私が絵を描き始めたときはの頃はフォロワーがフォローより多いくせに「いいねありがとう!」とかいう一般人を毛嫌いしていた
感謝してるならなんでフォロー返さないんだ?言葉と行動が違くないか?
「いいねしてくれることには感謝するけどフォロー返すほどの感謝じゃねえから」と暗に言っているようなものだということ、その態度はフォロワーに滅茶苦茶失礼だということに気がつかないのか?なんて思っていた
昔は私の絵にいいねしてくれただけの人すら自分からフォローしていた
しかし、自分のフォロワーが増えるにつれてフォローを返すのがどんどん嫌になった
興味ないツイートで埋め尽くされるTLに辟易し、時には自分が嫌う言動をするアカウントも有った
やがて同じ界隈のアカウントでも絵を描いていなければフォロバが煩わしいと思うようになった 自分でも最低だとは思うが、日常・感想ツイートするだけのアカウントにフォローするだけの価値は無いとも思っていた(いる)ということなのかもしれない この自己分析は卑屈すぎるだろうか?とも思ったがあえて理由を言語化するならこの表現しか思いつかない
そしてなにより周りの評価が気になっていた 相互フォローが多いと媚びを売ることで価値のない絵に反応をもらっているような気がして嫌だった この反応の数は私の絵の実力なんだと思いたかった
フォロワーが多い人に取って1フォロワーの価値はより薄いだろうから、フォロバする気なんて起きるわけないだろう
「いいねしてくれることには感謝するけどフォロー返すほどの感謝じゃない」のもよく考えたら別に責めることでもないかも知れない
消しゴムを貸してくれた隣の人に一生を賭けて恩を返すなんて言うのはおかしな話だ
見合った感謝を返せばそれでいい それが「いいねありがとうございます」なんだ
それに私をフォローしてくれる人は私の絵を期待しているのであって私の人間性を求めているわけではない
だから感謝はフォロバよりも絵をたくさん描くことで返せばいいじゃないか 感謝だってそれ自体は悪いことじゃないんだ
そんなふうに考えるようになった
ただ、もし自分が見る側の立場だったとして、こんな風に創作者()が自分の態度を肯定していたらとても嫌だなってふとしたときに思う まさに今思っている 感謝は言葉でなく行動で示してほしい
自分が好きな絵を描く人にフォロバされて嬉しくないわけない よしんばその人自体に興味がなくとも、フォロワーの数字が増えて悪い気分になる人は多くないだろう
フォロワーが一日幾百幾千単位で増えるならまだわかるが、そんな神絵師ではない自分が手間を惜しむ理由になる障害なんてものもない
それがわかっているのに、ほんの一手間でできる感謝の表現を、もともと流し見するだけだったTLやプライドのために惜しんでいる人間がどの口で感謝とほざくんだ?厚顔無恥に感謝の感情を抱き、その愚かさに気づきながらそれでもフォロバしない自分はなんなんだろうか
こうなってしまっては見たい人が私の絵を見てくれればいいし嫌なら見なければ良いというスタンスを取る他ない もう私は感謝や反応をやめようと思う
1000いいねありがとうございます!って、それは999いいねはありがたくなかったの?999いいねありがたいと思うならなんでその時に言わなかったの? その感謝の仕方は本当に正しいの?
わかってる、そんなんじゃなくて嬉しいから感謝してるだけなんだ 深い意味なんてないし穿った見方をする必要もどこにもない、それでもいちいち引っかかる自分の性格の悪さが嫌になる
お絵かきマンが自己矛盾を抱えないためには無理やり正当化するか馬鹿になるか自分勝手になるしかないのだろうか 私は自分勝手になることを選んだ もう戻ることはないし戻りたいと思わずにいられるようにしたい
ワイ、非絵描きのロム専 フォロバよりも元記事に書いてある "だから感謝はフォロバよりも絵をたくさん描くことで返せばいいじゃないか 感謝だってそれ自体は悪いことじゃないんだ" ...