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2023-01-11

今日、30歳になった

私は、1993年1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地優雅建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町長田六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。

私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパス自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校勉強するのかな、なんて思っていたものだ。

私が小学校にあがる前のある日、父とふたり大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれ名前の中には、地元教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。

小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生お話を聞いた。ある年の学校新聞1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。

高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。

高校卒業すると、私は自分実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっとたかもしれないな」と思った。

大学卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。

ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。

その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西から、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。

彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校社会教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。

私は今、違う場所暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビル2021年高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダン茶色ファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。

私は今日、30歳になった。平成初期に生まれ私たちは、阪神淡路大震災記憶とともに生きる「最後世代」だと言われている。確かに地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっとたかもしれない。地元同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。

記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これから阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。

anond:20230111035604

物心ついてから30年以上この国の人間見てるけど

落ちぶれる人はあまりに何もしてこなかったよね

ぶっちゃけ20年以上猶予とチャンスがあったはずだし、警告だっていくらでも聞けたし

アドバイスもたくさんあったのに。落ちぶれた人はマジで必要なこと全くしてない

 

しろ日本から出ていけ、とか言ってさ。アドバイスしてくれる人を袋叩きしてた。

どうやったら生き延びられるかって話にブチギレて現実逃避して耳塞いでた。

明らかに自業自得なのに。自己正当化の上逆恨みまで始めるとか

どうしちゃったの?マジモンの怠惰クズじゃん?

って思ってるけど

 

表向きは同情するフリしてるかな。何してくるかわからないモンスターから

本当にダメな感じ。

2023-01-10

ぼっちざろっく見始めたんだけど

いきなり幼稚園児が「私なんかがゆびを握ってもいいなかなぁ……」とか言ってるんだけど、物心付く前からこんな考え方をしてるのって虐待されてますよね?

anond:20230110113702

言うて俺が物心ついてから祖母祖父も父も母も妹も兄も担任クラスメイト上司も後輩も死んだから

普通に生き物なんかいつかは死ぬわけやし、その一瞬をどう生きたか大事やって俺は思ってるで

焼きそばってあんまり焼いたソバって感じがしない。なんか団子になってる感じが強い。もっとカリカリに焼いた焼きそばはないものだろうか。ベビースターほどじゃないにしてもさ。でも今年の新成人物心ついた頃からワサビ•ドラなんだよね。

2023-01-08

才能はある

物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。

しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサン解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分レベル物語っていると思う。


成人以降、文字を書くようになった。

文字と言っても気が向いた時に短編小説を書く程度だ。

文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたもの推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Twitterに壁打ち。

良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。



亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかい武勇伝を良く聞かされていた。

事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶものだと思う。


恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。

自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。

まり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。

要は才能のない人間努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。

それを自分自身証明して、自分自身に見せつけているのだ。


文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することな自分気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。

近年人の持つ気質運動神経の良し悪しがかなりの割合遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかい抽象的なものは、自分想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。

字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。

これは別に悲観しているわけではない。

感覚でその事実理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。

自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。

自分にできることは自分努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略必要だろう。ただ私の場合趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力淡々と行うだけなのだ


幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ

多分、私は今日も1人絵を描くだろう。

2023-01-07

anond:20230107135648

このような親の元で育ったが、子どもの為にやってることに対して子どもへの愛情を感じない。

子を育てるのは老後の自分の為にであって、何にしても恩着せがましい。

女らしく嫁らしく過ごすストレスは一番立場の弱い子どもへ行く。

物心ついた段階で母親メンタルケアをしなければならないのにうんざりした。

自分パートナーが同様のような人ならば、自分ときと同様に子が惨い。

違う人ならば姑という立場で嫁らしく振舞えと干渉してくるだろう。それもうんざり

意趣返しとして私は役割放棄している。結婚もしないし孫も作らない。ここで途絶えるのだ。

anond:20230107181720

いつだかもうわかんないけど、幼稚園くらいの頃にはそういう考えが既に身についてた。親に教えられたとかじゃないはずなんだけど、みんなそうなのかな。

おっさん人生経験からすると、このあたりは生まれ持った性質な気がするね。

そういうタイプの人は物心ついたときからそうだし、そうでないタイプの人はずっとそうでないまま。

例えば日本人セロトニントランスポーター遺伝子がS型の人が多く不安を感じやすいという話がある。

https://yamashitakyouseishika.com/column/190930/

「身の丈」に囚われやすタイプかどうかも、遺伝的な特徴が関係していてもおかしくないと思う。

anond:20230107004948

物心つく前に使っちゃったんやろなぁ。赤ちゃんの頃はみんなかわいいカード持ってるから

2023-01-05

anond:20230104161133

hoshinasia 正直、出産直後とかはそうかもだが、物心ついてくると可愛さがわかってくるよ。5万で終わりでもいいけど、もう少しその子を知ってくれ。あと、寿命は昔よりはるかに伸びてる(昔のデータを含むので平均が低いまま)

この人、その延びた寿命の分だけ面倒見続ける人(大部分は親)の気持ち考えた上でこういうこと言ってるのかな。サイコパスとかなのか?

社長令嬢の友人がいるが、おおらかで細かいこと気にしないし、金遣いが大胆で、それゆえにいろんな面白い体験もするし、最終的に仕事のチャンスが入ってくる。

子供の頃貧しかった自分は、いちいち何を買うでも高いと躊躇しちゃうし、なんか人生が狭くてしょうがない

「もしもの事があっても実家が太い」ってほんと強いよ

それがあるだけで気楽だし人生が楽しそうだ

物心ついたときから無駄遣いはいけない」って刷り込まれてる自分

どうしたって大胆には生きられない

2023-01-03

親の面倒を見ずに済む人たちが羨ましい

物心ついた頃から親が自分(長男)の世話になる気で、同居前提のプレッシャーをかけられまくったので

子どもが自立する前提で老後の準備をしていた親を持つ人はいいなって思う。

結果的田舎から出れなかったので20代前半に結婚を諦め、将来の親の介護外注化できるように金を貯めた。

(家父長制の強い家柄なので、相手となる人には申し訳ないので諦めている。)

祖母と同居していたので年寄りと暮らす煩わしさは分かっていて、大人になっても老人が生活にいるのかという気持ちにもなる。

金がなく5080問題な状況にはなりたくない。

順風満帆生活だったのに、親が人を轢き殺したとか認知症で人様に迷惑をかけまくるといった状況に陥り生活を壊されたくもない。

そんなこんなで30代後半に入る今、自分生活を壊さないよう親の介護用にと貯めた貯金は2000万弱になろうとしている。

金を貯め始めた頃、あと40年程度の辛抱か。早く親は死なないかなと思ってた。十数年経った今もそう思ってる。

親のことはいいか自分のことを考えなって言ってもらえるだけでも全然違ったんだけど、

老後の為にお見合いして結婚して子ども作ったってことを子である自分(長男)に当然かのように言ってくるし。

弟は家も建て子どもも数人いて親のこと考えなくていいなと思う一方、親の為にはコスト時間を使ってほしくはない。

自分の子もの頃、親は祖母優先の生活だったので、弟には老人よりも子どもお金時間を使って欲しい。

anond:20230102150139

テレビで、

という話をしていて、二礼二拍手一礼とかそれ以外とかの形式は「目くそ鼻くそを笑う」の類だと思っている。

なので、自分が行っているのは、

以上。

50代だけど、物心がついた頃(1980年前後)の記憶を掘り起こしても「二礼二拍手一礼」なんて、だ~~れもやってなかったよ。

2022-12-31

年数を経て醸成されていく異常性について

年末になると自身を含むセカイの年月の経過と、それが浮き彫りにさせる人々の異常性を実感する。

自分は30代前半男、漫画アニメ物心ついた頃から人並みに好きでツイッターではオタクカーストに含まれている。

ツイッターアカウント10年以上が経過しており、フォロワー20代から30代、30代から40代に歳を取っている。

ここ数年は公私ともに忙しくなり、アニメ本編を見たりYouTubeで少し関連動画を見るくらいの楽しみ方になっている。

新規に見る作品も減り、青年から好きなシリーズの続編や自身趣味リンクするようなものに絞られてきている。

また、同世代の半数程度も同様に家庭を持ったり、そうでなくとも浮上頻度は減っており『かつてオタクだったもの』になっていっている。

一方で異常独身オタク年末となるとアニメ一挙放送を実況し、アニメ主題歌DJライブ中継を実況し、年始からアニメ放送スケジュールRTし、コミケ戦利品(何と戦ったんだ?)をツイッターアップロードする。

去年も一昨年もしていたし、おそらく来年も再来年も変わらないのだろう。

10代、20代の頃には感じていなかった「変わらないことの異常性」をここ数年強く意識するようになったのは、自分もその一人としてカウントされているかもしれない、ということへの恐れなのだろうか?

2022-12-30

インターネット老人会に入る条件が分からない

物心ついた時からネットが常時繋がってるのが日常だったので、入れないですよね

Windows98が初めて触ったパソコンなので、ダメですよね

面白フラッシュなら分かるけど、それじゃダメなんですよね

どうやったらインターネット老人会に入れるか、条件を教えてください

2022-12-28

毒姉と弟と毒親の話

物心ついた頃から、弟に勉強を教えていた。

小学校の頃、弟の宿題を見てあげた。夏休みの宿題が終わらなくて、親に言われるまま代わりにやった。

私が書いた読書感想文は弟の名前で賞をとった。

中学校でも教え続けた。

内申点を上げるために先生の覚えを良くするコツも教えた。

私は推薦入試進学校へ入った。

弟も別の進学校合格させた。

高校は別だったが、やはり勉強を教えた。

弟が受ける大学や通う塾も選んだ。

本人に選ばせようとしたが、親は私に決めさせたがった。

弟は地元国立大合格した。

弟の高校合格実績の中で一番いい大学だった。

私は旧帝大に独力で合格して、一人暮らしをしていた。

中卒や小卒もいるような親族の中で初めての大学進学だったが、私の受験には誰も興味がなかった。

公立に受からなければすぐに嫁に出すと脅されながらの受験だった。

大学授業料は全額免除だった。

実家は貧しかった。

生活費奨学金塾講師バイトで賄っていた。

実家から解放されて、楽しい大学生活を送り、就活スムーズに終わり、大企業総合職になった。

実家から連絡が来た。

長男就職先が決まらない。お前がESを書け。絶対に受かる面接法を教え込め」

本人に考えさせろと言ったが、当の本人にやる気がなかった。

ESを代筆した。webテストも代わりに受けた。面接練習もした。

弟は留年した。

翌年、父がどこかからツテを見つけて弟を就職させた。

からブラックだ。つらい。辞めたい」と連絡が来た。

また実家から連絡が来た。

長男の嫁が見つからない。お前の女友達から見繕ってよこせ。見合いさせる」

友達差し出せないので、みんな結婚してしま独身は居ないと言った。

私は会社の同僚と結婚した。

親に結婚したことを伝えると、連絡がパタリと途絶えた。

弟のことは大好きだった。

勉強以外もたくさんの時間を過ごした。

一緒に夜更かししてゲームをした。

親に内緒で、商店までアイスを買いにいった。

サワガニやザリガニを捕まえて飼った。

大好きだった。ずっと2人で田舎から逃げたかった。

久々に実家から連絡が来た。

弟がいなくなったらしい。

でも、私はもう他人なので何も求められなかった。

親は、「結婚した女はよその家人間だ」という考えの人たちだった。

親は毒親だった。

そして、私もたぶん毒姉だった。


今はただ、行方くらました弟が、どこかで幸せになっていることを祈ってる。

2022-12-25

anond:20221223231018

感情コントロールの上手い下手と

頭の良し悪しや精神年齢の高低は関係ないんだなということがよくわかった

自分感情コントロールは得意な方で

親に対して駄々をこねて泣き喚いたことは物心ついて一度もないが、

子供駄々をこねるのは微笑ましいと思って見てるよ

 

まり、お前頭も悪そうだし精神年齢も低そうだな

や、でも

物心ついた頃から」「親を困らせるために」「記憶が無い」ってのはズルいわ(苦笑)

…親の証言毒親の例にあるようにそもそも信用にはならんし(しかコイツをとおした伝聞だし)

anond:20221223231018

1回も泣いたことないって言い切れるならともかく

物心ついていない2歳までは多分泣いてたけど3歳からは多分泣いてないので周囲に迷惑かけてないって

めちゃくちゃ中途半端な謎ルールを自信持って推してるの笑ってしま

泣き声を聞く側からしたらその子が何歳とか関係ないし

周囲から公共の場で大声で泣く子供を許せないって思われてたのは自分もなのにそれはセーフなんだ笑

2022-12-23

泣く子供が許せない

自分物心ついた頃から親を困らせるために泣いた記憶が無い。親にもあなたは全く駄々をこねることがなかったと言われている。子供ながらに泣いて何かを要求するって卑怯行為だと分かっていたし、同年代の子供がおもちゃ屋ショッピングモール駄々をこねて泣いているのを見るたびに恥ずかしくないのかな?と感じていたのをうっすらと覚えている。

乳幼児はともかく3歳越えた子供は、駄々は親を困らせる行為だとはっきり認識しているはず。それでもなお公共の場で大声で泣く子供自分は許せないんだよね。「僕子供でーす。ピュアでーす。」みたいな顔しながら、本当は自分行為のずるさをはっきり理解している気持ち悪さが本当に無理。

駄々をこねて泣くのはしょうがない、みたいに放置してる親がいるけど単なる責任放棄だと思う。子供自分行為ちゃん理解できているんだから痛い目にあわせてでも嘘泣きをやめさせるべきでしょう。子供を泣かせないことなんて容易にできるんだから、せめて公共の場では泣かせないように躾けるのが大人役割だと思う。

追伸

"他人あなたではないしあなた他人ではない。人はそれぞれ違う。"とか言いながら私の意見に難癖つけてくるの、矛盾してると思わないんだろうか(苦笑)

追伸

私が欠陥人間だということを教えて頂きありがとうございました。私のような成長を間違えた人間には生きている価値がないということが理解できました。年内に死ねというアドバイスを頂きありがとうございました。

2022-12-22

anond:20221222221110

「さぁ、とりあえず座ってくれ。今お茶を用意するから

そう言われて、俺たちは椅子腰掛けた。

「ねぇキョーコちゃん、これってもしかして、かなりヤバい状況になってるんじゃないかな?」

「う〜ん……でも、まだ慌てるような時間じゃないかも」

「そうだといいけど……」

それから数分後、お茶を持った増田部長がやってきた。

「さぁどうぞ召し上がれ」

いただきます……」

ありがとうございます……」

ズズーッ

「おいしい……」

「うん……」

「そうでしょう?これはね、私の実家で作っている特製茶葉を使っているの。だから市販のものより香りが良いのよね」

「ところで、今日は何をする予定なんだ?」

俺は話を逸らすために質問をした。

「実はね、弱者男性支配して見下すための方法を考えてみたの!名付けて『サンタ作戦』よ!」

「「は?」」

「ほら、物心ついてるのにサンタクロースを信じてるような頭の足りない子っていたじゃない?きっとああいう子が成長すると弱者男性になるはずなのよ。だからその前に、私達が優しく手を差し伸べてあげるわけ!どう?素晴らしい計画だと思わない?」

「えっと……はい……」

(こいつ頭大丈夫なのか?)

ちょっと待って下さい。弱者男性貧乏な家庭環境で育ったのでプレゼントなんて貰えないしサンタクロースなんてそもそも信じてませんよ?」

キョーコが冷静なツッコミを入れた。ナイスだ!

「ふっ……甘いわね。それくらい想定済みよ!今回のターゲットプレゼントを貰えない、それでもなお現実が見えていない愚か者よ。まさに、真の弱者男性にふさわしき相手と言えるわ!

「な……なるほど……」

いや絶対無理があるだろう……。こいつ傲慢さが滲み出てるもん。手を差し伸べたところで弱者男性側が受け入れてくれるとは思えないんだが……

「さぁ、早速始めましょう!まずは、弱者男性社会的地位が低いというところから説明していくわね。弱者男性がどんなふうに見られているか知ってる?」

「いえ……」

「答えはこうよ。"社会不適合者""犯罪者予備軍""劣等種""社会ゴミ"こんな感じね」

「うわぁ……ひどすぎ……」

「確かに、酷いですね」

「そこで私は考えたの。弱者男性にもチャンスを与えてあげればいいんじゃないかなって!」

「チャンス?」

「ええそうよ!弱者男性には人権がないの。つまり適当弱者男性拉致して性転換させた後に他の弱者男性にあてがえれば、彼らの立場が変わる可能性があるってこと。例えば、障害者男性とか、引きこもり男性なんかがいいわね」

「なるほど……そういう考え方もあるのか……」

「まぁ、それはそれで問題があると思うんですけど……」

「あら、どうしてかしら?」

だって、そういう人たちってかわいそうランキング上位の強者女性が好きそうなタイプじゃないですか。もし仮にそういう人達とくっついたとして、幸せになれると思います?」

「う~ん……どうかしらね。でも、別に良いんじゃない?どうせ男同士だし」

「は!?本気で言ってんのか!?

2022-12-20

anond:20221218213908

親に甘えた記憶ってほとんどないんだよな。子供の頃にコタツとかで寝てしまって布団まで抱っこして連れてかれるときに微かに起きてたけどそのまま寝てるふりしてた記憶くらいかなあ。

あとは物心ついた頃からは親に金使わせたり手を煩わせたりして申し訳ないという気持ちが頭の隅に常にあったのを覚えている。

元増田は極端としても、普通はどんなもんなんだろう。

2022-12-17

anond:20221217151624

どうでもいいけどキャプテン翼サッカー選手になったって今でも通じるんかね。

35の俺が物心つく頃には昔のアニメだったと思うんだが。

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