はてなキーワード: 仏像とは
・靖国神社で行ったなら、少なくとも日本の不当な歴史歪曲への物理的抵抗だと見ることができますが、福島の神社は別に関連がないのに、何故?
・これは村の神社だということです。
村の人々まで嫌韓になりそう。
・何故なのか?
国格が落ちる…
すぐに釈放せよ。
・日本のやつらは韓国の文化財を略奪し、景福宮、石窟庵、その他数多くの文化財を毀損した。
それと比べると何でもないのにどこが国の恥?
なぜ悪口を言ってるんだ?
・よくやった。
出迎えてくれた師範代は柔らかな物腰だったが、どんな正しくなさも見逃さない鋭い眼光をしていた。
道場生はやはり女性が多く男性はモテなさそうな奴が3人いるだけだった。
またネイティブアメリカンやアフリカンアメリカンもいた(「黒人もいるんですね」と言ったら師範代に棍棒で小突かれた)
最初に見せてもらった組み手は、受け手の男性が「女は産む機械」と叫び四方八方から袋だたきにされるものだった。
受け手はガードすることを許されずウレタン製の棍棒で攻撃されても蔑視発言を続けなくてはいけないそうだ。
正直、受けるのは生身の人間じゃなくてサンドバッグでも使えば良いのにと思ったが「痛みを知らないと、痛みとか何も考えない人間になってしまう」らしい。
次の組み手は1対1で行う正々堂々としたもので、受け手の男性が「アイヌ死ね」とつぶやくと後ろから後頭部を叩くもので
一撃で仕留めないと反撃される危険な戦術らしく、熟練の者のみ使用できるそうだ。
一通り組み手が終わると神棚に一礼する。
古参Ingressプレイヤー@田舎なので、数年前からこつこつとポータルを申請をしてきた。
申請したポータルが実際に生えるまでには1年以上かかったりする
もともとIngressのポータルというのは、不思議パワーのXMとやらが湧く場所という設定になっている。
XMはヨーロッパで発見され、古代からあったが初めて観測されたという未知のエネルギー。
そのエネルギーが湧いている場所を調べると、やはり古代からあり、人の集まる場所でパワーを
貰い続けていた仏像、神社、お寺、銅像、建物、もしくは人が集まる場所のシンボルマークだったと。
なのでナイアンテックがポータルと認めてくれたのは前述のものが多く、神社仏閣祠だけはたくさん
最初はほとんどなかったポータルがみなの協力で増えていく様は嬉しかった。
地元の大きなテーマパークなどは、複数のポータルが生え、いわゆるファームと呼ばれるものになる。
ファームとは、ポケモンで言うポケストップが密集して生えている場所のことで、アイテムが移動しなくても
ざくざく手に入る。
人が集まる場所は、ポータルのレベルも上がるので、強い武器もこのポータルから手に入るのだ。
田舎Ingressとしては、ファームの存在は必要不可欠に近い。
一つ一つのポータルの距離が遠く、密集地ではないと安定してアイテムが手に入らないからだ。
ポケストップと違って、一個のポータルは4回ハック(ポケストップでいうクルクルしたらアイテム手に入るアレ)
したら数時間使えなくなる。
そこで密集地に、ハック許可回数を増やすアイテムを入れ、一回ハックした後次にハックするまでの時間が短くなる
こうして人が集まると、もちろん「気持ち悪い」と言われることもある。
それを防ぐため、Ingress界隈では全体的に「ルールを守ろう、マナーを守ろう」という風潮があった。
Google+などで、地域の公園の閉園時間などを周知し、それ以降入らないように徹底。個人宅に生えたポータルは、
白ポータルにするように両陣営で協定を結ぶ。等々。(削除申請は出すが、許可されるまでの間の話)
知らない人が破ったら、COMMと呼ばれる全体チャットで注意。COMMでも定期的に、進入不可ポータルの告知。
それでいままで自分の地域では、トラブルは起こったことはなかった。トラブルが起こった地域もあっただろうが、
それはそれで地元エージェントの自浄作用が発動したはずだ。解決できたかどうかは別としても、トラブルはだめだ、
ポータルのある場所に迷惑をかけない、という雰囲気はIngress界隈全体にあった。
そんなところにこのポケモンGOがはじまり、自分たちがポータルをはやした公園やお寺、神社などに大量に人が
湧くようになった。
10時に閉まる某国宝オブジェには夜中に大量に人がうろついた。
Ingressと違い、GOにはCOMMのようなチャットがない。おかしなユーザーに「やめてくれ」と伝える術がない。
そして人が増えすぎ、自分たちが使っていたファームは、立ち入り禁止になった。
ポータルが多くて、よく経験値稼ぎに利用されていた場所も、GO禁止になった。
そして、それらの土地の管理人や、市の人間などが、「こんなところにポケストップをはやすなんて迷惑だ、不謹慎だ」
と怒り始めた。
迷惑も不謹慎も何も、もともとそういう場所に生えるのがポータルなのだ。
Ingressの時にはなんら問題になっていなかった。問題になる場所(個人宅の庭など)は、ナイアンテックに削除申請は出した。
ポケストップで流用されたポータルのデータが突然、不謹慎だといわれ、自分たちが足を棒にして申請しまくったポータル(ポケストップ)は
ポケモンGOに移行した人もいるだろうが、よく使っていた場所が次々使えなくなっていくのだ。
いくらIngress禁止とは言われていなくても、GOが禁止ならIngressはいいだろう、なんていうわけにいかない。
下手にその場所で頻繁にプレイするとIngressも禁止されてしまいかねない。
ファームが使えなくなったのが痛い。痛すぎる。
ハングアウトでは、「地元ファームが使えなくなったので、車で1時間かけて隣県のファームに行くがここもいつまで持つのか」という悲壮な
声が聞こえてくる。
ゲームの敵プレイヤーにファームを壊されるのはいい。そういうゲームだからだ。だが、こんな理由でファームが使えなくなると思わなかった。
どうしてこんなことになったんだ。
ポケモンGOが問題を起こすのはポケモンの話だろう。元のデータを作成したIngressが、巻き添えを食らい、せっせと培ってきた
ものをぶちこわしにされた。
それこそ漁獲量を守って珊瑚を取っていたのに、どこからともなく現れた変な漁船が根こそぎかっさらっていくような気分だ。
やめてくれといっても言葉が通じないので伝える術がない。
ナイアンテックの失敗は、ポケモンGOにIngressのようなCOMMを設定しなかったことだと思う。
「その公園に9時以降に入っちゃだめだよ」と伝えることが出来ない。
ポケモンGOのプレイヤーだって、閉園時間など特に考えてないだけで、きちんと言えば、わかってくれると思う、思いたい。
残された地元の巨大公園に今は人が殺到しているので、ひょっとしたらこの場所も使えなくなるかもしれない。
地元のIngressが死ぬのはプレイヤーががっつり減ったときだと思っていたが、まさか黒船来航のせいだとはおもわなかった。
のめり込んでいる程度はわからない。
ある日、現在は地方に住む同級生から「東京に行く用事があるので会わないか」と連絡があった。
特に用事もなかったので「いいよ」と答えた。待ち合わせ場所としてとある駅を指定された。
都内ではあるが、あまりカフェなどがあるような場所ではなく、交通の便もそれほどよくない駅をしていされたので、
不思議に思ったが、「美術館になるカフェ」があり、落ち着いて話ができるから、ということだったので、
彼女のいうとおり、そこに決めた。
当日、待ち合わせの時間を15分ほど遅れて彼女は到着した。あってすぐに違和感を感じた。
まず、まったく化粧っ気がない、髪も伸びっぱなしで、服もかなり地味でおばさんくさくなっている。
彼女とはもう10年以上の付き合いだが、前はもっと普通の服装をしていたし、地味だと感じることはなかった。
その時は、地方生活に慣れてあまりそういうことに気を遣わなくなったのかな、程度にしか思わなかった。
しかし、そこはまったく美術館ではなく、外見はただのビル。中に入ると、そこは仏教系の新興宗教の道場のような場所だった。
中はかなり静かで、きれいな内装。靴を脱いであがるようになっており、広い廊下の端では信者の方が車座になってすわり、
何事かを熱心に語り合っていた。
そのビルの上のほうにオープンテラスのカフェがあり、そこで話をすることになった。
久しぶりに会ったので、お互いの近況を話たあと、その団体についての説明が始まった。
勧誘ではない、と前置きしながらも、ウェブサイトをスマホで見せながら説明をされたが、
仏教系の団体であり由緒ただしいこと(新興宗教ではないこと)京都のお寺が元締めだということ、
はわかったが、それらの具体的なことが全然わからない、抽象的な話に終始したので、
よくわからないのでまた調べておく、といって話を終わらせた。
あまり長居したくなったので、もう帰る、というと、別の場所に案内したいという。
一応ついていくと、金ぴかの仏像のようなものがおかれた部屋に案内され、説明を受けたが、
最後、出口でパンフレットのようなものを渡され、そのまま解散となった。
後で調べると、かなり高額なお金を巻き上げるような仕組みの団体らしく、
それがゆえに、服装や見た目にお金をかけられなくなっていると想像される。
また、おそらくその団体内で地位をあげていくには、信者の勧誘がノルマとなっているようで、
そのために今回、自分に声がかかったのだろう。
具体的には勧誘はされなかったのだが、深入りはしたくないので、パンフレットは捨てて帰った。
もう彼女と連絡をとることはないだろう。
はてなでは楽しく視聴されている方が多そうですね。
ちょっと記憶があいまいではあるのですが、真田と高野山の話をします。
2年ほど前に高野山にお参りに行きましたが、そこで真田幸村の手紙を見たんですよ。
高野山霊宝館という、見ごたえのある展示物が数多いのに、人はわりと少なく静かでいいところでした。
内容がまたしゃれている。
「どこそこの坊さんに呼ばれているが、腹もくだっているし、あまり行きたくない」
知略や武勇とは程遠い隠遁生活や、本音をもらすチャーミングな人柄がしのばれました。
坊さんのところに行かずに済ませるための言い訳かもしれませんが、なんと「腹がくだっている」と。
増田向きな内容でありますし、ふと思い出し書き記したしだいです。
それではまた。
1935年、無断で日本に持ち出される…所蔵者を説得して韓国へ
朝鮮の石造の品が人気だった植民地時代…違法な持ち出しの規模は把握されず
1935年11月26日、東京・上野公園で大規模な展覧会が開かれた。
日本・朝鮮の陶磁器や木製の器具など2500点、石造の品100点、織物350点が展示された。
見事な美術品の間でひときわ目立ったのが、朝鮮から渡ってきたさまざまな石造の品。
高さ2.9メートルもある「新羅三層石塔」をはじめ、朝鮮の石灯、小型石塔、石人などが人気を集めた。
世界的な骨董(こっとう)商だった山中商会が主催したこの展示は、実は売るために物を並べた競売展だった。
山中商会は図録で「数年にわたって収集した朝鮮古代の各種石造物を展示し、見どころを豊かにした」と宣伝した。
最初の二日間はVIPを招待し、続く三日間は一般に公開、ほとんどの品を売り切った。
威風堂々たる「新羅三層石塔」は11月28日、ある日本人コレクターに売られた。
そのコレクターは、佐賀にある邸宅の庭園に石塔を運び、生涯これを鑑賞した。
当時一緒に購入された朝鮮の石灯や石人などは、駐車場などあちこちを飾った。
植民地時代に無断で日本に持ち出され、80年にわたり個人宅の庭園の飾りと化していた三層石塔が、故国に戻ってきた。
学古斎ギャラリーの禹燦奎(ウ・チャンギュ)代表は「10年かけて日本人の所蔵者を説得した末に購入し、昨年11月に韓国へ持ってきた」と語った。
石塔を研究している檀国大学のパク・キョンシク石宙善記念博物館長は「新羅の塔と誤認されたが、新羅塔の様式を継承した高麗初期の石塔。堂々としていて素晴らしい比例の美が際立ち、新羅から高麗に至る過渡期的な建築様式が生きている秀作」と語った。
朝鮮のどこにあって、いつ持ち出されたのか、正確な記録はない。
『石造文化財、その受難の歴史』の著者、チョン・ギュホン氏は「朝鮮において塔や仏塔は宗教的な意味合いが強い上、村の象徴などとして尊ばれており、個人の所有物だとは考えられなかった」と語った。
また、石塔を研究しているシン・ヨンチョル梁山市立博物館長は「贈り物としても数多く海を渡った仏像・仏画とは異なり、日本にある韓国の石造の品のほとんどは、植民地時代に違法に持ち出されたもの」と語った。
当時、日本では朝鮮の石造の品を「観賞用」として購入し、庭園に据えることが流行した。
石造りの物への需要が爆発的に増えたことを受け、士大夫(知識人・官僚階級)の墓にある「魂遊石」まで持ち出したという。
1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
現在、日本に韓国の石塔がどれだけあるのかについては、おおまかな数字を把握することも困難だ。
1965年の「文化財および文化協力に関する協定」で返還された文化財の中に石塔類が含まれなかったのも、ほとんどが個人の所有だったから。戻ってきた「高麗三層石塔」は現在、ソウル市昭格洞の学古斎新館横に立っている。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=103&oid=023&aid=0003148851
>>1933年11月に大阪で開かれた山中商会主催の競売展では、澗松チョン・ヒョンピル(1906-62)が日本のある財産家と最後まで競り合って「統一新羅三層石塔」などを買い入れた-という逸話もある。
ちゃんとベットタウンとして機能している千葉県と比べたら駄目だよな
宗教や文化的な価値は計り知れないが観光資源だとすると微妙な部類だと思う
さすがに国立博物館とかすごいと思うし
仏像好きだから薬師寺とか法隆寺とかスポット単体なら行きたいとも思うけど
奈良という土地自体に魅力は感じないんだよな、街として密度が低いもん
自然が残ってるといえば聞こえはいいけど鉄道全然通ってないしさ
奈良の寺一通り回って「大仏でけー」で満足なら鎌倉でもいいと思うんだがね
京都や大阪を魔法の国かなんかと勘違いして具体的にどこ行くかも決めず
「なんか普通じゃね?幻滅した」という具合にほざいてる輩は
簿記の基本を学校で教えとけっていう増田(http://anond.hatelabo.jp/20151109212125)がいて、ブコメもたくさん集まっていて、
だいたい「その通りだ」という意見とか、「そんなもん、必要になったら学べばよい」みたいな意見とか、
「何を削るんだよ。学校では基礎教養を教えるべき」とかいろいろあるけど、
多分、問題なのは、そこそこ一流という学歴を得るための日本の教育カリキュラムをまっとうにこなしても、
簿記とか会計の仕組みや考え方が、世の中においてかなり大事な仕組みであり、しかも、人類の知的遺産の一つである、という認識が
で、そのまま、管理職になったり政治家になったりジャーナリストになったり評論家になったりして、
なんか、いろいろ混乱させている気がする。
「必要になったら自分で身につけられる」って、それは当たり前で、必要になりゃ人は学ぶもんだ。
あと、別に実務的な帳簿のつけ方を、必ずしも全員に教える必要もなくて、
それより学校で教えるべきことは、いろいろあるとは思う。
例えば、政治の分やでは学校で民主主義とか基本的人権が大事ですよとか、現代につながるそういう思想は
市民革命を経て生まれたんですよとか、そういうことを、学んだりする。
それは、必ずしも、いわゆる「公民」の分野だけじゃなくて、世界史とか学んでも、そういう視点がある。
なのに、会計学とか、株式会社とか、そういう概念については、あんまりそういう視点で教えない。
簿記の起源や諸説あるらしいが、そのうちベネチアやジェノバの商人に導入され、ヨーロッパで洗練されていったものらしい。
オレ自身、詳しくはないが(なにせ、学校で習わないし)、その後、株式会社というものが生まれて、
ヨーロッパ文明が大航海時代から植民地支配へと、傍若無人な力を発揮するうえで、
で、今の社会だの世界情勢だのを語るうえで、企業というものを無視するわけにはいかんだろう。
日本の社会の多数派がそこに属しているわけだし、一生かかわらずに生きる人は多分いない。
別に、具体的に仕分けがどうこうとか、細かく必修で教える必要はないだろうし、
そんなことして別の内容を削る必要もないと思うが、
世に複式簿記というものがあり、それがどんな重要な役割をはたしているかということだけは
教えておけばいいのではないか?
その程度だったら、既存の社会科の内容をちょっと手直しすりゃ、できると思う。
少なくとも、日本史で、仏像の写真みて仏師の名前をこたえられるようになったりするより、大事な気がするし
社会科といえば「いいくにつくろう鎌倉幕府」(最近は、年号違うらしいけど)とかを思い浮かべるばっかりとかいうより、
ましな結果になると思う。
興味が湧いたやつは、そこから深堀したり、進学先を経営学部や商学部にしたりするだろう。
そもそも、学校で学ぶ範囲の中で「興味を持つ」ことすら難しいんじゃないか?
オレは学校で周期律というのを習ったが、社会に出て実際に役に立ったことは、ほぼ無い。
それでも、過去にああいうものが作られて、それで世の中の物質がすべて説明できて、
そういう知識が積み重なって化学が発展してったことを
学校で学んだことはムダだったとは思わない。
実際に帳簿を付けたり仕分けをしたりはしない人たちにとっても、
そういう感じで、「複式簿記というものがあり、それは大事なものなんだなあ」と知っておくべきだと思う。
社会に出て、実際に具体的な知識を身につける必要に迫られた人は、多分
「ああ、社会科の時間になんかいってたのは、こういうことなんだなあ。もっと学生時代に勉強しとけばよかった」
と思うはずだ。
ヨーロッパの文明が「複式簿記」という仕組みを洗練させ、それが、現代まで続く、企業会計の基礎になってきたという
そのことを知るのは「教養」だと思う。
今日は奈良に行ってきた。京都駅からはタクシーで月6万円の家賃の汚い部屋に戻ってきた。
東京よりも安い料金設定なはずなのに2500円も取られた。
奈良に行ってきた理由は中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見るためだった。
なぜ、そんなアカデミックなことをしてきたかというと、弥勒菩薩半跏思惟像を見て勃起したというツイートがある日タイムラインに流れてきたからである。
それから、機会があれば見ようと思っていた。
ついに見る機会ができた。平日に1限以外の授業がない日が出来たのだ。
丁度いい。みやこ路快速に乗って奈良方面へ向かった。顔とスタイルの良い女子高生を見て嫉妬したりしたが、なんとか法隆寺駅に着く。
法隆寺駅から法隆寺まで歩くのだが、途中で自転車を漕いでいるお顔が綺麗な女子高生を見る。天使みたいな顔だった。
ウェブ上で不細工であまり頭のよくない田舎生まれの鬱屈とした大学生から「お前が都内の金持ちに生まれず、田舎で生まれたら自殺してるだろう」と言われたのを思い出す。
少なくとも奈良の普通の家に生まれたら確かに自殺していただろうと思った。
自分は1年前、都内の高級住宅街の近くの大手予備校に通っていた。
私立文系の授業を受けていた時、重度のアトピーの容姿がよくない男がよく講師に怒られていた。
よく授業中に寝ていたからだ。
邪推だが、痒みで夜に眠ることが出来にくいのだろう。彼の顔はいつも辛そうだったし、無気力だった。あまりにも理不尽なことを経験しすぎているのだから当然だろう。
自分もだが、容姿やら病気など、クソみたいな体で明るい大学生活、未来を描くのは無理に決まっていたし、今もどちらもそうだ。
ある日、彼は授業が終わると、どの駅の方向でもない方向に歩いてので、気になってついていったことがある。
予備校から歩いて数分の1.5億円以上はする高級分譲マンションに彼は住んでいた。
彼は親が金持ちなのが救いだった。それだけだろうし、それが幸せなんていえない。
本当にどうにもならないことばかりだ。特に容姿に関して感じる。
とりあえず、寺に着いた。
勃起なんかしなかった。
家賃抜きで毎月12万円を父は振り込んでくれる。
しかし、容姿や体が悪いと、大学はセックスが出来なくて地獄だ。
時間制限ありで木屋町で売女に2万5千円を払うのはとても嫌である。
母親にお前らのせいでこんな買うしかない容姿なんだと言ったら、母は病気だからやめたほうがいいと言った。
かわいそうだ。醜いから孤独だし将来就職できるのかも怪しい容姿だ。
しかし、彼女は醜いから可哀想だと思ってもどこでも慰められることはないだろう。
自分の容姿がよくてセックスとかに不自由しなければ醜女なんか気にしなかっただろう。気にしても仕方ないが。
これから先、親が死んでもグロメンハゲ腎臓病の男として生きていかなきゃいけない。
どうせ、美人が愚痴を垂らしたら可哀想にとか言われる中、自分は何やってもキモいと言われる存在になるだろうし、金を払わなければセックスはできないだろう。
いい年をしてはじめておつきあいした男性は、少し変わった性格をしている。
こんなこと聞く人間にはなりたくなかった、こういうことは、代替不能なものとして言語化されないほうがベターなんじゃないかと思いながら、
一度「わたしのどういうとこが好きなの」と聞いたら、「話のレベルが合うところ」という答えがかえってきた。
聞かれなかったけれども、わたしは、相手のどこが好きかよくわからない、でもなんとなく好きだと思っている。
確かに、年金制度や国際秩序いかにあるべきかとか、好きな仏像だとか、たまに呆れつつそんな話題で普段しゃべっているけど、めちゃくちゃ一般的というわけではないだろうもんな。ちなみに政治的意見は全然合わないので、ここまでくると人生観の違いだろうから先は怖いな、とも思っている。
それじゃあ、話のレベルが合うところが好きだというなら、どうしてその相手と付き合って、あげくセックスする必然性があるんだろう、どういうロジックでそうなるんだろう、というのがいまいちわからない。別に嫌じゃない、私にだって性欲はあるし、雰囲気に乗ってべたべたしてしまうこともあるから、理由やロジックを求めるなんて結局は無意味なことなんだろうとは思う。
もしかしたらわたしは、相手にも、よくわからないけど好きだ、と言ってほしかったのかもしれない。あるいはそれと同じくらい何かすとんとくる理由を。
結局私だって性欲とノリで動いているし、相手もそうなんだろうとわかっているけど、いまいち自分のなかでは割り切れずにこじらせているという話。
ていうか、日本という国の歴史を教えようと思ったら絶対に宗教への言及って必要なんだよね
昔の偉い人が仏像や寺院を作ったっていうどうでもいい話から、出家して名前が変わるとか、寺を焼き討ちした結果とか、
キリスト教を弾圧して鎖国したとか、天皇を神格化して戦争したとか
世界史でも、文明の成立から始まって、ヨーロッパの中世から、イスラム教の成立まで言及が及ぶ
これがアメリカの歴史の授業だったら、宗教の話出てくると思う? イギリスの歴史でキリスト教以外の話出てきそう?
日本人は教育課程で、宗教はひとつだけじゃないってこと、絶対的なものじゃないってこと、客観的な見方を教えられる