はてなキーワード: 薄っぺらとは
「おじいちゃんがいつ死んでもおかしくない状態。死ぬ前に一目会わせたい。三日後来てくれ」
だそうだ。
恋人とは2年半くらい付き合っており、そこそこ親密な自信はある。恋人のご両親とも何度も顔を合わせていて、よくしてもらっている。
しかし、そのおじいさんには会ったことがない。寿命が残り僅かとは聞いていたが、これほどまでに早いとは思わなかった。
さて、自分は三日後、どんな顔をしてなんと声をかけてやればいいのだろうか。
そもそも、顔を合わせてしまっていいのだろうか。これは、恋人だけでなくご両親の希望でもあるそうだ。
でも、そのおじいさん本人は?おばあさんは?それに、恋人家族以外の親類は?どう思うだろう。
自分をおじいさんに会わせる、というのは恋人家族の自己満足で、それ以外の人はそんなこと望んでいないのかもしれない。
仮に彼らに受け入れられたとして、自分は何と言えばいい?「初めまして。貴方のお孫さんと付き合っている者です。どうぞよろしく。」?
以後よろしくと言ったっておじいさんに以後はない。
かえって、こういうヤツがわざとらしく会いに来るということは、自分の死期を実感させてしまうのかもしれない。
自分の気持ちもよくわからない。何故、会いに行くのか。恋人との良好な関係を保つため?おじいさんを安心させて逝かせてやるという使命感?死に直面した者と、その家族の気持ちに出来る限り寄り添おうという倫理観?
逃げ出したい。人の死という重たい事実は、身内で受け止めるのが通常なのではないか。部外者の自分が受け止めようもない。
自分ができることは、寄り添ってやるだけだ。当事者にはなれない。
昔アイカツのアニメをたまたま見た時、非常に気味の悪い空気を感じた。
上辺だけの会話、中身の無い展開、薄っぺらいお涙頂戴
なによりキャラの目が濁ってるのだ
表面上だけ綺麗に描いている(つもり)で、全員の目が腐ってた。
誰一人として「生きた」キャラが存在していない、それがアイカツの率直な印象だった。
余りにも薄気味悪く、すぐにチャンネルを変えてしまった。こんなもの観続けていたら心まで腐るからだ。
こんなものを見せられる(主な視聴者であるだろう)子供たちが真剣に可哀想だなと思った。
だがアイカツは「いい歳した大人(キモオタ)」がハマっているらしいと聞き、世も末とはこの事だなと幻滅した。
その後、たつきがけものフレンズの監督を暴挙的に解任させられ、その後釜を奪い去ったのが木村隆一とかいう知らん監督
なるほど、これが「監督の力量の差」か。「監督なんて誰でもいい」なんて関係者コメントが全てを現してた。 pic.twitter.com/TQJAYAOS4A— おんぴか (@onpika) 2019年2月3日
全てが繋がった気がした
けものフレンズ2と自称しているあの薄汚いクソアニメ、あのクソ気持ち悪さはアイカツの気持ち悪さだったのか。
思えばアイカツもキャラクターの目線が全然合ってなかった。全員がどこかの虚空に向けて会話をするという、コミュニケーション不全の世界だったな。
恐らくは戦犯・木村隆一自身が人の目を見て話さない人間なのだろうと推測する。
たつき監督のけものフレンズ(本物)はそんな事はあり得なかった。
サーバルも、かばんも、「人と話す時はちゃんと目を見る」というアニメに限らず実世界においても当たり前の事を当たり前にこなしていた。
だから「フレンズ」という響きが意味を持つ世界になっていたのだ。
人の目を見ないで会話する世界のどこに「フレンズ」の要素があるのか?
それにしても、そんな無能者が作ったアイカツ程度で満足してしまう人間は哀れだ。
きっと本当に「良質なもの」がわからないから、あんな不気味なアニメでハマれてしまうんだろうな。
本当に「出来の良いもの」、本当に「心が入っているもの」を知らないで生きてきたのだろう。
だからアイカツが「良質なもの」だと勘違いを起こしてしまうのだ。
ここで提案なんだが、アイカツをたつき監督で一から作り直してもらうのはどうだろうか?
たつきが監督し直すことでアイカツは本当の意味での「良質」な作品に生まれ変わり、今まで「アイカツ」と名乗っていたものがいかに酷いものであったか、そこで初めて理解できるだろう。
そして戦犯・木村隆一がいかに監督としての才能が欠如しているか、誰にだって分かるはずだ。
たつき監督ならアイカツ程度簡単に作れてしまうし、手間もかからないだろう。
少なくとも凡百のアニメ監督よりたつきのほうがあらゆる面で優れているのは明白だからだ。
たつきならば真の意味でのコミュニケーションを大切さを描写できるし、あの腐った空気も浄化してくれるだろう(というか、今やってるアニメの大半はたつきが作り直せばもっと良くなる)
そうする事で戦犯・木村隆一も己の力量の無さを自覚して、自分が「アイカツ」などというコミュ障腐敗アニメを作って視聴者の心を蝕んだあげく「けものフレンズ2」と勝手に名乗った産業廃棄物を放り出して数多くの人間を傷つけた事の罪深さを理解できるだろう。
それでもまだ理解できなければ
さっさと死んだほうがいいよ。
今週ものすごく涙もろい。どうしたんだろう。
一昨日くらいに先輩に注意されて泣いてしまったし
もう嫌だ研究なんてやりたくない
卒研で言えることがない
どうして私は無能なんだろう
もっと私が賢ければよかった。
このテーマやるのが私じゃなくてもっと賢くて仕事のできる先輩とかだったらもっと有意義に進んだんだろうなぁ
私多分先生に期待されていないから。つらいなぁ。まあ分かっていたことじゃないか。
卒研で言えることがないのが多分一番嫌なこと。
スライド書いてみたけど5枚くらいしか書けなかった。内容も薄っぺらいし。この半年なにやってたんだろう。全然実験進んでないじゃないか。もっと考えてやってもっと研究をすすめろよこのノータリン!このノータリン!
多分おなかがすいたから悲しいんだな。でも所持金が100円しか無いから何も買えない。
帰ったら何か食べ物あるかな。いつもは太るから夜はあまり食べないけど今日は気にせず食べてやるぞ。アイスクリームも食べるぞ。米もおかわりしてやる。
転職活動でストレスが溜まっているので備忘録、愚痴吐きとして。
* 言うまでもなくクソなので行く価値なし。
* 見分け方はみんな知ってるだろうし割愛する。まあ勤務地は東京23区内とか書いてあったら香ばしいですよね?鼻腔に入ってこないで欲しいよな。
* 「多彩な案件を経験」したければ派遣免許取ってちゃんとやってる会社に行きます。違法スレスレの人材屋を選ぶメリットあるか?
* こういうクソを紹介してくる無能な転職エージェントは生まれてきたことを後悔するほど苦しんでから死んで欲しいものである。SESには興味ないって言っただろうクソが。
* ただ連中は節操なく人を採りまくるので、万が一の滑り止めとして一応受けておく選択肢はある。もちろんその際は次の次の転職先を探す必要があるので本当に最終手段である。
* 判断に迷うのは受託や自社開発とSES両方やってるパターン。SESという後ろ暗い商売で儲けていることに罪悪感を感じていて、真っ当な道に進みたいと思っているのかもしれない。人売り人材屋にしては比較的良心的な可能性はある。少なくとも首までどっぷり商流に漬かってるクズよりはマシである可能性が微粒子レベルで存在している。黒いSESか灰色のSESかを面接などで見極めるのも場合によってはアリ。
* でもやっぱ関わりたくないよな。SES企業の営業は前世でどんな罪を犯したんだろう。あんな仕事をして生き恥を晒しってるってことはよっぽどの大罪だと思うんだけど。
* これマジ?2019年にもなってそんなWebサイトで大丈夫?客来るの?という企業はたまにいる。社長の頭にウジでも湧いてんのかな。
* 感性が10年くらい前で止まってる。まだ人生半ばなのにもう死体みたいな顔してるジジイしかいないか、自分のところのWebサイトすらメンテできないほど余裕がないか、それか経営陣が自社サイトの重要性を理解していないアホなのか。なんにせよ地雷。
* 「今風にしようとしてるけどダサい」というパターンもある。Web系の企業じゃなければまあ仕方ない面もあるが、もしWeb系の企業ならデザインセンスがないというのはわりと痛い。デザインセンス無いくせにWebデザインの受託とかやってるならもう本物のアホだ。人に売る前にまず自前のクソみたいなWebサイトをどうにかしろ。私たちは楽天市場をデザインした間抜け野郎の親戚です、なんてアピールしてどうすんだよ客来ねえぞ。
* そもそも企業のイメージや信頼に直結するWebサイトがちゃんとしてない時点で色々アレな企業なのでは、という疑念が湧く。
* また、ちゃんと今風で問題のないデザインだけどダサいと感じる場合もある。これはこれでその企業の文化とあなたの感性が合わない可能性が高い。どっちにしても避けたほうが良い。
* 一度しか見たことないけど、その昔モバイルで表示が崩れるWeb制作会社がおったのじゃ…。
* デザインの方は「感性が合わないだけ」という逃げ道があったがはっきり言ってこっちは救いがない。技術屋が技術力のなさを晒したらもうおしまいでしょう。
* バカを見てると頭が痛くなるんだよ勘弁してくれ。
* みなし残業自体の是非は判断が分かれるところだが、とりあえずここでは少なければOKとしたい。そうしないと選択肢が大きく減ることになるからだ。
* といってもみなし残業なんてやってないに越したことはない。こんなのは給与を額面だけ高く見せつつ人件費を抑えたいセコいやつらのやることだ。その企業が儲かっていないか、あるいは社員から1円でも搾り取ろうとしている証拠である。
* 個人的には20時間とか30時間ならまあ仕方なし、40時間を越えると黄色信号、と判断している。この辺の基準は人によって変わるだろう。
* 過去に「60時間分の固定残業費を含む」とか書いてる間抜け野郎がいた。新卒の初任給22万は残業代を引くとほぼ最低賃金である。スタバでバイトでもしていたほうが時間あたりの給与は上なのだ。アホか、と思い僕はそっとタブを閉じた。
* こういうクソの山を紹介してくる転職エージェントはぜひ生まれてきたことを後悔するほど苦しんでから死んで欲しいものである。
* 起業なんて所詮は金儲けの手段。やってることはただの技術屋。だとしても、なんやかんやで思想というのは重要だ。企業は生き物なのだから。
* 果たして思想もセンスも持ち合わせていない経営者に人が付いていくだろうか?教養のない実務家が求心力を持ち得るか?答えはノーだ。
* この辺は人によって考え方は変わるかもしれない。少なくとも筆者は避けます。人はパンのみで生きるにあらず、というあの古い言葉を信じているからです。
* 意識高く見せようとしているけど薄っぺらさを隠せてない企業は多い。学のない経営者ってのは悲惨なもんですね。労働法も経営者は守ってくれないしな。
* こういう間抜け野郎に騙されないためにも人には教養というやつが必要なのだ。
* Webサイトに代表挨拶とかありますよね、そこに経営者の顔写真が載ってるやつ、よくありますよね。そいつの顔をよく見てみましょう。うわぁこいつキモいなとか、うわぁこいつ悪そうだなとか思ったらやめといた方が良い。人を顔で判断してはならない、なんてのは綺麗事である。
* 人柄は顔に出るんだ。だからおまえに備わった直感という名の経験知を信じろ。
* 魅力のない人間には魅力のない人間しか集まって来ない。だから経営者に魅力のない企業は社員にも魅力がない可能性が高い。高いエロティック・キャピタルを持った人間は相応の場所に行くものである。
* ああいう経営者ってアホづら晒して恥ずかしくないのかな。自分だったらもう街歩けなくなると思うんだけど。まあ経営者って人種は恥知らずだからな。
* もちろんこれは顔が良いか悪いかというような話ではない。顔に滲み出る人柄の話である。
* 体は食べたもので出来ている。しかし顔を形作るのはその人間の魂の総体なのだ。
* 顧客が第一ということはつまりそう、分かりますよね。従業員は二の次なのです。
* まあ、ありがちな売り文句ではあるのでこの文言があったら即黒、というほどのもんではないと思う。見極めよう。
* ただ、こんなことを書いてしまう企業にセンスがないことに変わりはない。この言葉が優秀な求職者を遠ざけるマジックワードであることに気付いていないのだから。まあ採用担当が間抜け野郎なだけかもしれないし多少はね?
* 顧客第一と言うのなら、では貴社にとって株主は何番目なんですか?などという質問をして採用担当を困らせるのはやめよう。
* でも気になるよな。こういうこと言ってる企業にとって株主って何番目なんだろう。株主を差し置いて顧客第一とはけしからん!とか怒られたりしないのかな。
* 正直これ重要だと思うんだけどなんでこんな下の方に来たんだ。
* 上で書いた兆候からある程度探れるもんだとは思う。Webサイトのデザインがあからさまに古かったりしたら使ってる技術も古い可能性が高いよな。URLが「〜〜〜top.php」だったりしたらヤバそうだよな。
* その企業が自社でWebサービス展開してるなら一度は見ておこう。デザインやUI、URLパラーメタなどから読み取れる情報は多い。
* まあどの程度これが問題になるかは人によるか。個人的にはこういうのは大嫌いです。
* 人売りSESじゃなかったとしてSIerと関わってるならやめた方がいい。SIerなんてろくなもんじゃない。奴らと仕事をするくらいならいま話題のマナー講師にでもなった方がまだマシだね。
* まあ本当に大手企業と直で取引してるなら良いと思う。見極めるべきか。取引先以外にアピールポイントがない感じだとアレだけど。
* エンジニアにとっては取引先なんかよりも、自社内にどんな開発環境があるか、どんな仕事ができるか、技術力を磨けるか、ってところの方が重要じゃないですかね?人によるかな?どうなんだろう。
* 即アウト、というほどのもんではないけど、まあセンスないよね
* アイコンはともかく、画像があからさまにフリー素材ってのは期待値を下げる要因になりはしても上げる要因にはなり得ない。
* でかでかと貼られたぱくたその写真素材は、「弊社は自前で素材を用意することもできなければ有料の素材を買う金銭的余裕もございません」と高らかに宣言している。
* ぱくたそ自体は良いサービスです。こんなクソ記事で名前出しちゃってゴメンな。
* なんの罪もない労働者に生き恥を晒させるクズだと思うんだけど、どうなんでしょうね。人によるのかな?
* そこそこのブランドがある企業ならともかく、無名の零細企業に自分の顔写真が晒されるとかCIAが開発した新手の拷問手法か何かか?
* この新しい拷問は、クソみたいなサイトデザインと合わさることでより強い効力を発揮することが知られている。
* 明確な地雷の兆候が見えない会社なのにこう感じるのだとしたら、それは「合わない」ということだ
* こういう嗅覚は案外バカにならない。あなたは識閾下で何かしら良からぬものがあると感じているのに、ただそれを言語化できていないのだ。
* 仮にこれが勘違いだとしても働きたいと思えない会社に面接行くのしんどいしね。
以上。
あーすっきりした。
ここおかしいだろとか、なんでこれがないの?とかあったら突っ込んでください。今後の転職活動の参考にします。後半雑になったのは自覚してる。
はてなーの皆さまこんにちは。今日も元気にウンコ漏らしてますか?初めて投稿します。
物心ついたころからずーっと気になっていたことがありまして。それはズバリ、「みんな作家の文体をどれくらい識別できてるんだろう?」という問題です。
気になった方は、まずは以下の問題に挑戦してみてください。
★以下の①~④と(ア)~(エ)の文章は、それぞれ同じ作家の書いた別の小説作品から、一部抜粋したものです。①と(イ)、②と(ア)...のように、同じ作者の作品どうしを組み合わせてください。
① そして彼が知ったのは、彼等の大部分が、原発というものの実態を把握していないらしいということだった。どこにどれだけの原発があるかも知らず、それが止まるということはどういうことかイメージできないようすだった。原発が止まっても大して困らないんじゃないかという意見もあれば、ろうそくを買うべきだろうかと異常に心配している声もあった。
② この人は母とは本当にお似合いだ。言葉に表現した瞬間、それが的を射ていても、本当のことを言っていても、なぜか必ず嘘っぽく聞こえ、薄っぺらい印象になる。この人のこの言葉と僕の事実とに挟まれて、僕のあの放火未遂っぽい事件は行き場を失ってしまったようだった。
③ 船長主催の晩餐会は、さんざんなていたらくであった。夕刻から、この時期には珍しい西風が吹き始め、それは次第に客船を上下に揺らした。乗客の中でもとりわけ過敏な者は、晩餐会のための服に着替える前に、すでに船酔いにかかって、各自のベッドに臥してしまった。
④ 札幌の街には今年最初の雪が降り始めていた。雨が雪に変わり、雪がまた雨に変わる。札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというと、それは評判の悪い親戚みたいに見える。
(ア): 夢の中の俺はまだ子供で野球のバットか何かを捜しに来たのだ。暗闇の中で金属バットが触れ合ってカランコロンと甲高い音を響かせる。俺は広いフロアを見渡す。たくさんの影はしんと静まり返って何も動かない。
(イ): バーは、二階に著名なフランス料理店があるビルの三階にあった。長い一枚板のぶあついカウンターと、四人掛けのテーブルが二つあるだけだったが、いかにも酒を飲むところといった風情で、助成の従業員はいなかった。
(ウ): 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。
(エ): 十九年前にさらわれた赤ん坊がどこにいるかを、早く彼女に教えてやらねばばらない。白血病で苦しむ息子が助かる道があることを示してやらねばならない。言葉を発しようと息を吸い込んだ時、小さな疑問が彼の胸に宿った。それは瞬く間に大きくなり、やがては衝撃となって彼の心を揺さぶった。
・答えは↓
【答え】
①- (エ) 東野圭吾
②-(ア) 舞城王太郎
③-(イ) 宮本輝
④-(ウ) 村上春樹
①: 東野圭吾「天空の蜂」(講談社、2015年、p124、ハードカバー版)
②: 舞城王太郎「イキルキス」収録「パッキャラ魔道」(講談社、2010年、p193、ハードカバー版)
③: 宮本輝「海辺の扉(上)」(角川書店、1991年、p151、ハードカバー版)
④: 村上春樹「カンガルー日和」収録「彼女の町と、彼女の緬羊」(平凡社、1983年、p50、ハードカバー版)
(ア): 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社、2004年、p117、文庫版)
(イ): 宮本輝「海岸列車(上)」(毎日新聞社、1989年、p162、ハードカバー版)
(ウ): 村上春樹「風の歌を聴け」(講談社文庫、1975年、p77、文庫版)
(エ): 東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、2010年、p204、ハードカバー版)
いかがでしたでしょうか?
なぜこんな問題を作ったのかといいますと、自分はけっこう文体に敏感な方なのではないかと、密かに感じてきたからです。
同じドラッカーの作品でも、上田惇夫訳の「マネジメント」はすごく好きなのに、上賀裕子訳だとなぜか全然頭に入らなかったりします。趣味で読む本は、好きな著者のおすすめで買ってみたものの、文体が気に入らなくて読み進められないことも多いです。(村上春樹はすごい好きなのに、おすすめのサリンジャー「ナインストーリーズ」は受けつけない、など。翻訳版をよく読む方にはあるあるなのでは)
それぞれの作者ごとに、「この人は勢いがあって脳が活性化する感じ」とか「クールな感じで読んでいても全然感情を感じない」とか「頭の中に繊細で暖かいイメージがふわっと浮かぶ」とか、料理でいう味みたいなものがあります。
小説じゃなくても、エッセイでもビジネス書でも、どんなジャンルにも作者ごとの「味」がある。そして、これはその人の持つ「文体」が決めている部分が大きいと思っています。(本の装丁も全体の1~2割くらいは関係してる気がします。料理を載せる皿によってちょっと味の感じ方が変わる感じ?)
でもこの「味」って、大まかにはみんな感じるところがあるはずだけど、誰もが全く同じように感じていることはあり得ない。みんなで同じ料理を食べていて、「おいしい」「苦い」「熱い」などの大まかな感じも方向性は決まっていても、それをどこまで感じているかは人による。(同じ「辛い」カレーを食べても、人によってピリッとする辛さなのか、喘ぐくらいの辛さなのか、という辛さのニュアンスは異なるはず)
これって料理の味ならみんな共感できると思うんですけど、文章の「味」についてはほとんど議論されない。これって実際はどうなのか、という実験でした。
今回挙げた作家について、個人的に感じる「味」はこんな感じ。(あくまで個人の感想です。前者二人の文体は大好き、後者二人はうーむ。ストーリーはそれぞれ面白いと思います。)
・村上春樹: なんの抵抗もなくすっと頭に入って、胸にふわっと煙みたいに広がって染み渡る。イメージが幻想的ながら、ありありと脳裏に浮かぶ。もう村上春樹っぽいとしか言えない。
・舞城王太郎: 「文圧」のすごさ。リズムと勢いで、パンパン読ませる。胸が暖まって脳が活性化する感じ。文体で読ませる作家。天才。
・東野圭吾: 必要最低限の情報量。情報は伝わるが、感情はあまり伝わってこない。マックのハンバーガーみたいな感じ。
・宮本輝: いいところのお坊っちゃん。淀みなく流れる川のように流麗。美しい文章だが、あといま一歩感情が胸に迫ってこない。脳の活性化がいまいち。
最後までお付き合いいただいたはてなーの皆さん、ありがとうございます!皆さんのやってみた結果は、コメントで教えていただけるとありがたいです。あと余裕のある方、同じような問題作って自分にもやらせて...!!
ほんとにちゃんとした大学行ったのか謎だ。オタクは教養をバカにした方が頭いいみたいなスタンスだけど、こういう意見って世間ではどう思われるんだろう。一種の中二病にも見える。バカが自分より優秀な人間をけなして俺すごいしてるようにしか見えないのだけど。日本では院卒の高学歴が不遇だといつも問題になる。オタクの教養叩きもそういう世間の風潮に一役買っているという自覚はあるのかしら。
きみたちの大好きなアニメや漫画やラノベだって比較的教養のある側の人によって作られているんだよ。消費するだけのオタクは教養がなくてもいいかもしれないけど、きみたちが漫然と大量に消費してるコンテンツも作り手の教養によってうまく成り立っているの。教養のない人間がものを作ると『ポプテピピック』のようになるわけ。
比較的高学歴が集うという設定になっているはてなですら高等教育の失敗を感じるって悲しいことだ。
こういうことは教養のない人間に言ったところで意味がないのかもしれない。ただ、上位3%程度の人たちには届いてほしいなとは思う。オタクたちの声に惑わされないで勉学に励んでほしい。何事にも好奇心を持ち、情報を鵜呑みにはせず批判的な視点を持ち、多様な知識や物の考え方に触れてほしい。そしてじっくり自分で考える習慣を持ってほしい。薄っぺらな知識の寄せ集めで自分が全能であるかのような錯覚に陥り、高慢に世の中を冷笑してみせることは教養を持つ人間のすることではないのだから。
昔から私は、マイナージャンルばかり好きになる。いや、マイオナとかじゃないんだ。好きになったジャンルがたまたまマイナーなだけなんだ……。
今の推しもマイナージャンル……いや、メジャーなゲームの中のマイナーなキャラクターといえばいいだろうか。
しかし、言うほどマイナーではない。ガチでマイナーなキャラクターのファンにそのキャラクターの名前を告げたらきっと鼻で笑われる程度には、公式の出番は多いし、2次創作もたくさんある。そのキャラクターのファンとして、私はまあまあ快適に過ごしている。
さて、問題はそれらたくさんの2次創作がいつ描かれたかだ。大体2〜3年前なのだ。その人のそのキャラクターをもっと見たくても、ほとんどの人がもっと(彼らにとって)魅力的なキャラクターにジャンル替えしている。
今でも私の推しを好きだと言っている人はたくさんいるけれど、私にとって一番の推しは、彼らにとっては一番ではない。
そして、こういう微妙な状況を引き起こしている原因は、公式からの供給が少ないことだ。最後のまともな(賛否両論だけど私はまともな出番とカウントしたい)出番は1年弱前にあったけど、それ以降はハブられっぱなしだ。気持ち悪いぐらい、他のキャラクターばかり話題に挙げられる。まるで、その章に私の推しの出番などなかったかのように扱われている。そんな状況に、もう疲れてしまった。今は、このジャンルから少し距離を置いている。
公式が掘り下げてくれないと、魅力は伝わらない。出番が多くて人となりがはっきりしているキャラクターになびいて当然だ。
公式の描き下ろしイラストならたくさんある。たしかに、描き下ろしイラストで推しの色々な姿を見られるのはすっごく嬉しい。
でもな、出番がないからさ、彼の人となりについて、薄っぺらい情報しか得られないんだ。おかげで、私の推しを同じく一番の推しだと言っている人の2次創作でも、解釈違いを感じてしまっている。
基本的にあまり人に興味がないので、いざ話そう、となったときに相手に質問などない。出来ない。
話しかけられたら一応は相手に興味があるふりをして、精一杯作り笑顔して、頑張る。
思ってもないことを言葉にして話す。
本当に思ってることを言うと相手が傷つくので、言わない。
そういうことを言ってしまうと、私もあとから傷つく。言わなきゃよかったと思う。
なので、適当な嘘を並べる。辛い。
そんな嘘は本心ではない。興味がない。
へーそうなんだ、すごいね・・・。それ以上の言葉が出てこない。
相手に興味がないので質問を考えることも辛く、だんだん会話がなくなり、お互い辛い空間になる。
嘘をついても、嘘をつかなくても辛い。
そうすると、しんどい。
人がどんどん嫌いになる。
そういう話を少しすると、人に興味を持とうよ!とか言われる。まず相手のことを知ろう!とか。
眼鏡をかけた誰かが、釣りしになんとか島まで言ったんだ。という話をしていた。
釣りがどういうものかよく知らないが、ここからどう話を広げたらいいのか全く分からない。
眼鏡自身にも、海にも、釣りにも、魚にも、島にも、アウトドアにも興味がない。興味が持てない。
一刻も早く帰りたい。
興味がまるでないのはきっと相手に伝わってるだろう。
自分のことを話すように言われるが、自分のことを話すのは嫌いだ。
これが好きだ。そう言って馬鹿にされたことがある人間は、人に自分の「好き」を話さなくなる。
自分の好きは、自分の中でだけ大切にしていたい。誰にも侵されたくはない。
休日何してるの?
何もしてないよ。
こう答えることになる。
世間に合わせても、合わせなくても辛い。
コミュ力がないのは甘えだ、と誰かが言っていた。
そうだなぁと思う。
甘えて何が悪いんだろうとも思う。
その先に楽しさが垣間も見えない。
昨日、そういう夢を見た。
自分にあっていない形にぎゅうぎゅう押し込められる夢。
ZOZOタウンの社長が実施したツイッター上でのイベントがきっかけで大変盛り上がっている
あのツイートをリツイートしなかったことを誇り、リツイートした人を見下すマウントツイートの多いこと多いこと
彼らはあれが宣伝だと気付いているのかな?
まさか前園氏の前後のツイートも見ずに叩いている情弱ではないよな?
金配布という字面につられただけではないよな?
そっちの方がよっぽど「金のことしか頭にない奴」だぞ?
前園氏はあのイベントの終了直後、ZOZOタウンの割引クーポンのリンクをツイートしていた
非常に手軽だ
このクーポンの宣伝方法がもしテレビCMや新聞、街中の広告だったら?
客は検索という手間を越えなければならない
この手間が無いというだけで、宣伝としての効果はとんでもなく上がる
更に、前園氏はこのクーポンツイートの前に、当選者へのDM送信状況をツイートしている
「まだ終了の報告が無いから自分にも来るかもしれない」という期待で
そこに宣伝を打てば、目に触れる数は何十倍、何百倍にも膨れ上がる
そもそも宣伝というのは基本的に「数撃ちゃ当たる」ものだ(もちろん層を絞って狙い撃つ戦略の上で)
100人の目に触れて1人が買ってくれれば御の字
そんなことは分かった上で批判している人
立派な大和魂だ、カッコいいな
彼らはSNS金配りをリツイートした人達を乞食と見下して満足感を得ている
彼らにとってリツイートした人達は農民か、それ以下の存在、自分はそれらよりも上だと思い込んでいるのだろう(乱立している信憑性ゼロのSNS金配りに飛びつく人達は、そう思われても仕方ないが)
殿にはなれないんだ
殿のために、例え貧しくても耐えてその命を捧げるのだ
汗水流して必死に稼いだお金だけが綺麗で正しいと思っている、現代の武士たち
さて、自分より下だと思う存在を見て自分を慰めている悲しさに気付いているだろうか
どうせ励みにするために見るなら、下より上の方が良いと私は思うな
「自分より安い給料で長時間働いている人もいるんだから、自分はまだマシだ、頑張ろう」
と
「自分より高い給料で労働時間が短い人がいるんだ、もっと上手くやれるかもしれない」
なら、どっちが良いかな?
まあ、これも人それぞれの環境や立場や価値観によって変わるのだろう
ところで、どうも違和感があるなと思ったら、ZOZOタウンの社長は「前園氏」ではなく「前澤氏」だった
前澤さん、大変失礼いたしました
しかし、この程度の薄っぺらい記憶しか残せない低脳な私ですら、ZOZOタウンの名前をハッキリと覚え、500円クーポンの存在を知った
この投稿は誰かの目にとまるだろうか?
と揚げ足を取られるだろうか?
その人はこの程度の文量すら読めない忍耐力の持ち主かな?
ただ私の文章が下手なだけかな?
簡潔に、分かりやすく伝えることに、広報に携わる人達は時間と労力を割いている
とりあえず、私は10万でも100万でも良いから、苦労せずお金を入手したい
泡銭として使うための泡銭が欲しい
だから私は前澤氏の宣伝に群がった人を馬鹿にするつもりはないし、なんなら自分も参加者だし、参加したことを見ず知らずの誰かに馬鹿にされていたとしても後悔しない
さて、今回の件で金のことしか頭にないのは誰だろう?
全員か?