はてなキーワード: プレゼントとは
姉夫婦、40歳と36歳で結婚10年、7歳と4歳の甥っ子がいる。
これまで普通の営業マンだったのでさしたるスキルもなくうまくいってないらしい。
両親や義両親と一緒のときだけ(お金を出してもらえるから)行く、という感じ。
うちだって別に裕福ではないが、共働きで割と激務に耐えてきたので
妻がフルタイムになればパワーカップルと呼ばれるくらいの収入がある。
それを知ってか、親から「姉夫婦に援助してもよいか」という連絡が来た。
そして姉の義実家からは今回に関しては一切の援助がない(義兄は一人っ子だ)。
父は数年前まで自営業で詳しくは知らないけど年収1000万以上はあったので
最近体調を崩して入院したり、持病があったりするので自分のために使って欲しいと思っている。
(遺産の取り分が減るから、とかではない。そりゃあった方が嬉しいがあんまりアテにしはしていない)
娘の誕生日にちょっとプレゼントあげたり、旅行したりするだけで
包装?プレゼントかないいなー。
職場の福利厚生で、カタログから欲しいものを選ぶ式のプレゼントがもらえるというので、つい手帳とノートのセットをもらってしまった。
A5サイズぐらいで厚みが1㎝ぐらいある。年間カレンダーとマンスリーのカレンダーとウィークリーカレンダーのページがあり、ウィークリーのページにはご丁寧に数行程度の罫線が引いてあって簡単な日記とかが書けるようになっている。
私は手帳とかノートとかが好きなのでつい選んでしまったのだが、こういう分厚くて書くところが沢山あるのは一番自分に向いてない。基本的に書く予定がほとんどなく、仮にたまたま遊びに行ったり飲み会に出たとしても、帰ってきたら疲れて手帳に記録しようとか思えない。
必要最低限のマンスリータイプが一番好きで、特に書く予定がなくても、「あれ?○日は何曜日だっけ?」とか確認するのに使えるし、職場のイベントとかを書いておくと「この日は絶対に休めない」「このへんは病院の予約を入れてもOK」とか分かるのでなお良い。
自分でも自分が手帳やノートに何を求めているのか分からない。手帳術を書いた本や雑誌を見かけるとつい手にとってしまうけど、欲しいものはキレイに書かれた手帳ではなくて、充実した毎日と仕事をサクサクこなせる出来る自分である。
なぜそれが手帳の力で手に入ると思ってしまうのか我ながら謎である。どっちかというと、身近な仕事のできる人にスケジュールどおり漏れなくきちんと仕事をこなす術を聞いた方が役に立ちそうだ。
って相談された。
自分がプレゼントしたamazonFireが小さくて使いづらいし、
母のandroidタブレットを使っているがかなり昔のモデルでガタが来てるらしい。
数年前ならapple製品なんてブルジョア位に思ってたから、「Androidの方が安くて良いじゃん。」って即答していた。
ただ最近は、人に勧めるならappleの方が良いんじゃないかって思っている。
リテラシーが低い人が触るならオールインワンなiPadの方が良いかもしれない。…とAndroid一択って気持ちにならなかった。
うちの祖母がのモットーが「いつもニコニコ元気よく」だった。子どもを相手にする仕事だったので、子どもたちにそう言うのはまぁ良いとして、別に楽しい日々を送っているわけでない孫に笑顔を強いるなよと私は腹を立てていた。(当時私は大学生ぐらいだったと思う。)
が、愛想が良くて調子良くおしゃべりする婆さんだったので友達はやたらと多く、誕生日やら何やら山のようにプレゼントが届き、何かといえば旅行や食事会などの誘いを受けて遊びに行っていた。
こっちは祖母のもらったプレゼント(本人の好みに合わないと放置して家族に押し付ける)の始末に苦労し、やたらとかかってくる電話の対応にもうんざりしていたけど、愛想の良いおしゃべり婆さんは世渡り上手だったらしい。
まだ祖母は生きているが認知症が悪化して筋の通った話はできず、足腰もきかないので車椅子に乗って特養で暮らしている。そんな状態でも特養の中では手のかからない婆さんらしい。特に暗くなることも現状を悲観することもなく、淡々と職員の皆さまのお世話を受けて暮らしているようだ。
母の仕事が忙しい。コロナの影響受けまくってて、ものがないー!こっちにくださーい!配送間に合いません!!!みたいなことになってるらしい。
更に、社内で使っているシステムが変わるっていうので練習やらリハが必要になり、本来休みである土日に出勤することが増えてきた。本来なら閑散期である。
コロナ自粛ムードのせいで、外出してパーッとストレス発散もできず、フラストレーションが溜まっている。しんどいのは当然だ。辛くて面白いことなんでなにもないとため息ついて鬱々している。頑張り屋で負けん気の強い母がこうもダウナーなのは余程のことなので、愚痴にはなるべく付き合ってる。本当にぶっ倒れたら洒落にならない。
でも私もそろそろ限界だ。長引く咳は治らなくて息がしづらいし、でも家事は母にやらせるわけにはいかないからがんばってキッチンに立ち続けるし、立ち続けるために平沢進聴いてアドレナリン出してこなしてやると音楽流せば「宗教みたい」って絡んでくるし。うるせえ水差すな。私だって何も楽しくなんかない。いやでも楽しいこともいっぱいあるんだ。毎週ジャンプの続きを楽しみに生きてるしDQウォークやってみたら日光浴びながらお散歩できて気分がよかったしスライムの装備かわいいし友人は推しグッズセットをプレゼントしてくれたし私の作るご飯はおいしいし舞菜はかわいい。がんばれ私。恋愛サーキュレーション聴いてがんばれ。
これでも2か月前に車道に飛び出ようかと画策したり、メンタルもともとボロボロなんですよ。自殺行為しそうになるくらいだったら入院っていう手段もあるよって言ってもらったばっかなんすよ。ひきこもりでごめんなさい。でももう普通に働くってどうやったらできるかわかんない。こわいよ。私も疲れたよ。でも私は母の痰壺になるくらいしか能がないからさあ。私までしんどいしんどい言ってたらドツボだろうからさ。いいことも全部消えちゃいそうだからさあ。私はまだ幸せを見つけようとする気概は持てているからさあ。
「ブリリリッ!」と一気に出ると気持ちいい
逆に「ブツ…ブツ…ブゥー…ブツン」って感じだと「キレがよくないな」ってなる
最初は自分のテンションとか我慢指数が高いと大量の排便を得られると思ってたんだけどやっぱり前日にどれだけ食べたかってのが重要って気づいたのよね
個人的に一番気持ち良いのはワカメとキノコと豚肉でしゃぶしゃぶをして〆にうどんを食べた時。
これは当然ワカメのグルタミン酸、キノコのグアニル酸、豚肉のイノシン酸という旨味成分暴力トリオがしっかりと鍋の汁に溜まり、それをうどん出汁にして食べるんだから当然おいしい。
翌朝の腹の調子ずっしりと重く「あ…昨日は流石に食べすぎだったな…」となるんだけど排便すると勢いよく「ブリリリッ!」と出るもんだからスッキリして、軽やかになる。
ワカメが腸内をごっそりとキレイにしてくれるもんだから本当に清々しい排便を得られる。
はじめてはそりゃびっくりしたね。サプライズプレゼントっていうのはこういう事なんだなって思ったよ。
逆に疲れて「今日は納豆ご飯でいいか…」みたいな気分になると翌朝の排便は地獄。
「ブツ…ブツ…ブゥー…ブツン」ならまだキレがあるだけマシ。「ブツ…ブツ…ブゥー…ブツ…」『応答セヨ応答セヨ、まだ排便は必要か?応答セヨ』「ブツ…」『排便は必要のようだ』「・・・・・・・・・・・・・」『応答セヨ。終了か?パンツを上げるぞ、ヨッコイ』「ブツ」って感じでキレが悪い。
そういうときは昼飯にとんかつ定食を食べると決めている。おかわり無料のキャベツの千切りを3~4回おかわりすれば晩飯後にはキレイな排便を得られる。
俺は気持ちよい排便を求めて飯を食べている。
中学の時の親友に誕生日プレゼントを送ることにして、遠隔操作でチーズダッカルビを作れる玩具のプレートを選んだ。遠隔操作で調理器具と箸が発熱する仕組みで、親友は喜んで箸を洗って置いておいた。
すると「その箸は遠隔操作で発熱するからテロに使えるぞ誰だここに放置したのは」と記者会見が開かれたので怒りに任せて「そんなことで晒し者にする気か」と怒鳴り込んだところ、大学時代の嫌な先輩が出てきて「君が冷静になれ」とiPhoneを渡されて出てみると当時付き合っていた元彼と繋がっていた。画面には「昔の男」「古い女」の文字。
「はぁ?なんで今更?」
「いや嫌いになったよ、嫌いよりの嫌い」
「こっちも嫌いよりの嫌いだわこんちくしょう」
有耶無耶になった記者会見の後、チーズダッカルビの調理器具をあげた中学時代の親友から「庇ってくれてありがとう」とお礼を言われ、一緒に帰ることにした。
帰り道、元彼と久しぶりに連絡をとったことがモヤモヤしてしまって「モヤモヤするくらいならもう一度連絡してみたら」と親友が言うので連絡してみたところ、また「嫌いよりの嫌い」で揉めることに。歩いているうちに7人家族の乗った乗用車が数メートルの崖から落ちて何人か亡くなる事故現場に遭遇し、現場検証が行われる中崖を登ると元彼が待ち構えていた。
親友と元彼と三人で歩いていて、親友が「アンタもう結婚して子供もいるのにどうするの」と囁いてきた。どうもこうもないよと思い嫌いよりの嫌いな元彼を見るけど向こうも嫌いよりの嫌いの割にフレンドリーで気になる。とりあえず小田急のホームで電車を待ちながらどうするか考えていたところで目が覚めた。まだ朝は来ない。
子に優しく接することができない。
我が子とは思えないくらい優しくて気前のいい子だし、離れていると「どこかに遊びに連れて行かなきゃ」とか「あれを買ったら喜ぶかな」と思うのに、いざ実行すると全然優しくできない。
喜んでもらいたくて買った誕生日プレゼントも叩きつけるように渡してしまった。思い出すたびに子に申し訳なくて泣きそうになる。
愛情がないわけではない。でも子がいなければできると自分が考えていることが多いし、そう考えてきた期間が長すぎたのだと思う。
6年前に離婚して親元に帰ってきた。当初は子育てに関わっていたが、両親と見解が違い過ぎて頻繁にもめ、そのたびに1対2で「気に食わないなら出ていけ」と言われるので関わるのが苦痛になった。
「恥の世代」の両親は子が何かできないと、「自分が恥ずかしい」と考える。
子の忘れ物が多いと「ちゃんと世話できない親だと思われると恥ずかしい!」と持ち物を確認し、毎月教材が届く学研に申し込んであったのに「習い事をさせていないと貧乏だと思われて恥ずかしいから塾に行かせろ」と言う。
「忘れ物で学校でつらい目に遭えば態度を改めるかもしれないからしばらく放っておけば」と言っても、「自分が恥ずかしいから嫌だ」と聞き入れられなかった。
こんなことが続くうちに疲れ、子育てに関わるのがほとほと嫌になってしまった。
世話してもらっていることに感謝するべきだという考えは否定しないが、改善目的が子のためではなく自分のためだと何の衒いもなく宣言されると、受け入れづらい。
前の旦那と別居中は幼い子どもと二人っきりだった。私の作ったご飯を「おいし」と食べてくれるのが嬉しかったし、毎日成長を実感できるのも楽しかった。愛情を注ぐ先が子どもしかいなかった。
でも5年前に交際相手ができてからは子を足かせのように思うことが多くなった。彼は彼なりに子と関わろうとしてくれたし、出掛ける計画を立てるたびに子のことを気にかけてくれていた。でも私は子から、地元から解放されたかった。
彼に子とうまく接することができない自分を見られたくなかった。
その彼とは2年付き合い、その後も時おり子を交えて3年交流したが、先日絶縁を宣言された。
子は笑顔で話しかけてくれるが、私が会話をする気になれない。どう話していいのかわからない。
結局、私は5年かけて誰とも家族になれなかったのだと思った。