道徳や人道、思いやりは人権ではない。福祉とはあくまで人道的な手段であって、人権を守ることではない。
人権とは「国家から自由であること」である。国家によって奪われてはいけないものが人権である。
「生存権を守らなければならない」とはどういうことか。
「人間が死なないよう、国家は人間を守護しなければならない」という意味ではない。「国家の仕組みによって死に追いやられる人間がいてはならない」という意味である。
福祉によって人命を救うことは、それ自体は生存権を守ることではない。単に、国家という共同体の本質が福祉なのである。国家のあらゆる行為は福祉を守るためにある。警察は福祉である。軍隊は福祉である。
福祉がないから問題なのではない。福祉は常に国家と共にある。国家とは福祉である。福祉が平等ではないから問題なのである。平等が破綻することがあれば、それは国家による依怙贔屓であり、それは構造上「国家によって生存権が脅かされた」と解釈できることになる。
「障害者は弱い存在なので、守護しなければならない」という意味ではない。「マイノリティとして虐げられてきた障害者が、国家によって奪われてきた権利を取り戻さなければならない」という意味である。
盲目の人間は盲目なりに、視力以外の四感を用いて周囲を把握することが出来る。もしも国家が盲目の人間だけで作り上げられていたならば、盲目の人間のために最適化された文明が発展していたであろう。
右利きの人間のために最適化された社会では、左利きの人間は障害者である。
「色弱」という言い方は正確ではない。彼らはマジョリティには区別できない色の違いを区別することが出来る。
人間は翼を持たない。鳥から見れば人間は障害者であろう。しかし、人間に翼は必要ではない。翼を持たない人間がマジョリティであり、翼を持たない人間のために文明を最適化してきたからである。