はてなキーワード: 反吐とは
新潟の事件とかで、早速「またオタク批判が始まる!差別だ!ロリ趣味を脅かす動きに反対!」ってイキってるオタクがいるし、はてブにも沸いてるけど、正直なんでそんなに「自分の権利を脅かさないでくれ」って騒げるのか全然思わない。
自分が好んでるものを奪われるのはつらいし、反社会的って言われたらモヤモヤするのはわかるけど、でもリアルにいる幼女見て「パンツ見えた」だの「ハイエース(誘拐の隠語って今回初めて知った、マジでありえない)したい」だの言ってる連中がいたら、そりゃ権利権利言っても「は?」って思う。
幼女の人権より、自分たちの楽しむ権利が優先なのかよ、と思うと反吐が出る。
あと、「LGBTなら文句は言われないのに俺達は言われる、不公平だ」って言ってるのも見たけど、男性が男性に声をかける、女性が女性に声をかける、そうしたら断る権利がある。そして、いきなり身体を触られて望まぬ性的行動を求められたら、ハラスメントとして訴える権利も、力もある。
子供はそうじゃない。圧倒的に、力も、権利も、何もかもが弱いから「保護者」がつくのだ。全く力や権利の大きさ・強さを違う相手を引き合いに出して、自分を被害者だ!とふるまうオタク、本当にありえない。
正直、本気で注目を集める記事と、そうでない記事との差がわからない。
おおよそがどうでもいいことを淡々と綴って、たいした内容もなければ結論も曖昧。
長々と助長に書いた癖に、最後まで読むと言いたいことは結局ひとつ。
「こんな私を受け入れて」。
そして所々うけねらいの寒いつっこみなど入れるのは見るに耐えない。
「嫌なら見るな」
なんていうけれど、変質者が陰部を多くの人にさらして「いいね!」を大量にもらっている状態を思うと、どうしても気にはなる。
たくさんの人に読まれてスターをたくさんもらったりブックマーク多いのを見て愉悦に浸っている姿を思うと、もう本当に虫が走る。
あああああもうなんなんだよ2おうぇお4うおwmぽd膍ꫩ螝믣膩裣膏ꏣ芌
コメント欄にも指摘する人がちらほらとはいたけど、このウチワの雰囲気への同調を確かめ合って盛り上がるこの様子。
結局はてなーも、嫌いなのは「反いじめや反差別の理念を武器にして殴れる相手」で、「いじめや差別をするときに湧いてくる空気や感情」自体は大好きなんだな、と。
私はこの分別のない子どもの残酷さが醸し出すような空気・感情そのものが嫌いなので、受け付けない。
今回はたまたま対象が安倍だったけど、今回のお題の右と左が反転したような場合でも、その集団から湧き出る空気はまったく同質なので、同様に反吐がでる。
Twitterでは、ちょっとタイムラインをいじれば日常的にみられる光景だ。
増田でもこんなのが伸びるんだね。
ふーん。
その友達とはネットで知り合った。リアルで会った事はないけど、付き合いは長い。
その子は年齢詐称でなければ私と同じ20代で、今は無職らしい。加えて承認欲求と自己愛が異常に強いメンヘラちゃんで、虚言、自己中心的、ヒステリー、嫉妬で他人を貶める…など数々の問題行動(?)を頻繁に起こすから色々なコミュニティで揉めては孤立って流れを過去に何度も繰り返してきた。twitterでも自傷や自殺願望をほのめかすとかの病みアピールがしつこいとかかまってちゃんすぎるとことかそういうので嫌われて孤立→垢削除→転生を繰り返しているような子。私はその子の性格が本当に、反吐がでるほど嫌いなんだけど、それでもずっと友達づきあいを続けてる。理由は単純。隣で見ていて気持ちがいいから。
実は私も昔からメンヘラ気質なところがあって、実際高校生の頃付き合っていた先輩に二股をかけられてた時は自傷行為がやめられなかったし、でも精神的に依存してたから別れるのは嫌でずっと粘着して嫉妬して、毎晩しつこくLINEしたり束縛したりとか本当に相手の気持ちを考えないような嫌なことばかりするゴミみたいな女だった。社会人になって二年しないうちに上司から毎日嫌味言われたりただただ不快なだけのいじりがしつこくて辛かったっていう他人から見たら本当につまんない事でメンタルやられて仕事一回辞めちゃったし、その時発症した精神疾患がまだ完治できてなくて今の職場でも薬のお世話になりながら働いている状況。人見知りが激しいのが大人になっても直せなくて友達も指で数えるくらいしか作れてない。高校の頃のことがあって男性が苦手になって以来彼氏がいない…って言い訳してるけど、本当は自分もメンヘラだし嫉妬深いし十分気持ち悪くて最低な女なのに人間不信になったとか言って一方的に男性側のせいにしてるだけなんだって分かってる。
私はそんなクズみたいな人間だから、どうしてもその子に自分を重ねると安心してしまう。もし私が仕事を辞めてひきこもったままだったり、人目を気にすることをやめて自堕落に肥え太ったり、人の気持ちを考えたり空気を読むことを放棄して自分のエゴばかり他人に押し付けるようになった結果の姿、最底辺まで落ちぶれた私の末路みたいなものが今の彼女の姿なんだと、最近はそう思っている。シュミレーションとかテストケースみたいな感覚になるのかな?だから、ちょうど実験体みたいな彼女がどんどんダメになって荒んでいく姿を見たら凄く気持ちいい。それかもしくは他人のはずなんだけどその子が苦しむことが一種の自傷みたいに思えて、なんだろう、見てて心がすっと晴れるような気持ちになる。
あの時再就職の為に努力をしなかった場合の私や、メンヘラをこじらせたままの私が今こんなネットでも嫌われ者リアル社会でもゴミ同然の扱いをされて親にすら見放されたヒキニートになってる、でも私はそうじゃないし、絶対絶対そうなっちゃいけないって思える。だからどんなに辛くても仕事頑張るし、あの子みたいに自分勝手に人を悲しませたり虚言を繰り返すような真似はしない。拒食症もカウンセリング通って治したし、人見知りでコミュ障でどれだけ苦痛でも絶対ひきこもって現実逃避するような真似はしない。毎日自堕落にゲーム三昧で体重70kgオーバーお風呂は数日入らない部屋は汚いほうが好き、なんて恥ずかしい女性には絶対ならない。
散々ヒドイこと書いちゃったけど、自分の嫌いな部分を全部ごった煮にしたような彼女の姿が、こんな自分から脱却したいっていう強い気持ちをいつも与えてくれたから今なんとか社会復帰して頑張れてる私がいる訳で、そう思うとあの子には感謝してもしきれない。あの子と知り合えたお陰で私はいっぱい変われた。私の代わりに失敗してくれてありがとう。変わる努力をしなかった場合の私の姿を人生ドブに捨ててまで私に見せ続けてくれてありがとう。貴女と出会えて本当によかった。これからもずっと友達でいようね。大好きだよ。
1月21日に卒業した彼女が、SNSで戻ってきた。しかも、彼女の誕生日に。
とても喜ばしい。元気そうでよかった。心底そう思う。
けれど、どうしても受け止め切れなかった。うれしそうなTLに少し、心の距離ができた。
いつのまにか、ただただ喜んでいたツイートに混じって、受け入れられない人間を批判するものが出てきていた。
どこかで、なにかあったのかもしれない。それは知らない。
水をさされた気分になったのはわかるけれど、それが極論化して、攻撃性を帯びてきた。
そういう言説になって大多数の人間がそれを正義と信じているようだ。
疑問を呈すことすらダメなのか。
彼女が卒業するときは、みんながみんないろんな意見があってしかるべきとなっていたはずなのに。
なんで待ってあげないで、攻撃するんだろう。
グループを守りたくて、彼女を批判してる?なんでそうなったのかわからない。
受け止めきれない人間を批判して、彼女を守ろうとしているヤツに笑顔の天下なんて語られたくない。
そう受け止めるのはきみたちがそうであってほしいからでしょう。
たしかに、彼女は無闇やたらと批判の矢面に立つことがままあった。卒業自体ですらもそう扱われた。
それは業腹だったろう。
好きなひとを悪く言われることはだれだっていやだから、過敏になるのだろう。
でも、先手をとって守ろうとして、行き過ぎてないか?
知り合いの緑推しが楽しそうにしているのはとても、とてもうれしい。
そことは違うところで、叫んでいる。
普通の定義が人それぞれの中、その範囲でみんな自己解釈しているのに、定義の枠からはみでた他人を非難して、グループの名前の下批判していることに反吐が出る。
くだらない。
それはそれとして、彼女の自己表現なので好きにしてくれ。というかそれ自体は楽しみだ。
先日、ツイートであった警備員に緑消してください、と言われる場面を目撃したというレポ。
「悲しんでる中、ひどくないか」
そういうところだよ、きみたち。
どうしようもなく悲しかったのだろうと想像するしかない。そういう立場だ。
でも緑推しとは比べられないかもしれないけど、他推しだって悲しんでいた。
まだ推しがいるからいいじゃないか、と言うが、卒業を選んだのはお前らの推しだ。
間違いなく、それは言い切れる。悲しくてもやりきれなくても、彼女は卒業してしまった。
なにかあったからと冷静さを欠いて、他推しに絡むのはお門違いと言っておく。
そのことも私的にまだ尾をひいていた。
ただ本当はこんなこと言いたくなかった。
物事をどう受け止めるかなんて、実際にはひとそれぞれで。
卒業に際して、他界を選ぶのも、ヲタ卒を選ぶのも、推し変を選ぶのも本当にひとそれぞれだった。
ネガティブな意見を見たくないのは当然だけど、彼女を守るために手段を間違えていないか?
難癖つけてきている!といきり立ったとしても、その非難は難癖じゃないのか?
今回、そう思うような意見ばかりのTLにつかれた。
個人的に、現状で「普通」の女の子が公式発言するのも成りすましをかいくぐろうとするのも意味がわからない。
オタクのために、と言うけれど、なんでわざわざオタクのこと考えなきゃいけないの?
それだったらそれでいい。はよしてくれ。待っている。
オタクに向けた言葉も、彼女らしいとは思うけど、残酷だなと思う。
その彼女自身の優しさを求めているオタクに、救いの手を差し伸べる意味もわからない。
そう思ってしまった。
そういう考えの下、どうしても、うまく処理できなかった。
自分のバイアスあるのは事実だけど、全員が全員そういう個人の主観はあるはずだろう?
それなのに一方の意見が大多数の共通認識であるからと、正義感で殴ってくる。
なにはともあれ喜べよ、と。
宗教かよ。
まあ民主主義国家だからしかたないね。大多数が正義。それでいいよもう。
どれを読んでも飲み込みきれないし、納得できるだけの答えは見つかっていない。
そういう宙ぶらりんな感情を、本人が出てきてくれたのに心のスキマを埋められなかったことを、嘆きたかっただけなのに。
誰かのツイートでなにかあったのかな。
疲れすぎて掘ってないけど。
もちろん、単なるアンチ発言やソロ活動を嫌悪する人間もいるだろうけど、でもそれといっしょくたにされることが大変遺憾だ。
上記のことを言う人間は彼女のことが嫌いなのだと一方的に見なされるのが、心底イヤなだけだ。
なにを言ってもたぶんこの件に関してはアンチ扱いされるのでしょうけど。
でも、最初からそうだったわけじゃない。いろんな言葉に振り回された。
うん。
他推しの言葉は、きっときみたちを完全に理解していないし、無神経だろう。
どんなに言葉を尽くしても、きっときみたちを傷つけるだろうな。申し訳ない。
でも、傷ついた!と言って緑推しが殴ってくることに、どうしたらいいんだろう。
どんな発言も、きみたちの顔色を窺わないといけないのかな。
だったら緑推しとその意識を賛同する人間だけのコミュニティにでも篭っててくれ。
この世界で一番多いのは、緑推しでも他推しでもなく、無関心なくせに口やかましい、オタクじゃない人間なのに。
もしかしたら、そういう人間が、なんで公式つけるの?わざわざやる意味あるの?ふーんわけわかんない。そういう反応をするかもしれないのに。
なぜ、狭い範囲でちょっと反対意見が出ただけで過剰とも思える反論が噴出するのだろう。
ひっかかってしまった自分を責めた気持ちで、TLを開いても、15日からこのことが流れてくる。
そんな極論は一部のひとたちだと言われても、あちこちでいいねが押されている。
結局飲み込みきれない自分を抑えればいいのだけど、飲み込めない。
こんなこと言うと、お前が悲劇のヒロインぶってるだけじゃねーかと言われるだろうけど。
本当に、ごめんなさい。
しんどい。
匿名掲示板とかじゃなく、それなりにしっかりしたレビューサイトで見かけるから、それが使ったらいけない言葉だという認識がないんだろう、クソ男が。
頭が悪いからポリコレの概念がなく、無自覚に差別発言を使ってくる、典型的なクソ男。
なぜ、こんなにもクソ男が多いのか、この国は。
どいつもこいつも、足りない頭で、差別発言をそこまでの悪意がなく使ってくる、死ねばいいのに。
クロンボとか、堂々と使ったらいけない、と、わかってるんなら、女にまつわる蔑称も使ったらいけない、と、わからないのかな??
女を見下しても非難されない、女性蔑視が当たり前の国だから、それに慣れきって、甘えきって、堂々と使ってくるんだろうけど、死ねばいいのに。
同じように男に使える蔑称がないしな、その非対称さも腹立つ。
ヤリチンは対義語にヤリマンがあるから違うし、ビッチの対義語ってなんだ、あるのか?
男だと肯定的な表現が多いのが反吐が出る、遊び人だとかプレイボーイだとか。
そんな、男に都合が良い呼称じゃなく、ビッチと同じような蔑称が欲しい。
女の蔑称は多いのに、男への蔑称が少ないから、もっと作っていかなきゃ、クソチンコ、腐れチンコ、チンコ関連しか思いつかない…
一番しっくりくるのがクソ男、だなー。
基本的にクソ男ばかり、たまにマシな人間がいるけど、ほとんどの男がクソ男。
ミソジニー男、全員死んで欲しい。
逆にいうけど、あなたはあなたでナウシカに肩入れしすぎている。
墓所側の言い分はどうなんだ。
人類の行きつく先として巨神兵や王蟲を作るほどの高度な科学技術を手に入れたが
ヴ王やナウシカの好む人間としての闇が強すぎた結果、滅びの道に進んでしまったのが旧人類ではないか。
滅びに進むにつれて旧人類はナウシカたちが想像するよりもずっと大きな絶望と失敗を繰り返した。
ナウシカのいうような「血反吐を吐いてまで」という経験は旧人類側はもう既に十分すぎるほど経験している。
墓所側の歩いてきた歴史を信じられないし、同情もできなかった。
血反吐を吐いて進んだ道の答えが新人類であり、現生人類たちが例え環境に適応し生き残ったとしても、
まったく徒労でしかない。
人間性の闇を捨てる計画を立て、自分たちで破壊した環境を取り戻すために尽力した行動と選択は、全部旧人類の流れた血によってつくられている。
神の視点に立たずともナウシカには墓所側の行動と動機を推し測るだけの情報は十分すぎるほど得ている。
ナウシカのエゴが贔屓されたのは、それは自分たちに向いていたからだ。
ナウシカは自己犠牲や時には反知性的な犠牲行動を、「良い」と思ってやっている。
やりたいから、やっているだけであり、その行動の結果がどうなるか推し測る能力にたけているわけではない。
トルメキアの兵士を怒りに任せて殺した場面でも仲間をより危険にさらすだけだ。
それが残っていては計画が水の泡になる。
旧人類は徹頭徹尾、新人類を次の星の覇者にしたいのであって、現生人類はずっと捨て駒としてしか見てない。
だからこそ武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あの時点で武力衝突するのは当たり前のことだし、それで和平が成立しないというのも早計すぎる。
交渉は戦争が終わってからしかできない、墓所と現生人類の戦争はあの時点では何も終わっていない。
むしろ墓所側からしてみれば現生人類が約束を守ってくれるなんて信じられるわけがないんだから。
真実を話せば殺される、なら戦うまでだろう。
実際その予想は当たっていてナウシカという現生人類に殺されたわけだ。
それもまた思い込みにすぎない。
旧人類の計画では新人類は現生人類が死滅した浄化された世界ではじめて活動を再開する生き物であって、
それが一体新人類にどういった影響を与えるかはそれこそ神ですら分からないことだ。
完全に未知の領域であり、王蟲のようによりよい変化が起きる可能性もあるし、
そういった可能性のある未来を確かにナウシカはあの場で殺したのだ。
ナウシカは道化との問答で自然に生きて自然に死ぬべきだといっていたが、
それはナウシカが産まれるよりずっと前から存在し何百年も経過した後の結果である、
王蟲の心という、それこそ旧人類の計画で産まれた上澄みだけを掬い取って悟ったつもりになっているだけだ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。
人々はナウシカを見て心動かされるかもしれないし、ナウシカのおかげで助かった人間もいる、
だがそれは、そこまでは正しかっただけであり、この先もナウシカという暴力とカリスマが正しくあり続ける保証などない。
ナウシカの聖人性の反証として最後の新人類虐殺があったわけだ。
人間性の闇に疲れて果てた旧人類側からしてみれば成し遂げられそうだった計画を台無しにして、
生みの親どころか抵抗すらできない子どもを殺す悪魔でしかない。
あの世で彼らは環境変化を生き延びた現生人類が再び科学技術を再興し、二度目の火の七日間に進むまでじっと見てるだろう。
現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。
しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
誰もが森の賢者のようにはなれない、それを実現しようとしたのが墓所の願いだった。
ナウシカを読んだからこそ、愚かな人類と決別しようとした旧人類の思考を理解できるし、
楽しむって…
ラノベって他のラノベのネタをパクってアレンジした内容ばっかじゃん
散々使い古されたような設定のマイナーチェンジの間違いだろ
ネタをパクるのは100歩譲って、せめて予想を超えるような話にできないのか
と、こういう要求をすると安易な逆張りをして高年齢高校生の目から鱗が落ちる
ウンザリなんだよ
登場人物はみんな主人公に優しくて言いなりで何だかんだで助けて
すぐ解決できるようなクソしょうもない問題をぶら下げて主人公をヨイショする
何やったって根本的なところはそこから一歩も出れない産まれたときから死んでる話だよ
大抵が礼を書いてる、特殊能力以外は糞雑魚なくせに態度はデカい
それに感動して股を濡らすヒロインたち
お人形遊びがしたいならラノベ何か書かずに読まずにリカちゃんシリーズでも集めれば?
卒業のときにラノベと違って限定品なら高く売れるかもしれないし
俺登場漫画ってネタと同じで本質的に俺が特殊能力受け取って異世界で無双する現実逃避コンテンツから一歩も進んでねえから
どれだけ妄想の世界にいきたくてもお前は転生なんてされねーよ諦めろ
下手な言い訳もすんな
自分が一番よいと思うことをするのはとてもいいと思う
自分にとってのよいことが他人にとっては反吐を吐くようなことだったりするのを目の当たりにするときもそのうち来ると思うから、そしたらまたつらつら考えてみるといいんじゃないかな
何が人間の身体の可能性の追求だ、本音ごまかして世界平等同じ立場で仲良しこよしのスポーツ大会なんて反吐が出るわ。
みんな究極の速さと力を求めてるんだろう!!??見てる方はこいつ怪我しねえかなこけねえかなあの国ぶっつぶせとか思ってんだろ!!??
こちとら一瞬の栄光のために祖国のために力をだしきって死ぬ、そんな本気のスポーツが見たいんじゃ!!!!
だからドラッグドーピング肉体改造洗脳なんでもありで人間の限界見せてくれや!!!!!
アメリカも最初は反対ですなんて優等生ぶってるけど中露の技術革新見たら焦って参戦してえぐい選手だすんだろうなああ
日本はヒロポン打って頭は戦時中のバーサーカー、体はサイボーグみたいなのでがんばるんやろうなぁあああ
みてえええなあああ
なぜもどきという表現を使っているかというとそのチケットやグッズ等をはじめから転売目的として購入していないという点にある。
チケットの場合は良席に入りたいから何人もの友人、先輩、後輩、知人、家族等に頼み込んで申し込みをしてもらい、当選したチケットを回収し、一番いい席で入って残りは売る。もしくは全て席が悪かったり納得する席がなかった場合は全て売って良席を買う。
グッズに関してはとりあえず自分の推しが高レートの場合は交換の交換をしてでも必死に手に入れて集めまくって無理そうになったら残りを売る、もしくはプレミア価格になりそうなら、後々交換で使えそうなら使えそうなキャラを数個だけ残して使えなそうなキャラや使えそうなキャラでも何個から売る。そして推しを新たに買う。
そんな生活をしている。
どちらにも共通しているのは余ったものを「売る」と「買う」という点にある。
この「売る」ことはただ定価で売る訳ではなく相場価格で売っている。
基本的に相場価格となると定価以上が基本でチケットにせよグッズにせよ高ければ定価の10倍以上で売れることだってある。
「買う」ことは「売る」をしているものを買うのであるから当然相場価格となる。
「売る」行為を世間では転売と呼んでいるなんて最近まで知らなかった。私は元々それを目当てに買っているしフリマアプリ等で出ている価格だって全て同じような価格である。
元々の目当てがそのチケット、グッズであることと周りが皆その価格で出しているという同調意識が私を転売という行為をしてきるのだと気づかせるのが遅くなった原因である。
しかし、私はこの転売をやめようと思わないし転売から買うことだってやめない。どれだけ批判がこようとも全ての抜け道が塞がれて自分のチケットでしかはいれないようなコンサートや舞台、イベントになったらやめるだろうが。
グッズに関しては転売規制なんて不可能なんだからやめないと思う。可能性があるならグッズを買うことをやめた時くらいだろう。
なぜかやめないのかというと理由は単純で良席に入りたいしグッズが欲しいからである。
私は強いオタクだ。
オタクに強い弱いなんてないという人間とは根本的価値観が合わないので読んでいて不快に思うだろうが容赦して欲しい。
オタクの強さが何で決まるかというと、アイドルや俳優といった3次元ではどれだけ公演数に入ったかという回数、前列、0ズレ、花横といった良席、ファンサされた回数、認知、オキニ、プレゼント、等々がある。
人気な公演に自チケかつ良席で入るなんて難しい。それに回数も合わされば全公演分のチケットを自チケだけ集めることは極めて困難である。
そこで使うのがチケットサイトやツイッター等のSNSを利用して行われている転売である。良席だから勿論正規の価格ではない。だがお金を少し(少しではない時もある)かけただけで良席に入れるなら入るしよりいい席で推しを見たいし周りのオタクにマウントをとりたい。私が彼にとって一番であり特別になりたいし周りからもそう見られたい。そのためならお金をかけることは苦なことではない。人気公演のチケットを買う時だって同様である。
だから転売から席を買うしその席をだしてくれる人には恨みこそせず感謝の気持ちでいっぱいである。
私は同担拒否だ。そのせいもあるだろう。行きたい人にチケットが行き渡って転売がなくなって自チケでしか戦えない世界になるのなら今のままでいいと考えている。
推しの一番になれる今がいい。
余ったチケットだって2連以上や一応友人には声をかけるが断られてかつ余った場合に相場価格で出しているし人気公演の場合は必死でとったチケットを定価なんかで譲りたくないのだから相場価格である。そして相場価格で良席を買う。
グッズに関しては推し以外いらない。まず推しキャラ以外に興味が無い。人気順は交換レートとして把握しておくけれど一番人気のキャラは交換できるから交換した後の推しキャラに見えたり、低レートキャラの抱き合わせ対象、お金としか見えない。
低レートキャラに至ってはため息しか出ない。推しになったらもうけもん。まずならないから必死に交換を探して無理なら高レートキャラと抱き合わせか単体売買。
価格はだいたいが時価だからみんなが出さないうちに売ってしまえばより高額で売れるからさっさとだす。そしてその売上で推しを買い足す。
むしろ捨てるより全然マシだと思って欲しいくらい。流石に捨てるのは心苦しいという痛みを感じる感情くらいはある。
強いオタクにはお金が必要でお金の分だけいいチケットが買えてお金の分だけグッズが買える。
"他のファンのことも考えろ”というのがお金をかけないファンや弱いオタクがいう言葉だ。
ここではっきりと否定しておくが他のファンなんて死ぬほど嫌いだから存在して欲しくないんだよ。
お前らのことを考えてる暇があったら積んで積んでより推し、自担に有益なことをするし構ってほしい、一番になりたい、特別になるための1歩を進みたい。
でも今の私だけでは推しや自担、公式に続けていってもらうだけの財力はない。だからかろうじて存在することは認めたくないが認めているような状態だ。
グッズだって結局はどれだけレアものを持っているか、痛バについているか、痛バのデザインや並べ方の綺麗さで評価される。
均等に推しのファンに渡るくらいならどれだけ否定されようと自分で推しを買い占める。
積めないならその程度の愛ってこと。
転売ヤーがいたから買えなかった等の言い訳をしている暇があったら対策をとって実行すればいいし無理なら金をかければいい。
相場価格すら出せない人間は強いオタクになれないし同じフィールドにすら立っていない。
転売価格=その人、その公演、キャラの価値である。人気があればあるほど価値も価格もあがるしその人、公演、キャラのおたくも強いオタクが増え、ふるいにかけられていく。