はてなキーワード: 本質とは
男がトロフィーとしての美しさを重視して女の人間的本質に目を向けない現状で。
舐められないように全身隙を作らないようにするのに、どれだけの負担が掛かると思ってんの?
男女平等を信じるまともな男性なら、即座に支払う、それも女に意識させないようにスマートに済ませる。ミソジニーは「男女平等がいい」
ほざかないで。
オタクコーデにもそれぞれ文脈があって、バンダナチェックシャツインジーパンコーデは「カメラ小僧コーデ」。
バンダナしているのは汗が目に入らないようにするためのもので、ぶっちゃけこれは手ぬぐいで代用してもいいけど、重要なのは「汗が目に入らないようにするという目的を忘れてない」こと。
チェックシャツをインするのにも二つの文脈があって、「アイドルカメ子」の場合はオシャレ目的だけど、「鉄道オタク」の場合はお母さんや先生がシャツはインしろと言ったのを人類の掟として守っているから。
ジーパンについて絶対に忘れちゃいけないのが「動きやすい格好である」という部分で、もしもここがピチピチ系でしゃがむのに邪魔になるようなジーパンだと本質を見抜けてないのがバレバレ。
なぜなら椅子・三脚・交換用フィルム・予備カメラ等を入れる必要があるから。
アイドル追っかけをするなら推しにカッコイイと思ってもらうために必須になるし、鉄道オタクをする場合は野をかき分けて撮影スポットを確保する場合があるのでこれまた必須。
アキバは本番じゃないんだから装備軽くて良いとかそういう発想はない。
オタクは極端なオンオフ思考の生き物だから、オタクモードになった時点で装備品はいつも一緒。
この辺をちゃんと分かって無さそうなオタクコーデは見てられないね。
このオタクコーデが「昭和カメラ小僧コーデ」であって最近の「チー牛都市迷彩コーデ」とも違うし平成に流行った「ダークネスブラックナードコーデ」ともまた別だってことも分かってないとどこに寄せているのか曖昧になりがちよね。
自分が宇宙飛行士になって困難を成し遂げることに意味のあるゲームだと思う。
ストーリーは平均的であったとしても、そのナラティブ感によって感動を何倍にも増幅させてる。
企画するのは企画事業部でその企画を決定した事業部の求めているものを構築するのが我々の仕事じゃないか。
この企画に対して、「顧客のためになっていない」とか「顧客のために、、」みたいなことをIT部門の我々が感想としていうのはわかる。感想だし。
企画事業部の方にこれって「顧客うんぬん」と質問とか疑問とか指摘とかすることは、、まあまあいいと思う。
でもこの質問や助言を受けるかどうかは企画事業部の判断であって、IT部門の我々には意志決定権はないわけよ。
企画事業部は自分たちの企画をIT部門に依頼して構築した後に自分たちの企画に対する顧客の反応を見て、次の一手を考えるわけ。
すごい理にかなっているわけ。企画の内容とかシステム仕様でダメ出しする我々って顧客の何を知っているのよ? お前の感想じゃないの?
企画事業部の依頼を顔面受けしないとか、言われたことだけ実施することはよくないって文化をITの中で作りたいからといって、顧客目線が足りないから我々が補完するとか。
個人個人が顧客目線をもって作業に取り組むみたいなIT部門の目標ってすごく違和感があるわけ。
IT部門の本質って、システム構築するための設計から実装とか運用にあるわけ。これって家造りでいう大工さんよ。
「どう良く作るか」に責任があって、作った成果物の価値はIT部門よりも企画事業部に責任があると思うわけ。
IT部門の顧客って企画事業部のようないわゆるクライアントじゃないの?って話
というやり取りをずっとリーダーとやっている空中戦で疲れたのでここに投下して心を落ち着ける。
プログラムとか設計はただの手段って思ってて「どう作るか」ではなく「何を作るか」が大事だと思っているから。顧客が〜ってことなんだろうけど。
それも理解は必要だと思うけど、様々な企画とか施策を日々開発している我々は、企画を「どう良く作るか」にフォーカスしたほうが作業とマッチしているだろうがよい。
ぶっちゃけこれ一番すごいのは操作性と死にゲーのバランスでしょ。
適度にクソで不親切な操作性ながら慣れるとスイスイ動けて、理不尽にアッサリ死ぬけど運ゲー要素ちゃんと減らしていけば同じミスはあんましない。
対して、散々持ち上げられてるストーリーの方は星を継ぐもののありがちなクローンまだやっとんのかいって感じだし、「全てが一つに繋がっていくドヤァ😤」みたいに言われてる割にはプレイヤーが特に気になってた所のオチを力技かましてから無理やりミスリードに持っていってないかっていう。
宇宙空間だろうが重力下だろうが速度同調ボタンこまめにポチポチ押してきゃ驚くほどコントロール効く感じはこういう「宇宙ってマジ操作ムズイからwww」とイキってるゲームの中では新鮮だわ。
星に接近して重力が切り替わるとベクトルがグニャーってなって地面にガーンってぶつかる感じとかマジで宇宙だなって感じるんだけど、そこでちゃんと速度同調しとけばあとはもう簡単なのよね。
でも着地の瞬間の切り替わりはやっぱチョット怖いっていうこの絶妙なバランス。
作品オリジナルの要素だとリトルスカウト(探査機)への集約っぷりが見事だと思うんだよね。
普通に偵察に使ってもいいし、ライトとして使うのも慣れてくると置き場所自分で選べるのがスゲー便利、目的地に雑に打ち込んで即席のマーカーにしてもいい、経路の危険チェックとか一方通行になるような所を何度も偵察し直したりとか、マジでなんでも出来る最高の相棒って形でデザインされているのに、プレイ開始直後の数ループは全然使い方が分からねえんだなコレが。
『リトルスカウトの使い方』っていうポスターが1枚貼られてるだけの説明なんだけど、操作を理解した上で見ると「なるほどやっぱこんな感じね」となるわけで、でも最初のうちは目に入っているのに「はいはい分かった分かった」でスルーして、本当に追い込まれてから突然頭の中で「あーマジでこういう時に使うのね」って気づいてくるバランスが絶妙。
一度分かったらドンドン便利に使えるようになって22分のループの中で効率的に探索するのに超役立ってくれる。
これね「ライトロボ」「カメラロボ」「マーカーロボ」って分かれていたらこんな使いこなしてる感無かったと想うんですよね。
全部集約されているからRBボタンで一発ポチっとで場合によっちゃ一石二鳥で問題が解決出来る所がプレイヤーに「俺上達したな~~~」って思い込ませてくれる。
本当凄いと思うよ。
世間じゃ「ストーリーは最高だけど操作性がね~~~」って言われてるけど全然逆でしょ。
SFで人気なありがち要素パッチワークを、慣れればスイスイ動かせる宇宙船と宇宙服与えたプレイヤー自身の手で追いかけさせることによって生み出されるナラティブ感が売りのゲームでしょ。
同じ内容を小説で読んだら「うわーこれよくあるやつー」にしかならんと思うし、もしも操作がもっと簡単だったら言われたままになぞらされてる感強すぎだろうし、操作が難しかったら「はーもう無理クソゲー二度とやらん」から戻ってこれないプレイヤー続出でしょ。
ワンチャン即事故死の宇宙の中で時間に追われながら真実を暴こうとする立場にプレイヤーを置くことに成功しているのが強みじゃん。
それを可能にしているのは触っていて気持ちいいと感じさせてくることでしょ。
なんかこう世の中の人間全然分かってないまま持ち上げるなって冷めちゃったよ。
途中で気づいたから良かったけどもしも最後まで「ストーリーが本当凄いらしいんだよなー。まだ全然凄くないけどこっからもっと凄くなるのかな―」って期待してたらガッカリして終わったと思う。
操作性を楽しむものなんやなって気づいたから最後まで楽しめたし、そのままDLCも買って、DLCはまた別の形でテレビゲーム特有の臨場体験させてくれて、やっぱこの方向性の作品なんやなあって。
「ストーリーが凄かった」じゃなくて「ストーリーが凄かったかのように感じられるように誘導してくれた」なんだよ。
そこが分かってない奴らの「操作性がクソだけどストーリーは最高なので勿体ない~~~」が見苦しすぎますわ。
同じこと思ってる奴多いんだろうけど、分かってないやつにいちいち説明するの諦めてる感じなんだろうね。
外資だと結果を残せない人へのプレッシャー強いし、日本支社では職種も限られてるから異動で逃げることもできない。
コールセンターというか正確に言うと技術サポートだが仕事の本質はコールセンターと同じ。
学歴が高い人がやってるか、学歴が低い人がやってるか、その違い。
だから入社したはいいものの「このままじゃITエンジニアとしてのキャリアが死ぬんじゃないか」と悩んで高い給料を捨ててまた転職して開発に戻る人も多い。
騙してる、を説明なしに前提にしているね。
そりゃ論点先取っていう詭弁法だ。分かるか? 騙してるのは君の方なんだよ。
相手だけに使ってるのか、それとも自分ごと騙してるのかは知らんが。
科学が宗教や文化に比べて優れている点は、文章にして共有されたときに検証可能だという事。
「なぜ騙しているのか」を君は一切語ってないけど、伏せた考え自体が他人を煙に巻くための嘘なのか、実は正しいのかは誰にも分からない。
だけど、あなたの目の前の人は自分の考えを文章にした。文章にして公開したら、それを見た第三者が検証して批判することができる。間違ってるか正しいかを、さらに自分の言葉で説明できるようになるんだ。
エッセイ版を読んだときは「まあ俺なら120度ずつ分けますけどね」で読み飛ばしていたケーキのページで躓く。
フリーハンドで?公平に?120度?
無理!不可能!どうすれば…いい?ジャンケンで取る順を決める?違うそれは趣旨が変わる。俺が求められているのは「幾何学の知識を用いて円を少しでも正確に3分割する方法を答えなさい(IQ80相当」だ。まずい。俺のIQが80しかない可能性?いやそこは本質ではない。とにかく集中だ。紙が一枚あれば2回折りたたんでから1/4を重ねることで正三角形が作れる。だが、これは果たしてフリーハンドのルールに従っているのか?そもそもフリーハンドでなければいけない理由は?分からない。ルールが分からない。なんだこの医者はお前の説明が悪いんじゃないのか?答えのないパズルで知能を測っている?IQの比べっ子なら絶対勝てるという前提があるから上から測ってやがるんだろうな。クソがよ!テメーは出来んのかよ!フリーハンドで三等分!110度と140度と110度に割ってから「ゆーて三等分ってこんなもんでしょ?」とか抜かすのか?は?テメーのIQいくつだオラァ!!!
となってしまった。
駄目だ。
でもこの問題やっぱクソだと思うんすよね。
そうやって拘るところを見てるんすかね?
は???
圧倒的な上からの立場からそうやって雑な値踏みされたらテンパるのが普通じゃねえのかオラァァァァ!!!!!
アー!
アー!
アー!
クソガー!!!
身体がこの胎児の遺伝子の半分は異物だ、オッサン遺伝子だと認識して、必死に排除しようとしているのだ。
だから、ちょうど都合よく目の前にオッサンが居たら、そのオッサンに対する拒否反応のように錯覚してしまう。
養子が実は邪悪な存在だった系の映画を昨日見て、なんか養子についてのモチベーションが下がってしまった
オープニングの第三子の女の子を妊娠中、そこから死産になってしまい心を痛めて、みたいな流れ、主人公夫婦が養子を強く求めていたという裏付けに必要な設定なんだろうけども
そんなシチュエーションが自分にとって引きつけられた原因でもあったけど
見終わって、面白かったとは別に、後味悪いなって気分になってる
だいたい主人公、3人目死産でも、もう金輪際こどもは無理、みたいな話はなかったし
…あの映画の夫婦には既に2人の子供がいて、死産したとはいえ不妊になった描写がない、そこに養子
まず話の上で、自分の実子が養子娘に殺されそうに、っていうシチュエーションは重要だろうから、子なし夫婦が養子をじゃダメなんだよな映画の上で
実子2人いるのにわざわざ養子ひきとって、という流れを自然に見せるための死産設定よな
けどそこでもう子供が望めなくなった、という描写をしないのは何故なんだろう
話のつながりはより自然になると思うけど
パワハラ体質を支持していたB社とか。K社長など経営陣が入れ替わることで企業文化が生まれ変わり得るから。
みずほに関しては管理の人間が辞めて外部の人間が来ることでミスが再発防止されうる状況にあるのかと言うのが問題。
夜間の処理がコケたとか外部連携の仕様に齟齬があったとか、そういう問題でしょきっと。
それって人が入れ替わることで再発防止されうるの?
何でもかんでも責任取る=辞任なんて言ってたらミスの知見も再発防止のアイデアもたまらないスカスカの組織になっていくだけじゃん。
毎度のことながら赤き◯チガイ集団こと例のサッカークラブファンが人類にご迷惑をおかけしているようで。
さてさてこの手の話題になる度にいつも言われているのが
で御座います。
これには立派な理由があるのです。
という類の話に帰結するのですよ。
無期限出禁にするということは、クラブが出禁にしたファンのコントロールを行う機会を完全に失うということです。
特定の試合数を出禁にした場合は、「大人しくしていたらまた来てもいいよ」という餌をチラつかせることが可能になりますが、無期限で出禁にした場合はそれは不可能です。
期限付きの出禁とは、「出禁の期間中は大人しくする」という行為に対してクラブが「大人しくしていたら許す」というインセンティブを与えて首輪をつけている状態なのです。
この首輪を手放してしまえば、相手は「どうせ真っ当にやっても駄目なら変装なり不法侵入なりをすれば良い」と考え始めます。
もちろん法的措置を取るという手段はあるのですが、これはクラブ側もかなりの体力を使うことになる。
そしてそこまでやってしまうと今度はフーリガン側が強い逆恨み意識を持って何をしてくるかわからない危険性が生まれます。
サッカーは遠征をして行うスポーツであることを考えれば、コントロール不能な暴徒のリスクを他所に押し付けるのは回避したいわけです。
期限付き出禁のメリットとしてファン同士の間に「大人しくしていれば良いじゃないか」という空気を醸成できるというものものもあります。
サッカーファンの中でもフーリガンになるような人種は得てして承認欲求が強く、サッカーやクラブが好きというよりも「応援を通して仲間意識を感じられるのが好き」という意識が強いものです。
こういった連中は仲間から「クラブもそう言ってるんだし大人しくしてなよ」という圧をかけられると黙って従います。
もしもここで完全に出禁にしてしまえば「そこまでするなんて酷いよね。僕たちが支えてきたのに」と勝手に盛り上がられる危険性さえあります。
期限付きの出禁というのは罰則としてはそこまで重くないわけですが、それが結果として罰則を回避した他のファンの警戒心を必要以上に煽らずに済むのです。
より厳格な罰則や法的措置を行ってしまえば、明日は我が身ではと怯えた一部のファンが逆ギレ的な抗議活動を始めるリスクが発生します。
最悪自分が同じ目にあっても大人しくしていればいいという安心感があるから、「今回は諦めて大人しくしていろ」と周囲が気軽に行ってくれるのです。
もしもこれがファン活動の死刑宣告に等しい無期限出禁となれば、ゴールラインが自分たちに伸びてくるよりも前に先に死刑宣告を食らった仲間を扇動して「このようなクラブの措置に我々は講義をするものである」と活動を行わせようとする圧をかけてくる者たちが出てくるでしょう。
罰則処分というのは誰かの公正世界仮説を支えるための手段ではなく、相手をコントロールして再発のリスクを下げるための手段です。
ここを見誤っている人が結構多いんですよね。
ここを区分けできないと近代社会における罰則の本質を見誤ることになる。
hisawooo だからそこで学級会を始めようとするのが最高にディスコミュニケーションなのであって、「可愛いは嫌だ」と言われたら止めたらいいだけなんだよ。「お互いが」じゃなくて増田(というかリスナー)がちゃんと考えて。
🅰 学級会を始めようとするのが最高にディスコミュニケーションなのであって、「可愛いは嫌だ」と言われたら止めたらいいだけなんだよ。
・・・リスナー側で議論して考えて反省するのではなく、配信者の指示に従え。
🅱 「お互いが」じゃなくて増田(というかリスナー)がちゃんと考えて。
相矛盾する二つのアドバイスを同時に与えるダブルバインドで追い込んでる様に見える。
かわいい問題の本質は、多勢に無勢で弱い立場の相手を一方的に支配欲で欲情して、公然とマウンティングすることなのだが……。
より深い理解のためには、配信者・気持ちの分かる側もイヤの感情を解説する必要があるだろう。そうすることで単なる言葉狩りの押し付けに留まらず、応用の効くモラルになっていくと思う。
ネット上での批判が増えていることに気づきましたか?あるテーマが取り上げられ、一斉に批判が始まる。でも、ここで問いかけてみたい。その批判の本質は何なのでしょう?
本来、批判は誤りを指摘し、改善を促す手段となるべきです。しかし、感情に任せ、他者を攻撃し、自分の立場を高めるために批判が用いられることがあります。
このような状況は、人々に絶望感をもたらすかもしれません。なぜなら、言葉遣いや批判の表現はその人の価値観を映し出すからです。だからこそ、我々は真剣に議論が行われているのか、自問自答するべきです。
確かに、絶望感は否応なく湧き上がるものです。しかし、その絶望感から一歩踏み出し、社会的な問題について真剣に考えることが求められます。それこそが、我々一人一人、そして社会全体の理解と進歩につながるのです。
批判の行為を通して、我々は何を学び、どのように考えるべきなのでしょうか。それは一つの問いとして、あなたに投げかけてみたい。ぜひ、意見を聞かせてほしいです。
私は今漫画業界の末席にいて、且つ今の日本の漫画業界のあり方は好きなほうです。
だから外圧に感じる外国からの意見というのは煩わしく感じているし過ぎた意見は文化衝突で
それにあまりちゃんと知識もないのでいろいろ間違ってたら申し訳ないです。
今回はそんな自分のしごとである漫画とポリコレについての話というか、愚痴です。
上記の通りそういう立場ではありますが私はポリティカル・コレクトネスの考えは支持する立場でいます。
だからポリティカルコレクトネスを腐しすぎるオタクは私も大嫌いです
今は変革の過渡期であり厳しいのも当然でそれでも私達の次世代の子どもたちが差別や偏見に苦しまないために
自分の愛してたものをあえて手放す時期なのかもなとも考え直したりもしました。
だけど今その考えがかなり揺らいでいます。
海外や国内の、アメリカなどに精通している方からは日本の漫画は海外に比べて
ポリティカル・コレクトネスの意識もエンパワメントもエクイティも欠いてるというのは本当散々言われ続けたことです。
(これに関しては半分その通りでなぜなら日本の漫画は消費者第一主義だからです。
読者の読みたいものを描くのが仕事です。千差万別有り人権を無視したようなポルノから
フェミニズムやエンパワメントなどを主題とした漫画もあり一括りで言えない部分があります。
そしてどれだけ過激に思える漫画でも配慮というのは確実にされていますしチェックは入ります。
その作品がどれだけポリコレに配慮するか、エンパワメントを含むかなどは作者個人の思想によると
いったところが大きくほとんどの編集部は作家の思想を尊重してくれます。)
それだけ海外から日本の漫画は遅れていて海外の常識や思想をアップデートしなければ
取り残されて業界は死んでいくし次世代の子どもたちに禍根も残していくのではとおもうところもありました。
でも結果がこれで、結局海外が標榜する政治的配慮に日本は入ってないんだなとわかりました。
本来ならこれを打ち壊すための考えがポリティカル・コレクトネスなんだけど
これのために愛してる物を手放そうとしてたのにこんなんじゃまるで
搾取されてるのに気づかずに権力者に阿ってるみたいで馬鹿みたいだなと思ったし
結局これはただのムーブメントでしかなくてこれに乗って次世代の子達は本当に幸せになれるのかなって
疑問を抱くようになってしまった
ミームつくったり乗っかってはしゃいでるのはアメリカ人全体じゃなくて馬鹿でポリコレに無頓着な人種差別的人間かもしれないけど
多様性やエンパワメントとフェミニズム、それにトキシック・マスキュリニティからの解放の点で
褒めそやれてた映画の広報の人間はそれに見合うきっとそれなりの大学をでた教養ある人間なんじゃないんですか?
そんなひとって国の代表的存在だと思うけどそんな人があの意識なら海外にとって
虐殺行為って多様性の否定よりずっと罪が軽いんだなと思ったしそんな国から発祥した考えに私は説得力も感じられなくなりました。
爆弾の下には惨たらしく亡くなる方がいるって戦争たくさんしてる国だったら容易に
向こうの言う正義って本質はからっぽなんだなってガッカリしてもいいじゃんという気持ちです
バービーが無邪気にはしゃいだピンクのキノコ雲の下には無差別に殺害された
日本人の子どもたちの命はバービーにとって羽より軽いんだなあと思いました。
それでもポリティカル・コレクトネスについてはこれからも必要だと思っていますし
そしてオタク共は皆人権意識が低くてポリコレが嫌いって思ってる他人を見下す意識高い人間も嫌い
道徳や人道、思いやりは人権ではない。福祉とはあくまで人道的な手段であって、人権を守ることではない。
人権とは「国家から自由であること」である。国家によって奪われてはいけないものが人権である。
「生存権を守らなければならない」とはどういうことか。
「人間が死なないよう、国家は人間を守護しなければならない」という意味ではない。「国家の仕組みによって死に追いやられる人間がいてはならない」という意味である。
福祉によって人命を救うことは、それ自体は生存権を守ることではない。単に、国家という共同体の本質が福祉なのである。国家のあらゆる行為は福祉を守るためにある。警察は福祉である。軍隊は福祉である。
福祉がないから問題なのではない。福祉は常に国家と共にある。国家とは福祉である。福祉が平等ではないから問題なのである。平等が破綻することがあれば、それは国家による依怙贔屓であり、それは構造上「国家によって生存権が脅かされた」と解釈できることになる。
「障害者は弱い存在なので、守護しなければならない」という意味ではない。「マイノリティとして虐げられてきた障害者が、国家によって奪われてきた権利を取り戻さなければならない」という意味である。
盲目の人間は盲目なりに、視力以外の四感を用いて周囲を把握することが出来る。もしも国家が盲目の人間だけで作り上げられていたならば、盲目の人間のために最適化された文明が発展していたであろう。
右利きの人間のために最適化された社会では、左利きの人間は障害者である。
「色弱」という言い方は正確ではない。彼らはマジョリティには区別できない色の違いを区別することが出来る。
人間は翼を持たない。鳥から見れば人間は障害者であろう。しかし、人間に翼は必要ではない。翼を持たない人間がマジョリティであり、翼を持たない人間のために文明を最適化してきたからである。