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はてなキーワード: 文芸評論家とは

2024-10-03

anond:20241003003831

小説感想を聞いても、「人間関係が複雑ですごい」みたいなことしか言ってなかった。

小説のどこがよかったと語って聞かせて間を持たせるのはそれ自体が立派な芸だからハードル高い。

それこそ文芸評論家という職業が成り立つぐらいには。

2024-04-28

anond:20240428180650

言うほど当たり前か?

たとえば、赤川次郎西村京太郎評価してた文芸評論家って存在するのか?

2023-02-27

小説って必要だろうか

人類にとって書くべきものは既に全て書かれたんじゃないか、という話ではなくて、もっと個人的な話。

過去に読んだものを読み返しても、けっこうな確率で忘れてるからまた楽しめるし、

(そりゃあ当時気に入った作品から再読して面白いと感じるのは当然だ)

しっかりと覚えているものや、三度四度と読み返すものにもいつも新たな発見がある。

 

新たな書き手小説はまだいいとして、

既に何作か読んだ人の新作については読む方が時間無駄な気もする。

 

こないだふと気が向いて村上春樹短編集『女のいない男たち』を買って読んでみて、1作目の雑さにガッカリしてしまった。

そのあとなんとなく『ダンス・ダンス・ダンス』を読んだらめちゃくちゃ面白かった(最初読んだ時はそんなに気に入った方の作品でもなかったのに)。

村上春樹劣化、という話ではない。それは文芸評論家に任せる。

ある書き手小説について、楽しんで消費できる量の上限は決まってるんじゃないかって話。

2022-10-03

銃撃事件を引き寄せた「統一教会家族崩壊史」 | 宗教を問う | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 山上容疑者母親(70)が通う教会一時的に閉鎖されるも、SNSを使い信者とのコミュニケーションに努める。母親と同じ教会に通う信者の一人が言う。「テレビはいっさい見ない。文芸評論家小川榮太郎さんやタレント太田光さんなど、信頼できる人の情報教会LINEで知らせてくれるので、毎日それを見ています」。そして、こう続けた。

 「あの方(山上容疑者母親)は、この宗教に出合うことで救われてきたんです。そうした面を見ず、事件真相もまだわからないのに家庭連合批判するマスコミはひどい。あの安倍さん応援してくれた団体ですよ。岸信介さんの代から3代にわたって支えてくれた宗教団体なんです。悪い団体のはずがないじゃないですか

まりにもサヨクに都合がよすぎる証言でしょ…

これわざと言わされてない?

銃撃事件を引き寄せた「統一教会と家族崩壊史」 | 宗教を問う | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 山上容疑者母親(70)が通う教会一時的に閉鎖されるも、SNSを使い信者とのコミュニケーションに努める。母親と同じ教会に通う信者の一人が言う。「テレビはいっさい見ない。文芸評論家小川榮太郎さんやタレント太田光さんなど、信頼できる人の情報教会LINEで知らせてくれるので、毎日それを見ています」。そして、こう続けた。

 「あの方(山上容疑者母親)は、この宗教に出合うことで救われてきたんです。そうした面を見ず、事件真相もまだわからないのに家庭連合批判するマスコミはひどい。あの安倍さん応援してくれた団体ですよ。岸信介さんの代から3代にわたって支えてくれた宗教団体なんです。悪い団体のはずがないじゃないですか

まりにもサヨクに都合がよすぎる証言でしょ…

2022-01-30

北村先生へのインタビューを行っていた「大学ハラスメントを看過しない会」について

http://dontoverlookharassment.tokyo/2021/06/22/timeline/

わたしたち早稲田大学文学学術院元教授文芸批評家からハラスメント被害に遭った原告A、その支援者たちからなる団体です。2020年夏より活動しています

https://president.jp/articles/-/25434?page=1

早大名物教授「過度な求愛セクハラ疑惑

文芸評論家でもある同大学の渡部直己教授から性的ハラスメントを受けたとして、大学に「苦情申立書」を提出していたことが、早大女性への取材でわかった。渡部教授プレジデントオンライン取材に対して「文言は覚えていないが、過度な求愛をしてしまった。大学処分を待って身を処すつもりです」とハラスメントを認め









この人の

チャート式小説技術時評

好きだったなあ。こんなことする人だったとは

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2020-09-11

表現規制」は、非明示的な参入障壁でもある

表現者たちが、その手足を拘束する「表現規制」を全力尽くして拒まないことに憤りを感じていたが、そう考えたら腑に落ちた。

表現規制」に対し、プロ表現者が実は好意的なのは、それが「参入障壁」になりうるからだと思うのだ。本人が意識していないにしろ

なぜなら、既にプロになっている作家なり絵師なりは、「表現規制」に関する助言を関係者編集者など)から体系的に教授されうるのに対し、

素人はそれを「空気」としてしか理解することができない。炎上する可能性を、網羅的に理解することができない。

結果として、素人商業的な表現の場に参入できなくなる。クライアントにしたら、そんな炎上対策もできない表現など扱いたくないもんね。

素人がどんな良い作品を作ろうと、「表現規制」に合致してないとなれば、炎上する可能性を見過ごしたという意味で、クライアント側も責められうるからね。

CtoCの割合が増えつつある世の中で、特に表現世界においては、表現供給者がプロである必要が低くなっている。だから素人に対する参入障壁有意義に働く。

まり、「表現規制」に沿った表現ができること及びそのノウハウは、既存権益の一つであるわけだ。

から既存権益側の表現者も「表現規制」に好意的になる。規制下の表現の難しさをSNSなりで愚痴りながらも、実はある意味で喜んでいるのだ。

そして、その「既存権益」という方向で考えるならば、「表現規制」は「放送禁止曲」のようにジャーゴン化していくと思う。

表現規制」は存在するということだけ世の中に理解されれば、その具体的な中身は、素人にそのルール理解されないよう、秘密にしておいた方がよい。

既得権益側は、その素人に対し、私たち規定する「表現規制」に従っていないことだけ指摘すれば十分なのだ

それが事実であろうとなかろうと、クライアント側はその発言に萎縮して、素人との契約を辞めるという算段だ。

そうやって、「放送禁止曲」が放送する人間しか知らず、その被害を受けるとされる人間を向いていないのと同様、「表現規制」も自分たち権益を守るためのものになっていく。

さらには、マナー講師仕事を増やすために新たな「マナー」を作り出すように、表現者とその関係者は、自ら「表現規制」を作り出していくことになる思う。

被害者とされる人々とは全く関係なしに。メールクレームがあったから、偉い人がそう言ったから、みたいな素朴なきっかけで。

それによって、表現者には、自らの手足を縛る「表現規制」と闘う社会派プラスイメージ付与されるなんてオマケまでついてくるだろう。

あと、2、3年もしたら、著名な文芸評論家が、同じような理路でもっと長めの文章を書きそうなので、先に押さえておきますね。

2019-07-22

若者選挙に行け」と言うけど

全共闘世代だって選挙行ってないでしょ。

文芸評論家twitter見てごらんよ。候補者だろうと有権者だろうと冷笑的というか上から目線選挙(笑)みたいに嘲笑していてドン引きするよ。

もちろん全員が行ってないわけじゃないだろうし彼らが議会制民主主義否定していることや革命議会からは起こらないという思想に基づいているのは当然知ってるよ。選挙に行かないだけでデモ等には肯定的なのもわかっている。

でもこの国の左翼ボリュームゾーンである全共闘世代若者だった頃から選挙に行ってないんだから、「若者選挙に行け」とか今更言ってもしかたないんじゃない?

2019-01-28

anond:20190127211255

文学邦画なんてまったくダメで、アニメこそが日本の誇るべき文化なんだ、という論調が一気に広がった。社会学者文芸評論家もこぞってアニメを語るようになった。

そんなの目立ってた一部のアホだけじゃないの。すごく狭い世界の話。

正統派研究で食べていけない落ちこぼれが何とか食っていこうと知恵絞ってオタクを利用していただけ。オタクバカから権威偽装した人にそれっぽい言葉で語られると真に受けてしまう。

関係ないけど、日本アニメも「日本すごい」エンタメの一つだと思えば、ネトウヨアニメ大好きなのも当然の流れといえるかも。

2019-01-27

日本アニメプレゼンスは、なぜ下がってしまったんだろう?

みんな忘れてしまったのだろうか。あの祝祭的な季節を。

ぼくは覚えている。それは90年代半ばに始まった。

海外アニメが人気だと新聞に報じられ、日本アニメ国際的競争力を持ったコンテンツだと、盛んに論じられた。

エヴァブーム村上隆アートもそれを後押しした。あるいは岡田斗司夫の各種書籍も貢献していたかもしれない。

アニメ幼児的だとバカにされているが、実はそのローカル性こそが世界では面白がられるんだ。あるいはアニメこそが作家主義を貫いて深いドラマを作れるんだ、とかも言われていたっけ。

まぁ、要するに文学邦画なんてまったくダメで、アニメこそが日本の誇るべき文化なんだ、という論調が一気に広がった。社会学者文芸評論家もこぞってアニメを語るようになった。

国もそれに同調して、「クールジャパン戦略」を唱えるようになった。アニメを輸出して日本文化プレゼンスをあげようとした。これ自体音楽戦略的に輸出したイギリスクールブリタニカ戦略猿真似だったけど、実際にやったことは誉めてやっていいだろう。石原慎太郎が「ほしのこえ」を絶賛していたんだぜ。

そうやってゼロ年代半ばにはクールジャパン論はピークに達していた……しかし、その後の惨状はどうだろう。

まずクールジャパン戦略は無惨にも失敗に終わった。これ自体は今でも施策が続いているが、アニメの姿はなりを潜めて、ゆるキャラや各地の名産品を押し出すようになっている。各国にあるクールジャパンショップも同様だ。

アニメこそがすごい文化なんだ、という論調も次第に静かになっていった。アニメを持ち上げる人が、どんどんいなくなっていった。

それはアニメ自体流行の変化にも原因があるだろう。攻殻機動隊エヴァンゲリオン、カウボーイビバップといった「大人向けアニメ」はあまり作られなくなり、キャラクターのかわいさを押し出す「萌えアニメ」が主流となっていた。

それはまだいい。致命的なのは萌え」が語るべき言葉を持っていなかったことだ。

ゼロ年代にはまだ「萌え」こそが思想的に新しくて最先端の消費行為なのだと言い切ることもできた。「萌え」の言葉意味や、それのなにが新しいのかを語ることができた。

しかし、個別作品を語るとなると、「このキャラかわいい」で終わってしまう。これが決定的にまずかった。

なぜなら、それはクチコミで広がらないことを意味している。エヴァはこういう作品で、ここが面白いんだよ、と説明できる。しかし、萌えにはそれができない。言語化できないってことは、海外にも紹介できないってわけだ。

さらには社会的な風潮の変化も、アニメには打撃を与えているあろう。90年代はまだ表現の自由がどこまでも広がっていくという幻想があった。あれも表現してOK、これも表現してOK村上隆オタクアートはその幻想を土台にして成り立っていた。

しかし、その後にやってきた現実は、大きなバックラッシュだった。ポリティカル・コレクトネスが席巻し、あれもダメ、これもダメ、という世界がやってきている(かつて政治的な正しさは「生真面目なやつらがくだらない批判をしているぜ」とお笑い草にされていた。そのとき空気は、『政治的に正しいおとぎ話シリーズで感じ取ることができる)。

これはアニメにとってとてつもない逆風だ。なぜなら、アニメにおいては奇形であることがクリエティティ証明だったからだ。たとえば、ゼロ年代は「エロゲー」をベースにした諸作品が注目を集めたが、これは今ではとてもじゃないが取り上げられなくなってしまっている。

アニメは今ではかつて(90年代半ば以前)のように「省みられない」存在に戻ってしまった。

日本コンテンツ話題になるのは、コンマリやテラスハウスだ。まだ宮崎駿新海誠はがんばっているけど、かつてのように「アニメというジャンル自体に優位性があるんだ」という勢いはない。みんな忘れているけど、「すべての映画アニメになる」なんて言われていたんだぜ。

今ではアニメ話題になるといったら、アニメーターの待遇がどうだ、といった就労問題ぐらいだ。

しかし、この残念な現実を見るに、なんでこうなってしまったんだろうと首をひねってしまう。あれは幻想だったのだろうか。いったいどこで道を間違えてしまったのだろう。みんなあのころのことはどう思っているんだろう。忘れてしまったのだろうか。あるいはまた盛り上がることがあるんだろうか。日本未来は、これからどうなってしまうんだろう。

2019-01-12

音声言語尊いって言うのやめろ

尊いって萌え用語は以前から使われていたが、最近になって急にアニメキャラ尊い連呼するようになった。

自分はあれを聞くたびに寒気に襲われる。皆はあれを見て何か思い出さないか自分はこの寒気を、昔萌えという言葉バラエティやらニュースやらで、2ch用語連呼されまくってる時に起こる寒気と同じ現象なのだと思う。

インターネットで書かれる言葉あくま書き言葉なのだ。それが急に話し言葉、つまり音声言語に変換されたとたん、それは非常に違和感のある言葉になる。

例えばTV文芸評論家やら理系専門家やらが専門用語を駆使しながら長々と語っているとき、(たとえその方面への知識があったとしても)何かその場違いさがなんだか、恥ずかしいような気分になったりしないだろうか。それと同じだ。

それらの専門用語はまだ時代を超えても成立するものからまだいい。尊いとかネット用語はいわば流行語のようなもの書き言葉から話し言葉への変換が定着し、自然言葉になる前に廃れて消えてしまうだろう。そうなるとただ聞いていて恥ずかしかったという感情けが残って、誰も得しない。例えば俺が得しない。現に今恥ずかしい。

作品自体もそういう時節の流行を取り上げたようなものは、10年後見たら冷める。時代から取り残される。作品は十年先になって見ても価値のあるようなものを作るべきだと思わんか。

そういうわけだからやめなさい。いいね

2018-09-21

小川氏については、主義主張の面よりもまず「無知である人間文芸評論家を名乗ってることを問題視したい

https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/20/ogawa-comments_a_23533228/

「ご自身が良く知らないことについて公の場所で、特に文章で書くことはされないほうがよろしいと思う。恥ずかしいと思う。言葉を使って生活されている方が"嗜好"か"志向"か"指向"かはどうでもいいなんて、その感覚に驚く。"パンツを履け"という話をしていたが、異性愛だって性的指向の一つだと同じだということに、どうして気がつかないのか。男女が街で手をつないで仲睦まじく歩いたりキスをしたり、あるいは親子がピクニックに出かけているのを見ると、私は"異性愛者なんだな"と思う。それは小川さんの言葉を借りれば"パンツを履かないで歩いている"ということになる。

この部分だけで小川氏の全ての発言が全部無効化されるのである

小川氏の主張を採用する場合ヘテロな人たちも、自分たちが男が好きとか女がすきということも慎めといわねばならない。

2018-02-26

東浩紀さん産経正論大賞』授賞パーティーを語る「ハッキリとしたイデオロギー性で面白すぎた。言論権力が結びついてる」

1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイWW d465-ibbf)[] 2018/02/26(月) 15:55:37.24 ID:7211LqHx0

久田将義×吉田豪タブーワイドショー 2018/02/25(日) 20:00

ゲスト東浩紀】より

東浩紀

こないだ正論大賞パーティ行きましたよ。ヤバいっすよ。正論大賞マジヤバい人類は一回行くべき。

多分絶対呼ばれないから言うと、フジサンケイグループ威信をかけてやってるわけです。

まずこの賞の凄いところは選考委員がいないところ。今フジサンケイグループにとって今推したい奴みたいな感じ。

最初フジアナウンサーが「フジサンケイグループ正論大賞パーティが始まります」と挨拶する。

そこでいきなり「平昌五輪日本ますます活躍しかし他方韓国はそれを政治利用し・・」と始まる。

中韓政治的圧力ますます強くなる中、日本の論壇はそれを恐れず正しい論を作っていく」「さて発表です」

飛ばすんですよ(笑)。とにかく最初からハッキリとしたイデオロギー性、方向性なんです。

男性着物の奥様と一緒に入場してくる。入場の時だけかなと思ったら壇上にも行き、夫が演説してる間、

奥様は一歩下がって身動ぎもせず立ってるわけ。三浦(瑠麗)さんと同時受賞したある文芸評論家小川栄太郎

がいるんですが、その方の演説がこれまた凄い。この人は安倍晋三吉田松陰に並ぶ思想家なんだみたいな本を

書いて結構売れている人らしい。最近だとモリカ問題朝日に訴えられてる人なんですよ。

その人がいろいろ演説する。「日本少子化で苦しんでる、このままだと日本は滅びる」ああここまではそうだと。

「だからねぇ増えるしかないんだ。女が子供産むしかないんだ。という事言うと女性人権かいう人がいます

人権?もちろん大切です。しかし!」と始まる。それを横で着物を着た女性がずっと黙って聞いてるわけですよ。

凄いよ。痺れましたよ。こんな自由言論空間はない。自由すぎる。

安倍首相からビデオメッセージが凄く長い。受賞者一人一人に「何々さんは何々の業績があり、これからもしっかりと日本を支え」

みたいなメッセージが来る。言論権力が凄い結びついてる。

受賞者の挨拶を見るとみんな仮想敵朝日新聞なんですよ。これも面白くて。首相からメッセージ貰ってるんですよ。

それなのに自分たち言論弾圧されてるって思ってるわけ。凄い良かった(笑)

俺はすごい面白くて最前列でバシバ写真撮ってたり喜んでたんだけど、津田(大介)さんは真っ青な顔してさ「これ許せないでしょ」。

ええ、マジレス?みたいな(笑)。そうじゃないでしょこの楽しみ方さ。さすが左翼(笑)

首相メッセージは一番最初に「フジサンケイグループの日々の活動に敬意を表します」と。そりゃ権力とはズブズブです。

https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1519628137/

2017-11-21

朝日新聞社のまわりでデモでもやったらどう?

朝日新聞社文芸評論家小川太郎氏に抗議 謝罪と賠償求める

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171121-00000543-san-soci

抗議に抗議しようか

朝日新聞が嫌いな人が多いってことをはっきりさせるために朝日新聞の周りでデモやるといいじゃんね?

朝日新聞不買運動と、買っている人との商取引制限を呼びかけるために、デモをやったらどう?

朝日毎日東京新聞なんていらないよね。

2017-07-14

成熟とは喪失だ、って偉い文芸評論家が言ってた

確かにそういう面はあるのかもしれんが、俺は端的に狂うことだと思うわ。

同じ話を何回もしてしまう、

相手事情ディテールを忘れてしまう、

すごい勢いで相手がよく分かってないんじゃないかってことを喋ってしまう、

などなど。

徐々にかつての指導者に近くなっていく自分に気づくと、恐ろしいような愛おしいような気分になる。

2009-05-02

朝日ジャーナル記念復刊

先日、「朝日ジャーナル」が創刊50年を記念して1号だけ復刊した。

これが売れてて、3刷まで出てるらしい。(ソースは今朝の新聞広告

朝日ジャーナル週刊朝日緊急増刊)

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10334

出てるのは浅田彰柄谷行人鶴見俊輔などに加えて、東浩紀湯浅誠雨宮処凛ホリエモンなど。

ちょっと読んでみるか。

朝日ジャーナル」が記念復刊 創刊50年で

 1960-70年代に若者に人気があった雑誌朝日ジャーナル」が、4月14日発売の「週刊朝日」臨時増刊号として復活することが27日分かった。

 発行元の朝日新聞出版によると、同誌は部数低迷で1992年に休刊したが、今年が創刊50年に当たるのを記念し、単発で復刊することにした。破綻する日本社会システムについて文芸評論家柄谷行人作家高村薫ら各氏が寄稿するほか、故筑紫哲也編集長によるインタビュー新人類の旗手たち」の一部を再録する。

 同社は「じっくり読む雑誌が次々と休刊する中での一つの挑戦。読者の反応を見ながら定期化も考えたい」としている。

http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009032701000358.html

2008-11-12

プログラマ文芸評論してた。読むの止めたい…

文芸評論だと別の評論家と比べられた時なんか恥ずかしいww

明後日の方向に弁明ちゃうしww

Danにはせめてプログラミングの話だけにして欲しい・・・

今世紀最重要とかで煽ってたのに・・・・もう最悪ww

せめて普通空気ぐらいは読んで欲しい。

常識的に自分のわかる範囲で評論して欲しいだけなんです!

Amazonで既に注文してこれから読む時の恥ずかしさとか分かる?

あのね?たとえばはてブで10-20件ぐらいで書評ホッテントリとかするでしょ?

それぞれ文芸評論家とか言語学者とか村の村長で評論してるわけじゃない?

みんな普通アジテーションや本気と冗談は紙一重や「文学少女」ぶりやエアレビューと言ってるわけでしょ?

Amazonノコノコ注文しちゃったんだから大恥かくでしょうがww

http://anond.hatelabo.jp/20081111000645

2007-09-12

純文学作家とか文芸評論家とかって傾向として反権威的な人がなるよーな気がするけど、その業界作家評論家に、評論家作家になんとなく反発してるのをみると、なんだか内ゲバという言葉を思いだすのだった。

 
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