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はてなキーワード: 純文学とは

2023-06-29

同人小説ブックマークが3だった

24歳、(医療系)学生です。

女子歴18年、そのうち腐っていたのは3年弱。

初恋はBASARAの元親で、自由生き方を貫く彼とムキムキの筋肉と声が大好きだった。

彼氏と付き合って5年、どっぷり沼にハマったジャンル特になく、ゆるキャン△に憧れて一緒にキャンプをしたり、コーヒーが好きすぎて一式そろえたり…

pixivを定期的にあさりつつ適度なハッピー女子ライフを送っていた。

ただ、前のジャンルで3年くらい沼ってたもののおかげで、純文学をこれでもかと読んでいた。

もともと本を読むことが苦ではなく、小学校図書館漫画偉人伝だったり、西遊記だったり、祖母の家からパチッてきた小公女父親書斎から掠め取った司馬遼太郎坂本龍馬とか、読めそうなものはなんでも読んだ。

本に明確に感動を覚えたのは小3に読書感想文のために「アルジャーノンに花束を」を読んだ時である。そのあとはもう本屋図書館に入り浸り、上橋菜穂子獣の奏者守り人シリーズも、有川浩作品全部、高田大介の図書館魔女など有名どころのファンタジーは読みつくし中学を終えた。

高校に入るととあるゲームのおかげで、日本の近現代文学史における文豪たちの本にハマる。これが3年くらい沼ってた前ジャンルなのだが、なんだか運営側不祥事が沢山あってフェードアウトしてしまった。しかし本好きは衰えず、坂口安吾桜の森の満開の下の不気味で美しい表現と、小林多喜二の雪の夜の思想抜きの彼の生き様などを毎日触れていた。

話を二次創作に戻すと、そんなに本を読んでいたら自分も書き始めないわけなく、pixivに初めて投稿したのは2万字程度の二次創作であった。

普通以下の、下手くそが書いた、今見ると恥ずかしくてたまらないものであったが、三桁数のブックマークに喜んだ。

結局界隈を去ってしまったのと、当時の作品たちがあまりに下手くそすぎて続きを書く気が失せたのでWordデータファイルごと消してしまい、創作活動から離れていた。そのあとも時間があれば本を読んでいた。

最近卒論やら国家試験勉強やらのストレスから超クソデカジャンルキャラにハマった。そのキャラは人気がそれほど高いというわけではないが、なんせ母数が段違いすぎて沢山の素敵な作品に溢れていた。

現実逃避のために私もサクサクとしたクリスピー食感をもって1章を2万字程度を書き上げた。

どれくらいの方が最後まで読んだのかはわからないが、ブックマーク数は脅威の3であった。

確実に最初に書き上げた時に比べ文章は上達し、表現も緻密である。ではこのブックマーク数の差はなんだ??

誰かから評価が欲しいとか、承認欲求を満たしたいとか、決してそういったもののために二次創作をしているわけではないが(2%くらいある)、ちょっと悲しい気持ちになった…

比べてみると答えは簡単だった。

私が初めて投稿したのは一人称。常に主人公内面が書かれており、主人公が見えていないことは書くことができない。

対して私が今回書いた文章三人称複数キャラクターの視点に切り替わることができる。

個人的な考えであるが、二次創作一人称作品が多いと思う。つまり市場需要と嚙み合ってなかったのである

作品名+(プラス)というタグは夢主の一人称視点、つまり「私」の視点物語が進んで行き、「私」の見たこと・感じたことが書(描)かれている。その方が感情移入やすく、一体感臨場感が楽しめるのだろう。

三人称場合、いろいろな場面の出来事を書けてしまうため、キャラとの距離が遠い。実際、今回私が書いた三人称文章は2万字の字数の中で30分程度しか作品の中の時間が経過していない。多分めちゃくちゃ間延びしているし余計な描写たっぷりだ。

表現の上手い下手はあると思うが、どの人称だから優れている・劣っているというのは決してない。要はネタに合った人称を選べばいい。一人称が~三人称が~言っている暇があったら書(描)け!!!!お前がジャンルやカプを盛り上げるんだよ!!!!!!(自戒)

98%の自己満足趣味、それと2%の承認欲求で作りたいものを作ってハッピーオタクライフ!!!!!!!!

2023-06-16

anond:20230616080107

まれ人間たちの建前だけで構成されている世のメディア一般が目の毒でしかないんだ。

純文学増田くらいしか心の傷つかないメディアがない

2023-06-05

増田アンチマン読んだ?

https://note.com/japotify/n/n3c5fce254553

空想現実弁別同意する

しつこいジョボジョボの重なりには、いかにもわびしい物を感じるね

 

最後の泪がやはり謎というか、わからんのだけれど

ようやくケアされる側になったなという感じも受ける

やっぱり最初のページにもどってあわせて見るとさ、もどってきた女は母親でさ、

テーマ分類としては「母恋物」(失せた母性が恋しい)におちつく気がする

 

母を失ってから尻、髪の毛などというところに母性を見ていて、それと性欲(おとろえかけた)がないまぜになってる感じ

今の日本社会はどんなに「母親がいないと人生が失われる」かという表現ではないか

まあ実際失われたよっていう話は増田でもよくきくし現実味のあるテーマ

「お父さんは殴ることで家庭をダメにした」と信仰している主人公は決して殴るなどという暴力には訴えないけど

暴力暴力だったり、フィクションなら女も暴力を振るって解決できる、するという世の中にある

ブログにあるようにそれはどっちが悲惨悲惨くらべをしてもしょうがないとわかってて救われない弱者男性テーマ

 

なんで男女は平等じゃないんだろう、

母親父親を殴ってでも家庭をなりたたせてほしかったという悲しみ

なんで親子は平等じゃないんだろう

子供はせめて離婚ときくらい親を選べないんだろうという悲しみ

それが一人の立派な成人男性をひねくれさせてる

食品てのもいいよな

殴った父は手料理などできないからずっと二人で既製品を食べてたんだろう

そこらへんにも失った母親代替を見つけようとしたのかもしれない

 

ずっと暮らしてきた家族父親自殺させてしまうことで居場所は(ひろがればいいのに)

女の人に居場所を取られるという妄想が昂進しだすとそれはもうスマホとの会話通りになっちゃってるね

煙突の前のコマ葬儀場なのかもしれないけどちょっとわかりにくかった)

 

まあでも統一教会が思うままにしたアジアの小さなつの国(いうほど小さくないけどね。ロシア人口同じだから

女子供ケアラーとして家庭に縛り付けろということは

職、社会における自己表現の停止を家庭のだれか一人に押しつけることなんだよね

 

急展開からスルメないい漫画でした 純文学

2023-05-10

anond:20230510201207

読みにくい改行を効果的に使用するところ、純文学の影響を多分に受けているね!

純文学ラノベやなろう系の次に読むもの

中学生の時にラノベやなろう系が好きになった。有名な

やつはあらかた読んだ。高校生になって普通小説も読

みたいな〜と思って、ネット小説 おすすめ って検索

るとSFやらミステリーやらファンタジーばっか出てく

る。オタク的にはそれらに惹かれるけど、それが罠だっ

た。まず、長いかサクサク読めない。面白いけど、体

力使うんだよな。でも、なんかそれらのジャンル小説

しか娯楽小説じゃないと思ってた。自分小説が好きだ

からと何度もチャレンジしたけどハマれなかった。そん

で、大学生になって俺も教養とやらを身につけますか〜

と思って、村田沙也加の『コンビニ人間』読んで馬鹿

マり。難しい言葉とか全然使ってないし、サクサク読め

るし、新しい人間を書いてるから脳が刺激されるしでク

ソおもろい。村田沙也加だけかなと思って、芥川賞

推し、燃ゆ』も読んだけどコレもおもろい。堅苦しい

イメージあったけど、全然そんなことなかったわ。ラノ

ベとかと違って大体図書館に置いてあるしな。芥川賞

小説10作品ぐらい読み終えた時に、ラノベやなろう系

の次にオタクが読むべきもの純文学だって気づいた

ね。純文学に手を出してないオタクがいたら、読んでみ

てくれ。俺のオススメ村田沙也加の『地球星人』だ。

2023-04-20

anond:20230420144758

ぶっちゃけ内容そのもの増田でイヤっちゅうほど見かけるお気持ち長文そのものから

自分の生きがいを他人に預ける」というのは確かに狂人のものだが、この現代そんなクレイジーな奴なんかV豚にしたって山ほどいて珍しくもない

別にアレだけが殊更しょうもないんじゃなくて、タピオカ屋ばりに陳腐な代物を今さら自分とこに持ち込んで持ち上げてる文学界のものが終わってるだけだよ

AKBとか坂道にハマる男子高生が高校中退して、バイトもうまくいかなくて、という筋

まさにこの程度のものをわざわざありがたがっていたのが伝統的な純文学だったんだろ

同じ狂人タコ踊り眺めるなら作者もキャラも女の方が絵面的に幾分かマシ、ってだけのこと

2023-03-24

anond:20230323120828

関係ないけど、今のライトノベルって昔ほどライトじゃないよね。

ラノベ愛好者が先鋭化して、オタク向け小説を突き詰めていった結果、ひとつ文学として高度化しちゃってる。これは特に新人賞なんかで顕著だよね。投稿する作者も評価する審査員編集部も面倒くさいラノベオタクから一般人には理解できない基準ラノベ技術ラノベ表現を磨いていっちゃってるんだよ。

もはや純文学の受賞作が何書いてあるかわからんと同じレベルラノベ方向に突き抜けちゃってるよ。

2023-02-16

anond:20230216223819

いや、純文学大衆文学はまだ序列あるでしょ。

大衆文学側は売れてる!ビッグマックが一番うまいんだ!以上の主張ができていない。

anond:20230216223416

なんかそのシリーズはほぼ実体はないなー メタ、くらいの意味かなー。

数学は、数学応用数学で昔はさや当てがあった。応用数学を下に見る、的な。

物理と応用物理別に応用物理が下みたいな序列はない。

純文学大衆文学も昔はさや当てがあったと思う。今じゃナンセンスだよな。

純金、純文学、純異性交

よく分からないものが混じっているね

2023-02-12

anond:20230212154149

文学イコール純文学ではないって

そういうの具体的になんかある?

文学的な増田」とか「文学ぽい増田ならいくら自称してもいと思うけど「増田文学」と言われると思い浮かぶのは三島由紀夫とか島崎藤村みたいな読み進めるのが難しい重厚作品であって

サクサク読める増田文学とやらはエッセイというカテゴライズが正しいのではないかなと思う

anond:20230211231936

一度大衆文学にどんなものが属してるのか確認してみなよ。文学イコール純文学ではない。

2023-02-03

LINE文学

パイパンだよ、パイパン😋

指輪できた💍

だって🔞

あそこも丸見えだよ😳✨

お😈

ツルツルにしといて🤩

なかなか…🍑

じゃあ、お胸もくれるんか?(゚∀゚)

👶

●●ちゃんのツルツルは確定✨🤨

素晴らしい…

もう少し、下を写しても(笑)😘

つるつるで生でやってたら、それだけでエロいけど🤭

生は、🍋も🔞もサイコー(゚∀゚)

中出しかな(笑)

溜めとかないと…🍄

🌰と🐿だしね…

お尻も見たかったな…

さぁ、脱ぎなさい…

 

センテンス スプリング!もけつあな確定も美しかったけど

純文学は「人間深層心理に深く切り込んでいる」みたいな評価されがちだけど

LINE文学こそ、人間を丸裸にしたときに何が出てくるのかを深く描写していると思う

2023-01-22

ライトノベルの作者が文学者として語られないのが腑に落ちない。

ライトノベル滅多斬りのようなそれに特化した書籍ならともかく、国語辞典百科事典に載ってる人が全然いないわけだ。

特化した本では語られていてそうでない本では他のジャンルと同じ割合だけでもなく全然言及されないというこの状況は世間にとってラノベ価値は井の蛙的なものであるということを物語っているのではないだろうか。

後にも述べるがいまやラノベ純文学以上に熱烈な支持者は多いように思う。

が、そもそも本に対する愛着やこだわり自体まりなく暇だったり必要に応じて読んでいるという人が、蝸牛の争いのような両者に比して圧倒的多数だと仮定するなら、権威ある事典などにラノベではなく純文学の作者について語られていれば浮動票のようにそちらの方が優れていると考えるだろう。あるいは世間一般の人がそれがなんとなくであるにすれラノベより純文学の方が優れているという考えを持っていることの現われなのかもしれない。

このような単にラノベ純文学より劣っているという考えは何の普遍性もない(無根拠な)価値判断が来ているのだろうか。

正直私にはたとえば恋愛を扱ったものに関してラノベ純文学で読後感という点で違いを見出せなかった。

ラノベ、魅力的な都合のいい異性を描いて娯楽に供させる。

一方で純文学シェイクスピアハムレットなんか見てみるわけだが、異性が魅力的でないこと以外読み物としては両者ともそれぞれ違った(優劣ではなく)面白さがあるだけで差を感じられなかった。

ブリタニカ百科事典先生によると、文学芸術の一つで、芸術には美の要素があることが要件らしい。

逆に言えばより美しく、芸術性が高い作品文学としてより優れたものなのだということになりそうだ。

でもそれじゃあ美ってなんだよって話になる。ラノベに書かれてることは美しくなくてシェイクスピアは美しいと頭ごなしに言われてにわかに納得できるか?ラノベ好きなら教条主義的な人以外そんなことを思考停止して受け入れるのは無理な話だろう。

文学といえばよくそメッセージ性が問題にされているとは思う。

文学作品物語プロット、筋というのは何か崇高なことを訴えていることが期待されるものだ。

その点ラノベにとって物語というのは登場人物すなわち読者にとっての異性をより魅力的に見せるための小道具オタク的に言えばシチュとしての役目しか持たされていないのかもしれない。

あるいは訴えることがあるにしても評価されている純文学のそれに比べれば余りにも素朴で浅はかなものなのかもしれない。

しかしそれがなんだと言うのだろう。

そのラノベを開くとマッチ売りの少女のように脳内に魅力的な異性が立ち現れてくる、そこに価値見出している人が確かにいるのだからそれもまた確かに価値」じゃないか

しろ紙の本が売れなくなっているこのご時世には電子出版と相性がいい漫画と同じくラノベのほうがそれ以外の小説よりよく読まれているのではなかろうか。

価値に対して人間万物尺度であってかつ尺度多数決によってその度合いが最終的に定まるものなら純文学よりもラノベのほうが価値が高く優れているということになりそうなものである

またどれだけ異性を魅力的に描けているかということならまだ美という観念にも通じるものがあるように思え、その作品の美しさを論じる余地があるように思える。

他方、ガリバー旅行記人間社会不条理さや醜悪さをこれでもかと抉り取った大人の読み物らしい。

そういうメッセージ風刺アンチテーゼの質が文学作品重要評価軸になっているようには思う。シェイクスピア漏れくその点で評価されているのだろう。

じゃあそのメッセージかいうのは「美しい」のか?

こうしたメッセージ等の価値というのはそれが真理を示しているか、生きる指針として役立つか、ということ等にあるのであって、これは美しさという尺度でどうこう論じれるものではないと思う。

たとえていうなら匂いについて判読性が高いかどうか論じようとするようなものだ。嗅覚上の情報視覚関係する尺度をあてがってもどうにもならない。

あるいは文学には描写のものの美しさというものも見出すことが当然できよう。

その最たるものが詩だろう。

それは単純に視覚的に美的ものを描く、あるいはレトリックの巧みさという形で体現されるはずだ。

そういう詩的要素が散文においても存在するなら、その散文すなわち小説などは美しさを帯びていることになり文学要件を満たしうるはずだ。

しか文学からそういった詩的な要素に対してメッセージ性というもの論理次元にあるものなのだから、そういう詩的フリンジを取り去ってもメッセージ性は保存されるはずである

その文学作品が何を訴えているかということがノーベル賞においてすら重要評価軸になっているのだから、詩的フリンジの有無はその文学価値にとってさしたる要素ではない考えられるのだ。

文学価値は何を訴えているかにあるはずなのにそこには文学要件たる美がないとしか思われないのだから訳が分からない。

結局辞書の言っていることを手がかりに形而上的に考えても埒が明かないのかもしれない。

とはいえ主観のおもむくままに考えてみてもおそらく月並み見解しか沸いてこないだろう。

それを承知で述べてみるなら、まず文学作品と呼ばれるようなものは限られた人しか楽しめない。少なくとも文盲知的障がい者には荷が重い。

からその価値判断というのはその限られた人の価値観に偏ったものになるはずだ。

それはおそらく知的エリート価値観になるだろう。

知的エリートはそうでない人に比べ収入が高い傾向にあること言うまでも無い。

ただの女たらしが「紀州ドンファン」と一目置かれた称号を得るのも然り、財力があれば世間に対する存在感ひいては発言力も増すという俗物的な構造はまだまだ根強いと思われる。そうでなくても知的エリート社会的地位が高い傾向がある。

そういうわけで彼らの考えは権威を帯びる。

ただそれだけなら楽しめる作品が多いというだけの話なのである傾向を持った作品ばかりが知的エリートに推されるということの説明にはなっていないはずだ。

彼らはより知的でなければ読めない作品に、自分を飾る嗜みとして、価値を見出すのだ。

なのでラノベではなくてそういう作品が、そういう作品の作者のほうが優れているという考えや言論が幅を利かせることになるのではないか

教養とか皆無でもさっくり気楽に楽しめるようなものを尊んでいるのでは格好がつかない。それでは凡百と同じなのだ

以上をひっくるめれば、彼らは美しい作品ではなく、強靭教養や知性という顎でもってはじめて噛むことができるスルメ的な面白さがあるかどうかで価値判断している。

そしてそれが権威ある辞書事典記述を通して本に対してさほどこだわりのない圧倒的多数一般大衆に浸透し、そうしてラノベ純文学に対して劣ったものという既成観念形成される。

月並みなばかりでなくいかにもルサンチマンに満ちた見解になっているとは思うが、そういうことなのではないか

似たような話でアニメドラマ実写映画より劣ったもの扱いされているということがあるだろう。

昔の大衆の娯楽だったものは今は高尚なものとして扱われるというパターンがあるけれど映画は割りと初めのほうから芸術的に価値あるものたりうると認識されていたような印象がある。

逆にアニメジブリが(ガンダムなんかも?)例外なだけで今日まで芸術性が認められてないゆえにどこまでも映画に劣った娯楽作としか見られていないように思う。

さら時間が経てば歌舞伎浮世絵のように芸術として見られるようになるとはにわかに考えにくいのだ。

実はこの文章原稿はいっぺんに書いているのではなく日をまたいで書いてるので、その間に得た知識によっては文章に反映されていくものもある。

その一つとして先ほど偶然知ったのは、大衆文学には少年少女小説、つまりほぼラノベ同義と捉えても差し支えない概念も含まれるということだ。

ただし付け加えていうなら大衆文学には純文学に対して価値が劣ったという含意がある。となるとこれはむしろラノベは劣ったものであるとう認識存在する傍証になってしまったようだ。

本当のところはうだうだ言う前に早い話がもっとラノベ純文学バランスよく読めば自ずと両者の面白さ以外の違いも分かって疑問も解決に向かうかもしれない。

しかし私はラノベもそれ以外も小説というもの自体平等にあまり読んでないので、今更自ずと分かるまで両者を読みまくって分析する気までは起こらない。

好きでもないジャンルの本を読むのは受験勉強に等しく苦痛だ。私はただなぜラノベ作者が純文学作者と比べ評価されたり公の場で対等に紹介されたりしないのか知りたいだけだから私自身が苦痛を味わうまでもなく両者を愛読していて答えを知っている人に教えてもらう方が合理的に決まっている。

知恵袋にも質問の体をしているがその実は女がしがちな「どうしていっちゃうの?」式の不満に対する詰問でしか内容の投稿が多くあるが、結局風潮への反感が、反感は反問を生むという素朴な力学が私にその理由を知りたがらせているわけだろう。当然ここにも答えを知っているものがいるならばその提示を望むものである

また私は私でただの判官贔屓かもしれないけれども、メーンカルチャーに属するコンテンツに対する感想が溢れるなかでブログ増田に埋もれたラノベアニメ感想記事があったら、その飾らない感性とのその一期一会感謝し、その価値観を慈しむことでこの世間の風潮に対抗しているつもりなのだが、それをこれからも続けていくつもりだ。

dorawiiより

2023-01-15

読書好き=暗い奴

僕が「趣味読書です」と自己紹介すると「暗そう」との声が聞こえた。

僕は読書が好きだからといって、暗い奴と思われる偏見を好ましくは思えなかった。

どうしてそのように思うのかを聞くと、そいつはこう答えた。

だって純文学? ってやつで主人公が明るいのって見たことねぇし」

なるほど、と思いがけず僕は納得してしまった。

反例はあるのだろうか。

2022-12-05

負け犬

鷺沢のもうひとつの側面は「負け犬である酒井順子エッセイ負け犬の遠吠え』にも鷺沢が登場する。ここからも多少の引用をしてみたい。

先日も、負け犬物書き仲間(失礼)である鷺沢萌さんと、「ウィーンには、老い音楽家達の家、というものがあるそうだ、老い負け犬物書きの家、というものを作るのはどうだ?」という話になりました。(中略)ああだこうだと理想の老人郷を考えていると妙に精神が高揚し「負け犬で良かった」とすら思えてくるのです。

この『負け犬の遠吠え』は、その後「負け犬」を流行語たらしめたエッセイである。そこで鷺沢は「負け犬仲間」と名指しされてしまった。また、酒井との対談では

鷺沢 すいません、子供も産まずに。社会お荷物になって生きていきます(笑)

発言している。クズ人間の時点ですでに社会お荷物だが、なんだかんだで鷺沢本人も負け犬であることも認めていたようだ。

ちなみに、のちに若手女性純文学作家として注目された綿矢りさは、インタビューに対して

私は、20歳ぐらいのとき結婚なんてまったく考えず、だいぶ遅くてもいいと思っていましたが、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』を読んだり(笑)婚活とか、アラサーアラフォーとか、世の中の言説の影響を受けるから、そろそろ考えなきゃあかんのかな、自分意識ではないけど、ほかの人がそう言ってるからそうなんかな、という感じのところにいますね。

と答えている。はぐらかしてはいるが、鷺沢のようにはならないぞというニュアンスを嗅ぎ取った者は少なくないだろう。

さて、2003年出版された『負け犬の遠吠え』のせいで、鷺沢は酒井と並ぶ代表的な「負け犬」と見られるようになってしまった。しかし鷺沢自身は、酒井のようにあっけらかんと「負け犬」になりきれなかった。2003年後半の日記には、作り笑いのような「負け犬」の話がしばしば登場する。

五本指全部を駆使して必死でしがみつくとすぐに疲れてしまう。だから、親指と小指は外しておく。Hang looseだ。…と、書いておきながら、自分は、

だが2004年日記には、

わたくしどもは殺されてもなかなか死なない、という稀有種ですので何かが起きても生き延びていると思いますが(2004/01/14)

などと書いているが、

ルルをひと瓶あけました。ヤク中。ルル中。(2004/04/07)

と、やはりどこかおかしくなり、同年4月11日にあっけなく首吊り自殺を遂げてしまった。死後、生前の鷺沢に対して批判的だった者からは、厳しい言葉が投げかけられた。

現実世界に耐え切れなくなり自ら命を絶つのは、一番の負け犬のすることである。死にきれない私たちの弱々しい遠吠えが、いつまでもインターネットこだまする。

https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%B7%BA%E6%B2%A2%E8%90%A0

2022-11-26

読書なんてしない方がいいと思うんだ

若い人に対し、若いうちに読書をしておけと勧めるツイートとそれに賛同する意見が沢山あったけれど

でも自分は中高大学生の頃に沢山読書をしていて、その時は楽しかったけれど大人になった今は正直それを後悔してるんだよな

特に高校の時は進学校女子校で、学校図書室が充実していたから、国内外推理小説SF純文学ノンフィクションなど片っ端から読んでたし

ラノベも色んなレーベルが充実していたのでめちゃくちゃ読んでた

大学も近くに古本屋街があったから、そこで色々買ったりして本を豊富に読んでた

でも正直今となっては読書時間を費やした事を後悔している。

娯楽のための読書って、プロになれるなら別だけど、そうでないなら単に楽しいだけで後には何も残らないんだよね。

それならば受験に役立つ本だけ読んでいればよかった。

自分国語の成績だけは殆ど勉強しなくともトップクラスだっから、娯楽のための読書って確かに幼稚園保育園くらいのごく幼い頃は学力底上げという点で効果があると思う。

でもそれ以上の年齢になってから読書って、寧ろ本来その年齢ならば経験すべき男女交際時間を阻害したりして有害だと思うんだ…

フィクションや、それに限らずノンフィクション歴史ものの中の登場人物って中高生は勿論成人になってからでもいとも容易く他人出会って恋愛してたりするんだよね。

自分はそういう話によって刷り込まれて、恋愛結婚大人になってからでも出来るものと思い込んでた

でも現実はそうじゃないんだね。現実には結婚相手はほぼ学生時代のうちに見付けるしかなくて、卒業してからは余程の容姿と運に恵まれハイスペックじゃないとほぼ無理らしい

こんな事なら読書なんてしてないで、その時間メイクファッションを磨いて合コンにでも出て男を見付けておくべきだったと後悔している

2022-11-21

山月記現代

山月記

頭脳明晰大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」

と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761流行ってるみたいだけど

全然違うでしょう


頭脳明晰大企業勤めをしてた」

大企業努めではなくてエリート官僚だよ

しか所詮は保身しか考えない閣僚政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ


「いきなり作家になると言って仕事をやめた」

これは違う、文学史に名を残したかったんだ

「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、

政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと

今の時代詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない

作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない



「一作も書き上げられず」

これは全然違って、例えるなれば「芥川賞ノミネートされたけど受賞を逃した」くらい

それどころか三島由紀夫賞にも引っかからなかった

いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと


失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが」

ここが一番ダメ

流れとしては作家を諦めて一度公務員に戻ってるんだよ

ところが前は国家エリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ

その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ

その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う

歴史に名を残すだけの能力自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家俗物批判し、エリート官僚政治家犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ

で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった

一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった

そんな話なんだよ

簡潔にまとめるなら、

エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激言動ヤバイ人として有名になってしまった」

あたりかな

2022-11-14

anond:20221114173131

逆に今のHunterのどこに面白さを見出してる?

絵的な快感は確かにまだあるとは思うんだけど。先週のノブナガ居合のシーンなんかは立体感のあるいい作画だったと思うし。純文学文体に魅力を見出すものなら、漫画作画にそれがあってほしいところ。

やっぱあまり興味を持てないキャラクターセリフで埋まるページというものに、楽しみを見出せないんだよな…。

anond:20221114172931

それ言ったら純文学とかほとんどNGってことになりそうだし、増田にとってはnot for meだったというだけでしょ。

2022-10-27

[] 筆力が高いと人間観察力や構成力が高いように思えるけど別にそんなことはまったく無い話

勝手に期待しといて勝手にガッカリするのおかしいけどう〜〜ん・・・

 

語彙力・リズム感・構成力がめちゃ高だが、常識に分類される知識をすべてパージするギャングスタラッパーもといネットラッパーは以前も書いたが、

今回は別の方

 

語彙力・リズム感・表現力がめちゃ高で随所に本が好きなんだなぁ感があり純文学アピールもするが、

まり人間観察力や構成力が難があってびっくりした話

・・・い〜や・・・どうしたって、そ〜はならんやろ、みたいな・・・

おそらく、この方は文体模写もめちゃくちゃ得意なはずで、萌えオタクなら必ず一度は目にする某作家ぶっちゃけ少し似ている

ただ軽快さは遥かにこの方の方が上で、クリアボイスの歌手が唄うようにスムーズ言葉が入ってくる

『え?今なんて言った?』と全くならない

おそらく、相当、幅広い分野の本を読まれていると思うのだが・・・・まぁ殆どお話には大抵お約束があるよね?

だいたいログラインで興味を引くような展開になっているわけなのだけど・・・何故それを・・・無視・・・なのか?

これが、読者に好かれる人物にする法則さえもブン投げていれば、逆に、『そうなんだ』って腹落ちするが、何故かそこだけはぶん投げていない

合わない人は合わない川端康成(ワイは好き)みたいな淡々とした話でも、欧州監督が撮りそうな何も起きないノンフィクション風の体裁映画みたいな話でも、

プログレみたいな実験的な話では無いのだわ・・・いや・・・強いて言えば、ボカロの曲でありそうか・・・

うん、令和の言語IQクソ高ボカロPだったのかも知れない

 

でもよくよく考えるまでもなく、ワイくんもそこそこさまざまなコンテンツに触れておきながら、比喩ではないガチうんこばかり捻り出しているので、

情報作品に触れた数とアウトプットには何ら関係がないのかなと思いました まる

2022-09-17

anond:20220917135608

冗談はやめて欲しい

本仁戻 氏 と 江野スミ 氏は絵柄は違うが系統似てます

本仁戻 氏 はみんなもっと純文学とか本読んだ方がいいとかイキリちらしてたけど

いまはファンによちよちされてる生活送ってるね、絵に対してはほんと真摯なんだが

 

江野スミ 氏は謎の裏サンプッシュがあったり、別メディアコラボ(映画とか)してるので、

東村アキコ氏や西原理恵子氏みたいな漫画家芸人になる可能性もワンチャンあるのかな?

どれか1作品でもバカ売れしたら

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