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2020-09-11

表現規制」は、非明示的な参入障壁でもある

表現者たちが、その手足を拘束する「表現規制」を全力尽くして拒まないことに憤りを感じていたが、そう考えたら腑に落ちた。

表現規制」に対し、プロ表現者が実は好意的なのは、それが「参入障壁」になりうるからだと思うのだ。本人が意識していないにしろ

なぜなら、既にプロになっている作家なり絵師なりは、「表現規制」に関する助言を関係者編集者など)から体系的に教授されうるのに対し、

素人はそれを「空気」としてしか理解することができない。炎上する可能性を、網羅的に理解することができない。

結果として、素人商業的な表現の場に参入できなくなる。クライアントにしたら、そんな炎上対策もできない表現など扱いたくないもんね。

素人がどんな良い作品を作ろうと、「表現規制」に合致してないとなれば、炎上する可能性を見過ごしたという意味で、クライアント側も責められうるからね。

CtoCの割合が増えつつある世の中で、特に表現世界においては、表現供給者がプロである必要が低くなっている。だから素人に対する参入障壁有意義に働く。

まり、「表現規制」に沿った表現ができること及びそのノウハウは、既存権益の一つであるわけだ。

から既存権益側の表現者も「表現規制」に好意的になる。規制下の表現の難しさをSNSなりで愚痴りながらも、実はある意味で喜んでいるのだ。

そして、その「既存権益」という方向で考えるならば、「表現規制」は「放送禁止曲」のようにジャーゴン化していくと思う。

表現規制」は存在するということだけ世の中に理解されれば、その具体的な中身は、素人にそのルール理解されないよう、秘密にしておいた方がよい。

既得権益側は、その素人に対し、私たち規定する「表現規制」に従っていないことだけ指摘すれば十分なのだ

それが事実であろうとなかろうと、クライアント側はその発言に萎縮して、素人との契約を辞めるという算段だ。

そうやって、「放送禁止曲」が放送する人間しか知らず、その被害を受けるとされる人間を向いていないのと同様、「表現規制」も自分たち権益を守るためのものになっていく。

さらには、マナー講師仕事を増やすために新たな「マナー」を作り出すように、表現者とその関係者は、自ら「表現規制」を作り出していくことになる思う。

被害者とされる人々とは全く関係なしに。メールクレームがあったから、偉い人がそう言ったから、みたいな素朴なきっかけで。

それによって、表現者には、自らの手足を縛る「表現規制」と闘う社会派プラスイメージ付与されるなんてオマケまでついてくるだろう。

あと、2、3年もしたら、著名な文芸評論家が、同じような理路でもっと長めの文章を書きそうなので、先に押さえておきますね。

 
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