はてなキーワード: 穿った見方とは
以下ネタバレあり。
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ぶっちゃけこの映画の本編は、スピンオフ漫画の『真の安らぎはこの世になく -シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE-』だと思う。
「あの謎設定なんだったの?」と消化不良を起こした人は、この漫画を読めば腑に落ちると思う。たぶん。
この映画の登場人物の多くに共通する特徴は、自分で考えることを放棄していること。
主人公は「自分は持ってる力をちゃんと行使したいんだ!」という点を除けば、るり子の意思で行動してる。
穿った見方をすれば大義名分は他人に考えてもらい、暴力を振るうことが目的化しているとも言えるやべーやつ。
一方黒幕サイドも「他人に考えて貰う」という点では似てるけど、逆に『力のバトン』が引き継がれてる。
ショッカーの創設者はAIに「世の中を良くしてくれ」と判断を丸投げして退場し、
AIは一部の人間をピックアップして力を与え、どのような行動を取るか観察している。
思うにAIがやってるのは、人間を使った強化学習なんだと思う。
この作品に出てくる怪人は、ゴジラやウルトラマンと違って結構弱い。
「こういう思想を持った怪人がいるけど、人類の皆さん、どう思います?」と観測気球を揚げている。
それが受け入れられなければ「やっぱり違うか~」と別の極端な思想の怪人を繰り出す。
AIの目論見としては、何体か怪人を世に放った末に「この怪人は良いやつなんじゃない?」と受け入れられる怪人が出てくるのを待ってるんだと思う。
そう考えると、仮面ライダーは「代わりに守ってくれる存在がいるのは幸福」という価値観を試すための怪人とも言える。
映画の作中では人類は仮面ライダーをうまく利用しつつ自らの武力も放棄してなかったけど、そのうち「仮面ライダーがいるから自分たちは戦わなくていいや」と思うようになるんじゃないかな。
もう人に奢る・奢られる話は性別や年齢というくくりで見ずに、個々人を見た上で意義で判断するのが円満なのかなって思ってるよ。
奢る/奢られる目的をきちんと双方で共有できてない上に変な捉え方をするから延々と揉めるんだと思う。
男女でデートする場合は収入差なんて確実に分かるもんでもないし、(ていうか貴方の方が収入上だから奢ってくださいみたいな話をわざわざその場でする?意義の設定もせずなんとなく決めてるんじゃないの?)
そもそもこのデートというイベント内で立場が同じなんだから、片方が奢るのも奢ってもらおうとするのもおかしい。同じ立場の人間が同じ時間同じ空間を共有する。お互いが同じくらい楽しむ。その上で奢る/奢ってもらう意義は何?
お互いがお互いに奢る、ならしっくりくる。お互いにお礼する感じ。でもそれなら割り勘でいいじゃんとなるわけで。男女の性別のくくりだけで奢る、割り勘の話がでるのがよく分からない。
誕生日祝いに僕が奢るよ、とか今日は貴方の慰労会だから奢るねとか、そういうのなら分かるんだけど。個々人をちゃんと個々人として見た上で意義を設定してるから。
自分が割り勘で出せそうにない価格帯の店に行くことになったらキチンと断る、もしどうしても金額の高い店に行きたいのなら自分が全額もつ気持ちで選ぶのが誠意だと思う。(※女も積極的に店を選んでプランニングするべき)
50歳の男性と25歳の女性がデートしても割り勘の方がいいのか?て言う人いそうだけど、私はそれでも割り勘であるべきだと思う。立場は同じだから。負担割合を変えたり奢る奢られに変えるのは個々人を見た上でしか判断できない。もしかするとその25歳の女性は経営者で年収1億円かもしれないよ。それでも男性と割り勘がいいと言うかもしれない。
無条件で奢った方がいい場合もある。
例えば同じ職場の部下の場合、両者の収入に差があるのは明らかだし、ご飯に行ったら部下は「気を使わないといけない相手に時間を拘束される」わけだから、謝礼の気持ちで奢ってあげるのは良いと思う。この場合2人がどんな性別であろうと「今日は時間を使ってくれてありがとう」とお金を出せばそれで事足りると思う。
上司が男性で部下が女性の場合でも先述と同じことを言って相手もそれを素直に受け取ることが大事で、ここで「かわいい子と飲めて元気になった、ありがとう」「ペーペーは奢られときゃいいんだよ!」と言ってしまったり、逆に部下が「ここでお金を出すってことは偉ぶりたいってこと?」「何か見返りが欲しいってこと?セクハラ?」と穿った見方をするから拗れてしまうんだと思う。性別が逆転しても然り。
個々人によって違うということと意義の共有を意識しない限りこの話は絶対に終わらないと思うな。ほんとに賃貸と持ち家みたいな話だね。
大学はぜひとも不義理があって行きにくいところであるべきだという固定概念(?)(固定観念の誤記?)がある。
裏を詮索するに、(大学にとって)我々(ごときの教育などというの)は物足りないのだろう。
(我々が役不足であるという)結論が出る状態に至るのも嫌なので、話の核心部分だけにしておこう。
最高学府は須く敷居が高いという固定概念がある。穿った見方をすれば、我々の役不足に過ぎないのだろう。煮詰まるのも嫌なので、話のさわりだけにしておこう。さて、狭いユニットバスで性癖を解放しよう。
「須」は漢文で「すべからく」と読み下す場合は「〜べし」とセット(成句)だが、国語辞典では「下に『べし』が来ることが多い」と説明されており、つまり「べし」を伴わない用法も許容されている。
「煮詰まる」には「もうこれ以上新たな展開が望めない状況」という意味もあるので、今回はそのような意味だった可能性もある。大抵のものはさわりこそ煮詰まった末なので、煮詰まるのが嫌なのにさわりだけにするというのはいささか不自然ではあるが、結論のみ投げられている分には案外逃げ道があったりするので、そういうシーンを想定しているのかもしれない。
性癖を解放ということは、日頃は己の性癖を抑えているのだろう。単にユニットバスというのではなく狭いというからには、もしかするとバストイレ一体型かもしれない。したがって住居自体も狭いだろう。狭い住居のさらに狭い風呂場、したがって他人からも見られない、そんな所でのみ自身の偏りを表現できるという。
この閉塞感の背後にはもしかすると、己の学問心が非才ゆえに大学で軽くあしらわれてしまったというような、大学に対しコンプレックスを抱くような挫折があったのかもしれない。己の凡才ぶりという核心に正面から向き合うのも苦しい。
他のトラバでも言いましたが現状では写真も動画もやりたいファミリー層へSONYとFUJIFILM以外を推すことは良心の呵責があるんでカメラメーカーはSONYかFUJIFILMとなる。
以下からオススメのカメラとレンズの情報を記します。
入門ということでレンズ無しのカメラボディ本体だけで50万円とかするものは紹介しない。
APS-Cサイズイメージセンサーをレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ(デジイチ)の登場早期から展開している先駆者。
カメラファンの持つSONYカメラの印象はハイスペック主義。
最新機能と性能をガンガン載せて他者の追随を引き離すことへ主眼が置かれている。
Youtuberを中心としたSNS動画需要へ敏感に反応を示す傾向があり、現在のSNS動画ユーザーの大半がSONYを選択するという状況になっている。
APS-Cサイズイメージセンサーを搭載した入門機。
主要カメラメーカーのデジイチ界隈ではα6400以前と以降という境界線が存在し、α6400はデジイチ入門機の標準性能と機能を決定付けたと評価される銘機。
登場当時は入門機とは思えないオートフォーカス性能があり、制限はあるものの高速連写、4K30FPS動画が撮影できるなど当時求められた入門機としての機能が全部載っていた。
唯一の欠点はボディ内手ブレ補正機構が搭載されていないことで、手ブレ補正を使うには手ブレ補正機構を備えたレンズを選択する必要がある。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると10万円ちょっと。
α6400をベースに唯一の欠点であったボディ内手ブレ補正機構を搭載した兄貴分。APS-Cサイズイメージセンサーを搭載。
α6400よりも大型のグリップと大容量バッテリーを備えており取り回しが良いことも美点。
撮影に関する基本性能はα6400とほぼ変わらないので、ボディ内手ブレ補正機構が欲しいか否かでα6400と選択を決めることが出来る。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると15万円ちょっと。
デジイチ動画が流行したことでスチルカメラスタイル動画デジイチが多数登場した流れで登場。APS-Cサイズイメージセンサーを搭載。
ベースはFX3というフルサイズイメージセンサーを搭載したスチルカメラスタイル動画デジイチだが、イメージセンサー周りの技術はα6400系統であると考えられ間の子と言った感じ。
デジイチ動画撮影に特化した操作系を持ち、より高画質な10bit動画撮影が可能などによってYoutuberを中心に物凄く売れている。写真よりも動画だって人ならばコレ。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると20万円ちょっと。
ズーム機能の無い単焦点レンズで、ズームが出来ない代わりに暗所でも明るく写り高画質。新生児のお昼寝シーンなどで活躍する。
ボケの量も大きく、まさにデジイチで撮りましたみたいな画になり、30mmという画角は人間の両目視野に近いので使いやすい。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると4万円くらいなのでα6600と組み合わせても20万円以下の出費で済むのもお財布に嬉しい入門単焦点レンズ。
こちらもSIGMA 30mm F1.4 DC DN Contemporaryと同様にズーム出来ない代わりに暗所でも明るく写り高画質。
ZEISSブランドを冠するハイエンドレンズで、SONY純正ともありカメラの性能を十分に発揮でき24mmという両目視野に近い画角は使いやすいが難点は高価なところ。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると8万円くらい。
いわゆるキットレンズとも呼ばれており、カメラボディとセットで買うとおトクになるレンズ。種別としてはパンケーキレンズであり小型軽量でなおかつ電動ズームまで使えるという便利なレンズ。
写る範囲の画角も両目視野に近い16mmから片目視野に近い50mmまでで非常に使いやすく大きなレンズを持ち運びたくないという需要にマッチする。
欠点は小型軽量でかつ低価格ともあり画質は劣る傾向がある。しかしそれでもデジイチの画なのでその辺のスマホより圧倒的に良い。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると2万円くらい。
Gブランド冠するハイエンドレンズで、前述したパンケーキレンズSELP1650と似たような写る範囲の画角を持つズームレンズ。
SELP1650よりも明るく写りボケの量も多く高画質だが非常に高価。SONYのAPS-Cデジイチでこの画角のズームレンズの到達点の1つ。
ズームレンズなので様々な画角で子供を撮る楽しみを体験できる。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると14万円くらいするのでカメラボディと同じ価格をレンズへ支払うことになる。
ズームレンズの無い単焦点レンズはレンズ毎に写る範囲が違うが、それら写りの範囲が違う23mm / 33mm / 56mmの3本を紹介。
23mmは両目視野に近く、33mmは片目視野に近く、56mmは更にクローズアップする印象に写るレンズで、Tokina atx-mブランドとして統一された色味を持ち、3本ともレンズ自体のサイズ感も似てるので使いやすい。
実は中国のレンズメーカーVILTROXのOEMで、それぞれVILTROX AF F1.4 23mm / 33mm / 56mmが対応する。
レンズ外装の作りに差異はあるもののレンズ性能自体は同じで、KENKOでなくとも良いならVILTROXの方が安く購入できる。
ちなみにFUJIFILM版も存在するので、自分が選んだカメラメーカーがSONYなのかFUJIFILMなのか関係なく選択できる。
カメラファンの持つFUJIFILMカメラの印象は芸術肌。
フィルムメーカーらしい多彩かつ美しい色味が特徴とされる。
長年多くの写真好きカメラファンを魅了してきたが、SNS動画時代となり新鋭機能を多数搭載するというフットワークの軽さを見せ付けた。
SONY α6400がデジイチ入門機の標準性能と機能を決定付けるや否や、機敏にそれを察知しFUJIFILMらしいアプローチで標準性能と機能をフォローした。
カメラボディのデザインもサイバーな雰囲気のあるSONYと比較してFUJIFILMはレトロな印象を維持し、それがかえって美的感覚に優れるクリエイターやファッションとしてカメラを取り入れる人たちから高い評価を得ている。
APS-Cサイズイメージセンサーを搭載したデジイチ。
求められる基本性能と機能を搭載しており十二分にユーザーの需要へ応えてきた。
SONYと対比するならばα6600クラスとなるがX-T30 IIはボディ内手ブレ補正機構を搭載しておらず光学機能は劣るが、FUJIFILMが誇るフィルムシミュレーションはα6600にはない圧倒的な利点だ。
フィルムシミュレーションの色味をそのまま用いての写真撮影はもちろんのこと4K30FPS動画撮影も可能で、じっくりと美しい色味を堪能したい。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると15万円ちょっと。
APS-Cサイズイメージセンサーを搭載したデジイチの上位機種。
欠点であったボディ内手ブレ補正機構も搭載し万全となった。
動画に至ってはSONY α6600よりも世代が新しいこともあり6.2K29.97fpsまで達し、動画編集時に切り出しクロップなどを活用することで擬似的なズームをしたりすることも出来る。
動画編集ソフトの後処理で手ブレ補正を掛けるにしても解像度が大きいほうが有利なので非常に良い。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると23万円ちょっと。
APS-Cサイズイメージセンサーを搭載したデジイチ。
兄弟機としてライナップされており、S付くか付かないかなので少々混乱しやすいが、Sのほうはハイスピード連写機なのでSpeedと覚えておくと良いかも。
秒間20コマで連写性能が低い方のX-H2の最大の特徴は何と言っても8K30FPS(8K29.97FPS)動画が撮影できてしまう点であり、再生できる環境がないとしてもX-T5でも語ったように切り出しクロップで欲しい範囲だけ活用するような使い方ができる。
秒間40コマ連写で写真撮影できるX-H2Sでも6K29.97fpsで動画が撮影できるので動画性能は十分だ。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味するとFUJIFILM X-H2は26万円ちょっと、X-H2Sは29万円ちょっとで価格が微妙に違う。
去年発売されたばかりの最新レンズで、現代的な設計により非常にクリアな写りに加えて、逆光耐性も十分にあって町中に持ち出してやすいので子供とのお散歩のお供に。
ズーム機能の無い単焦点レンズだが写る範囲の画角は両目視野に近いので見たまま撮れるのも便利だ。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると10万円くらいと少々値が貼る。
FIJIFILM純正ではないサードパーティSIGMA製レンズ。
両目視野に近い18mmから片目視野に近い50mmまで使えるズームが可能でありながらも明るく、そして大きくボケる。
それでいて価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると6万円くらいとお財布に優しい。
Red Badgeブランドを冠するFUJIFILMのハイエンドレンズで1つの到達点。
ズームレンズであり前述したSIGMA 18-50mm F2.8 DC DNと似た画角ながら、ほんの少し広く、そしてほんの少し寄れる。
とにかく描写力に優れており、見たままをシャープに写し出すという特徴があってフィルムシミュレーションと組み合わせて自分好みの画作りをしていきたいと思わせるレンズ。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると14万円くらいと値が貼る。
FUJIFILMを紹介することにおいてコシナフォクトレンダーノクトンの35mmに触れておかなければならないだろう。
このレンズはズーム機能のない単焦点レンズだが同時にオートフォーカス機能もなく、自分でフォーカスを合わせるいわゆるマニュアルレンズだ。
ノスタルジーに浸りたくて古臭いマニュアルレンズを使うのだというのは穿った見方で、各々のレンズは光学性能によって入射光に変化があるからこそ明るさや解像感、歪みなどが変わりレンズ毎の描写の違いへ繋がるわけだが、NOKTON 35mmは芸術肌のFUJIFILMユーザーのために作られたかのような写りをするレンズ。
一見するとオールドレンズのような写りだが細部へ目をやると現代に作られたレンズだとわかり、その上でマニュアルレンズでありながら電子接点を持つために撮影情報の記録が出来るという特徴があるのも現代的だ。
高い評価を持つFUJIFILMのフィルムシミュレーションへ対し、より抽象的な表現を追加できるNOKTON 35mmはまさに芸術肌と言える。
価格は家電量販店ポイント同時利用などを加味すると7万円くらい。これで我が子の最高の記録を残そう。
その後に今は未だ子供が小さいから単焦点レンズにするか、大きくなり活発に動くようになったと感じるならズームレンズを選ぶ。
SONYの利点は現在のYoutuberから支持を集めているので動画撮影についてはYoutubeにこれでもかってくらい情報がある。
逆にFUJIFILMの利点は写真家から支持を集めているので写真撮影についてはカメラブログやカメラ情報サイトなどにこれでもかってくらい情報がある。
最後に、SONYとFUJIFILM以外のユーザーの皆さん本当に申し訳ない。
本音で言えば色んなメーカーを紹介したいのだけれどファミリー層へSONYとFUJIFILM以外を現在の状況で紹介するのは良心の呵責がある。
同じくカメラファンの皆さんが盛り上げてくれればレンズマウントの問題とか解決するかも知れないので一緒に訴えていきましょうね!
私が絵を描き始めたときはの頃はフォロワーがフォローより多いくせに「いいねありがとう!」とかいう一般人を毛嫌いしていた
感謝してるならなんでフォロー返さないんだ?言葉と行動が違くないか?
「いいねしてくれることには感謝するけどフォロー返すほどの感謝じゃねえから」と暗に言っているようなものだということ、その態度はフォロワーに滅茶苦茶失礼だということに気がつかないのか?なんて思っていた
昔は私の絵にいいねしてくれただけの人すら自分からフォローしていた
しかし、自分のフォロワーが増えるにつれてフォローを返すのがどんどん嫌になった
興味ないツイートで埋め尽くされるTLに辟易し、時には自分が嫌う言動をするアカウントも有った
やがて同じ界隈のアカウントでも絵を描いていなければフォロバが煩わしいと思うようになった 自分でも最低だとは思うが、日常・感想ツイートするだけのアカウントにフォローするだけの価値は無いとも思っていた(いる)ということなのかもしれない この自己分析は卑屈すぎるだろうか?とも思ったがあえて理由を言語化するならこの表現しか思いつかない
そしてなにより周りの評価が気になっていた 相互フォローが多いと媚びを売ることで価値のない絵に反応をもらっているような気がして嫌だった この反応の数は私の絵の実力なんだと思いたかった
フォロワーが多い人に取って1フォロワーの価値はより薄いだろうから、フォロバする気なんて起きるわけないだろう
「いいねしてくれることには感謝するけどフォロー返すほどの感謝じゃない」のもよく考えたら別に責めることでもないかも知れない
消しゴムを貸してくれた隣の人に一生を賭けて恩を返すなんて言うのはおかしな話だ
見合った感謝を返せばそれでいい それが「いいねありがとうございます」なんだ
それに私をフォローしてくれる人は私の絵を期待しているのであって私の人間性を求めているわけではない
だから感謝はフォロバよりも絵をたくさん描くことで返せばいいじゃないか 感謝だってそれ自体は悪いことじゃないんだ
そんなふうに考えるようになった
ただ、もし自分が見る側の立場だったとして、こんな風に創作者()が自分の態度を肯定していたらとても嫌だなってふとしたときに思う まさに今思っている 感謝は言葉でなく行動で示してほしい
自分が好きな絵を描く人にフォロバされて嬉しくないわけない よしんばその人自体に興味がなくとも、フォロワーの数字が増えて悪い気分になる人は多くないだろう
フォロワーが一日幾百幾千単位で増えるならまだわかるが、そんな神絵師ではない自分が手間を惜しむ理由になる障害なんてものもない
それがわかっているのに、ほんの一手間でできる感謝の表現を、もともと流し見するだけだったTLやプライドのために惜しんでいる人間がどの口で感謝とほざくんだ?厚顔無恥に感謝の感情を抱き、その愚かさに気づきながらそれでもフォロバしない自分はなんなんだろうか
こうなってしまっては見たい人が私の絵を見てくれればいいし嫌なら見なければ良いというスタンスを取る他ない もう私は感謝や反応をやめようと思う
1000いいねありがとうございます!って、それは999いいねはありがたくなかったの?999いいねありがたいと思うならなんでその時に言わなかったの? その感謝の仕方は本当に正しいの?
わかってる、そんなんじゃなくて嬉しいから感謝してるだけなんだ 深い意味なんてないし穿った見方をする必要もどこにもない、それでもいちいち引っかかる自分の性格の悪さが嫌になる
お絵かきマンが自己矛盾を抱えないためには無理やり正当化するか馬鹿になるか自分勝手になるしかないのだろうか 私は自分勝手になることを選んだ もう戻ることはないし戻りたいと思わずにいられるようにしたい
材料費高騰、人件費高騰、といった指摘はネットを検索すれば出てくるが、それにしても上がりすぎに見える。
東京は需要があるのだから価格が上がるのは当然とか、REITの投資先として東京にお金が集中するとか、
まぁあるのだろう。
・住宅ローンを組む世代の人口が減ってきたが、住宅ローン融資の総額を減らすわけにはいかないので、ダブルインカム制度を推し進め、増えた家計所得分をローン金額増とする。
・住宅ローンについて詳しく知っている人は少ないので、業界で足並み揃えて金額を上げれば、それが普通になる。
・新規建築した分が人口減で売れ残るので、その分を価格に上乗せする
といったのはすぐに思いつくがどうだろうか。
知らん人は以下を参考に。
https://suan.tokyo/affiliaters_branding/
ここでされているのはいわゆる「サイト貸し」や「ディレクトリ貸し」と呼ばれる手法である。これは数年前から話題になっていて、SEO業界で有名な辻氏も警鈴を鳴らしていた。
welq問題のときにされていたのは「コンテンツが重要なので、やたらと充実した長文を書くのがいい」という手法だ。しかし、これでキュレーションブームが激しくなり、検索の品質が下がってしまったため「ドメインごとランクを落とす」という手法でGoogleが対応をした。
明らかに手動としてか思えない、当時、ドメインへのペナルティが行われていた。1位だったのが、30位以下になる、といった形だ。2chまとめもこの手法で落とされている。
その後「信頼できる大手サイトか、大手サイトからのリンクを重視する」というアルゴリズムらしきものがGoogleで採用される。ぽっと出てきたばかりのメディアよりも、toyota.comやasahi.comのほうが信頼がある、といった具合だ。
これをハックしたのが、mybestである。「mybestで紹介されました」などで検索をすればわかると思うが、やたらとmybestで紹介されたことをサイトに載せている企業が見つかる。
文章やタイトルの傾向からみて、あくまで推測ではあるが、mybest側から「紹介したのでプレスリリースやサイト内に掲載してください。売上が伸びますよ」的な営業をしているのではないだろうか。
これにより、mybestは信頼できる企業からの大量のリンクを集めることができランクをあげている。穿った見方をすれば「ランクに載せたことを掲載してくれる企業の商品は上位にあげやすい」というのが起こりうるとも言えるが、そこは編集の独立を信じよう。
mybestのこのやり方は、非常に賢い戦略だと思うが、それでもリスクは残る。先程書いた「ドメインごと下げられる」だ。
mybestがあまりに検索上位に来ることが問題になれば、こういった対応も考えられるだろう。mybestは専門家も入れた上で、記事を作っているので、スパム扱いされることはないだろうが、「明らかに企業からのリンクを意図的に増やしている」となると、そのプラス分を0にされることは可能性としてあり得る。
そして、株式会社アルゴリズムのやっている「サイトを間借りする」の手法だ。
これは、病院や士業の事務所、大手企業などのディレクトリを借りてアフィリエイトサイトをやることである。
信頼できるサイトしか上位にでないなら、その信用できるサイトの中にアフィリエイトサイトを作ってしまえ、という発想だが、これは事業としてやるのはメリットしかない。
それもそのはず、もしもGoogleからスパム扱いされて、そのサイトのドメインランクが落とされたとしても、別のサイトを見つけて移し替えればいいからだ。ディレクトリ貸しをしたサイトは二度と検索上位には戻らず、下手すれば100位にも入らなくなるが、アフィリエイトサイト側からしてみれば無傷である。
サイトを間貸ししている事業社は当然こんなことは知らずに貸していると思うが、株式会社アルゴリズム側からしてみれば「Googleの検索アルゴリズムはブラックボックスなんでわからない」という逃げ道がある以上、責任を問うことはできない。
Googleが対策をする可能性は十分に考えられるが、それまでに儲けきって、かつ事業を売却してしまえばとんでもない額の売上が入る。
たとえば、SEOが強かったmoto株式会社という、個人がやっていたアフィリエイトサイトをログリー社が7億円で買収したが、のれん4.9億円を減損している。上位でほぼ見かけることはほぼなくなったので、収益が相当減少したと思われる。
https://docs.sakai-sc.co.jp/article/m-and-a/moto.html
知らん人は以下を参考に。
https://suan.tokyo/affiliaters_branding/
ここでされているのはいわゆる「サイト貸し」や「ディレクトリ貸し」と呼ばれる手法である。これは数年前から話題になっていて、SEO業界で有名な辻氏も警鈴を鳴らしていた。
welq問題のときにされていたのは「コンテンツが重要なので、やたらと充実した長文を書くのがいい」という手法だ。しかし、これでキュレーションブームが激しくなり、検索の品質が下がってしまったため「ドメインごとランクを落とす」という手法でGoogleが対応をした。
明らかに手動としてか思えない、当時、ドメインへのペナルティが行われていた。1位だったのが、30位以下になる、といった形だ。2chまとめもこの手法で落とされている。
その後「信頼できる大手サイトか、大手サイトからのリンクを重視する」というアルゴリズムらしきものがGoogleで採用される。ぽっと出てきたばかりのメディアよりも、toyota.comやasahi.comのほうが信頼がある、といった具合だ。
これをハックしたのが、mybestである。「mybestで紹介されました」などで検索をすればわかると思うが、やたらとmybestで紹介されたことをサイトに載せている企業が見つかる。
文章やタイトルの傾向からみて、あくまで推測ではあるが、mybest側から「紹介したのでプレスリリースやサイト内に掲載してください。売上が伸びますよ」的な営業をしているのではないだろうか。
これにより、mybestは信頼できる企業からの大量のリンクを集めることができランクをあげている。穿った見方をすれば「ランクに載せたことを掲載してくれる企業の商品は上位にあげやすい」というのが起こりうるとも言えるが、そこは編集の独立を信じよう。
mybestのこのやり方は、非常に賢い戦略だと思うが、それでもリスクは残る。先程書いた「ドメインごと下げられる」だ。
mybestがあまりに検索上位に来ることが問題になれば、こういった対応も考えられるだろう。mybestは専門家も入れた上で、記事を作っているので、スパム扱いされることはないだろうが、「明らかに企業からのリンクを意図的に増やしている」となると、そのプラス分を0にされることは可能性としてあり得る。
そして、株式会社アルゴリズムのやっている「サイトを間借りする」の手法だ。
これは、病院や士業の事務所、大手企業などのディレクトリを借りてアフィリエイトサイトをやることである。
信頼できるサイトしか上位にでないなら、その信用できるサイトの中にアフィリエイトサイトを作ってしまえ、という発想だが、これは事業としてやるのはメリットしかない。
それもそのはず、もしもGoogleからスパム扱いされて、そのサイトのドメインランクが落とされたとしても、別のサイトを見つけて移し替えればいいからだ。ディレクトリ貸しをしたサイトは二度と検索上位には戻らず、下手すれば100位にも入らなくなるが、アフィリエイトサイト側からしてみれば無傷である。
サイトを間貸ししている事業社は当然こんなことは知らずに貸していると思うが、株式会社アルゴリズム側からしてみれば「Googleの検索アルゴリズムはブラックボックスなんでわからない」という逃げ道がある以上、責任を問うことはできない。
Googleが対策をする可能性は十分に考えられるが、それまでに儲けきって、かつ事業を売却してしまえばとんでもない額の売上が入る。
たとえば、SEOが強かったmoto株式会社という、個人がやっていたアフィリエイトサイトをログリー社が7億円で買収したが、のれん4.9億円を減損している。上位でほぼ見かけることはほぼなくなったので、収益が相当減少したと思われる。
https://docs.sakai-sc.co.jp/article/m-and-a/moto.html
妹が服用しているピルだそうだ。
それを母から聞いて家の中をめちゃくちゃにしたくなった。
センター試験を受ける数か月前、センター当日に生理がかぶることが濃厚だと察した。わたしはぶっ倒れたり動けなくなるほど重たい生理の諸症状を持っていたわけではないが、頭痛腹痛吐き気眠気には襲われる。親に「世の中には特定の日と生理がかぶらないようにする術があるらしいので、病院にかからせてくれないか」と言った。「行ってみなさい」か「そんなのダメ」と言われると思っていたが、どういうわけか烈火のごとく叱られた。「生理を病気扱いするな」「アンタの同級生でそんな子一人もいないよ」「センターの日をずらせばいいじゃないか(親はセンター試験を受けたことがないので仕組みを知らない)」「楽するな」などなどボロクソに怒鳴られた。なぜ怒られているのか。これは一体何の時間なのか。軽率に相談したことを心底後悔した。案の定、股から血を流しながらセンター試験を受けることになった。
実家の台所にあったピルは、旅行日に生理がかぶらないようにするため妹が処方を受けたものだそうだ。話を聞くと、これまでも何回か生理をずらすための処方を受けているようだ。就活の大事な場面、資格試験の日、そして大学入試。
妹がこれらのイベントを迎えるころには、わたしはもう実家には寝に帰るだけの生活を送っていたので知らなかった。妹は人生の要所で内臓を締め付けられるような痛みも、股に血液が張り付く不快感も、女子トイレの行列に対する恐怖も味わわずに済んでいる。
長年蓄積された負の感情が突沸したような気分だ。
両親はわたしと妹を平等に育てようとしていたと思う。習い事はほとんど同じものに通ったし、ふたりとも大学まで通わせてもらえた。
でも妹の方が甘え上手というかゴネ上手というか、親を困らせて意見を通す術に長けていた。だから姉のわたし目線ではなんとなく不平等に感じる場面も多い。
当時流行していたリュック、わたしがねだっても買ってもらえないが、妹は「これがないといじめられる!」と言えば買ってもらえた。
中学のジャージ、わたしは従兄のおさがりだったけど、妹は不登校になることをほのめかして新品を勝ち取った。
家族で行く外食先は、偏食の妹が店で「これおいしくなーい」とふてくされるのを恐れて全て妹の希望通りになる。
妹が事故で壊した車の修理費は、2回とも全額親が持っている。
終始こんな調子だ。
両親も妹の行動に困り疲れ果てた末に要求をのんでいたと思われるので、あまり責めることはできない。それほど妹のネゴシエーションは激烈だった。
だからこそ、これで平等に育てたと思われてるとちょっと納得いかない。せめて不平等であったと自覚してほしい。謝罪も補填もいらないから、せめて「わたしたち夫婦は姉妹のうち片方を優遇しました」と宣言してほしい。
書いていて思い出したが、親から「この家でひとりだけお姉ちゃんだからって、調子に乗っちゃいけないよ」言われたことがある。両親ともに末っ子として育ち、妹はもちろん末っ子だ。たしかにわたしだけが姉のポジション経験者だ。
親はことあるごとに自分が末っ子で苦労したエピソードを話した。服はいつもおさがりだったこと、食卓は戦場だったこと、悔しい思いを何度もしたこと。
もしかしたら、この家族の行動の根底には「調子に乗っちゃいけないよ」があるのかしら。姉という生き物は下のきょうだいに古い衣服を押し付け、好きなものを好きなだけ食べ、きょうだいを出し抜くことが快感である生き物だと思っているのかしら。
だから、妹には新品の流行の服を与え、好きなものを食べさせ、不自由ないように過ごさせるのかしら。こうしてやっと、姉妹は平等になると思っているのかしら。
さすがに穿った見方が過ぎるのは自覚している。でも、20ウン年間の積み重ねが、わたしのなかの実家像をどんどんゆがめていく。
結局、ピルを見て親の話を聞いて爆発寸前だった情緒は、長年かけて飼育されたお姉ちゃん人格によってシュルシュルと縮み、「妹ちゃんも大変なんだねぇ」などと思いやる言葉がオートで出てきた。
お姉ちゃんはきっと、この先も、この実家のメンバーがやることなすことに心を乱されては人格者のフリしてやりすごすのだろうな。
プロアマ関係なく好きなものを沢山摂取してすごく良い気持ちになってるけど、前みたいに自分もこれを書きたいとかあれをしたいとか、がんばろうって気持ちがもう無くなってしまった。
そういう気持ちを持ってるのがしんどくて数年触れない期間を作ったらもう戻ってこなくなっちゃった。
無くなったことが寂しいけど仕方ないなって気持ちになってしまう。「何かやろうよ」って熱意を持って誘われる方がしんどくなってしまった。
同じだけの熱意を持ってない私は空虚で無価値で下等みたい。「作る側」というプライド?こっち側しかわからないよね、という内輪アゲのしんどさ。もうついていけないかもなあ。
好きだという気持ちでものを見ていたい、技術がどうとかだから素晴らしいみたいな理由付けも聞くのがしんどくなった。
「作る側」の視点を聞いてると同時に評価したがりな顔を見てしまうことが多くて辟易してしまう。穿った見方か?私はただ作品を享受していたい。ていうかかなり的はずれなことあるよね?
自分の好きな物だけを見て、好きだなって思った気持ちを大事にして、誰にも害されたくないし何も入って来てほしくない。
そんな私でも良いかって前向きに思えたらいいのに。結局私にもああいう意識があるから虚しさがあるんだろうな。それ含めて気持ち悪いわ。