はてなキーワード: 運動部とは
ここ数年、学生の薬物汚染が酷い。特に大学運動部の大麻汚染が酷い。
そんな薬物問題に悩む学校に対する処方箋として「吹奏楽部の強化」がある。その理由を説明しよう
「薬物 吹奏楽部」でググると分かるが、地元警察と地元学校の吹奏楽部のコラボによる薬物防止キャンペーンが結構行われている。つまり学校の薬物防止活動の旗印を作れるのだ。
強豪吹奏楽部を抱える近畿大学ではラグビー部が薬物汚染されてしまったが、これは警察とのコラボを怠っていたからである。警察とコラボするのが重要だ。
これは言うまでもない。例え地区予選落ちだったとしても、天下の朝日新聞が学校の名を出してくれる。全国大会まで行ければ大々的に扱ってくれる。
試しに「吹奏楽部 大麻」で検索してみよう。すると、トップに「北海道の大麻(おおあさ)高校の吹奏楽部」がヒットするはずだ。過去にはコンクール全国金の経験もある古豪だ。
つまり、大麻までなら大麻高校が検索避けになってくれるので、仮に吹奏楽部員が大麻で警察沙汰になったとしても、その直後はともかく、翌年以降はその事案をなかったことにすることが出来る。覚醒剤まで行くとさすがに無理だが。
吹奏楽部が強い大学はあまり多くない。今こそ、全国の大学は薬物汚染対策として吹奏楽部の強化を図ってみてはどうだろうか。
ブコメで「日大は警察から薬物対策講座を受けていたので意味ない」とあるが、そんなのは今日日そこら辺の小・中・高校でもやっている。高校以下の学校の8割がやっている。https://www.nichiyaku.or.jp/activities/activity/support.html
コラボすることで、講座を聞くだけ(大半の学生は寝てるだろう)という状況から、講座を一緒に演出すると言う立場に変わるのだ。これと「薬物対策講座を受けていた」は同列には語れない。
引退試合が終わった。生徒も保護者も泣いていた。感情は冷めきってたがいちおう笑顔で挨拶した。
今まで試合会場まで車のひとつも出さずに、感動の上澄みだけすくって泣けていいですね。
顧問が車を出すのおかしいと思い続けたし声も上げてみたけど変わらなかった。無料で、金も足も出さずに最後だけかよ、みたいな気持ちでずっと見てた。
運動部の顧問なんかやりたくない。土日試合に全部潰されてまた5日授業して次の土曜も部活、日曜に疲れ果ててⅠ日ぐったりしてすごす。
そんな生活をずっとしてきた。楽しいと思うときがなかったわけじゃない。でも自分に専門性もないし、なんならスポーツ全般興味ない。負担感だけすごくて部活大嫌い。
好きでやってる人、無償でもやりたい人正直迷惑。なんでこっちがやる気ないと思われるのか。いや、やる気ないですよ、実際。でも部活を熱心にやる先生はいい先生で、やる気ないとだめな先生みたいな、おかしくね?
ダメ押しで熱中症の件。本当に胸がいたんだ。部活なんか、しんでまでやることじゃないでしょう。こんなことが起こりうること、誰だってわかってたでしょう。なんで死者が出るまで動かない。出ても動きが遅々としすぎてイライラする。
ずっと、暑すぎて危険ですよ、って言い続けたけど、暑熱順化とか何とかごまかされてきた。それに試合自体が止まらないから、練習をやめると逆にリスクがある。それはわかる。じゃあ試合やめましょうよ、夏の部活動、もう無理ですよ。
熱中症のこと言い続けたけど、変えられなかった。変えられなさすぎて、諦めてしまった。不甲斐ない。亡くなった子に本当に申し訳ない。わたしたちの責任です。
一応熱中症に注意するよう通達は来た。WBGT31越えたら原則中止、の「原則」が取れた。ずっと曖昧だからやめてほしいと思ってたのでそれは良かった。
でもじゃあどのタイミングで何回測るのか、何も言われない。ログも残さない。結局責任は顧問ですか。
全国大会をやめてほしい。それがなくなれば、無理なスケジュールで予選をやらなくてすむ。
やりたくない。逃げてごめんなさい、でも本当に嫌だ。
アメリカでも、奨学金貰って大学行けなければ、後はスポーツ推薦貰わないと地方脱出できないとかあったけど、
今の日本でも地方出身者がまともに成り上がれるのって、芸能、スポーツくらいじゃないの?
音楽系だと、金持ちなら都会の良い先生のとこ通ってみたり、スポーツも地方で盛んなスケートやら金かけられる奴だけが成功するチャンスが貰えて、後は一般的な運動部で頑張るしか道は無い。
馬鹿で顔が良ければ、ワンチャン芸能デビューできるかもくらい。
ぶっちゃけ、都会の進学校行けない奴はそれだけでマイナスからのスタートだし、大学で上京してって奴はだいたいつまらない奴しかいない。
地方民はさんざん東京のこと逆恨みしてるけど、そもそもまともに進学できない地方とかゴミじゃん。
はてなーは東京逆恨みする奴多いけど、独身限界中年多いから子供の教育とか気にしないし、自身もまともな大学進学してないから気にならないのかな?
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
某中古車販売店の恫喝LINEなんかを見ると、またこのパターンだなと思う。
あらゆる洗脳によって身近な人間が何人も姿を消していった増田なりに考えた洗脳についての話です。
洗脳と聞くと誰か特定のターゲットに行うものと思われがちだけど、実はそうでもなかったりする。
例えばカルト宗教を思い浮かべてもらえるとわかりやすいのだけど、来た人間全員を洗脳しようとは思ってはおらず、間口は広くしておいて洗脳に引っかかった人間だけが残るような仕組みになっている場合の方が多い。
つまり、「Aを洗脳しよう!」ではなくて、「A、B、C、D、E、Fにそれぞれ洗脳を試してみて、B、Eが洗脳に引っかかったから次はより強い洗脳を試そう。」といって絞り込んでいくような感じだ。
なので、洗脳というのは割りと結果論的な側面が強いパターンが多いよというか、むしろほとんどですよということをまず知ってもらいたい。
言い換えれば、誰にでも効果が期待できる洗脳を追い求めるよりも、洗脳にかかりやすい人を探したほうが早いよということ。
某中古車販売となんの関係があるの?と思うかもしれないけど、恫喝は典型的な洗脳の手段だと思ってください。
洗脳とは、簡単に言えば相手を自分の意のままに言うことを聞くようにすること。
逆を返すと、どのような状況であれ自分の意のままに言うことを聞くようになっていれば、それは洗脳が成功しているとも言える。
この違いは何かというと、そこに本人の納得は必要ないという点。
宗教のように心から相手を信頼してしまうパターンもあれば、自分は納得していないけど大きな借金があるから言うことを聞かざるを得ない状況というのも、等しく洗脳されている状況といえてしまうのだ。
手段や関係性はどうであれ言うことを聞く状況になってさえいれば、それは洗脳において成功と考えてなんの差支えもない。
恫喝というのは世間一般で考えればどう見ても間違ってる行動だ。
それによって離れる人間もいれば、自分が悪かったと受け入れる人間が出てくる。
さらに言えば、恫喝された他の人間の反応を見て自分も恫喝する側に回れば支配する側に回れると考える人間だっている。
一度くらいなら自分が悪かったと思ってこらえる人間がいるかも知れないが、それが当たり前に何度も続けば結局は残った人間は恫喝を受け入れた人間だけということになる。
つまりこの状況は、恫喝という非常識的な行為を繰り返すことによって、それでも言うことを聞く人間だけに絞り込めた状況と考えて差し支えがない。
そこに言うことを聞くようになった理由は必要ない。言うことを聞くという事実こそが重要なのだ。
洗脳する側にしてみれば言うことを聞く人間だけ残ればいいのだから、まともな判断力を持った人間はむしろ不要で、恫喝を受け入れた人間だけでなくそれを理解した上で利用する側に立った人間だって必要な人間だと言える。
この点も、信仰の強い信者だけでは宗教が広がっていかないのと同じで、同じような手段を理解した上で行使できる宣教師も必要だということと非常に近しい。
なぜ恫喝を受け入れざるを得なかったのか、その部分を説得や集団心理などを利用して騙していくことを洗脳だと考えている人も多いだろう。
しかし、それが最初にいった洗脳に対する誤解が多い部分でもある。
そこを自分たちで説得するよりも、注文の多い料理店しかり、正常性バイアスで受け入れてしまう人間を探したほうが早いと言うのが現実だ。
それならば、まずは相手がどのような考えを持っているかを知るよりもさっさと恫喝してしまったほうが結果は早いのだ。
某中古車販売店で言えば、その点において用意したものと言えば高い報酬と人間的成長くらいであろう。
ただし、人間的成長は逆説的に行なえない側を幼稚とするものだったと思われるが。
それでも納得しない人間たちを説得するよりは、ついてきた人間だけを選んでいったほうが遥かに効率がよいのだ。
今回はたまたまトリガーになったわかりやすい例が恫喝だったが、増田自身は勝手にそれを裸踊り的儀式と呼んでいる。
しかし、洗脳されている人間にしてみればありとあらゆる理由をもって裸踊りをする自分を肯定できてしまう状況にある。
つまり裸踊り的儀式とは、洗脳の手段ではなく洗脳度合いの効果測定を目的としている。
はじめから裸踊りをさせるわけではなく、最初はもっと小さなことから行われる。
人前で大声を出すとか、駅前を掃除させるだとか、普通ならやらないようなことに何かと理由をつけてやらせてみるのだ。
それでもし言うことを聞くようであれば、次のステップへと進む。
離脱してしまえば仕方ないし、迷っているようであれば背中を押すような理由を用意する。
そうして少しずつ洗脳の効果測定をしては、思い通りに動く人間を選別していくことが洗脳の本質であると考えている。
そういう意味では、落ち葉掃除のために誰もが犯罪だとわかるような枯葉剤をまいてしまうという行動も、すっかり洗脳が浸透している状況だったとも言えよう。
裸踊りには、周囲から奇異の目を向けられることによる社会的孤立という副次効果もある。
社会的孤立によってその2つから遠ざけることができれば、より洗脳をしやすくなるのだから選ばない手はない。
つまりは、ここが洗脳から助け出せる最後の分水嶺だとも言える。
もし何か怪しい方向に進んでいる近しい人がいるならば、突然社会的孤立につながるような行動が増えたときは要注意だ。
それが公序良俗に反していないだけであって、誰もが最初はおかしいと思うようなことでも、いつかは望んでするようになるし人に勧めたりもするものだ。
一部の体育会系運動部が好んで行う人前での奇行なんかはまさにこれだ。
過去に体育会系大学出身の人材が就職に好まれたのも、すでに洗脳されやすい土壌が学生生活の中で作られていたことが理由であろう。
そして何もこの話は対岸の火事ではない。
むしろワンマン経営者の中小企業に多いし大手学習塾でも当たり前のように見られる。
それ自体を悪だとは言わないが、仮にこの裸踊り的儀式の兆候が見られたときはそれより先に進むべきかどうかは必死で悩むべきだろう。
人間が自分の意志だけですべてを決定できるとは思っていないが、誰かの欲を満たすための道具にされることを望んでいる人なんていないはずだからだ。
私は今、母と一切連絡をとっていない。
私の母は母になれない人だった。
父の出張不在時は不倫旅行、4歳の私は家にほか弁を置かれて数日1人っきり。
寂しくてお腹が空いて泣いて、耳の奥が痛くなってどうしようもなく、記憶を振り絞って祖母宅に電話したら、祖母と叔父が迎えに来てくれた。
酒癖も悪く、部屋のその辺に嘔吐、放尿、包丁振り回して全裸で暴れる。
それを片付けろと命令される。
幼稚園は無断欠席。
気に入らないことがあると殴られ、蹴飛ばされ、発狂する母に"あの女"と呼ばれるようになった5歳の頃、初めて自殺を試みた。
母がいつも振り回していた包丁で、私に向けていた包丁で自分の手を切ってみた。
母のお望み通り死のうと思った。
手を切ったくらいじゃ死ねず、誤って切ったことになって案の定母からボコボコにされた。
その後両親は離婚し、残念なことに私は母に引き取られた。
小学生の頃、相変わらず母は酒癖悪くその辺に嘔吐と放尿、朝まで全裸錯乱、そして私にだけその片付けを命じ、暴力を振るった。
生活保護費は大体母の飲み代に消えた。
私の養育費を父に何度もせびり、私のお年玉もお小遣いも全部母のゲロと小便に変わっていった。
片付けで一睡もできず、朝までボコボコにされた上にお弁当はないし、誰も見にこないからなるべく隠れて過ごしてた。
弟の世話を丸投げ、成績は100点以外は許されない、友達と遊んではいけない、という条件も追加され、さらに窮屈な生活だった。
何度も交番に駆け込んだけど助けてくれなかったし、後日ボコボコにされるから行くのをやめた。
なんだかんだで私はまだ母を愛していて、答え続ければ愛してくれると思っていた。
そんなある日、痴情の縺れから母は灯油をかぶり焼身自殺を図った。
弟に見えないように毛布を掛けた。
完全に私のことはどうでもいいんだと思い知った。
一命を取り留めた母は最初は殊勝な態度だったが、元気になるにつれてまた酒癖が悪く暴れるようになった。
中学生になった私は非行に走らなかったものの、もう歪んでしまっていて、成績だけが私の存在価値だった。
ちなみに母は身体が弱くて優しい母を演じていて、先生や警察、友人は助けてはくれなかった。
(近所の人にはバレてると思うけど)
でも家に帰れば、母と母の彼氏との絶え間無い喧嘩、酒癖悪く暴れる母、1点でも落とせば殴られる環境、愛されている弟(愛されていてもこの環境はよくないよね)、この環境を誰も信じてくれないつらさから私は2度目の自殺を図った。
家中の錠剤を一気に飲んだ。
数百錠はあったと思う。
部屋を汚したくない気持ちが強かったのか、無意識に移動してた。
一晩中嘔吐し続けて明け方赤黒いものを吐く頃に少しおさまってきた。
弟は寝ていて、母達は飲みに出ていて帰ってこなかったのが不幸中の幸いか。
私はまた死に損なってしまった。
(今ではこのくらいじゃ死なないだろうと分かるけど)
この頃の記憶がずっと私を苦しめる。
私は親ガチャ失敗かな、って思ってる。
もっと大変な人もいるのは分かってる。
今は母と連絡を断ちほぼ絶縁状態で暮らしをしているのに、少しでもつらいことがあると一気に沈んでしまう。
私はもう大人だし大丈夫、なんだかんだで立派に生きていけてるし!と言い聞かせても、あの頃の気持ちが蘇ってしまう。
最近私に娘が生まれて、(本当に可愛くて仕方がない)こんなに愛しい子どもにあんなことができるなんて、と私は母に愛されてなかったことを改めて自覚して、
ここに書き捨てて供養していきたい。
とりあえずここまで。
小3からやっていたスポーツだったが、中学の時に持病の喘息が悪化したことから
高二の夏、地域のBBQに部活帰りジャージで妹を迎えに行った時、ビールを飲んでいた30代くらいの
初対面の男性に「部活何やってるの?」と聞かれ、「陸上部でマネージャーをやっています」
と答えると、「マネージャーって普通可愛い子がやるもんだけどね」と真顔で言われた。
ビックリして当時は何も言い返せず、隣にいた母が笑って誤魔化していたが、アラサーになった今、
たまに思い出してイライラすることがある。
確かにお世辞にも私の顔は可愛いとは言えないし、酔っ払ってたから思った事そのまま出てしまったのかも
しれないが、初対面の高校生に、しかも隣に母親がいるのに、酷すぎないか?
「その発言、大人とは思えないです。自分のお子さんが同じ事言われたらどんな気持ちですか?」
「きっしょ。」
「今の発言撤回して、謝ってください。初対面の人にそんなこと言われる筋合いありません。」
なんと答えれば良かったのだろう。
笑っていたわけではないので、冗談で言った訳ではないと思う。
思い出す度に、こう言い返せば良かった、その場で泣けば良かった、と悔しい。
あのオッサンが誰で、今どこにいるのかも知らないが、
当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。
わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。
わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。
お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばい!ダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。
学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたしの小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫。
本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女はわたしにとって親友だったんだろうね。
でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情で引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生が電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。
彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。
小学生の手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。
そうこうしているうちに中学生になり、わたしは剣道部に、彼女はバスケ部に入部して、土日も練習や試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。
そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。
それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。
わたしは社会人になった。高校・大学をストレートで卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。
文通をしなくなってから、彼女のことなど思い出すことなく過ごしてきた。しかし最近、不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。
用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしはGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。
辿り着いてみると、そこには思い出深い公園だけがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。
というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのときは子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。
彼女はどこに行ったんだろう。
真っ先にそう思った。アパートがアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。
唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。
またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。
小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友がいたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。
そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。
中学校に入ってどの部活を選ぶか。10年後の就職の際、大きく影響を与えるので注意すること。
総合商社など超人気JTCに入る学生の多くは体育会系だと言う。
だから中学からスポーツをやることは生涯年収を増やす可能性があるが、ここで気をつけなければいけないことがある。
体育会系(=運動部に入っていた大学生)全員が就活で強いわけではない。
体育会系が就活で評価されるのは、次のみっつの条件が揃った時だけ。
1.一流大学
3.男
まず1について。ここでの一流大学とは、私立なら早慶MARCHレベル。国立なら旧帝大TOCKY(千葉横国など)レベル。
体育会系が就活でプラスポイントになるのはこの一流大学の学生のみである。
企業は「頭の良い体育会系」が欲しいのであって、体育会系なら誰でもいいわけじゃない。
二流三流大学だと、体育会系だからといって、特に有利にならない。場合によっては頭が悪いと思われて、かえって不利になる。
現実は一流大学の文化系学生のほうが、二流大学の体育会系よりも就活で強い。
運動部に夢中になって勉強がおろそかになり、二流大学にしか進めなかったら、何の意味も無い。
次に2について。
ここら辺は強い。
ただ、陸上ホッケーやボード部みたいに、主に一流大学でしかやっていないようなスポーツは強い。
アメフト・ラクロス・陸上ホッケーみたいに、大学から始める人が多いスポーツも評価が高い。
そういうスポーツは一般入試で一流大学に入った学生でも活躍できることが多いからだ。
あと3について。
体育会系が就活で有利になるのは、男だけ。女子学生はあまり関係ない。
まとめ
上記を見るに、すごく理不尽なわけだが、(本当に体育会系の能力を評価するなら、2流大学の学生についても高い評価をすべきだし、やっていた競技と会社員としての業績にに何の関係があるのか不明だし、たんに女性差別であるし)、なぜ理不尽かというと、就職活動自体が理不尽であるからだ。
まだ仕事上の何の業績もない若者をポテンシャルだけで採用するのが日本の新卒一括採用なわけで、でもそのポテンシャルを測る方法はないので、結局は採用担当者が抱いたインプレッションが全てになる。
一流大学のメジャースポーツに打ち込んできた男子大学生なら、きつい現場でも活躍してくれそうだと企業は期待する。
でもそれは単に思いこみにすぎず、イメージの問題なので、野球部はOKだけど軟式野球部はNG、バスケットボールはいいけど、バレーボールはダメ、と理不尽きわまりない話になる。
ともかく頭が良くて体力もあって忍耐力もある学生が欲しいのであって、そういうイメージを抱ける学生=体育会系(ただし一部)というわけだ。
まあ中学生は参考にしてください。
大卒就職内定率の母数は、就職希望者のみなので、進路票の未提出、自主的な留年、家事手伝い、大学院進学、アジア放浪、アメリカで自分探し、フリーター掛け持ち、大学時代のアルバイト継続などの人は、母数から外れるのだ。この数え方をしてさえ、就職率58%をたたき出し、日経新聞の一面を飾ったぜ。比較対象は東大だった(98%)。戦略的な数字を出したい大学は、卒論とか卒研の単位を教員の裁量にして、就職できなかった学生を留年にするんよ。翌年5回生が50人くらいいたから定員が100人の半分くらいは、就職内定の母数に含まれず、残りの人の42%が、仕事が決まらずに卒業。実質30%くらいしか仕事につけなかったのであった。リクルートの電話帳のような冊子を見ても若干名の募集しかなく、コネ枠で決まっているが、儀式的に採用活動をしていたのであろう。若干名に5桁に近い4桁の応募がくる。当時採用担当の人に後日談を聞くと、面接できる人数まで絞り込むのが大変だったらしい。試験会場で列の整理をしていたおっちゃんが「しょうちゃん、しょうちゃん」と若手に呼び掛けていて、その若手の名札を見ると「正力」と書かれていた。庶民にはないコネだ。
中谷彰宏の就職本が流行っていた。この本のノウハウには助けられた。リクルートのはがきを使わずに官製はがきで応募とか、履歴書のフォーマットを自分に有利に変えるとか、証明写真をデパートの写真館で撮るとかいろいろやった。最終面接までいく確率は著しく高まったが、コネが足りなかったと思う。この本は就職できなかった仲間に貸して回って、内定をもらえるようになったので、再現性があることに感動を覚えた。中谷さんありがとう。
新卒の募集をしていた会社は社員が逃げ出していた会社が多かったので、せっかく入った銀行がテーマパーク事業への融資に失敗して破綻とかCM流しまくっていた繊維業が突如倒産とかで、翌年の就職戦線に再び参加していた仲間もいた。第二新卒なんて言葉はなく、中途扱いだった。
そんな苦労して入った会社も残業代を誤魔化すならず者会社が多く、上場企業でさえコンプラが甘く深夜まで続くサービス残業とかが常態化していた。氷河期世代は人が余っていたせいで24時間営業の業態が増えた。悪い条件のバイトでも人がきたんだ。新聞配っているときに退勤とよくやってた。
第二次ベビーブーム世代の人数感を伝えると中学の野球部では、学年ごとにリーグ戦ができる人数がいた。が、グラウンドは一つなので、1、2年生はランニングと基礎トレと球拾いとグラウンド整備に明け暮れる日々。兎に角人数が多かった。運動部に入らないと内申点が下がるとか意味不明なルールがあったなぁ。
脳筋、なんて揶揄されてるのを見るたびに思い出すけど、まともな指導者に当たったことがない。
小学生のころの体育の成績は「励ましたい」←励まされたことがない
課題が全然こなせなかったのは事実だけど、それに向かい合ってくれるような指導者は皆無だった。
思いのほか滑ることができて驚いた。
苛立つことなく、諦めることもなく、根気強くアドバイスをし続けてくれた配偶者には本当に感謝している。
スキーだけは、好きなスポーツだと言えるようになったのが嬉しい。
振り返れば、私の出会った体育やスポーツの指導者は、私のようなできない人に対してできるように教えようとしてくれたことがなかった。
親が勝手に決めてきてやらされたミニバスは、ルールを知らなかった。
小学4年とか、それくらいの時期だった気がするけど、私は低学年の子たちのグループを指定され、ペアを組んでなんとなくボールをパスし合っていた。
それ以外に何をしたらいいのか分からなかった。
ゴールに向かってボールを投げる機会があっても、私のボールがゴールに届くことはなかった。
何度投げても入らないこの競技は、ちっとも楽しくなかった。
当然のことながらポンコツな動き、なんの役に立つこともなく、周りのうんざりした雰囲気が刺さる。
コーチは上手な子にしか眼中になく、彼らに厳しい指導をしていたけど、
特に自分には何も教えてくれないこの人の存在がこの時はよく分からなかった。
なぜこの人に皆頭を下げるのか?
なぜこの人に「ありがとうございます」と言っているのか?
今ならばとりあえずそうしておくのがいいと分かるし、スポーツの世界は厳しい上下関係が存在するということも知っているけど、
自分の知らないルールや基準で進んでいくこの集団に属していることが、みじめで苦痛だった。
お礼を言うべきことを私は一度でもしてもらっただろうか?
入団したときに挨拶くらいはしただろうけど、「コーチ」と何かやり取りをしたことはほぼなかったことに気づいた。
結局ミニバスは辞めた。
体育の授業では、校庭に半分埋められたタイヤや馬跳びはなんとか跳べる(またげる)けど、跳び箱は跳べない。
周りの動きを見ても、「上手に跳んでる」事実が分かるだけで、どうしたら跳べるのか結局分からなかった。
中学生になると、跳び箱の奥行は更に伸びた。
小学校にある跳び箱も跳べないのに、こんな細長いの跳べない。
マット運動は身体をどうしたらそうなるのか分からなかったし、体力測定のボール投げは最低ラインの線までいかなかった。
小学校の担任も体育教師も、見ているだけ。きっと安全管理のためだろう。それは必要なことだ。
たまに上手な子が何かを挑戦しようとしているときには手助けしてたけど。
私にかけられた言葉は「やれ」「なんでできないの?」だった。
こっちが知りたいくらいだ。
まあ分かる、分かるよ、できる子を更にできるようにする方が簡単だからね、達成感もあるだろうし。
でも指導する立場としてできない奴にそれができないならせめて黙ってろ。
あれかな?できない奴をこき下ろして恥さらしにすることでストレス解消してたのかな?
サンドバッグかよ。
教育者とは何だろうか。
競技のルールは知っていることが前提で、みんなどこでそういう知識をつけていたのか不思議だった。
今ならインターネットで調べればすぐに出てくるけど、当時はどうやって調べたらいいのかも分からなかった。
田舎の学校だから選択肢もなく、しぶしぶバレー部に入ったものの、ここでもやっぱりルールが分からない。
やたら人数の多いこのバレー部は、だいたいの人が球拾いと、走り込みと、腹筋背筋。
尚ボールに触れる機会はない。
この時点でかなりの運動嫌いになっていた私にとって一番マシだったのは球拾いだった。
単調で時間が永遠にも感じられる走り込みや腹筋。ただ苦しいだけだった。
競技をする方がまだ気が紛れていいけど、参加に値する身体能力がないからひたすら苦行に徹するのみ。
お片付け要員にしたって多すぎる。
何もできないし、できるようになることもないし、得るものもないし、苦痛と拘束と息苦しさばかりの体験だった。
他人がやっているのを見て何がそんなに楽しいんだろう?なぜそんなに熱狂できるのだろう?
アイドルとかにも興味ないけれど、友人に「それは推しだからだよ」と言われて、概念として納得できた気がする。
プレイヤー自身のファンであるならなるほど、確かに夢中にもなるだろう。
なぜ公的というか、全国大会とか世界大会とか、テレビの独占放映だとか、交通規制してまでやるのだろう。
スポーツ界からの「みんなスポーツ好きだよね!協力してくれるよね!応援して当然だよね!」という圧を感じる。
歴史を見れば、肉体賛美や競技場での決闘に湧き上がるのも理解できるのだけど、
少なくとも「全員がスポーツ界や競技に好意的ではない」ということは知っておいてほしい、と思う。
スポ少に限らず何等かのスポーツをする団体は、ぜひとも目的や応募条件を明示してほしい。
ルールも知らねえ運動音痴はお断り、としてくれればこんなみじめな思いをすることはなかった。
学校の体育も部活も、エンジョイ勢とガチ勢(とできればゆるーいグループ)に分けて運営してほしい。
教員不足や労働環境に関する問題は別の深刻な問題なのでここでは置いておく。
その競技を思いっきりやりたい人たちにとって、私のような運動音痴は足を引っ張るだけの存在だし、こちらも楽しめるはずがない。
お互いにとって不幸なのだ。
教育のカリキュラムとして身体を動かすことがマストなら、運動音痴には基本的な身体の動かし方だとか、そういうところから教えてほしい。