はてなキーワード: 安倍元首相とは
なんか安倍元首相とか自民党が宗教と密接に関わって、宗教に忠誠誓って操られてるらしいんだけどさ、
ということは、昨今の宗教って科学知識が左翼の知識人よりよっぽど上じゃないか?
反核こじらせて放射能デマからフクシマ差別を引き起こしたり、ゼロコロナ、反ワクチンで馬鹿を露呈したりさ、
ガリレオの故事のように非科学的なことをいうのが宗教の専売特許だと思ってたからビックリだよ
(当時は、フクシマの差別、人権より反核の方が大事なんだと驚いたもんだよ)
宗教以下のくせに、いっちょまえに学術会議にポスト要求すんなよな、笑わせる
まず最初に、私は安倍晋三という政治家を支持してもいないし、かといって反安倍ではないということを明確にしておく(山上徹也氏がおそらくそう考えているであろうと同様に、功罪がある評価の難しい政治家だと考えている)。
私はあの事件が起きて以降、山上徹也、あなたに関する色々な情報に触れた。あなたの手紙やTwitter、ブログのコメントも細かく読ませて頂いたし、家庭環境であったりとか、得られる情報は全て得て、脳内で山上徹也という人間になりきったつもりでシミュレーションを行った。そこで自分の中の疑念として生まれたことなのだが、山上徹也よ、あなたは本心では安倍晋三を殺したくなかったのではないか?
もちろん、政治家が広告塔のような役割を果たすことで宗教団体にお墨付きを与え、それによって被害が拡大する、という主張は事実だろうし、安倍元首相と統一教会の深い関係が統一教会を助長させた、ということに疑念はない。しかし、実質的に「統一教会を日本に入れた」とすら言っても良い岸信介であればその罪は暗殺に値するかもしれないが(ただし、同時に共産勢力を排除したというのは彼の功績かもしれない)、安倍晋三と統一教会の付き合いは祖父と比べれば積極性に欠ける。実際、有田氏の2006年のブログでの発言を読むに、実は統一教会と距離を置こうとしていたという話すらある。また、祖父の罪が本人の罪でないことは、散々母親に苦しめられたあなたには言うまでもないだろう。更に、自民党には統一教会の賛同会員であることを公に認めた安倍晋三の元秘書の井上義行議員や、統一教会の代理人であった高村正彦元自民党副総裁など、統一教会との関係が更に深いであろう議員が多数存在している。もちろん、この話もあなたには言うまでもないだろう。
だとすれば、本当に安倍元首相の統一教会に関する行動は暗殺に値するほどの罪であったのだろうか?実際のところ、世襲政治家であれば祖父や親からの付き合いを引き継ぐのはある程度仕方ないことである。また、ご存知のように、そもそも自民党には安倍晋三以外にも統一教会と深い関係を持つ議員が大量に存在している。これはメジャーリーグのステロイドのようなもので、他の議員が宗教の力を利用しているのに、自分が宗教の力を使わない、というのは実際のところ難しい。こういった状況を踏まえれば、安倍晋三が広告塔として機能としてたことを勘案しても、フェアに考えれば安倍晋三の罪は多く見積もっても名誉失墜と議員辞職程度であって、暗殺されるほどの罪があるとはとても思えない。山上徹也よ、実際はあなたもそう考えているのではないだろうか?
もし私の推測が正しいのであれば、あなたは安倍晋三というひとりの人間に謝罪するべきである。もちろん公の場で謝罪する必要はないし、墓に行く必要もない。もしそう思うのであれば、あなたはあなた自身を非難し、「お前の罪は、暗殺されるほど大きいものではなかった」と心の中で安倍晋三というひとりの人間に謝罪するべきだ。あなたの行ったことによって、確かに統一教会の問題は再び取り上げられるようになったし、それによって社会に良い影響を与えたかもしれない。しかし一方であなたは(罪はあるが)暗殺されるほど罪が大きくない安倍晋三という政治家を殺したのだ。あなたは手紙の中で自身のことを「方向は真逆だが、統一教会員とよく似たものでありました」と書いたが、あなたが行ったことは、共産主義勢力を排除するために文鮮明と手を組んだ岸信介と同じではないか。
私の言っていることはもしかすると的外れかもしれない。ただ、もし的外れでないのであれば、いつになるか分からないがあなたの意見が聞きたい。
僕は消極的野党支持者で、固定支持政党を持たず立憲、共産、国民にそのときそのときで投票している。自民党はもう少し議席を減らしてバランスを取ってほしいと考えるからだ。とはいえ、安倍元首相が殺害されたのはとても遺憾であり、犯行はどんな理由があろうと同情も支持もしない。
事件以来、インターネット上では統一教会批判一色だが、僕は自分の態度を決めかねている。もちろん感覚的には理解できて、政府にカルトが食い込んでいるのはとても嫌だ。しかし統一教会そのものを、または自民党との繋がりを確実に断てるだけの法的根拠があるのか?について僕は疑念を持ってしまった。
まず党と宗教団体の繋がりについて。
公然の秘密として、自民党や公明党は特定の宗教団体と懇意にしているが、これを排除することはできるだろうか。「政教分離の原則」を考えてみることにする。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
“国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。”
この解釈が争点になるはずだ。
広義に捉えると、政治家・政党に宗教団体が介入すること自体が「政治上の権力を行使」と捉えることができ、
自民・公明両党(もしかすると他の政党も)は違憲ということになる。
狭義には、政教分離は国民の信教の自由を保障するためのものであり、宗教側からの政治介入はグレーゾーンとも言えるようだ。
そのため、狭義解釈では政党と宗教団体との繋がりを即座に排除できるものではない。
実際に、公明党や幸福実現党はこの解釈をエクスキューズとして採用している。
https://info.hr-party.jp/faq/2492/
狭義・政教分離の観点から自民党を追及するには、特定の事案で政府が統一教会に肩入れした、特別扱いしたと証明する必要がある。
しかしながら、安倍元総理がプライベートに肩入れしていたとしても、これは根拠として弱いのではないだろうか。もし仮に行政での事案が見つかったとすればモリカケ・桜くらいのインパクトを自民党に与えることになるだろう。(逆に言えば、誰かが謝罪したり辞任したりで幕切れ、または関係者である元首相がこの世を去ったことで有耶無耶になる程度かもしれない。)
9条の自衛隊解釈を見れば分かるように憲法解釈は神学論争に陥りやすいので、白黒つけるには改憲・立法・裁判所による違憲判決を待つしかなさそうだ。付け加えると、世界に目を向けてみても広義での政教分離を成し遂げている国は米国も含めて殆ど存在しないのではないだろうか。また、仮に内閣全員が統一教会信者でも、それは個人の信教の自由であり、やはり排除することはできないだろう。
もう1点、見落としがちな点としては、たとえ組織票だとしても自民党や公明党を支持する信者は確かに存在するということだ。宗教団体の支持する政治家がこれによって当選し、(政教分離に抵触しない範囲で)宗教に都合の良い政策を行うことは通常の選挙・政治プロセスと見分けが付かない。僕は保守的な反LGBT政策には反対の立場だが、それを是とする宗教と政党が支持され、議席を持つことは民意であり否定することはできない。これは反ワクチンを掲げる参政党についても同じことが言える。必要なのは支持層への関心と対話であり、一足飛ばしに政治家や政策をキャンセルすることはできないのではないだろうか。
次に、統一教会そのものをカルトとして断罪することはできるか考えてみる。
いくつかの記事では、オウム真理教同様に統一教会の宗教法人格を剥奪するという話が出ていたようだ。もちろんこれができれば良いが、その基準と法的根拠は何になるのだろうか?(間違っていたら申し訳ないが)僕の知る限り、カルトの定義は日本の法律では存在しないように見受けられる。オウム真理教のようにテロ・国家転覆・殺人を計画・実行した組織なら公安による監視・取り締まり対象だろう。しかし、(詐欺や人身売買などで立件できるならともかく)悪質な宗教団体、というだけでは警察も公安も動けないのが現状ではないだろうか。
やまとQ(正しい漢字を調べるのも面倒だったので割愛)は取り締まりの動きが早かったが、これは医療施設への妨害行為が原因と考えられるので、やはりサボタージュなどで教団外の社会・一般人に対する直接被害の有無が分水嶺と見て間違いなさそうだ。また、オウム真理教の関連組織であるアレフは宗教法人認定されていないが、その後も活動を続けていることから、銀の弾丸にならない可能性があることにも注意したい。
公安や警察による取り締まりにしろ宗教法人認定の厳格化にしろ、(意外なことだが)国による宗教の選別となり、政教分離的には後退にあたると考えられる。立法によるカルトの定義明確化なしでは国による恣意的運用を許すことにもなる。
僕の意見としてはフランスのように反セクト法相当の立法をしてカルトの定義を明確化し、宗教法人格の管理と罰則化は必要だと思うし、これを欠いて恣意的に宗教を規制するのは法治主義とは言えないはずだ。それに加えて累進的な宗教課税も検討すべきときが来ていると思う。さらに僕なりの結論としては、現行の法体制で統一教会に感情論以上の追及は難しく、居直って自民党との関係を公然のものとし、公明党と同様のスタンスを取り始めたら手が出せない可能性がある。法整備が急務である。
自民党と統一教会の繋がりを良しとする人。あなたは今後も自民党に投票し続ける自由がある。
それはあなたの権利だし、法根拠なく自民党や統一教会を止められるものでもない。
先日久しぶりに大学の同期と連絡をとりあって同窓で集まるかという話をしていた。
まあ最初はコロナどうだったよとか近況とかなんとか他愛のない話をして。
で、例の安倍晋三銃撃事件の話になったのだが向こうが一気にトーンダウンした。
前提として彼とはツイッターで相互フォローの間柄にある。リアルでは滅多に会わないが、
あまりSNS活動に熱心でない自分も、たまに青いアイコンをタップするとツイ廃ぎみの彼のつぶやきが見れるわけだ。
「嫌っているのは向こう。日本がいやなら出ていけ」
「不法滞在してたくせにこれ以上管理局の責任を問うとか外人はこれだから嫌だ」
などの絵に描いたような主張を時折発信していた。
(リアルの知り合いがフォロワーにいるのによく言うなあ)がこっちの感想だが、
で、冒頭に戻るが、彼が言うには
「統一教会への非難の声で溢れかえっているけどあれでは却って日本が宗教弾圧している国として非難されてしまう」
だそうである。
え〜〜?キミ普段から『出羽守www』とか『日本は無宗教なんで』とか『XXは国へ帰れ』言うてましたやん。
突然何に目覚めたんすか。
いやまあ、いいよ。「広い意味での宗教の弾圧」をしてはならないことに間違いはない、と思いちょっと乗ってみた。(以下会話は意訳な)
私「そうだね。宗教弾圧はあってはならないね。信仰の自由は憲法で保障されている。けれど統一教会はカルトだよ」
私「難しいなあ。監視対象であるオウム真理教なんかわかりやすくない?」
彼「統一教会はオウムみたいに国家を狙ったテロをしていない!」
え〜…そういう理論なの?
私「オウムは確かに国家転覆を狙っていたけど実行したのは一般市民への攻撃だったやん?統一だって一般市民の家庭を壊し命を奪っているよね」
ここで私は彼が統一教会信者なのでは?と一瞬疑った。問題の本質を理解してなさすぎだからだ。そうでないとこの理論は意味がわからない。
誰も「ありとあらゆる宗教を追い出せ」とか「統一教会を潰せ」とは言うてないのだから。
ならばやはり理解していないだけか。
私「宗教弾圧という流れにはならないよ大丈夫だよ。統一教会そのものは残ると思うよ。それより為政者が詐欺まがいの団体と手を切れるいい機会なんじゃないかな。今こそ日本が良くなるチャンスだよ」
彼「大体、事件の操作は警察がやっているんだ。一般人が口出すことじゃないよ」
(表現の自由展やら管理局の問題に散々口出してたやないかい!)と思ったのだが、これ以上突っ込むと彼の神経を逆撫でさせそうだからゆっくり話題を閉じて、学生時代に貸しあってた漫画の話とかに切り替えつつ電話も切った。
「どんな団体が手を引いているのか必ず暴くべし!決して許さない!」
だった。
整合性はどうなっているんだ整合性仕事しろ、とは言えなかった。
テロではないと言い始めてるのはこの辺かな。
探せばもっとあるだろうけど
https://twitter.com/napori_ankake/status/1548595161730789376?s=21&t=N-5zer4hPtgWskPHeXJE1A
安倍元首相銃撃は「テロ」ではない 事件めぐり出回る2つの誤解
https://forbesjapan.com/articles/detail/48953
https://twitter.com/snc20165/status/1548521507734687747?s=21&t=LIcFrNMZMHyrORoWRuVD-Q
https://twitter.com/tomomachi/status/1545554989631713281?s=21&t=Tzj6XJNfUImnoBmXLDhcww
https://news.yahoo.co.jp/articles/b335234b4d1a5c3615b402eb632ebb8557f7c31a
動機は怨恨。山上のターゲットは統一教会の創始者の一族すべての殺害だったが、それが無理だったので第2ターゲットとして広告塔になっていた安倍元首相を狙ったといっている。
よって政治的動機はない(つまりテロリズムではない)。ただし統一教会へダメージを与える意図は当然あった。宗教団体をターゲットにしたテロとはいえるかもしれない。
事件で統一教会と、そこに癒着していた自民党、政府を批判するときに一番もにょるのがこのポイント。気持ちはよくわかる。
ただの怨恨事件としてみれば、こういう事件が起きることを防ぐ社会にしようという活動をするのはなんの問題もなさそう。
山上は統一教会を潰すという意図を明らかに持っていたが、その方向に社会が動いていったら社会不安は増大する?どうだろうか。
ただ例えば「国家権力や与党と反社会的なカルト宗教は距離を取るべき」だというテーゼはあまりにも当たり前ではないか? これはだいたいみんな賛同できることなのにこれを進めていったら社会不安がふえる?
ここでの社会不安の増大とは、個人が暴力に訴えることで問題を解決していこうという人が増えること、ということにする。
でも個人の暴力で問題が解決できることがわかっても、みんな暴力を振るうわけじゃない。だいたい2つ理由がある。
暴走自動車に子供を殺された人が相手を殺したいと思ってもみんなが復讐殺人するわけではない。死刑にはならなくても執行機関が妥当といえる制裁をあたえてくれる。そういう信頼があるからだ。
これだ。ここで大切なのは「信頼」ではないか。社会不安を減らすのは社会は公正であるという信頼と、国家暴力とその執行機関が公正であるという信頼といえる。
なぜか?
社会や執行機関がなにもしてくれないなら個人が暴力に頼らざるを得なくなるから。
もちろん個人の望みが反社会的である場合もこれに当てはまる。反社会的行為を支援してくれる執行機関はいないはずだから。なので正確には、「公正か公正でないか」ではなく「個人の望みと執行機関の規範が一致しているか」が問題で一致していない場合個人は暴力的な手段にたよるしかない。
山上が犯行に及びざるをえなかったのは国や裁判所、警察公安などと執行機関が信頼できなかったからではないか。
「カルトを規制してほしい」とか「カルトの活動を野放しにしないでほしい」などの当たり前ののぞみも叶えてくれるという信頼がなかったからでは?
もちろん統一教会の創始者一族の皆殺は無理だとしても、取りうるオルタナティブとして「カルトの規制強化」とか「統一教会の国外追放」とかのまともな望みを国や裁判所がかなえてくれるという「信頼」が残っていれば、彼だってそちらに勢力を傾けたのではないか?
反社会的カルト規制強化はあたりまえのことだし、政権とカルトの癒着を断ち切るのも当たり前のことすぎる。
当たり前のことをやらないのであれば、国家には国民の命と権利を守るという約束(憲法)があるが、それが守れていない。約束が守られないと信頼は失われる。さっきも書いたように信頼が失われると社会不安が増大する。
つまり「個人の暴力による社会変革は他の個人のテロを誘発するのでは」という疑問については今のところ因果が逆なのではないか。
「国家権力への信頼が失われたから個人の暴力に頼る人が出てきた」
であれば国家権力への信頼を取り戻すように社会が動くのは正しい行動だろう。
それを「暴力に訴えれば社会は動く」ととらえて行動する個人が出てくる可能性はあるかもしれず、それについても社会が他の選択肢を示せるようにしないといけない。
(もちろんそれが反社会的な望みだったら無理なわけだが)
はてなブックマークや増田見てると、今回の安倍元首相暗殺から端を発した、統一教会-自民党の結びつきバッシングを受けて、自民党一強政治が終わりそうな予感を感じている人が多そうだけど、多分そうはならないと思う。
今回の政治スキャンダルで、左派野党の政権担当能力が向上した気がしないし、自民党の各得票数のうち統一教会依存で得られていた票数がそんなに多いとも思えない。
多くの有権者は、少数の霊感商法被害者が地獄を見たところで、それによる害が自分に及ばない間は、現状の維持の投票行動を続ける気がするんだよなぁ。
その選択が愚かであるかどうかは別として、はてなユーザーの認知は結構社会一般からずれていて、今後も社会に対する恨み言を綴ることしかできない、そんな気がするんだよな。
はてなブックマークや増田見てると、今回の安倍元首相暗殺から端を発した、統一教会-自民党の結びつきバッシングを受けて、自民党一強政治が終わりそうな予感を感じている人が多そうだけど、多分そうはならないと思う。
今回の政治スキャンダルで、左派野党の政権担当能力が向上した気がしないし、自民党の各得票数のうち統一教会依存で得られていた票数がそんなに多いとも思えない。
多くの有権者は、少数の霊感商法被害者が地獄を見たところで、それによる害が自分に及ばない間は、現状の維持の投票行動を続ける気がするんだよなぁ。
その選択が愚かであるかどうかは別として、はてなユーザーの認知は結構社会一般からずれていて、今後も社会に対する恨み言を綴ることしかできない、そんな気がするんだよな。
今年の参院選が終わった。安倍元首相が投票日の直前に銃撃されるという衝撃的な事件が起こったものの、当日は特段の混乱もなく選挙が終わったことは幸いだった。スタッフの方や警備の方の尽力の賜物だろう。
選挙の時期になると思い出すことがある。
もう10年ほど前になるだろうか。参院選の投票所に1人の若者が投票に来ていた。歳は21-22だろうか。中肉中背の根暗な印象の若者だった。学生か、あるいは無職なのか。風貌からは断定できない。付き添いの家族などはおらず、1人で来ていた。
彼は投票所の受付で戸惑っていた様子だった。
投票所のスタッフが声をかけたところ、彼は「親に言ってこいと言われて来たんだが、来て何をすればいいかわからない。」とのこと。
スタッフが、「候補者の一覧があるので、その中から投票したい人を選んで名前を書いてください。」と案内した。
対して彼は、「それをどうやって決めればいいのかわからない。」と。
スタッフも困った様子で、「とりあえずこっちに」という形で彼を投票の列から外していた。
彼を除いて、投票に来ていたほぼすべての人はつつがなく投票を済ませているのに対し、スタッフは彼への投票の仕組みの説明や選挙公報などを案内し、彼に投票を促していた。こういった投票者は想定しているのだろうか。対応するスタッフも大変なのだと想像する。
その地域は比較的富裕層が多く住む地域であり、教育レベルは相応に高いはず。選挙区と比例代表の並立制など、選挙の仕組み自体を彼が知らなかったとは考えにくい。
なのに、実際に自身がやる段になれば、どうやって投票先を決めればいいかわからない、と言うのだ。
これが、はじめて投票に来たのでやり方がわからない、のであればまだ良い。彼はその段階に達していなかった。彼個人に問題はあるだろう。普段関心もなく、候補者を調べもせず、もともと投票に行く気もなく、という姿勢が見て取れた。
ただ、自分で投票所に足を運んだ点は良いことだと私は思う。きっかけが、たとえ親に言われて来たのだとしても。
彼はほんの一例だが、同様のケースで投票に足を運ばない人も潜在しているのかもしれない、とこの例を見て私は思った。
思い返すと、支持する候補者や政党の決め方については教育の場で学ぶ機会がなかった。二院制の仕組み、選挙権などは学ぶものの、何を基準に投票先を決めるべきか。これは普段から関心を持ち、自分で情報を集めるなりしないと難しいのだと思う。
たとえば今回の参院選でも、政党も候補者も数多いて、争点も難しい。仮に今回の参院選で、投票所に来てから選挙公報などを見たとしても、すぐ決められるものでもないだろう。
むしろ細かいことよりも、この候補者の政策はすばらしい、私達の暮らしを良くしてくれる、この人に任せれば安心だ。そんな強くてわかりやすいメッセージがあったほうが、投票する側は決めやすいのだと思う。あるいは有名人、美人、イケメンといった要素もこのわかりやすさに含まれる。
個人的にはわかりやすさだけで投票先を決める風潮にはなってほしくないが、政策のポイントを強く打ち出すことは各候補者、政党ともより力を入れてほしい。やっている候補者ももちろんいる。たとえば「(候補者名)の政策、3つの柱」のような表現で。
選挙公報の紙面の一部を様式にして、上記の情報を載せるなどすれば、候補者を決めやすいと思う。選挙公報は候補者から提出されたものを加工できないのでハードルはあるが、より投票に参加しやすくなる仕組みはさらに整備されるべきではないだろうか。
あれから10年経つ。あのときの彼は、いま一端の社会人になっているだろうか。もしかしたら親の介護があるかもしれないし、子どもがいるかもしれない。福祉や教育などを重視して政策を注視し、能動的に投票先を決めているのかもしれない。
リベラルを支持するかしないかではなくて、あなたがどう考えるかでしょう。
あなたのその考えがどういう名前で分類されるかなんてどうでもいい。
今回の安倍元首相暗殺事件の背景を巡って、社会の問題とか何だとか言ってる人間がいるけど全く的が外れている。
それは、頭が良い人間が不運にも人生に失敗して、「無敵の人」になると今回みたいな政治的テロを起こし、成功してしまうということ。
親の経歴、本人が進学校に通っていたこと、それに直近の行動を考えると、山上容疑者は頭がよい。
そして、計画的に安倍首相の訪問スケジュールに合わせて、自作銃を使って、暗殺を決行する。
この一連の行動がかなりの知性、忍耐、行動力が必要なことは言うまでもない。
そして、現代社会においては、頭が良い人間は通常、経済的に成功するから、「無敵に人」になるまで追い詰められることはない。
しかし、統一教会にハマる愚かな母親を持ってしまったことをはじめとして数多の不運が重なり、山上容疑者は、「無敵の人」
になってしまった。
頭が悪い人間が「無敵な人」になっても衝動的に弱者を狙った無差別テロを起こすだけで、それは今までの事例からも明らか。
今回の事件の問題は、頭が良い人間が運悪く無敵の人になってしまったことにあると思う。
>2021年9月に安倍元首相の統一教会系団体へのビデオメッセージが公開され10月の衆院選時期にはTwitterの選挙クラスタでは「安倍は統一教会と繋がってる」「統一教会の何が悪いの?」と統一教会についてかなりバズってたと思うが、その時期に一切投稿がないのが不思議である。この空白期間をどうしていたのか。
この時期に改めて統一教会批判が加熱したんだよな。この時山上がTwitter見てたら一瞬くらいは溜飲が下がって違う未来になってたかもしれん
「安倍元首相の政治信条に対する恨みではない」って言葉を「政治目的ではない」と解釈するアホがいっぱいいたり。
それぜんぜん違う意味でしょ?
政治信条に恨みがなくても、暗殺によって起こる政治的影響が目的なら政治目的になるじゃん?
https://twitter.com/333_hill/with_replies
2022年4月頃「安倍が統一教会系団体にメッセージビデオを出していたことを知りターゲットにキメる」 春頃「銃が完成」 5月「職場を退職」
3月下旬の投稿に安倍政権での日露外交や北方領土二等返還での合意について支持するものがある。政治的反発は一切見られない。逆に立憲民主党や反安倍勢力に対しては辛辣な投稿が複数ある。
2021年9月に安倍元首相の統一教会系団体へのビデオメッセージが公開され10月の衆院選時期にはTwitterの選挙クラスタでは「安倍は統一教会と繋がってる」「統一教会の何が悪いの?」と統一教会についてかなりバズってたと思うが、その時期に一切投稿がないのが不思議である。この空白期間をどうしていたのか。
個人的に印象深いのは、統一教会の何が悪いのかわからないという投稿を引用リツイートしたこのツイートである。(2022年6月23日に投稿され自分で引用リツイートをしその後削除)
silent hill 333@333_hill
https://web.archive.org/web/20220629145045/https://twitter.com/333_hill/status/1539936971060961282
右翼的視点及び褒め○ろし視点での元首相の国葬への反論を考えてみた。
最初に書いた方向からの反論、天皇/天皇制を神聖視/絶対視する人たちから出てきてもおかしくないと思ってるのだけど、今のところ見かけない。
もしかしたら出てるのかもしれないけど、たぶん大きな声にはなってないと思う。
今回の事件の詳細が明らかになるにつれ、はてなやツイッター、さらにはあのヤフコメでさえも、容疑者に対しての同情と、安倍の統一教会との生前の関係について批判が多く見られるようになってきてる。
しかしこのようなネットの風潮とは一線を画す領域が存在している。それが中高生が主ユーザーのtiktok。
(ごめんセンセーショナルに「はてな民が知らない」と書いたけど、実際には多くのネットユーザーがこの状況を知らないと思う。)
tiktokにおいては上記のような主張はほとんど見られなくて、「犯人許すまじ。」「何も悪いことしていない安倍さんがかわいそう。帰ってきてほしい。」という意見が主流。
確かに本件についてのニュースを積極的に摂取しない中高生だったら、安倍元首相は彼らの人生の半分近くを自分が暮らす国のトップであったわけで、その彼が銃撃というショッキングな理由で殺されたのだから、このような反応一色になるのは十分に理解できる。
でもそれだけでは理解できない部分がある。それは彼らが寄せる安倍ちゃんへの思慕の深さ。
tiktokの投稿動画を見ると、少なくない中高生ユーザーが推しのアイドルに対してするように安倍への追悼として彼の画像を複数集めて、それらを音楽に乗せた編集動画を投稿してる。(主に麻生や昭恵夫人、プーチンやトランプと談笑する写真や、単に飯を食ってる写真とかが使われてる)
それも普段全く政治的な発信をしない、ジャニーズやKpop好きの普通の中高生が、そうしてる。
さらに驚くべきことだけど安倍支持の連帯を示すファンマークも存在している。(ファンマークとはユーザー名の末につける絵文字で、これをつけることで特定の人物のファンであることを外にアピールする風習がある)
冗談のように聞こえるかもだけどこれは本当の話で、結構なユーザーがこのマークを自身のユーザー名につけてる。(試しに検索してみるといいかもね)
こんな感じの特定の人物に向ける素朴かつ深い思慕、なんか既視感あるなと思ったら思い当たる例があった。
それは上皇様。彼に対して多くの若者は近所の優しいおじいちゃんに対してのそれに近い親しみの感情を持ってた。
安倍ちゃんにtiktokの中高生が寄せてる感情ってこれにめっちゃ似てると思う。
なんで安倍ちゃんってこんなに中高生に親しまれてるんだろ。岸田や菅が同じように長期政権を築いたとしても同じようになるとは思えないし、もっと言えばノンポリの(のように見える)普通の中高生が政策の話など抜きに無条件に特定の政治家に親しみを抱いてるってこれまでの日本の政治シーンに無かったことだと思う。
はてな民はどう思う?この辺が解明できれば今後色々有用だと思うんだけど...。
・譲位の事実から勢いで諡を書いてしまっていた部分を上皇様に修正。ご指摘ありがとうございます。
・書き方が分かりづらくなったけど安倍ちゃんに対しての思慕は、素朴さと深さの点で上皇様のそれに似てるから引き合いに出したけれど、おじいちゃんへの思慕とは安倍ちゃんの方は違うように感じてます。
これってたぶん「(確かに安倍さんは殺したいくらいの恨みを持たれかねない政治をしてきたけど、暴力で解決するのは民主主義国家にふさわしくなく、今までの私達の幻想していた平和が瓦解する行為なので)それはいけない」という意図だったと思うんだよね。
当時かなりテンパってたからそこまで考えてなくて、あとからふり返ると、だけど。
つまり俺は安倍さんのこと政治家として好いてなくて、殺されても仕方ないくらいのことをしている人だという思いがあったんだろうなと。
その後平和な世界を望む投稿もしてたけど、テレビ越しでしか知らない人のことを「殺されかねない程度の恨みをかっている悪人」みたいな悪いレッテルで見てたんだなと思って、どの口で平和とか言ってるのかなと嫌になった。