はてなキーワード: 物心とは
私の親は、いわゆる毒親だった。
物心ついたころから、暴力、暴言はデフォルトで、私が抵抗できないのを常に見ている兄弟達も、親を見習ったのか、性暴力を受けた。
勿論私自身「良い子」では全然なかったし、いろんな悪事を働いたし、尻拭いをしてもらったこともある。
今で言う「授かり婚」で急に結婚することになって、いらないというのにそこそこ盛大な式を出してくれもした。
感謝している部分も沢山あるが、それ以上にもう関わり合いになりたくない気持ちが強い。
調べればいくらでもわかるようにはしてあるが、何の連絡も来たことはないし、最後に話した「機会があったら連絡する」という言葉の、その機会をわざわざ作ろうと思えないままン十年が過ぎた。
調べてもいないとしたら、2度目の結婚で生まれた子が成人していることも知らないだろう。
先日、義父(今の夫の父親)が亡くなった。
遠方に住んでいるので交流は少なかったが、悲しい、寂しいと思う気持ちがあった。
果たして、自分の実の親が亡くなったと知った時、同じように思うことがあるのだろうか?
今の時点では、厄介だなとしか思えないのだが。
私は子供が好きでも嫌いでもない。
でも、家庭というものへの憧れが一切ない。ましてや、自分が人間を育て上げられるとも思わない。
「好きな人ができたら変わる」
ごく当然のように「子供は何人ほしい?」なんて質問しておいて、生き生きと非難してくる人の気味悪さ。でも、私はもう負けない。
紹介された大学病院で、医師に卵子凍結を勧められたが拒否した。私にとって、子供ができなくなることよりも卵巣に針をぶっ刺されることの方が大事だったから。
よく考えてくださいと言われたけど、私はもう、物心ついた時から子供を産みたくなかった。
10代男女のSNSのアイコンでアニメアイコンとは違う少女漫画みたいなド爽やかな似顔絵使ってるやつあるやん
投資詐欺とか意識高い系サロン運営者みたいな自画像の美化できっしょ、実物はチビ猿やんけ
まだ自撮り使ってる陽キャDQNの方がマシやんと思う事がままあったんやが
物心ついた頃からSNSが身近にある10代にとってはネットにキラキラした美しい自分を載せることって自然な事なんやな
ワイらみたいな年寄りは自分を美化しすぎると恥ずかしいと卑屈になってちょっとふざけたアイコンで自我を保ったりするが
え!?ごめんこれ読んで書いたのかと思ってた。
上で「売れれば売りたいなとは思ってるんだろうけど」って書いたのは(すみません、エジプトBL増田です。記事を引用した方とは別人です。)実はこの記事の「ジャンプ編集部には面白ければ勝手に売れるだろうという驕りがある」あたりの受け売りだったんだけど、気になる点もいくつか。
ヒョンソク氏「まだですね、ウェブトゥーンって新しい文化なので」
もちろんスマホの登場で商業的に成功したのは最近だろうが、今の若いウェブトゥーン作家はもう物心ついた時からウェブトゥーン読んでる世代だよ…!?
未だにチートラのフォロワーみたいな大学生のリアルな恋愛ウェブトゥーンも腐るほどあるし、韓国のファンからは、「またウェブトゥーン原作のドラマ化かよ」って声もある。ギアン84やヤオンイに憧れて「俺もウェブトゥーンで一発当ててぇ〜w」みたいな舐めた態度のワナビーが韓国にはゴロゴロいるのに…。チェンソーマンの盗作騒動もあったし。ヒョンソク氏は韓国でもほぼトップオブトップだからそういうザコは眼中にないんだろうけど、癌化は既に始まってる。そもそも日本に入ってきて今読まれてるウェブトゥーンて韓国ではもう古いからね。あと薄給激務で映画なんか見る暇ないでしょ。韓国人が映画好きなのは確かだが、マーベル映画はじめごく一部のブロックバスターを全員見てないと学校や職場で話題についていけないっていう意味での「好き」であって、日本でいう月9みたいなもの。藤本タツキみたいなマイナー映画をあれこれ見まくるタイプの好きは韓国でもひと握りだよ。ヒョンソク氏の周りにはそういう意識の高いクリエイターがたくさんいるのかもしれないけどね。ていうか、そこまで映画好きだったらウェブトゥーンじゃなく映画業界に行ってしまう。
てかさーワンパンマンとかヒロアカはアメコミ風の演出をよく研究して取り入れてるよね。ワンパンマンのリメイク版の作画を担当した村田雄介は他ならぬ韓国のイラストレーター、故キムジョンギ氏と親交があったしね…宝石の国とかゴールデンカムイとか明らかにコタツで漫画を読んでるだけでは描けない作品もバンバン出てきていますが…?
だいたい連載会議でワンピース落としたのマシリトだよね?海賊なんかが看板背負えるわけないって。今だったらスパイとか古い(笑)とかチェンソーとかダサい(笑)とか言ってるはずの人が、ウェブトゥーンにはなんでこんなに甘いのかイマイチ納得がいかない。慌てて丸くなったアピールしてない?
ただ、編集長のイスにふんぞり返ってた時代はもう終わった、これからは原石の争奪戦だって理解してるならいい事なのかなーと思う。とにかく今後のヒット作に期待だわ。正直今はまだ、ウェブトゥーンそのものを読むよりこの記事の方が100倍面白い。
もう何年も前の話。
高校生のとき、飼っていた犬が死んでしまった。といってもその死自体は決して不幸なものではなかったと思う。中型犬で十数年生き、最期は膵臓を悪くしたのが死因だった。老犬で体力が落ち、毛に白いものが混ざっていたけれど、死んでしまう一ヶ月前くらいまで元気だったから、私たち家族にとっては呆然としてしまうほど急な死に思えた。
餌をあまり食べなくなり、獣医に余命いくばくもないと診断されてから一ヶ月。まだ今日は大丈夫かな、明日も生きているかな、と心配しながら毎日を過ごしていた。物心ついたときから一緒にいた犬だったから、残り少ない時間を少しでも長く過ごしたかったが、終わりは急にやってきた。
家族の中で朝一番早くに起きる母が、「死んでる」と悲鳴のような声をあげて、家族全員が飛び起きたのを覚えている。犬の身体はまだ暖かかったが、呼吸も鼓動も既に止まっていた。
家族全員で泣きながらお別れを言って、クリスチャンの父が祈りを捧げるのに合わせて私も冥福を祈った。プロテスタントの両親を持ち、ミッションスクールに通いながらも無宗教を自称していた私は、そのとき初めて真剣に神に祈ったと思う。
それから両親が犬の亡骸を葬儀場へ連れて行くことになり、私含む子どもたちは学校へいくことになった。私は一限目には遅刻することになってしまったものの、当時の担任が優しい先生でお叱りを受けることはなかった。「私も昔飼っていたゴールデンを亡くしたことがあるから、気持ちはわかりますよ」と言ってくれた。
学校に着くと、明らかに泣き腫らした顔の私を見て友人たちは心配してくれたようだった。「犬が死んでしまって」と事情を説明すれば、それぞれ慰めてくれた。心中では「犬が死んだくらいで大袈裟な」と思っていた子もいたかもしれないが、それを表面に出さないくらいには優しく思慮に溢れた子たちだった。
悲しい、さみしい、と私は泣いた。たぶん目の当たりにした死のショックも多少はあったが、当時の私にそれを言語化する余裕はなかった。一番近い感情をとにかく口に出して、涙で感情をやわらげようとしていた。
「そんなに寂しいなら新しい犬を飼えば?」
不意にそんな言葉を突きつけられて、頭を殴りつけられたような気になった。言ったのはずっと同じ部活で、部活外でもつるんでいた子で、親友だと思っていた子だった。なんでもない、ただのアイデアのように投げつけられた言葉があまりにもショックで、私は言葉を失った。
いや今朝犬が死んだって大泣きしてる子に、「次の犬飼え」とか言う?寂しいって言ったから?犬が一匹からゼロ匹になったのが寂しいとかペットがいないと物足りないとか、そんなニュアンスで言ったと思ってんの?お前知ってるよな、私と十四年生きてきた犬だって、弟みたいな存在だってずっと話してきたよな?知ってて言ってんのかよ頭おかしいのかこいつ?ーーとさまざまな言葉が頭を駆け巡って、出てきたのは「は?」だけだった。そのあとはたぶん、休み時間の終わりとかで会話は打ち切られたのだと思う。
ただ、煮えたぎるような怒りはずっと収まらなかった。ただの何気ない提案、空気読めないあたおか人間の言葉、私の反応が大袈裟すぎる、そう考えようとしても無理だった。怒りのあまり数日後に母へぶちまけると、「まあ猫飼ってる人は感覚が違うのかもね」という苦笑ぎみの反応が返ってきた。
猫ならいくらでも代わりがいるのか、家族だと思えないペットなのか、死んでも悲しくないのか。だったらあいつの猫も死んでしまえばいいと思った。実際、手を下す気概は無かったのでただ死を願うだけだったのだが。猫が死んでどんな反応を示すのか見てやりたい、憔悴して泣き叫ぶなら私の気持ちを思い知ったかと笑ってやるし、ショックを受けないとしても溜飲が下がる。とにかく私は「思い知らせてやりたい」という気持ちでいっぱいで、なんなら今でも思い出すだけで腑が煮えくりかえるほど怒りは持続している。猫はかわいいけど奴の猫は死ねと思っている。
ただただ猫の死を強く念じたとき、高校生の私の頭に思い浮かんだのは「これが呪いなんだな」という実感だった。誰かの冥福を祈った口で誰かの死を願う。直接手を下せない相手に、どうにかして死や苦しみを与えたいという卑怯で陰湿な感情。憎い相手そのものではなく、その大切な存在を苦しめることで傷つけてやりたいという憎悪の発露。そんな人間の目の前に呪いの方法が示されていたら、「私にはこれしかない」と飛びついてしまうことだろう。
あたおか人間とはその後特に決別することもなく、無難に高校生活を過ごしてそれっきりだった。Fラン大学に進んだようなので、就職なり社会人生活なりで死ぬほど苦労して病んでればいいと思う。
嫌韓流第一波の時にネットde真実をしたタイプの中年で、今ではなんとも思ってないんだけど
アンケートを見ると10代のお互いの好感度は50%を超えていて非常に高いらしい
おっさんとして生きてるとどうにも感じにくいが
韓流戦略が上手くいって定着した結果、韓国は一種のブランドとなり特にZ世代女性にはかなり支持率が高い
ここ1年10代20代女子と遊ぶ機会に恵まれたんだけど、本当に韓国アイドル・化粧品・ダンス・ドラマ・お菓子あたりは定着している
彼女らは物心つく頃にはすでに韓流があったわけだからそりゃそうだろうと思う
おそらく文化的に受け入れているんだろうと思うが
この50%超えの状態があと20年も維持できればまた違った世の中になるのではないかと思う
流石に今の御時世、嫌韓・嫌中というのは古すぎてダサさまで感じる次第だが
意外と40代以上が多いサービスに行くと未だにそういうのがあったりする
10代女性の親世代はちょうどそういう世代だと思うんだが、彼らはどう思っているんだろうか
一つ問題に感じるのは、残念ながらおっさんが楽しめるコンテンツが少なめなところだと思う
Netflixで受けてるドラマ(特にホラーとか)は十分面白いんだけど
そう言えば一時期は韓国女性アイドルグループがかなり強かったイメージだけど、今はどうなんだろう?
俺は人に恩を感じる事や謝る事ができなかった。
結果から言ってしまうと、子供に謝らない親の子は結局謝れない子に育つという、それだけの話だった。
父母は仲が悪く、母は父の愚痴ばかりで、それ以外に俺が何を話しても空返事で聞いてくれなかった。
そういった話を聞かされていた俺は父に不信感を覚えていた。
きっと家族から信頼されていないストレスがあったのだろう。父は気に入らない事があると、俺のゲームを壊した。
MMOやDSなど様々なゲームをやらせてもらったが、父は言う事を聞かない俺が至らない事をすると全て壊してしまう。
MMOでできた友達がある日いきなり全員消えてしまうのは辛かった。
それを恩を着せる事で謝罪の代わりとした。
別のゲームを購入する事で、「○○買ってやったんだからいいだろ」といった事を言う人だった。
母もそれを擁護してくれなかった。
俺は母の味方だったが、母は俺の味方ではなかった。
父は、俺が謝れば絶対に許してくれない人で、いわゆる「根に持つタイプ」の人であった。
父は恩を売れば俺に「許させる」事ができる、しかし俺は父にどうやったら許してもらえるか分からなかった。子供は親に恩を売れない。
かといって父に謝れば母が不機嫌になってしまう。
恩とは俺にとって嫌なものだった。
嫌な事をされても許されてしまうと思っていて、幼い俺は人に恩を売れなかった。
謝る事ができない理由は単純で、謝って許してもらえるとか、謝るだけのミスを補ってもらえたというのは俺にとって恩になってしまうからだ。
謝ったからといって恩は帳消しにはならない。それだけのことだ。
俺が嫌いな言葉に「○○が心配してくれている」という言葉がある。なんだそれは?心配するだけで俺に恩を押し付けてくるな。
それくらい俺は破綻している。
とどのつまり、人が助けてくれたり、案じてくれるのが不快なのだ。
俺は社会でやっていけなかった。
皆、助け合って生きている。
富。
僕が物心つく頃には、人はこれしか求めていないんだということを薄々と感じはじめていた。
それなのに、向上心を感じられないのはなぜだろう
そんな違和感はどこにいても僕から離れてくれることはなかった。
遠くを目指したい。
そう思ったのはスイスの高校に留学中、先生の授業を聞いていたときだった。
窓にふと目をやると、旅客機が空の青いキャンバスに白のラインを描いていた。
僕には目指すものがない。
すでに生まれた時点で将来が決まっていた。
親を選べなかったように、なりたいものも選べなかった。
家が裕福なおかげで、ほしいものも、やりたいことも不自由なくできていた。
学友に恵まれ、充実した日々は決まっている将来の前ではどこか虚しいものがあった。
彼らは人類が成し得なかった、空を飛ぶという夢を飛行機に託した。
ヒトは、鳥のように大空を羽ばたくことはできないが、ずっと遠くまで飛ぶことのできるものを作ることができる。
将来が決まっていても、何かを作って託すことはできるのではないだろうか。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。
10月13日、我が国は過去最長の4600kmの飛距離を実現した。
目指していたのは、ただ遠くどこまでも誰よりもその先。
それは今日まで変わることはなかった。
老人という表記が多く、水星には老人しかいないのだろうか? それとも、エアリアル(スレッタ)から見れば母以外はすべて老人に見えるのだろうか?
・初めてスレッタがこのゲームを遊んだのは4歳の頃だったろうか。
水星に逃げて一年以内にエアリアルが完成しているか、ルブリスを改修?
・6歳のスレッタは赤暗い照明が怖いのだ
物心ついた頃という事は4歳前後となるので、前述のエアリアルの発言と合わせて、フォールクヴァング脱出後数日ないし数ヶ月で水星についたと考えられる。
・「逃げたら一つ、進めば二つ」それはスレッタが、お母さんからもらった言葉だ。スレッタが5歳のとき。
今後の座右の銘となる。
・「ふざけるな! 老人を乱暴に取り扱って。俺が死んでも構わないって思っただろ」
やはり、大人といえる人々はすべて老人なのだろうか? 危険な作業だから?
・お母さんは出世してますます忙しくなった。地球圏に行っていることも少なくない。
・僕らは地球圏には戻れない。君は知らないだろうけど、あっちじゃお母さんは魔女と呼ばれていて、世界中から疎まれている。
・「アスティカシア高等専門学園でモビルスーツの決闘が行われるわ。それに勝った人間が、デリングの一人娘と結婚するの」
この発言で、ゆりかごの星の年代がA.S.110~A.S.122が確定する。
スレッタ=エリクト・サマヤであれば、プロローグがA.S.110。
・だからこそ水星の人たちは、僕らを受け入れるのを躊躇った。魔女とレッテルを貼って、お母さんたちを魔女狩りしたのはデリング総裁だから。
「魔女=GUNDフォーマットを作った関わった人物」となる。そうなると、水星と地球圏はエルノラ・サマヤと知っていて受け入れている?
・復讐なら僕らだけでやろうよ。スレッタを巻き込まないで。でも、お母さんに僕の声は届かない。「見ててね、みんな。私たちの娘が、仇を取ってくれる!」
この発言から、エアリアルは復習の為に作られたとわかり、お母さん=エルノラと推測できる。
・ああ。君は何も知らない。事情を教えてあげたい。お母さんは君を復讐の道具にしてるって。
あの事件の記憶はなくなっているのか(3歳前後の記憶になるので忘れている?)、それともプロローグの内容からして何かがあったとは思っていないだけか?
いまだに自分の運転もままならないので車の免許も持っていない。
サッカーではボールを蹴りながら走るということができず、いつもすぐに誰かにパスを出していた。
バスケではボールを地面に跳ねさせながら走るということができず、いつもすぐに誰かにパスを出していた。
操縦がヘタクソなのでボールを持ちたくなくて、誰かに呪いを押し付けようと必死だった。
だから敵にパスを出してしまうことがよくあり、それが原因で味方から全くパスが来なくなってしまった。
球技の授業のたびに、自分の存在が少しずつ皆から抹消されていくという体験は忘れがたいものだった。
でもコートの端にただ突っ立って時間いっぱい皆を眺めるだけの作業は本当に楽だった。
そして、なんでみんなの中の人は操縦がそんなにうまいんだと思っていた。
ただし先生だけは私が見えていたので、結局「ヘイパス!ヘイパス!」とか言って参加してるフリをしないと怒鳴られた。
万が一にもパスが来てしまうと困るのでアピールを控えめにしていると、結局また同じように怒声が飛んできた。
なぜ体育会系は誰もが運動できて当たり前の世界を生きているのだろうとそのたびに思った。
特にゴレイヌみたいな教師にはいつもボロカスに野次られていたので、私はずっとゴレイヌが嫌いだった。
ネットでのネタにされ方と評価の高さが本当に意味不明で腹立たしかった。
だから念獣とゴレイヌ本体を徹底的に痛めつけてくれるレイザーの方をいつも応援していた。
一応前書きとして、これは一個人の話であって4世皆がそうとは限らないし、内容は割と愚痴。
当方宗教4世、母方の曽祖母から始まった信仰の連鎖の末端にいる。
よくニュースで取り上げられるような宗教2世の人たちほどは苦労はしてないと思う。親がやる献金は最低限、厳しい縛りもあんまりなかった。他の神社仏閣で手を合わせるなってくらい。
でも、4世となると割と根深い問題もあって今は割とこれに悩まされてる。
起点は曽祖母で、彼女は熱心な信者で人望もある人だった。宗教2世の祖父はボケても尚、曽祖母と宗教の話だけはハキハキとよく喋る。
たまたま同じ宗教を信仰していたことをきっかけに祖父は祖母と結婚。その二人から生まれた母は立派な宗教3世。宗教に無頓着な父(家にほとんどいない)と結婚して4世の自分が生まれた。
生まれた時に勝手に加入させられ、物心ついたときから決まった方角に手を合わせることを習慣づけられてた環境で育ち、幼い頃は違和感もなく献身的な信者をやってた。
運動をやることよりも、勉強するよりも、手を合わせてお経読む方が何よりも喜ばれるから幼い自分は褒められたくてそりゃもう熱心に手を合わせた。小学校4年生くらいまでの話だけど。
祖父が信者すぎて、テストでいい点取っても神様のおかげ、試合に勝っても神様のおかげって言われまくるせいで見事に反抗期突入して中学生あたりで完全に目が覚めた。俺の努力じゃボケ!!!って感じで。
それで高校生くらいには無神論者になったけど親にそれを仄めかしたらブチギレられた。扶養に入っている子どもは親に逆らえないのですぐに撤回した。結局、今も伝えられていないし、誰にも相談できていない。
恐ろしいことにここまで代々引き継がれていると、交流のある親戚全員信者しかいない。
信仰してない者は異端扱いどころか、そもそも信仰を否定する奴が親戚に誰一人としていない。ガチの孤独。
生まれた時から洗脳教育されてきた信仰猛者に囲まれてる4世だよ。
選挙権得たら「うちの宗教が応援してるここの党に入れてね、皆やってるからね」って強制されたりね。
当たり前のように恐ろしいこと言ってくるんだよ。
「〇〇さんの息子さんは選挙行ってくれなかったらしいよ」
「親不孝だよね」
みたいな会話が平然と祖母と母で行われる。
育児のリターンが親が望む党に票を入れることになっていてドン引きした。人権とは?
世代を超えて長年引き継がれてると、こういう常識として日常と宗教がかなり密接になってるからなかなか目が覚めにくいっていう状況。
自分の言動や思考の根底に宗教があるんじゃないかって、不安はまだちょっとある。
今まであんまりやってなかった今年の経費の計上とか帳簿とか付け始めようかなって思い出す物思いにふける季節よね。
そろそろ真面目に今年の分まとめとかなくっちゃって年末に大変なことになる兆しの予感よ。
紙のそういうのは細々としたものは逆に少ないので、
ほぼ電子化してるか!ってぐらい帳簿って言っても、
計上するしないかをポチポチと押して選択していけば良いだけの話なんだけど、
その紙の細々としたレシートとかまとめなくちゃってことね。
それがいささか大変というか面倒くさいというか、
今年の分は早い目にまとめておかないとまたどれぐらい経費使えっか!とかってあるじゃない。
それもおおよその概算の計算もしておくべきべきなのよ。
午前中はちゃんとお仕事してる感を出しておいた方がやってる感出るでしょ?
それよそれ。
そういうのはちゃちゃっと簡単に済ませておいて早く自分時間を作れるように
だってさー
気が付いたらもう年末だし、
これからが早いの本番よ。
うかうかしてるとうかうかなっちゃうわ。
そんでね、
こうやって紙の領収書とかレシートとかをまとめとかなくっちゃ!って思い立った吉日のごとに
クリアファイルを私買っているみたいで、
使っていないクリアファイルだけが謎に貯まっていっていたってことに最近気付き始めたマイレボリューションで
今この瞬間まとめなくちゃ!って思っても
もうクリアファイルはあるんだな!って
同じ過ちを繰り返さない反省点を活かせるぐらい人間は成長するものだし、
毎回クリアファイルを買っていたら
そういった失敗を繰り返さずに整理整頓は心がけたいところね。
本当はその都度都度未計上のレシート入れ!とかって決めてまとめていれば楽チンなのに、
あとでまとめてやっから!って思っちゃうのが関の山すぐスプラトゥーンを遊んじゃうのよ。
遊ぶな遊ぶな!って思っちゃうけど、
この連休の迫ってきている
以前は体育の日が10月10日だった思い出を思い出す人が多いみたいだけど、
私は物心ついたときから時すでにもうお鮨違う違うそうじゃなくてスポーツの日!ってことで、
10日じゃない日がスポーツの日でお馴染みだからあんまり10月10日に思い入れは全くないのよね。
地球に飛来する彗星の如くか1ヶ月のうちに満月が2回来るようなか、
はたまた盆と誕生日が一緒に来たようなそんな珍しい頻度らしいわ。
まあお休みなら何でもいいんだけどね。
とりあえずは私はあるていどの片付けと断捨離とを両手に掲げて選手宣誓をするかの如く誓い片付けたいものよ。
なんか今のところ無味無臭って何もない味の朝ドラって感じで何も問題も事件も解決もしていない、
火焼串に整理整頓!一挙手一豚足豚の手も借りたいです、いやいや足よね!って書いて神社のお祭りごとな催事に、
火焼串をくべて燃やしてもらうわ。
まったくの他力本願時の息子みたいなことを言ってるけど、
お願いしただけじゃ片付かないわよね。
こればっかりは。
うふふ。
そのぐらいの相性抜群の美味さが炸裂するわ。
トマトを野菜のトマトとして買うのは高いから加工品にしたらなぜか野菜のトマトより価格が安くなる仕組みを考えた人も天才よね。
プチトマトが安かったけど、
実質トマトジュースの方が圧倒的安いからトマトジュースウォーラーにしようかと思ったけど
そうはいかなかったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!