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はてなキーワード: 文章題とは

2021-05-18

中年になって計算問題全然できなくなった

 アラフォー文系転職活動対策のため、SPI的な参考書を買って練習をしているのだが、計算問題が明らかにできなくなってしまたことに気付いた。

 計算のたびに一息ついてしまう。面倒くさそうな計算になると躊躇してしまう。2桁~3桁の割り算がでると嫌になる。すっきり割り切れないと途中間違っている気がして戸惑ってしまう。暗算の速度低下、明らかな移項ミス、書き写し間違え、字が汚いなどなど…

 これを1問数分で解けとか、できる気がしなくて絶望している。

 もともと数学は得意では無いのだけど、それにしても学生のころはもっとがむしゃらに解けていた気がする。

 そして、この手の筆記試験はうまくいった試しがない。それは俺の能力不足だと言ってしまえばそれまで何だが…

 反対に文章題のようなやつは学生のころより得意になったが、それは中年皆同じだろう。

 こういう計算問題が昔から得意な人はいると思うんだけど、どうやっているんだろうか。

 

2021-03-20

anond:20210316194332

まさしく「三人しか登場しない論理パズル」以外の何物でもない文章を見て他の可能性があると考えてしまうことと、いわゆる「空気(明文化されない文脈)が読めない」ことは、結局同じだよ。

算数時間に「けんた君とはなこさんりんごを買いに行きました…」みたいな文章題を見て「誰に言われてりんごだけ買いに行ったんだろう?」とか考えてしまタイプは、程度の差はあれ発達障害の傾向がある。

2021-02-27

anond:20210227115259

『どうやったら、人の話が分かるようになるのか?』

悩むねー。分かるわ。

普通の人ならねー。大卒一般向けだと、野矢茂樹さんの論理トレーニング戸田先生論文教室新井紀子先生のRSTテスト。ってので、ブラッシュアップされるかもなんだろうけれど。。難しいね

人間によって頭脳の作りが異なっているので、言語機能から攻めるよりは、図解にすると理解やすいとかあるし。基本的三段論法とか起承転結みたいなのも、要点を四角□で囲って、を三つか四つ並べて矢印で結んで文の繋がりを考えてみるってことだよなあ。これは、冒頭で例を出した『野矢茂樹さん「論理トレーニング」』って本にもあるので。

コンサルなんかの本での例(安宅和人さんのイシューからはじめよ)だと、雲、雨、傘っていう『雲が出てきた(状況)』ので『雨が降りそう(判断予測)』だと思い『傘を持って出かける(実行)』って流れを理解するって言うけど。

もう、ホントこれをやれば伸びるってのは分からないので、教えて欲しいところではあるよね。。

  

偏差値50前後で、知識が足りないとかなら。地道にやるには、漢字検定3級の問題集小学生向けのコグトレ本(国語算数からでもいいかもって思ってる。僕も、たまにやってる。僕も、中学国語問題やってもつづかたかったな。

就活で使うような公務員試験SPI問題でも、方角と距離文章から読み取らせる文章題、あるでしょ。ああいう単純なのから始めるとイイかもね。

心理カウンセリングを受けるにも、なんか、話せないとダメ出しされるから凹むしねぇ。WAISやらは、専門の医師カウンセラーがいるメンタルクリニックへ行けばってやってもらえるはず。

まだなら、発達障害を診てくれる病院受診するのが良いかもね。

2020-12-01

義務教育限界を感じる

Twitterブログをうろうろしていろんな素人の書いた文章を読むのが趣味で、コメント欄もちらっと見たりするんだけどその度に読解力ない人間って一定数いるな…と痛感する。小中に通ってしっかり卒業して義務教育終えてるはずなのにこれ?と思う人間ゴロゴロいるので、教育子供に受けさせる義務が定められていなかった時代もっと格差が酷かったんだろうと思わざるを得ない。教育制度を整えた昔の人すごい。

「A+BはCです!」という内容のツイートブログに「Cってなんですか?」「A+Bはどうなるんですか?」とリプコメントがついてるのを初めて見た時はその場にへなへなと崩れ落ちたい気分になった。

何回読み返しても〇〇に繋がることなんて1ミリも書いてないはずなのに「なんで〇〇になるんだ?おかしくないか?」とコメントがついてるのを見た瞬間、瞬きの回数が3倍ぐらいに増えた。

最低限の勉強大事だなと思う。

ーーーーーーーーーー

(追記)

深夜のノリでバーッと書いたということもあり、「最低限の教育」という括りは乱暴だったなと感じた。

ここでいう「教育」とは、国語道徳の授業に限るものではないと私は考えているので、長文追記をしてみる。蛇足なので読まなくてもいいです。

たとえばジョージワシントン桜の木逸話がある文章引用されたとして、求められている感想、想定されている感想は「ワシントンの正直さとその偉大さをこの話と引用者は伝えたいんだな」もしくは「正直に過ちを認めることの素晴らしさについての話だな」のような内容だと思う。このようなことをテスト宿題でだけではなく、日常生活においても行う能力こそが学校教育を通して培われるべきものであると私は考えている。強引に言い換えるならば、日常生活への応用力である。(「ワシントンすごい!えらい!」は、方向性は間違いではないだろうがもう少し踏み込んで考えたい)

しかしクソコメントクソリプ(乱暴な言い方でごめんなさい)をしてしま人間は、義務教育を終えているのにも関わらず「ワシントンって誰?」「なんで桜の木を切ったの?切ったらダメなのに」「何が言いたいのかさっぱりわからない」というような感想を抱くのではと予想する。彼達はそもそも話の本質理解できていないので、その考えがどれだけ的外れなのかも理解できない。だから恥という感情を覚えることなく平気でコメントやリプ欄に書き込んで送信ボタンを押してしまう。

学校勉強ができてもクソリプマンになる人間はいるし、逆に勉強が苦手でもすぐ話の本質(話し手意図)を理解できる人間もいる。

それから「その桜の木の話はデマだろwwwそんなことも知らねーのかmg(^O^)プギャー」で頭がいっぱいになる層、それを実際にコメントしてしまう層も一定はいると思うのだが(この駄文を読んでくれた人の中にも一人二人はいるような気がする)、そちらはどちらかというと精神年齢人格問題なのでは…と思う。まあ、そういうリプがついてるのを見たら私は「クソリプだな…元ツイの人も大変だ」と感じるであろうことは間違いない。

小学校算数簡単四則演算勉強をしたあと、文章題や発展問題という形で「八百屋リンゴを三つ、モモを二つ買いました。リンゴは〇円、モモは●円です。全部で何円払えばいいですか」というような問題をやらされたと思う。

社会でも、フィールドワークを通して地元文化歴史について調べた経験があると思う。

理科でも何かしら実験などで日常生活との関わりを意識させられたことがあるはずだ。

中学校義務教育ということだけあって、教科書内の事柄法則現実日常生活対応させることを最終目標としている節がある。知識経験に結びつけさせることで、日常生活への応用力を高めさせたいのだと思う。残念なことに、大学を出ていても、教科書現実生活をくっきりはっきり分けてしまっている人間一定数いるのだ。

2020-10-26

anond:20201026205422

数学ゾンビ文章題解けないからな

現実問題を式に直すことが出来ない

式にさえ出来ればPCでもなんでもいいんだけどね

濃縮めんつゆ希釈必要な水の量すら式にできないのよ

パーセントの平均も普通にやろうとするしね

2020-06-21

ウミガメのスープ水平思考ゲーム)でよくある勘違いをただす

これが明確に間違いで、正しくは「問題文と質問に対する回答から答えを導くゲーム」。

から質問しない限り答えに辿り着かない方がむしろいい問題とされる。

これは上の勘違いに基づくもので、問題文と「質問」があれば唯一の答えが定まる。

というより唯一の答えに定まるまで質問をすることができる。

まり質問権も問題文の一部であるのがウミガメのスープである

  • 「別解がたくさんある」

これも最初勘違いに基づく。確かに、同じ問題から別の解を作ることをよくやったりするゲームではある。(一番多いのが「ウミガメのスープ」)

しかし、出題者が用意した最終解答が違う問題は、明確に異なる問題であって、別解とは言わない。

なぜなら最終解答が異なると、質問に対する回答が変わってくるからだ。全ての質問に対して同じ回答をして、なおかつ最終解答が違うのなら別解といえるが。

  • 「出題者の考えていることを当てるゲームだ」

かに出題者の用意した解答を当てるゲームではある。しかしこの言い回しは違うと言わざるを得ない。

そう思ってしまうのは質問が足りないからだ。ウミガメのスープは「問題文を読み進めるために質問必要文章題」だ。

そして文章題が完全に全部読めたその時には、誰でも解答にいたることが可能な、ちゃん論理的ゲームである

そういう問題も多いが、必ずしもそうではない。

というか、一つの叙述トリック言葉遊びが解かれれば解答に至れてしまうような問題はどちらかというと駄目な問題位置する。

シチュエーションパズルとも呼ばれる通り、あくまで不可解な状況を質問によって解き明かすのが核のゲームである

2020-06-04

anond:20200604132112

から、単純計算文章題じゃ違うっつーの

九九だけ機械的に覚えてて前後が可変である事も習ってるけど掛け算そのもの意味は分かってないか

文章見て式を立てる事が出来ない、ってありがちだろ

そのまま放っておけば学年が進んでもっと複雑な文章題が出ても意味が分からなくなるぞ

んで本当に賢くて、塾なんかでしっかり先取りしてる子はこういうのもちゃんと分かってるしな

つーか割り算のレベルだと数学の基礎というよりは

普通に日常生活を送るために必要知識」って意味が強いし

それだと文章題意味を正しく理解して正しい答えを得る能力の方が大事なんだけどな

こういうの分からないのも発達障害っぽい

anond:20200604120826

足し算は文章題でも順序入れ替えても意味変わらんし

引き算割り算だと答えも間違いになるので問題にならない

掛け算だけ理解できない奴がいる

anond:20200604120437

そ。

あくま文章題に対する式なんだから文章題に合ってなきゃ間違いなのは当たり前なのに

その前提を理解できず「4×3も3×4も答えは同じ!だからどっちでもいい!」に固執してる奴がいるだけ。

2019-12-04

掛け算に順序は必要か?

順序を入れなければならない理由:

主張反論反論への反論反論反論への反論
内因性文章題で出てきた数字をただ順番に並べただけでも点が取れてしま方式では、本当に子供理解しているかが見えづらい。また、定められた手順で問題を解くことの練習にもなる。子供と話すなどの方法でも理解度は確かめられる。テストで掛け算の順序を間違えることではじめて子供理解できていないことに気づくとすれば、そのような教師無能であると言わざるを得ない。また、定められた手順で解くのではなく、自ら考えて問題を解けるようにするのが教育目的のはず掛け算の順序だけで理解を測るものでは当然ないが、理解を測りやすくする仕組みは当然必要教師エスパーではない。思考力は当然必要だが、手順通り問題を解く能力もそれはそれで必要理解度を測るための手段としては不十分であることが分かった。子供が自ら考えて出した式が、授業で教えた順序ではないからとバツされるのでは、思考力を削ぐことになりかねないその方法だけでは測れないと言っているだけで、不十分との決めつけは一方的。また、文章意味をよく考えて正しい順序を導くことは思考力アップにもつながる
重要文章を読み取って計算を行う力が重要であることは言うまでもない(反論なし)
解決順序を正しく書けていない子供を注意深く指導することで、文章を読み取れていない子供に対するケアができる。子供自身、順序を間違えないよう注意深く文章を読み、手順通りに問題を解くようになるそもそも掛け算が順序通りかどうかで理解度を測れると考えるのが乱暴。「単位があっている方が先」などとパターン化して覚えるだけなので無意味それでも、ただ出てきた順に数字を並べるよりは、よく文章を読めていることになる結局パターン化して問題を解くようでは、理解度を見るという目的には何ら寄与しない「何ら寄与しない」は言い過ぎ。ひとつひとつの試みを「効果が少ない」と言って切り捨てていては、何一つ有効な試みなど存在しないであろう

順序を入れてはいけない理由:

主張反論反論への反論反論反論への反論
発生過程本来自然数の掛け算には順序がないのに、嘘を教えているということになる。順序がないものをあると覚えてしまうことは問題だし、また、正しいはずの式を書いてもバツされてしまっては、子供モチベーションも下がりかねないまず、誤解があるので解いておくと、自然数の掛け算に順序があるのではなく、文章題を式にする過程で生み出される式に順序がある。その順序は教科書に書かれており、授業で教えている。モチベーションについては、順序を正しく書けるようになった子供を褒めるなどの方法で保つことはできる残念ながら、そのような認識をしておらず自然数の掛け算に順序があると考えている教師も多数いる。また、仮にそうであるとしても、文章題を式にする過程は一通りに定まったものではなく、生み出される式も、順序がどちらのもの存在するはずである。合っていても教科書通りでないと認められないというのか。また、掛け算に順序がないことを知っている子供バツを喰らって、「正しい順序」とされるものにすることで褒められたとしても、バカバカしいとしか思わないであろう。モチベーション低下は避けられない算数数学につながるものであるから定義を大切にするのは当然である数学であっても、定義から外れたもの証明なしに使うことはできないはず。賢い子供にこそ、それを理解してほしい文章題を式にする過程形式的アルゴリズムとしては与えられておらず、式にする手段は単なる一例であるはずである。それを「定義」と言い換えることでローカルルール押し付けるべきではない。賢い子供は、そのような嘘を簡単に見抜くであろう
深刻性嘘を教えること、モチベーションが下がることが問題であるのは言うまでもない嘘でないことは上に述べた通りであるが。あなたニュートン力学を教えている先生に「嘘を教えている。相対論量子論を教えろ」と迫るのだろうか? 教育上の過程として、より限定的ものから一般的ものへと広げていくことは何ら問題はない力学の例は極論である相対論量子論議論するよりもニュートン力学議論した方が有益問題は多数あるが、掛け算に順序があると考えた方が有益問題は一つでもあろうか? そもそも自然数の掛け算に順序がないことは、小学生でも知っているべきことであるニュートン力学は、単なる利便性のためだけでなく、教育的な意味もある。順を追って、少しずつ概念拡張して教えていく。それを「嘘」と呼ぶのは大袈裟。また、自然数の積に順序があると主張しているわけではなく「嘘」ではないことは上に述べた通り教科書記述を「定義」として扱うことへの疑問は上に述べた通り。順を追って最初は式には順番がある、と教えることの教育的な意味自体が怪しい場合には、単なる嘘である。それを見抜いた子供モチベーション低下は避けられない
固有性そもそも掛け算に順序を入れなければ、このような問題は起きないのは明らか(反論なし)

みんなもやってみてね

2019-11-19

結局掛け算の前後は入れ替えてもいいのか、ダメなのか

結論から言うと、「入れ替えてもいい」が自分意見である

が、そこに至るまでの結論はわりと複雑で、単純に論じられる問題ではない。

いちおう言っておくと、自分旧帝大数学科出身で、代数学計算機科学的な議論はひととおりできるし、教育にも携わったことがある。

まず第一論点として、少し厳密性に欠ける話なのだが、掛け算の左右は本質的には同じものではない。

まり、(結果として交換可能かどうかではなく)意味的に交換可能か、というと、これは交換不可能である

すなわち「掛け算の右と左は全く異なる意味を持つ」ということができると思う。

そもそも掛け算というのは、●を▲回足す、といった素朴な定義からスタートしている(現代的な数学基礎論立場でもこのように掛け算を定義していると言ってよい)。

●を▲回足すことと、▲を●回足すことは、結果の同一性は置いておいて、少なくとも意味としては異なる話であろう。

実際、たとえば●を▲回掛けることと▲を●回掛けることを比べると、これは結果すら異なってくるわけだから、素朴に交換してよい、という話にはならない。

数学では、非可換環だとかベクトル作用だとかわけわからんものが山ほどあり、そこでは乗法やそれに類する演算が交換不可能なことは日常茶飯である

ところがこれが交換可能になってしまうというのが、「交換法則」の主張するところである

これは掛け算そのものがその定義の中に「自明に」有している主張ではなく、定義から証明することによって主張される、いわゆる「定理である

するとここで「学校教育において、未だ習っていない定理テストの解答に使用してもよいか」という第二の論点が現れる。

これに対する解答は、「よくない」である

例えば大学入試においてロピタルの定理を使うことは、それが問題を解くために非常に役に立つにもかかわらず、許されていない。

どうしても使用する場合は、自らそれを解答用紙中で証明したうえであれば使うことができる、というルールだ。

小学校算数でも基本的にこのルールに従うべきではあろう。

さらにいえば、仮に交換法則を使ってもよいとして、「交換法則を使った」ことを明記せずに最初から定理適用後の姿で立式してしまうことにも疑問点が残る。

この論点でもやはり基本的には交換不能である側の意見に理があると考える。

にもかかわらず、自分結論はやはり「交換可能である」。

と、言うのも、基本的文章題においては日本語を数式に変換するための「解釈」は解き手に委ねられているからだ。

まり、3個ずつのリンゴを5人に配りました、という日本語から「3個を5回足すんだな」と解釈することにも、「5人を3回足せばいい」と考えることにも一定妥当さがあり、そこには読み取りの自由がある。

これは算数数学問題というより、日本語としての読み取り方の部分に交換可能性が潜んでいるのである

したがって、この文章を数式にするにあたって5×3と書いても、それは何ら減点要素ではない。

まとめると、

掛け算は意味的には交換可能ではないよ→でも交換法則があるよ→でも習ってない定理は使えないよ→でも日本語の読み取りの部分に交換可能性があるよ

ってことで、左右逆に書いても丸になるというのが結論

2019-09-29

A子さんは1日何ページ本を読むことにしました

みたいな算数文章題、「最初からページ数を決めてしまったら、先の展開が気になる部分に差し掛かったらもどかしいよなあ……」って感じる

2019-08-04

最近立て続けに、幼稚園小学校低学年くらいの子供にメチャクチャ厳しく勉強させるママを見てしまって、ちょっと凹んでる

1回はイートイン可能パン屋さんで、国語文章題か何かを子供がやってるのを横から色々言うママ

1回は電車の中で、理科と思われる問題を本の中から口頭で出題し、子供に答えさせるママ

どっちもママは物凄く怒っていて、「何でそんな間違いするの!? バカなの!? さっき言ったでしょ!!!」みたいな口調

自分子供なら一発で泣き出す自信があるが、子供たちはそれでも泣いたり騒いだりせず、問題を続ける

それだけでもう、メチャクチャがんばってると思う・・・

ママたちも何かに追い詰められてるんだろうなというのが、ひしひしと伝わってきて、本当にいたたまれない

2019-07-08

anond:20190708171251

小学生算数文章題とかで「一日何ページ読みます〜」とかあるけど意味わかんないよな

そんな機械的に読むの中断するわけないよね

2019-07-02

anond:20190702182319

なんにも条件つけずに「1かける4と4かける1は同じか?」と言われれば間違いなくどっちでも一緒だけど、

文章題とかで「4人に1個づつ配ったときの全体個数を表現するときに立てるべき式は1かける4と4かける1は同じか?」と言われれば議論が分かれるところじゃないの

2019-03-18

かけ算の順序を指導する理由

 小学校教員経験者としての個人的意見です。といっても大卒後2年だけ勤務(5年生, 6年生担任)してその後転職してるので、経験は少ないし時差があります。ただ最近、というか定期的に話題にあがる、かけ算の順序問題について自分の考えを書きたいと思ったので

 (1)かけ算の理解評価

 (2)かけ算を元にしたわり算の理解

という2つを考えつつ書きなぐります

順序が大事理由をざっくり言うと

 ここではかけ算の順序を固定するという表現を使ってみようと思います。まず現状としてかけ算の学習では

 (1つぶんの数)x(いくつ分)=(ぜんぶの数)

の順序で固定して指導されています

 乱暴な言い方かもしれませんが、このように固定するのは必要悪だと思っています

 かけ算の順序を固定する理由をざっくり言うと、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するため、です。それに伴い、順序を固定する必要が出てくるということです。固定は副次的ものです。

 例えば3 x 2という式において、(1つぶんの数)にあたる数は3なのか2なのか、(いくつ分)にあたる数は3なのか2なのか、順序が固定されない限り判断がつかず評価ができません。どっちの数がどっちだか混乱してしまます。なので、かけられる数に(1つぶんの数)を、かける数に(いくつ分)を対応させることにより、明確に(1つぶんの数)と(いくつ分)を式の中で表明することができます

 あと、計算だけ指導するのであれば、順序の固定は不要です。実際に、意味がわからなくても計算ができる人は山ほど居ます。ただ、かけ算やわり算の意味をとらえるためには、(1つぶんの数)と(いくつ分)を区別して考えていかなければなりません。

 これだけじゃわかんねーよって人は以下も参考にしてください。

立式をどう評価するか

 授業をするからには、かならず評価をすることになります。実のところ、この順序をつけなかった場合問題文脈を正しく理解して立式したのかどうか、評価が難しいです。問題において提示されている事象、より厳密に言えば「現実モデル(*1)」を、正しく「数学化(*2)」して処理しているかどうかが、評価ポイントになるわけです。もちろん児童ひとりひとりにインタビューをして評価できれば良いのですが、ペーパーテスト上では、立式ができているかどうかをかけ算の順序で判断するしかありません。(もちろん、正しい順序で書けたからといって正しく数学的に理解できているかどうかはわかりません。適当数字を選んで立式している可能性もあります。逆に、現実モデル説明できるのに式でそれを表現できていない場合もあります。これは現在ペーパーテストによる評価限界でもあります。)

 このままだとわかりにくいので、次で具体的な例を挙げながら説明します。

(*1)「現実モデル」...例えば「1ふくろにつきももが3こ入っていて、それが5ふくろあります」というもの現実モデルの一例です。現実にはその場にももがあるわけではないですが、その現実事象を模したもの現実モデルです。

(*2)「数学化」...ここでは文章題から立式する過程のことを指しています問題数学算数)の領域解決できるようにすることです。数学化した時点で、現実モデル情報はそぎ落とされます。たとえば[現実]→[数学]の動きの場合、「りんごが2こと3こでぜんぶでいくつ」→「2 + 3」と容易に数学化できますが、その逆の[数学]→[現実]の動きの場合、「2 + 3 」→「 」の部分は無限に答えが考えられますりんごじゃなくてもも2こと3こにしてもいいし、今日1月2日です3日後は何日ですか、でもいいわけです。数学化されたものはそれだけ抽象化されていて、元の現実モデルを言い当てるのは困難ですし、現実モデルそもそも無い場合もあります

答えが同じでも、順序によって現実モデルが異なる

 よくあるひっかけの文章題では、文中で(いくつ分)をわざと先に出し、(1つぶんの数)をその後に登場させるものがあります

 「6枚のお皿にりんごが3個ずつのっていますりんごは全部で何個ありますか」

 文章題の順序通りに立式すると、6 x 3という式になります。固定した順序で考えると、これは(1つぶんの数)と(いくつ分)の順序が逆になっています。この場合、実際には

 1皿に3個のりんごがのっていて、そのお皿が6枚分ある(式 3 x 6)

という現実モデルが、

 1皿に6個のりんごがのっていて、そのお皿が3枚分ある(式 6 x 3)

という現実モデルになってしまい、結果的に6 x 3という式は後者現実モデルを元に立式したと判断することになります

りんごのぜんぶの数はどちらも等しいですが、6 x 3という式の元の現実モデルが実際の現実モデルとは異なるため、問題にある現実モデルを正しく数学化できたとは言えず、誤答になるということです。

 (1つぶんの数)を3、(いくつ分)を6

として捉えているのか、

 (1つぶんの数)を6、(いくつ分)を3

として捉えているのかには大きな違いがあるわけですが、(1つぶんの数)x(いくつ分)の順序で書こうと決めておくことで、どちらで捉えているか特定することができるようになります

順序は逆にして固定してもよいか憶測

 そう考えると、順序は逆にして固定しても問題はなさそうです。今の

 (1つぶんの数)x(いくつ分)

という順序は、ただ言語的な順序に従っているだけだと思います

 かけ算がたし算の延長ということを思い出すと、

 2 + 2 + 2 + 2 + 2

 2 x 5

と表しているだけで、これは

 2 + 2 + 2 + 2 + 2

を、2が5つ分という風に捉えて、その順番で2 x 5と順序づけているのかもしれません。5つ分の2と捉えれば、5 x 2と順序づけてもいいので、捉え方の問題なのかもしれません。個人的には前者の方が自然に感じるのですが、刷り込まれてきただけかもしれません。

共通性のある例を考えると、2/3という分数について、日本では「3分の2」と分母から読み、記述するときも大抵の人は分母の3から書き始めると思います。「3分の2」と考えなから分子の2から書き始めるのは違和感があるのではないでしょうか。一方で英語圏場合Youtubeとかで実際に確認した限り、2/3は「two third」と分子から読み、記述の際も分子の2から書き始めます。)

 繰り返しになりますが、順序自体大事なのではなく、かけ算の式において(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現することが大事で、そのために順序の固定が副次的必要になるということです。

 改めて考えると、この固定というのは非常に厄介でもあります。まだ学習し始めの子どもを混乱させないために条件を固定しているという意図もありますが、順序を交換しても答えは変わらないという事実と照らし合わせたとき、納得いかないのも当然です。しかもその事実自体は小2の九九の時点で学習します。

順序が問題にならないときはどのようなとき

 順序が問題にならないときというのは、既に数学化されたものを取り扱うときです。つまりそもそも数学化の過程評価対象にもなっていないものです。算数的に言えば、文章題のような問題ではなく、既に立式されている問題です。

 2 x 3

という問題であれば、

 2 x 3 = 3 x 2 = 6 答え6

計算しても間違いはひとつもなく、正答です。2 x 3が計算できなくても、順序を変えて3 x 2で計算しても良いのです。その根拠は、かけられる数とかける数の順序を逆にしても答えは変わらないからです。むしろ学習が進むにつれて、交換法則は便利に使うことができ、積極的に使えるようにしていくべきです。(教科書でもちろん学習します。)

 また、アレイ図(↓のやつ)を考える時、自分でどう括るかによって、(1つぶんの数)と(いくつ分)が決まり、どちらの順序でも考えることができます。例えば

● ● ● ● ●

● ● ● ● ●

● ● ● ● ●

 上のようなアレイ図であれば、縦3個でくくれば3 x 4という式になりますが、横4個でくくれば4 x 3という式になり、かけ算の順序が逆になります自分現実モデルを作り出してそれを数学化しています

わり算の理解における(1つぶんの数)と(いくつ分)の役割

 わり算の考え方には2つがあります。「等分除」と「包含除」です。その違いを説明するために、虫食い算のかけ算を考えます。というのも、わり算はかけ算の拡張なので、発想として虫食いのかけ算で考えるとわかりやすいです。3 x 2 = 6と、順序を逆にした2 x 3 = 6を虫食いにして考えましょう。かけ算の順序を変えただけなので、どちらも答えは同じ6です。

・等分除

  □ x 3 = 6

というかけ算をわり算では

  6 ÷ 3 = □

と表します。この場合、求める□の部分は(1つぶんの数)にあたり、例のりんごと皿で考えれば、

 「りんごが全部で6こある。これを3枚の皿に平等にわけると、1皿あたり何こになるか。」

という問題になります。1つぶんのりんごの数が、求める答えです。これが「等分除」です。わり算と聞いて想像やすい、平等に分けよう、というものです。教科書でもこの等分除から学習します。

包含

  3 x □ = 6

というかけ算をわり算では

  6 ÷ 3 = □

と表します。この場合、求める□の部分は(いくつ分)にあたります。例のりんごと皿で考えれば、

  「りんごが全部で6こある。1皿に3こずつりんごをのせていくと、皿は何枚必要になるか。」

という問題になります。皿の枚数が、求める答えです。これが「包含除」です。イメージ的には、6つある物を1セット3ことして何セット作れるかな、というものです。

 以上のように、□ x 3 = 6と3 x □ = 6のどちらも6 ÷ 3 = □というわり算になるのですが、もともとのかけ算の式をみると、求めている□の部分が(1つぶんの数)なのか(いくつ分)なのか、という違いがあります一見、全部わかりやすい等分除で考えればいいじゃないかともなりますが、包含除は等分除ではとらえにくい、余りのあるわり算を考えるときに非常に有用で、必要不可欠です。

 この等分除と包含除の考え方は、かけ算での(1つぶんの数)と(いくつ分)を明確に区別しているからこそ理解でき、学習できることです。3回目くらいになりますが、(1つぶんの数)と(いくつ分)のそれぞれを明確に式の中で表現するために、順序を固定する必要が出てくるということが、かけ算の順序を指導する理由であり、今回書きたかった結論です。もし順序を固定しない場合、式の中でどっちがどっちなのかを示す記号を加えるなどの工夫が必要なのではないでしょうか。

 単に順序を逆にしても同じ、として学習を進めると、(1つぶんの数)と(いくつ分)に区別のない世界で考えることになります。このとき子どもにかけ算やわり算の意味をどのように指導すればよいのでしょうか。計算だけ指導するのであれば、何も問題ないのですが。

現代でその考えは必要なのか

 現在文科省が掲げる算数科の目標は次の通りです。

 「算数活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的知識及び技能を身に付け,日常事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活学習活用しようとする態度を育てる。」

 「算数活動」とは「児童目的意識をもって主体的に取り組む算数にかかわりのある様々な活動」を意味しています。先ほど考えたわり算の理解は、この算数活動を実現しうる機会の一例そのものだと思っています

 正直、計算自体重要なのであれば、現代では電卓コンピュータ入力する力が求められるだけです。もっと時代が進めば、こんな等分除や包含徐を学習しなくてもなにも困らない時がくるかもしれません。もちろん、先ほどの算数科の目標社会の移り変わりによって広義に変容するものですから時代が変われば内容も変わるでしょう。しかしそんな中でも、根本として算数数学を探求することが大切ということはゆるぎないと思います

現場感想

 小学校教員基本的ほとんどの教科を一人で担当します。私は自分算数指導課題を感じ、よりよい授業のために調べたり足を使って研究会学会に参加したりしてきたのですが、正直いうとそうしてきた算数だってまり自信が無いです。すべての教科を完璧に仕上げるのは結構難易度だと思います

 勤めている人はみんなそうですが、現場教員たちも同じように膨大な業務に追われています。また、子ども保護者トラブル対応も多々です。学校では毎日事件が起きているといっても過言ではありません。若い先生特に教材を研究する時間必要ですが、所定の勤務時間内にできる時間はほぼゼロです。朝と夜の残業時間も、授業そのもの関係しない業務が多いです。学校子どもが過ごす大半の時間は授業時間なのに、その授業の準備が満足にできないということです。経験を積めば良いと言われても、今担任しているクラスの子どもが被害者になるだけです。あたりまえですが、その子たちは一度だけの1年を毎年過ごしているわけです。貴重で大事時間です。

 現場もっと人が欲しい、というのが素直な感想です。算数では少人数授業やチームティーチングが増えてきていますが、根本的な問題解決していません。算数に限らず、教員もっと授業に関することに時間を割けるようにするべきです。毎日授業があるのに、その授業の質が低くなっては意味がないです。結局、先生たちもかけ算の順序について教えてくれる人なんて居ないのかもしれません。そんな状況で教えなくちゃいけないんです。

 日本さん、もうちょっと教育お金かけませんか?未来を担うのは、大人ではなくて子どもたちではないでしょうか。

2019-03-11

anond:20190310235913

多くの人が問題だとしているのは、一般的計算の順序ではなく、小学校で習うレベル文章題の足し算、掛け算の順序だ。

計算の順序に文句つけるなってやつは基礎数学で降べきの順を教えるなって言うの?

勝手一般化するなよ。

しかも「教えるな」じゃねーよ。

理解の助けのために掛け算の順序を固定するのは構わないが、そこから外れた回答を不正解にするな」だよ。

2019-01-29

anond:20190129111135

「経頭蓋磁気刺激法」ってトレパネーションかと思ったが、Wikipediaにも項目あるくらいではあんだな。

ざっと目を通したけど、そっちにも「コペルニクス的転回」といわしめるもんはなさそうだな。

そもそもコペルニクス的転回」なんて「天地がひっくりかえるほどの大転換んんんん~~~~!!!!!」

みたいに主観的物言いだしなあ。

正直これ、引用箇所は学術的でない「断定を避けた」極めて曖昧文章だし、

元増田の問いについても、文章題として低質でしょ。何を問いたいのか意図がつかめん。

日本語読めてる?」に対して歴史的に発生した事象を調べさせる目的だとしたら、元増田自体わかってねえし。

かといって「その事象」というのがどれを具体的に指しているのか区別されていない。

キチ系文章としても味がねえし、俺すげえ系としても正鵠を射てないし。

あいいや、どうせこの元増田はそう伸びねえだろうしね。

2018-12-05

anond:20181205133715

文章題の式と計算結果を書けって問題だろ?

なら式は順序逆だと間違いになるだろ普通に

2018-11-24

履修

秋2018

College Writing

新入生必須レポートの書き方みたいなクラス

話をしたり作品分析をしたりは嫌いじゃないんだけどレポートを書くのが死ぬほどしんどい

好きな映画について書き始めたけど見直しすぎてこの映画嫌いになりそう

教授ユーゴスラビア出身の人なのでアクセントが聞いてて気持ちいい

Intro to Philosophy

哲学(入門)

ソクラテスベースデカルトとかミルとか読んだり論法練習したり

哲学という学問に対するふわっふわしたイメージ払拭された

曖昧なことについて考えるのは好きだけど2-3年かけてみっちり勉強したいほどではないと思ったので専攻候補から除外

Intro to Art History

石器時代から始まる一番古い時代世界美術史

洞窟壁画とかから始まってピラミッドとかギリシャ彫刻とか仏像かについて学んでる 

美術は好きだけど興味があるのは絵画から建築彫刻ばっかりのこのクラスあんまり面白く感じなかった

でも「アートって何だろうな」みたいなのがちょっと分かってきた気がする

・Multilingualism

アメリカの多言語環境についてのクラス

この国で使われてる言語、他の言語から受けた影響、方言文化グループ等について学んでる

正直クソ面白くて入学前には視野にも入ってなかった言語学に興味が湧いてきてる

あと教授が採点ゆるゆる天使

・Applied Calculus to the Social Sciences

微積分?のクラス 応用問題としてリアルシチュエーション文章題とか出てくる

死ぬほどつまらないし教授何言ってっか分かんないしリタイヤしてしまった

申し訳ないしもうちょっとしっかりしたかった

冬2019(予定)

・Drawing 1

副専攻として美術やりたいし最近絵書いてなさすぎて画力心配から基本的なとこから始める

春2019(予定)

Intro to Sociology (社会学

Intro to Cultural Anthropology(民俗学

Intro to Linguistics(言語学)

・Writing about Performance(レポートの書き方、演劇ダンスが題材)

Color Theory(色彩理論)かPainting 1(油絵)のどっちか

他に取ろうと思ってる必修(一般教養?)

理科天文学解剖学

理科2:心理学(入門)か心理学の「アメとムチ」ってクラス

理科応用:Data and Society (データ社会)

数学(再挑戦):Excelコンピューターサイエンスの入門

文学翻訳で読む日本文学

そろそろ一般教養を取り尽くしてしまうので専攻を決めないとまずいところだが分からん

法学とか医学とか暗記だらけのエリートルートは無理だしエンジニアリングとかコンピューターサイエンスとかのそこそこ高給安定ルートも興味が持てない 

2018-11-18

足し算にまで順序とか

https://togetter.com/li/1289061

わざわざ順序をつけるとか、全く理解できない。

文章題トレーニング抽象化するためのものではないのか。

「買ってきたリンゴと元からあるリンゴは違うよね」とか「リンゴの大きさが違ったらどうなの」とか

引っかかる子供はいるし、それはとても健全なことだと思うのだけど

そこであえて、リンゴであるということと、1個1個数えられる個数を持つという

そのことだけを抜き出すことで足し算が成立する、というのを教えるのが算数なのではないかと。

属性がそろってないと3+2という式はそもそも成立しないというのに

そこにわざわざ時間情報やら順序やらを組み込んでいくのは

無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!

であって、そんな嘘式を足し算として習うから次元が異なるものは掛け算割り算ができても

足すことは絶対にできない、というのを理解せず初等力学で躓く学生が出るのではないかと。

2018-10-14

anond:20181014192028

あのな、自律AIが世の中に存在してないってことはアレは完全にまだ人形なんだ。

3DCGなんだ。人間手取り足取りしないとしゃべれもしない操り人形なんだ。

チューバーはそのために人格AI部分、動作AIの部分(将来はできるかもしれないやつ)を人間が代行している。

キズナアイAIっぽいvチューバーだよ。「商業AI」、「自称AI」なんだよ。

あの会社技術力でできることは画像選びとか簡単文章の文末選び程度しかない。

「アイ」という固有名詞を「AI表記してみんなに誤解してもらえただけの人形だ。

名古屋大学先生が「AI小説をかかせた」といっても、これもやってること実際にみたこあんのか?

人間が選んだ次の展開の選択肢からなんとなく良さげなのを選ぶだけ。

おなじ研究室では東大入試問題AIに解かせようとしてるんだけど、

そこのAIそもそも数学文章題になるといかに厳密な文章でも

出題文をちゃん理解できてないので中学方程式レベルも無理。

(詳しくいうともうちょっと難しくなるんだけど、文系にはその操作理解が無理)

AIは将来はすごいことができるかもしれないが今できるのは亀甲占い程度だ。

文系自律AIの実現時期に夢見すぎ。

まだ会話なんて絶対にできない。

からあのインタビュー書いてるのは全部NHK科学部。

服を選んだのはプロジェクトなんたらいうアニメスタジオ

 

ほんと罪作りな記事だねー。バカリサイクルしてもっと濃いバカつくってんの。

2018-08-05

anond:20180805164657

そうだよね。

あいう子っておとぼけウッカリちんこ入れられがちだよね。

こういうの見ると、

算数文章題で、文章不可思議な点が気になって問題に集中できないのと一緒で、エロに集中できなくなる。

一気にネタ扱いし始めてしまうわ。

2018-06-02

家庭教師の子どもがかわいそうで仕方がない

地方私立大学2年生なのだが、アルバイトとして小学3年生の子もの家庭教師をしている。

その家庭教師の子ども(Aくん)がかなり問題を抱えている。

包み隠さず書いてしまうと「バカ」なのだ

まず、時計が読めない。

Aくんには時間概念がほぼ無いようで、話をする中で

今日何時に起きた?」や「いつも何時から学校始まる?」といった質問に答えることができない。

先の家にはアナログ時計しか無いのだが、「今何時何分かな?」と聞くと7割位の確率で答えられない。

更に「5時15分」のように答えられたとしても、5分後に聞くと「5時4分」と答えることが多い。

次に文章題などの読解がものすごい苦手である

普通に算数文章題が解けないのはもちろんだが、段落に対して番号をふるときに「文章の中で一文字分下がっているところが段落の始まりだよ」って教えても素っ頓狂な場所に番号を振るし「1段落の2文目」などを指し示すことができない。「1段落の1文目はここだよ」って教えてもだ。

Aくんの家庭教師を始めてから大体5ヶ月くらい経ったのだが、3ヶ月が過ぎた頃から普通に勉強を教えるだけではだめだということでいろいろなことを試している。

○×ゲーム(3x3で揃えるやつ)→リーチが掛かっている状態で手番が回っても気づかない

五目並べルールが難しいと言われ拒否される

オセロ→俺強いよと言われ勝負するも置けない場所コマを置く・残り8マスでどこにおけるかを見つけられない

スマルールが難しくてできない

二回手を叩いて溜め・防御・攻撃するやつ→ルールが難しくてできない

羊飼いの川渡りパズル→一つも試すことができない

(これ以外にもたくさんやったが)こんな有様だ。自分記憶の中では3年生位のときには上に出たようなものは強くはないにしろ大体できたし、それをやる友達がいたということはできたはずだ。

上の状況や教えている時の様子(じっとしていられない・マスに文字が収まらない・一文字書いている最中に3回位集中が切れる)を見ている限り、なんらかの障害を持っていて早めに病院行ったほうがいいと思っているのだが親御さんは全くそんな様子は見られない。

ただ、Aくんが勉強が苦手であることはわかっているようで、家庭教師先に行くたびに教材が増えており毎日学校宿題の3倍位の分量をやらされているようだ。

それでもAくんが一人でこなせるはずなく、Aくんに聞いたところによると10秒位詰まったらすぐに親が教えてくれちゃうらしい(その様子は私が居るときにもあり今日宿題は?とか聞くと本人が応えようとしているのに大体親が連絡帳を開いて教えてくれる)それじゃあ意味ないじゃん!

最近は私が家庭教師先に行くと泣いて勉強をしたくないと親に泣きつき親が「頑張って勉強しないとだめだぞ 頑張らないと賢くなれないぞ」となっているのを見るのがほとんどだ。

勉強させるのは親だろうに、逃げる先が親しかいなくて親に泣きついているのを見るのが痛々しい。

両親とも高学歴子どもにも期待しているのはわかるがもう少し子どものことを見てあげてほしい。

Aくんは自分自分ができないこととっくに気づいているし、それで学校で生きづらい思いをしていることも自覚している。

上のような遊びができないとなると友達との輪についていくのもそろそろ限界が近づいてくるはずだ。

学校で1日授業聞いてくるだけでへとへとだろうに、家に帰っても味方であるはずの親に勉強をさせられ、いっぱいやってないか勉強ができないのだという風に言われるのはどんな気持ちなのだろうか。

からなにかいいたいのだが、こんなクソガキ雇われ先生には何も言えない。

この前も少し核心に迫るようなことを話したら、ものすごい顔をされてしまった。

できれば小学校の先生に言ってほしいのだが、問題児ではないその子問題があるということは気づきづらいことなのだろう。

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