今年の参院選が終わった。安倍元首相が投票日の直前に銃撃されるという衝撃的な事件が起こったものの、当日は特段の混乱もなく選挙が終わったことは幸いだった。スタッフの方や警備の方の尽力の賜物だろう。
選挙の時期になると思い出すことがある。
もう10年ほど前になるだろうか。参院選の投票所に1人の若者が投票に来ていた。歳は21-22だろうか。中肉中背の根暗な印象の若者だった。学生か、あるいは無職なのか。風貌からは断定できない。付き添いの家族などはおらず、1人で来ていた。
彼は投票所の受付で戸惑っていた様子だった。
投票所のスタッフが声をかけたところ、彼は「親に言ってこいと言われて来たんだが、来て何をすればいいかわからない。」とのこと。
スタッフが、「候補者の一覧があるので、その中から投票したい人を選んで名前を書いてください。」と案内した。
対して彼は、「それをどうやって決めればいいのかわからない。」と。
スタッフも困った様子で、「とりあえずこっちに」という形で彼を投票の列から外していた。
彼を除いて、投票に来ていたほぼすべての人はつつがなく投票を済ませているのに対し、スタッフは彼への投票の仕組みの説明や選挙公報などを案内し、彼に投票を促していた。こういった投票者は想定しているのだろうか。対応するスタッフも大変なのだと想像する。
その地域は比較的富裕層が多く住む地域であり、教育レベルは相応に高いはず。選挙区と比例代表の並立制など、選挙の仕組み自体を彼が知らなかったとは考えにくい。
なのに、実際に自身がやる段になれば、どうやって投票先を決めればいいかわからない、と言うのだ。
これが、はじめて投票に来たのでやり方がわからない、のであればまだ良い。彼はその段階に達していなかった。彼個人に問題はあるだろう。普段関心もなく、候補者を調べもせず、もともと投票に行く気もなく、という姿勢が見て取れた。
ただ、自分で投票所に足を運んだ点は良いことだと私は思う。きっかけが、たとえ親に言われて来たのだとしても。
彼はほんの一例だが、同様のケースで投票に足を運ばない人も潜在しているのかもしれない、とこの例を見て私は思った。
思い返すと、支持する候補者や政党の決め方については教育の場で学ぶ機会がなかった。二院制の仕組み、選挙権などは学ぶものの、何を基準に投票先を決めるべきか。これは普段から関心を持ち、自分で情報を集めるなりしないと難しいのだと思う。
たとえば今回の参院選でも、政党も候補者も数多いて、争点も難しい。仮に今回の参院選で、投票所に来てから選挙公報などを見たとしても、すぐ決められるものでもないだろう。
むしろ細かいことよりも、この候補者の政策はすばらしい、私達の暮らしを良くしてくれる、この人に任せれば安心だ。そんな強くてわかりやすいメッセージがあったほうが、投票する側は決めやすいのだと思う。あるいは有名人、美人、イケメンといった要素もこのわかりやすさに含まれる。
個人的にはわかりやすさだけで投票先を決める風潮にはなってほしくないが、政策のポイントを強く打ち出すことは各候補者、政党ともより力を入れてほしい。やっている候補者ももちろんいる。たとえば「(候補者名)の政策、3つの柱」のような表現で。
選挙公報の紙面の一部を様式にして、上記の情報を載せるなどすれば、候補者を決めやすいと思う。選挙公報は候補者から提出されたものを加工できないのでハードルはあるが、より投票に参加しやすくなる仕組みはさらに整備されるべきではないだろうか。
あれから10年経つ。あのときの彼は、いま一端の社会人になっているだろうか。もしかしたら親の介護があるかもしれないし、子どもがいるかもしれない。福祉や教育などを重視して政策を注視し、能動的に投票先を決めているのかもしれない。