賢者の贈り物って話が昔から嫌いで、意味わからんアホ夫婦がお互いになんの話し合いもしないで相互にプレゼントしたせいで、大事なものを失って手元にゴミだけが残るとかいう、しかもなんかそれをいい話風に世間があつかってるのはほんっとにしゃらくせーって感じで死ねという気分しかなかったんだけど
なんか素敵な話って思えるようになった
ある一面からしか物事を見ることは出来ないってわけでもなくて、物事は色んな面から眺めることができる
そして以前のようなスタンスで話を見たら、おぞましい愚者による非効率で非文明的な吐き気を催すゴミ話なんだけど、なんだろな
説明難しいかもしれない、でもこれはなんか大切な話だと思う。今はそうのように確信している
まあ人生長く生きてたら昔見た話とか漫画が面白く感じなくなってるなんてことはよくあるし、昔見たけど今見直してみると深い作品だなー、みたいな作品がある。
あるっていうか俺は無いんだけどそんな作品なかったんだけど、世の中の奴らがあるって言ってて、嘘ついてんじゃね〜ボケが、適当ぶっこいて透かしてんじゃねーぞ老害、だまらっシャイ!
みたいに思ってました。
なんでこの作品が良いのかはよくわかりません、二人が幸せになってるのとかいいと思うし、手元にゴミが残ってるんだけど、このゴミは二人にとっては二人の愛が深いっていう証であり、とても大切心のこもっているプレゼントなんだよなーって思うと涙が出てくるくらいには、かなり心を打つ作品になってる
たとえこのプレゼントが壊れてもなくしても、二人は不幸になることは無いんだなって、二人の間には愛があるんだなって、多分この二人は死別しても二人の間の愛が引き裂かれることはなく、ずっと幸せでい続けるんだなと言う確信がある
これを成長と人は言うんだろうけど、そんな安直な単語で表したくはない感じがしています。視野が広がったのかな?
俺はそれでもまだ、世の中のことは疑ってるしほとんどの世の中一般の価値は賛同したくないし否定したい気持ちがある。天の邪鬼ではある
怪しいダイエット薬じゃないのか