はてなキーワード: 受忍限度とは
元増田の疑問、公共の場のエロ規制がマジョリティのお気持ちに過ぎないのではないかという疑問に、ズバリ回答しよう!
どういうことか、説明しよう。
公共の場での表現についてメルクマールとなる「囚われの聴衆事件」で判示されたように、これは「受忍限度」の問題である。広告を出す側には当然に自由があるし、広告を受ける側も広告で内心の静穏を乱されない自由がある。つまりこれは、自由と自由の対立であって、何かしらの調整原理が必要であり、このような場合では「受忍限度」という考え方が用いられる。
しかし、受忍限度と言っても、例えば性犯罪被害者は、僅かに性的な広告であってもトラウマを呼び起こし、とても耐えられない場合がある。逆に、ポルノを好む男性であれば、AV女優のヌードの広告が電車内に掲出されていても平気だろう。その他の受忍限度の問題となる騒音や臭気についても同様に、人によってどこまで耐えられるかは差がある。だから、誰がどの程度耐えられるのか、ということが問題になる。
この基準を「繊細な人が」「嫌悪感を感じる場合」とした場合、多少性的なニュアンスを含む広告はもちろんのこと、一部のネトウヨが嫌悪するハングル表記や外国人モデルすら規制されることになる(ハングル表記はまだ合理的理由があるが、一般的に外国人モデルを起用する合理的理由はない)。また、騒音であれば日中の僅かな物音、臭気であれば僅かな調理の匂いですら、違法ないし不法として、刑事罰を与えたり、賠償をしなければならなくなる。逆に、「図太い人が」「ギリギリ耐えられる」という水準を問題ないとすると、それこそ腐乱死体のグロ画像やハードコアポルノを街頭に掲出しても問題ないし、深夜の住宅街で街宣車が大音量で軍歌をかけたり、隣人が庭で糞尿を煮詰めて異臭を発生させても問題ないということになる。これらは両方ともナンセンスな話である。
そこで、このような中で、誰が・どの程度、というのを考えると、「普通人が」「耐え難い程度」という基準が無難になるので判例上はそういう基準が採用されている。つまり、「マジョリティがNGと考える「なんとなく」のライン」になる。
結局、基準をどこかで切らなきゃいけない以上、究極的には理不尽(根拠はない)だけど、現実的なラインというのが探られているわけ。
あと、どうでもいいけぞ、AVやエロマンガの広告でも、直截な表現がなければ、公共の場に掲出することには問題ないと思われるぞ。
性同一性障害のトイレ訴訟が最高裁で判決がでました。悪い予感しかしませんでしたが、メディアで大きく取り上げられ、さらにインフルエンサー達も取り上げてインターネット上では大騒ぎになっていて、一当事者として思うことがいっぱいあるのですが、少し気持ちの整理をしながら投稿を書こうと思います。
まず、トランス当事者の意見がなかなか世に発信できず申し訳ない気持ちがたくさんあります。一部の過剰な活動家の声が大きいことについては本当に残念なのですが、トランスの人たちは、トランスしたことを悟られず生活している人たちがほとんどです。カムアウトやトランスバレによって色眼鏡で見られてしまうことも陰口を言われることもたくさん経験した結果、 生の声を挙げづらい現状にあること、申し訳なく思いつつ、匿名での発信にご容赦ください。
先に立場だけお伝えしますが、裁判は全面的に支持、女湯はもちろん女子トイレで不審な男性を見たら即通報するべき、です。
最初にお伝えしたいのは、国内のトランスジェンダーである当事者、少なくとも私はトラブルなく目立たず社会に溶け込むことが一番の目標だと思っています。 相手に思わせるのではなく自然にトランス先の性と認知されることが、最終的なトランスのゴールです。(その手段として、見た目、ホルモン、声、整形、性適合手術、戸籍変更などのステップがある、という形です)
男性に見える状態で女子トイレに入るということはトラブルになるため、非常識で批判を受けて当然だと思います。 万が一捕まっても診断が下りていれば大丈夫だと思いますが、当人的にはこれが一番怖いですしショックが大きいので、わざわざリスクを負いたくはないです。 警察騒ぎは嫌ですし、男性として認知されるなら男子トイレに入ることが自然なことだと思います。多目的トイレもありますし、男子トイレには個室の便器もあります。
ですから、私は怪しい人を見つけたら即通報・店員に相談で何も問題ないと思います。 その人は99%トランスではないですし、もしそうだったとしても不審者に違いないんです。同じように、性適合手術をして、見た目も女性になっていない状態で、女湯や完全に脱衣するような脱衣所も脱いだら大騒ぎになりますのでこれも非常識です。 社会に溶け込もうとする気がない人、人の平穏を乱す人は、女性にとってもトランスにとっても、もちろん男性や施設管理者にとってもただの不審者だと思います。
一方で裁判を支持する理由ですが、ぜひ全文を読むとわかる通り、個別事案に対する判決だからです。全文はこちらです (ハフポストがソースというのがちょっと...ですが)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64ad02a3e4b0b641763940e3
ホルモン歴、女性としての生活歴が長くなっていくほど、元の性がバレることがなくなっていきます。 バレないというより、男子トイレに入れば慌てて静止され、男湯に入ろうとすると本気で怒られて毎回ちょっとしたトラブルになります。何も言わないと女湯のロッカーの鍵を渡されますし、面倒なのでもう何年も公衆浴場には行けていません。 それぐらい我慢しろ、と言われたらそうなのですが、トイレ行くたびに呼びかけられて、わざわざ自分のセクシャリティの事情を説明するのも案外辛いものです...。 とにかく、そこまでトランスが進むと、実際に目の前で下着を脱ぐとか戸籍上の性別をバラされない限り、本当の性はわかりません。 世論的に性器の有無、身分証明書で白黒つけろという気持ちはわかりますが、見た目でわからない以上全ての人が公共のトイレに入るたび、銭湯へ行くたびに身分証明書の確認が必要になってしまいますので机上の空論なのです。
そして、この状態で異性(元の性)トイレを強制されると、上の通りにトイレに行くたびにプチトラブルに遭ったり、噂になって色眼鏡で見られたり陰口を言われたり、それなりに辛い環境です。 トランス先の性別として認知されるなら、その性のトイレに入った方がトラブルもなく、実際に何も起きないんです。
(多目的トイレがあればできるだけ使うようにしていますがない場所も多いのです。数が少ないから、ストーマ、車椅子を使ってる方、お年寄り、長時間休息を取られている方で埋まっていることも多いです。 お手洗いは入浴と違い生理現象ですので、社会生活上100%回避は難しいです)
この裁判をされた方は、埋没して隠れていたい気持ちを抑え、辛いことも承知の上でカミングアウトして説明の責任も果たし、勇気を持って裁判をされたのだと思います。
長期的なホルモン治療は精巣に不可逆的なダメージを与えます。定期的に血液検査も行い数値はカルテに記録されています。 この方は、医学的にも、血液検査の結果的にも、そして長年の振る舞いの履歴を見ても問題がなくて、しかも別階では認められていたこと、説明の責任を果たしていたことで、個別に認められるに足るとされたようです。(記事中では●●●とされていましたが、男性ホルモン量を大幅に下げる睾丸摘出か、声帯の手術ではないかと思います。どちらにしても不可逆的で費用も体力的にもダメージがあります) こういった細かい個別の事情で個別に認められたのであって、ぽっと出の変態男が偽装したり悪用することは不可能です。 この判決をどう読んでも、炎上で言われている変態男達を是認するものでもないです。 当たり前ですけど、女子トイレに無制限の男性の侵入を許すものでもなく、ましてや女湯への侵入への布石になる判決でもありません。
繰り返しですが、女湯やトイレ、更衣室で怪しいと感じる人を見かけたらそれは100%不審者です。それ自体は差別ではないです。 もし未熟者のトランスだったとしてもなんとか立ち直りますし、診断書などで対応できますので、問答無用で通報してください。女子トイレに怪しい男がいたら怖いのは当たり前です。 女性自認の人かもしれないから施設から排除できない、というのは実態に則さない誤った拡大解釈です。 トランスの人は、自分にとって適切なトランスの進行度を、お金や健康、人生、世間と折り合いをつけながら、自分の責任で決めなければいけないんです。 現実的な受忍限度を超えていれば我慢も必要で、トランス先の性の片隅に住むためには必要なことです。
それを前提に、認知ができないぐらい自然な埋まり方をしたトランスが、なにもない日を過ごすためにスペースを少しお借りすることを許して欲しいです。
ここ最近のLGBTに対する性急な法整備については正直私もよくわからずついていけていません。 多くの人にとってセクシャルマイノリティー像が未だ想像の域を出ていないこと、また過激な活動家の印象が強まる中で、トップダウンで差別をやめようと言ってもヘイトが強まる一方です。うっかり目に入って、嫌な気持ちで夜を過ごす日もあります。
現行の法制度に思うことはありますが、性別変更や名前変更、一部の手術の保険適用化など色々と整備していただいてきたのも事実で、感謝もたくさんあります。 何の説明もなく自然に百合ENDする作品が話題作になる国で、上から命令による強行的な差別解消はふさわしくないです。 「そんなのもありだよね」って言ってもらえるような空気のなか、自然に溶け込んでいきたいな、と思うばかりです。
ともあれ、今回の一連のLGBT法案騒ぎにはもううんざりです。自認の権利主張の前に共生を真剣に考えて欲しいし、思春期前にホルモンしてないならスポーツ大会に出ないで欲しいです。
2020年のコロナ禍以降、顧客数も売上も利益も減り、従業員数も減った。
業務の見直しを行い、やらなくていいことは思い切ってやめる、外注できるものは外注するなどして、少ない人員でもなんとか運営できるような方法を模索してきた。
しかしそれでも従業員の負担(感)は減らず、かつ、売上・利益減少に伴って賞与など報酬もじわじわと目減りしていく。
挙句は心身を壊し、退職を余儀なくされる従業員も出始めてきた。
それでもなんとか工夫しながら皆一生懸命がんばる⇒しかし売上・利益はなかなか回復しない⇒報酬は目減りする⇒受忍限度を超えた者は辞めていく⇒残った者の負担が増える⇒しかし売上・利益はなかなか回復しない⇒報酬は目減りする⇒限度を超えた者はまた辞めていく…と、負のスパイラルとはまさにこのことではないか。
私を含め、多くの者がモチベーションを失い、業務分担もだんだんといい加減になっていく。
「他の人がやるだろう」と他力本願の他責思考になり、結局誰も何もやっていない状態。
時折痺れを切らしたように一念発起してやる者がわずかながらいるが、「じゃあお前がやれよ」と結局他力本願の他責思考は変わらず、一念発起した者もそれを評価されることはないから、もう次はやらない、やるだけ負担が増えるだけで何も得しない。
ロジックとしては、
①経済的事情等で性産業を強いられる人がいる(まあ一定数いるのは確かと思う)
②そのようなことが起こるのは売買する市場があるから(まあそういうこともできる)
③よって買う側にも、被害への一定の責任がある(そういう面もある)
ということでしょう。
「まったくわからん」というのはレトリックかもしれないけど、相手の主張は理解するべきだと思う(同意しろということではなく)
実際には、働いている人たちは
・強いられている人
・他の仕事や収入との比較で、受忍限度内と思って選択している人
・天職と思っている人
比率は知らんがいろいろいるので、「そのような市場が存在するのはいけない(≒買うやつが悪い)」というのは自明ではないと思うんだけどね。
プロバイダ責任制限法の改正などに伴って、ネットの言論状況は一変しているのだが
まだ勘違いしているボケ共が多くて驚くので、親切心で改めて書いておく。
「誹謗中傷での訴訟は未だに原告が損することは多いが、損得を完全に無視して金銭的ダメージを与えるのはものすごく容易になった」
「お前らが特定個人について日頃やっている『批判』は訴訟されたらほぼ確定でアウト、それなりのダメージになる」
「だいたい原告側が100万円程度払えば、被告側に50万円程度のダメージを与えることはほぼ確実に可能」
そもそも、名誉毀損に関わる判例はかなり厳しいラインに設定されている。
ちょっとした批判だから大丈夫だろ、とお前らが思っている発言を複数回やったら、普通に15万-30万円ぐらいの慰謝料になりうる。
とはいえそれらのほとんどは実際には訴訟にならない。開示して、実際に訴訟するまでのコストが慰謝料の期待値を大きく上回るからだった。
だがこのコストに変動があった結果、損得を無視して金銭的ダメージを与えるのが非常に簡単になっている。
一昔前は、開示訴訟をプロバイダ相手にきっちりやる必要があった。
当然、このときの訴訟のコストは原告とプロバイダにしか掛からない。
裁判をやった挙げ句に非開示ということになれば訴えたい相手はノーダメージ、自分だけ数ヶ月かけ数十万マイナス。これはやる気にならないだろう。
これが法改正で変わった。
かつては、コンテンツプロバイダへの仮処分の申立て、アクセスプロバイダへの訴訟という2回の訴訟をやる必要があった。
だが、これが非訟手続の新設、判例の蓄積、「誹謗中傷を許さない」的な社会風潮の変化によって大幅に簡単になり、開示コストは数万円程度にまで下がった。
もちろん、その後の訴訟にきっちり弁護士つけたらすくなくとも50万円ほどかかるから、回収を考えようとすると無理だ。
だが、相手にダメージを与えるのは非常に簡単になった。これは実際どれくらいのダメージなのか?
少し賢いやつは、名誉毀損などの小さなネタなら、裁判所は速攻で和解勧告をしてくるから、乗れば弁護士なんていらないだろ、と思うかもしれない。
確かに、弁護士をつけず、和解に乗れば被告の損は10万ぐらいで済む。だが、それは原告が和解をする気がある場合に限る。
和解を一切する気がなく、簡易裁判所でできない最低ラインの160万円以上の訴額にしておくとする。原告側は100万円以上の金がかかるだろう。
もちろんそこまでやっても、「お互いに弁護士がついてちゃんと攻防すれば」判決は15万円ぐらいになる可能性は高い。
しかし、そこまでちゃんとした攻防なら、どんな良心的な弁護士でも30万円はかかる。
一般人が本人訴訟で防御するのは難しい。仮にやれる人間でも、各種手続きを時給換算すれば絶対に30万円程度のコストは発生する。
あるいは、お前らは「自分の批判は公益性があって真実だ」「誹謗ではあるが受忍限度内だ」と本気で思ってるかもしれない。
真実性はともかく、公益性の方は、相手が政治家とか、批判対象が公金に絡んでるとかでもない限り、厳しい。
受忍限度内というのはありうる話だが、裁判官によってラインや判定ポイントが違うため、素人が防御し切るのは至難だ。
長々書いたが、つまり言及した相手に「100万円払ってでもこいつに50万円のダメージを食らわせたい」と思われた時点で、まず防ぐ方法はない。
覚悟してるなら止めないが、知らなかったでは済まされないので気をつけよう。
SNS上での論争では丁寧に議論を積み重ねて結論を得るのは難しいので、局地戦を仕掛けて勝利を積み重ね、相手陣営が如何に非論理的で頭が悪く、自分たちがその割りを食った被害者かを第三者に主張することが有効と言える。具体的な方法としては、浮いた駒(用意に破綻する主張をしてしまう無能な敵陣営)を晒し上げてTogetter等にまとめればそれを見た大衆は「○○派って変な主張ばかりだし、馬鹿にしてもいい存在なんだな」と思ってくれる。まあ所謂セレクティブエネミーというやつである。
暇空氏以前の表自と規制派の戦いを振り返ると、これまでは表自側が優勢だったという印象は拭えない。これは表現規制派が問題とする萌え表現について問題ではなく受忍限度内であるとの判断をする人が若者を中心に多い[1]にも関わらず、表現規制を要求する際の根拠や基準を明確には示せない(少なくとも聴衆を納得させられる状況ではない※)こと。またこれまで性的な被害を受けてきた被害者であるがゆえの強い言葉での否定が晒し上げられてしまった際にパターナリズムや男性嫌悪に基づいて規制をしようとする人達という印象が先行してしまったのではないかと考える。実際に日経新聞の月曜日のたわわ広告や大阪駅の広告では規制派側の要求は通らず、広告事業者側も客ではない規制派のクレームは社内基準等を盾にあしらう、という対応が(少なくとも商業広告では)定着しつつあるように思える。またそもそも問題であると感じた萌え絵表現をアドホックに叩くという戦術は、中立であった少なくないその作品のファンが根こそぎ相手陣営につきかねない危険な方法だったように思える。
前置きが長くなったが、これらを踏まえた上で暇空氏は現在表自側の浮いた駒になりつつある。暇空氏が現在戦っている土俵は表現の自由ではなく仁籐氏の本業であるColaboのアウトリーチ活動であり、表現規制に反対する立場の人でも仁籐氏の本業の活動については肯定的な人も多い。暇空氏は生活保護ビジネス陰謀論と会計の杜撰さを武器に戦いを挑んだが、陰謀論は返り討ちにされ、会計だけではColaboを潰すには足りない。また会計の問題についても意図的な不正で大金をせしめていたというよりは単に杜撰だったという印象があり、仮に「東京都と相談の上、今後は適切な会計処理を心がけます、それはそれとして暇空氏の誹謗中傷は許せません」となった場合にどちらに理があるのかは明らかである。また暇空氏自身だけであれば良いものの暇空氏は過激なファンネルを抱えており、彼らが誹謗中傷を行ってまとめて浮いた駒として負けてしまうことは世間への印象として非常にリスクが高い。これに関連して、暇空氏と同じく表自側のインフルエンサーである青識氏はColaboへの誹謗中傷をやめるよう注意喚起をしている。これはColabo憎しで本業に影響を与えた輩がまとめて敗北する事を危惧していると考えられ、青識氏の行いはあまり好きではないがネット上での喧嘩のやり方については流石にプロであると感心した。
Colaboの本業を叩きに行く暇空氏の戦いはほとんどギャンブルであり、今後の展開によっては大敗する可能性がある。また表現の自由の枠組みの中で戦っていれば有利であった表自にとって戦線を拡大するギャンブルを犯す意味は薄い。暇空氏はすでに暴走しており止めようがないが、良識ある表自としては一度暇空氏とその過激なフォロワーに肩入れすることはせずに推移を見守るべきと考える。
※自分の意見としては規制の基準は必ずしも規制派が示す物ではなく関係者の合意によって双方で作り上げるものとの認識なので、規制派が皆が納得する基準を示せないからといって即座に主張が無効とはならないと考える。一方で規制派も表自に対して基準を検討するためのテーブルに着けとの方向性を示せず、自身らの暗黙的な基準を押し付けたのはパターナリズムとの批判は免れないのではないと考える。
[1] JR大阪駅「性的広告」に見る日本で炎上が続く真因 https://toyokeizai.net/articles/-/636895?display=b
後から来たとか先にあったとか関係なく、騒音には規制がありその範囲内であれば受忍限度内として判断される。(住宅と公園のどちらがが先だったかを重視する人も多いが、住環境に対して騒音が受忍限度を越えた問題を与えるかが争点であり、どちらが先かは意味のない議論。)
そして長野の件については弁護士の見解としては受忍限度内であるとしている。施設の開設当初は受忍限度を越えていたという主張もある(これについて定量的な根拠はなく、クレームを入れたのが1件だけだった)が、少なくとも現状の利用についても問題ない範囲であると読み取れる。またクレームを入れた老人は利用している児童に対して叱責を行っている旨も報告されており、これについては行き過ぎた対応だと言わざるをえない。
これらを総合して判断すると、公園を廃止して問題ない範囲の利用についてまで不可能にするのは行政側の行き過ぎた対応であるように思えるし、それを求めるクレーマー側の主張も行き過ぎた主張である。過去の受忍限度を越えた騒音や踏み荒らしについてはその分の損害賠償を請求すれば良いし、その後については受忍限度内であれば甘受すべきという話でしか無い。
問題を大袈裟にして老人を擁護する向きもあるが、現状を整理すると過大な要求をしているのは主に老人側であり公園の廃止に対してそれを決めた行政または過度なクレームを入れた老人に批判が集中するのはある程度仕方のない事象とも思える
https://anond.hatelabo.jp/20221111111303
この増田を読んで思い出したので懺悔も兼ねてききたい。上映予告中にスマホをいじるのはありかなしか?
私も週に数回映画館に通うくらいには映画好きのつもりだが、映画の予告がどうも苦手だ。
というのも予告編がどれもつまらなさそうにみえるというか、「まあなんかああいう話なんだろうな……」と過去に視聴した他作品と重ねてしまうことによって視聴意欲が削がれてしまうのだ。
上映している映画の一覧は情報サイト等で確認しており(その際もできるかぎりあらすじなどは読まないようにしている)、上映予告によって映画を知るという機会はほとんどない。それに加えてどんなにつまらなさそうな予告でも見てみると全然印象が違ったりするので、私にとっての予告編は余計なバイアスを強制的に植え付けてくるCMという位置づけになっている。
もちろん対策もしている。私はできるかぎり通路側の席をとり、(上映直前の)映画泥棒CMが流れるくらいのタイミングで駆け足入場することにしている。こうすれば予告編を飛ばしていきなり本編を視聴できるので解決だ。
ただ毎回通路側の席をとれるわけではない。そんな場合、本編上映直前になって「すいません、すいません」と言いながら他のお客さんの前を横切るのも迷惑だろう。
なので、中ほどの席を予約せざるを得なかった場合は、ノイズキャンセリングヘッドホンで耳をふさぎ、スマホをいじることでなんとか予告を見ないようにしている。こうやって書くと私ってちょっと異常者だな。見た目がよくなさすぎる。なんだよヘッドホンて。映画見る気あるのか?
で懺悔なんですが、半年ほど前に川崎の某映画館に行った際も私は上映予告中にヘッドホンしながらスマホをいじっていたわけです。そしたら背もたれ越しに衝撃を感じたんですよね。最初は「あ~後ろ通ったお客さんがぶつかったのかな」と思って気にしてなかったんですが、しばらくすると再びかなり強めの衝撃を感じたので振り返ってみると、後ろの席のお客さんに「スマホしまえよ!!!!!」と怒鳴られてしまったんですよ。どうもイラついて私の席を蹴っていたみたいです(席を蹴ったり大声を出すことは良くないと思いますが、今回聞きたいことの本質とは関係ないのでスルーしてください)
え? まだ予告だよね? と思ってスクリーンを確認し、実際まだ予告だったので「上映まだですけど……」と言おうとしたところ、私がそう言おうとしたことを察したのか「見てんだよ! 予告もよ!!!!」と再び怒鳴られてしまったんです。
その時の私は席を蹴られていきなり大声出されたという事実に引っ張られて「狂人に絡まれちゃったな……」くらいのメンタルだったんですが、上映終了後になるとさすがに冷静になってきて「そもそも予告を見たくないと思っているのは一部の人間だけで、当然予告編を楽しんでいる人もいるし、そこでスマホをいじられることが本編上映中にスマホをいじられるのと同じくらい嫌な気持ちになる人も当然いるよな……」とようやく悟ったんですよね。
まあ私の最悪なところは、上記の気づきを得た後でも結局自分のために予告中はヘッドホンしてスマホをいじっているということです。理由としては予告中のスマホくらいは受忍限度内だろうと勝手に判断しているからです。本当にすいません。
みなさん上映予告中にスマホをいじるのはありですか? なしですか?
フェミニストです。ウマ娘のときから『表現の自由の戦士』の態度に疑問でした。
でもそれなら『表現の自由戦士』は間違ってたってことになるよね?
フェミニストは「女性の権利と尊厳」を守るために、必要なら声を上げる勇気を持つけど。
『表現の自由戦士』が守護してるのは別に表現の自由ではないってことね。
だって、「なんの権利も持たない外野が辞めさせようと口を出してきた」と仰るけど、クレームを入れるのも表現の自由権だもの。
あなたたちが守ってるのは、何?
私も考えてみようと思う。
かつて私もこんな風に読んでいたことがあった。
だけど、ウマ娘やUSJに「このくらい受忍限度だろうが」とか「アウトの境界線が曖昧なお気持ち」と突っ込んでいかないところをみると、この呼び名は誤りだ。ごめんね。
今回もフェミニストの一発言に食ってかかってるし、アンチフェミでいいのではと思った。
でも、スポーツ大会のレギュレーションだとか女子トイレ更衣室問題で必ずしもTERF、フェミニストの敵側に回ってるわけではないようなので、この呼び名も誤り。
多くの『表現の自由戦士』が声を上げた女性に対して露悪的に振る舞うので、ミソジニーが動機なのではと訝しんでる。でもアツギなどの女性担当者を庇うこともあるので、必ずしも当てはまるとは言えないし、言動の表れる第一活動実態と内心の動機は別に判断すべきだ。活躍してるフェミニストだって動機がミサンドリーの人も結構多いし。
ローレンの「ファビョる」発言が炎上したとき、ほとんど『表現の自由戦士』は反応しなかった。
増田も"権利者"と言ってることから、彼らは著作権に関する何かを重視してるんだと思う。ただ、けものフレンズ2が猛非難されたとき(好きなのに…)まったく『表現の自由戦士』は動かなかったよね。ヘイト創作のようなものも、お祭り騒ぎで楽しんでいたようだ。彼らは、罵倒・ヘイト・冷笑・否定と、やめてほしい・注意・クレーム・怒りを分けて扱う。しかし、萌え絵のこの描写が性的消費だ、というレビューには強く反応する。奇妙だ。これは前者のカテゴリーではないのか。
ひょっとして、フィクションや広告も含む芸術に触れるとき、心の中の真面目さを刺激されるのがイヤなのか? それが社会の弱者にダメージを与える可能性を考えたくない、とか。ノブレスオブリージュを放棄して、マジョリティの既得権益である心理的安全性を謳歌したい、と。だとすると『反ポリコレ』の呼称が適切だ。ディズニーやマーベルら、著作権の権利者が自分たちの意思でキャラクターに多様性をつけようとしたり、アニメの聖闘士星矢のキャラの女体化も権利者の同意があるにもかかわらず批判された。批判者と『表現の自由戦士』は層が被っているのではないか。