はてなキーワード: マグマとは
○朝食:朝マック
○昼食:蒸しパン
○調子
普通。
ただ、例によって寝すぎた。
このままじゃ木曜日にまた叱られるなあ。
まあでも、地道にレベルを上げていけばいつかはクリアできるだろう。
ぐらいのゆるーい気持ちでプレイ中。
特にストーリーが気にならないゲームはこうやってプレイできるから楽しいね。
○ハッピーウォーズ
なんか急に戦士にやりたくなり、協力一セット。
それといつものクイックで数戦。
飽きてきた飽きてきたと言いつつ、ずっと続けてるなあ。
実績コンプは無理にしても、ランク50実績ぐらいは取得したいなあ。
○XboxOneのローンチタイトル
色々情報が出始めており、何を買うか非常に悩み中。
キネクト付きパックにするなら、今のうちにタイタンフォールは売っておこうかなあ。
とりあえず、Ryseは確定として、あと二本ぐらい欲しいなあ。
デッドライジング3を買うなら、今のうちから1と2もやっておこうかなあ(積みゲーにしてるので)
うーん、非常に悩ましいぜ。
日本最大の掲示板2ちゃんねる。良くも悪くも2000年代以降の日本のインターネットに影響を与え続けてきたこの匿名掲示板が今大きな転機を迎えています。
2009年の秋頃に行われた大規模規制によって2chの書込み数は大幅に減りましたが、今現在進行形で行われている規制はそれを上回る規模です。国内の主要プロバイダは軒並み規制、また規制対象も2chの広範囲に渡っています。
表向きの理由は、運営板と呼ばれる「2ちゃんねるの運用に関わる掲示板、削除依頼を受け付ける掲示板、削除や運用について議論や情報交換をする掲示板(引用wikipedia)」をユーザーが荒らしたからとなっています。しかしこれはあくまで表向きの理由です。別に運営板が荒らされたからといって2chの他の板には何の影響もありませんし、他の板まで規制する理由には全くなりません。
本当の理由は規制の権限を持つ「マグマ大佐」と呼ばれるボランティアの私怨によるものであるという説が濃厚になっています。このマグマ大佐という人はささいな理由ですぐに大規模規制を行う事から2chユーザーからは大変に評判が悪く、名指しで批判を受けることが日常茶飯事となっていました。このユーザーの所業にマグマ大佐がぶち切れ、今回の不可解で大規模な規制に至ったという訳です。
創設者ひろゆきと、名も無きボランティアの尽力、そして数千万の匿名ユーザーの書込みによって2chは日本のネット文化を代表する掲示板になりました。それを、たった1人の私怨に怒り震えるボランティアの手でいとも簡単に壊してもいいのでしょうか。まだ規制が行われて日が浅いという事もあり、この件はまだあまり周知されていないようなので筆を取る事にしました。もしよければ皆さんのご意見ご感想をお聞かせいただければ幸いです。
http://p.eagate.573.jp/game/2dx/19/p/secret_room.html は見れるけどリンク先が見られないため。
溢れんばかりの愛を
http://anond.hatelabo.jp/20130128222709
昼休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき、自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。
いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。
それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。
孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる。積もり積もった行き場のない寂しさはマグマのように溢れ出して、そのたびに発狂しそうな自分を抑えこむのに必死だ。いや、こんなにも人とうまく関われないのに温もりを求めている時点で、もう発狂しているのかもしれない。寂しくて苦しくて、もう生きる意味なんて見えない。寂しい。寂しい。何度も繰り返す。寂しい。
その昔、高校時代に彼氏と呼べる存在がいたことがある。その彼氏には2度浮気され終わった。その後もいくつか片想いはしたけど、どれも実ることはなかった。「どれだけ愛したって、愛される価値なんてない人間なんだ」。愛したって愛されない。愛されないから、正しい愛し方がわからない。
ただ、その最低な元彼との間にも楽しい思い出はあって、たとえば一緒にプラネタリウムを見てこっそりキスをしたり、図書館で隣の机で勉強する合間に付箋紙ラブレターを回したり、裸で同じ毛布にくるまって足と指を絡めながら他愛もない話をしたり、そんな温もりが逆に今のわたしの首を絞めている。
夜中にふと目を覚ましたとき、枕元のタブレットに手を伸ばして「レンタル彼氏」「出張ホスト」などという言葉で検索をかけたことが何度かある。メールフォームをタップしようとして、でもその指はいつだって躊躇って止まるのだ。手取り14万の収入から費用を払うのが惜しいからではない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という疑問が浮かび上がったところで、指はメールフォームではなくブラウザの終了ボタンをタップするのだ。とびだせ どうぶつの森をきっかけに買った3DSでやるために中古のゲームを漁っていて、DS版ときめきメモリアル Girl's Sideを衝動買いしたけれど、一度も起動したことはない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という問いかけは、二次元に逃げこむことすら許してはくれない。
「恋人がいたって寂しいものは寂しい」「求めてばかりでは何も得られない、与えないと」というアドバイスの類がどうしようもなく正論なのは解っている。だけど、恋人がいれば、自信もなく真っ暗な人生を俯いて歩いているわたしでも、前を向いてどうにか生きていけそうな気がしている。一度諦めてしまったことも、もう一度諦めずに取り組める気がする。人とだってうまく関われる気がする。何だってできる気がする。
与えるなんて正直わかんないよ、だって愛したかった人はいたのに、与えたかったのに、みんな拒絶したじゃん。わたしが愛していたことをいいことに甘えて、好き勝手やりたいことしたじゃん。誰もちゃんと向き合って愛してくれなかったじゃん。愛せるなら愛したいよ、だけど愛し方なんてわかんない。愛され方は、もっとわかんない。それとも、ネットの片隅ですら、愛されたいと嘆くことは許されないのだろうか。
わかんない。わかんないよ。だけど、寂しいよ。愛されたいよ。甘えたいよ。一方的で歪なのはわかってる。それでも、愛されたいよ。膨れ上がった寂しさとねじ曲がった自尊心とで、完全に出口が塞がってしまって見えないんだ。誰か、こんな醜いわたしの寂しさをかき分けて、心と身体に触れてくれないだろうか。
身体だけの温もりじゃない、上辺だけの温もりじゃない。心の通い合った温もりが欲しい。その場限りの温もりじゃ嫌だ。恋人と平凡な日常を共有することで、瞬間瞬間に宿る小さな温もりを丁寧に積み重ねて大きな明かりにして人生を照らし出していくから。
これを書いている今も、寂しさで息が止まりそうに苦しい。こんなに寂しさでおかしくなりそうなのに、明日もまた地下鉄に乗って会社に行き、そつなく仕事だけをこなして、「お疲れさま」なんて言われることもなく愚痴ることもなく、おかしくなりそうな自分をどうにか毎日をやり過ごして生きていくんだろう。それが日常だというのなら、この先の人生はとてつもなく冷たく暗いものになるだろう。それが、わたしにはお似合いなのかもしれないけど。
太陽戦隊サンバルカンの第43話「君も天才になれる」(オンデマンドで視聴可)において、万能解答機を配布し子供をイージー人間にしようという作戦がブラックマグマにより発動されている。この作戦、配布された子供たちがテストのカンニングに”イージー”に使ってしまうことによりサンバルカンから問題視され不発に終わっている。
さて、この作戦、子供たちがカンニングに使わなければうまくいったかどうかについて少し妄想してみたい。
まず、子供たちをイージーにすることは可能であろうか。答えは可能だ。現に我々は、ほぼ万能解答機と同等のものを持つ社会に住んでいるが、イージーになっている。かつては自宅、親の勤め先、学校、友人の電話番号等は頭の中にある程度入っていたが、今はどうであろう。知らない土地に出かけるときには時刻表や地図などを準備していたが、今はどうであろう。頼るものができればもちろんその能力は格段に衰える。また、パーティーなどで談笑している際に、何かわからないものを万能解答機たるスマホに問わずにいられるグループがどれくらいあるだろうか。万能解答機に依存させることは十分に可能だろう。十分に依存させておいて、支配に乗り出す。最近の例で言えばまるで某つぶやきサービスを彷彿とさせる手法だ。あれほど便利なものであるならば、子供などに配らず、大人に配れば経済支配できたような気がしなくもない。
もう一つの感想は、子供たちがカンニングや宿題のみに使うという実にイージーな人間だったことである。そう、ブラックマグマが手を下すまでもなく、子供たちは既にイージーだったのだ。いくら小学生とはいえ”万能”解答機の使い方としてはショボイと言わざるを得ない。「宇宙の果てはどうなっているの」とか「タイムマシンは可能か」とか「恐竜の色は」とか「人生、宇宙すべての答え」とかいくらモンガーでも発狂しそうな夏休み子供電話相談で門前払いされる質問がいくらでもあるだろう。自らの居場所をうっかり回答するモンガー相手なら、ブラックマグマの超科学技術で「ロボットの作り方」とか「宇宙船の作り方」とか聞いたら答えてくれそうだ。
あの万能解答機ほしいわ。
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。
10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。
それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。
ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。
それでも転機は訪れる。
勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。
派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelやAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。
ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンにApacheを入れてそれでよしとした。
次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。
次は言語。最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。
そして業務内容を把握するため、現場をあっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。
そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。
現場の人がラインからデータを入力する。サーバにデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。
そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。
それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。
話を戻そう。
ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。
もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。
いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスのメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。
どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニのトイレの張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさんが普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園の炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。
でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタを解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。
そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。
いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。
市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転のバイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである。
そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。
そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である。日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員は東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。
最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。
他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。
とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事は天職なのかもしれない。
システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語が自分の手に馴染んだ。クロージャ、prototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードのレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。
仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。
そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というものも自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。
そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。
この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。
どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。
これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。
今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。
もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。
いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。
最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。
そう、僕は何も持っていない。家族も友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。
心を決めたら後は早かった。
パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。
空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚。世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分の人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。
自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。
見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。
川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。
長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子が爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。
最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。
たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。
いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。
こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。
そして夢のような日々は終わる。
日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。
しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。
前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。
いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練で組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。
スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要ないかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。
それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。
結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。
ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラ、C言語、組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。
そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。
今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。
ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。
だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活のときにポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。
最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。
2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。
3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。
そしてベータ版をリリースした。 http://planetter.com/
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。
10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?
家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。
西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタを解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。
世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。
初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。
それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。
ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ。
"Hello world!"
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。
狐と狸で色々 色いろあるだろうけど 2chの話にしろ 虚構の話にしろ 某女氏の話にしろ おもいやり があれば すこしは 相手にも 思いやりを期待できると思うのよね。
2chまとめの話なら何回言われてもやめないから批判のマグマが煮立っていってああなったわけだし
虚構は面白くないダラダラした作り話を騙して読ませる以外にview稼ぎの手段がないから優しく言われようが厳しく言われようがやり方変えるわけには行かないし
某女史は…って誰だよ?まあいいや
もう少し具体性のある話をしていただけませんかね?
どういう「思いやり」の応酬を想定してますか?
さすがに、宇宙太陽光発電がJAXAの妄想ってのは言い過ぎでしょ。
この程度で潰れるなら、あなた自身がその程度のレベルだったって事でしょ。
あそこについて行けないならさっさと去ればいい。その結果あなたがどうなるか、あそこがどうなるか、全て自然となるべき状態になる。それだけの話だよ。
あと、過去にどれほどいい加減な記事を書いてきたか、関係者の一人として少しは自省していただきたい。
「たとえうちの記事が嘘だとしても、うち程度の記事で潰れるのならその程度のものだったという事でしょ」と返された時のマグマは俺の会社以外にもあちこちで溜まってるから、落ち目になる前にさっさと逃げた方がいいかもね。こっちはメールや電話応対の日時と内容は全て記録してるから。ネット世論が落ちた犬を叩くのが大好きなのは、あなた達の方が俺なんかよりもよっぽどよく理解してるだろうしね。
「どうして敬語使えないのかねえ?」
と、そのババアは隣りにいる同僚の女性に僕の目の前で、僕に聞こえるように嫌味ったらしく愚痴った。
突然一時間ほどの残業を頼まれて、いつもはシフト的に重ならないそのババアとかち合ってしまったのが運のつき。
僕は午後の業務の準備作業を、一人の新人と共に行っていた。
いつもその新人の指導を任せられている二人のベテランが同時に休んだので、僕に白羽の矢が立ったという経緯。
とにかく業務が開始するまでの一時間で準備を完了しなければならないのだが、いかんせん時間は切迫している。
新人はまだまだ作業効率が悪く、ほぼ僕一人で立ち回っていた。
ひたすら作業&新人の指導、フォローをし、残り十分ほどで何とか間に合いそうだと思っていたところ、ぞろぞろと午後の人間が出勤してきた。
各々が準備されているものを順に確認し始めたんだが、そのババアがとあるモノが足りないことに気づき
「これだけじゃ足りないよ」
と言った。
しかしそのとあるモノは僕が準備したものではなく、先に帰った別の人間が予め準備しておいたモノだった。
僕は準備作業の追い込みを全速で行いつつ、
「ああ、ほんとに?」
と答えた。
すると冒頭の台詞が聞こえてきた。
マジか、と。
クソババア、と。
なんだそれ、と。
クソババア、と。
今必死に頑張っているのを少しは汲み取ってくれてもいいじゃない、と。
クソババア、と。
クソババア、と。
クソババア、と。
僕は一瞬ポカーンとなってババアの顔を凝視し、次の瞬間マグマのように吹き上げたイライラをすべて追い込み作業のガソリンとして燃やし、それ以降は完璧にババアの存在をオリンポス山の山頂へと放り投げ、ついでに新人の存在もババアのどこかに引っかかっていたようで、さらにガニメデあたりまでぶっ飛ばし、帰った。
帰ってからいつ電話しても頭の中で爆音で音楽が鳴ってるから聞こえねーよって曲をひたすらループして全盛期の鮎川なおを拝み倒した。
同じ時間帯に働いている僕よりだいぶ年上のベテランさん方に半分ため口のような感じで接するのを許してもらっているのを、何度か顔を合わせたことがあるがほぼ初対面と言っていいそのババアにも同じ感じを出してしまったのは僕のミス、過ち。
それによって相手に不快感を与えてしまったことに反論は毛頭ない。
しかしその感情を直接僕に向けずに、隣りの第三者に愚痴るっていうのはいったいなんなんだ。
僕に謝る余地も与えず、そこから何も進まないじゃないか。
起こられること事態は嫌いではない。
業務への理解はもちろん、人間関係構築においても。
こんなにモヤモヤしたのは久しぶりだった。
とにかくイライラを吐き出したかっただけなんだが、文字に起こすとほんと些細などうでもいい話だな。
無機成因論
石油「無機」由来説は、1870年代、元素記号の周期律表で知られるロシアの化学者メンデレーエフが唱えたのが始まりで、旧東側諸国では従来から定説とされていた学説である。ただし、旧西側諸国では、定説とされてきた石油「有機」由来説に真っ向から反対するものであったため長く顧みられることがなく、その後トーマス・ゴールドが取り上げたことで、西側諸国でも脚光を浴びることとなった。 天文物理学者であるゴールドの説く石油無機由来説は、「惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素が含まれる」「この炭化水素が惑星内部の高圧・高熱を受けて変質することで石油が生まれる」「炭化水素は岩石よりも軽いので地上を目指して浮上してくる」というものである。
この無機由来説に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。 また、日本はもちろん超深度さえ掘削できれば、世界中どこでも石油を採掘できる可能性があるとされ、(掘削技術の問題さえ解決されれば)膨大な量の石油が消費されても、石油が枯渇する危険性はほぼ皆無であるとされている。
無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる(深い地層に埋蔵されている)」「石油の組成が多くの地域で概ね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などが挙げられる。 また、生物起源論が根拠としている、石油中に含まれる炭化水素の炭素同位体比を調べた結果、炭素数の少ない炭化水素ほど、質量の軽い炭素同位体を含む割合が多くなるという傾向は、地下から炭化水素が上昇する過程で、分子の熱運動により重い同位体が分離されたと説明することも可能だという。
最近、無機由来説の傍証が次々と見つかっているとされる。 例えば、ベトナム沖、メキシコ湾岸油田のユウジン・アイランド330の超深度油田から原油がみつかったとのことである。これらは化石燃料では考えられない深さである。
また、トーマス・ゴールドの新しい説が2003年の Scientific American誌で発表され、それによると炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生するとされている。
http://nekotetu.com/cgi-bin/nekotetu.cgi?cont=14&cono=2
さて石油とはいったい何なのか、どうして出来たものなのか、疑問に思ったことはないですか? 燃えるし、黒いし。自然界にある他の黒い液体なんて、イカのスミくらいなもんじゃないか? 私はとても不思議に思う。この物質、いったいどこからやってきたのだろうか。
このことは、本当は誰にもわからない。学説に従って石油を創り出した人がどこにもいないからだ。学者さんは、大昔に海洋生物の死体が海底に溜まり、やがて地層の高温高圧を受けて変化したものだという。しかしどんな生物の死体なのかはわからないし、そんな高温高圧を実験室でつくって石油ができるものなのかどうか、やってみた人がいないのでよくわからない。
それに、いま掘り出されているだけでみても、石油の量というのが半端なものじゃない。その原料となった生物の大量四肢累々となれば、いったいどんな量なのかはさらに想像できない。
だいたい海洋生物の死体というけれど、そんな有機物は別の生物がおいしくいただいてしまうのが自然の摂理である。じっさいに現代の深海探査映像を見てみると、降り積もる有機物は大小さまざまな植物、小動物、バクテリアなどが食べてしまい、海底は砂地が露出している。死体なんてどこにもない。映画『タイタニック』を観た人ならわかるでしょう。海底とはあんなもんです。
生物起源ではなく鉱物起源だという人も多くいる。意外なほど多いのだよ。特にヨーロッパでは大量の論文が書かれているけど、ほとんどの日本人は知らないのかな。
マグマの中には大量の炭素が含まれている。この炭素がマグマの超高温・高圧、しかも低酸素の環境下でメタンなどの気体に変化し、地中を上昇していく。上昇の過程で表層の地層に冷やされ、複雑な炭素化合物となって地層に溜まったのが石油である。ついでに、気体のままで安定したのが天然ガスである。
私は、こっちのほうに説得力を感じるけどなあ。
生方氏解任―幹事長室に風は通らない
愚挙としか言いようがない。
民主党が、生方幸夫副幹事長の解任を決めた。産経新聞に掲載されたインタビューで、生方氏が小沢一郎幹事長らを批判したからだという。しかし、解任までしなければならないような発言内容とは考えられない。
生方氏は、小沢氏の政治資金の問題について「しかるべき場所できちんと説明するのが第一。それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかない」と述べた。当然の見識だ。
「民主党の運営はまさに中央集権です。今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている」とも語った。
皮肉まじりの辛口発言ではあるが、的外れな言いがかりではない。
小沢氏が選挙の公認権と政党交付金などの配分権を握っているのは紛れもない事実だ。元秘書ら3人が逮捕・起訴されても、党内から小沢氏批判の声はなかなか上がらない。陰では「小沢独裁」への不満が高じているのにだ。
解任の理由は、発言の中身というよりも、副幹事長職にありながら党外で執行部を批判した点にあるらしい。そこにいささかの傷を認めるにしても、処分の重さはいかにも均衡を欠く。
生方氏はかねて幹事長室への権限集中に異を唱えてきた。小沢氏が廃止した政策調査会の復活をめざす会も立ち上げ、鳩山由紀夫首相や小沢氏に直接訴えてきた。
それが気に障るから今回の挙に出たのだとすれば、常軌を逸している。「言論封殺」との批判を免れまい。
首相も解任に同調しているようだ。内部からの批判を許容しない体質に、実は首相も染まっていたのだろうか。見識を疑う。
生方氏解任を主導したのは、小沢氏に近い高嶋良充筆頭副幹事長だった。小沢氏は高嶋氏に「円満に解決できないのか」と語ったが、結局は「任せる」と応じたという。
上に立つ者が考えを示さなくても、下の者がその意向を忖度(そんたく)し、成り代わって行動する。意に沿おうと思うあまり、度を越すことも多い。抜きんでた権力者と、その取り巻きがしばしば見せる典型的な「側近政治」である。
それによって昨今の民主党は、風通しが悪く、暗い印象が強まるばかりだ。自由闊達(かったつ)を旨とする「民主党らしさ」はすっかり色あせた。
かつて自民党全盛時代の幹事長室は多くの来客が自由に出入りし、「歩行者天国」と言われることすらあった。自民党でも幹事長をつとめた小沢氏がそれを知らないはずはない。しかし、いまさら氏に改心は期待できまい。
党風を刷新するなら、内側からマグマが噴き上げてこなければならない。もう待ったなしのタイミングである。それができなければ、さしもの民主党への追い風もやむことだろう。
09/07/07(火)21:21:33 No.64286915 del 22:23頃消えます
エガちゃん貼りたくなった
そんだけ
09/07/07(火)21:23:08 No.64287063 del
「江頭が…暴走!?」
「大丈夫。いつも通りよ」
09/07/07(火)21:25:31 No.64287282 del
09/07/07(火)21:26:52 No.64287398 del
初号機が股間部装甲をパージしようとしています!
ウウウッ!!
09/07/07(火)21:28:07 No.64287518 del
「まさか…暴走!?」
(流れ出すスリル)
09/07/07(火)21:29:49 No.64287669 del
N2爆雷をケツに突っこんでゼルエルに突撃するエガちゃんを想像した
09/07/07(火)21:29:52 No.64287673 del
外部のツッコミ無しでも5分もテンション持続できるから江頭の方が上ね
09/07/07(火)21:31:36 No.64287830 del
(吐きかけるマヤ)
09/07/07(火)21:35:45 No.64288184 del
(ゲストを…食ってる!)
09/07/07(火)21:36:11 No.64288225 del
「勝てないって!あんなのと戦ったら俺死んじゃうよぉ!」
「大丈夫……あなたは私が守るから」
「マジか!マジでか!」
09/07/07(火)21:36:16 No.64288231 del
NELF内で抱かれたくない男No.1
09/07/07(火)21:37:49 No.64288382 del
09/07/07(火)21:42:05 No.64288761 del
え、えぇ?おまえ三人目?
えええぇぇぇ
ゃ、台本に書いてなかったでしょう?
09/07/07(火)21:50:04 No.64289540 del
頻繁に脱落する下半身の拘束具
09/07/07(火)22:01:45 No.64290760 del
09/07/07(火)22:02:11 No.64290797 del
09/07/07(火)22:04:58 No.64291092 del
司令室でニヤニヤする矢部
09/07/07(火)22:11:35 No.64291753 del
アスカ「あんたエガぁ!?」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090503ddm002010097000c.html
<1面からつづく> 民主党の小沢一郎代表に批判的な勢力による「説明責任を果たせ」という要求とは裏腹に、党内には小沢氏の続投を積極的に支持する勢力も存在する。その一つが「一新会」(約40人)だ。 4月2日、東京・赤坂にある小沢氏の個人事務所。小沢氏は「一新会」代表幹事の鈴木克昌衆院議員が持ち込んだ資料を見て「おれは71番目なんだな。自分でも知らなかったよ」と言って相好を崩した。資料には、07年度の政治資金収支報告で小沢氏の収入総額が全国会議員中71位、企業団体献金のランクでも同27位であることが示されていた。 鈴木氏は「代表への企業献金は本当にそんなに多いんだろうか」と疑問に思って資料を作成した。順位を見る限り、小沢氏が突出して政治資金を集めているわけではないと反論できる。 「大変良い表を作ってくれてありがとう。やっぱり上位は自民党ばかりだなあ」。小沢氏の喜びように鈴木氏は満足し、事務所を後にした。 「同じことをやっていて、自民党にはなぜ捜査が及ばないのか」。小沢氏は事件発覚以来、自民党との比較で検察への不満を口にしてきた。4月23日夜には大阪府藤井寺市で開かれた新人候補の会合に出席し、「私の秘書がやられて、同じことをやっている自民党の方は官房副長官が『捜査が及ばない』と言った」と語っている。 ◇献金使途「自ら説明を」 ただし、巨額の政治献金を一体何に使ったのかという疑問に対しては多くを語らないままだ。前原誠司副代表は4月30日、BS放送の報道番組で「多くの国民の関心は政治資金規正法に違反しているかではなく、西松建設1社から合計3億円以上もらっていた事実だ」と指摘。使途や西松側の献金意図などについて「小沢さんには自ら説明責任を果たしていただきたい」と強調した。 前原氏を中心とする党内グループ「凌雲会」(約30人)には、小宮山洋子「次の内閣」文部科学担当が3月27日の代議士会で早期辞任を要求するなど、小沢氏に批判的なメンバーが多い。 参院の民主党議員も、小沢氏の続投支持派が多数を占める。「続投」「辞任」両派のはざまで党内調整に頭を悩ませる鳩山由紀夫幹事長を中心とする党内グループ(「政権交代を実現する会」、約40人)の主要メンバーはこう語る。「参院の空気はだいぶ衆院と違う。参院では『辞めろ』という人はいない」 小沢代表の下で迎えた07年参院選で民主党は大躍進をとげ、参院第1党の座を獲得した。党所属の国会議員は現在、衆院112人、参院109人と参院が半数近くを占める。事件発覚以降、小沢氏のもとをたびたび訪れ、続投支持を訴えてきたのも、ベテラン、若手を問わず参院議員がほとんどだ。国会対策上、民主党の力の源泉である参院で小沢批判が顕在化しないことが、進退問題をめぐる党内情勢を複雑にしている。 参院を仕切る旧社会党系の輿石東参院議員会長、旧民社党系の平田健二参院幹事長の忠誠ぶりは際立つ。輿石氏は4月27日、BS11デジタルの報道番組で、報道各社の世論調査で「小沢氏は辞任すべきだ」が依然高率であることを「予想できる範囲」と言い切り、「それを承知で党として続投を決めた。前原、岡田克也両副代表も執行部として責任を負っている」と苦言を呈した。 ◇「清潔さ求めていない」 4月25日昼、大分県宇佐市の勤労者総合福祉センター会議室。旧社会党系グループ(約25人)のベテラン、赤松広隆選対委員長が出席した党所属衆院議員の会合で、地区後援会長が「小沢代表のままで選挙を戦えるのか。代表が代わって戦えるなら、有権者には理解しやすい」と疑問をぶつけると、赤松氏は真っ向から反論した。 「小沢一郎が辞めて、夢のように政権交代の実現可能性が広がるか。その反対だ。自民党幹事長をやった人に清潔さや新鮮さは求めていない。自民党の岩盤を打ち砕く破壊力に期待して代表になってもらったのだ」 小沢氏は旧自由党時代から旧社会党系議員と積極的に交流を図ってきた。積極的改憲論者が少なくない民主党内で、憲法9条改正問題を棚上げできる小沢氏の「国連待機部隊構想」を旧社会党系は評価する。小沢氏も最近、周辺に「社会党の連中が一番理解がある」と語っている。小沢氏に指名された赤松氏の前任選対委員長も、旧社会党系の鉢呂吉雄氏だった。 事件発覚以来、「小沢氏頼み」の体質を浮き彫りにしてきた民主党だが、時間の経過とともに不安や不満のマグマは着実にたまり続けている。それらは、小沢氏に距離を置く中堅議員らと定期的に会合を持ち、「駆け込み寺」となっている藤井裕久、渡部恒三両最高顧問の口を通じて表面化してきた。 「最高顧問は全員同じ考えだ。副代表も1人を除いて同じだ」。藤井氏は4月24日、鳩山氏に電話を入れ、進退問題を早期に決着させるよう求めた。渡部氏も毎日新聞のインタビューに「小沢代表のままで選挙は戦えない。判断のタイミングはギリギリだ」と代表交代に言及した。小沢氏辞任を期待し続けてきた中堅議員からは「いっそこのまま総選挙に突っ込んで、敗北の責任を取って辞任してもらった方が小沢氏の影響力を残さずにすむ」とのぼやきすら聞こえる。 ◇ 白戸圭一、佐藤丈一、野口武則、小山由宇、渡辺創が担当しました。
「小沢一郎が辞めて、夢のように政権交代の実現可能性が広がるか。その反対だ。自民党幹事長をやった人に清潔さや新鮮さは求めていない。自民党の岩盤を打ち砕く破壊力に期待して代表になってもらったのだ」
( ゚∀゚) それ言っちゃらめええええ