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はてなキーワード: 反駁とは

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-28

最近見かけた属性に基づくジェンダー議論について

男子理系大学院生です。

@misssfc2019_no7さん(ραοさん)と@54nano_fairyさん(なのさん)のTwitter上での会話を見て、漠然ジェンダー論に興味があったものの何も勉強してこなかったので少し勉強し、考えたことをまとめようと試みています。ややραοさんの発言を多く引用します。これは僕の感覚がなのさんに近く、ραοさんの発言の主張に納得しづらい部分があったため、それを解釈したいと考えたからです。

納得行くところまで整理出来ていないので、「その主張は◯◯の部分が誤りである」「せめて◯◯は読んでから出直せ」などの指摘をいただけると僕が嬉しいです。

あとアホほど長いので暇な人だけ読むと良いと思います

=====

1.最初議論

僕が認識している最初議論の始まりは、ραοさんの

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

というツイートに対して、なのさんが

これこそセクシズムなんじゃないですか?

と問うたところです。

このツイートから任意男性は、フェミニズムを理解しているならば(フェミニズム性を有しているならば)、あるフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」ジャッジ出来ると考えない、とραοさんが考えていると僕は読み取りました。

これに対し、この主張には「男性が」ジャッジすることに非フェミニズム性がある、というような非対称性があるように見える、となのさんが疑義を唱えたように僕は読み取りました。

その後の議論でραοさんは

マイノリティの中でも"真のマイノリティかそうでないか"とジャッジ一方的にするというのももちろんおかしなことです。

と述べられています。これはフェミニズムの話に限った際、女性ジャッジすることにも非フェミニズム性があるという主張と同値かは僕の目には明らかではないです(おかしなこと、というのがどのようなおかしくなさに違反しているのか自明でなくないですか?)。僕は議論の流れから、ραοさんは男性ジャッジする際の非フェミニズム性とはやや異なる「おかしなこと」と考えているのではないかとお見受けしました。

これは、なのさんの

マイノリティの中でも一方的ジャッジをはおかしなことである」というのならば、なぜ最初発言でわざわざ「男性が」「性的マジョリティが」と強調したのでしょうか?

という質問に対するραοさんの

マイノリティの中での話とはまた違う構造があるからですよ。これを同じと言ってはいけないと思いますマイノリティ同士のコミュニケーションにおいて生じる問題と、マジョリティマイノリティに対し行う言動に生じる問題は異なります

という発言を受けて思ったことです。

ραοさんの発言は、マジョリティである男性ジャッジすることはマイノリティである女性に対する圧力となるため非フェミニズム性があり、マイノリティである女性ジャッジすることは(圧力があるにせよ)非フェミニズム性とは異なるおかしさ(例えば他人内面を決めつけることの失礼さ?)があるという意味ではないですか?男性女性が非対称な権利を有している現在規範を改めようとするフェミニズムに対し、マジョリティである男性一定フェミニストの主張は非フェミニズムであり新たな規範として認めるべきではないと主張するのは、女性に対する圧力として働くものであり、非フェミニズム性があると。

なので、女性に対する圧力存在暴露とその解消を目指す文脈で、(その活動における)障害存在批判する際に男性によるジャッジが強調されるのは非対称だが筋は通る(一貫した主張である)かなと思いました。(なのさんがのちに運動のための理論であるように感じて好きではないと言われていたのもこの辺りのことが引っかかってかなと思いました。)

この後ραοさんとなのさんの主張は最初議論とはやや異なる内容の議論(女性マイノリティであるということの意味議論の進め方等)と共に一定解決を見ずに終わったようで燻ったような状態に落ち着いたように見えます。他の内容についてはここでは触れません。

2.途中の感想

フェミニズムの議論はたびたび大きな話題になりますが、話題になるフェミニズムは(筋の通る通らないの程度によらず)やや論理的に整理されてない主張が目立つように僕は感じていました。今回の件でもいくつか整理が不十分だと感じる点はあり、例えばραοさんの最初ツイートの下で述べられる

これって普通に男女以外でも考えてみてほしい。マジョリティであるシスジェンダー異性愛者がセクシャルマイノリティに「この人は真のセクシャルマイノリティか、エセか」とか言うのめちゃくちゃおこがましくないですか?障害者に対して「真の障害者か、エセか」とか。何様なんだろうって私なら思うよ。

圧力という考え方があまり見受けられないので良い例示ではないように見えます。これは他者内面(あるいは属性アイデンティティ)を決めつけることはおこがましい、自然感情として(普遍的に)おかしなことであると主張する話になっており、「男性が」ジャッジすることの非フェミニズム性の話にはそぐわないように思います。何様なんだろうと思う、という自然感情に端を発する主張のように記さず、セクシャルマイノリティ障害者の方に対する強い圧力として働く考え方である、というように記す方が合致するように思われます

整理が不十分であること自体はよくて議論とともに整理していけば良いと思うのですが、その後ραοさんはやや早計になのさん(及びなのさんに同調する人々)のことをミソジニストと決めつけてしまったように見えます。早計というのは、議論一定解決を見ないまま、ραοさんに「つっかかってくる」人をミソジニスト認定しているように見えるからです。実際には一定論理によりミソジニスト認定しておられるでしょうが、ここまで他者ジャッジすることのおかしさについて議論していたので、ダブルスタンダードに見えてしまますダブルスタンダード自体は主張の正しさを変えるものではありませんが、信頼できる議論相手かどうかという他者から評価には影響するので。実際これのせいで感情に寄りすぎている(論理的に整理されていない点を整理しないまま自分意見正当性を主張しようとしている)とみなされてしまっているということがあるのではないでしょうか?

3.自分が調べたり思ったりしたこと

僕は最初追っている時はなのさんの議論の方が身に馴染み、かつ筋が通っており、ραοさんの議論はやや筋が通らないように感じていました。しかしそれはフェミニズムを全く知らないためである可能性も十分高く、少し調べてから判断しようと思いました。現状では、今ある規範問題点を指摘し新たな規範を構築する際、新たな規範正当性をどのように確立すればよいのか分からなくなり、整理がついていません。

舟場 保之(2007)「ジェンダー哲学問題とはなりえないのか」『哲学』58 号 pp. 61-78(https://doi.org/10.11439/philosophy1952.2007.61)に、次のような話が載っていました(p. 65)。

アイデンティティポリティクスの主張は、その真理性なり正当性なりの論拠を最終的には当該のアイデンティティにおく。アーレントは、アイデンティティポリティクスに反対していたにもかかわらず、レッシング受賞講演において「ひとは攻撃されている事柄によってのみ、抵抗することができる」と論じている。このとき、「抵抗」のひとつの形として「現行の法」に対する異議申し立てが行われるとすれば、その異議申し立ての論拠は「攻撃されている事柄」におかれることになるだろう。ある「抵抗」の異議申し立てに対して、、「あなたはなぜそのように主張するのですか」と問えば、最終的には「わたしは○○に関して攻撃されているから」と答えられることになる。しかし論拠がこのようなものであるとしたら、この言い分に納得できるのは同じように〇〇に関して攻撃されている者だけであり、異議申し立ては〇〇に関して攻撃されている者にしか説得力をもたないことになる。だからこそ、このような異議申し立て無理解な者に対しては、「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」という言い方が(きわめてよく)なされるのだろう。アイデンティティポリティクスの主張は、アイデンティティに論拠がおかれるかぎり、アイデンティティが同一の者には説得力もつがそうでない者には説得力をもたないのであるしかも、論拠とされるアイデンティティが「反論余地のない事実であるなら、論拠を問題化することがまったく不可能になってしまうので、アイデンティティポリティクスの主張は反駁される可能性を原理的にもたない絶対的ものとなってしまう。

例えば宇崎ちゃんポスター話題などでも「普通に訴えてもお気持ち扱いされる」みたいな話を見かけました。これはまさに上記引用で触れられている、アイデンティティポリティクスの主張がアイデンティティを論拠とするために反論を許さず、そのためにアイデンティティが同一でないものに対しては説得力を持たないものとなる(反論不可能ものについては議論が出来ないので?)、という構造と同じものだと思います

宇崎ちゃんポスターの例では「性別Aの者を性別Bに属するものがあげつらったり、その性を利用したりすることは正しくない」というような公理のもと、それがA=女性、B=男性として宇崎ちゃんポスターにおいて行われていると判断され、問題のあるポスターとして指摘されたと僕は認識しています。これに対し「この程度は性についてあげつらうほどのものではない」「これをあげつらいと考えるのはお気持ちである」という形で「お気持ち扱い」をされているのかなという印象です。

このとき、仮にアイデンティティポリティクスに反対する姿勢を取っていたとして、宇崎ちゃんポスター問題においてどのように主張の正当性確立するべきなのでしょうか?究極的にはお気持ちにならざるを得ないのでしょうか……?僕には分かりません。何かうまく論理を構築する方法論が知られているのでしょうか。

またραοさんとなのさんの議論の中で、上記引用典型的発言として挙げられる「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」と似た発言がなされていました。

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

という発言もややアイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠にしているように見えます。これによりραοさんは、なのさんや一部の方から自分正当性を疑わない人とみなされてしまったように見受けられます

しかし、特に規範のようなものを考えるにあたり、アイデンティティポジショナリティから自由になることは可能なんでしょうか?ραοさんはそれが不可能だと考えているか、相当に困難だと考えておられるのではないでしょうか?

自分中立だと思いこむのとか、立場偏見を取り除いて客観的ジャッジ目線議論ができると思いこんでるのはなるべく高等教育過程に入った方には既に卒業しててほしいな…。こんなの哲学の初歩の初歩でしょ…。

というツイートから、そのように思われます

自然科学の研究をしている身としては、実験だったり理論だったりの正当性検証は容易ではないが常には原理的に不可能ではないので、メタ立場から正当性議論が出来る(なのさんの言葉を借りれば「パワーバランスに基づく議論あくま論理/倫理的な「正しさ」とは独立であるべき」)と考える方が身になじむものがあります。なのでアイデンティティポリティクスに反対する姿勢もしっくりくるところがあるのですが、実際問題としてそれを回避することは可能でしょうか?自分がある程度アイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠としている部分がある、と自覚した上で正当性議論を行うという所が限界なのでしょうか?今の僕には分かりません。

上に書いた話も、自分感覚整合性が取れるように論展開を進めようと思ったのですが、僕の「お気持ち」が何となく納得していない感じがあり、十分整理できてないなと感じています

自分研究が落ち着いた時に、時間をとってもう少し勉強して整理したいと思っているので、重ねてですが「◯◯の主張は筋が通っていない」「◯◯ぐらいは読め」みたいな指摘がいただけると幸いです。

2019-10-24

anond:20191023204754

こんな幼稚で下劣反駁しかできないとか

恥ずかしくないの?

2019-08-22

anond:20190822120218

めんどくさいはお気持ちではなく「手間が増える」という現実問題

めんどくさいというのはあなたお気持ちなので、論理的反駁できないならすっこんでてもらえますか?

誰かがこういう言い方をしてるの見てまねしたかったんだろうけど

成立させる為の条件を見定められない、若しくはそもそも知らないのでこうなる

anond:20190822115924

めんどくさいというのはあなたお気持ちなので、論理的反駁できないならすっこんでてもらえますか?

2019-08-21

anond:20190821110013

無いわけ無いだろ。ウソ大げさ紛らわしい発表をしても反駁しようがないし、弁護人裁判始まってから反証するのは限界があるぞ。

2019-07-13

苦手な岡田以蔵タイプがわかった(えふご二次の話)

最初別に嫌いじゃなかったし、苦手とも思わなかったんですよ。

初めまして。トマレモです。

名前は、ちょうど目の前にあった、カゴメトマトレモネードドリンクから

甘酸っぱくて美味しかったよ!

これは某グランドでオーダーな運命二次創作で且つ、BLにも関する話なので、苦手な人、地雷な人、嫌悪感を覚える人は見ないでね。

そういう人で目に入っちゃった人は、速やかにバックして記憶DELETEして下さい。

そして、私の言う「よく」は、大概、私のTwitterタイムラインでのこと。

これはただの、整理と愚痴です。読まれる前提で書いてません。

では、よろしくどーぞ。


えーと。うん、苦手じゃなかったんだよなぁ。帝都が来たあと、以龍か龍以か迷うくらいには。

でも、その後に、違う龍馬右のcpに轢かれて、そっちにどハマリしてから、ジリジリと苦手感が出てきた。

地雷ってほどじゃない。言葉にするなら、

「なぁんかなあ……」

ってくらい。

浮き彫りになったのは、多分閻魔イベント

これは、Twitterフォロワーさんが、私の心境にドンピシャな呟きをしてたのを見て、「あーーー!!それーーー!!わかるーーー!!ありがとうございます!!」となったから、言語化やすい部分。

ギャグにする人もたくさんいた、偶然誘われ忘れてしまった岡田以蔵。その立場を、私のタイムラインでは主に龍以の人が、かわいそかわいそしてお涙頂戴のネタにしてたのを見て、『あ、私はこれ、駄目だ合わない』と思った。

岡田以蔵は、坂本龍馬に置いていかれた。

うん、ある時点では、それは間違いではないんだろう。龍馬土佐を出た。以蔵は残った。

でもその後、史実ネタになるけれど、龍馬は以蔵に会って話をしてる。

時には職の斡旋(勝先生の護衛の話ね)もした。

龍以の人も以龍の人もこの辺ネタにするの好きだよね。「一緒に行こうよ」と手を差し伸べる龍馬先生義理立てしてか、その手を取らない以蔵。何回も色々なパターンを見た。泣いたこともあるよ。いい話は刺さるものだもん。

でも、ここで思う。

岡田以蔵よ、お前、どこが置いて行かれてんの?

先に出ていった。うん。でもその後に一生会えなかったわけじゃないだろ。

会いにきてくれて、何くれとなく、同じ未来を見ないかって話をきっとしただろうよ。

EXP先生幕末むかしばなしでも、「土佐に戻ってこいよ」って言ってるコマあったじゃん。お前、望んで土佐に居たんだろう。望んで、武市に付き従ったんだろう。

自分で選んで、龍馬の手を、取らなかったんだろう?

そうして、非業の死(笑)を遂げたわけだ。

自分で仕える相手を選び、単純バカ扱いに反駁せず、更には思考放棄して、かと言って忠を貫き通せもせず。

それで、最後には原因は全部坂本龍馬で、おまんがわしを置いていったのが悪い???

どこの悲劇のヒロイン様だよ、勝手過ぎるだろうよ、その言い分。

そんでもって。

坂本龍馬は、抑止の守護者って立場で、記憶を保ってる。というのがよくある見解だよね。マイルームボイスでも明らかに帝都のことを覚えてる感、ある。

帝都で、最後最後で、かつての頃のように大切な幼なじみと笑いあえた。

それは、長く長く抑止力として過ごしてきたであろう龍馬にとって、どれだけぶりの、嬉しくて温かい記憶になったんだろう。

その記憶を持って、カルデアに来て、その近々の愛しい記憶を持たない、別人の同じ幼なじみに切り掛かられる。その別人とこれから仲間として戦っていく。

ねえ。どっちがしんどいよ、これ。

それで、イベントやらなんやら、基本突っかかって来るのは以蔵の方じゃん。

くっそ甘えてるよね。何かあれば「りょおまああああ!!」って叫んでさ。それで龍馬は、はいはいって来てくれる。

うん、以蔵スキーな方々は「素直になれないよね」と言ってるのをよく見る。

あれだけ、あれだけのことやらかしておいて(少なくとも、龍馬は手を出したりしてない。何か以蔵へきついことを言った訳でもない)、以蔵は自分勝手に頼るんだよ、龍馬を。

まあ、私は左右で言えば、右の立場思い入れやすい傾向がある。単純にキャラの好みとしても、龍馬の方が好きだ。

から、どうしても、思いは龍馬寄りにはなると思う。

それにしたって、英霊の成り立ちやらエピソードやらがあるにしたって、横暴じゃない?

喧嘩して「自分、まだ怒ってるんですけど?」っていう面倒くさい奴かよ、被虐待児の試し行動かよ…どんだけ甘やかされりゃ気が済むのさ。

坂本龍馬、以蔵が本気で拒めば多分。「わかったよ」って離れてくれるよ。自分が寂しかろうと、それが大切な幼なじみの本当に願うことならね。(二次では、それを超えてくるところが尊い扱いされるやつね)

カルデアで以蔵から責められて、気をつかって、それでもぐだぐだ出身として一纏めに扱われて、その度にご挨拶代わりに何かにつけて大声で怒鳴られて文句言われて(以蔵にその意識はないだろうけど)さ。

そんなことが年がら年中起きてりゃ、そりゃあ、龍馬の方も疲れるだろうよ。偶然、思わず、誘いを忘れるくらいに。

というわけで、私の地雷蔵さんは多分、作者の同情をたっっっぷり詰め込んで「かわいそかわいそ、いぞーさんいいこいいこ、かわいいかわいい」されて造られる、ヒロイン蔵さんなんだろう、と自分の中で着地したわけだ。

スパダリ系・いっそ完全にクズショタポメなんかは、全然平気だしね。支部では今も、お世話になっておりますう。

はー、文字っていう形にしたらスッキリしたー。

てわけで、まあ、こんなのを読む人は居ないだろうけど、読んだ人が居たらお疲れさまでした。

10月のるーしこ出るけど、以龍プチの参加、どうしようかなー。参加申し込み締め切りまで、あと一ヶ月。悩むとしますかー。

※轢かれて、は誤字じゃないです。トントラックで轢かれるくらいの衝撃と共にハマったことを表したかったの。

2019-06-17

anond:20190617083341

ブコメについて。同程度に稼いでいる共働き家庭であっても家事負担率は女性の方が圧倒的に高いってデータ話題になっていたけど

社会的傾向として男性は(稼いでいてもいなくても)女性より家事をしない傾向が高い

欧州男性と比しても、日本人男性家事負担率は極端に低い

のは事実なわけで、それがゆえ「男も家事しようぜ」なムーブメントが出てきたんでしょ。

そこに「夫婦で納得して分業してるならいいじゃん」ってミクロな話を持ってきても反論にならなくね?いや世の中にそういう家庭が少数ながらも存在して、納得して分業制を取るのは大変結構なことだけど、だから?っていう。大多数の男性が不当に低い家事負担である事実には全く反駁できてない。

マウント取られるのがヤダってのはまぁわかる。わかるが、「家事しろ家事しろ言う男ウザいよなw」みたいな相手小馬鹿にすれば勝つる系中学生ノリもマウント一種だろうし。

まぁグダグダ言ってないで家事育児しようぜ。家事はそんなに難しくないし楽しいよ。育児は大変だけどやっぱり楽しいよ。

2019-05-25

anond:20190524092137

苦痛を最小化する話なのに生きるための最低限の犠牲を持ち出しても反駁になってないのでは

「ありがとう」を言えば免罪されるなら「普通人達」を黙らせた後に「ありがとう」言えば済む

2019-05-10

anond:20190510102710

異性愛者に「一生セックスするな」といって満足できるほうが少数派だろ?

とうとうKKOさんはじめ童貞処女差別にまわったのか

???

どこに童貞処女差別があるんだ?

おまえの主張は穴だらけで世間で言えないからここで言ってるんだろうけど

「穴だらけ」といいつつ論理的反駁できてないのは其方様ですが...

やさしい増田相手にキレてみせてもますます孤立するだけぞ

「俺の言うことを聞いて差別されてないと孤立するぞ」アホか。

2019-04-05

anond:20190405163719

論理的反駁できないなら何も言わなければいいのに

たとえ俺が強姦されようと、証拠がなきゃ不起訴になるだろ。

それが法治国家だし、そこを曲げろと主張するには自らも冤罪リスクを負うってことなんだが

2019-04-03

anond:20190330210755

おひさしぶりです。

「非常に蓋然性の低い推定」って書いたのは、「この増田マイノリティ男性差別するだろうという質問の形をとった事実無根の悪質なデマであり中傷ですので、速やかに発言を取り消してください」と全否定で書こうとしたところを、ちょっとキツいかなと思って譲った表現をしていました。

せっかく話をしてくれる人だから、敬意を表して、全否定はやめようと思って。でも、隙を作っただけみたいだから、こういうのはもうやめようと思います

のちに蓋然性の話をしてくれた別の方も、ごめんなさい。

それに、言葉尻を取って蓋然性の高さ低さというどうでもいい話に持って行くほど残念な相手だとも思っていませんでした。わかりやす指標が入るとそちらに注視して他が読めなくなることについては気をつけてください。

そして、こともあろうに「啓発」とか。それこそ、場所もやり方も相手も違います女性嫌悪から生じた予断を何も関係のない書き込みにぶつけて発散するのはやめましょう。何度も言いますがこの増田マイノリティ男性差別を少なくともこの書き込みではやっていません。

もちろん、実際に自分差別されたら、その差別書き込みに対してはきっちりコメントしていってください。相手が男でも女でもです。流言を垂れ流すより、自分正当性が認められることについて声を上げる方が精神にいいはずです。

理解してもらえないとは思うけど、もしあなたが生きづらさを抱えてるなら、たぶんあなたのせいじゃないし、女性のせいでもありません。

あとは、家父長制のことかな。まず家父長制の存在は認めてるんだなっていうのが意外でした。私の政治的立ち位置にどうのする義務はないとか言ってるから、別のことを言ってくるのかと思ってました。

存続に与する女性存在を指摘していたので、家父長制が文化制度として残存しているという前提は共有できているということですかね。(なお、あなた女性の家父長制支持者の存在について、心理的要因があると言いましたが、そうした心理は大抵構造によって形づくられます。また、心理的要因をセックスによる生得的なものとするのは、今はやっぱりセクシズムです。あなたが今のところセクシスなのは自分でもわかってると思うので、このあたりはあなたと私とは前提が共有できないんだなと思います。)

じゃああなた自身は家父長制の存続を望むのか、望まないのかが気になります

質問じゃないので、答えなくていいです。

積極的な存続を望むか、どうでもいい(消極的に存続を認めている)あたりなら、マイノリティ男性への差別は維持され続けるわけで、それを望んでる、あるいは仕方ないと許容しているんだから「啓発」の書き込みはいらないということになります

そもそもあなた男性マイノリティへの差別を止めたいのか、止めたくないのかみたいな問題もあります差別をやめようという人に、その人が抱えるであろう(これはあなたの予断でしかありませんが)差別存在を「啓発」しようするってことは、差別を止めたいか、そこまでいかなくてもましにしたいんですかね?

なら、家父長制の存在を認めながら家父長制の維持を望みはしないということになりますよね。

であれば、書き込む対象はやっぱり女性じゃ、ましてや差別発言をしていない増田じゃありません。

家父長制の存続を消極的にでも望んだままあなたの言う「啓発」も行うための論理があるとしたら、「あなた他者への差別心を自覚して、自分たちへの差別我慢しろ」ということかと思います

……が、これ、増田マイノリティ男性への差別につながる発言をしてないのでまったく意味不明ですし、この論理が通るなら、あなた我慢して黙ってなきゃいけません(マイノリティ男性当事者支援者なら)。

さらに、当事者支援者以外の立場でこれをやられると、それは権利獲得を目指して活動する当事者支援者への迷惑行為です。

自分立場すら筋の通った形で示せないまま、他人に難癖をつけるのはやめましょう。

反駁されたらその場しのぎの適当なことを言ってごまかすのもやめましょう。

では、さようなら

2019-01-12

anond:20190112112013

おう、しろしろ

反差別とは価値観、それに法に問題提起することだと知らぬ愚か者

通報してせいぜい恥をかけ。

通報」という圧力をかけることしかできず、論理反駁できないそれがお前の限界

差別主義者の狭い脳の限界

2019-01-10

anond:20190110151314

世界が5分前に作られたことを論理的否定できんの?できないだろ?はい論破俺の勝ちな」

みたいな身もふたもないちゃぶ台返し悦に入るのは中学生まで。

俺の問いがこれとイコールであるってことも証明されてないし、

議論参加資格当事者」っていう前提も謎。アライとかどういう扱いだ?

結局、論理的反駁できないってことだなーさすがLGBT(or その支持者)は差別主義者だわー

anond:20190110145633

え?「論理的反駁する」=「女性を下に見てる」なの?

俺は女性を下に見てないよ?杜撰理屈で男叩きのあほを下に見てるだけ。

第一増田ではみんな無性の増田なんだ。相手が女かどうかなんか知ったこっちゃない

2018-12-05

anond:20181205184725

そういうつもりでレス反駁してたからね。脳バグになってなきゃいいけど。

2018-11-09

anond:20181109122108

不快を表明する自由と己の不快理由他人に行動や対応強制する自由はまったく別物

後者自由行使しようとしたら反駁されて前者の自由も許されないのくゎーッ!って喚く人はたまに見る

2018-11-04

anond:20181104010038

流石に「胸の割れ目」って初めて聞いたから気を使ったつもりなんだけどな

そんなに傷つくとは思わなかったよ。悪かった。謝る

けれどもそれ完全に的はずれな反駁から

日本アメリカより自由でないという根拠が「自由の国」というスローガン根拠になっているおかし

服装制限or強制の例がアメリカのものしか挙がっていないのに、自由度は日本アメリカとする意味不明

そもそも被害者叩きと服装自由は反するものでないのに、なぜそれを根拠日本はより自由でないと言い切るのか

それがanond:20181103235657

これに対して俺は、法的にもお前の服装自由だし、実際にもその自由を妨げようとする奴は稀だって言ったわけ

どうしてそれに対して痴漢云々の話で反駁できていると思うんだ?

痴漢がお前の服装自由実質的制限しているというシナリオならば、それは痴漢犯罪者からだろうが。

2018-10-18

疲労すると思考力が鈍る & 男女に知能差・知性差はない

この両方を信じている人、多くない?

はじめに断っておく。

俺は全体としての男女間の知能差や知性差について、特段の意見は持ってない。

あるかもしれないし、ないかもしれない。

で、本題は、

命題1「疲労すると思考力が鈍る」

命題2「男女に知性差はない」

が、両方真だとしたら矛盾してないかということだ。

まず、男子の方が体力的に優れているのは社会的合意事項だと前提する。

多くのスポーツ競技が男女別になっていて、かつ男子の方が大体好成績な点を鑑みればこれに異を唱える人は少ないだろう。

体力的に優れていると、当然に疲れにくい。

疲労度を分数で表した時に分母に来るのは体力になるだろう。

というか、体力(≠ 筋力)の定義自体が疲れにくさかもしれない。

で、そうすると命題1より男性女性に比べて思考力が鈍りにくいということになる。

すると現実的環境下で知能や知性を運用した際には、知能や知性の面で男性女性を上回っているという結果にならないだろうか。

命題2より疲労ゼロの時に男女に知能差や知性差がないとしたら、そこからはより劣化しにくい方が現実運用下では有利ということにならないだろうか。

最後が「だろうか」となっているのは、だから男が女より頭良いと言いたいのではないから。

しろ命題1・2をともに真ととらえていて、かつ、男女間に知能差や知性差がないと確信している人たちからの、反駁を期待してる。

どういう整理がそこにあるのだろうか。

anond:20181018135148

その結論最初話題になっていた、"研究の業績"はガラパゴスであり文明化されておらず役に立たない、を1ミリ反駁しないと思うんだが、よろしいんですね?とか言ってていいのか。

2018-10-11

anond:20181011160115

いや、純粋学問的に反駁できないだけで、何かに忖度してるわけじゃ無いよ。

anond:20181010205136

「そのくせ質問にはこれだし。」この時点で論点捉え間違ってるから

なんで反論者が立論者の説明を補助する必要があるんだよ。反論が新しい立論を持つ必要がないのは学校で習うレベル

反論根拠に「〇〇だからネットミームが起きる」なんて言葉がないのに

それを質問して説明を求めるのは自分以外の立論者、立論の協力者を求めているだけで、反駁じゃない

1「エレン で ネットミームエロ)なった」(事実

2「グリーン で ネットミームエロ)になってない」(事実

このことから君は

3「萌え絵 だから ネットミームエロ)が起きる」

を導いているがそれはできない

エレン萌え絵属性を持ってるだけで全体でないし代表にもできないから(統計象徴性もない)

その指摘に答えないか馬鹿にされてしま

さらに3を主張する以上、1から3を導いたのと同様に

4「非萌え絵 だから ネットミームエロ)が起きない」

って題を導くことにもなる。

これは「非萌え絵 で ネットミームエロ)が起きた」(事実)によって 4が偽なのは覆しようがない

4が偽となると、2-4をつなぐ論が否定されるから同じ論である1-3も否定されてしま

もっと単純明解に言えば3は対偶とって「ネットミームエロ)が起きない だから 非萌え絵」と言い換えられるが

これも「非萌え絵 で ネットミームエロ)が起きた」(事実)で偽となる

2018-10-10

anond:20181010211739

まりお前はグリーン先生エレン・ベーカーのみをもってしか論拠にしないと言ってるわけだけど

そうなるとお前の最初の主張で「萌え絵」という属性範囲拡張した論理矛盾するんだよね

追記か再反駁でこれまたすげー丁寧に説明してあげるわww

つかニーソとか雪女とか恒常的にエロ二次祭り状態、長期的に見ればそれ以上なものに関してはどう説明すんのかなw

本当にお前が反論たかったのなら、pepeとか著作人格権抵触するもっと切実な実例を取り上げてこの大衆社会問題本質に迫るという王道

自論の補強として、萌え絵と非萌え絵二次エロ祭り期待値とでも言うべきもの統計調査するという暇人かつ信頼性のない数字つくるっていう

糞みたいな逃げ道の二択だったんだよ

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