2022-12-11

暇空を表自の神輿にするのはリスクが高すぎる

SNS上での論争では丁寧に議論を積み重ねて結論を得るのは難しいので、局地戦を仕掛けて勝利を積み重ね、相手陣営が如何に非論理的で頭が悪く、自分たちがその割りを食った被害者かを第三者に主張することが有効と言える。具体的な方法としては、浮いた駒(用意に破綻する主張をしてしま無能な敵陣営)を晒し上げてTogetter等にまとめればそれを見た大衆は「○○派って変な主張ばかりだし、馬鹿にしてもいい存在なんだな」と思ってくれる。まあ所謂セレクティブエネミーというやつである

暇空氏以前の表自と規制派の戦いを振り返ると、これまでは表自側が優勢だったという印象は拭えない。これは表現規制派が問題とする萌え表現について問題ではなく受忍限度であるとの判断をする人が若者を中心に多い[1]にも関わらず、表現規制要求する際の根拠基準を明確には示せない(少なくとも聴衆を納得させられる状況ではない※)こと。またこれまで性的被害を受けてきた被害者であるがゆえの強い言葉での否定晒し上げられてしまった際にパターナリズム男性嫌悪に基づいて規制をしようとする人達という印象が先行してしまったのではないかと考える。実際に日経新聞月曜日のたわわ広告大阪駅広告では規制派側の要求は通らず、広告事業者側も客ではない規制派のクレームは社内基準等を盾にあしらう、という対応が(少なくとも商業広告では)定着しつつあるように思える。またそもそも問題であると感じた萌え表現アドホックに叩くという戦術は、中立であった少なくないその作品ファンが根こそぎ相手陣営につきかねない危険方法だったように思える。

前置きが長くなったが、これらを踏まえた上で暇空氏は現在表自側の浮いた駒になりつつある。暇空氏が現在戦っている土俵表現の自由ではなく仁籐氏の本業であるColaboのアウトリーチ活動であり、表現規制に反対する立場の人でも仁籐氏の本業活動については肯定的な人も多い。暇空氏は生活保護ビジネス陰謀論会計杜撰さを武器に戦いを挑んだが、陰謀論返り討ちにされ、会計だけではColaboを潰すには足りない。また会計問題についても意図的不正大金をせしめていたというよりは単に杜撰だったという印象があり、仮に「東京都相談の上、今後は適切な会計処理を心がけます、それはそれとして暇空氏の誹謗中傷は許せません」となった場合にどちらに理があるのかは明らかである。また暇空氏自身だけであれば良いものの暇空氏は過激ファンネルを抱えており、彼らが誹謗中傷を行ってまとめて浮いた駒として負けてしまうことは世間への印象として非常にリスクが高い。これに関連して、暇空氏と同じく表自側のインフルエンサーである青識氏はColaboへの誹謗中傷をやめるよう注意喚起をしている。これはColabo憎しで本業に影響を与えた輩がまとめて敗北する事を危惧していると考えられ、青識氏の行いはあまり好きではないがネット上での喧嘩のやり方については流石にプロであると感心した。

Colaboの本業を叩きに行く暇空氏の戦いはほとんどギャンブルであり、今後の展開によっては大敗する可能性がある。また表現の自由の枠組みの中で戦っていれば有利であった表自にとって戦線を拡大するギャンブルを犯す意味は薄い。暇空氏はすでに暴走しており止めようがないが、良識ある表自としては一度暇空氏とその過激フォロワーに肩入れすることはせずに推移を見守るべきと考える。

自分意見としては規制基準は必ずしも規制派が示す物ではなく関係者合意によって双方で作り上げるものとの認識なので、規制派が皆が納得する基準を示せないからといって即座に主張が無効とはならないと考える。一方で規制派も表自に対して基準検討するためのテーブルに着けとの方向性を示せず、自身らの暗黙的な基準押し付けたのはパターナリズムとの批判は免れないのではないと考える。

[1] JR大阪駅性的広告」に見る日本炎上が続く真因 https://toyokeizai.net/articles/-/636895?display=b

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