はてなキーワード: カレンダーとは
プレミアムフライデー強制にしてほしかった。カレンダーに書いてないと適用してくれない。
「派遣エンジニア」「フリーランスエンジニア」をしている人って、要は「能力だけを時間単位で売ります」ってことですよね?
裏を返せば「社員としての煩わしい付き合いとかは一切不要なので、エンジニアとしてのスキルを時間いくらで売る」事を選んだ人のはずです。
としたと時に、業務契約においての休憩時間外は「一切休むことなく、8時間だったら8時間、集中して働く」ことが求められるであってます?
・SNS見る
・プライベートの携帯電話に出る(ただし、自身の近親者の不幸を除く)
Web系の制作会社にいる社員なんだけど、隣の派遣エンジニアが上みたいなことをしていて、そのくせ、
みたいなやり取りが結構多くて、正直「お前Facebook見まくってて、遅れるってなに?」っていいそうになってます。
派遣エンジニアとして「時間の切り売り」を選んでるんだから、会社の休憩時間以外は一切休むことなく集中して仕事しろよ、ましてやSNSとか見てて何言ってるの?と思ってます。
「うわー、きっつい会社だなぁ・・・そんな会社嫌だわ・・・」って言う人がいるかもしれませんが、それ間違えてますよね?
せめて分かりやすい仕事以外のことを「していなかったら」、単純に「能力が足りないのね」と評価します。
能力が高いって言う=単金も実際高いのに、ギリギリまで仕事しないくせに何割か「遅れてます」とか言ってくる。
要は「金もらってるんだから、契約している当たり前のことしろや」ってことでしか無いと思うんです。
Web系の会社だと就業時間中にSNSを見るのは「情報を取得するため」とかってよく分からない大義名分がである程度許容されています。
ですが、それは「社員」だったら「無形の情報収集」としてまだ許されるかもしれないですけど、「派遣エンジニア」「フリーランスエンジニア」は「就業後の自分の時間でやれよ」となると思うのですが、間違ってます?
なお、社員でもその「情報収集」が成果に結びついてなかったら、当然半年とか一年後にある評価面談でマイナス評価くらいます。
派遣エンジニアとかフリーランスエンジニアは「自分で了承した納期時間を守る」ことをしなければ、雇用側は意味がないので、無価値な気がしているのです、間違えています?
私は一時期、小さなギャラリー兼レンタルボックスによく行っていたのだが、そこでボックスを借りて作品を売ったり、作品展をやったりしている人たちが不思議で仕方なかった。その作品は、手作りアクセサリーだったり、写真だったり、手芸作品だったり、アートなのか何なのかよく分からない物体だったりした。ちょっと不便で入りにくいところにある小さなギャラリーで、その代わりギャラリー代がかなり安くて無審査だった。自分もお付き合いでギャラリーのグループ展に参加したことはあるけれど、あくまでもワン・オブ・ゼムに過ぎず、自己満足でやっているという感じしかしなかった。
これはご本人達に聞くよりオーナーに聞いた方が早いのかも知れないけど、「お金のためにやってる」と言い切れるほど儲かる場所には見えなかった。一部の人の作品のクオリティはかなり高かったけれど、それならばもっと立地のいいところで、宣伝になるようにやらないと意味がない。あくまでも作るのが楽しいからやっているというなら止めないけど、これだけで生きていこうとするとかなり厳しいとお見受けした。それでも手作りアクセサリーなどで人気のある人は、他のレンタルボックスにも作品を出したり、デザインフェスタみたいな大規模イベントで作品を売ったりしていた。ちょっとしたお小遣い程度にはなるのだろうか?
そして質問その2「作品を作り続けるモチベーションはどうやって維持してますか?」
これ。本当に不思議でしょうがないのだ。私が行っていたところ以外でも、結構あちこちのギャラリーで分かる人にしか分からない作品をせっせと展示している人たちがいて、それなりに格の高いギャラリーではギャラリー代も相当かかるし、沢山の作品を事前に提出してギャラリーの審査に通らないとそもそも展示できない。だいたいどの作品にも値段がついていて、買いたい人は買えるようになっているのだが、わざわざ買って帰って家に飾りたいと思えるものはそうそうない。もっとも私は著名な画家や写真家の作品(複製を含む)であっても、同じものをずっと飾り続ける趣味がないのであまり参考にならないかも知れないけど。どっちかといえばカレンダーみたいに一ヶ月ごとに違う絵が見られるものの方が好きなのだ。
それにしても、私は子ども時代、手作りが大好きだった。折り紙とビーズ細工にはかなり熱中した。子ども時代…といっても高校生になっても続けていたし、当時はわりと高度(?)な作品も作っていた。折り紙だと連鶴(一枚の紙に切り目を入れて、何羽もつながった鶴を折る)やユニット折り紙(沢山のパーツを折って組み立て、さまざまな立体を作る)をやっていたし、ビーズではビーズフラワーなるものを作っていて、ビーズで花びらなどを作って花の形に整え、茎に刺繍糸を巻き付けてまとめて仕上げたものをコサージュにしたり、小さな花束にして人さまにプレゼントしたりしていた。
が、正直作る作業が楽しくてやっていただけで、作り終わった作品はどうでも良かった。人さまにあげたり売ったりするほどの出来でないものも多かったし、折り紙はかさばるわりにつぶれやすいので、運搬や保管が難しかった。でも今ならば、手作り作品をブログで発表したり、ハンドメイド作品販売サイトで売りに出したりすることができる。そんなにお金に執着しなければ値段を安く設定すれば良い。だが、自分のモチベーションがすっかり下がってしまい、地道に作品作りに励むことができなくなってしまった。老眼になって細かい手元の作業が苦痛になったとはいえ、だいたい定時に帰れる職場にいて、時間の余裕はあるはずなのに、何も作れない自分が情けない。ちなみにいまだに折り紙やキレイな柄の包装紙などには目がなくてついつい購入してしまい、材料だけが増えていく状況である。誰か私のやる気スイッチのありかを見つけてくれないだろうか。
大坂なおみが全仏ウィンブルドンと制覇し、いわゆるノン・カレンダー・イヤー・グランドスラムを達成できるかは、テニスをかじった身として俺も気になる。
でもな、もっと気になるのは、遊びでテニスやる前から好きだったモータースポーツで、グラハム・ヒル(デイモン・ヒルの親父さん)が今の所最初で最後になって久しい、世界三大レース制覇が今年こそ達成されるかなんだよ。
てか、この3つのレース(モナコ、インディ500、ル・マン)は、多分テニスのハード・クレイ・芝に匹敵ないしそれ以上に競技の性格が違い過ぎてるから、3つ全部勝ったのが過去に1人しかいないのはまあ当然というか。
だからアロンソが今月のインディ500で史上2人目になったら号泣するし、さらにモントーヤが来月のル・マンで3人目になったら歓喜を通り越して大爆笑する準備はできてんだ。
口八丁な人間が立ち上げたこともあり、仕事は目が回るほどある。
しかしタイトル通り、自分以外の全員のマインドがアナログすぎて辟易している。
連絡は全て一つのトークに集約されていて、ログがどんどん流れていってるので、正直どのトピックがどうなってるかが全くわからない。
一度Slackへの以降を提案し使い始めてみたが、数日のうちにLINEで「Slackをチェックして!」と言わなければいけない状態になり、1週間も経たずにLINEに逆戻り。
トークルーム一つでやりとりしているので、発言見逃がしまくり。
Googleカレンダーで予定を共有するなんてことはせず、今度出来上がるおしゃれなオフィスには予定を書き込むためのでっかいホワイトボードが。
そこはオシャレじゃなくていいのかよ。
ウェブを少しでも理解できる人間は自分以外にはおらず(ウェブサイトを「HP」と言ってる時点でお察し)、一番ボリュームのあるウェブの仕事は全て自分に降ってくる。
会社で新規に立ち上げたサービスがあるのだが、申込を社内でアサインするところは全てLINEでやりとりして決める。
サーバとデータベース用意して、Slack / カレンダー / Slashコマンドを駆使するなんてことは勿論提案したところで理解されず。
大きい案件ごとにフォルダは別れているのだが、その下のフォルダには「〇〇_写真1」「〇〇_Photo」「〇〇_JPG」みたいなほとんど同じようなネーミングで中身が全然違うフォルダが沢山ある。
過去のデータを遡ることが非常に難しく、勿論検索をかけることもできない。
日々、こんな具合でもう辞めたいと思ってる。仕事以外の自動化できる雑務を疑問もなくやっている社員ばかりだ。
正直自分一人でもやっていけるし、ウェブの仕事が多い割に、ウェブでは他の社員が全然役に立たないので、仕事の負荷がおかしいこともままある。
オフィスを見回してみるとセカセカ働いているのは自分だけってことも。
妹が統合失調症だ。
症状の一つに「妄想」がある。
精神科による妄想とは「事実と違うことを本気で事実と思い込む」ことだそうです。
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マンガで分かる心療内科・精神科 第七回「妄想の人に、どう接するべき?」https://yucl.net/man/19.html
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はたから見れば思い込みなのは明らかなので理詰めで否定して理解させようと思うが、正解は否定でも肯定でもなく「話をそらす」らしい。
例えば「誰かが私を監視してる」と言うなら「それより晩ごはんどうする?何食べたい?」というような感じで。
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「お薬カレンダー(曜日ごと+朝昼晩と21個のポケットが有り薬の飲み忘れを管理できる)に薬が残ってるから飲んでないんじゃない?」と言ったところ「絶対飲んだ、100%間違いない」とのこと。
「でも実際に薬が残ってるから飲んでない可能性あるよ?」と言ったら「私の言うことを信用できないの?」となる。
ラチがあかないので直接本人にお薬カレンダーを確認させると「ちゃんと入ってるじゃん」と。いや、入ってるのは飲んでないからだろ・・・
妄想の対処は「話をそらす」だとは聞いたけど、薬を飲めないと根本的な解決にはならない。
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話をそらす → 薬飲めない
否定する → 本人激昂。意地でも飲まない
どうしたらいいんだろ。
壁掛けカレンダーのフックに一緒に掛けてる
もはや傾きまくりの日本の製造業にうっかり入社してしまったんだけれど、出張するにあたって必要な手続きがあまりにも多すぎる。どこもこんなものかしら?価値のない仕事に時間がかかり過ぎて早くも辞めたい。
いつどこに何の目的でどの程度の経費を使って出張に行くかを申請するワークフローがある。上長数名の承認に加え、経費を使うからか、何故か経理部門が承認のワークフローに入っている。
部門の中でグループ別の経費管理をしており、これを毎週メンテナンスしないといけない。出張前は、利用予定の経費を入力し、出張後は実績値を入れなければいけない。部門の中でのみ使われるシートであり、部門全体の経費は月毎に経理に提出。
グループの中で誰がどれだけ経費を使ったかを個人レベルで管理するためのもの。出張先も入力しなければいけない。(2)と違い、都度入力が必要でグループの中でのみ使われる。
(4)勤怠システム1
勤怠システムに出張予定を入力する。これも(1)と同じで上長数名にワークフローが回覧される。
(5)勤怠システム2
出張の際はタイムカードが打刻されないので、出張後、出張時の出勤時間と退勤時間を入力する必要がある。これも上長にワークフローが回る。
(6)カレンダー
出張の日はOffice365の自分のスケジュールに、「★出張」と記載する。★は日帰りを表すのが部門のルールらしい。
部門の電話当番が、一目で部員の勤怠状況を把握するために、専用のExcelに出張の日は、出張のため1日不在と記載する。
最近見てなかったんだけど、
キッチンの壁に掛けて見れる用で欲しい気持が強まった1日でした。
防水だしお風呂でも使えそうよ。
カタログではジャブジャブキッチンでテレビ水洗いしてる写真まで載せてるから
よっぽどの自信なのね!
リアル店舗って、
これはなかなかネットのお店では味わえないわ。
と言いつつも、
思わず可愛くて美味しそうだった
これは買うでしょ!
載ってたレシピでいきなり日本で手に入らないであろう何かの野菜か葉物の材料が載ってて
1日目からなんか挫折しそうなパスタメニューってところがまたいいわねと思ったわ。
うふふ。
おにぎり二つです。
昼時間が定かではないらしいので、
朝はしっかり目に頂いちゃったわ。
それって作り手の意気込みをグラム数に現さないで欲しいんだけど、
実際にどうよ?って思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??
https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ、大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。
https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。まとまったキーワードがでてきていい本。・・
https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。よんだことなかった・・勘違いしてた
https://www.amazon.co.jp/dp/4054045847/ こっちだ。こちらはコンピューター業についたりしててわりと身近な感じで読めた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分のうつ病をなおした精神科医
うつの治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。
以上です
再追記
結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません。
お役所の人や学校の先生がたと会ったり話したり、特に精神科医の先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。
別の病気と解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます。
それと、本人とも「結論や方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく
元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、
いつでも相談に乗れるくらいに相手を理解しておかないとですね。
その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害を
いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます。
そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます。
(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを
二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います、
思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、
そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。
例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。
ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても
絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。
絶対に旅行を成功させたいならまずその時間帯のその電車にのるプランもやめとけば、
指定席とればと。
子供の側ではまずその必要なお金を考えついて親にねだるということを
全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)
でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。
一事が万事そういう感じ。
一病息災といいますが、
(未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には
本当に一日16時間くらいいびきをかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。
うけいれつつ仲良くなれた気がします。
以上
終えた理由の一つ目として、第一志望群の御社とご縁がありまして、すでに内定を3つ持っているためです。インターン活動は昨年の夏からしていましたが、こうもスルスルと決まるとは自分自身予想していませんでした。有り難いです。
ここまではいいでしょう。
周囲からも「お前はもっといっぱい内定を取って、その中で選ぶもんだと思ってた」とよく言われます。その通り。自分はギリギリまで就活をする予定で、5月エントリー〆切のものまで、すでにカレンダーに書き込んでます。たくさんの興味ある会社の面接を通して、自分が将来働く場所を吟味したかったのです。
ではなぜ、就活を止めたのか。
書類選考を通ると人事やリクルーターから連絡が来て、学校推薦で受けるよう勧められるためです。自由応募ルートを最初の段階で選択していても、学校推薦ルートで案内が来ます。そして、学校推薦を断ると、その時点で落とされます。中身は学校推薦ルートですが、システム的に自由応募でのエントリーなので、もうその会社を受けることはできません。すでに3社、そんな状態です。これでは、これ以上就活するのは困難だと考えました。
学校推薦自体、悪いものではないし、企業側の考えもわかります。
でも!
なんで、自由応募選んでるやつに、学校推薦強制してくるんや!!文字読まれへんのか、自由って言っとるやろが!
就活を通して、採用人数の9割が学校推薦である現状を敢えて、学生に言う企業などにも出会いました。
また、自由応募を選択しても学校推薦ルートにぶち込む一方で、学校推薦に落ちた人に自由応募のチャンスを提示する、このなんとも気持ち悪い就活の状態。
在職中にこれが嫌だったなーということを書き出してみた
・文房具から客先に行く交通費から販促品からカレンダーから手土産まで全部自腹
・朝礼で理念唱和がある
・始業ギリギリで来る奴ばかりだったので、早く来て仕事の準備をしているのに朝礼で使う配布物をドサっと渡されて配らされる
・上司は上客と飲みやゴルフにしか行かず部下のフォローをしない
・上司はしょっちゅう機嫌悪い話しかけるなオーラを出しているのに自分が話したい時だけ雑談をふってきてうざい
・教育係ぶるお局
・無意味な研修を開いて「日々の営業お疲れ様です」とか呑気に言ってる営業なんかしたことのない本社の奴ら
・障害者雇用の◯◯さんがパラ大会に出ました!とかいうどうでもいい話が全社通知で来る
・左遷されてきた非ライン管理職が派遣事務以下の業務遂行能力しかなくて邪魔
まだある気がするけど辞めてせいせいした
もっと早く辞めればよかった
ちょうど私が大学院に入った頃から、いわゆる大学改革が進み、基礎教育のコマ数がどんどん削られていきました。私の専門の科目も、もともと需要が少なく、公募自体がめったにありませんでした。また少子化のために、短大などでは大学そのものが存続していけない状況が始まっていました。
論文を出して博士号を取り、著書も出しました。しかし、就職は決まりません。こうなると奨学金約500万円を返済しなければならなくなります。私は非常勤講師の肩書きで研究を続け、一方で実質的な収入は原稿料で得て、常勤の職に就くまでのつなぎにしようと考えました。
幸い、私の原稿を買ってくれるところがあり、大学から籍を抜く時にはその編集部でアルバイトもするようになりました。仕事内容はコピーを取ったりファックスを送ったり、封筒の発送作業をしたりです。ときには段ボール箱を積み上げる作業もしました。
家族はどうして博士号を取ってまで時給800円のアルバイトをするのかと反対でした。私の筆跡で宛名が書かれている封筒を見て気の毒に思ってくれる友人もいました。しかし私は、こうして忙しく毎日を過ごし、少ないながらも収入を得ることによって気持ちの安定を図ることが出来ました。
そのうち、原稿の仕事が増えていき、800円のアルバイトはやめました。私は、非常勤講師ともの書きで充実した生活を送っていました。憂鬱な気持ちになることもほとんどありませんでした。
唯一憂鬱になるのは、毎年の年末から4月にかけてでした。公募の結果がはっきりし、新しい年の人事が決まる季節です。知人が就職したと聞くとやはり内心穏やかではありません。なんであんな奴がと酒を飲んで発散したこともあります。また、非常勤は一年契約ですから、年末に更新の書類がちゃんと来るかどうかヒヤヒヤします。こちらに落ち度がなくても、カリキュラム上要らないと判断されればその講座はなくなります。実際に私の専門の周辺科目は年を追うごとに減っていきました。
眠れないでうなされたり、やたら疲れたり、注意力散漫で集中できなかったりという程度のことはよくありました。学会や研究会では周りの人が私に気を遣っているように思えて憂鬱でした。いつも行きの電車の中で身体が重くなり、引き返したくなるので、出かける時はスマイルスマイルと自分に言い聞かせていました。それが成功していたのか、私は困難な状況にもかかわらず、たくましく明るい人物だと言われていました。
そんな年を重ねて、私はだんだん疲れていきました。このまま一生非常勤の講師として終わるかもしれないという思いは私を暗澹とした気分にさせました。原稿の仕事が建て込んできて、専門の研究に割く時間が取れない時など、自分は何をしているのだろうと空しい気持ちになることもありました。
原稿の仕事では、時々トラブルがありました。他の人はトラブルがあってもさらりと流してしまっていました。しかし私にはそれが出来ませんでした。私は子供の頃から妙に正義感が強く、曲がったことを許せないところがあります。いつも自分の主張するべき所は主張して、編集の人とやり合っていました。それが後を引くということはなく、言うことを言うとさっぱり忘れてサバサバして根に持たないのですが。
鬱病を発症した頃、私は仕事で理不尽な目に遭いました(これは、もし裁判になったら文句なしに私が勝つようなことでした)。私は仕事を失いたくなかったので抗議するのはやめました。いつものように自分の言い分はきっちり聞いてもらい、反省すべき点は反省して今後につなげようとしていました。しかしこの時は、すぐに前向きになることが出来ませんでした。これをきっかけに私はため息ばかりつくようになりました。言わないでおこうとしても、「疲れた」と口から出るようになりました。いくら疲れても外には出さないようにしていたのに、元気にニコニコすることが出来ず、帰宅するとゴロリと横になる日が続きました。
思えば原稿の仕事を増やし続け、夏休み明けからはそれまでの2倍は働いていました。週に1度は徹夜のペースでした。いつもなら難なく乗り切っているささいなトラブルが、私の残された最後の気力を吸い取ってしまったのかもしれません。頑張ろうと思っていても力が出ず、焦るばかりの日々が続きました。常に自分に頑張れ頑張れと言い続けなければ何も出来なくなっていました。この頃、メールの最後にいつも「がんばろう」と書いてくるので、おかしいと思っていたと、後で友人に言われました。
「疲れた」とつぶやくようになってからのある日、私はカレンダーを見ていました。原稿の仕事はありますが、講義や打ち合わせで外出する日が2週間ほどないことに気付きました。その直後、私は体が粘土のように重く、何のやる気もなくなっていくのを感じました。それまでの緊張が解けて「気が抜けた」のかもしれません。この隙に鬱病が私の中に入り込んだのだと思います。
最後に研究会に行った日の晩、私は味覚を失い、翌日からは何が起こったというわけでもないのに涙が止まらなくなりました。研究会の準備をしなくてはならないのに、脳にベールがかかったようで、本を読んでも内容が全く頭に入らず、まともな文章も書けなくなりました。唯一好きだった家事の料理も、焼きめしやお好み焼きのような簡単なものを作るのがやっとで、食欲も全くなくなりました。私はパソコンで言うと「フリーズ」してしまったのです。