はてなキーワード: 生産者とは
大変物事を多角的に見れてるみたいな感じで御高説をお垂れになられてますけど、その界隈の買い手離れによる生産者への不利益についてはどうお考えなのでしょうか?
買えないからこの趣味やめるって人が増えるとそれこそ需要自体が少なくなって、転売ヤーすら買わなくなるよね?これをいろんなとこで繰り返していくつもり?一時的なバブルを作り上げて最終的にそのツケは全部生産者が受けることになると思うけど、それが経済回してるって言える?中長期的には存在が害悪でしかないじゃん
みたいな反論はいくつか出てくるけど、もちろん見たこともあるだろうけど、それでもお前は自己正当化して生きてきた人生だろ。だったら胸張って転売活動しろよ。こんなとこでめげんな。愚痴も吐くな。まともな仕事で稼げなかっただけだろ。きっしょいポエム目に入れたくないんじゃ蛆虫がよ。とっととくたばれ
転売屋が嫌われるのはお前らの活動が販売主・顧客の双方になんのメリットも無いから
販売主・顧客だけを生産者・消費者としてみるならば、それはそうだ。
だけど実際は転売ヤー自身も商品を売買している。雇用と賃金を考えないのだからスタグフレーションを言う意味はなくて、もたらすのはただのインフレ。インフレそれ自体には良い面も悪い面もあるが、転売ヤー自身の経済活動のメリットを評価せずにそこだけみるのはフェアじゃないな。
抽選や早い者勝ちでしか買えなかった財力のある人たちに購入できる機会が生まれる。在庫を抱えるリスクを負って、オークションをする手間も省き、「高く売ってくる販売主」というレッテルも取り外すのは儲けに見合う付加価値だ。
無茶を言う… 盗品を売っているかどうかは中間のインフラ側は判断が難しい。盗難を防ぐ工夫はまだやりようがあるはずだ。社会的合意の圧力で誰かを追い込むのは、文明的なやり方じゃないね。
ならば俺はお前に何も言えなくなる。
D_Amon 例えばプラモデル初回生産はものによっては数千個で、そういう小さな市場だから容易に買い占めて流通を塞き止めて高値で売りつける商売が成り立つ。メーカーは実需要的に供給大幅拡大はできない。わかるか塞き止め屋
塞ぎ止め屋などと悪し様に言っているが、それの何が悪いんだろう?
最初からメーカーが高値で売ればいいじゃないか。もちろん高すぎると売れないリスクがある。
転売ヤーはそのリスクを抱えて高値で売る。メーカーにとっては客も転売ヤーも買ってくれると言う点で同じ。客にとってはどちらからでも高く買うことになるから、同じ。
世間体が邪魔になる点だけが違うけど、その世間体を作ってるのはアンチ転売ですよね。
アドバイスの体裁をとった脅迫じゃんか。その言い方。下の「大学出てなさそう」さんとか、反転売勢って倫理を盾にして攻撃してくるのに、冷静な議論を持ちかけたりはしないよね。
mouki0911 商社は生産者から小売への取り次ぎだからむしろ産業の発展に寄与することを目的にしてるけど、転売は普通に小売店で買えるものを釣り上げるんだから産業を発展を阻害するんだよ。
規模の小さい服のセレクトショップなどは小売店から買い付ける場合もあると思う。原油価格高騰みたいに、需要が上がれば価格が釣り上がるのは普通のこと。転売の存在は生産者にとってプラスにならないがマイナスにもならない。阻害しているとは言えない。経済を回していると言う意味で社会にはプラスだ。生産者が最初から高く売れない理由があるなら、それこそが産業の発展を阻害している。転売は消費者にとってはマイナスだ。だけどそれは、元々が不正に安い価格で買えていただけでは? 高く売れない理由が生産者を押さえつけ、消費者に利する。転売ヤーはその鎖を断ち切って経済を回す。
小売店から買い付け出来ないようにする限定は不自然だと思う。A さんがレモネードを作っていて、B さんが買って別の誰かに販売していて、でも実は A さんは C さんにも売っていた。そのことで B さんが責められる。わけがわからない。この道徳を合理化するには小売店の厳密な定義が必要だ。
私は農家です。
おかげさまでうちの野菜を目当てに買いに来てくれるお客さんも多くて
その直売所では、うちの野菜がちょっとした名物にまでなったの。
直売所では「佐藤さんちのとうもろこしフェア!」なんてのも開いてくれるくらい
ところが、とうもろこしが売れる直売所って言う情報が広まったせいか
あまり見た目も味もよくないとうもろこしを出荷する人が出始めたのよ。
佐藤さんちのとうもろこしは直売所に持っていったらすぐに売れてしまうから
そのよくないとうもろこし農家は、それを狙ってかわからないけど
佐藤さんちのとうもろこし売り場に堂々と自分のとうもろこしを置くわけ。
農産物には生産者の名前と値段の書かれたシールを貼らなければならないから、
よく見れば佐藤さんちのではないことはわかるんだけどね。
その結果、起きたこと。
そのよくない農家は売れ残って大量の廃棄を出す。
お客さんは、よくないとうもろこしなら要らないから直売所離れが起きる。
誰も幸せになってないのよ。
そのよくない農家に出すなとは言えないのよ。
佐藤さんも、自分の店じゃないからうちのシマを荒らすなとも言えないのよ。
よくない農家だって売れないから翌年から来なくなるけど、別のよくない農家がまた来るのよ。
で、何が言いたいかって言うと
新規にも優しくしないとコンテンツは衰退するとか言うけど(農産物はコンテンツではないけどね)
もちろん質のいい新規なら大歓迎。
余談だけど、Amazonのマケプレ一部の中華業者一掃を見て、運営が思い切ったなと感じたよ。
いや何いってんの?
Appleは中国のファブが磨いてきた枯れた技術にお墨付きを与えるようなモノづくりをしているだけ。先端を追わずに、いいとこ取りしていく狡猾なスタイルだよ。そのくせものすごい精度を求めてくる、生産者としては厄介企業。
例えば最近で言うと、シリコン酸素アノード電池を実用レベルにもっていき製品化したのも中華メーカーだ。これも現在のものを置換えていくだろう。
画面内指紋認証技術もたくさんの機種に搭載されてきた中で着々と世代が進んで高精度化している。
画面内インカメラについても、去年夏、実用化されたZTE Axon 20 5G(≒Rakuten BIG)では酷評が多かったが、最新の第3世代になってくるとXiaomiやOppoにも今夏の採用機種がでるほど品質面の問題がなくなってきたという事情がある。
今は都内に住んでいるが、高校卒業まで世話になった恩義もあり生まれ育った地元の町に定期的に寄付しているのだが、ここ数年で異様に使い勝手が良くなっており驚きを隠せない。
使い勝手が悪いとか、改善が遅いとか、とにかくいい評判を聞かないお役所絡みのIT案件としては異様ともいえる速さで便利に進化しているのだ。ここ数年のブームのおかげか、他の地方自治体もサイト構築に力が入っているので共通している要因が何かあるのだろう。(予算が潤沢についているとか、サイト運営のコンサルタントがいるとか)
役所に問い合わせて振り込む必要あり。手続きが面倒くさかったのでこの年は使わなかった。
ふるさとチョイス経由でカード払いができるようになった。返礼品の数が少なかったのでとりあえず使い道に困らないお米を申し込む。
農産物だけでなく工芸品や体験型の返礼品が一気に増えた。が、品目が増えすぎて検索性が悪くなった。
ふるさとチョイスだけでなく、さとふるや楽天ふるさと納税といった他の主要サイト経由の申し込みにも対応。
前年に増えた返礼品が、米・野菜・酒類・肉類・伝統工芸といった形でカテゴリー分けされて探しやすくなった。
さらにお米のような農産物なら生産者のインタビュー記事や、昨年度の寄付金をどう使ったかの使途報告まで載っていて情報量は申し分なし。
余談だが、今年は記事を参考にして、うちの婆ちゃんの家があるエリアで作っているお米を申し込んだ。
私の寄付金は農地の鳥獣被害軽減のための対策に使われるそうな。地元に残った同級生たちも、猿や猪の食害に悩んでいるというような話をSNSに上げていたので実際に困っている課題なのだろう。これで少しは地元に貢献できるのではないかと思う。
さて、こんなに使い勝手の良いふるさと納税サイトを運営しているわが地元、他の情報もさぞやわかりやすいのだろうと思えばそんなことはなかった。
今一番ホットな話題であるコロナウィルス関連情報は、Word文章をPDF化したであろうものを毎日手動で更新しているようであり、我々がイメージするところの旧態依然としたお役所ホームページそのままという感じである。はじめの方にも書いたが、ふるさと納税サイトの使い勝手だけが異様に良くなって、コロナウィルス情報をはじめとするその他の部分が旧態依然としている理由がすごく気になる。
ふるさと納税制度の良し悪し自体はいろいろ議論されているが、曲がりなりにもお役所IT関連の成功例には違いない。改善された要因を分析して他の部分にも適用できればお役所のIT化もグンと進むのに、ノウハウが他で生きていないのはもったいないなと思ってしまった。
「遺伝的に持って生まれた体質を理由に人を差別」しちゃ駄目でしょ。
お前らがやってることは黒人差別だぞ。
それを率先してやるのが当たり前の社会じゃもう流石に駄目だろ。
あと10年待ってやる。
10年後、もし新社会人が職場で「おいおい下戸なんかじゃあ仕事は取ってこれねえし、俺もお前のこと嫌いになっちゃうぞ~~~」とかやられててたらもう社長から専務ぐらいまで全部逮捕でいいだろ。
給食の時間に牛乳残した子供が「ん!生産者侮辱罪で有罪!私的制裁パンチ!」とか教師にやられたらもう教員免許剥奪して業務上過失傷害で逮捕していけ。
いい加減滅ぼしていくべき風習がある
電博ADKといった「自由を履き違えることで金を稼ぐプロ集団」が、ネットという光の速度で情報交換ができるメディアの介在によって存在意義を失いつつあるということは、実に民主主義というものの素晴らしさであって、今回の東京オリンピックの開会と閉幕の愚昧さは、インターネットという「物理学的な伝達速度の限界」にいる我々が、情報格差で成り立ったエリートの時代に打ち勝つ手段を持ち得たことを意味し、人類の歴史においても、真の意味で「プロフェッショナルに直接、金を払う」という時代の到来がきたと、わたくしは確信に至った次第であります。オリンピックでトヨタや NTT が「金を捨てて」を打ち切った背景からするに、広告というものは営利企業が主体的に「自分たちの売りたいもの」を考え、消費者の満足度を上げる目的のものとなり、プロダクトと並行して広告を作り出すという、消費者のためのプロダクトであるという自我に広告は気がついたのです。もはや、広告は「空気の奴隷」ではありません。広告はついに「消費者のためのもの」になるのです。広告は消費者が主体的に消費するものとなる日が、東京オリンピックの閉幕とともにやってきたのです。広告とはプロフェッショナルの代弁者であり、消費者の満足度を上げる価値を提供するプロダクトであるという、己の使命を発見したのです。20世紀の長期に渡って、広告の使命を歪ませてきた広告代理店の罪は、ついに TOKYO 2020 として結実したのを我々は存分に認めてしまった。それに、広告というものは消費者の味方であるべきと、創造主の提供元は認知してしまったのだ。消費者の勝利の日は近い。我々消費者は、広告代理店に歪まされた市場に勝つ手段を手にしたのです。電通は、よろこんで死ぬべきだ。虚業は消えるべきだ。広告の真の使命のために、失せるべきだ。広告は「道具」ではなく、消費者の価値創造の「プロダクト」の一環として、消費者のそばにいることに歓びを覚えてしまった。もはや、広告はコントロールできない。これにて、広告代理店が代理して広告をつくるという間違った既存の悪しきプロセスは、終戦を迎える。広告代理店の敗戦は、生産者と消費者の勝利だ。よろこんで「終わらせて」やろうじゃないか。
韓国、日本産の超高級ぶどうを無断栽培「先進国の立場で大目に見て」「文句は中国に言え」 Tweet 261
韓国・ソウル市にある高級デパートで、最近あるものが販売された。
1房140万円の値を付けたこともあるこのブドウは、石川県でしか栽培されていないはずだが、なぜか韓国産として売られていた。
韓国産「ルビーロマン」は、何と1房日本円でおよそ8,000円。
粒はピンポン玉ほどの大きさ。
こうした日本の高級ブドウを勝手に栽培する農家が韓国内にあると聞いて、取材班はソウルから150kmほど離れた町へと向かった。
農家に直撃取材すると、カメラ取材は断られたが、話を聞くことができた。
「ルビーロマン」生産者「手順を踏んで手に入れたものではない。日本側から見れば盗み出したと考えるが、先進国の立場で大目に見てほしい」
日本では2021年4月に改正種苗法が施行され、「ルビーロマン」や「ジュエルマスカット」の種や苗は、海外に持ち出すことは禁止されている。
どうやって入手したというのか。
自分がヴィーガンだからからもしれないが、食べ物に関しては政治性を求めてないというか、寛容な目でみている
中国には月収3.3万円以下人口が9.6億人存在するらしいが、そんな人たちのことを考えると、
日本の甘くて美味い果物や野菜を栽培して食べたり売ってもらえば幸福度を上げることに直結する
日本人の栽培の苦労によるものだけど、開発した人間はとてつもない徳を積むことになるからそれはそれでOK
まあ米にしても野菜にしても気候や土の違いで「完全に同じ」ものが作れるわけではないからな
完全なる盗品ではないということもある
今年の2月頃の話です。
なんとなく通販サイトを眺めていると、水産庁の事業(水産物販売促進緊急対策事業、もちろんもう終わっていますが)により、水産物の送料が期間限定で無料になる、とのお知らせがあるのを見つけました。
そして私は「せっかくだし、コロナのせいで会えてない祖父母にウナギでも送ろうか」とふと思い立ち、発送先を祖父母の家に設定しウナギを購入しました。
単なる気まぐれでしたが、祖父母は随分喜んでくれました。
さて、そんな祖父ですが、年齢も年齢だったためか、最近随分と体調が良くなくなり、そしてついに旅立ってしまいました。
まず大往生と言っていい年齢だったとはいえ、コロナで会えないまま終わってしまったのは心残りでした。
しかし、好物だったウナギを生前にごちそうしてあげられた事、そして祖母から聞いた「そのウナギを食べた時は随分喜んでいた」という話に、結構救われました。
もちろんそんな状況を想定してあの制度を作られたわけではないということは理解しています。あくまでも目的は事業者支援だったでしょう。
そしてその制度が適用されるよう努力された生産者や販売者の皆様も(客に喜んでほしいという意図もあったかとは思いますが)事業の存続のために努力なさったものと思います。
とはいえ、そのおかげで意図していた方向とはおそらく別な意味で救われた人間もここにいます。
農林水産省と水産庁、そして生産者と販売者の皆様、本当にありがとうございました。
個人的にはオークションサイトなどで目にするタイプの転売屋は最悪だと思っているし、そういう商品を買ったこともない。
その上で、しばしば転売屋とセットでやり玉に上がる「転売屋から商品を買う人」の是非について思ったことをちょっと書きたくなった。
言うまでもなく、大半の商売ではお金を払えない人は客とはみなされない。
ところが逆に、金ならいくらでも出せるという人があらゆる物を好きなだけ手に入れられるかというと必ずしもそうではない。
その極端な例が政府が配給制度をしいて供給量をコントロールしている場合だ。配給品はいくら金を持っていたとしても決まった量しか手に入らない。
このようなとき、お金を出せる客とお金がほしい生産者がマッチングすると、闇市が生まれて闇相場ができる。
ひるがえって今のプラモとかPS5とかiPhoneとか他のなんでも小売りの世界について考えると、売値についてはたいていメーカーの思惑で一定範囲に決まっている。
金をたくさん出せば必ず手に入るという状態ではない。「金なら出すから何とかしろ」という人たちはある意味客層として想定されていない。
供給量に不安があって、客の手元に金があり、ネットによって売り手と買い手のマッチングは秒でできる。
そんな今は闇相場を作ろうとする力が強く働いていて、転売屋はそれにタダ乗りしているだけじゃないかと俺は思う。
※厳密な話をすると闇商人としての転売屋は配給米を闇市に流しているような輩であって過去の闇商人たちよりも数段タチが悪い
日本の配給制度と闇市を巡る問題については、とある裁判官が闇市の利用をよしとせずに配給食料のみで生活して餓死した事例がよく知られている。
べつにプラモが買えなくたってPS5で遊べなくたって死にゃあしないけど、金はあるのに金で解決できないフラストレーションに公式は応えてくれない。
じゃあ転売で買うのは正しいかって言ったら正しくは無いんだが、自分の需要を認めてもらえない人たちにとっては法に触れるわけでもなく自己解決の手段の一つである。
そもそも転売屋を滅ぼすことはできたとしても「転売でもいいから入手したい」という需要を滅ぼすことはできない。
それが人の夢、人の望み、人の業だとえらい人も言っている。転売は結果に過ぎないんだよ。
公式の供給が有限で、かつ一般販売しか想定されていない商品では、闇市の発生を防ぐことはたぶんできない。
「暇がない、金ならある」という人がいる限り、売らんかなとする輩によってすぐに闇相場が形成されることになる。
不幸なのは一般販売に関わる参加者全員が、今やその闇相場の影響を受けていることだ。
いま転売屋から商品を買っている人を責めて転売屋から買うのを止めさせるよりは、その需要に応える転売以外のルートというものを考えてみたほうが幸せになれるんじゃないかな。
知人に実際に転売に手を染めていたものがいて一度口論になったことがある。
このような手合いは自分をごまかすための理論武装を多重に備えているので、その場で論破できるなどとは考えないほうが良い。
依頼があって瀬取りする商人とネットオークションで活動する転売屋の差はここにある。
「俺の代わりに買い物してきてくれ」と頼まれない限り、転売屋のサービスの需要はゼロのままであり彼らが手にするべき真の価値は無である。
販売価格が卸価格に比べてずっと高ければ、誰かが市場のパイを一切れさらっていったということであって供給側にとっても隠れた損失がある。
文化人文化人言うけど日本の文化人ってすっげー内弁慶野郎ばっかじゃん
正直そのへんのゲーム会社の名もなき社員のほうがグローバルスタンダード叩きこまれてるよね
落ちぶれたといわれるゲーム業界だけどそのへんはレベルが違うと思うわ
コーネリアスとかまじコーネリアス()って感じだしあげくラーメンズってw
いや、べつにそういう文化あっていいけど、こういう国際舞台に立つ人間の人選としてどうなのって思う人選のレベルっていうのかな
まじで任天堂とかソニーの社員でやったほうがよかったんじゃねーのって思う
めんどくせーなっておもいつつあれで何がいいか悪いかとわかってるよね
視聴率の敵とか言われてテレビ業界に足蹴りにされてたゲーム業界のほうがレベルたけーわ
こういうこと書いたらすぐデッドオアライブとかチェリーピッキングしてきて
「ほーんこれがゲーム業界のグローバルですか~」とか逆張りで言いそうだけどそういうことじゃねーからな
ゾーニングとか現地化とか線引きとかTPOが分かってるっていう意味な
狭い業界で特定層に受けることやってきた業界とは違うのよって話
最近人を傷つけない笑いすごい!とか言ってたじゃん、こういうことすぐいうじゃんお笑いオタクって
でも例えばミルクボーイのコーンフレークのネタなんて「コーンフレークは生産者の顔が見えない」とかで笑い取っててさ
これで人を傷つけないっていう評価してんの?って思ったよね
ミキとかもそうで、何かのネタで顔の話になって、弟が「ハーフ顔だぞ!」って自慢したら兄が「東南アジア系のだろ!」みたいなこと言って
これゴールデンで流すのかよって思ったよね
日本のお笑い、日本のテレビで評価されるってこの程度なんだなって
この程度で人を傷つけない笑いが時代がどうとか言ってるの~?って思った
自覚がないってやばいよ、人を傷つけますって言ってやるほうがまだいいよ
だからさ、こういうこと許す連中の思う人選だとそりゃあーなるよねって思う
自分はオタクである。オタクと名乗っていいほど知識があるわけじゃないし生産者じゃなくて専らコンテンツを消費しているだけだけど。
前は深夜アニメとニチアサがメインだったけど、ここ数年は完全に特撮にシフトしてる。今は東映特撮YouTubeチャンネルで毎週配信されている番組と、牙狼を見ている。
今まで見てなかったけど今日ウルトラマントリガーをYouTubeで見始めた。
しかしこれらの趣味について誰かと語らうことはほとんどない。職場の人間はもちろん家族や恋人にすら、自分が今見ているコンテンツについて話すことはない。
Twitterでは「#特撮好きと繋がりたい」とかってハッシュタグをつけて同じ趣味について語らう相手を欲している人がいるけど、自分は別に興味がないからだ。
以前は職場でも自分の趣味を隠していなくてむしろ積極的に布教している節があったけど、最近は自分の趣味を誰かに積極的に明らかにすることがなくなってしまった。
自分の経験なんだけど、自分の好きなものをdisられると、それまで好きだったものなのになんとなく嫌気が指してやめてしまうことがちょいちょいあった。
しかもオタクコンテンツなんて、無条件にやめさせたくてしょうがない奴が一定数いる。こういうやつはオタクであることをやめさせたいだけで別に代わりの趣味を提供してくれるわけじゃない。今好きなものをやめたら、他の「まっとうな」趣味に置き換わるんじゃなくって、単に壁や天井を見つめる時間が増えるだけだ。
好きなものをdisられたらそれは違うぞ、と言い返せばいいんだけど、いっぺんdisられるとそれがキッカケになってなんか全部どうでも良くなっちゃう感じ。
実際にプリキュアの変身バンクを鬼のようにdisられてからプリキュアをあんまり積極的に見なくなってしまった。
他人と、あと自分に、自分の好きなものを押し通すには強い自我が必要なんだけど、自分にはそういった自我がないことが分かったので、人にあんまり自分の趣味を共有しなくなった。
そんなことしなくてもYouTubeのコメントは肯定的なものに溢れている。それはとても薄い繋がりだし、別にコメントしてる人と話をしたり直接会ったりしたいわけでは決してないけど、自分の趣味を直接否定する人間よりは百倍、いや一億倍良い。
自分の趣味をわかってくれる人、いやわからなくてもいいから積極的に否定してこない人を積極的に探すよりは、すでにあるコンテンツで満足していたい。
タイトルの通り処女大学生です。ナス(できたら水ナス)食べたいが食べる機会がなく困っているので時間があればアドバイスくれると嬉しい。
自分は性格診断だとnasuで野菜欲だけあるみたいなタイプだ。だからナスとか水ナスとかズッキーニとか食べてどんな感じなのか知りたい。カボチャについては大学生になってまるまる一つを鍋にぶち込むことで実質カボチャを理解しただろと思っているのでそこはいい。(グルメ漫画ほど美味しくなくてがっかりした。世の中知らなくていいこともあるんだと思った)問題はナスがないと食べられないナスの天ぷらが食べたいことなんだけど、適当なナスで済ませていいものだろうか?ネットや友達は初めての食事は頭に残るから良い食材にしろと言っているので、ナスも記憶に残ってしまうんだろうか…?と思うと躊躇ってしまっている。一時期野菜専門店にでも行こうと思ったが、調べたら3万くらいしてそれならlocal farmのナスとかでよくないか?となってしまい行動できていない。もう知り合いの農家のnasuに頼み込んでしまってもいいものなのだろうか。(相手も生産者として提供してみたいと言っていた)ちなみにズッキーニ食べたくて畑を作ったことはあるが農業が大して好きでなかったのと店売りで事を済ませた方がラクだなと思い、潰した。その時に土が肥沃じゃない地域はきついと思ったので、今は野菜が美味しい地域を選んで住めそうな感じになっているが、ナス食べたいだけで移住するのも申し訳ないなぁと罪悪感を感じている。というかそとそも都会にいることが好きなので大自然の中にいる状態が向いていない。忙しい中恐縮だけれど意見を教えてくれると嬉しい。