はてなキーワード: 占拠とは
数年ぶりに風俗に寄ろうと考えた。エロ動画で抜いてばかりだとつまらない。
歓楽街に乗り換えられる駅で途中下車して、前々から気になっていた抜きありマッサージ店のサイトを開いた。ここの系列は優良店が多いので、はずれはないだろうと思ったのだ。それにデスクワークだと首を上に向けるだけでぽきぽきと音がして、肩甲骨を合わせるだけでぱきぱき鳴る。普通にマッサージしてもらいたいという側面もあった。
しかし、いざサイトを開いてみると、どの女の子も閉店まで予約が埋まってしまっていた。さすがは優良店だ。職場は終業時間が遅いし、午前中に予約しておくべきだったのだろう。とはいえ、仕事中にムラムラしていても終業後は憑き物が落ちたようになってしまうのもしばしばだ。職場での不意の性欲は、本当に性欲を感じているのではなく、現実逃避をしたがっているだけだ。
それはさておき、どうしたものだろう。個室ビデオ屋のVRで抜いて帰るか、乗り換えてストリップショーに初挑戦するか、いっそのことバニーガールバーを新規開拓するか。半時間以上迷いながら駅前をうろうろしているうちに空腹になったので、外食にした。
ちょうどテラス席のあるイタリアンが空いていた。シーフードサラダとアラビアータ風のパスタを注文した。少し時間がかかったが、のんびりできてかえってよかった。ここで夜風を感じながら十分待つのと、家でスマホを見ながら十分だらだらするのとでは、前者のほうが有意義に感じる。何もしてないのに、何かをしているよりも、何かをした感じだ。
シーフードサラダは自分の嫌いな小さな魚卵が入っていたが、あまり気にならなかった。それにしても、人の流れを眺めながら食べるのはいいものだ。家にいるときは家事をするか何も考えずにぼーっとしているかだ。家でぼんやりして無になっていると疲れが取れるのだが、そのうちぼんやりするのに飽きて虚無感を覚える。だが、こうしていつもと違った場所で何も考えずにいるのは久しぶりで新鮮だった。同じ無になるにしても、たまには場所を変えたほうがいいらしい。
そこで前の席を眺めているとカップルが座った。しかし注文する様子はなく、男はパソコンを広げ女はバッグから取り出したオレオを食べている。席を不正に占拠しているのではないかと不審に思って店員にメモを渡して尋ねると、別の店員だとのこと。休憩時間だったんだろうか。こんなところで休むとは、店の奥は狭くて休めないのに違いない。
で、夕飯を平らげてぼんやりしているともうラストオーダーだ。水のおかわりだけ頼んだ後、やはり紅茶を追加しようと思って店員を呼び留めようと思ったのだが、聞こえなかったらしい。なので、紅茶をあきらめて水一杯で行きかう人々をもう少し眺めることにした。見上げると高速道路が道路をまたいでいる。目の前にキャバクラの宣伝をする大きな画面がある。ここはそんな雑然とした場所だ。静かなところで仕事がするのが好きな割に、こういう騒々しいところも案外気に入ってしまう。最近は家と職場の往復ばかりだった。週に一度くらい外食して帰ってもいいのかもしれない。
ぼんやりするのに飽きると、また風俗店の情報をスマホで調べだした。このイタリアンの裏手にはソープランドがある。最近リニューアルして嬢がバニーガール姿で迎えてくれるようになったらしい。ちょっと開拓してみようかと思ったが、ゴムなしも可能な店らしい。いわゆるNN、NSだがそれはちょっと怖い。数年前性病検査をしたのに、またわざわざリスクの高いことをしたいとも思えない。じゃあバニーガールバーかと思ったが初対面の女の子と話すのはちょっとだるい。
ところで、なぜバニーガールバーに行こうと思っているのかというと、とあるバニーガールバーによく行くのだが、そこのレオタードがハイレグ過ぎて、そこまでハイレグじゃないバニーガールの店を探しているからだ。しかし、急ぐ話でもない。
本当は別に会話がしたいわけじゃなくて、バニーガールをただ眺めていたいのだが、エスカイヤクラブに入るほどの地位があるわけではない。横浜駅のホテルの12階にバニーガールが接客するレストランがあったのだが、行く前にコロナ禍で閉まってしまった。行っておくべきだった。惜しいことをした。
さておき、女の子と話すのもだるいとしたらストリップショーはどうかと思ったが、こんな時間に電車にまた乗り換えてストリップ劇場にまで行くのも面倒だ。ああだこうだ考えているうちにそろそろ店を出る時間になった。面倒になので、そのまま帰宅することにした。
今度の有給こそはマッサージかストリップに行こうかと思う。いや、あのシチュエーションが良かったM性感はどうだろう。そう思いつつ、面倒くさくて結局何もしない気がしている。
10分間、生き抜くことだけを考え、耐えた。
3月28日、午後9時すぎ、ロシア軍が占拠したウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊のチェルニヒウ州の村。オクサナさん(30)=仮名=の自宅の青い鉄扉を開け、泥酔した様子の男が入ってきた。目出し帽をかぶったロシア兵だった。
「俺の相手をするか、殺されるか。どっちがいいんだ?」
ウクライナでも使われた「武器」としての性暴力 侮辱する戦略的意味
2週間ほど前、自宅の捜索に来ていた男だった。そのとき、男はオクサナさんを見て、「きれいな女だな」と、不気味な言葉を残していた。
ライフルを手にした兵士には…https://ceron.jp/url/www.asahi.com/articles/ASQ6R31T1Q6GUHBI03D.html
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、私は自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。
太古からの一般論としては、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していくものだ。
でも、ここ数十年の変化の方向(ポリコレと呼ばれることが定着したもの)が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
「自分が救ってもらえないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろ」って言いたくなる人もいるだろうけど、しかし、ちょっと声をあげた人も民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りと考えるのはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。
昔よい関係だった人からいきなり連絡がきて心踊った数秒後、NFTスニーカー(?)で稼げる「STEPEN」なるものを勧められてビチグソな気分になったぜ。もちろんNFTってマルチやらウンコ商材系と同様に否定できるものではないことくらい分かるのよ。でも、マルチやらって金の巡りがなんとなく分かっちゃうから明確にヤバいけど、対してNFTってマジで分からんから明確にヤバいと言えないヤバさがあるっていうか。「この穴から無限にワタアメが生成されています。美味しいので食べませんか?」。食べねーやろ、普通。つーかNFTスニーカー?ってやつは初期投資でウン10万円必要らしい。アホか。俺は5000円以内のスニーカーしか買ったことがないのに、どうして電子上のスニーカーに10万円払えるのか? てかそもそも歩けば歩くほど金が稼げるってなんだよ。はぐれメタルからドロップするタイプの例の靴でも稼げるのは経験値なのよ。俺ふつうに怖いよ。歩いていたらお金もらえましたって。説明してくれよ。「私素人だけど意外とできた」って、お前も説明できねえんだろ。てかマジでNFTとかWeb3とか言ってる人全員こえーよ。大真面目に無限ワタアメの調査をしている人なんかわずかで、ワタアメの泉の周りの土地を占拠してミカジメ料取ってるやつしかいねーもん。893です。あとその子に関してまあまあ余裕があってやってるのなら、あら〜酔狂なことですなあと思うけど、金なさそうなのにワンチャンかけて手出してるっぽいのがマジやばいなと思う。いいんだけどさ、人のことなんだけどさ、その度胸って異常だと思うのよな。稼げたらいいですね……僕はチキンで貧乏でいいですが……。そんな感情になりつつも、まだまだ性交のチャンスを求めるチンポコカメ太郎は、「俺には分からないけどすごいな〜」とフワッフワのワタアメみたいな返事をした。
仮に台湾有事が起きて台湾島が中国軍に占拠されたら、次は沖縄列島の島々が最前線になるだろう。
現在進行形で行われているウクライナ戦争を見ていると、沖縄列島がどのような経過をたどるか想像がつく。
ウクライナ軍は、首都キーウと第二都市のハルキウだけは、何が何でも死守した。
この二つが無くなってしまうと、ウクライナという国自体が危うくなるのでそれはわかる。
しかしウクライナ東部のドンバスやヘルソンなどの周辺州はどうだろうか。
ウクライナ東部については、かろうじてウクライナ側が戦線を維持しているが、最終的にどちらが勝利するかどうかは未定だ。
ロシアとの停戦交渉では、東部都市のどれかを取られてしまうかもしれないし、ウクライナ側もそれは覚悟しているだろう。
要するにロシアと停戦するために、譲歩するための「捨石」である。
海外「このままでは日本に勝てない」 日本の漫画がアメリカ最大の書店を占拠する事態に
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4187.html
Twitterでこういうのが流れてきて、日本の漫画はずっと昔からアメコミなんて目じゃないくらい売れてると騒いでるのを見たけど、そこまで人気ならハリウッドで映画化されるのがアメコミばかりなのはなぜだろう。
ハリウッドが実写化してくれたら実写化の最大の障壁である金髪ヅラとかショボすぎるCGとか全て解決、アメコミファンにはハリウッド実写化普通に喜ばれてるわけじゃん。
進撃の巨人とかジョジョとか鋼の錬金術師とか日本で作られるから見たくないのであって、ハリウッドで巨額の予算投じて作られるならみたいよ。
前日よりも人の出が少ないようだった。広場にあったワンタッチテントの数も前日の半数以下だ。だが、駐車場の空きは少なかった。隣接のサッカー場で子供のサッカーチームが試合をしていたので、公園の駐車場がその関係者達に占拠されてしまい、他所から公園に遊びに来た人達は、駐車出来ずに諦めて帰ったのかもしれない。
前日は公園に着いたらまずは敷地内をぐるりと一周散歩したが、この日は真っ直ぐ管理事務所に入った。「鯉とカモの餌」を三つ買う。300円なり。上の子と下の子のぶん、そして私のぶんだ。
池の周りでカモに餌やりをする人々やザリガニ釣りをしている人々も、少なめ。連休最後の日はインドアに過ごしたい人が多いのだろうか?
前日にはいくらか居た鯉の姿があまり見えない。カモは前日と同数くらいいるが、同一カモかどうかは不明。
私と子供達がカモに餌をやっている間、夫が池の周りをぐるりと回って鯉の様子を見て来た。夫によれば、鯉は燕子花の間により集まっていたそう。鯉は、産卵に忙しくて餌どころじゃないらしい。
産卵があろうがなかろうが、この池の鯉は何故か人に餌をねだることを全くせず、人影に向かって寄ってくることもない。昔からそうなのだ。「鯉とカモの餌」は実質「カモの餌」である。
連休中、人々の投げ寄越す餌にカモは飽きてしまったのか、前日よりも食い付きが悪い。食い付きが悪いと、子供達はむきになって餌を次から次へ、なんなら鷲掴みで一度に投げつける。面倒臭そうな仕草で、カモは泳いで行ってしまう。
前日に学んだ通り、カモは真正面に落ちて来た餌にはあまり反応しないので、横か、なんなら背後めがけて投げるのがよい。一粒ずつ投げて、食べたらより手前の方に投げて、少しずつカモをこちらの方に誘き寄せる。……と、言い聞かせても、子供達の逸る気持ちを宥めるのは無理なので、子供達がやたらめったら投げて全部外しているうちに、背後から私が投げて、カモ達をこちらに誘導する。
公園のカモは人慣れしているが、それでも野鳥なので、決まったセーフティーゾーンを越えて近づいてくることはない。一番寄って来て、岸から1.5mくらいの所。だが、それだけ近づいてくれれば、子供の手で投げた餌でもカモはもれなく拾ってくれる。
カモを岸に寄せたら、私の役目は終わりだ。早くも手持ちの餌を投げきってしまった下の子に残りの餌を手渡し、子供達の隣にしゃがんでカモを眺めていた。
やがて二羽いたカモのうちの一羽が、人間の相手をするのに飽きたらしく、水面に浮いた水草の根で遊び始めた。猫がねこじゃらしにじゃれつく時のように、根っこの切れっぱしを仮想敵とみなしてつつき回している。するともう一羽は反対方向へとすいすい泳いで行ってしまった。
よく、水辺の白鳥の姿は夕方だが、水面下では白鳥の足はジタバタと不恰好に水を掻いているという。だが、カルガモ達が水面をすいすい行く時の足の動きは優雅で無駄がない。茶色と緑の入り雑じった泥水の中でも、カモの足のオレンジ色は鮮やかに映えている。
子供達は橋を渡って池の向こう岸へ行き、別のカモのコンビに餌をやり始めた。私と夫は日陰に入り、また別の二羽を眺めた。なんと、二羽のうちの一羽がうたた寝をし始めた。私と夫の他にも人間がいくらかいる、その前で、自らの羽の合間に嘴を突っ込んで、うつらうつらと目を閉じたり開いたりしている。警戒心がだいぶ薄れているようで、風に吹かれるままに岸辺に流されて来て縁に敷かれた石にぶつかりそうになったところで目を覚まし、いそいそと池の中央に戻っていく。だが、しばらくするとまたこちらに流れてくる。カモ達の、ここに来る人間達への信頼度は半端ない。
あまり昼寝の邪魔になるのもなんなので、こちらから遠慮して岸を離れた。池の中央にかかった橋を通ると、水面に亀がひょっこり顔を出していた。種類はわからないが、外来種ではなさそうだ。どう見ても、こっちを意識している。子供達を呼び寄せて、亀がいるよと教えてやると、子供達は亀に餌を投げた。すると亀はカモよりも機敏に餌を追いかけて食べた。だが、カモほど食欲が底なしではないらしく、いくつか食べただけでくるりと身体の向きを変え、泥水の中へと姿を消した。
対岸で、子供達がカモに餌を投げるのを見守る。子供達はやはり闇雲に餌を投げるばかりで、大人のようにテクニックを駆使してカモを手懐けることは出来ないようだ。それでも、力技で遠投した餌をカモに拾われて喜んでいる。
二人の少し後ろに、三歳くらいくらいの男の子がとことことやって来た。手には餌の袋を持っている。だが、まだ小さいので餌を遠くに投げることができない。男の子は、うちの子供達が餌を投げているのを、恨めしそうにじっと見ているだけだ。そのまた背後に、父親が心配そうな顔で着いている。うちの子供達が邪魔で男の子がカモに餌をあげられないという構図になってしまっていた。なので、私は子供達に声をかけて、あっちのカモに餌をやりに行こうと促した。
池の周囲でカモに餌をあげようとしている子供の多くは、五歳以下に見える。自分の足元も覚束無い幼児もいる。彼らはどうしたらカモの気を惹けるか考えて餌を投げるということが出来ないので、節分の豆まきのように餌を投げまくった末にカモ達に完全無視を決め込まれる。ガッカリしている子もいれば、とりあえず好きに餌を投げただけで満足という様子の子もいる。
うちの子供達がその年頃のころ、私は子供達にカモの餌やりはさせなかった。うっかり足を滑らせて池に落ちることを恐れてのことでもあり、こんな小さな子に失敗が運命付けられているような事をさせても可哀想なだけなのではないかと思った。それに、その当時は池の畔に集まる子供の多くが小学生で、幼児の方こそ場違いに見えた。
だが今は、頭の重みでいつ前のめりに転がり落ちるかわからない幼児が、器用に池の縁の石の上に立ち、池の中を覗いているのだ。
うちの上の子はもう五年生で、この歳までカモに餌をやって遊ぶことをしないで来たわけだが、もうじき自分から幼児に紛れてこんな風に遊びたいと言うような年頃ではなくなってしまうだろう。少々の危険を覚悟で、もっと小さいうちから好きに遊ばせておけば良かったのではないかという後悔を感じないでもない。だが、一人で池を覗き込んでいる年端のいかない幼児が池に転がり落ちないで済んでいるのは、単に運がいいだけにも思える。
餌を全部投げ終わると、子供達は手を繋いで、中央広場の遊具で遊んで来ると駆けていった。私が子供達の手助けをする必要はもうない。遊具で遊んでいるのも幼児とその保護者ばかりで、小学校高学年の子供達はマイナーだ。十年前は逆に大きな子供達ばかりが、少数の幼児を蹴散らすような勢いで遊具に飛び付いていて、危なっかしくひやひやしたものだ。
後で上の子に聞いたところ、遊具には小さい子が沢山いるから、小さい子に出会ったら危なくないように道や順番を譲ったとのことだった。
子供達が遊具で遊んでいる間、私と夫は木陰のベンチに腰掛けて待っていた。
蓮池のところでザリガニを捕っている親子連れがいた。事務所で売られている「ザリガニ釣りキット」ではなく虫捕り網を持っている。ザリガニは釣るより手掴みした方が早いのは確かだ。
母親が威勢よく小学校低学年くらいの息子に怒鳴っている。ここぞという時に息子が網を持ってふらふらとどこかに行こうとしたからのようだ。母親は、ザリガニ捕りどころか公園遊びにも向かないようなくるぶし丈のスカンツの裾を片手で引き上げ、もう片方の手を蓮池に突っ込んでザリガニを捕ろうとしている。根っからのお転婆ではなさそうだ。そんな妻の横に立つ夫は「男らしさ」とは縁の無さそうなおっとり系だ。私の観測範囲だと、自分の息子を「男の子でしょ!」と叱る人ほどお転婆そうではなく、配偶者も大人しそうな優男であることが多い。
振り返って広場の方を見ると、上から下までスポーティーな格好の母親と、やはり上から下までスポーティーな格好の小学校高学年か中学生くらいの娘がバドミントンに興じているのが見えた。楽しそうだ。子供が大きくなったら大きくなったなりの遊び方があるようだ。私の乏しい体力では、バドミントンは無理そうだが……。
まったくその通りで、数年前ならPCを使った会議をメインでやることも少なかったから2コア4スレッドメモリ8GBのPCで全然十分だったんだよ。
でも今はOfficeだけを使うケースはあんまりなくて、Teamsで画面を共有しながらOfficeを使う。リモートワークになってるから情シスが導入を強制した監視ソフトがパワーアップしてて常に1コアを占拠していたりする。Teamsが1コア、監視ソフトが1コアを占拠しているから2コアが全部使われているので他のことをやる余裕がCPUにはなくなっている。
会議しつつ、「いま資料を出します少しお待ちください」とか言って皆を待たせることになる。そこに30秒ほどかかってしまう。自分の生産性が下がるだけじゃなくその会議に出てる全員の生産性を下げている。
監視ソフトが1コアを占拠しているがハイパースレッディングのおかげでこれが占有しているCPU使用率は25%と表示される。監視ソフトのベンダや情シスは「1/4しか使っていないので他のことは十分できるはずである」などと言っているがそんなことはなく実態としては40%くらい使っている。とにかく今の時代にはメモリ8GBで2コアのCPUでは、企業で使うという制約の下では、環境によっては仕事にならない。半分は情シスのせいだとは思う。
すごく仲がいい友人がいてほぼ丸一日遊んでもすごく楽しくて疲れないのに、泊まるとなるとホテルチェックインからチェックアウトまでしかいなくてもストレスでやられてしまう。
相手は多分泊まるの楽しいから年中誘ってきて毎回理由つけて断るけど一年に一回は「今回は大丈夫やろ」という気持ちで泊まって後悔する。よくない。
第一にとにかく気が使えない。(気が使えない人あるある、すぐ「こないだ会った人気が使えなかった」とか言う)
何も言わずに部屋の7割くらい荷物で占拠したり、部屋の椅子を独占したり、寝てる横で動画をイヤホン無しで見たり、夜中にでけー声で喋る、変な時間にパンとか食べて夕飯入らないから軽いのにしようよとか言う、コンビニからホテルまで遠いから行きがけにコンビニ寄ろうって前日に決めてるのに先にホテルに行く、「適当に買っといて」って言うけど好き嫌い多いから「食べられないものしかない」とか言う、テレビ見てたらつまらないって言うからチャンネル変えたら全部つまらないって言う、うるさいから消す?って聞いたらいいよいいよって言うけどつけといたらやっぱりつまらないってずっと言ってる、消したらYou Tubeみてた
ホテルもレストランもなんも決めてないのに「あっちのが良かったなぁ」「混んでるなぁ」とか言う、ホテルまでの道を歩いてたら通り過ぎた後に「あっちから行ったほうが良かったよ」って言う(距離も高低差も同じ)、「じゃあその時に言ってよ」って言ったら不機嫌になった、駅の乗り換えがあっちのほうが早いって言うけど自分と逆方向だからそっち乗ればって言ったらもういいよって言ってたけど電車乗ってる時ずっと「やっぱりあっちのほうが早かったなあ」って言ってた
第三に自分の行動に縛りたがる。
温泉が有名なとこに泊まったからチェックイン直後に温泉入りに行こうと思ったら「まだゆっくりしてたい」つぅから一人で入ってくるよつったらえー言うてぶすくれるからよ3時間部屋でぼんやりしてた(2敗)
あとなんかすごいジロジロ見てくる。行動値踏みしてるみたいな…うわぁとか思ってんだろうなって思うとマジイライラしてきた。
「石の卵」という本を見た子供が、内部に宝石の入った石を探したいと騒ぐので、家族で川原に行くことになった。
ところが、川辺のキャンプ場の駐車場に車を停めて川原を目指して歩いたところ、川原へ通じる小道の全てが封鎖され、「立ち入り禁止」の立札が立てられていた。
車へ戻り、堤防沿いや川にかかる橋を通過してみたりして気づいたが、連休中でしかもいい天気なのに、川原には川遊びをする人々どころか釣り人さえ一人としていない。いつの間にか、川原全体が立ち入り禁止区域になっていたようだ。
そんな訳で石拾いは諦め、翌日、市営のちょっと大きな公園に行った。お目当ては、公園の中心にある池だ。そこではザリガニ釣りと鯉に餌やりをすることが出来るのだ。
公園に着くと、まずは散歩がてらぐるりと一回り。ここに来たのは数年ぶりだが、昔とほとんど変わっていない。芝生や樹木は手入れがなされてさっぱりとした様子。遊具では沢山の子供達が遊んでいる。噴水は十分おきに水を吹き上げる。そこに水着姿の幼児達が水浴びに興じている。
変わった点はというと、芝生の半分くらいは沢山のポップアップテントに占拠されていて、子供達が走り回る場所ではなくなっていたことくらいか。
だが、ふと気がついたが、うちの子供達は既にこういう公園で遊ぶような年齢ではなくなりつつあるのかもしれない。テントの合間をぬうように走り回る子供達より、我が子らはだいぶ大きい。うちの上の子は小学五年生だ。下の子は二年生で小柄な方だが、それでもこの場所では少し浮いているかもしれない。
池に行ってみると、昔のように畔には燕子花が葉を伸ばし、浅瀬は蓮の葉に覆われている。そして、池の中央にかかる橋から池に餌を投げ込んでいる人々がいた。どうやら今も池の鯉用の餌が売られているようだ。
そこで、子供達を連れて公園の入り口まで戻り、管理事務所に入った。昔は事務所の窓口で鯉の餌が売られていたはずだ。ところが、今は販売システムが変わっていた。事務所の裏口で「鯉・カモの餌」と「ザリガニ釣りキット」がそれぞれカプセルに入れられた状態で販売されているのだ。1個100円なり。
昔、子供達がまだ幼児だった頃は、どんなにせがまれても鯉の餌やりやザリガニ釣りはさせなかった。池の深さはそれなりにあるのに、周囲に柵などが全く設置されていないからだ。子供達が池に落ちるのを畏れた。だが、今では子供達も大きくなったことだし、これからはこちらがここへ遊びに来ようと誘っても子供達の方が億劫がるかもしれない。もしかしたら、これが最初で最後の機会になるかもしれないと思った。
子供達は大喜びだ。上の子は鯉とカモの餌がいいと言い、下の子はザリガニ釣りキットを選んだ。鯉とカモの餌は思ったより多く入っていた。ザリガニ釣りキットは、タコ糸の先に小さな鉛の玉とスルメの切れっぱしをくくりつけたものだった。それを園内で適当な木の枝を拾って結び着けて使うのだ。
上の子に私がつき、下の子には夫がついた。私と上の子は池に餌を投げ込み易い、開けた場所に移動し、夫と下の子はザリガニがいそうな、浅瀬で草の陰になっている場所へと移動した。
池の中を泳ぐ魚影は、昔に比べてだいぶ少ないように見えた。だが、一匹一匹がとても大きい。昔見たのよりも全長が倍くらいありそうな錦鯉が、泥水の中を悠々と泳いで行く。上の子はただの黒い鯉よりも錦鯉に餌を食べて欲しいらしく、餌を一粒ずつ、腕を振りかぶって遠投するが、まったくのなしのつぶて。どうやら、鯉達は全く腹を空かせていないらしい。風上の方から、ふやけた餌粒がいくつも漂ってくる。
黙々と餌を投げ続ける上の子の横で、私はしゃがみ込み、時々水底に光る小魚の影や水面を漂う餌粒の合間をすいすいと泳ぐアメンボを眺めた。
「あーあ、全然食べてくれない」
と、上の子が嘆いた時だった。燕子花の葉陰から、カルガモが二羽、クワックワッと鳴きながら泳ぎ出て来、水面に浮かぶ餌粒を食べ始めた。ただ水の流れ任せにたゆたっていく餌粒を、カモはまるで生きている虫を捕まえるかのように、律儀に大げさに嘴を左右に振って、食んだ。そして、クワックワックワッと、まるで我々のことを「餌くれる人」と理解しているかのように見上げて鳴くのだ。時々田んぼの近くを散歩中に見かける彼らとは、ずいぶん態度が違う。用水路に浮かんでいる時の彼らは、人の気配がするやいなや、バタバタと飛び立ち、逃げてゆくというのに。人を見分けているというより、場所を見分けているのだろうという気がする。
間近で見るカルガモは、思ったよりも目が顔の中心よりも上にあって、しかも目付きが鋭い。剣呑な目の真ん中の瞳孔は、鳩のそれと同様に虚ろだ。確か、渡辺崋山だったか……、江戸時代の終わりごろに、師匠の絵を手習いにするのではなく、自然の花鳥風月を直接手本にして描く絵師がいたけれども、彼らの観察眼はかなり自然に忠実だったのだなあと、しみじみ思う。今目の前にいるカルガモは、私の子供時代にワイドショーで持て囃されていた、雛を沢山連れて道路を横断するカルガモの親よりも、江戸時代の写実画によく似ている。
上の子は、鯉を狙って餌を投げつけている間に投球のコントロールがよくなり、高確率でカモの真正面に餌を投げ込んだ。ところが、そういう時に限って、カモ達の食い付きは悪い。上の子の贔屓は、二羽のうちの後方にいる方で、これは前方に出て盛んにクワックワッ鳴いて餌を強請る奴よりも小柄で控えめに見えた。上の子は手前のカモに一粒投げたら、後ろのカモに二粒連続で投げた。だが、後ろのカモがきょとんとしている隙に手前のカモが自分に投げられた餌そっちのけで後ろのカモの分を横取りしてしまう。
上の子が文句言い言い餌を投げる。ぼんやりと浮かぶだけの後ろのカモと、その周りを忙しなく動き回って餌を独占する、手前のカモ。後ろのカモがこちらに真っ直ぐ顔を向けたままほぼ動かないので、真正面から見たカモの顔つきの不気味さがよく見える。ウサギなんかと同じで、目が顔の左右に着いているので、真向かいに向き合っても視線が合うことはない。カモのような鳥が真正面から絵に描かれることが少ないのは、我々人間の顔とは違う顔をしているからであり……はっきりいって、正面から見ると別に可愛くないからでもあるんだろうな。
と、考えていてふと気づいた。単に視野の問題なのだ。私は上の子に餌を一粒貰い、後ろのカモの左脇を狙って投げた。すると、すかさず手前のカモも反応したが、後ろカモは横取りされる前に餌を食べた。やっぱり、目の前に落ちた餌は、見えないので気付き難いようだ。後ろのカモに与えようとして投げた餌はちょうど、手前のカモの視界をよぎって飛んでゆく。
そのことを上の子に伝えたところ、上の子は二匹のカモに代わる代わるに餌を食べさせることに成功した。
カモ達の食欲は底なしに見えたが、少しすると食べ飽きた様子で、餌を拾うのを止めてただ水を嘴で掬って飲んだ。水を飲むときは首を真上に長々と伸ばして、軽く嘴を左右に振りながら嚥下する。
ふと、後方のカモがブルッと尻を振った。茶色い水中にあってもオレンジ色の鮮やかな、しんなりとした脚の周りを白いもやが漂っていく。
「すごい、うんちしたー!」
なるほど、カモは水面に浮かんだままで排泄をするのか。野鳥の排泄なんて、カラスが電線から飛び立ちざまに排泄をしてゆくところくらいしか見る機会がないので、いいものを見た気がする。Eテレの動物番組でも、なかなか映さないのではないか。せいぜい、ツバメの雛が親の顔に尻を向けて、ゼリー状に固まった糞を排泄して、親に糞を巣の外に捨てて貰う場面くらい。
そういえば、冬に下の子を連れて散歩をしていたら、田んぼの真ん中でアオサギが糞をしているのを見かけた。まるで水道の蛇口のように、長々と糞を噴き出し続けていた。食ったらすぐ全部排泄する。それが空を飛ぶ鳥の習性だ。
餌を全て投げ終わったので、夫と下の子の所へ行ってみると、下の子はザリガニが全然釣れないと愚図っていた。下の子はすぐに癇癪を起こすが、案外粘り強い性格なので、取れないが食い付きはするからと、釣り上げるまで諦めないと言った。だが、夫の方が気短なので、早く帰ろうと言い出した。
夫は、釣り場選びから釣糸の垂れ方まで下の子に口出しをしただけでもう疲れたらしい。池の周りには、夫と同じように子供以上にマジになってしまった父親達と、うんざりして別のことをやり始めた幼児があちこちにいる。
どうしてもザリガニが釣れないので、鯉とカモの餌をもう一つ買って下の子に与えた。カモは目が左右に着いているため、真横はよく見えるが真正面はよく見えないようだ、と教えると、下の子はカモの体側にぶつけるように餌を投げた。カモは即座に反応してくるくる回りながら餌を取った。下の子がそうして黙々と餌を投げてると、やはりザリガニ取りに飽きたらしい幼児が我々の横にとことこ歩いて来て、ハルジオンの花をカモに向かってぽいぽい投げた。数メートル先の池畔では、その子の父親が虫捕り網を手に持って、
と怒鳴っていた。
帰宅後、釣果が何もなかったので、日記が書けないと下の子が愚図った。でもカモに餌をやったじゃないかと宥めすかせ、日記を仕上げさせた。絵は下の子が自分で描いたが、文章はほとんど私が書いたようなものだ。カモは横から餌を投げられるとよく食べる、と。カモの様子ばかりで「楽しかったです」や「面白かったです」などの自分自身の気持ちが一言も書かれていない絵日記。そういうタイプの絵日記を、学校の宿題として提出するなんて、子供時代には思いもしなかったなあ。
俺は嫌な思いしてないから声を上げない
俺は嫌な思いしてないからウクライナがロシアに責められても声を上げない
俺は嫌な思いしてないからサッカー部員が蹴られても声を上げない
俺は嫌な思いしてないからたわわが叩かれても声を上げない
俺は嫌な思いしてないからアホなYoutuberがタイソンに殴られても声を上げない
俺は嫌な思いしてないから隣の家が知らない間に謎の中国人に占拠されてても声を上げない
俺は嫌な思いしてないから帰ったら家のドアに包丁が刺さってても声を上げない
俺は嫌な思いしてないから毎月残業時間をちょろまかされてても声を上げない
俺は嫌な思いしてないから声を上げない
一説によると原神のメイン層は35歳らしい
もちろん世界中で子どもから中年まで男女問わず人気のゲームだが
ネトゲが斜陽と成り果ててまともに新作が出ない今、ネトゲおじさんの行きつく先が原神らしい
ネトゲではないんだが往年の韓国日本製あたりのMMO世界っぽくありながら今風に洗練されている
一方でMMOとは違って他者とのコミュニケーションやマルチプレイの必要性がほぼ無いので気後れせずにすみ
フレンドとの閉じた世界で遊ぶことも、自分の世界を訪れてくるなに人とも分からんプレイヤーと意思疎通を図ることもできる
ネトゲおじさん達はもう近年のネトゲのオープンチャットは横柄な言動のキッズに占拠されていて交流を楽しめるような場ではなくなっていることを身にしみて知っているので