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2019-11-26

フェミ社会学者エビデンスを出したらどうなの?

差別表現規制話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現

  1. 現実性差別性犯罪助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち
  2. しかもその有害性は公共の場掲示できる限度を超えている

という.

この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民エビデンス提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいか知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.

エビデンスとは

ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口エビデンスといっても質の強弱がある:

I システマティックレビュー/RCTのメタアナリシス
II 1つ以上のランダム比較試験による
III ランダム比較試験による
IVa 分析疫学研究コホート研究
IVb 分析疫学研究症例対照研究、横断研究
V 記述研究症例報告やケース・シリーズ
VI患者データに基づかない、専門委員会専門家個人意見

もちろん,社会科学分野では完全なランダム比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンス提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会専門家個人意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である

宇崎ちゃん事件場合

宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185

結論から言えばこの件は、議論する以前に答えは出ている。

女性差別撤廃条約1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプ是正を重ねて求めている。

たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性性的対象としてみるステレオタイプ認識を強化し、少女自尊心の低下をもたらす」と警告している。

上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスフェミニストから提示されることは現在までない.

また,牟田港区埼玉県ガイドラインを紹介した上で

今回のポスターはこうしたガイドライン等に抵触することは明らかだろう。

と,有害性は明らかであるとする.自治体ガイドライン炎上しないためのHow toであり,これに抵触たからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連ポスターですら,形式的にはガイドライン抵触することが指摘されている:

https://togetter.com/li/1425795

こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか

キズナアイ事件場合

キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/

「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システム再生産するのだ。

このNHKサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割であるある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。

性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実性差別性犯罪助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.

さらに,千田氏は加害性についてもツイート言及している:

https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560

ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞サイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期自分は、やっぱり傷ついたから。

自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがとき女性いかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分趣味ケチつけられたら、腹も立つだろう。

でもやはり、女子学生なかには傷つく子もいる。そしてそれは、想像もつかないくらいの絶望であることもまた認めるべきでは?

ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.

千田自身は,法規制を求めているわけではなく「市民公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民議論の補助となるエビデンス提示してもらいたい.

終わりに

今年の4月フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字引用し,現在社会にある男女差別提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンス提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制エビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである

統計大事です、それをもとに考察が成り立つのですから

先輩の言葉をもう少し噛み締めてはいかがだろうか.

2019-11-25

@Ohsaworks 氏の発言をさして問題だと思えなかった

さて、おおさわーくすこと大澤氏が燃えている。ここでもまとめられているように、

今回の一連の発言の中でもっと問題が明確なのは11月20日午前11:12の以下のツイートです。「弊社 Daisy では中国人採用しません」。なおこのツイートには11月24日18時時点で、318件のリツイートがなされ、511件のいいねがついています

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1196974667422035968

続いて同日午後1:21には、他のアカウントから批判を受けて以下のようにツイート。「中国人パフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」。

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197007069464842240

同日午後2:02には、さらに別のアカウントから批判を受けて「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。」とツイート。これは460件リツイートされ、385件のいいねが付いています

https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197017322185052161

という発言問題視されてのことである最初に見た時、これはめちゃくちゃな発言であり、こんなことをいう人間が身近にいたら絶対にお付き合いしたくないと感じた。しかし、『とんでもない差別許すまじ』とか『東大マネックスに訴えて直ちにやめさせるべき』ということは思わなかったのだ。今となっては直ちに訴えるべきであったなあと思っているのだが、自戒も込めて、なぜすぐにそう思えなかったかということを書き記しておきたい。

理由1. 学環周り・出身者に人格能力一定ラインに達していないと思しき教員複数名いること

『学環』といって一括りにするのは間違っていることは百も承知であるのだが、あえて言わせてもらうと、一部学環関係者レベルの低さは底が抜けているように思う。私学のお飾り教授よりもはるかにひどい例が散見される。例えば大澤氏を除いて学環出身者で最も有名なのは落合某だと思うけれど、彼は知りもしない社会科学しょっちゅうくちばしを突っ込んでいる。本業で何をやっているのか全く知らないけれど、他の分野のサイエンスちゃんと敬意を払えない人間がまともな教育を受けてまともな研究をできているはずがない。あとしばらく前に炎上したのは『様』付けメールをもらってTwitterでぶちぎれていた伊東乾教授という職業を己を飾るアクセサリーの一つ程度にしか考えていないことが明々白々である。あともう一人、個人的比較的近くで見たことのある教授がいる。その人のグループが呼んだ講演者セミナー要旨を見たことがあるが、完全に論理関係破綻していた。論理関係破綻しているというのは屁理屈とかそういうレベルではなく、モーダスポネンスや三段論法が成り立っていないとかそういうような次元の話である高校生ですらもう少しまともな文章が書けるだろうなと思ったことを記憶している。もちろん、この講演者けがヤバかったわけではなく、その人のグループ構成員セミナーも後で見たが論理関係が完全に壊れていた。『情報』と名付けるからにはカリーハワード同型くらい教えてみてほしい。

というような感じで、見聞きした関係者アカデミアにいる人々が全員、自己顕示欲に比べ人格能力釣り合っていないように思え、今更そのサンプルが増えたところで、すでに感覚がマヒしており別に何とも感じなかった。学環の一部関係者のせいで、増田のような外部者からは学環周りの風評はすでに地に堕ちており、今更東大被害を与えるというようなことも想像できなかった。

理由2. 発言意味不明すぎて取り合う意味すら感じなかった

問題視されている発言のもととなっているのは、例えば「中国人パフォーマンス低い」というような話である事実ではないことは明らかである。『人種信条性別社会的身分又は門地』とその人間能力は全く関係がない。こんなことは幼稚園児でもわかることである。ましてや2-30年も生きていれば優れた中国人プログラマーなんていくらでも心当たりがあるだろう。正直ばかばかしすぎて、まともにとらえる気にもならなかった。大体がそもそもこのような根拠もクソもない妄言を吐く人間がまともであるはずがないし、それは彼のHTTPS周りの発言からも明らかである。まともでない人間のやっているまともでない会社に雇ってもらう機会を逸したところで痛くも痒くもないのではないか。そう思っていた。

しかし、それはどうやら増田日本人他人事からそう感じただけらしい。よくネトウヨキッズが言うような『俺がお前の立場なら事実を言われても何も思わないけど?』という論理にはまってしまっていたのだと思う。そもそも考えてみれば『未踏スーパークリエーター』で『東大准教授』の発言である。ある種の権威圧力をもって聞こえる可能性はあるわけだ。増田なんかはそもそも学環というだけで権威性に-infinityのゲタをかませているのだけど、世間的にはそんなこと関係がないだろう。上に書いたようにあまりにもばかばかしすぎて扇動にすら聞こえなかったのだが、『学環』とか『イキリ倒してる人』とかそういうバイアスを外して、「東大准教授中国人能力統計的に低いと発言した」と言えばその問題点は明らかであった。

結論


というわけで、バイアスがあったりすると人間はどうも問題矮小化して捉えてしまいがちであるらしい、というお話だった。まあよくよく考えてみるとこういう事象政治家発言とかでもしばしばあって、安部麻生がどんな妄言を吐いても国民スルーしてしまうのに似ていなくもないかなと思った。

あと東京大学は大澤氏をパージするのはいいんだけど学環全体をお掃除してください。まじめにやっている人たちが(いるのだとは思いますが)かわいそうです。

2019-11-08

[] #80-2「人は簡単に変われる」

≪ 前

『誰でも出来る自己改革』を返品するため、弟は次のセミナーが開かれるのを待つことにした。

俺は未だ気づいていなかったが、その期間から異変は起きていたんだ。

「……どうせ返すんだし、せっかくだから読んでみるか」

弟は貧乏根性で、その本を開いてしまったんだ。

「ふーん……」

弟は活字嫌いだったが、まるで絵本を読むような勢いでページを進めた。

「……へえ……ほーん……こーん」

資料を纏めている俺の近くで、弟は数秒ごとに感嘆の声を漏らす。

鬱陶しくて仕方がなかった。

「なあ、兄貴も読んでみなよ。結構いいこと書いてあるよ」

この時点で、既にハマってしまったらしい。

とうとう、俺にまで本をススメてくる有様だった。

「俺は課題で忙しいんだが……まあいい」

気乗りはしなかったが、ここで断ると更に鬱陶しくなる予感がする。

部屋で静かにすることを約束させ、俺は渋々読んでやることにした。

「……なんか、予想以上に“軽い”な」

「何言ってんだ兄貴。本の重さくらい見た目で想像つくだろ」

「いや、物理的な意味じゃなくて……」

その本は文体が明朗快活で、難しい単語迂遠言い回しほとんどない。

まあ読みやすくはあるんだが、自己改革を謳う本にしては随分とユルいように思えた。

俺の借りてきた社会科学本が難解だったせいで、余計にそう感じたのだろうか。

「……はーん、“如何にも”って感じだ」

内容は、筆者独自ライフハックと、それに伴う持論を解説していくというもの

それを終始、前向きな言葉を添えながら羅列していき、読者に語りかけるように書かれている。

俺のイメージする自己啓発本そのものって感じだ。

「『テレビの音量とチャンネルを同じ数字に、マンション住まいなら階層も合わせる。一日に同じ数値を見続けることを意識し、心の安定化を図るのだ』……ははっ、意味分からん

しかし、書かれていることは全体的に安っぽい。

心理面のノウハウ迷信めいたものが多く、方法論は漠然としている。

尤もらしいことも散りばめているが、いずれも既に使い古された概念や、多少の知見があれば自ずと分かるようなことばかり。

わざわざ言語化するほどでもないのに、それを大袈裟表現で覆い隠して、何か画期的な考えのように語って見せている。

兄貴、このページの『よく学び、よく遊べ!』って良い言葉じゃない?」

「ああ、そうだな。良い言葉過ぎて、既にどこかで聞いた気がする」

何か良さげなことを書いてあるようで、その実は何も書いていない。

そんな感じの本だ。

まあ、弟みたいな奴がマトモに受け止めてしま構成なのは理解できる。

「これで1000円ってのは、書いた奴はかなりの自信家だな。むしろ読む側が1000円を貰うべきなんじゃないか?」

本を読み終わった後、俺は皮肉を交えながら弟に感想を述べた。

これがマズかった。

「その言い方はないだろ。価値あるものを、価値があると思う人間が買う。健全商売のあり方じゃないか

俺の冷笑気味な反応は、あいつの感情を逆なでした。

それで余計に意固地になったのだろう。

少し前まで「紙くずを買わされた」って顔をしてたのに、この短期間で弟は完全に“出来上がって”しまったようだ。

「……まあ、買ったお前がそれでいいのなら、俺から言えることはこれ以上ないな」

この時、俺は「面倒くさい」と感じて、適当なことを言って話を切り上げた。

いま思えば、それもマズかった。

次 ≫

2019-11-07

[] #80-1「人は簡単に変われる」

人はそう簡単に変われないとはいうけれど、弟から言わせれば楽勝らしい。

事の発端は数週間前、俺たち兄弟課題のために最寄の図書館へ行ったんだ。

今日資料集めをそこだけで済ませるってのもどうかと思うが、あながちバカにできるものでもない。

偏狭な馬面教師を満足させるのに、こういう場所にある本は都合が良いのさ。

兄貴課題って何?」

「『社会科学における価値判断と、その真理妥当性』だ。著者は忘れたが、そんなことを言及している本があったはず」

「うげえ、テーマを聞いただけで吐きそう」

「慣れれば吐かないさ。或いは吐くこと自体に慣れる。船酔いと一緒でな」

「そこまでして乗りかかった船にいたくねーよ」

だが、そこで降りてしまえば、後で確実にコウカイするだろう。

あのシマウマ教師の補修をやり続けたら食道がんになる。

少なくとも壊血病は避けられない。

「ところで、お前の船はどうなんだ。まさかテーマすら決めてないのか?」

「見くびるなよ。テーマは『この国が抱える借金を誰が払うべきか?』だ」

「ほう、如何にも大人が喜びそうなテーマだな。だが、お前的には“吐きそうな話”じゃないのか、それ」

「胸焼け止まりから大丈夫

しかし弟は学校も学年も違うので、教師偏狭でもないし馬面でもない。

課題をこなすことに大したプレッシャーがなかった。

「弟よ、お前さっきから“ま”の段落ばかり探しているが、パソコンで調べたりしないのか?」

必要ないよ。こういう本は『マンガで分かる~』で統一されてるんだから

「……まあ、お前の課題だ。好きにするがいいさ」

弟は結局、目ぼしい本がなかったようだ。

或いは見つけたものの読む気力が失せたのか。

トイレに行く」と図書室を出て行き、しばらく戻ってこなかった。

…………

弟が戻ってきたのは、それから1時間ほど経ってからだ。

俺の資料集めも丁度ひと段落ついたところだった。

「本、借りたんだ」

外国の本だから読み解くのに時間がかかりそうでな。翻訳問題なのか、随分とクドい書き方をしてあるんだ」

「なんでもいいから、用が済んだなら早く帰ろうよ。あそこの肉屋ハムカツ食ってからね」

「その意見には賛成だが、自分の分は自分で買えよ?」

ケチケチすんなよ。いま金欠なんだよ、俺」

「お前の小遣い事情なんざ知らん」

急かす弟に促され、俺はゆるりと帰り支度をはじめる。

バイトしてるんだしさ、ハムカツ位おごってくれてもいいじゃんか」

「お前にハムカツをおごるためにバイトしてるわけじゃ……ん?」

ふと弟の手元にある小さな本が目に留まった。

つの間に借りたんだろうか。

「お前は、その本を借りるのか?」

「えーと……これは買ったんだ」

「なんだそりゃ」


俺たちが利用した図書館ビルに備え付けられた一角であり、他にも様々な施設存在した。

間借りできる部屋もいくつかあり、そこで何らかのカルチャースクールだとかセミナーがよく開かれている。

まり弟は本探しに飽きて、トイレに行くと言いながら辺りを散策していたんだ。

で、やっていたセミナーに体よく引き込まれ挙句講師の自著まで買わされた、と。

いくらしたんだ、それ」

「……1000円」

ハムカツを腹いっぱい、レモンソーダと一緒に味わえただろうな」

本のカバーは無地で飾りっ気がなく、淡白フォントで『誰でも出来る自己改革』と書かれていた。

安っぽい自己啓発にありがちなタイトルだ。

紙質は粗悪ではないようだが、安価メモ帳よりはマシってレベルである

こんなもの買わされる弟も情けないが、ガキ相手に売りつける方も大概だ。

「あ、でも近いうちにまたセミナーやるらしくて。その時に返してくれるらしいんだ」

「ふーん……ん?」

弟がそう言った時、俺はそのセミナーの言い知れない違和感を覚えた。

だが俺は自分課題で手一杯だったのもあり、そのことを深く考えなかったんだ。

あの状況で、弟におごるのが癪だったってのも勿論ある。

「じゃあ、それまでハムカツなしの人生を送るんだな」

「えー!?

から何の気なしにそう答えてしまったんだ。

いま思えば、ハムカツ代を半分くらい出してやるべきだった。

次 ≫

2019-11-03

日本から文系大学がなくなる日は来ないけど

私は反対だけどツイッターであれだけ左派学者弁護士毎日のように炎上していて、政治感覚に目ざとい人間なら大学文系特に人文社会科学への予算を削れとロビイングしてるんじゃないでしょうかね。あそこは野党や反安倍本拠地から絞ればいいと。

また、そういうのを聞きそうな大臣じゃない。

2019-10-18

anond:20191018201911

アカデミズムには期待していますが、仮にも人文科学社会科学自然科学を学んでいるのに、専門知をもてあそんで相手恫喝してその手前の教養や見識で醜態さらしているツイッターでの自称学者の多さに唖然としています

特に社会学者とその周辺学問

2019-08-20

anond:20190820095103

恋愛工学の何が工学なんだよ

エネルギー自然の利用を通じて便宜を得る技術一般[1]。

数学自然科学を基礎とし、ときには人文科学社会科学の知見を用いて、公共安全健康福祉のために有用事物や快適な環境を構築することを目的とする学問[2]。ブリコラージュを含む、現実問題解決する方法の体系

誇り高きエンジニアはてなーが、恋愛工学()を許容していいんですかね?

学とつける価値がない

2019-08-01

恋愛工学ってどの辺が工学なの?

工学とは、 エネルギー自然の利用を通じて便宜を得る技術一般数学自然科学を基礎とし、ときには人文科学社会科学の知見を用いて、公共安全健康福祉のために有用事物や快適な環境を構築することを目的とする学問

2019-07-22

anond:20190722151459

刑罰100%被害者感情(遺族感情)を反映させるものになったとしたら、社会はどうなるんだろうか。

被害者死刑しろと言ったら窃盗でも死刑になり、罰金で許してやったらどうやと言えば殺人でも罰金になる。

なんなら凌遅刑みたいな規定されてない刑でもオッケー。

社会科学に自信ある人、教えてほしい。

2019-07-21

線形代数やら微積分やら結局わからなかった

社会科学大学院生

今日をもってこれらを体系的に身に着けることをあきらめた。

思えば統計学を学び始めたのがきっかけだった。

中心極限定理やF分布についてふわっと学ぶ度、こういうものを本当に理解するためには大学数学知識必要なんだろうなと漠然と感じていた。

研究室はそういうところを専門とはしておらず、ただあくまツールとして、回帰分析回したり分散分析するくらいでよかった。

就職先は金融ではあるけれどクオンツアクチュアリー職ではないから、たぶんそういうものの出番はない。

バカな僕は数理統計を学ばずにいて統計を用いた研究やるなんて、ちゃんちゃらおかしいと思っていたし、

就職先でもそういうことを学んでいれば周りよりも一歩二歩先を行けると信じていた。

しかし、マセマをやっても定評のある教科書を終えても、なんだか自分が思ったほどできるようにはなっていないことに気づいた。

やってることと言えば、学ぶ前も後も全く同じように回帰を回し、p値を眺めてあーだこーだ言ってるだけだった。

p値ハックの記事ベイズ有用性を目にするたびに自責の念かられてつらくなる。

しかしたら自分がやったことは無駄だったのかもしれないと思うようになる。

就活を終え、今一度参考書に取り組んでも、抜け落ちているところがいくつもあったことに絶望してノートもすべて捨ててしまった。

こうした知識必要コミュニティとは違ったところに自分いたことに気づけていなかったんじゃないだろうか

2019-06-29

anond:20190629160249

そうだね性差別には生物学根拠があるんだよね そこんところを人文・社会科学しか知らないリベラル様が理解できてないだけで

2019-06-19

anond:20190619134633

から理解してる、あるいはしたフリになってるのはあくまで「ゲイ」という社会科学上の存在であって現実存在するゲイではないし、テレビに出てくるような美形のゲイであってもその辺で見かけるブサイクではないって話になるんだよな

あくまそいつが美しく価値があるからそいつの愛や感情まで価値あるものとして肯定されるのであって、それ自体には何の意味もない

なのに愛は等しく価値があるだの、感情には寄り添うべきだの、心にもないことばかり口にするからどつきたくなるんだ

2019-06-05

すまん、可哀想だが社会学となると…

無駄だったとしかゲームを楽しむのと同じようにあなたが楽しめていたらその分だけの価値はあるけどそれ以外の価値は…

せめて社会科学だったら数理統計とか使える道具を身に着けれた可能性もあったが。

anond:20190604223140

2019-05-11

author-date方式引用しづらい文献

文系学問における注と参考文献の話、補遺」(anond:20190511125053)への反応見ていて、ブコメだけじゃなくtwitterでも「author-date方式でいいじゃん」という声がたくさんあり、やっぱり伝わりにくいものなんだなぁと思いました。

author-date方式、私もそれで論文いたことあります。とても便利なやり方です。引用するのが学術論文書籍だけなら。

ところで、次のような文献はどうやってauthor-date方式引用すべきでしょうか(手持ちの英語文献から引っ張ってきた例です)。

RGASPI, f.89, op.8, d.1016, l.1.

最初アルファベット文字公文書館の略号、それに続いているのは公文書館に所蔵されている史料(つまり公文書)の整理番号です。

もういっこ例を挙げておくと、日本公的デジタルアーカイブであるアジア歴史資料センターが推奨している史料引用方式はこのようなものです。

JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02030938800(第58画像から)、共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第三巻(A.3.4)(外務省外交史料館

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/www/doc/before_browse.html

公文書館って、こういう史料がたくさんあるわけですよ。これをどうやってauthor-date引用しろと。

また、無記名の新聞記事を大量に引用するような場合、どうすればいいでしょうか。たとえば、1919年における『ホゲホゲタイムズ』の紙面からホゲホゲ国のナショナリズムを読み解く、みたいな研究普通にあるわけですが、いちいち引用文献リスト

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(Anonymous 1919a)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(Anonymous 1919b)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(Anonymous 1919z)と主張した。さて、27日の記事では……あっ、もうアルファベットがない!

引用文献一覧

Anonymous. 1919a. “Column.” Hogehoge Times, 1st January, p.1.

Anonymous. 1919b. “Column.” Hogehoge Times, 2nd January, p.1.

Anonymous. 1919z. “Column.” Hogehoge Times, 26th January, p.1.

って書くんですか? めんどくさくねえ? それだったら普通に

『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(注1)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(注2)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(注3)と主張した。さて、27日の記事では「今年もよろしく!」(注4)と宣言されているが、これはどういう意味だろうか。

注1 “Column,” Hogehoge Times, 1st January 1919, p.1.

注2 “Column,” Hogehoge Times, 2nd January 1919, p.1.

注26 “Column,” Hogehoge Times, 26th January 1919, p.1.

注27 “Column,” Hogehoge Times, 27th January 1919, p.1.

って書いた方がよっぽどスッキリしませんかね。

もちろん、工夫すれば上で挙げたような文献もauthor-date方式引用できます。できるんですが、簡便で伝統的な書き方があるのにわざわざ不向きなauthor-date方式を使わなきゃいけない理由がわからない

なのでまあ、何が言いたいかというと、

……という感じですかね。author-date方式は便利だから先行研究の整理とかするときには愛用してるけど上で挙げたようなやつまでauthor-dateで書けとか言われたら「ああん?」ってなります

追記

author-date方式って大嫌い。(シェイクスピア2019)とか(アリストテレス2018)みたいな意味不明の注ができるし、ページ数が書いてなかったりするし、あと私は年号がない文献も使うから

さえぼー先生からこういうブコメいただけてもうなんか満足です。書いてよかった。あ、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』むっちゃ面白かったです。

で、私はauthor-date方式はどちらかといえば好きなんですが、さえぼー先生が「大嫌い」とおっしゃるのもわかります

きじゃないなら単に使わなければいいのに何で「大嫌い」って思うかといえば、頓珍漢な推測だったら申し訳ないんですけど、「author-dateを使うべきだ! author-dateじゃないとおかしい!」って押し付けてくる他分野の人がウザいというのが理由として大きいと思うんですよね。

私もとある機会に全部author-dateで書け、注で出典表示するのはいっさい認められん、と言われて、ふざけんなこんなのどうやってauthor-date引用するんだよと食って掛かったことがあります。もうほんとね、他分野の人がどんな資料引用してるのかについて想像力を持ってほしいですわ。

というか人文系の人が理系社会科学系の人がauthor-date方式使ってるのに文句を言っている場面はまず見ないのに対して、人文系引用方式文句をつける理系社会科学系の人をそれなりに見かけるのはいったい何なの? って思います(あ、でも、『史学雑誌』の書評でauthor-date文句つけられてるのは見たことあるかも)。このへんの憤懣があるんですよね。

全部url管理して欲しい

日本語読めないマンすごい……

2019-04-20

anond:20190420161653

フェミニズムと戦ってたはずの人がいつの間にか社会科学全体と戦うことになるやつだ。

バカ理系ミソジニーを混ぜ合わせて数年間熟成させるとこうなる。

anond:20190420161353

お前がそう読解するのは勝手だけど、質的普通に社会科学の中で受け入れられてることは理解できたか

anond:20190420153817

質的研究自体への疑問は「あたりまえだから」とかい理由却下されるというもはや共産主義的な社会学部

もうこれだめだろ。

流石に読解力がなさ過ぎる。質的研究と量的研究客観性科学性が異なるっていう文脈だし、それは社会科学分野では当たり前のことだよ。

なんでこんなもの学問になってるの?芸能人研究学問なの?

文化人類学研究対象として松崎しげるの黒さを出すようなものを疑わないってちょっと学問としての姿勢が狂いすぎている。

anond:20190420152930

流石に読解力がなさ過ぎる。質的研究と量的研究客観性科学性が異なるっていう文脈だし、それは社会科学分野では当たり前のことだよ。

質的研究は全部クソって言うなら理屈としては分からんでもないが、フェミニズムどうこうの話ではない。

2019-04-18

anond:20190417085712

ここまで信頼性がない、「差別があるかも知れない」を敢えて東大新入生男子にぶつける意味とは?


東大エピソードを持ってきたのは、東大新入生男子に、自分や友人が性差別に加担しているかもしれない、という考えを持ってもらいたいからだろう。現代日本では、性差別は、少子化ひいては日本の国力の衰退の遠因ともなっている、最大の社会問題の一つだ。元増田がどうかはともかく、東大男子なかにも、かなりの数の無意識性差別主義者がいるだろう。そういう人に、「あなた性差別主義者だ。」といっても反発するばかりだ。でも、東大入試という一番身近な例を持ってきたことで、無意識性差別主義者にとっても考えるきっかけになるだろうと思う。

また、信頼性のある結論提示して、「だから差別は止めましょうね」というのは、中学生高校生向けのやり方だ。大学に入った以上、問いが与えられたらそれに対する答えを見つけるのは学生の責務だ。ただ、自然科学だと、学部レベルでは最先端に達することができないので、信頼性のある結論提示されていることに慣れている、っていうのはわからなくもない。そこは社会科学自然科学の違いで、駒場にいる間に東大生全員が学んでおいてほしいと個人的には思う。

現代問題を扱う社会学では、学部生がいきなり最先端に投げ出されて答えを探すことになることも多い。東大入試に至るまでのプロセスでどのようにジェンダーバイアスが働いているのか、もしくは働いていないのか、というのは誰も答えを知らない問いかもしれない。身近で、誰も答えを知らなくて、社会の大きな問題につながるような問いを入学式祝辞で投げかけられたら、大学生の私はわくわくするとおもう。

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