2023-08-05

なぜフーリガンを「無期限出禁」にしないのか

毎度のことながら赤き◯チガイ集団こと例のサッカークラブファン人類にご迷惑をおかけしているようで。

さてさてこの手の話題になる度にいつも言われているのが

「なぜ無期限出禁にしないのか」

で御座います

これには立派な理由があるのです。

結論から言います

禁酒法は酒を禁ずることに失敗しマフィアをのさばらせ治安崩壊させた」

という類の話に帰結するのですよ。

無期限出禁にするということは、クラブ出禁にしたファンコントロールを行う機会を完全に失うということです。

特定試合数を出禁にした場合は、「大人しくしていたらまた来てもいいよ」という餌をチラつかせることが可能になりますが、無期限で出禁にした場合はそれは不可能です。

期限付きの出禁とは、「出禁の期間中大人しくする」という行為に対してクラブが「大人しくしていたら許す」というインセンティブを与えて首輪をつけている状態なのです。

この首輪を手放してしまえば、相手は「どうせ真っ当にやっても駄目なら変装なり不法侵入なりをすれば良い」と考え始めます

もちろん法的措置を取るという手段はあるのですが、これはクラブ側もかなりの体力を使うことになる。

そしてそこまでやってしまうと今度はフーリガン側が強い逆恨み意識を持って何をしてくるかわからない危険性が生まれます

サッカー遠征をして行うスポーツであることを考えれば、コントロール不能な暴徒のリスク他所押し付けるのは回避したいわけです。

期限付き出禁メリットとしてファン同士の間に「大人しくしていれば良いじゃないか」という空気を醸成できるというものものもあります

サッカーファンの中でもフーリガンになるような人種は得てして承認欲求が強く、サッカークラブが好きというよりも「応援を通して仲間意識を感じられるのが好き」という意識が強いものです。

こういった連中は仲間からクラブもそう言ってるんだし大人しくしてなよ」という圧をかけられると黙って従います

もしもここで完全に出禁にしてしまえば「そこまでするなんて酷いよね。僕たちが支えてきたのに」と勝手に盛り上がられる危険性さえあります

期限付きの出禁というのは罰則としてはそこまで重くないわけですが、それが結果として罰則回避した他のファンの警戒心を必要以上に煽らずに済むのです。

より厳格な罰則や法的措置を行ってしまえば、明日は我が身ではと怯えた一部のファン逆ギレ的な抗議活動を始めるリスクが発生します。

最悪自分が同じ目にあっても大人しくしていればいいという安心感があるから、「今回は諦めて大人しくしていろ」と周囲が気軽に行ってくれるのです。

もしもこれがファン活動死刑宣告に等しい無期限出禁となれば、ゴールライン自分たちに伸びてくるよりも前に先に死刑宣告を食らった仲間を扇動して「このようなクラブ措置に我々は講義をするものである」と活動を行わせようとする圧をかけてくる者たちが出てくるでしょう。

罰則処分というのは誰かの公正世界仮説を支えるための手段ではなく、相手コントロールして再発のリスクを下げるための手段です。

ここを見誤っている人が結構多いんですよね。

「悪いことをしたなら天罰が下って欲しい」と「悪いことをした人間には相応の罰を与える必要がある」は別の問題なのです。

ここを区分けできないと近代社会における罰則本質を見誤ることになる。

クラブフーリガン共に数試合出禁を命じるのは、クラブが損害を受けるリスクを下げることや、クラブの周辺で暴力事件が起きるリスクを下げることが目的なのです。
人間としての性根が腐った連中が相応の罰を受ける姿を庶民鬱憤ばらしとして差し出すようなフランス革命直後の処刑風景とは全く違うのです。

そこを多くの人に理解してもらいたいものです。

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