人間選択肢を与えるシステムなのだと。私などがこの大学には来てはいけなかったんだと激しく後悔した。

このシステムでは通常、成績が足りなければ次の年に再挑戦することができる。しかし、私は4年目であったがために在学年限が迫っており、この年で専攻を決定しなければならなかった。そのため、当時人気の低かった化学を選んだ。化学は苦手で高校化学すらわからないが「とりあえず大学を出れば何とかなる」のであれば、と苦渋の選択をした。

実験異変

5年目、3年生。1限からの授業と週3回の実験があり、9時-18時のような生活になる。実験には予習とレポートがあるため、実際の拘束時間はこれより長い。何とか4月を乗り切ったところで、レポートを1つ残してしまった。GWに入ってレポートをやらなければと思って毎日机に向かおうとした。いや、向かったこともあった。だが、ペンを持っても何も書けない。そのまま時間が過ぎてごはん時になり席を外してご飯を食べる。そんな日が続いてGWの最終日、床にへたり込んで泣いた。書かなきゃいけないと思いつつも1文字も書けなかった。

 3年生の必修は実験だけだったので、他の単位犠牲にしてでも取ろうと考えた。1時間だけ講義を休んで...その1時間を何も書けずに終えた。これを繰り返してほぼ全ての講義を欠席した。次第にいろいろおかしくなっていった。頭痛もちでもないのに頭が痛みだした。文字が読めなくなり、教科書はおろかネットニュースくらいの簡単文章でも字が滑るようになった。1日にできることがゴミ出しと洗濯くらいになり、起きて寝る以外に食事、入浴、ソシャゲの周回くらいしかしてない生活になった。

 溜まりに溜まったレポート夏休み前に呼び出しを食らったことで、無理やり夏休みを使って消化した。歯を食いしばりながら全部消化したことは覚えているが、歯を食いしばればできたことがなぜここまでできなかったのかこの時は疑問だった。

 4年生になり、大学院へ進学することになったが、大学院の手続き入試勉強、足りなかった単位試験勉強などでタスクが溜まった瞬間、この症状は再発した。友人の勧めを受けて学生相談所に通うことになった。

能力環境

学生相談所のカウンセラーはいい人だった。いろいろお話をして気持ちは和らいだ。専門的なこととしてはWAISの検査を受けた。結果は処理速度だけが異様にへこんでいる格好になった。別に数値は低くないので大丈夫と言われたが、「問題の有無は環境によって決まりませんか?能力の高い人が集まる環境ではそれなりの能力要求されますよね?」という質問には満足のいく回答は得られなかった。

 親にも何度か愚痴を言ったことがある。そのたびに「あなた世間一般には優秀だから大丈夫」と返されるのである。何が大丈夫なんだろうか。”今の環境”が辛いと言っているのに”世間一般”という別の集団を持ち出して何の救いになるんだろうか。これ自体も言ってみたことがあるが「なんでそんなこと言うの」と言わんばかりの困惑した顔をするだけだったのでやめた。別に親以外でも同様のことを言う人はいる。世間一般評価邪魔をして、まともに助けを求めることすらままならない。内部の人間から見て無能で、外部の人間から見て有能な私は、共感を得られる対象がとても限られていて苦しかった。大学ブランドという呪いにかけられて苦しかった。

 やりたいことをやれていればよかったのだろうか。サークル作曲体験させてもらう機会があった。でも続かなかった。結局忙しいとかいろいろ言ってインプットから逃げている自分がいる。クリエイターにはなれなかっただろうなと思った。好きなことも頑張れない自分に「自分が勉学を頑張れなかったのは勉強が嫌いだからじゃない、努力が嫌いなんだ」という事実を突きつけられてまた悲しくなった。あれほどに信じてきた公正世界仮説は「お前が苦しいのはお前が間違ってきたからだ」と自分に牙をむき始めていた。

・進学と私

大学院へ進学することにした私だが、実は私は望んでいなかった。学部時代夜遅くまで研究に勤しむ先輩たちを見ていて「私にこれは無理だ」と実感していたかである研究への熱意はおろか、化学への意欲も知識もないのである。ただでさえ病む人が多く出る大学院という環境にこんな人間が行くのは自殺行為に他ならない。そのため、私は就職を強く希望した。しかし、親にそれを伝えると「今のお前に就職はできない」と言われた。就活を終えた今だから言えるが、これは正しかったように思う。議論は「就職はできないから進学しろ」「院でやっていけないか就職させろ」の平行線で、就職も進学もろくにできない無能をぼこぼこにリンチするだけで生産性はなく、結局「とりあえず進学はするがいつでも辞めてよい」という落としどころになった。

 私は院試に落ちるのが最適解だと思った。学力もないので真面目に受けても受からないだろう。院試を受けたけど落ちましたというのが親にも研究室にも一番角が立たない。しかし、筆記試験が思ったより点数が低かったのか通ってしまった。面接をすっぽかすことも考えたが、会場に研究室の先生方がいるかもしれないことを考えると気が引けた。面接では辞退の意思を伝えるつもりだった。面接官と私だけの秘密である。私は院試を受けて落ちたのだと周りに言えばよい。

 Permalink | 記事への反応(0) | 23:43

ADHDの俺は商業高校に入った

校則が厳しいのは不運だったが資格をいっぱい取るっていうのはもしかしたら良かったのかもな

成績の波が激しくて評定は中途半端だったけど資格勉強楽しいし冬に詰めて勉強すれば無問題

実際簿記中間テスト3点だったけど受かったもんな簿記

2022-03-30

anond:20220330114719

調べれば10秒でその前提が成り立つかどうかわかるのに

それを確認しないままおそらくは何分かかけて無意味となる文章を書くのはなんかすごいな

こういうのがADHD衝動的な行動ってやつなのかな

2022-03-29

anond:20220329075611

というか増田だと『相槌の復唱』なのか『文章の内容が理解ができていない』のか判定し辛い

書いてある内容と流れはこうだぞ

 

増田ADHDASDを併発しやす

 ↓

ワイ:そうでもない。明確にASDは無いと診断されてる

   でも実際はかなり共感性が低い。検査ザルだから

   でもザル検査でもASD判定される人は重篤だろうね

 ↓

増田共感性が低いと言える

anond:20220329064942

人に迷惑掛けてる自覚さえあれば遅れないよ

自分ADHD遅刻魔だったけど相手立場になって考える脳みそがないだけだそれは

2022-03-28

anond:20220328204749

まず疲れたり混乱したら瞑想などで休むことをすればいいと思う。

ADHDのやつってのは衝動が強くて疲れやすくて、そのままミスをしやす人間じゃないかと思ってる。

瞑想ADHDの関連についてはまだ議論はあるが関連があるかもという調査もある。

ADHDに向いてる職業

年間継続して平均的に結果出さなきゃいけないサラリーマンは無理

SNSとかは一時的に30万フォロワーかいったりゲーム全国大会とか出たり一瞬のブーストなら自信ある

でもyoutuber継続必要仕事からもうやりたくない

となると芸人になって賞レース出たりコンテスト系で名を上げられるモノが良いのかな?

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