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はてなキーワード: 先入観とは

2020-12-01

「私という一人称を使うのは女性」という不思議先入観

私男だけど気分が向いたら時々私って一人称日記書くよ?

僕・俺・私をノリで使い分けてる感じだけど

自分の事を「私」と称する人は女性だけ、という思い込みというか先入観って何なんだろうね

追記

そんな事は無い、ただの思い込みだというトラバブコメ結構来て

かに一人称が私だからといって女性の書いた文章だと思わない人も勿論居るんだろうけど

私が以前自分性別を明かさず私という一人称を使って書いた日記トラバでもブコメでも私を女性だと思っている人が結構たか

一人称を見て性別判断する人は結構居るんじゃないかなぁ、というのが私の正直な感想です

頭の中の錯視

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20201201/k10012740111000.html

「月曜が他の曜日比較すると減る(検査が少ないだけ)」のと「火曜は前週と同様の水準に戻る印象が強い」ので「火曜では最多」は驚いた(先週の水準なら500人台と思っていたぶん、最初は「減ったやん」と思った)。

2020/12/01 リスト

錯視みたいなやつで断片的な数字観測すると、無限に増えてるようにあるいは減ってるように認識する

そんなのがあるのではないか

こんなん

(⚠ポケモンショック(てんかん発作)を誘発するかもしれない)

動画を使った錯視13

そうだなあ

画像では元画像エンボス加工→エンボス加工の反転、じゃないかなあ、

これでなんか動いて見える。動いて見えるだけならわかるけど場合によっては無限に大きくなってるように見える。すごい。

これを数字に無理やり当てはめるなら、、、、いきなり難関、わかんない。

隣り合う色の明度がある閾値オーバーするとき白くしたり黒くしたりする、そんなんでしょ知らんけど。

エンボス加工の「効いたエッジ」、これをNHKニュースタイトル強調表現ってことにしとこ。なんかそれっぽい。数字じゃなくてもっと外側方面

google:新型コロナ 人感染確認 site:nhk.or.jp 東京都

曜日の発表では過去最多」「日連続、人超」

エンボス加工の反転ってなんだ?ブコメツッコミってことにしよう。「恣意的な値で何日連続とか意味あるの」とか

あとは毎日上げたり下げたり。

まあ先入観一喜一憂、とかでもいいんですけど。

anond:20201201001940

ところで兄×妹のCPってどうせ愛好者は殆ど男だろう?という変な先入観があったけど

実際に兄×妹のCP物漁ってみたら漫画小説かいてる人が大体女性で驚いた

お兄ちゃんと妹って関係性のCPは案外女性の方が愛好者が多いんだろうか

2020-11-29

緑が基本的には重要な色である、という点に疑いの余地はありません。

しかし、本の装丁の分野ではずいぶん昔から、「緑の表紙は売れない」と言われています

ヨーロッパ諸国国旗を見ると、79%が赤を使っているのに対し、緑はわずか16%にしか過ぎません。

衣装デザイナーたちは、舞台照明の中では緑は不気味に見えることが多い、と言います

ギャラリーディレクターたちは、よほど注意深く使われていない限り、緑の強い絵は顧客が好まないと報告しています


どうやらこの問題は、150年前にはすでに認識されており、アッシャーブラウンデュランド(Asher Brown Durand)は、「緑に対する先入観」に関して次のように述べています

「なぜ緑が芸術家から非難を浴びるのか、その理由を私はよく理解できる。緑ほど懐ぐあいを悪くする色はないからだ。」


(カラー・アンド・ライト)

ヨーロッパにおいても緑は不人気

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

anond:20201117090617

これ

原因を社会に求めてる人は全ての女はおとなしやか従順みたいな先入観があるのかも

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





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こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-16

anond:20201116170304

そんなはじめはたった1つの細胞しかなかったものが今の自然にまで増えて発達していくなんて不自然だろ

自分の頭で考えようよ

先入観捨ててさ

その上で海と火山からどうやって今の自然を作り出す?

神が作り上げたと考えるの方が論理的かつ合理的だろ

2020-11-06

コード共通化するな

プログラミングできる気になった自称中級者は、ソースコード共通パターンが現れると決まって、その処理を関数などに共通化したがる。

しかに、そうすることでソースコードは短くなるし、一見して保守性が上がったような気になるのだが、それは間違った作法から止めろ。

かいこと言っても伝わらない自称プログラマが読んでることを想定して、先に結論簡単に書いておく。

お前は絶対コード共通化するな。

共通化してはいけない理由

なぜコード共通化するのがいけないのか。理由簡単だ。要するに、コードが似ているのは単なる偶然であって、それらは別の処理だからだ。

別の処理だから共通化するのはおかしいし、もし共通化した処理の一方のみ仕様が変わった場合、その修正は他方にも影響してしまう。つまり保守性が下がっている。

たとえば、同じプロジェクトの中に、10%の消費税を加える処理と、10%の金利を加える処理があったとする。この2つの処理はともに元の金額を1.1倍する処理であり、全く同じ処理であるが、共通化してはいけない。

これらを共通化してしまうと、たとえば金利が8%に変更になったとき金利計算の処理だけではなく、消費税計算している箇所すべてを変更しなければならなくなる。

実際のアプリケーションでやりがちなのは複数の処理の「事前処理」「事後処理」などを1つの関数にして、呼び出し毎に細かい挙動引数制御するようなパターンだ。

これは結局、改修を重ねる度に「事前処理」「事後処理」の内容が使用箇所によって全く異なるものとなり、それに対応するために

といった悲惨設計に陥る。

他にも、GUIアプリユーザーの応答を待つDialogクラスなんてものを作って、使用箇所ごとにメッセージボタンに割り当てる処理などを切り替えることがある。

これも間違いなく、プログラムが成長するにつれて破綻する。たとえば、ある場所ダイアログは、表示するメッセージテキスト形式のみではなくなり、脇に画像を表示するかどうかのフラグコンストラクタに渡したり、Dialog継承させて表組みを表示するTableDialogサブクラスを作ったりすることになる。ボタンが「OK」と「キャンセル」の2種類の場合じゃなくなって、表示するボタンの数をコンストラクタに渡したり、ボタンに割り当てる処理をリスト形式で渡したりし出す。

こうして、最初は良い設計に見えたDialogクラスはどんどん複雑になる。こうなった原因は明らかで、本来は異なるもの共通化したからだ。おかしな色気を出さずに、素直に別々に実装しておけばよかったのである

処理に名前をつけろ

プログラミングをする上で「コード共通化する」なんてことは意識しなくていい。それよりもプログラマがすべきことは、処理に適切な名前をつけることだ。そのプログラムにおいて「単なる変数操作」を超えた意味のある処理には名前をつけろ。そして、同じ意味の処理なら同じ関数を使うし、違う処理なら違う関数を使う。それだけだ。コード共通化できるかどうかなんて全く関係ない。

変数関数クラス名前空間等が再利用のための機構だという先入観は一旦捨てろ。それらの真の意義は、「関心の分離」にある。つまり実装隠蔽し、その意図抽象するために存在する。たまに勘違いしてる奴がいるが、別に1回しか使われない関数とか、1行しかない関数はあってもいい。というか、この原則にしたがって設計すると、ほとんどの関数(or メソッド)は数行になる。

上の消費税の例で言えば、「消費税を加える」「金利を加える」処理は、明らかに単なる算術演算以上の意味のある操作から関数化する。そして、それぞれの実装は当初の仕様では奇しくも全く同じになる。消費税を加える箇所では前者の関数を呼ぶし、金利を加える箇所では後者関数を呼ぶ。

これはこう言い換えることもできる。消費税を加える関数を変更するのは、消費税計算処理が変わったときのみであり、金利を加える関数を変更するのは、金利計算処理が変わったときのみである。つまり、すべての関数は、それを変更する理由がただ1つになるように設計しろということだ。

こういうアプローチプログラムを書くと、ソースコードはあたかもそのアプリケーションドメイン特化言語で書かれたかのような見た目になる。

また、一つ一つの関数は小さく、理解やすく、テストデバッグも容易になる。そして、結果として再利用もしやすくなるし、プログラムの変更も容易になる。

2020-11-03

anond:20201103103912

いや批判してる人もそういってるし

というかそもそも今回の炎上フェミかどうかさえ大して関係ないんだけど

バカのなかでは絵を批判フェミ先入観は強固なんだよなあ

2020-10-29

お前ら明らかに地方」と「低学歴(非大卒)」見下してるよね

追記

「俺は努力して上京して高学歴になったんだ。競争に勝ったんだから見下しても差別ではない(要約)」みたいなコメントしてる奴らな

そーーーーーーいうところだよっ!!

ほんと救いようがねえな

勉強して上京することだけしか努力」と「競争」は存在しないのか?

極端な例を言えば高卒プロ野球選手は間違いなくお前らより努力して競争に勝ち上がってるぞ

当事者のことも知らずに、地方低学歴に「甘んじてる」のは怠惰と敗北の結果だって無邪気に信じてるのが醜悪だって言ってんだよ

追記おわり




正直に言う!俺はスガーリンこと菅総理大臣を支持したくなってる!

日本から捨てられた土地で生まれて

こういう話題になると、お前らの醜悪差別心が丸出しになるな

何が「非インテリに書ける文書ではない」だ

それってようは「高卒クンはまともな文書書けないっしょw」って思ってるからでてくる言葉だよな

結局お前らさ、お勉強頑張って上京して都心会社に勤めることこそが「成功」であり「幸福」であり

それ以外の生き方負け組と思ってんだろ

なんで地元から出れないことがイコール「埋もれる」ことなんだ?

ちゃんと「地方」にどんな産業があるのか理解した上で言ってるのか?

例えばだが、お前がメガネをしているとして、そのメガネ国産のものならば、ほぼ確実に日本海側の人口100万人未満の県の人口10万人未満の市で作られたものからな?

お前らが着ている服の糸一本、乗ってる電車のネジ一本、住んでるマンションの資材一欠片、食った米の一粒まで全て都心高学歴が作ってるとでも思ってるのか?

そもそも東京の多くの人間の「原産地」が地方だろうが



立派な大学出て都心IT企業で働いてるお前らの何倍もの付加価値を生み出してる地方の中卒高卒なんていくらでもいる

優秀な能力を持ち、「東京大学」でて「東京」でその能力を発揮したいと希望してる人間東京に出れないのは確かに悲劇だが

本当に「東京」じゃなければならないことってそんなにあるか?

別にその優秀な能力を、高卒地元の一次、二次産業で活かしてもまったく悪くないだろ

お前らの物言いには地方の無価値無意味仕事は、愚かで粗暴な田舎低学歴がやってればいいって差別心が透けてるんだよ

「男だから、女だからこう」みたいな価値観の押しつけにあーだこーだ言う前にさ

自分の中の「地方」や「低学歴」に対する醜悪先入観差別心を認識しろ

「女は産む機械レベルの低解像度かつ差別的な認識地方や非大卒を語ってんじゃねえよ

「捨てられた土地」に産まれ増田を作ってる原因はお前ら、そして元増田自身にもあるんだから

まだ東京で消耗してるの?と言った奴のことは好きじゃないが

地方で埋もれた」奴がいるのと同様に地方活躍できる人材が「東京で消耗している」ことも無数にあるんだから

2020-10-26

anond:20201026100044

しろ男性看護師女性看護師以上の超売り手市場

これ何か客観的ソース示していただけるとありがたい

申し訳ないが端的に言って嘘くさいという先入観が…

2020-10-23

Re:Re:無職中年男が若くてきれいな女性失望した話」が語らないこと

anond:20201022203459

あなたからこういう反応が返ってくるとは思っていなかったので返答してみる。

増田でこの題名だとそういう内容を想像する人も多いだろうと思ったのと、初手に軽くユーモアを入れて雰囲気を緩くするためです。

ユーモアも感じられず終始深刻な雰囲気だし、そもそも無職中年男が若くてきれいな女性セックスできそうな状況になるとこのタイトルを見て思う人間はいないだろう。

書く必要がないのと、特定を避けるためと、余計なことを書くとそこで攻撃してくる人がいるからです。

書く必要がないからです。読むのに6.6分かかるのはネット記事としては長く、重要でない記述を削ってようやくあの文字数に収めています

私が興味深いと思ったのは、それを書く必要がないとしたあなた判断だ。中年男と若い女の間で問題が起きた、という話をするなら普通はこのような構成にする。

  1. 語り手である中年男、つまりあなたがどのような人物であるかの説明
  2. 若い女についての説明と、中年男と若い女はどのように出会い現在はどのような関係であるのかの説明
  3. 問題が起きるまでの経緯と、発生した問題についての説明
  4. 問題が起きた後、二人の関係がどうなったか説明

ところがあなた自分についての説明を二行ですませて、みゆさんについての説明に移っている。これはかなり独特だと思う。

そして、みゆさんについてはそれなりの分量の説明をした上で、一番詳しく書かれているのがあなた問題だと思った発言についてなのだが、その発言があったときの状況についての説明がまったくないのも独特だ。

「その日はいものように〇〇駅で待ち合わせて、いつもより少し奮発して××で食事しながら楽しく会話をしていた」などのように、発言が出てくるまでの経過について軽く説明してもいいのだがそれをしない。

発言が出てからどうなったのかについても同様で、「なんだか気まずくなり、その後も会話は盛り上がらずその日は早めに解散した」などの説明があってもいいはずだ。

しかし、あなたはそうはしないで、自分が傷ついた発言があった瞬間のあなた気持ちしか描写していない。

更に言うなら、みゆさんに「失望」した上であなたがこれからみゆさんとどうするのかも書かれていない。これからも数か月に一度の指名を続けるのか、別の女性レンタル彼女で探すのか、レンタル彼女の利用をやめるのか、そういう将来のことについて説明してもいいのだが、あなたはそれをしていない。

重要でない記述を削っ」た上で残ったのが、嫌なことがあった瞬間のあなた気持ちなのだとしたら、あなたにとって一番重要なのは傷ついた自分の気持なのだろう。しかし一方で、あなた自分自身についての説明をすることに価値を感じていない。これはアンバランスだと思う。

以前の職に戻ることを否定されたような気がして傷ついた気持ち大事にするのなら、以前の職で自分がどのように働いていたか、なぜうつ病になり職をやめなければならなったのか、そのとき自分はどう思ったのか、などその根底になる気持ちについても語りたくなるだろうと想像するのだが、それをせず自分が傷ついた瞬間で時が止まっているかのような描写が続くのはかなり独特だし、それが逆に切実さも感じさせる。

「話を聞いてもらう」と書いているのに、他のコメントでも「相談」などと勝手に書き換えられています読み手先入観が伺えます

話を聞いてもらうことと相談することは日常的にはほぼ同じ意味で使われている。

いやいや、ここで自分の話ばかりしてたらますます自己中のおっさん」「人の気持ちがわからないオタク」と非難されるでしょう。

あなたが誰に非難されるのを恐れているのか知りたい。あなたレンタル彼女というサービスを利用している客で、金を払って相手時間を買い取っているのだから自分の話ばかりしても何の倫理的問題もないはずだ。

あなた相手気持ちを考えて話を聞くようにしていたのだとしたらそれはあなたにとっても良いことだと思うが、もしもその場にいない誰かの非難を恐れてそうしていたのであればそれは不幸なことだと思う。

自分の話だけして気持ち良くなるのであれば少なくともそのことであなた幸せになっているし、相手気持ち良く過ごしてもらうために相手の話を聞くのであれば相手幸せを思って行動したことでやはりあなた幸せになっている。

しかし、その場にいない誰かの非難を恐れて、自分が「自己中のおっさん」ではないのだというアリバイのためだけに相手の話を聞いているのであればそれはあなたにとっても不幸だし、相手にとっても失礼なことだ。

店員はそういうものなので何とも思っていません。不満に思ってたら危険な客です。「おおむねいい感じ」というのは、会話が滞りなく進んだり笑いが起きたりといったことです。

あなたホワイトワーカーだとします。うつ病休職しましたが、復職を目指しています。そこに同僚がやって来て「君なら工場労働ならできるよ」と言われたらそれは「復職は諦めろ」という意味になります。これは常識レベルです。

なんとも思っていない相手に同僚と同じようにあなたあなたがやっていた仕事について理解することを要求するのはおかしいだろう。

なんとも思っていないというのは嘘だと思う。

そんなこと書いてないっつーの!

ならば、会えない間の数か月をどのように過ごしていたのか書いてほしい。予約をするときはどういう気分だったのか、待ち合わせ場所にはどういう気分で向かうのか、苦しく思うことや楽しく思うことがあったはずだと想像する。

みゆさんの発言常識的に考えておかしいし、「他の人に相談したらフォローされた」(その人は失言だと認識した) って書いてるのに、批判する人は全員そこを無視するよね。

みゆさんはあなたと数か月に一度会うだけだし、私を含めあなた文章を読んだ人々も、あなたがどのように働いていたかあなた病気がどのような経過を辿ってきたかあなたが書かなかったのでまったく情報を持たない。

あなた相談した相手と、みゆさんや、ネットあなた文章を読んだ人は、同じ人間ではないし、あなたについて同じ情報を持たない。

あなたが書いた文章から読み取れるのは、みゆさんは不用意な発言をしたな、という程度のものだ。

引用部分に少し書きましたが「中年男は悪、それに対して若い女性は善」という風潮があるためです。

ネットに限っても、無職中年男と若い女性とを対比させる風潮はそこまで強いだろうか?若い男性アイドル資産家、スポーツ選手など、中年男を馬鹿にするためにダシに使われるものは他にもいくらでもある。

あえて意識若い女性に集中して劣等感を持っているのはあなただ。

私が自分でその結論に達したのであり、あなたは何もしてないんですが。上から目線じゃないですか?

それも私の結論とほぼ同じですよね? 他にも「きれいからって中身までいいわけないだろ」とか私の結論と同じことをドヤ顔で書いてるコメントがありましたが、他人の褌で相撲を取るなー!

あなた自分でその結論に達したことは良いことだ。

全部の部分、特に最後の部分に返答をもらえなかったのは少し拍子抜けだが、読んで何か感じてくれていたら嬉しい。

言われたとおりにしなくてもまったくかまわないが、こういうやり方もあるのだと、記憶の片隅にでも残しておいてくれればそれでいい。

2020-10-22

anond:20201021210748

私の周りにいる、生まれつき美人たちの話。

彼女たちはとても性格が良い。

理由簡単妬み嫉みの感情を知らないからだ!!

彼女たちだけが天使と呼べる。

レンタル彼女などには登場しない。

なぜなら、全うな人生を送っているからだ。

若くて綺麗で優しくて完璧天使はいるぞ。

まれからずっっと、人から嫌がらせ等をうけたことがないため、先入観なく人に接せる。つまり優しい。

増田たちのように人から不快な思いをさせられた私たちは、先入観で人に優しくできない場合がある。

例のオジサンもそうだろう。きっとレンタル彼女は、努力して可愛くなった。だから、「オジサン」という先入観から工場勤務を勧めたのだろう。

とまあ、天使たちと私たち増田は住む世界が違うんだから諦めよ。

彼女たちは皆、同じような天使な友人や男性たちに囲まれ幸せそうに暮らしいるからな。

2020-10-17

高齢出産メリットってあるの?

初産で高齢出産ですって聞くと素直に喜べない自分がいる。

でき婚しちゃいました!のと同じで、おめでたいのだけどなんか引っかかる。世間高齢出産ブーム(?)なので絶対こんなこと言えない。

そもそも高齢出産メリットってあるの?地獄案件しか見えないんだけど。

お金

40近くまで働き続けたんなら貯蓄たんまりあるんだろうなと想像してたけど、共働きでもそこまで貯蓄ない世帯普通に多い

不妊治療してたら家購入する資金もなくなったり、あるいは庶民から想像できないほど贅沢しまくってたりとか。

さらに両親の介護問題にも直面してると本当にお金ないらしい

(彼らの言う"お金ない"は自分自由に使えるお金が少ない、という意味であり生活が困窮してるわけではないと思う)

高齢出産リスク

そもそも流産率が高い、ダウン症ちょっと多い。これについてはいろんな人が言ってるから割愛する。

メンタル

ほとんど一人っ子ベタベタ甘やかし育ちが多い印象(私の周りだけかもしれませんが)

更年期精神的に不安定な中子育て大変なのは同情するけど、子供にあたってるの見るとほんとしんどい

いい子だなと思ってたら、急に叩かれたり、ご飯なかったり、お母さんが怖いから言うこと聞いてるって子もいて。

でもそれなりの服着させてたり、ちゃんとした習い事などさせてるからパッと見そういうのわからないんだよね。殴った後とか、そういうのもない。精神虐待?が多いのかも。

40にもなれば精神的にも成熟してるから広い心をもって子育てができる、とネットのご意見をみたけども

広い心をもって子育てしている高齢出産の方いたらぜひお話伺いたいものです。超レアでは。

あと、40前後のご夫婦だと母親主導の子育てが当たり前という価値観を持ってる旦那さんが多いらしく、夫は子育てに非協力的な面も目立つ。(共働きでもそんなの関係ないようですw)

たまに勘違いイクメンもいるけど、あれは形だけだからなぁ

若いカップルの方が一緒に子育てしてる印象がありますね。わからないことも素直に聞いてくれるし、変な先入観がないのがよろしい

子供気持ち

イベント授業参観の時とかにお母さんがおばさんに見えるから(老けてるから)来てほしくないって子、やっぱりいるんですよね

産前は若作りできても産後一気にメッキがとれて老け込むから仕方ないんだけど

子供からしたらおばあちゃんに見えなくもない親ってちょっと嫌なのかもね わざわざ見に来てくれたのに早く帰って!とか言っちゃってる子もいるし。

キャリア

ある程度職場でのポジションを築いてから産もうと思ってる人、よく考えてほしい

子供が小さいうちは呼び出されたり急に休まなければならない時がある 仕方ないことです 周りも子供事由で休むことに何も文句ない

でも要職についてると代わりが少ないし責任のある仕事も多いことでしょう

から「ある程度」なんて思わずにさっさと若い時に産んでしまったほうがいいです

高齢出産しました!ってイキってるバリキャリアラフォー多くて、それに感化されてる若い子いそうで恐ろしい 見習っちゃだめな例ですよw

あとお金にも絡んでくるけど、40前後で産んだら、自立する65歳くらいまでは働き続けなきゃならないということも考えてほしい

院まで行ったら70近くまで稼がなきゃならないのです もちろんアーリーリタイアなんてできない

体力もモチベーションもない頃にそこまで前線で働き続けられる??窓際社員文句なく稼げるポジションがあればラッキーだけど今の状況考えるとそんな夢のようなポジションは将来なさそうじゃん

高齢出産ブーム去ってほしいし適齢期に産んでバンザイな流れになってほしい

2020-10-09

anond:20201009190515

どんなに賢い人間でも先入観からは逃れられない。

「こいつは叩いていい」というスイッチが入った瞬間に叩くための材料を集めはじめる。

2020-09-27

ママは察しないよ、「〇〇だからこうに違いない!」って先入観でそう思い込むだけ

そしてそれが事実にすり替わる

女の手口だ

2020-09-04

anond:20200904104833

先入観が強すぎて、「ドロドロしてる」って言いたいんだ。

で止めとく。

anond:20200904084633

これだよね。

先入観が強すぎて、「ドロドロしてる」って言いたいんだ。

あと、ドロドロしているって言う人が元凶の事が多いよ。

変な噂流したり、秘密勝手にしゃべったり、嫌われ者のことが多い。

2020-09-02

anond:20200902163630

すげー批判されてビビってる

ありえなくないって言ってんのは10年後じゃなくて100年後ね

俺は今の「正しい」とか「結論」なんて100年単位で見たら脆いもんだと思うけどな

10歳そこらの児童本人に、性体験についての意思決定をさせることが如何に本人にとって有害

ここに俺の今の価値観において反対意見なんて微塵も無いよ

だけど、それが人類にとっての結論かっていうとそんなわけねぇよ

100年後に文明崩壊してて、個人権利なんて言ってられなくなってて、児童レイプされようとそれは個々人の責任ですよとか、男にとって、力を持って支配するのが正義になってレイプした数が勲章になってるとか

もしくは文明が超発展した結果生まれた瞬間から責任能力を有するレベルの知性を持てるようになったらそもそも子供定義ってそもそもどうなるんだよ

いずれにせよ絶対ないって言い切れんのって言ってんの

100年後無いとしてじゃあ1000年後はどうなんだよ。10000年後は?

未来の話したら極論でどんな正論にも反対仮説なんて出せるんだよ

人類にとっての「正解」「結論」なんて存在しなくて、自分価値観なんて刹那的なもんだって俺は言ってんの

核兵器戦争暴力も「正解」だった時期がつい最近まであったんだよ

今の我々から見たらどう考えても許せない悪でも未来にそれが正義になってるかもしれないじゃん

からこそ我々は自分自身の価値観を常に監視しなくちゃいけないし、先入観を持たずにすべてのものに相対する必要があると俺は思う

自分が「正しい」と思える自分であるためにな

俺も今の俺の価値観において、小児性愛行為が認められて良いとは微塵も思わんよ

そして小児性愛者を人格攻撃するやつもほんとうにどうかと思う

結論一緒のはずなのに、一部でまさかこんなにキレられるとは思わんかったわ

2020-09-01

anond:20200901191259

「屈服した」って事実ではなくあなた評価ですよね。実際に広告主が不当な圧力を感じたなら、裁判やってるか、少なくとも問題提起メッセージくらい出てると思いますよ。そもそもある団体クローズ意思決定過程について、部外者がどう知り得たんでしょう。結局先入観ですよね。

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