はてなキーワード: 安倍元首相とは
本事件を要素ごとに分解して怨恨とテロいずれに該当するかをマトリクス形式で分析すると次のようになる。
要素 | 怨恨 | 本事件(山上) | テロ |
動機 | 怨恨 | > 怨恨 | 政治(多)・大義(多)・怨恨(少)等 |
目的 | 報復 | = 報復 | 社会的影響(多)・報復(多)等 |
標的 | 個人(多)・集団(少)・組織(少) | < 組織 | 個人(少)・集団(多)・組織(多) |
手段 | 斬撃(多)・銃撃(少)等 | < 銃撃 | 爆破(多)・銃撃(多)等 |
結果 | 傷害・殺害等 | = 殺害 | 破壊・殺害等 |
影響 | 個人(多)・社会(少) | < 社会 | 社会 |
このように本事件は標的・手段・影響においてテロの特徴を持つものの標的と手段は怨恨の域を逸脱しておらず、国際テロに匹敵する多大な影響も本来の目的でないものが偶発的かつ結果的に生じたものである。また各要素の組み合わせの類型的に見ても単独犯の怨恨によるテロは銃乱射のような無差別殺傷事件が主であり本事件のように報復の原因となる行為の主犯格から順に正確に標的を定めてこれのみを狙撃する事例は単独犯の怨恨によるテロの一般的形態と一致しない。加えて組織を標的とした銃撃はテロを連想させる目立つ特徴であるが怨恨殺人においても発生しうる共通項であり、にもかかわらず不確かな全体的印象からテロとみなす認識はテロに類似した一部の目立つ特徴のみに囚われた代表性ヒューリスティックのバイアスによるものと考えられる。したがって本事件をテロとする認識は組織を報復対象とする怨恨殺人との類似性に基づく誤認であり、各要素の比較分析評価から本事件は怨恨殺人事件に該当すると評価するのが妥当である。
元々が特撮ネタのギャグでマンガ家デビューした第一世代オタクであり、特撮が大好きなら軍事ネタも大好きであり、この世代の特撮オタ軍事オタが心情右翼寄りなのは普通なのでまあ平均よりちょっと右翼色強めぐらい
なんとなくだが、陸軍中野予備校が連載は継続してるにも関わらず単行本発売が遅れに遅れ(当時、書店に張り出された発売予定表に予定日が出ていたのに出ず、そのまま音沙汰なしで数年出なかった)、その後に前にも増して各方面に挑発的な方向へ振り切れてったあたりから何らかの事情で何かが壊れていったようで
ツィッター発言はもともと政治的発言は多く、旧左翼をくさし超然的立場をとりつつちょっと理屈が通ってそうなこと言う(中身は怪しい)平均的な60代特撮オタらしい発言を繰り返していた
のだが、ここのところで統一教会ネタが取り上げられることがいたく気に入らないらしく、攻撃性が増している
昔からのファンなのでこういう人なのは仕方ないとある程度まで飲み込んでいたのだが、赤松健擁護も心情ベース、安倍元首相擁護も心情ベース、とにかく政治的発言が心情ベース一辺倒であることを隠しきれなくなっていて、半端に理屈をこねられる人なのが仇となり、言ってる理屈がどんどん破綻していく
昔からのファンとして「ああいうキワモノギャグを書いてた人がこういう残念発言に終始するんかい」と、さすがに失望を禁じえない
今回の統一教会の事件は、理屈こねて穏健右翼やって左翼をやんわりといなすタイプの「俺って頭いい」タイプの人が墓穴掘りまくってる感じがあり、「穏健で頭の良い俺が暴走する一般大衆に教え諭してやりますよ」という態度で発言がおかしくなっているのを見ていると、はてブで名前を上げられがちな常時暴言失言マンの暴言よりきつい
「安倍元首相が旧統一教会と関係があると思いこんで」と当初は報道されていたが、実はこの路線が統一協会解体への最短ルートだったのかもしれない。
「テロによって目的が成就する」という結末は絶対に避けなければならない。その一方で統一教会を野放しにするわけにもいかない。
そこで「山上はテロリストではなく統一教会の被害者で、安倍元首相を撃ったのは思い込みによるもの」というストーリーが組み立てられた。
だが徐々に明らかになる供述や、山上が残したネットの足跡や手紙によって、元首相殺害による多大なインパクトを以て統一協会にダメージを与えようとしたことが判明した。これはあかん。統一協会を解体したいが、それだと銃殺によって山上の目的が成就することになってしまう。テロリズムが最も有効な政治参加となる世の中が来る。
「安倍元首相の葬儀に参列したことで、党内から批判の声が高まっています…」
とか報道されるわけでしょ、変だよ
「暴力はすべてを解決する」という言葉を疑う者はおらず、実際に暴力に走るかどうかはわずかなきっかけの有無で分かれるにすぎない。
実質的な日本の最高権力者である安倍でさえ殺されるのなら誰の命なら尊重されるのか?
非業の死を遂げた人物を悼むというポーズだけでも示しておくぐらいしか、もはや暴力の伸張に歯止めをかけようがない。
上海の澎湃新聞の記者でもある曾穎さんが19日に昏睡状態で病院に入院していることがわかりました。
曾穎さんは安倍元首相が銃撃によって死亡したニュースを生放送で涙ながらに安倍氏が生前日中友情への貢献を寄与したことを称賛しつつ伝えた際に、中国のネット民の怒りを買いが大炎上し、謝罪に追い込まれていました。彼女のWeiboアカウントには「それでも中国人か」「中国人だったら安倍元首相の死を悲しんではいけない」「売国奴」等のコメントが最大で1日に数十万単位に集まっていたとのことです。
曾穎さんはWeiboアカウントに遺書のような文書を投稿したのを最後に連絡が取れなくなっていました。
▼ 曾穎さんは日本でコロナが猛威を振るう2020年に渋谷駅でマスクを配る活動もしていました。
マスク配り 恩返し 中国湖北省武漢の人たちへ=曾穎(そうえい)さん(30)
https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/2570
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1545386532592402433/pu/vid/1192x720/hsTbqgJ9lzkCwaQa.mp4
■相談窓口
https://www.inochinodenwa.org/
・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html
正直 国葬でも合同葬でもなんでもいい。税金でとか大した金額でもないし。それより宗教と政治の問題を先に解決してほしい。野党やマスコミはまた叩きやすいところに行こうとしてるようにおもえてならない。
「後方の警備が難しい」と他党に指摘も… なぜあの場所で演説が行われたのか 安倍元首相銃撃 | 関西のニュース | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ
立憲民主党の関係者によると、ことし4月に泉健太代表が同じ場所で演説したいと申し出ると、警察から「後方の警備が難しい」と指摘され、断念していたことが分かりました。
そのため泉代表は、少し離れた場所で演説。警察から車の上で演説することや、車を防弾パネルで覆うことなどを要望されたといいます。
自民党や立憲民主党のような警護対象者がいない他の政党も、この場所での演説は注意を払っていたと言います。
要するにさ、
「安倍様の決定に反対するなんてとんでもない」
選挙で最大議席を獲得した政党で構成された内閣が閣議決定したってことは
民主主義国家としては「国民の総意を得た」と判断すべきじゃないの?
言われたので調べてなるほど、となっていたのですが、面白い記事がでてきました。
オウム真理教は外部社会との葛藤が増大した段階で、政治家を通して宗教法人としての認証を働きかけ、それを妨げる存在と疑った坂本弁護士を一家ともども殺害した(1989年)。その前後の時期、オウム真理教は多くの著名文化人や学者を味方にしようとして働きかけ、一定の成果は得ている。
たとえばダライ・ラマ14世と並んで写真をとったり、国内の著名な文化人や学者の対談をしたり、支持的発言をとりつけたりした。だが、政治家等の大きな支持を得ることはできず、結局は、文化人らの支持を裏切るような方向へと進んだ。
オウム真理教は同時代の政治的社会的勢力の保護や支持を求めはしたが、それが成功しないままに攻撃的関与をますます強め、解体していったのだった。
統一教会はきわめて多くの被害者を生み、膨大な額の賠償金を被害者らに支払った。だが、それにもかかわらず、攻撃的な布教、献金要求、物品販売などを続けてきている。裁判で責任を問われたことにより。2000年代には極めて多額の被害者への返金等をせざるをえなかった。
だが、安倍元首相殺害犯の母親のように1億円以上を献金し、2002年に自己破産をし、いったん5千万円とも言われる額の返金を得たにもかかわらず、それをさらに寄付してしまったという例もあった。
統一教会の攻撃性は、なぜこのように持続したのだろうか。教団として殺人を犯すに至っていないというきわめて大きな違いに加えて、どのような要因が考えられるだろうか。一つの要因として考えられるのは、統一教会が政治的な庇護を得たということである。
オウム真理教と統一教会の同時代性、そして共通点と相違点が見やすくなるだろう。まず、共通点ということでは、現世否定的な教えと現世離脱的な活動様式、そして攻撃的な外部社会との関わりということがある。
他方、相違点としては、オウム真理教が政治家や社会的有力者の支持を得ることに成功しなかったのに対して、統一教会はそれにかなりの程度、成功したということがある。だが、統一教会の場合、それによって、市民社会における共存のためのモラルを我がものとする機会を見出すことができずに来たのである。
ttps://www.moderntimes.tv/articles/20220721-01rel
やはり、件の事件を経て旧統一教会のことを初めて知った人たちが、旧統一教会に批判のコメントをすること、あるいは疑問の目を向けることにおかしい点はなさそうですね。
あと今更だけど、ここめっちゃ面白いw 火に油を注ぐのが上手いですね