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2023-11-14

anond:20231114082153

それはそのコミュニティパワーバランスによるんじゃね

運動部子供の頃からやってるとのことで飛びぬけて実力あって恵体だけど物静かな奴が

同じ部の奴からいじめにあっててそれが引退まで続いてたぞ

2023-11-09

可能性は否定出来ないか

旭川いじめ関係者高校運動部やってるかどうかは完全に否定は出来ないな

俺には何も分からん

2023-11-01

大学運動部不祥事は先輩に迷惑がかかるよなあ

大企業で働く先輩がかわいそうだ

不当な差別を受ける可能性がある

2023-10-31

おっさん受けの良い女の後輩

俺は工業系の会社に勤めてるから男ばっかりで、ましてや俺がいるのは研究所なので正社員は9割5部男。

そんな所に配属されたのが後輩。

後輩スペック

性別:女

学歴理系大学院

部活:中高大と体育会運動部

外見:特別可愛い訳でもなく黒髪ショートで化粧薄め

性格礼儀正しいけど明るい

初見おっさんけが良さそうだと思った。

予感は的中であちこち役職さんのおっさんに気に入られてた。

最初イージーモード羨ましいくらいに思ってたけど、最近ではあちこちでおじさんに絡まれてて可哀想になってきた。

俺の会社セクハラすごい厳しいかセクハラはしないけど、後輩が客先提出データ営業に出せば営業上司からどうでも良い質問をされ、後輩が社内メールを流せばどうでも良いつっこみ、過去の経緯を聞きにいけば長い自分語り

俺や同僚が同じことしても黙って承認したり、報告書を渡してくるおっさん達が後輩と話したくてずっとチャンスを狙ってる。

イージーモードで羨ましいとか思ってたけど大変そうすぎる

2023-10-29

男だけど他の男から逃げたい人生だった

現在アラフォーの既婚男性中高一貫男子校に通っていた時代から、男から逃げたくてたまらなかった。

最初被害高校1年で、当時の自分はいわゆる男子校の姫ポジだった。チヤホヤされるとまではいかないけど周りにも可愛がられて満更でもなかった。だけど、体育祭ちょっと目立ったことで1学年上の先輩に目をつけられた。相手運動部の副キャプテンで人気者だったから、最初は仲良くなれて嬉しかった。でもこちらが心を許した途端、人が変わったみたいに攻撃的な一面を見せてきた。いわゆる性加害を彼の卒業まで受け続けた。うっすら気づいてた奴もいたと思うが、誰も助けてくれなかった。むしろホモ野郎と陰口を叩かれ死にたかった。先輩は大学ではすぐに可愛い彼女を作ったそうだし結婚もしたので、彼がゲイだったわけではない。おそらく有り余る性欲をぶつける手軽な相手が欲しかっただけなんだろう。それから俺は男同士の接触に対して極度の嫌悪感を抱くようになり罪なき同性愛者やBL作品にも憎しみが湧くのだが顔や言葉に出さないよう注意しながら分別のある大人をやっている。

大学地元から離れ、女子の多い学部を選んだ。女を見る目がなくヒステリックメンヘラに捕まり交際中に殴られもしたが、こいつは自分に力づくで何かを強要することはできない思うと気が楽でもあった。相手ヤバい女として有名だったので、俺が殴り返すなどしない限り俺の評判は傷つかないと確信できたのも大きいかもしれない。学校の人気者に力と権力ねじ伏せられた経験を経ると、メンヘラに別れ話を切り出した後に死んでやるとメール攻撃を受けても「じゃあ死ね」と思って無視できた。相手はある瞬間に急に俺への関心を失い、死なずに卒業した。卒業まで無視されたが周りの友人には恵まれたのでどうということもなかった。

就職後は友人のひとりとルームシェアした。俺は就職してすぐに関西に飛ばされたのだが、そいつ地元就職しており実家には帰りたくないとのことでちょうど良かったのだ。親友とも呼べるやつだったが暮らしていくうちに横暴になり気に入らないことがあると物に当たるようになった。それがエスカレートして普通に殴られるようになった。とうとう真冬に家を追い出され、知り合いの少ない土地で行くあてもなく本気で死を考えた。恥を偲んで相談した警官にはゲイの痴話喧嘩だと思ったようでかなり適当にあしらわれた。唯一仲の良い同期が近くに住んでいたので頼った。泊めてはくれたが、「お前の同居相手ガリやん、なめんなってワンパン入れたったらええやん」と笑われた。当時の俺は鍛えてきてガタイもよかったが、暴力において重要なのは筋力ではなく相手人間として見ない力だ。幸か不幸か俺にはそれがなかった。ずっと世話になるわけにもいかず、そろそろ彼女を連れ込みたそうだったので3日目くらいにルームシェアしている部屋に戻ったら、友人は心底心配して反省しているように見えた。もうしないと言われたが信じられなかったし早く引っ越したかったが金がなく無理だった。それから数ヶ月ビクビクしながら過ごしボーナスが出たタイミング仕事も飛んで東京に戻った。

今はまともな妻と結婚幸せ暮らしている。だが時々過去暴力フラッシュバックして辛くなる(誰も本気で助けてくれなかった苦しみなのかもしれない)。最近妻の友人が夫からDVを受けて女性シェルターに入ったと聞いた。安心する一方、自分もあの時警察相談してシェルターに入れば良かったのか・・・?と思って調べたが男性用のシェルターそもそも存在しないっぽかった。女性シェルターは当然男性入居不可なので俺の入れるシェルターはない。

2023-10-28

18歳の大企業工場勤務男子に圧倒的な補助金を出せば女子が群がる

成人式までに一人くらいの子供は出来るだろう

イケメン運動部全国レベル経験男子なら爆盛りの補助金

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

anond:20231024130143

この半年くらいで触ったり舐めたりしたおっぱいサイズと年齢は基本的相手自己申告による。

Eカップソープ嬢28歳)

型崩れしていない美乳であった。

乳首舐めはいいが吸うのはNGということで、吸わないようにしていたが無意識というか吸っちゃって怒られた。

ちょっぴり萎えた。

Fカップ(定期素人24歳)

18歳の時から年に数回会う存在

運動部で18歳の時はなんというかパッツパツであった。こんだけでかくて型崩れしてないってすごい。

加齢のせいか程よくふんわりしてきており最高である

難点としては乳首の感度があんまよくないことと、最近ちょっと肌荒れがしんどいこと。

まあまた半年後くらいに会うと思う。

Aカップパパ活女・27歳)

小さいくせにやんわり垂れており、感度も特に良くなく、しかあんま触らせてくれなかったのでつまんなかった。

もう会うことはないだろう。

Bカップチャイエス嬢・20歳

20歳前後以下くらいの女でしか味わえない肌のハリというものがある。

それなりに感度も良く触ったりしてたら下がよく濡れてきたので交渉して本番に持ち込んだ。

しばらくは今の店舗にいるらしいのでまた行こうと思っている。

Dカップソープ嬢・39歳)

たまに入りに行く程度には気に入っている嬢。

とにかく感度がヤバく乳首なめてるだけでマジイキしてしまうのがすごい。

イカせ過ぎて「朝一から疲れた。だから朝一に来るなと前言っただろう」と怒られた。ごめんなさい。

Bカップパパ活女・21歳)

良い感じの手の収まり具合だったのと、AVしか見た事ないようなものすごいキレイピンク乳首だった。

感度もまあまあ。

素の性格が明るい・病んでないというパパ活界隈におけるレア嬢だったため連絡先交換して数回会った。

たぶん年内にまた会う。

2023-10-16

お前らに限らず日本人カルトバカにしているが

中国人韓国人日本人より非常識感情的

日本は、フランスロシアよりも上の国

イスラム教徒テロリスト

天皇良かれ悪しかれ特別存在



こういうことを信じていたら、日帝主義というカルト洗脳されてる証拠からな。

全く他人事じゃない。

要するにすでに

日本人カルト教団の信者

といっても言い過ぎじゃない。

お前らもとっくに洗脳されまくってんだよ。

戦後になってもまだカルト状態を脱してないキチガイ国家に生まれ育ってまともな人間になれるはずないだろ。

あとすげえ細かいところだと

毎日トイレ掃除を欠かさずやったら運が舞い込んでくる」

「道に落ちてるゴミを拾ったら運が舞い込んでくる」

これ信じてるのもめちゃくちゃヤバいからな。

前者なんか未だに強く信じてる運動部出身者たくさんいる。

後者大谷のおかげで信じる人が続出した

anond:20231016104326

元増田です。コメントありがとうございます〜〜!

ごめん、女子校育ちだから共学のクラスカーストがあまりからないんだ…。(女子校では見た目と学力が全てだった)運動部最強なイメージはわかる。

疑問なんだけど平等立ち位置から争いが生まれない、って本当にそうなの?

自分立ち位置が変わったことで争う武器相手が変わっただげな気がするんだが

同じ立ち位置(例えば同じ会社新卒同士)で悪口言ったり過度にいじったりギスったりしてるの全然見るんだけどあれはまだ決着つく前で決着つくと戦わなくなるってこと?

anond:20231016100913

学生時代卒業後で話は全然うから

学生時代は何かと運動部権力最強だったじゃん?県大会にすら出られないレベルのクソ雑魚運動部がイキりまくってて、全国大会入賞するレベル文化部が虐げられる

小学生は足が速い奴が最強ってやつな オリンピックに出られるレベルならまだしも、ほかの人より100mを数秒早く走れたところで、現代社会では何の役にも立たんのに 車使えよ車

それを見た女性からの扱いもひどいものだった まぁその虐げられてたのが俺みたいなオタクだったわけだが、地道にやってると大学に入るあたりで立場が完全に逆転する

中学高校というサル山でイキってたアホはまともな大学に入れず、過酷職業しかつけず、いまどきはまともに金も稼げんからどんどん衰退する

一部のちゃんと成果出してる運動部は別な そういうやつらは普通にいい感じの大学に推薦で入ったりして社会的地位も上がっていくし、ちゃんと成果上げてる連中ほど頭もいいかちゃんとした大学に入れたりする

俺は社会人になってからはめちゃくちゃ楽だよ 社会的地位もどんどんあがっていくしな 仕事自由裁量からこんな時間匿名ダイアリー見てても自由

社会が完全に分断されてるから、昔たくさんいたサルみたいな連中と話す必要が全くなくなったしみんなある程度の理屈が通じる まったく接点がないわけでもないが組織として上下関係があるから昔いたサルとも対等に話す必要がないからな

社会学生時代卒業後で評価対象が180度変わる上に、とにかく卒業後の一発逆転が難しいんよ 組織とか社会的地位ものをいうのが男社会

社会ってなんか対等なところでバカみたいな足の引っ張り合いしてるイメージなんだが、男社会は対等な立ち位置での戦いは生まれにくいし、一回上に行けば序列決まってるから勝負にもならない

俺はそれを楽だと思うが、一回でもコースから足を踏み外したら大変だろうな

2023-10-15

関西大学運動部万博建築や設営などでインターンシップのような単位が出るのか?

50単位くらい稼ぐのか?

2023-10-13

anond:20231013112137

なるほどなー。

恐らくそ運動部でどうにもならんレベルの人がこぼれていきついた先って感じがするわ。

女性Vの何がめんどくさいって、ガツンというとTwitterとかでお気持ちしだして何故かこっちが燃やされるみたいな事が起きるんよ。

部活みたいな感じだったら強く出れるんだろうけど、今の関係だと無理だわ・・・・。

anond:20231013110243

主体運動部経験があったら、そういうのは絶対ぶつかる。

 

女という性を生きてきた奴らには、ハングリー精神だとか、負けん気だとか、それどころかそもそも努力」だとかが欠けている人間一定数以上、多数いる。

かわいければちやほやされて、重いものも持たないでいいような人生を送ってれば、どうしたってそうなるんだと思う。

もしくは環境じゃなくて、生まれついての性格とかもあんのか? それはわからんけど。

 

ちょっときつい目にあったら、悔しいとかじゃなくて、機嫌が悪くなる。

機嫌が悪いのは私じゃなくて周りが悪いので、辞めたくなる。

改善しないととかい反省はない。

 

漫画あさひなぐ」でも、もろにそういう描写出てきて、それそれ~となった。

まず頑張れないやつの頑張れなさをアホほどしごいて破壊するか、あるいはそもそも篩にかけてチームから外すか

そうしないと女子部活勝負に出れない。

 

なんで増田コーチングを誠実にやるなら、それは叱り飛ばすのが正解だ。

コーチングで金を稼ぐ正解じゃ、たぶんないんだろうけどね。

anond:20231013101110

そもそも「等分」なんてありえないんだよな。

男と女の食欲が同じなわけない。

中学高校運動部に入ってる男の子とかだったら特にな。

大皿料理とかでもだいたい「女性適当につまんだら残りはぜんぶ男の子に」みたいな形になる。

そこではむしろ料理を残さないように食べ尽くすことが任務であり美徳でもある。

そういうマインド大人になっても維持してると食い尽くし系になるんじゃないの。

2023-10-09

体力がないか結婚したくない

27歳独身女性

とにもかくにも体力がない。小さい頃から病弱で、運動部は疲れすぎて1ヶ月持たず退部した。

勉強だけは好きだったので大学卒業し、今は一般企業秘書課で正社員をしている。

大体の家庭が共働きをする昨今、同僚や先輩の既婚子持ちの方は毎日とても忙しそうだ。

家事育児、夫の食事の支度、先輩はそれに加えて義両親の介護も担っている。

パワフルな同僚や先輩ですら体力的にキツそうなのに、果たして私に耐えられるのか。これはもう絶対に無理だと思う。

独身自分身の回りのことと仕事をするだけで土日はヘロヘロなのに、それに加えて誰かの世話などしたら過労で倒れるだろう。

2023-10-06

anond:20231006145218

首都圏中高一貫別学にありがちな放し飼い的な校風が大嫌い(地方高校行事運動部や補講や0限授業など束縛シャブ漬けにされた過去がありそれを誇りに思っているため)

これは逆じゃね?

だいたいみんな地方自由校風高校出てるじゃん。

2023-10-03

スパルタでしごけばしごくほどヤバくなる説

強豪校と呼ばれる運動部でとんでもないいじめが発生したり、アイドルがとんでもない不祥事(熱愛発覚とかじゃなくて、不倫してました何股してましたヤクザと付き合ってましたみたいなカバーしきれないやつ)起こすのをみてると、

「厳しい環境でしごかれるほど、どこかでメンタルがぶっ壊れて、ぶり返しが来る」っていうのはマジであると思う


一番幸せ長生きするのって、甘やかすわけでもなくしごくわけでもなく、「普通にバランスよく育てる」なんだと思う

決してとびぬけた1位になったり、カルト的人気を誇るようなカリスマにはなったりしないけど、一番長生きしていいところに落ち着く

2023-10-02

人格壊れるまでするようないじめって

例えばブラック企業ならわかる

そうすることで従順に働かせて搾取できるから

するメリットがある

自衛隊とか軍隊とかでもわかる

時期が来れば躊躇なく人を殺せなきゃいけないし、自分死ぬことも受け入れなきゃいけないような仕事普通の神経で勤まらない

まあ、どれも褒められたことじゃないけどね

でも、運動部とかタレント事務所いじめってよくわからない

個人的嫉妬とか気に入らないとかで起きることはあるだろうけど、それって組織にとっては不都合だよね

それをなんで隠ぺいしようとするんだろう?

みんなでなくせいばいいのに

2023-10-01

[]anond:20231001190816

1979年まれ地方出身

1979年に生まれ東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。

出張で不在が多い父、専業主婦の母、祖父、4歳下の弟、私。

母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。

父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。

母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。

はいつも、自分子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。

中学校時代は、優等生で過ごした。

友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。

周囲を見ても、いじめヤンキー障害がある子へのからかい普通にあった。

部活運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。

高校時代部活顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。

大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。

こんな分野の勉強をしても、就職出来るはずがない。

県内大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。

絶望した気分で過ごし、勉強する気持ちも失った。

結局、県内簡単に入れる大学に進学した。

大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。

就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。

パワハラセクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性喫煙可能環境だった。

新卒3年目のころ、ストレス食事が出来なくなったこともあった。

こっそり精神科に通いながら働いた。

あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。

途中、結婚子供も出来た。

家事育児ほとんど自分がしている。

夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児負担することは、今もない。

専業主婦の家庭で育った夫、義母完璧家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。

1970年代まれの夫、そんな家庭はたくさんあっただろう。

育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。

仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。

それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。

負の連鎖を止めたいけど、何故自分ばかりが。

今日はその気分が強くて吐き出した。

いまの中年世代で、同じような人はいるかなと思って。

1979年まれ地方出身

1979年に生まれ東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。

出張で不在が多い父、専業主婦の母、祖父、4歳下の弟、私。

母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。

父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。

母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。

はいつも、自分子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。

中学校時代は、優等生で過ごした。

友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。

周囲を見ても、いじめヤンキー障害がある子へのからかい普通にあった。

部活運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。

高校時代部活顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。

大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。

こんな分野の勉強をしても、就職出来るはずがない。

県内大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。

絶望した気分で過ごし、勉強する気持ちも失った。

結局、県内簡単に入れる大学に進学した。

大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。

就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。

パワハラセクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性喫煙可能環境だった。

新卒3年目のころ、ストレス食事が出来なくなったこともあった。

こっそり精神科に通いながら働いた。

あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。

途中、結婚子供も出来た。

家事育児ほとんど自分がしている。

夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児負担することは、今もない。

専業主婦の家庭で育った夫、義母完璧家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。

1970年代まれの夫、そんな家庭はたくさんあっただろう。

育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。

仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。

それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。

負の連鎖を止めたいけど、何故自分ばかりが。

今日はその気分が強くて吐き出した。

いまの中年世代で、同じような人はいるかなと思って。

2023-09-29

いじめっ子「人との距離感は場数がカギ、失敗しても立ち上がればいい」

その経験値いじめっ子君は運動部キャプテンになりそして人を喜ばせることが得意な営業部エースとなりました

ラグビー話題がまったくないけどやっぱりみんなヒョロガリでずっといじめられてたか運動部のことは大嫌いなの?

2023-09-28

anond:20230928092043

やっぱ中高で運動部じゃない人って、身体の使い方が下手になっちゃうのかなっていう偏見がムクムク

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