はてなキーワード: 単語とは
全く違う。
現代の英語教育は、英文学を原文で読むことなどを到達目標としていない。
一昔前の受験英語ならともかく、現代の英語教育で難解な文学や評論が題材とされることはまず無い。
高校生が到達すべき目標を設定して、「この程度の単語や文法が分かれば、このくらいの文章が読める」という分析をきちんと行っている。
一方、古典の教科書には「桐壺(源氏物語)」とか「鴻門之会(史記)」などが掲載されている。
それを読むための必要事項はほとんど解説されないし、それを頑張って読解しても何の役にも立たない。
平安時代の古文常識は江戸時代の古文を読むときには何の役にも立たないし、時代が異なれば使われる語彙も大きく異なる。漢文の場合はさらにひどく、ある作品で出てきた難熟語を覚えてもそれが他の作品の読解に役立つ局面はほとんど無い。
これを書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220120142843
まず、様々な意見を頂き、ありがとうございます。
専門家のような方からのトラバも頂き、それも反響が大きかったようで、
元の記事を書いた私としては嬉しい限りです。
一方で、思うことが多くあります。
その多くは「自分で考えろ」など、ロジックを持たず中身のない批判でした。
例を示します。
id:hajimaritoowarini 触れちゃいけない人だ
id:death_yasude このとぼけた感じ
id:poppo-george この手の「なんで?」増田には都度「専門家がめちゃめちゃ研究・議論してるのになんで本を読まないの?」と問いたい。そして大抵本当に聞きたい/言いたい本心は別にある。自覚してんのかはわからないけど。
id:mangabon 聞く前に本読めよ。知ったかぶりのアホばかりのネットで聞いてどうするよ。
id:iiefujii 大前提が欠けてる人って感じ。
id:harusyo 現代っ子。わからないことはネットで単語検索し、Yahoo知恵袋や増田で知らない人から正しいかわからない情報を聞き、知った気になろうとしてる。いくらでも書籍あるわけだし、本当に知りたいならここで聞くのは間違い
id:ghosttan こういう「タブーに疑問を持っちゃう俺ww」みたいな質問定期的に現れるが、そのたびに共感性羞恥が発生する…。「なんで人を殺しちゃいけないの?」みたいなやつ。「本読めや」で終了。
id:carios 自分は調べてないけど、まずそういう本があると思うのだけど、、、こういう層が中田敦彦の動画とかYouTubeの断言する人を見て「なるほど!」ってなるのかしら
id:morita_non ある特定の能力だけ残せるとか伸ばせるとかお花畑にも程がある。
id:djsouchou 「どうして殺人は良くないの?」と聞いて回る小学生メソッドだ
いくつか抜粋しただけですが、このような感じです。質問に答えることもなく、文献をポイントすることもなく、ただ批判的なことだけを書く方が多いです。
これを見てわかったのですが、「優生学について知りたい」などの優生学関連の発言をする人に対し、
「優生学について発言してる!それは駄目だ!」と批判したい人が多くいる 、ということです。
理由は本人もよくわかっていないものの、優生学はタブーらしい。
そのような、ポリコレ棒の道具として使われている風潮があるのだと思います。
しかしそれでも愚かな批判があるのは、SJW が愚かなのと同じ構図でした。
私が愚かだとしても、理由もなく私を批判した人も同じように愚かです。
「本を読め」系の批判は理解はできますが、ではあなたは何か疑問があったら
すぐ本を読むほど暇なのですか、と問いたい。
知りたいことなどたくさんあるし、インターネット上に記事もたくさんあるのだから、まずは低コストなインターネット上の記事などに期待するのは当然だと思うのですが、いきなり初手から本を読むべきなのですか?読む本もわかっていないのに?
優生学について知らないから質問したら「お前は馬鹿か、本を読め」という批判は真っ当なものですか?
id:siesind id:casa1908 id:takeshiketa id:ghosttan id:shiroikona333 id:oka_mailer
あなた方は知りたいことがあればまずインターネットで調べることもなく、まず本を読むのですか?
本の選び方も何もわかっていないのに?それは愚かじゃないですか?
先月、好きなバンドがメジャーデビュー後初のワンマンやったんだがこれがすげえ良かったので、他人の感想見たくてTwitterでパブサした。
そしたらボーカルのAさんがイケメン!みたいな容姿に触れる感想を公式タグ付けてツイートしてる人が多くて驚いた。
どちらかというと顔売りしてないバンドなんだが……メジャーデビューしてからしばらく顔出し控えてたし、何枚か出たアルバムはどのジャケにも写真使ってないし、PVにもメンバー出てないし……。
このままファンがAさんの容姿に触れるようなツイート連発したら、曲じゃなくてボーカルの顔で売れてんだろって言われそうで怖い。
女性ファンが多いのを理由に「アイドルバンド」って叩かれた某バンドが、それを否定するために男性ファンを過剰に優遇するようになって炎上したけど、好きなバンドにああはなってほしくない。
(アイドルバンドという単語が悪口として機能するのもどうかと思うが)
顔出し控えめなのが仮にバンドの方針だとして、所属レーベルがそれを許したってことは顔売りしなくても売れるだけの力があると判断されてるってことだろうし、顔出し控えめなのは顔売りバンドって言われるのを避けたいからなんじゃないかと思う。
それなのにワンマン参戦するような熱量あるファンがメンバーの容姿に言及するのは、それがポジティブな感想でも関係者の意図や努力を無駄にしてないだろうか。
どうしてもメンバーの容姿についてツイートしたいなら、せめて公式のエゴサや他のファンのパブサに引っかからないようにしてほしい……。
本当にライブパフォーマンスが最高だから、色んな人にこのバンドのライブに参加してほしいと強く思ってる。
だから某バンドみたいに、ファンが、自分ではどうしようもできない属性のせいでエントリーする資格すら剥奪されるような事態になってほしくない。
これ読んで気分悪くした人がいたらごめん。(特に某バンドのファンの方々……)
色んな観点から反論はいっぱいあると思うけど、少しでも「これは自分の好きなバンドの話かもしれない」と感じたなら、心の片隅において、ライブの感想をツイートする前に思い出してもらえると嬉しい。
結構昔からの友達に、色々ちゃんと自分で考えるタイプで、波長が合うし尊敬してるタイプの子がいるんだけど、その子の様子が最近ちょっと変わっていて。
何かというと、所謂『能力主義は正義か?』的な話(成功は本人の努力によるものではない的なやつ)と、フェミニズムにすごい傾倒してて。
こうやって、特に"フェミニズムに傾倒"って書くのは実はかなり抵抗がある。
というのは自分自身そういう考えを持ってるし、そもそもこうやって"フェミニズム"って日本語で書いた時、それが何を指すのか今はすごい曖昧になってしまってるからだと思う。
※ここでいう"フェミニズム"は、所謂揶揄されるときに使われる"行き過ぎたツイフェミ"みたいな意味ではなくて、女性の人権を守ろうとする考え方や運動、つまり本来の辞書的な意味のフェミニズムです。
そういう"真っ当な"ものだと考えているなら、なんで"傾倒"なんて言葉を使うのかというと、そうとしか言えない状態に友人が見えたからで、それがこんな長々と文章を書いて自分の考えをまとめようとしている理由でもある。
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その友達は昔から本当によく考える人で、ともすれば面倒臭い人なんて扱いを受けることも多かったそうだが、こちらも"自分の頭で考えずに生きるなんて"、という方だったのですごくウマが合った。
ウマが合うといってもずっと一緒につるんでいたわけでなく、中学の時から接触が増えたり減ったりしながら、社会人になった今でも繋がってるといる感じ。
で、最近電話で話し込む機会があったんだが、そしたらなんか友達がその、ちょっと変わっていた。
能力主義は正義か?という話も、フェミニズムも、今ある当たり前を疑うという話ではあるし、それ自体に自分もアレルギーがないどころか、特にフェミニズムについてはかなり友達と似た意見を持っていたはずだ。
ただなんだろう、自分の頭で考えていたはずの友達の口から、インターネットやそこらで聞き飽きたような話がつらつらと出てくるのには結構な違和感を感じてしまった。
能力主義のあれそれやフェミニズム的な話を"聞き飽きたような話"と書くのもすごく抵抗があるが、じゃあ例えばそれが何かというと、エリートへの怨嗟、結婚制度は家父長制を助長するであるとか、現状に対する特権側の無知厚顔さであるとか…。
それらの主張や感じ方自体に反対かというと、そうでないどころか自分も同じような考えを持っていさえする。
だから、所謂"ウワッフェミニズムの人だ!(笑)"みたいな気持ちには当然ならなかったし、途中までフンフンそうだよな的な気持ちですらいた。
のにも関わらず、だんだんと違和感が大きくなっていった。だって、あまりにもその、聞いたことあるし思ったことある話だから。
いやそりゃ、同じ問題について課題意識を持ってるんだから、同じことを考えるのは必然だろうというのもわかるし、それはそうだと思うんだが(例えばフェミニズムじゃなかったとしても)。
ただ、あまりにもその単語の全て、怒りの方向性、結論、雰囲気(としかいいようがない)などがあまりに既視感のあるもので。
似たような人間が同じ本を読んで感想を熱く語っているような、そんな印象を受けた。
で、じゃあその何が問題なのか?というと、それでその友達がものすっっごく生きづらそうだったのと、自分にも同じ生きづらさについて思い当たるところがあったというところ。
いやさ、フェミニズムなんて女性の生きづらさに対する考えや運動なんだからそれを意識すれば大変なのは当たり前で、でもそれに無関心、無知で生きるよりよっぽど良いだろと思うし、それは別に間違ってないとも思う。
ただその"フェミニズム"的考えが本当に全部自分のものなのか、考えたほうがいいなと思った。
別に自分の原体験じゃなくたって、他の人の怒りに同調することは全く悪ではないし、実際日本はジェンダー格差がやべ〜のは事実だし、それに怒ることはマジで大事だと思う。
でも、そういった考え方や感情のどこまでが本当に自分のものなのかを間違えたり、わからなくなると、なんというか現実までそれに歪められてしまって、目の前の人間や現実をそのまま受け入れられなくなってしまう気がする。
"よく考える人である"はずの友達をあらためて客観的に見た時に、あまりにも『能力主義は正義か?』とかフェミニズム的な考え…イデオロギーを外からガッツリインストールしてしまって、それに雁字搦めになっているように見えた。
そこで改めて自分や"フェミニズム"というものを顧みてみると、やっぱりかなり思うところがあった。
今のツイッターの"フェミニズム"ってさ、まぁあくまで自分の観測範囲内であることは先に強く言っておきたいけど、こんな感じじゃん:
・みんなが個々で色々考えて言っているように見えて、そのベースにはある程度共通のイデオロギーがある(ように見える)
・そのイデオロギーは別に特定の有名人一人の考えではないが、複数人拡散力の強い人はいる(本の著者やSNS上のインフルエンサーなど)
・対抗勢力めいたものがいる(その雰囲気を帯びた投稿にめちゃめちゃ噛み付くユーザとか)
・程度の差はあれ、現実の認識がそのイデオロギーに影響されている
これってさ…この特徴って、フェミニズムだけじゃないインターネット上の"運動"でよく見かける気がしないか?
ネトウヨとか、スピリチュアルとか、陰謀論とか、そういう、「自分の頭で考えれば良いのになぁ」って感じの人達。
↑の箇条書きのテーマをフェミニズムからこれらに読み替えてみてほしいけど、どれでも結構当てはまると思う。
まぁ、だからどうなのかと言われると、少し困る。
ジェンダー格差は現実の切実な課題としてそこにあることも、それを自分が問題に感じることも変わるわけじゃない。
ただ、少なくともインターネットで多く繰り広げられてる"フェミニズム的なもの"については、↑のような要素や部分も少なからず有るようには感じる。
人間というものがなんらかのイデオロギーを持って活動しようとすると、多かれ少なかれ似たようなことになるのかもしれないな、とも。
だから、これもどこかで聞いた話だが、"その怒り(じゃなくてもいいけどなにかの強い感情、そして多くの場合は怒り)は本当にあなた自身の怒りなのか?"というところがわからなくなったら、一旦距離を置くというのも(その人自身の人生にとって)良い選択肢なのではないかな、と思う。
別にインターネット上のフェミニズム自体を全く否定するわけではないし、拡散力がある以上その手の運動にとってインターネットの活用は不可欠だと思う。
具体的に名前が浮かぶアカウントも、普通に応援したいというか頑張れ…とは思っている。でも、俺は一旦離れようかな、という感じ。
こんだけつらつら書いて結論弱?!って感じだが(笑)、自分が信じ込んでるものについて、リアルで他人の挙動を見せられたのは結構衝撃だったし、それをみて自分にも思い当たるところ(振る舞いもだけどそれより特に考え方について)があったのも衝撃だったし、それを整理するのに分量が必要でした、という感じだ。
その友達も変わらず俺の大事な友達なので、別にそのイデオロギーめいた部分以外は変わってないし話してて楽しいし、同じ考えを持つことを強要されだすとかしない限りは(そしてそういうことはしない人だとは思う)、仲良くしていきたいと思う…(書いてて改めて思うけどほんと陰謀論の人とかに対する感じ方だな…)。
ちなみに自分の振る舞いや考え方で特に思い当たったのは、同性パートナー(男)への評価の仕方がなんか、毒されてるな(あえてこういう日本語を使う)と思った(し実際相手から微妙に指摘された)という感じです
こういうちょっとした違和感が重なっていた所に、ドーンと友人の挙動を見せられたのがトリガーになった感はある
蛇足にしたのは本編でしていたイデオロギー云々の話に、自分の個人的な話(特に属性)を入れると話が発散しそうだなと思ったので…
男でフェミニズム?モテたいの?とかよく言われるけどゲイだと結構色々思うところはある。
ただあんまりこの話をするとそもそもフェミニズムは女性の権利の回復の話であって(勝手に男のものにするな)、みたいな話にもなるし、別にその話をしたいわけじゃないのであまり脱線させたくなかった
人と話すのが苦手という人は多いと思う。
私もその1人で、人と会話するととても疲れる。逆に人との会話が楽しくて体力回復になる人もいるそうで羨ましい。
昔から、私は周りの人とは会話の内容というかテンポというか、何かが違うぞ、というのは感じていた。
周りの人と比較してみて気付いたのは、私は会話中に笑わない。コミュ力を身に付けたくて、周りの人の会話を聞いていると、とにかくよく笑っている。
多分私は愛想笑いが一切できないのだろう。
小さい頃から他人との会話が苦手だったせいで会話中は常に苦しく、笑えない。
また、会話を広げる事が出来ない。
これについても自分なりに分析してみた結果、相手に興味が持てない為と思われる。
人見知りなため会話している相手がいつまで経っても他人のままで距離が縮まらないのだ。
相手を他人から友人に認識を変える、相手に興味を持つ事で雑談ができるようになるのではないかと思っているがそれが出来ない。
上記の通り死ぬ程会話が下手くそな私が最近マッチングアプリを試してみている。
メインの目的は婚活だがメッセージのやり取りでコミュ力を付けたいという目的もある。
最初の挨拶に返事をしてくれる人はいるのだがそれ以降音沙汰がない。
基本的に最初の挨拶やそれ以降の話題の提供は男性から行う事が殆どなので、苦手なりに何か会話しなきゃと当たり障りの無い質問をしてみるのだが返事が来ない。
今時珍しいかもしれないがLINEもやっておらずメッセージのやり取りの経験がほぼ無い私は、ビジネスメールの様な堅苦しい何の面白味も無いメッセージしか書けない事を知った。
マッチングアプリは男性比率が恐ろしく高く、女性からすればメッセージの相手は掃いて捨てるほどいるので、私みたいなコミュ障に無理して付き合う必要は全く無いのだろう。
月額料金が高めなので諦めるか続けてみるか真剣に悩んでいる。
そんな感じで最近悲しい思いをしたのでより一層コミュ障を克服したいと思った。
楽しそうに笑いながら会話をしている人を見ると本当に羨ましく思う。
文章を書くのは別に苦手では無いのだが会話となると何も思いつかない。
暇だし途方に暮れたので日記を書いてみた。
身長差別(英: Height Discrimination)、あるいはハイティズム[1](英: Heightism)は、身長に基づいて個人を差別することをいう。原則として、身長がある集団内における通常の許容域に属さない個人に対して行われる差別的取り扱いに関する言葉である。
身長差別は、平均身長より大幅に背の低い男性に対して行われるのがもっとも一般的である。また、こういった差別は一般的に受け入れられ、無視されている[2][3]。高身長の女性の中には、身長を小さくするため、多量のエストロゲンを使う人もいる[4]。
研究によれば、人間の脳は身長を社会的ステータスや健康状態を見極める指標として用いている傾向が確認できる[5]。脳は自動的に身体のサイズを、リーダーとしてのポテンシャル、権力、強さ、知性と結びつけている。この効果は生後10ヶ月ほどの幼児にも見受けられた[5]。身長は、ある個人の栄養状態が良いことや、高い社会的ステータスを持っており、したがってリソースを幼児に供給してくれることを示す指標となっているからだと、進化心理学者[誰?]は理論づけている[5]。また、身長は他にも一般的な健康や身体的な強さをも示すが、後者は支配力を行使する上で有用になりうる[6]。前述の特徴と身長の自動的な連想は、女性を評価するときよりも、男性を評価するときに、より強くなると見られている[5][6][7]。
ある研究によれば、環境要因を排除した場合の身長の遺伝率は55.4%(標準誤差は4.4%)であるという[8]。
"ハイティズム"という用語は、社会学者であるSaul Feldmanが、「The presentation of shortness in everyday life—height and heightism in American society: Toward a sociology of stature」と題した論文で用いたのがはじまりである。この論文は1971年に開かれたアメリカ社会学会(英語版)で発表された[9][10]。ハイティズムという用語は『Second Barnhart Dictionary of New English』(1971年)にも掲載されており[11]、1971年発行のタイム誌に掲載されたFeldmanの論文によって広まったとされる[12]。この単語は、「接辞の変わった用法」を通じて新しい単語を提供するタイム誌の慣習の一つの例であるといえる[13]。ただし、タイム誌自身は、この単語が1991年版の『Random Webster's College Dictionary』に収録されるのに反対していた。彼らは、『ランダム・ウェブスター』を「読者の気分を害さないように必死で、良い用法だけをのせる」、「疑問符が浮かぶような数多くの用法に権威を与えるが、そのうちの多数はポリティカル・コレクトネスの考え方に染まっている」辞書の例としてあげている[14]。 ハイティズムという語句は、セクシズムという語の用法を模倣するような使い方、特に偏見や差別に関係した使い方が増加していることの一つの例として見ることができる[15]。
ハイティズムはデートでの選好においても一つの要素となる。身長が、性的魅力においてもっとも大事な要素だという人もいる。
高身長の男性の方がかなりの程度生殖に成功しやすいという事実は、高身長男性がより結婚しやすく、より子供を持つ可能性も高いことを示唆する研究により証明されていた。例外は、戦争などで著しく男性が少ない社会だけだ[29]。しかしながら、最近の研究では、この理論に疑問符をつけるものも多くなっており、身長と子供の数の間にはなんの関係もないことがわかっている[30]。さらに、脚の長さや脚と体の比率に関する研究では、高身長の配偶者に対して著しい選好がみられるという考え方と対立する結果が出ているという。2008年の研究では、高身長にしろ低身長にしろ、極端な場合は魅力が減るとの結果が出ており、2006年の研究では、脚と体の比率が低い男性と比率が高い女性は美的アピール度が増してみえることがわかっている[31][32]。進化生物学的観点からいうと、これらの発見は身長と健康に関するデータと一貫性があるといえる。したがって、生物学的論拠、もっと具体的に言えば、背の高い配偶者への選好に関する進化論的論拠は疑わしく、具体的なエヴィデンスを欠いている。また、Journal of Family Issuesに発表されたある研究では、高身長への選好は進化論的なバイアスというより、社会的期待によるものだと示唆する証拠も見つかっている[33]。
行動経済学者のダン・アリエリーの研究によれば、アメリカ人女性は高身長男性とデートすることに対して並々ならぬ選好をみせ、低身長の男性が魅力的と判断されるには、高身長男性よりもかなりの額を稼がなければならないという[34]。また、オンライン・デーティングを研究する社会科学者によれば、男性も身長の低い女性を好むとされ、実際に低身長の女性と高身長の男性はより多くメッセージを受け取る傾向にあった[33]。ただし、女性は高身長の男性を理想とするが、実際のヘテロカップル間の身長差は、理想の身長差ほどは開いていないこともわかっている[33]。
2012年に行われたある研究では、男性も女性もトレードオフの手法を用いて身長差について妥協しようとしていることがわかった。男性は妻よりも1%高い賃金を稼ぐことで、1.3BMI分を埋め合わせている可能性があり、女性は高等教育を1年多く受けることで、2BMI分を埋め合わせている可能性がある[35]。さらに、2015年の研究では、男性も女性も高身長の配偶者を持つことで、利益を得ていることがわかった。夫の側では、妻の身長と相互関係にある優れた点、たとえば教育知識などに起因する長所を得ることができる。妻の側でも身長の高い配偶者を求めているが、これは高身長者は高賃金を得やすいからである[35]。また、全米経済研究所の調査によれば身長の低い男性は、若いが著しく教育水準の低い女性と結婚する傾向にあったという[33]。
それでもなお、ポスト工業化社会における文化的レベルでは、身長と魅力の間の社会学的関係は存在するといえる。この文化的特徴は、一方で近代化した世界には適応することができるが、他方では超自然的な人間の本質というわけではない[36]。ヘテロ女性の出会い系サイトでの行動に関する定量的研究では、高身長男性に対する著しい選好が示され、女性の大部分は平均よりもかなり身長が低い男性を受け入れないことが示された[37]。フローニンゲン大学とバレンシア大学での研究では、魅力があり、肉体的に優位で、社会的に力を持つライヴァルに対してもっとも不安を感じていた男性は、自分たちの身長が高ければ高いほど、嫉妬を感じにくかった[38]。この研究では、ほとんどの女性は他の女性の身体的魅力に嫉妬を感じていたが、中ぐらいの身長の持ち主はほとんど嫉妬を感じにくかった[39]。オランダとスペインの研究者によって作成された報告では、平均的な身長の女性はもっとも繁殖力が強く健康的な傾向にあるから、似た特徴を持つ女性に対して脅威を感じにくい傾向にあったと述べられている[40]。
アメリカ精神医学会の公式月刊誌である『American Journal of Psychiatry』に発表された調査結果によれば、スウェーデン人男性では身長の高さと自殺率の高さに強い負の相関関係があることがわかった[48]。これは、成人男性の精神障害の原因に子供時代から晒されていることの重大さの表れかもしれないし、低身長の男性が成人になってから生活の中で直面するスティグマや差別を反映しているのかもしれない[48]。1,299,177人のスウェーデン人男性を18歳から、最大で49歳まで追跡し、出生、徴兵、死亡率、家族、戸籍などのデータのレコード・リンケージ(英語版)による研究を実施した[48]。すると、身長が2インチ(5cm)増加すると、自殺のリスクが9%低下することがわかった[48]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E9%95%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5
しかしこれ読んで思ったが、『"当時"の愛という単語』は love に直訳できなかったが、
現代の日本語においては愛にloveの意味がおおむね正確に取り込まれているので、
"I love you"=私はあなたを愛しています、で問題なさそうだ。