新宿の居酒屋でバイトしている。客単価は五千円。安くはないけどすごく高いわけでもない。客層は30代から40代が一番多い。
金曜夜の居酒屋は混んでいる。超忙しい。料理を調理場から1番遠い席まで運ぶとなるとその道中で何度も呼び止められる。「すいませーん」と聞こえたら条件反射で「はいお伺いいたしまーす」と叫んでいる。だから正直、細かいところまで気を配る余裕がない。こちらはホール担当のバイトが2人しかいない状態なので、食べ物や飲み物を運び注文をとるのが限界だ。ああ、あの席灰皿がいっぱいだから取り替えてあげたいなと思っても、その瞬間にはどこからかすいませーん!!と聞こえる。みんなドリンクを頼みたいし、トイレの場所を聞きたいのだ。
ある金曜日のバイト中、店内を何度も往復しながら、初老の男女グループの席からやけに見られているなと思っていた。意味ありげにこちらを見てくる。なにか用があるのだろうかと忙しいなか一応にこりと笑いかけても、ふいと目をそらす。これで余裕があれば近づいてご注文ですか、とか聞くのだけど今はさっき席に着いたお客さんにおしぼりを渡すことが優先だ。しばらくしてまたフロアを往復してそのグループの席のあたりを歩いていると、もう1人のバイトになにか頼んでいた。どうやら焼酎の水割りをつくるための氷を新しく持ってきて欲しいらしい。ああそういえばとテーブルを見れば少し前に用意した氷は溶けてしまっていた。
「なんであの子、気づかないんだろうね。こちらから言わなきゃいけないなんて。氷お持ちしましょうか?くらい言えないのかなあ、使えないね」
びっくりした。あの子、とは確実に私のことだった。というか何なら私に聞こえるように言っているように思える。そうか、何度も目があったのは氷を持ってこいという無言のアピールだったらしい。
ただ、申し訳ないけれど、自分たちがして欲しいこと、持ってきて欲しいもの、きちんと声に出して伝えてくれないと私は対応できない。金曜夜の、満席状態の居酒屋で、数人のお客さんに目線で何かを伝えられて、それを解読している暇は、ない。
自分たちのして欲しいことを察してもらえると思っている人は結構多い。でも、要求をきちんと言葉にするというのはコミュニケーションの基本だと思う。それがお客さんと店員という関係であっても。
少し申し訳なかったなと思っていたら、こんな風に会話が続いた。
「ああ、最近多いよね」
「そうそう、俺の近所のファミリーマートなんてさ、4人店員がいるんだけど全員中国人」
「まあ、どうせあの子中国人か韓国人でしょ」の後ろに隠れているのは ( だから仕事ができなくても仕方がない ) とかだろうか。日本人だったら、自分たちの要求を察してもらえると思っているのだろうか。何度も目があった私に氷を持ってくるよう頼まずもう1人の店員を呼び止めたのは、私が中国人か韓国人だと思ったから?
ここで言っておくと、私は日本人である。両親も祖父母もひい祖父母も日本人だ。在日外国人というわけでもない。つまり彼らは私を外国人だと勝手に勘違いして、勝手にじろじろと見続けて、勝手に不満を漏らしていたわけだ。
悲しかった。中国人や韓国人に間違われたことが悲しかったんじゃなくて、日本で働いている日本人じゃない人たちがこんな風に言われたりしていることを、身をもって知ったからだ。日本人じゃないから、という理由で仕事ができないと決めつけられたり、じろじろと見られたり、文句を言われたりする。どれだけ一生懸命になって働いても、彼らが日本人じゃない限り、どうせ〇〇人だから、という一言で全てが否定されてしまう。やるせなかった。
以前バイト中にわざわざ「日本人ですか?」と聞いてきた人もいた。すごく失礼だ。日本人じゃなければ何か都合が悪いのだろうか?私はその人たちにきちんと日本語で対応し、食事を運び、お皿を下げていたつもりだったけど。
あー、まとまらなくなってきた。なんか、もっと寛容な社会であってほしいと思う。今はちょっと不寛容過ぎるんじゃないかな、いろいろと。とりあえず、それだけ。
日本社会というか、特に東京みたいな都心部はみんな疲れてて少しのことに怒りをぶつけたり愚痴をこぼしたりする。みんな休め