プロアマ関係なく好きなものを沢山摂取してすごく良い気持ちになってるけど、前みたいに自分もこれを書きたいとかあれをしたいとか、がんばろうって気持ちがもう無くなってしまった。
そういう気持ちを持ってるのがしんどくて数年触れない期間を作ったらもう戻ってこなくなっちゃった。
無くなったことが寂しいけど仕方ないなって気持ちになってしまう。「何かやろうよ」って熱意を持って誘われる方がしんどくなってしまった。
同じだけの熱意を持ってない私は空虚で無価値で下等みたい。「作る側」というプライド?こっち側しかわからないよね、という内輪アゲのしんどさ。もうついていけないかもなあ。
好きだという気持ちでものを見ていたい、技術がどうとかだから素晴らしいみたいな理由付けも聞くのがしんどくなった。
「作る側」の視点を聞いてると同時に評価したがりな顔を見てしまうことが多くて辟易してしまう。穿った見方か?私はただ作品を享受していたい。ていうかかなり的はずれなことあるよね?
自分の好きな物だけを見て、好きだなって思った気持ちを大事にして、誰にも害されたくないし何も入って来てほしくない。
そんな私でも良いかって前向きに思えたらいいのに。結局私にもああいう意識があるから虚しさがあるんだろうな。それ含めて気持ち悪いわ。
だれかが代わりにやってくれてるならそれで満足できていいじゃん そのうち満足できなくなるほど見捨てられた誰かが目についたら闘志がわくかも それは現実にいる自分だったり自分の...