はてなキーワード: 単語とは
問題は100問、満点は1000、調べる時間は取れても30分程度、人名地名会社名は漏れなく、各国家の歴代指導者の名前レベルまでは押さえておきたい、600点を下回ると他教科での挽回は難しい
音声入力はひらがな固定、トップ校以外では問題ない(トップ校は漢字変換必須)、速口記は佐藤2000式も可
定番問題は何度も説明があるだろうから省く、読解のミスが一番痛いので落ち着くこと
用語説明問題は20字×5文×5段落をめやすに、数式や図表は別タブで添付、タイトルの設定は各自で行う、直近のものより廃ったものが出やすい
展望問題は論旨を明確に、白書の内容だけでは点がもらえない、答えが無いと思われがちだが事実誤認をしているなどは大幅に減点となる、自身の経験もインパクト小
群衆心理問題は過去問で十分、スピードを重視、ただしアジテーションに関するものは要注意で政治やスパイに絡めるのは誤解を招くリスクが大きい
資金調達問題は知識問題でもあるがプレゼン能力が問われている、試験なので突破の仕掛けがある、泣き落としはタブー
異文化理解問題は宗教周りがマスト、各国に特異の制度はそこまで出ない、毎年どこかの学校は逆に複数国に共通の制度や、その成り立ちの説明問題が出る
所作問題は20点、時間もかからないので肩慣らしとして一番最初に解くのがお勧め、出題者が取らせる問題、正装着用でなりきって過ごすのは1度やれば十分
序列問題は難しく考えすぎない、意味深長な動画の演出に惑わされない、倍速再生の受験生は名前の間違いが多いので注意
義務権利問題は教科書で十分だが余裕があれば判例の講義(大学)に目を通す
独占業務問題は各専門家にどこまで任せられるかをあからさまに示すと減点されない
総合問題は最後に、問題を確認したら解く前に他各小問の見直し、3ページずつ表示だと見やすい、コピペでの入力は長い単語を繰り返し使わざるを得ない場合以外は極力控える、15分は余らせておきたい
賢者の贈り物って話が昔から嫌いで、意味わからんアホ夫婦がお互いになんの話し合いもしないで相互にプレゼントしたせいで、大事なものを失って手元にゴミだけが残るとかいう、しかもなんかそれをいい話風に世間があつかってるのはほんっとにしゃらくせーって感じで死ねという気分しかなかったんだけど
なんか素敵な話って思えるようになった
ある一面からしか物事を見ることは出来ないってわけでもなくて、物事は色んな面から眺めることができる
そして以前のようなスタンスで話を見たら、おぞましい愚者による非効率で非文明的な吐き気を催すゴミ話なんだけど、なんだろな
説明難しいかもしれない、でもこれはなんか大切な話だと思う。今はそうのように確信している
まあ人生長く生きてたら昔見た話とか漫画が面白く感じなくなってるなんてことはよくあるし、昔見たけど今見直してみると深い作品だなー、みたいな作品がある。
あるっていうか俺は無いんだけどそんな作品なかったんだけど、世の中の奴らがあるって言ってて、嘘ついてんじゃね〜ボケが、適当ぶっこいて透かしてんじゃねーぞ老害、だまらっシャイ!
みたいに思ってました。
なんでこの作品が良いのかはよくわかりません、二人が幸せになってるのとかいいと思うし、手元にゴミが残ってるんだけど、このゴミは二人にとっては二人の愛が深いっていう証であり、とても大切心のこもっているプレゼントなんだよなーって思うと涙が出てくるくらいには、かなり心を打つ作品になってる
たとえこのプレゼントが壊れてもなくしても、二人は不幸になることは無いんだなって、二人の間には愛があるんだなって、多分この二人は死別しても二人の間の愛が引き裂かれることはなく、ずっと幸せでい続けるんだなと言う確信がある
これを成長と人は言うんだろうけど、そんな安直な単語で表したくはない感じがしています。視野が広がったのかな?
俺はそれでもまだ、世の中のことは疑ってるしほとんどの世の中一般の価値は賛同したくないし否定したい気持ちがある。天の邪鬼ではある
もう何回目でしょうか、この手の定義論争は。
少女漫画か否かレーベルで決まるなら移籍した途端に少女漫画でなくなるのか、などと、ラノベ定義論の時と全く同じことを言っています。
まさにスニーカー文庫から角川文庫に移った実例がいくつかあったため、エッジケースとしてよく議論されていました。
外形は全く同じなんですよ。
ラノベ定義論争、SF定義論争、本格ミステリ定義論争、ハイファンタジー定義論争、ロック定義論争、メタル定義論争、渋谷系定義論争、ロキノン系定義論争、オープンワールド定義論争……
あのねえ、数学用語の定義ならともかく、人の世に、はっきりくっきりここからここまでがこの言葉の範疇ですって線引けるような概念なんか無いんですよ。
エッジケースなんて人によって判断が分かれて当然でしょう。
それでも、少なくともワンピースは少女漫画ではないし、ガラスの仮面は誰に聞いても少女漫画といえる。
少女漫画という概念に定義はなく、それでも明確に、皆に共通するイメージがあるんです。
それはレーベルだったり、内容だったり、読者層だったり、色んな要素なんです。
どれかひとつじゃない。
要素全部なんです。
全部なんですが、全部満たしていることが要件ではない。
少女漫画っぽさっていうのは、色んな要素でちょっとずつ結びついている。
あれとこれはここが似ている、こっちはこういう要素が似ている、似てる・似てる・似てるを繰り返し、あまり似ていない両端の漫画同士でも同じ少女漫画というカテゴリに入れられる。
ウィトゲンシュタインは「ゲーム」という単語の定義でこれを説明しました。
一人でやるゲームもある。勝敗のつかないゲームもある。会話だけで行うゲームもある。
サッカーとソリティアとマインクラフトはその構成要素は全く似ていないですが、どれもゲームと呼ばれます。これらうまく包含してしかもゲームでないものを含まないようにする定義など不可能なのです。
上に挙げた全ての定義論争はこれと同じです。
我々が扱っているのはそもそも自然言語だということを真摯に認識すべきなんです。
どうして定義なんかしないといけないのでしょうか。
あの裁判官はバカ過ぎる。技術革新を守るどころか足を引っ張る判決だ。以下、今後起きる影響を列挙する
CPU使用率50%までなら合法という判例が出たからだ。お金の臭いに敏感なこの手の業者がこのチャンスを見逃すわけがない。
当然ながらこうなり、若者がWebアクセスやスマホアプリをあまり使わなくなる。
そして最高裁判決で出た「技術革新」という単語に国民的批判が集まっていき、
という結果が待っている。
最高裁裁判官は、性善説で物事を見すぎである。有罪にしろとは言わないが、「早い法整備を望む」など、野放しにならない付帯文を入れるべきだった。5年後を見据えて裁判してほしかった。
なんか「オープンレター」と書いてあったら、絶対に必ずオープンなものであってそれに反する動きは許されないって価値観そのものがどの程度正しいのかはよくわからん。
少なくともアンチフェミ勢的な人たちの多くがオープンレターを文字通りオープンなものとして解釈してるってのはわかるけど
恐らく、優生学とはなにか、のところが曖昧だから解説にたどり着いてないところがある。
そして科学でないことが優生学が誤りである理由の大部分である。
ナチス政権は、当時、「最新の科学と合理性に基づいて政策を進める」と標榜していた。その「最新の科学」の筆頭が優生学であったのだが、実は優生学は科学的根拠に乏しく、今でいう俗流進化論の水準にも達していない。当時からしてもすでに素人っぽい勘違いや都合の良い前提を数多くの含むものであった。
科学ではないので、科学として優生学の誤りの詳細を検索しても、大して詳しい解説は出てこない。それが主に語られているのは、文系科学の分野だ。学問ではないので、単語としても、優性思想、とか使う。
ナチスがなぜ誤りだったのか、みたいな歴史分析の本を探すのが近道だろう。
一番大きいのは、自然界は弱肉強食である、という素人にありがちな勘違いを採用していること。
優れた遺伝子を持った人が優れた子供を残せば反映するであろうそれが進化だ、とかいう考えが根本にある(そしてなぜかアーリア人が優れていてユダヤ人が劣っているとかいう話にする)。
これが明確に間違いで、自然界は弱肉強食ではなく、適者生存である。ライオンやゾウであっても滅びるし、アリやミジンコであっても繁栄する。また、アフリカで繁栄したアリンコをヨーロッパに運んで来たらそれだけで滅びる。兵士に適した遺伝子を持った国民が増えたら、農業が壊滅するかもしれないし、パソコンの天才になる遺伝子を持った人は、ナチス当時は無能以外の何物でもなかったかもしれない。万能の天才になる遺伝子は、伝染病に抵抗できない特性を同時に持つかもしれない。
つまり、優れた遺伝子、などと言うものはない。何が優れているかは場合による。
それは当時の進化論でもすでに判っていたが、ナチスはそれを判ってなかった。科学を判ってない奴らがぶち上げたのが優生学という訳だ。
ナチス以前にも、類似の発想がずっとあり、差別に活用されてきたからだ。
これは20世紀よりも更に前にあった科学分野だ。頭蓋骨の大きさが判れば、脳の大きさがわかる。脳が大きいということは賢くて優秀である。そして、白人の頭蓋骨は大きく、黒人の頭蓋骨は小さい、という話だった。実際には、そんな事実はなく、骨相学の専門家はわざわざ頭の大きい白人と頭の小さい黒人の頭蓋骨を一生懸命に探し出して、それをデータと称していた。そんなこんなでブームは消滅し、いまでは疑似科学とされているのだが。
つまり、差別に科学(っぽさ)を利用するという発想は、優生学以外にも普遍的だし、常に行われているのだ。
それ故に、科学っぽい差別言説を言おうものなら、「てめえ例のイカサマをしようとしてるんじゃねーだろうな?」という目を世間から向けられる。母さんオレオレ、オレだけど、みたいな電話が家にかかってきたときの感じに近いかな。
なんか誤解しているよな
子供を手放すな!と聞こえたのならそれは誤りだよ
少ない情報から「毒親に育てられたから」と断定したり、対面だけ気にしていると決めつけるのが一番ダメ
そんなことを自死仕様とした人にむけるとかどういう考えなのかなって思う
毒親が元増田に何らかの影響を与えている可能性はあるが、そもそもそれだけが原因かもわからない。実際に自殺未遂をして家に居場所をなくしている状況は元増田のせいというより、夫や他の家族の理解を得られていないことが原因でしょ?それを全部はぶいて母親本人だけの問題にするのって不自然だな。
何もかも母親と子供という閉じた関係だけで考えているのがおかしい。
子の幸せという単語も気になる。子がどう幸せに感じるかはこれから先の話であり誰にもわからない。問題は現在進行系の母親とその周りことだよね。そういうことを棚に上げて更に追い詰めるってなにがしたいのかな。
そしていつまでたっても「子供を手放すなってことですか!!」と勘違いしているわけだ。そうじゃないよ。子供を育てられないことは仕方のないことだ。だから無理に育てる必要はないと思うよ。
おそらく元増田は子供を手放すことを後押ししてほしいだろう。ただ、現状で増田に書いても谷底に本人を突き落とす言葉しか散見しない。
「”それ”下さい」。 もしくは「フライドチキン下さい。」「ファミチキですか?」「それで。」
ただそれを食いたいだけなのに企業が付けた固有名詞を言わされる自分がバカっぽく思えてくる感覚というかなんというか。
チョコオールドファッションとかチーズバーガーとか各社がオープンに使ってる名詞とか一般名詞化した単語なら問題ないけどポンデリングとかサムライマックとか絶対に言いたくない。
でもレストランのメニューとかで店主が自己満足な名前付けてるやつ(「森からの贈り物」みたいな)を絶対に言いたくない人とか多いんじゃない?
その系統だと思う。
(追記)
ニッチなこだわりに対して思いのほかトラバ&ブクマ集まったな。みんなサンキューな。
サイズの指定についてのコメントあったけどS・M・Lはまったく抵抗ないけどコンビニコーヒーのレギュラーは普通サイズでって言っちゃうな。まぁバカっぽいとまでは思わんけど。
1:gueuleは顔、口という意味なのに、sale gueulesというワードのうちのgueulesが醜いという意味だと勘違いしてしまう
2:差別にあたるかどうかはデンベレ本人の内心が大事であるとして引用したツイートが発言を隣で聞いていたグリーズマンのツイート
3:フランス語通訳で7ヶ国語を操るフランス人ダバディ氏に対してフランス語の解釈でレスバして無視される
4:在仏53年の言語学博士号取得者に対してフランス語の解釈でレスバしてボッコボコにされる
5:ピュータンピュータン言っていたら読み方はピュタンだと指摘を受けて、以後ひっそりとputain表記に変える
6:スラム街出身の黒人主人公の映画、現代スラム街が舞台の映画で何度も出てくるワードだからputainは日常で使われる言葉であると反論
7:執拗に辞書を引用して反論を試みるも、早稲田大学文学部大学院教授から、文脈を無視して「辞書にこういう訳語がある」と主張してくる学生みたいと呆れられる
8:内心から差別に当たらないとかどうのこうと言ってたくせに、裁判で確定しなければ差別には当たらないとか言い出す
9:フランス人の友人に確認してみれば?というツイートを全無視
10:仏仏辞書を引っ張り出してputainにtres familierな表現として感嘆の意味があると反論するも、tres familierは「よく使われる」という意味ではなく「口語的」、即ちスラングという意味であると反論される
11:見ず知らずのフランス人のTwitterにフランス語初心者を名乗って人種差別ではなかったか質問するが、自分が欲しかった答えがもらえなかったためにお礼の返信もせずに消える。お礼を言ってないことを複数人から指摘されて4日後にようやくお礼の返信をする
12:都合の良いツイートを見つけたのでひろゆきがリツイートしたら、ひろゆきの意見に否定的な人だった
13: パリ在住の元大学教授から「ひろゆきはよほどフランス語ができないか、言われ続けて麻痺してるか、ヘイトを親しみと勘違いしている。留学したての若者にありがちなその国を選んだ自分を否定したくない認知の歪みが起きてる」と言われる
14:ラテン語さん(ラテン語歴10年、英検一級、仏検一級持ち)に、なぜ差別行為があったとされる動画内の文脈を考えずにputainという単語の多義性を強調しているのかと疑問を呈される
15:11のフランス人へのtweetで男性ホテル従業員のことを「Les japonaises」と書いてしまい、動画に映っている日本人男性三人を女性と勘違いしたか、「男の日本人」と「女の日本人」をフランス語で区別することが出来ないということが露呈する
16:11で送ったお礼の文が例文の寄せ集めとしてバカにされる
17:F爺に対して無視を決め込み、YouTube liveのF爺関連コメントも一つずつ手作業で削除する
18:東大大学院哲学科博士課程の学生から、論破がかっこいいと思ってる奴いるけど、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、 互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方が健全だし時代に適合していると言う正論を言われる
19:7/14の配信中に日本人がピュータンの使い方で議論するのはおかしいというブーメランを放つ
20:F爺に対する無視を解除し論破に向かうも、仏大統領が貧困層への親近感アピールのためにあえて汚い言葉を使った動画を切り取ったmad動画に騙され、仏大統領が大統領選挙の場面でputainを使っているというデマをツイートしてしまう
21:20の動画で自分が優勢であると考えて、それまで某ブログ主とトーンダウンして批判していたのに、F爺と個人を特定して攻撃を再開する
https://togetter.com/li/1832035
フェミニストなんかよりもよっぽど直接的に「弱者男性」の尊厳を傷つけているのに言っているのが「弱者男性」の仲間だからか全く叩かれない。
お気に入りの“目を背けたくなる”あれこれ具体例
・虐待・洗脳・摂食障害・強迫性障害・薬物依存・自殺・自殺の失敗
・親しい人間から売春斡旋・強制的に孤独にさせられる・制御不能になった機械に痛めつけられる(?)
最後のは○イチ光ク⚫︎ブのネタバレなんですけど…これはファンタジーですね。ただ物凄く嫌な思いをするんです。原因は不明です。機械のそういうものが性癖というわけでもないし、なんなのか全くわからない。
この箇条書きした内容、個人的な弱みが現れる、何をコンプレックスに感じているのか、またそのコンプレックスをどのアプローチで刺激して精神的に負荷をかけると良いのかはっきりさせられます。私の例にあげたものに何の辛さも感じない人もいれば、辛いと思う人もいるんだろうなと思います。人それぞれ傷付くポイントって違うんだろうなってことが言いたいんですけど、上手く言えないし意図した通りに伝わってないんだろうなと思います。忘れたい記憶を引き摺り出されたり、罪の意識に苦しめられたり、望んだ人生を送れない欲求不満があらわにされてしまったり、そのようなストレスを感じる作品を見ることを好んでいたんですね一時期。
あと最近有名なツイッタラーが言っていてあーーーーーーとなったのは青春の体験がない哀れな大人はテニミュのような部活っぽい座組みで切磋琢磨してるイケメンを見ると落ち込むと言っていてなるほどとなりました。私は落ち込む側です。
そして何故この意味のわからん文章を書きはじめたのか、これが本題で、えー今ネ⚫︎ケのあほ舞台を見てそれに助けられたように感じたからです。2022年はそりゃあびしょたんが好評でしたけどそれを書くわけではないです。今更ラ⚫︎米をみております。米の擬人化舞台に、いま感化されてこれを書こうと思いました。高校生の時にこのシリーズは始まっていて私は登下校の時間はもうエンドレスにこのラ○米のサントラを聴いていたのです。本編を観劇しにいくことなく、です。最悪です。重厚なストーリーを茶化しなしで真剣に演じ観客が物語について深く考えるような作りの舞台、もしくは小説や漫画など、それらがかつてはお気に入りでした。それこそ客席で啜り泣く人が出てくるようなやつばかり選んで見に行っていました。しかし最近はそれらに対し、作品を視聴することができないとまでは言わなくとも気が進まない、行きたくない、興味を持てない、となってしまってオタクやめようみたいなところまでいきました。
ところがなんでかわたしは今米の舞台を見て大はしゃぎとまではなりませんがそれなり楽しんで笑顔になってます。更に、鉄道の舞台も同じ感じで前より好きだなと思います。また大人気役者育成ゲームことえーすりーの中でも好みの変化がありました、今までは冬、もしくは春が作る舞台の世界観がお気に入りだったのに今は断然夏が好きです!コメディだいすき!!の気持ちしかないです。
鉄とえーすて(夏)は笑いメインではありますがきちんと青春としてのストーリーの魅力があり、切なさもあり笑もある感動できる演劇なのですが米は違うと思いました。
米はキャラ同士で会話が成立してなかったりします。常になんの話してるのか分からないんです。アドリブでボケたキャラに誰も反応してない漢字とかスベリ芸なのかと思ったらそうじゃなくて困惑したり面白くなくても受け入れられてるようなのがたまらないんですよ、米みてるときは緊張感なんて一切ないですし集中力とかまるで必要ない舞台っていいなと思いました。
ここまで書いて全部本心じゃないなと謎に冷めてしまいました。なんだこれ。気軽にSNSができる時代だとこう納得できないこと書いてそれをそのまま勢いで表に出しちゃったりできるのが私には使いこなせなく辛い。アップするの絶対やめられないの怖い。疲れきったところで書き始めて消して書いて消してってしても何にも改善されなくて辛い。
導入も書いてたのに上手くできなくて下げた。こんな導入で書きたかったっていうのをそのまま貼って放置します。もう終わり!死!
目を背けたくなる創作作品を手に取ることが多かった。鬱や地獄の定義はバラバラ、作品をおすすめするため安易に闇、暗い、苦痛といった単語を連ねたPRを鵜呑みにしても明るい話だなと感じることもよくある。それぞれ感性が違うので当たり前のことだがその経験を経てようやくそれに気がついた。
これまでのまとめ
正味の話→関西以外で通じにくそうなのと敬語と言うより俗語っぽいのが気になる
正直に申しますと→正直にと言うとウソの対義語みたいに聞こえる。そうじゃないんだよな
率直に申しますと→率直にと言うと気持ちを打ち明ける時みたいに聞こえる。ある事柄に関する事実を述べたいだけだからそうじゃないんだよな
忌憚なく申しますと→なんかキツいことを言う時みたいに聞こえる。そうじゃないんだよな
単刀直入に申しますと→無難そうだがもうちょっと短い単語で言いたい感がある
腹蔵なく申しますと→あまり使わない言葉なので一発で通じにくそう
違いはここだろ。
少年漫画は試合だの事件だのを通して白黒つけるのがメインで、読者は問題をどう解決するのかに注目して読んでる。
だから少年漫画読者は少女漫画を読むと問題が白黒ハッキリと解決しないからモヤモヤする。
少女漫画は問題解決ではなくシチュエーションにおける心情をメインに描くので、時には問題の解決がそっちのけになったり問題そのものが雲散霧消する。
そんな少女漫画読者が少年漫画を読むと問題に白黒つけることに躍起になりすぎて心理描写を蔑ろにしているように感じる。
じゃあ男が少年漫画脳で、女が少女漫画脳なのかって考えだすと個人差としかいいようがない。