はてなキーワード: プレゼントとは
挨拶もしたくないし、されたくもない
何も特別扱いされず、余計な詮索などもされず
ただ引継の準備を淡々と進め
いつもと同じ「お疲れ様です」で帰って、それきりにしたい。
いろんな煩わしさをスルーために退職代行を使う人もいるんじゃないだろうか
なんてことを、今日辞める方を見ていて思った
ちなみに私は社内の人間が嫌いなわけではない。
嫌いではないけどこういう考えを持っている
自殺することが唯一の希望であり生きることなどは絶望でしかない患者に「生きていてほしい」と伝えることはとても苦しい。ぼろぼろになるほどにがんばってきたのだろうから…と言ってあげたい気持ちの方が強い。自殺が救済でないと断言できるほどの価値観を私はまだ確立できていないのだ。最期が自殺だったとしてそれはその人が選んだその人だけの人生なのだと思う。
ただ、私は看護師なので。そのようなことは絶対に口にしないで今日までやってきた。本人がどれだけ死にたかったとしてもだれかに生を望まれているからこそ入院しているわけだし。自殺されたら私も悲しいし。
入院期間は人生の長さに比べればとても短い。そこで築ける関係は風が吹いたら飛ぶようなものだと思うし、実際、退院後の患者の人生に関われることはほとんどない。というか皆無である。そのような私の言葉になんの意味があるのだろうと思いながら「生きていてほしい」と伝えて、明日、また私とお話してくださいね。私が出勤したら挨拶しましょうねと約束をしている。この約束が夜を越すための理由になりますように…と祈っている。結局、最後は神頼みだ。神様があなたの人生に自殺以外の希望をプレゼントしてくれたらいいのに。私にそれができたらいちばんなのだけれど(プレゼントではなく患者といっしょに見つけるという形で)なかなかどうして難しいので壁にぶちあたっている。
焼肉は今まではそんなに好きでなかったので行かなかったけど、
糖質制限始めたら肉に開眼。今度行く予定。
必然的に一人を極めたよね。
寸志を生活費の足しにするくらいで何もしてこなかった。
でも、今年は自分で祝えば良いじゃん!と、初めて気づいた。
だったら、憧れの高級ホテルステイで思いっきりもてなしてもらおう!と。
ディナーは最初、フルコースをルームサービスで、と思ったけど、冷める、という
口コミを見て、目が覚めた。
たしかに。
そして、どっちかというと、フレンチよりうどんとかお好み焼きが好き(笑)
デパ地下の惣菜をホテルで食べるというブログを読んで、真似する予定。
おしゃれでスイーツの有名な街に行くので、美味しそうなケーキも食べよう。
誕生日は夏の終わり。
楽しみがあれば、人生一人でも生きていける。
https://note.com/violencetomoko/n/n843596d1358c
https://note.com/violencetomoko/n/nafc93aa9aa0b
読んだ。以下ポエム。
頭をかすめたのは『最高の人生の見つけ方』と『ろりともだち』。そのふたつを同列に並べるなよ、という意見はあるだろうが、人生にどん詰まったふたりの男が旅の果てで互いに救い救われるという点で共通する。前者は家族との和解によって、後者はホモソーシャル的な友情によって。これらの作品を補助線に本作を見るならオチから考えて『ろりともだち』の対極に置くと座りがいい。
ナオキはロスジェネ世代として社会から脱落している。そして他方、ホモソーシャルからも脱落している。いじめられていた過去や痴女アバターから逃げ回る姿は、彼がホモソーシャルに迎合できない人間だということを表している。
何にも救われてこなかったロスジェネ中年おじさんがホモソーシャルにも救われないとしたら何が彼を救い得るのか。それはやはり少女によって、ということになるんだろう。
「ナオキにとって、女性は「ファンタジー」です。自身が男である以上どうしたって惹かれてしまう」。うん、だよな。でも実際に女性が、少女がおじさんを救ってくれることはない。おじさんの苦しみはおじさんが処理しろという社会の要請もあるだろうし、そもそも少女がおじさんを救ってくれるなんてまったくもって信じられない。1ピコも現実感がない。おじさんを救い得るのはおじさんしかいない。それでも少女に救われたい。だからおじさんが互いに少女のアバターをかぶった百合になる。
ホナミは強者で「結局強者が弱者を救う話」だと作者は言う。本人がそう言う以上、そう意図したんだろうけど、ちょっと首をかしげる。単純にホナミがそう見える描写に欠けていたのもあるんだけど、死に臨むにあたって寄り添ってくれる存在の不在はとても強者のそれに見えない。彼もまた弱者だったのではないか。ホナミもまた、人生の終わりに「尊敬し尊重に値する存在」をよすがにしたかったのではないか。やはり救い救われるお話だったのではないか。
とはいえ、割合でいうといくらかホナミが「救う側」だったのは疑いようがない。ナオキが女性経験皆無でそれをプレゼントしようという意識があったのは、つまり「女性」を演じようとして実際そうしたことは、直に逢ったときの恥ずかしがりようからもわかる(逆に、ナオキは常に素を出していたので恥ずかしがったりしない。丁寧な感情描写だ)。
「この作品はなんなんだろう」とも作者は言った。読み手の世代や人生によって受け取り方は様々だろうけど、少なくとも私には「ナオキにとってのクラスの女子」を目指した作品のように思われる。
世界の全てに希望が持てないとしても。どうかこの作品が一時のよすがとなって、あなたの中の絶望に、あなたが殺されませんように。
「あの結末は仮想の敗北であり現実の追認だと感じる」とか「VRおじさんも結局現実に会いにいっちゃったじゃん」といったブコメを見たけどそれはさすがに無体な読みだろう。まあ確かに、アバターは宇宙の果てで心中して、中身は現実で生きてるように見えなくもない。『ろりともだち』しつつ『レディ・プレイヤー1』してるように見えなくもない。でもナオキは、ホナミと過ごした日々を人生の糧にしなかったし、できなかった。ロスジェネ世代のどん詰まり方は、それに対する絶望は、そんなことぐらいでどうにか出来るほど生易しいもんじゃない。VRおじさんが恋をしようが99%閉じてしまった人生はひっくり返らない。「レディ・プレイヤーワンはロスジェネを救えない」。みんなもう諦めてしまっている。できるのは一瞬でも夢を見て、現実から目をそらして、痛みを忘れることくらい。その繰り返し。だってキラキラした未来なんて人生のどこをひっくり返しても出てきやしないんだもん。しょうがないさ、それで。
この作品も読み捨てられ、忘れられ、ネットの海に沈む。きっとそんなもんだろう、現実ってのはさ。まあ、それでも生きてる。急速に閉じていく現実に希望を失いながら、何とか目をそらしながら、今日も壁の前で右往左往する。いつかこの心臓が止まるまで。
12月に会計ミスが発覚して赤字が出てしまいそうになり死ぬほど怒られた(結局赤字はギリ回避できた)
ちゃんと調整していたのになぜだろうと思っていたら
10月に義援金というか寄付金というかとにかく購入時にプレゼント金から引き落とされるはずの品物が会社の金から引き落とされていることが発覚し
赤字の原因はそれだというのが判明した上にその分の金が余ったので年度末でギリだけど何か欲しいものがあれば発注できますよと言われた
こちらの言い分
・請求書が届いて経理に渡す時にプレゼント金で買うものリストは渡してあるから言わなくていいだろと思いこれプレゼント金から引き落としする品ですよ~ときちんと言うのを怠っていたのでそうなったというのもあるのだが昨年度までの経理の人は念押ししなくてもすべてやってくれていたのに今年からあんたがきっちりやるのよと何も教えられていないのに投げられてはっきり言って疲れている
・この件についてはやらかしたのが12月に死ぬほど怒られる前の話であり12月の説教の反省を活かせていないじゃないかみたいなキレ方をされても困る
・そもそもプレゼント金で買ったものは特別に取引先が全部処理してくれるのでこちらに請求書は届かないはずで例年このような事態は起きなかった なのに請求書が届いてしまったという部分だけはあちらのミスだと思うしどうしてそんなことになったのかは取引先しか分からないが「何でこうなったの!!」とヒスられても困る こっちも悪かったけどここだけは向こうのミスでは?などと言おうものなら人のせいにするなあああ!!!!とブチ切れられるのは明白なので押し黙るしかなかったがどういう答えを求めているのか 明日取引先に再確認することになるのだろうがヒス経理の代わりにヒスって問い詰めなきゃいけないのか?向こうだって間違えましたとしか言いようがないだろうに
迂闊だった。
赤信号回避のため無意識に左折して入ったのは、かつて小学校の時に好きだった女の子の家に通じる路地だった。
小学6年生のとき、バレンタインとホワイトデーのプレゼントを贈り合ったのが最後で、卒業式以降は街で見かけることはない。
無性に酸っぱい唾が口の中に広がり、打ち消すかのように深呼吸する。
今、彼女とばったり会ってしまうのは、どうもバツが悪い。ここを通った理由なんて聞かれたら、なんて答えよう。思いつかない。無意識だったって通じるのだろうか。
いよいよ彼女の家の近くを通りかかろうとした時、家の前で駐車している車の運転席に、女性が座っているのが視界に入った。
鼓動が一拍飛んだ。強く胸が痛み、呼吸すら忘れたかも知れない。
男ではない、確かに女性なのだが、彼女なのかわからない。そうだ、たしかお兄さんがいてた筈だ。お兄さんの奥さん(とか、それに近い関係)かも知れない。彼女だっていつまでも実家には居ないだろう。
彼女ではない事を祈るかのよう、仮説をたてて落ち着こうと取り繕う。
視線は前方を向いたまま、俺が乗る営業車はゆっくり前進し、視界の中の女性のかげは、2時、3時、4時の方位へ流れてゆく。脈打つ毎に熱くなる耳には、外界の音は聴こえなかった。
信号のない交差点に差し掛かり、停止線でブレーキをかける。振り向く事が出来なかった。運転中だからではない。振り向けば、あの頃の自分がそこに居るような気配を感じた。
心から求めても求め方がわからず、また何を求めているなか本質がわからず、シンプルに相手が愛おしく、心の中の彼女がスゥ...と抜けていく感覚が怖く泣いていたあの晩。
その涙の正体は、今ならわかる。その痛みの正体も。泣くな俺よ。素晴らしい出会いだったじゃないか。さぁ、撫でてやるよ。痛みは和らぐから。
プァンッとクラクションがなる。気がつけば掌で押してたようだ。ハッと我に返り、左右と前後の確認の後、車を走らせ営業周りに戻る。バックミラーを見ると彼女の家が少し見える程度で、あの女性どころか猫1匹誰もいない。
これが走行中だったら...と思うとゾッとしてきた。完全にどこかゾーンに入ってた。30年前の事が、まだどこかで引っ掛かっているのだろうか。
次の休みは、実家へ行こう。親が整理してなければ、彼女からの手紙がまだ押し入れに入れたままの筈だ。今さら返信なんてできないが、せめて俺なりの始末をつけようと思う。
「旅の恥はかき捨て」とは言うが、出張先でデリヘルを呼ぶときは、解放感と寂しさが同居する言うなれば旅情ともいうべき感情を覚えることがある。
その当時、私は首都圏の零細編プロに勤めるしがないライターだった。出張先が能登半島と決まった時には、久しぶりの遠征に心躍る反面、アクセスの悪さにやや辟易したことを覚えている。何を隠そう、その当時、私は素人童貞であった。肩書きの解説は他の文献に譲るとして、端的に言えば、ごくありふれた、さえない彼女なしの三十路前の男であった。
無事現地でクライアントと合流後、取材自体は滞りなく進んだ。関係者と軽い打ち上げをした後、事前に予約してもらっていた七尾市のホテルに泊まることとになった。七尾市は和倉温泉という高級温泉街を有し、バブル経済華やかなりし頃は北陸有数の歓楽地であったそうだが、少なくとも駅前の景色からはその面影は全く感じられなかった。
ホテル備えつけの温泉に浸かった後、外気にあたりたくなり外へ出る。能登の地酒と熱い湯にあてられ、火照った身体に冬の外気が心地よい。時間はちょうど0時を回ったところ。ポケットの煙草を取り出そうとしたところで、ふと、デリヘルを呼んでみようかと思い立った。
旅先の開放感と、久々の出張先で仕事を全うしたことへの安堵感がそうさせたのか。気づけば私はgoogleではじめにヒットしたお店に電話をかけていた。
すぐにボーイと思しき男性が電話口に出た。七尾市のホテルにいることを伝えると、10分ほどでやってくるという。慌てて財布を取り出すと、諭吉がたったの一枚寂しそうにこちらを見ている。速やかに嬢の派遣を依頼すると同時に、最寄りのコンビニまで走る。現金を調達して帰ってくると、ホテルの前には既に一台の黒いセダンが停まっていた。
近づいていくと、「〇〇さんですか?」と声をかけられ、車の中から二十代と思しき可愛らしい女性が現れた。彼女は、自分のことを『春華』と名乗った。連れ立って足早にホテルに入る。クライアントに鉢合わせしたら最悪首が飛ぶなーと考えつつ、フロント男の若干の視線を感じながらそそくさとエレベーターに乗りこんだ。
無事に何事もなく部屋へ入って安堵する。春華が時間を確認しタイマーをセットする。素人童貞とは言え、私はどんな時にも紳士さを忘れない男だ。ホテルの一室で、互いに知らない者同士が邂逅するとき特有の気まずさのなか、精一杯何かしてあげようと彼女のコートをかけようとしたが無難に断られる。間を持て余した私は、無意味に自分の荷物を移動したりバッグの中身を整頓したりした。そんなことをしている間に春華は速やかに全裸になりユニットバスへと消えていった。
程なくして「どうぞ~」という声が聞こえ、そこではじめて、私は思い出したように全裸になり、ユニットバスの扉を開けると、そこには全裸の春華がいた。
バスの中で体を洗ってもらう。特に、愚息の洗い方は丁寧だった。年齢を聞くと「二十歳です。」短く答える。実際には22,3だろうと思ったが、それ以上の詮索をしないのが紳士たるもの。
さて、ベッドに身体を仰向けによこたえ、非常にスムースな流れで、春華は私の愚息を口に含んだ。極めてスタンダードなフェラチオである。愚息がぬらぬらとしたあたたかいものに包まれ、大変に心地が良い。ただ、少々打ち上げで飲みすぎてしまったようだ。それなりの硬度には至るものの、一向に射精する前兆・気配がない。春華も焦りを感じはじめたのか、次第にストロークが大きくなり、それに伴い彼女の歯が軽く当たるようになったことで、愚息はいっそう前立腺の門番を奥へと押しやってしまうのであった。
体勢に限界を感じた私は、体を横に倒し、極めて紳士的な態度で自分の手のひらに春華の頭をのせてやった。そうすることで、彼女がよりリラックスした体勢で愛撫に集中することができ、私も腰を動かすことで刺激をコントロールできる、一石二鳥の策略である。これで多少はマシになったものの、射精の神様はまだ一向に降りてくる気配がない。
すでに彼女が口淫をはじめてから体感でおおよそ15分が経とうとしていた。それが意味することをデリヘル未経験の諸兄姉にもわかりやすく説明するのも紳士たる者の務めである。今回のプレイ時間は契約上60分間の予定だが、実際のプレイ時間はその半分がせいぜいといったところ。タイマーは部屋に入った瞬間からスタートし、そこから互いの身を清め、ベッドインするのにおよそ15分、終了15分前にはタイマーが鳴り延長の是非を判断するので、実際のプレイ時間は30分にも満たないことも多い。したがって、その時点ですでにプレイ時間の半分が経過しようとしてた。
このまま続けてもらって射精できる可能性は低い。おそらくはやってできないことはないのだが、万が一逝けなかったときに、嬢の自尊心を著しく棄損してしまったり、自分の心に黒部の峡谷ばりに深いわだかまりを残すことになる。そんな未来は絶対に避けたかった。
果たして私はそれを打破するイデアを持っていた。そして恥甲斐もなく、それを言葉にする軽薄さをも持ち合わせていたのだった。
「あの、、ちなみに、お金積んだら挿れさせてくれるとかってあります?」
彼女は即答した。
「ゴムありなら一万でいいですよー」
「あ、それじゃ、お願いしまーす」
かくして私は令和はじめのセックスを七尾のデリヘル嬢と修めることとなったのである。なぜ私がコンドームを持参していたのかという点についてここでは触れないが、プレイの内容自体は、とりたてて特筆すべきことはなかったということを書き添えておく。
正常位で射精にいたり、そのままゆっくりと倒れ込む。いくばくかの満足感と虚脱感に身を委ねたのも束の間、終了のアラームが鋭く鳴り響いた。
「すごいタイミングですね。」と笑いながらユニットバスへ導かれ、再び火照った身体と愚息を丹念に洗ってもらう。ふと、春華の首元に光るネックレスが目に入った。無事に時間内に射精に至った達成感と、形だけとはいえ、挿入事後の妙な連帯感も手伝い、バスの中で少し雑談をした。以前は新宿のソープランドで働いていたこと。昨日に初めて七尾で出勤したが指名が一件も入らず店のボーイにめっちゃ謝られたこと。
そこで私には不覚にも、邪な思いが芽生えたのだった。それはすなわち、春華が七尾にきて初めてセックスした相手が私だったのはないかと。
恥を忍んで聞いてみた。
「もしかして、七尾にきてから初めてのセックスだったりします?」
「いや、はじめてではないですね。」
と言った。
なんと。ということは本日すでに同様のケースが少なくとも1回はあったということか。内心動揺を隠せず、「そっか~。そうだよね〜」といった感じのとりあえずのリアクションを返しながら、どう繕ったものかと必死に思案していたところ、彼女は少しの沈黙の後、くしゃっと表情を崩して、こう言った。
「私、素直だから言っちゃうんですよねー。お店の人には、必ずそういう時は”はじめて”って答えた方がお客様は喜ぶからって言われてるのに。風俗嬢向いてないんだわー」
そのあけすけな笑顔に一瞬で引き込まれ、あまりの可笑しさに思わず、私はユニットバスはおろか部屋の外まで響き渡ろうかという声で大笑いしてしまった。彼女も「そんなに笑うことありますかー!?」と気恥ずかしそうに笑ってくれた。その時たしかに、彼女はどこにでもいる二十歳前後の女の子の顔に戻っていた。
それからいろんな話をした。家族のこと、5人兄弟の長女であること。首のネックレスは二十歳の誕生日に弟からプレゼントされたものであること。以前は飲食店で働いていたこと。好きな音楽のこと。
彼女がback numberが好きと言ったので、Spotifyで人気順に再生した。まったく聞かない流行りの曲も、嘘をついて一緒に聞いて、いいねと言って笑った。
2回目の終了アラームが鳴り、春華を外まで送る。送迎の車がきていることを確認し、手を振った。
30になった今も素人童貞の肩書きは消えないが、確かにあの瞬間彼女はどこにでもいる二十歳の女の子だったし、いち素人女性と一緒に体を洗い、身体を拭き合い、家族の話や好きな音楽の話をして一緒に笑った経験は、確かな現実のものとして記憶に刻まれている。
恋人である彼女と結婚し、夫婦となった二人の間にはほどなく子どもが生まれ、ふたりは父と母となった。
母となったことで夫とは「家族」という意識が強くなり、妻は夫からの夜の営みの誘いが苦痛になってしまった。
夫は寂しさから風俗で遊ぶようになり、そこで一人の風俗嬢と出会った。
どうにか風俗嬢の注目を集めたくても、ブランドものを買ってプレゼントする金はない。
そこで夫は、髪型やコロンやネイルなど、細やかな仕草や変化を観察し、風俗嬢を誉めるよう心遣いで気をひこうとする。
風俗嬢にとっては数いるカモの一人という認識だったが、不器用にも必死に食らいつく姿が無様で面白く感じ、次第には日々の暮らしや愚痴など打ち明けられる仲になる。
女性と接するにつれ、もしや妻との性生活が疎遠になった原因は、育児や生活のために相手をリスペクトすることが疎かになっていたのではないかと気づく。
不気味に誉めてくる夫に対して、妻は戸惑う。夫はそれでも粘りに粘るが、妻のそっけなさは相変わらずだった。
ある日、子供が大病を得て床に伏してしまう。看病も追い打ちとなり疲弊する妻を、夫は励ます。
いつの頃からか妙な接し方をしてくる夫を気味悪く思っていたが、こうして寄り添い励ましてくる夫の姿と、不器用なくせに何事にも必死にぶつかっていた昔の夫の姿をダブらせ、妻は少しずつ心が動く。
ひとりの風俗嬢との出会いで、失っていたものを取り戻そうとする夫。夫の必死な姿を見て、日々の忙殺で忘れていた気持ちを思い出してきた妻。
夜の営みは相変わらずないものの、今までにない心の距離感が心地よく、家族はまた日々を暮らしてゆく。
https://anond.hatelabo.jp/20200211202529
さて、続きだ。ゲーム業界の流通において初心会がやってきたこととその最後を述べてきたが、今回は初心会を葬った旧SCE、ソニー流通を中心に街のゲーム屋的な小売店視点で色々語ろうと思う。しかしこの期間は非常に起きた出来事が多くかつ入り組んでいるので、あえて細かな要素をオミットして正確さよりもわかりやすさを重視することにする。それにデジキューブの銃撃事件の真相なんざわからないからな。
時代はプレイステーション参入前。任天堂エンタテインメントが行き止まりに行きつつある頃だ。そのことについては前回語ったが、さて、任天堂以外の、NEC(PCエンジン)やセガ(メガドライブ)あたりはどうだったのだろうか? 初心会が横暴なら、こちらのほうに注力するという手段もあったのでは?
ぶっちゃけこっちはもっと酷かった。ソフトが売れないというわけではない。10万本売れるソフトはあった。あったのだが問題はプラットフォーマーが用意した他の大量のソフトだ。
当時、任天堂に対抗するためにNECやセガは自社プラットフォームの発売カレンダーの空白をなんとか埋めようと躍起になっていた。サードが自主的にソフトを作ってくれるのならそれに越したことはないが、そうではない場合は自分たちで用意する必要もあった。自分たちがパブリッシャーとなり開発会社に委託してゲームを作らせる。さらにはサードに対しても「ウチの流通に乗せますので○万本は絶対に売れますだから作ってください」みたいなアプローチも行った。そうして「とりあえず」カレンダーを埋めることができたソフトは、「とりあえず」問屋が頑張って小売に売った。在庫になっても不良在庫になるだけなのがわかっているので大バーゲンで売った。小売はもともとの卸値が安いため、最初から値引きして売る。売れ残ったら損だから博打みたいなものだ。そうしたソフトが並ぶと小売価格そのままのソフトは見向きもされなくなるのであわせて値引きされる。PCエンジン末期、餓狼伝説2(クソゲーではないのだけど)が100円で棚に50本くらい並んでいるのを見たことがあったが、あれは問屋の不良在庫を捨て値で小売が拾ってきたんだな。
どこかで見た状況と思わないか? そう、アタリショックだ。ゲームの在庫が問屋にも小売にも溢れわけがわからない状態になっていた。価格が崩壊し定価が意味をなさなくなっていた。
任天堂は初心会が横暴、セガとNECは頼りにならない。こんな状況の市場に次世代機の波と共に救世主がやってきた。ソニーだ。ソニーが直接小売店と契約するというのだ。
衝撃は大きかった。CD流通の流用で、「リピートを早く」「小売価格の大幅な値下げと小売店に対するマージンの確保」「掛け率は大量に取ろうが少量だろうが同じ」という特徴をもち、かつ「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」という成約があったが、それでも多数の小売店からは好意的な反応を得た。そもそも初心会でも値引き販売は原則としては禁止だったのだから。
そして何よりプレイステーションが小売店に好まれたのは、ゲーム機本体の卸値が安く、プレイステーション1本体だけを売っていても結構な利幅があったこともあげられる。これはかなり珍しいことで、通常は卸値と小売価格はほとんど変わらない。Xbox360の発売当初は二次問屋の都合一部の小売店において卸値が小売価格を超えたという珍事すらあったという。プレイステーションとサターンは発売時期がほとんど一緒で、スタート時点ではサターンのほうが優勢だった。しかしこれがじわじわと小売店をプレイステーション派に偏らせていった。プレイステーションは小売店にハードでもソフトでも確かな利益を確立してくれた。
そうしてFF7が、DQ7がプレイステーションで出るという流れが生まれ一気にプレイステーションが圧倒的な優勢を保持するようになるわけだが、この流れのなかでゲーム屋は何かが違うと確信した。プレイステーションが救世主になってくれたはずだった。しかしFF7を発売するスクウェア(当時はエニックスとの合併前だった)が打ち出したデジキューブは、既存のゲーム屋にツバを吐きかけるようなものだった。なにせ目玉タイトルのFF7の出荷本数の半分をコンビニに任せるというのだから。これではゲーム屋はやっていけない。いくら本体を売れば儲けになるといっても一人にせいぜいが一台が限界だ。ソフトをたくさん売れなければしかたない。
そしてソニーの態度もなにかおかしくなりはじめていく。元々の小売店への説明会では「返品はNG」ということになっていた。なっていたのだが、個別の対応としてソニーの担当者が返品を受け付ける旨を話していた。そのため小売店のなかでは安心して在庫を抱える店もあったわけだが、返品したいと言い出すと担当者の態度がころりと変わる。前に言っていたことと違うことを言い出す。ようやく返品受付をしてもらうも半額返金……。そのような事例が発生した。結局ソニーとしては二度返品を「特例」として受け入れるのみにおわり、いよいよもって「返品NG」が周知徹底されることになった。
頼りにするミリオンソフトは入荷しない、個別対応で約束していた返品制度はなくなった。このような状況下でもなおソニーは「中古取り扱い禁止」「値引き販売禁止」を打ち出していた。中古を取り扱った店や値引き販売した店は、不思議なことに”配送事故”が発生してソフトの入荷が遅れるようになった。
FF7発売の頃にはすでに任天堂は初心会を解散させていた。ニンテンドウ64を発売し、ポケモンを大ブームにさせた任天堂ならこの頃のゲーム屋の救世主なり得ただろうか? 残念ながらこの頃の任天堂(正確には任天堂系列の問屋だが)は「小売価格を下げつつ小売店への卸値を上げる」という暴挙に及んでいる。それでもポケモンが死ぬほど売れたのだから恐ろしい。
ソニーが信用できず、任天堂はあてにならない。そうした状況で頼りになるのはセガ……ではなかった。セガはメガドライブの反省を活かしおもちゃ卸問屋をまとめてセガ・ユナイテッドという流通会社を立ち上げる。大手のゲーム屋には直接卸し、小さな街のゲーム屋には二次問屋を使って卸す、ちょうど初心会とソニー流通の間のようなハイブリット流通機構を作り上げた。在庫管理とコストダウン両方の面でなかなか上手くいったはずだが、いかんせんプレイステーションの圧倒的ソフトラインナップには敵わなかった。自社でなんとかできる力はあるのだが、セガにはポケモンがなかった。しかしメガドライブ末期の状況からここまで着実に改革を進められたのは称賛に値する。NECは途中で死んだのに。
そしてついに中古裁判が勃発する。1998年1月には公正取引委員会がソニー流通の「値引き販売禁止」「中古売買禁止」が問題視され排除勧告を受けた。しかしこれで下がらずソニーは他メーカーを巻き込んで中古禁止裁判を起こす。ゲームメーカーvs小売の裁判だ。その一方で株式会社上昇(ようするにカメレオンクラブだ)がエニックスを訴える。「新作ソフトは扱わない」「ロイヤリティとして中古売上の7%を支払う」といった提案を出したものの実際にエニックスからソフトの出荷停止を食らってしまったがゆえの反撃だ。なおこの頃にはソニーがスクウェア(デジキューブ)だけを優遇することが問題視されて、各社サードメーカーも自社流通で小売店に卸すようになっている。
2つの裁判が同時に起きて別々の判決が生まれて、ここらへんは非常にややこしい。ややこしいが小売店は公然と中古を売るようになった。値引きもするようになった。自社流通に切り替わった各社ゲームメーカーも忌々しく思っていたが裁判と流通とは別との判断だったのか、おおっぴらに”配送事故”が起きることはなくなっていく。
ちなみにこの頃、セガはドリームキャストに向けさらなる流通改革を行い、セガユナイテッドをセガミューズへと編成しなおす。これは老舗おもちゃ問屋ムーミンがセガユナイテッドに合流した形だ。ムーミンはメガドライブ(もしかしたらもっと前?)の頃からセガと共闘しているお得意様だった。なお、ソニーを学んだのか「値引き販売禁止」「中古売買禁止」を小売店に押し付け、同じく公正取引委員会より立ち入り審査を受けるはめになる(もっともこれは後日小売店と契約しなおしをすることによって審査は打ち切られた)。小売店の救世主はなかなかいない。
中古裁判は最高裁にまでもつれ込んだが、ようやく結論は出た。中古販売は合法だった。小売店は大手を振って中古売買ができるようになった。値引き販売をしてもお咎めはなくなった。小売の完全勝利だ。「ファミコンショップ」はPS2の時代にまでいたりようやく安心できるようになったかのようにみえた。
そうではなかった。むしろゲーム屋地獄はここからが本番だった。
まず大店法の改正があった。巨大店舗の小売店が各地に出来上がる。そして家電屋の店舗の巨大化がどんどんと進む。巨大化した店舗で何を扱うか。ゲームも扱うようになった。ゲームは美味しい商材だと思われた。そして今までグレーゾーンだった中古に合法判決が出た。取り扱わない理由がなくなった。
そのため大手販売店は客寄せのために新作ソフトを大きく値引きする。これが卸値と同価でも構わない。とりあえず客が来て、他の家電もついでに買ってくれれば儲けものだからだ。そして中古も多数取り扱う。ゲームの利益の確保はこっちだ。そこそこの価格で引取りそこそこの価格で販売する。これも回転が早ければ利益が稼げる。ビデオレンタルのゲオとツタヤが入ってきたのも大きかった。街のゲーム屋さんにできることは限られていた。大手資本に真正面から戦って敵うわけはなかった。中古販売という最高の武器を手に入れたかわりに、同じ武器をもった最強の敵が現れたのだ。多数のプレイヤーがそちらに流れた。売っているものが同一なら、安いところで買うのが当たり前だからだ。
その後まったく救いがなかったわけではない。DSの大フィーバーがこの後起きた。ゲームに触れたことがない新規層でも直感的なタッチパネルを備えたデバイスはゲーム市場を一気に活性化させた。誰もがみなDLライトを買い求めてゲーム屋と家電屋を往復した。飛ぶようにDSライト本体と脳トレとどうぶつの森が売れた
しかしここでも任天堂流通が小売の前に立ちふさがる。任天堂は小売店から受けた仕打ちを忘れていなかった。64よりもPS1,ゲームキューブよりもPS2を優先させた街のゲーム屋に、引く手あまたのDLライトを多く卸す理由がなかった。DSライトは任天堂流通のお得意様、デパートのゲームコーナー、おもちゃ系統の販路を優先して入荷していった。今まで子供向けのプレゼント用途にゲームキューブ、ポケモン関連をしっかり取っていた「実績」のおかげだった。街のゲーム屋が本当に一息ついたのはおそらくさらに後のモンハンポータブルの大ヒットあたりからだろう。
こんな流れがあり、地方から今現在ほとんどの「ファミコンショップ」が姿を消している。初心会を中心とした問屋は、成熟したゲーム業界がメーカーの自主流通を実現させたことでその役目を終えて消えていった。となれば、地方のゲーム屋もまた、成熟したゲーム業界によって役目を終えた存在としてみなされてしまったのだろうか? おそらくはそうだろう。そして将来的にはゲームを販売する大型店舗すらいなくなるかもしれない。ダウンロード販売をメーカーは推進しているからだ。
そんな流れのなか、この令和の時代に意地でも自前の店舗でゲームを販売している「ゲーム屋」を見かけることがある。業界の厳しい荒波に揉まれそれでも生き延びている人たちだ。私は彼らに尊敬の念を抱かずにはいられない。
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